2010年4月9日金曜日

山科疎水の桜

昨夜は、友と山科の疎水の桜、哲学の道の桜を、仕事の後で夕日を眺めながら観た。桜の花をみるたびにいつも聞こえてくることばがある。
それは、「今年の桜はみることができないと思っていた。しかし、来年の桜はもうみることができないだろうね。」と、高校時代に教わった小田原洋八郎先生の言ったことばだ。

今年の桜を会えたことに感謝し、その桜の美しさをかみ締める気持ちは、来年の桜にもう会えないという切ない気持ちから来るのだろう。愛おしい桜の花は、そのまま自分の生に重なる存在なのだ。
会えない来年の桜の花は、来年という今の時間をまっすぐ伸ばした延長線上では、会えない自分の姿なのだ。

命あるものが、その命の意味を理解するのは、その命が尽きることを感じ、知ったときなのだろう。

必ず私にも来るその瞬間、今という時間の単純な延長線上に存在し得ない未来への入り口の開く瞬間、その時をイメージしながら生きる。

小学校のころは死が怖かった。自動車が普及しだした時代、1960年、子供の交通事故を防ぐために地元の警察と学校が交通事故写真の展示会を開いた。事故で死んだ人、砕かれた頭、飛び出した脳や眼球、その写真を見た後で、悪夢や闇から忍び寄る恐怖に慄いた。死にたくない。死にたくないと思った。
勿論、勇気ある自分をイメージすることで、闇から忍び寄る影に慄く自分に恥じて、得体の知れない恐怖心は抑制された。

青年になって、死ぬ可能性を考え、それまでに終えたいことを焦って済ませた。飛行機に乗れば落ちるかもしれないという脅迫観念に襲われ、毎日、それまで研究法として考えてきた京大式カードの改良、そのプログラムを数理論理学的表現を、飛行機で出発するまで一ヶ月間も書き続けた。
勿論、飛行機は落ちなかった。

死に程遠い青少年期、生の成長期に死への不安は強烈に襲いかかり、恐怖から逃れるために彼らは必死に人生や未来を考えさせられる。
死が最も近くなった老年期、死ぬことが生活の中で日常的に起こる年齢を迎えて、死への不安は安らぎ、人生への野心や野望も遠のく。
死への恐怖は生への執着であり、また野望の放棄は死との同居である。

多くの人々と同じように、死を受け入れたとき、生きていることの感謝と生きているものへの慈しみや愛おしさを感じることができるのだろう。

春のおと連れ、桜見物、桜と共に住み込んでいる生死観、亡くなった人々への想い、日本人の文化、花見に繰り出す人々の短い桜の花の下での宴会、ひと時を友や家族と過ごす喜びをもつ生活。

なかなかうまく出来ているものだ。

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