2011年11月1日火曜日

大学教育改革の課題としての「知識、スキルと学ぶ姿勢」の教育方法の開発

科学技術文明社会での大学改革の課題(5)


三石博行


スキル教育が重視される社会的背景

日本の大学教育で、15年程前から、「知識、スキルと学ぶ姿勢」という三つの教育課題が取り上げられるようになった。知識の向上は以前からある課題である。しかし、スキルの向上や学ぶ姿勢に関しては、新しい教育課題である。こうした大学教育に投げかけられた新しい教育課題は日本の社会や時代的背景から生じている。そのため、この三つの教育課題を展開するためには、大学内の教育改革のみでは不可能な問題を投げかれられている。スキルの向上と学ぶ姿勢を課題にするようになった日本の大学(世界の大学も)の時代や社会的背景を一通り理解して置く必要がある。

例えば、急速に進む情報化社会に対応するため、大学では情報処理教育(スキル教育)が1990年代から教養教育の中に取りいれられ、教育環境の情報化が進んだ。スキル教育の向上はこの時代的ニーズを背景としている。スキル教育は、現在、大学教育の社会貢献を問われる重要な要素となろうとしている。

つまり、伝統的に日本の企業は企業内教育制度が充実していた。学生は卒業後、就職して企業活動に必要なスキルを、企業内教育によって学んでいた。しかし、次第に日本の企業が終身雇用制度を廃止し、即戦力のある労働力を市場に求めるようになることで、実務作業の基礎的スキルを持つ人材を採用するようになってきた。

就職のために学生が実務作業の基礎的スキル資格を取るのは、企業がその資格を重視しているからであった。そのため大学では、スキル教育を重視しなければならなくなった。勿論、そればかりでなく、情報処理機能を活用する大学教育にとっても学生のスキル教育(情報処理能力の開発)は重要な課題であることは言うまでもないだろう。


学ぶ姿勢を教育するという課題の社会的背景

さらに、「学ぶ姿勢」については、大学教育の基本的な課題の変換がその背景にあることを理解しなければならない。少なくとも1960年代までの古い大学教育のイメージをもっている教員にとって、学ぶ姿勢を教えることは大学教育の課題ではないと思っているだろう。何故なら、大学とは学生が自分で学ぶことを前提にして教育が成り立っていると信じているからである。この考え方は、今や古い大学のイメージとなろうとしている。

急激なスピードで大衆化した大学・大学教育が「学ぶ姿勢」を教育課題にしなければならない背景にある。大学教育の大衆化の背景にはこれまた急激なスピードで進む科学技術文明社会(知識社会)が背景にある。1950年代や1960年代中期までは大学進学者の割合は10%台であった。その時代、大学生は知識人であり、大卒はエリートに属していた。

しかし、1970年代以後、大学進学率は増えはじめた。そして、1990年代になると同世代の半分以上の若者が高校卒業以後、大学、短大や専門学校に進学している。現在では、その殆どが何らかの高等教育を受けている。高度な科学技術の知識が生産現場で必要となり、それなしに機能しなくなった社会では、基礎教育の底上げが必須であり、そのため、大学教育が大衆化することになる。もはや、大学を卒業した人はエリートコースの入り口にいるのでなく、社会一般の仕事の基礎的知識を持つと判断された集団となっている。

大衆化した大学には、学力のみでなく、主体的に学習するという学び方を知らない若者も多くいることは避けられないのである。これらの若者を古い大学教育のように、試験で振い落し、留年させ、最後はそれの学生が中退していくことを学生の自己責任であると言うことが、社会から求められている大学の教育機能(高等教育の大衆化を行う役割)を満たしていないことになる。その意味で、古いエリート教育主義を貫くことで、大学の社会貢献度は低下することになる。

そして、大学で「学ぶ姿勢を教えること」が深刻な教育課題になるのである。だが、学ぶ姿勢を教えるということは殆どの大学教員にとって苦手な課題の一つである。何故なら、教員採用時に、研究成果に関する評価のみが重視されているため、教授法は教育学に関する知識はそれが専門でない限り、殆ど持ち合わせていないのが現実だろう。

もし、現在の大学教育で「知識、スキルと学ぶ姿勢」を真剣に課題にするなら、この問題を解決する方法を提案しなければならないだろう。そうでない限り、大学教育改革が進むことはない。


「学ぶ姿勢」の教育に必要なこと

伝統的に卒業研究は大学の学部教育の最も大切な教育であった。そのため、学部では1年次で、教養教育の殆どを終了し、2年次と2年次に掛けて専門基礎教育がなされた。4年次は殆ど授業はなく、学生は卒業研究に没頭することが出来た。

この時代では、大学教育が学ぶ姿勢を課題にする必要はなかった。何故なら、1年間掛けてその殆どの時間を研究室に所属し卒業研究を行うことで、学ぶ姿勢は自ずと身についていた。卒業研究を重視する理工系学部では学ぶ姿勢の教育は卒業研究時に十分可能であると言えるだろう。

しかし、多くの大学が教養教育を4年間の猶予をもって終えるようにしている。つまり、現在の学部教育は教養教育化しているのである。仮に専門科目を履修したとしても、専門基礎教育のレベルであると評価されている。そのため、卒業研究に一年間掛けて、しかも、他の科目の履修を殆ど行わない条件で卒業論文に時間を割くことは出来くなってきた。

そればかりではない、卒業研究を必修としていない学部もある。また、卒業研究までの学部教育の段階が必修科目として配置されていない場合もある。一年次の基礎ゼミ(前期と後期)、二年にゼミ1(前期)とゼミ2(後期)、そして2年次に専攻分野別に行うゼミ3(前期と後期)等々。卒業論文を書くための基礎的知識やスキルを習得する段階を十分配慮し配置していない場合には、卒業研究は不可能である。

つまり、学ぶ姿勢の教育は講義式の教育でなく、参画型教育でなければ不可能である。その意味で、卒業研究のレベルに目標を与え、それを学部で一貫して教育する制度、ゼミ教育を充実しなければならないだろう。

さらに、学ぶ姿勢はインターンシップなど社会での経験で大きく成長する。主体的にかかわる姿勢を育てることが学ぶ姿勢の基本である。企業での実習、ボランティアへの参加、さらにはクラブ活動なども学ぶ姿勢を育てる教育である。大学は教育環境の充実の一環として、インターンシップ、海外短期留学のサポートのみでなく、ボランティア活動やクラブ活動の部室や大学の支援体制を作る必要があるだろう。

その時、大学が社会の力を教育資源として活用することが出来れば、さらに豊かな「学ぶ姿勢を教える」大学教育が可能になると思われる。


参考資料

ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html



--------------------------------------------------------------------------------
ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html


--------------------------------------------------------------------------------




2011年11月2日 誤字修正

0 件のコメント: