2011年1月24日月曜日

フロイト精神分析の解釈学的科学性の成立条件について

三石博行


個別科学的説明仮説(アブダクション)の理解、フロイト精神分析の科学性


神経生理学的モデルからメタ心理学的モデル(説明的仮説)の形成過程

脳神経生理学者であったフロイトはパリに留学しヒステリーの研究の権威ジャン=マルタン・シャルコーのもとで催眠によるヒステリー症状の治療法を学んだ。その後、フロイトは一般開業医としてヒステリーの治療を実践する。「治療を重ねるうちに、治療技法にさまざまな改良を加え、最終的にたどりついたのが自由連想法であった。」(Wikipedia)この自由連想法によって、患者は過去の精神的病因を思い出す、つまり病因を意識化することによって病気を治癒する治療する方法、精神分析医療がフロイトによって確立した。

ヒステリーの精神病理学的研究の科学方法論について考えるなら、この自由連想法を支えた理論的土台は神経生理学である。ヒステリーは脳内の生理的エネルギー量の増大による脳内のエネルギー状態の不安定性によるものであると言う解釈が成されていた。つまり、脳内の不安定なエネルギー状態を定常活動状態に移行することが、当然、考えられた治療法であったといえる。その治療法として催眠法や自由連想法が用いられていた。

生理学者フロイトが援用した科学的理論は、神経生理学の理論、つまりその基礎は熱力学である。熱力学では、系の内部エネルギー状態に関する理論、系が外部から熱を受け取ることでエンタルピーが上昇し、逆に外部に熱を出すことでエンタルピーが減少するというエンタルピーの概念がある。つまり、系(脳)は内部エネルギーを発散さすことで脳の内部エネルギー量は減少する。心的外傷状態、つまり脳のストレス状態(高エネルギー状態)を催眠療法や自由連想法によって発散・解消することで、ヒステリーの治療が可能になると考えた。
 
この精神分析を用いた精神療法の理論も、ヘルムホルツの理論や神経生理学の理論を背景にしていたとしても、脳を熱力学的系と仮定した精神療法の理論である以上、つまり脳のエネルギー量を測定し、催眠による脳内エネルギーの減少と科学的(生理学的)に実証していない限り、一種の比喩的推論(アブダクション)であると言える。

フロイトは、その後 「夢分析」を行う。ヒステリー研究で用いた説明仮説で、夢という精神機能は脳の過剰なエネルギーを発散している現象であると解釈説明することができた。しかし、この精神エネルギー論では、夢の表象分析を行うことは出来なかった。

フロイトは夢表象の分析や解釈を考え出す。その解釈モデル(説明仮説)が、メタ心理学と呼ばれる諸理論ある。例えば、自我の構造(空間論と呼ばれる超自我、自我、エスの三つの異なる機能を持つ自我)と精神機能論)、その構造によって形成される三つの心的構造(無意識、前意識、無意識)、自我の発生論的解釈(性精神分析学による三つの性的対象の発達段階・口唇期、肛門期と生殖期)、精神経済理論(快感原則と現実則)等々。こうして、フロイト精神分析学の理論が形成した。


科学主義者フロイトと解釈学者フロイトの二側面・フロイト主義

神経生理学者フロイトからメタ心理学理論創設者フロイトの理論的飛躍を、実証科学的モデルから解釈学的モデルへの移行として理解するが出来ないだろうか。その場合、臨床医としてのフロイトが医学的に根拠としたかたのは、明らかに物理科学を土台とする神経生理学であった。

フロイトを理解するために理解しておきたいことがある。つまり、それは初期フロイトが精神医学理論モデルであった「科学的心理学」の原稿が未刊のまま、しかも破棄されることなく残されていたことである。そのことから、フロイトは解釈学的心理療法を提案しながらも、他方で、科学的表現の理想モデルとして、物理科学的説明によって可能になる精神医学の理論の追求の可能性を信じていたのではなかったかという筆者の解釈である。

つまり、解釈学的深層心理学の創設者フロイトは、他方でカーテェジアン(近代合理主義者)として、深層心理現象・精神構造が物理科学的モデルによって説明出来ると信じていたかったのではないだろうか。それは、構造主義・解釈学者「フロイトの科学主義者であらんとする夢」のように思えるのである。このフロイトの科学思想と臨床実践理論の二つの分裂は、20世紀初頭という物理主義が科学と哲学を席巻していた時代、その共同主観的世界(時代精神)前提にしなければ理解できないないだろうか。


臨床の知、精神分析の形成過程

フロイトは開業医として、午前中患者の治療に専念し、午後から臨床データを使った理論作業を行った。つまり、臨床医として、フロイトは実証科学的者姿勢で精神病理現象(個別具体的患者の疾患)を分析し、有効な精神分析の方法を探究していたと言える。

その結果が、彼が辿り着いた治療手段(精神分析の)である解釈学的心理学モデル(メタ心理学理論)であった。それらのモデルは、フロイト自身、臨床の場で検証し、その有効性を確認し続けたものであると言える。

ここで大切なことは、現場(フロイトのクリニック)での臨床医(フロイト)が具体的(その時代とその社会で)に扱った患者(具体的個人)の精神疾患への治療行為がフロイトの理論形成の前提となっているということである。

その臨床課題以外に、フロイトは メタ心理学的解釈の必要性を感じたわけではない。つまり、彼にとってメタ心理学理論(説明仮説)は自分のクリニックに来院してきた具体的個人の精神疾患への有効な治療行為として提案されたものであった。これが、フロイトの精神分析を理解するためにまず踏まえなければならない原点である。


解釈学的なフロイト理論の了解の彼方へ

治療行為の道具としての「メタ心理学理論」の有効性は、フロイトが生きていたヨーロッパの社会とその時代に規定されることは言うまでもない。つまり、フロイトが医療の対象としていた患者の精神構造や深層心理が、フロイトと同時代の人々の精神疾患とよばれる時代や社会の産物であることは疑えない。

フロイトのメタ心理学的解釈モデルがその同時代性や時代的精神構造に規定されているとするなら、解釈学者フロイトの理論を社会文化や歴史的要素を前提に理解する必要がある。つまり、フロイトの理論をフロイト的に解釈する必要が、フロイト研究者に問われる課題となる。それが解釈学者フロイトの科学的理解の第一歩である。

精神分析の科学性とは、その治療に必要な技術や道具とその治療の対象(精神疾患)が、ある時代性や社会文化性に規定された行為主体と行為対象とよばれる関係で成立していることをその解釈理論の前提にしていることである。つまり、解釈可能性を、時代性や文化性を入れた生活空間に限定していることである。その意味で、精神分析は、時代や社会文化によって変化し続けるといえる。

その意味で、現代のフロイト主義者が、フロイトのメタ心理学のドグマに犯されないことを、フロイトは願っているともいえる。それは、若きフロイトが夢見た実証主義的・科学主義的精神分析学(科学的心理学)を未刊のまま墓場まで持ち去って行ったように、フロイト主義の我々もメタ心理学のモデルを現代の時代性と文化社会性に汎用できるモデルの仮説の有効性を問い続けながら、そのモデルを同時代の臨床事例に有効な解釈理論として展開することが求められている。

つまり、フロイトのメタ心理学のドグマ的理解から開放されなければならないのである。その理由は、ただ単に、それが現実的であるかどうかと言う問いかけによるものである。その問いかけに耐えうるメタ心理学仮説の展開力を、精神分析学の科学性の維持と考えることが出来る。臨床の知としての有効性をメタ心理学仮説の成立条件の第一義に置くことで、我々はフロイト主義を堅持することが可能になる。


参考資料

Hiroyuki Mitsuishi  DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE - ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE - 邦訳 フロイトメタ心理学の解体と再構築-システム認識論の試み- Atelier national de reproduction des these France、584p 1993年10月 単著

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05_02.html

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