国民主権による政治改革を目指して(2)
三石博行
立法機関検証制度設立の目的
東日本大震災に対して国が総力を挙げ一刻も早い罹災者救済、被災地復旧、原発事故処理を進めなければならない国家の危機の中で、多くの国会議員が政局論争に明け暮れ、国会に内閣不信任案を提出し、管総理の退陣時期について議論を繰り返してきた。
この国民不在の政治、権力争いのドタバタ劇に対して、国民は怒りを超えて議員たちへの絶望感や政治に期待することの空しさ、国の未来に関する諦めに近い感情を持ってしまった。正しく、この政局をめぐる国会での議論(空論)は政治的犯罪行為と呼ぶしかなかった。
だがそれに奔走する国会議員たちには、それなりの理由や弁明が用意されているのである。その彼らのもっともらしい理由や言い訳を前にして国民は、国会議員が議会で今やるべき、つまり罹災者の救済に組むべきことを訴える雄弁さを持たない。巧みな説明の前に言葉を失い、失望する国民の姿が見える。この失望こそが日本の政治にとって最も危惧すべきことであることを、政局ゴッコをしている議員たちには理解できない。この国の議員たちは狂っているのだろうか。いま被災地で国民が苦しんでいることを感じる感性を失って国会で仕事が出来るのだろうかと疑いたくなるのである。
しかも、困ったことにあるマスコミなどは報道の主要課題を政局論争に移し、いつ総理が辞めるのかを朝から晩まで報道し議論している。何が今この国で重要な社会的課題なのか。国民は何を求めているのか真剣に考え、その課題を国民と共有すべきではないだろうか。それば報道機関の持つ社会的公共性であり、民放と云えどもその機能をもつことは言うまでもない。
この政治不信と総称される絶望感と無力感の蔓延を私は最も恐れる。大災害で国が焦土となろうとも、国の危機に対して立ち向かう国民の気持ちがあれば、復旧活動が起こり、将来に向かう人々の生活が復活するのである。しかし、その前向きの気持ちが萎えたとき、本当の危機が来るのだと思う。それは、この国は駄目だと自らが決め込むデカダンスの危機である。
しかし生活がある以上、この国に住む我々は諦める訳には行かない。政治への失望や国民的うつ病状態が起ころうと、市民の大半が政治に関心を失ったとしても、災害で受けた目の前の苦しい現実を避けるわけにはいかない。生活がある以上、政治的デカダンスに迷う込み、生活環境の復旧や復興を断念するわけにはいかない。明日に生きる子供たちがいる以上、子育てや教育の出来る生活基盤を再建しなければならない。
国民に政治不信を与えることは国民の未来を奪い取る恐るべき行為である。そのことを政局ゴッコに奮闘している議員たちは理解すべきである。そして、その究極の方向は、民主主義社会の自滅へのスパイラル行程への移行への入口になる。苦しむ国民を無視する政治が用意するのはファシズムへの道なのである。
国民の中に政治不信が生まれ、政治の話に嫌気がさし、選挙があっても行かなくなる状態が生まれるなら、この国の未来は危機に陥ると政治家たちは理解し自らの行動に対する責任の重さを自覚しなければならないのである。
しかし、政局ゴッコに奔走する彼らに憂国の自覚を待ってと言っても無理かもしれない。何故なら、彼らはこの国を愛しこの国のために命を掛けて仕事をする志を持ってはいない。この種の人々に国を任すことはできない。この類の人々を議員に選んだ我々の責任を自覚しなければならない。
国民主権で管理される立法機能を確立するための国民的な運動を起こさなければならない。議会制民主主義を基本とする我が国の立法機能では、国民の政治参加の機会として選挙が需要な意味を持つ。選挙によって選ばれた議員の活動を日常的に評価する社会制度は必要となる。その制度を確立しない限り、いつまでも国会では国民不在の政局ゴッコが繰り返されるだろう。そして、この国は滅びるだろう。
言うまでもなく、国民主権とは立法機能の主権が国民にあることを意味する。立法機能を運営する議員は国民によって選挙で選ばれた人々であり、国民に立法行為を委任された人々である。選挙公約をして議員となった以上、議員の議会活動を検証する制度(委員会)やその検証を公開する制度、つまり、国民が議員活動を日常的に検証評価する制度を作らなければならない。
今回の東日本大震災と東電福島第一原発事故という日本社会の危機的状況は、日本の政治機能が危機的状況にあることを国民に自覚させた。大災害からの復興課題の一つとして、日本の立法機能の国民的点検機能の検討が挙げられる。政治制度の改革を抜くにして、震災に強い国を創ることは不可能である。
国家緊急時の意思決定機能の発動・民主主義制度の緊急停止かそれとも敏速な意思決定機能の開発か
どの組織もそうであるように、有能な人材を持つことでその組織運営は効率よく機能する。人材は組織の大切な資源であり、有能な人材の活用方法が組織運営の大切な課題となる。例えば、組織間の競争が存在する場合、有能な人材を持たない組織は有能な人材を持つ組織に駆逐されることになる。人材とは組織を構成する細胞であり、健全に機能する細胞を持つ生体組織が、そうでない病的な状態の細胞を持つ組織より強いのは当然のことである。
もし、ある集団がそれを構成する人的資源に問題があることに気づくなら、組織は即刻、人的資源の確保と維持の対策を採る。人材資源の育成は効率の高い組織運営を維持するための必修課題となる。人材資源の質的管理や向上にかんする機能の導入によって組織の生産効率は改善される。この質的に高い人的資源を確保維持する機能はどの組織においても、その大小に係わらず、重要な課題となることはいうまでもない。組織運営の基本課題として人的資源の確保、育成や管理の体制が問題となる。
民主主義社会では、意思決定の手段として集団構成員の意見を取り入れる。その場合、多様な意見がある以上、意思決定の速度は非民主主義社会(例えば絶対君主制や一党独裁国家)に比べて遅くなる。その意思決定の遅さが、民主主義社会の欠陥となる。この欠陥を致命的な社会的危機に発展させないために、この社会では意思決定機能(立法機関)を担う人材の有能な能力にその課題を委ねざるを得ないのである。
また日常的な意思決定機能の速度では国家の危機を打開できない場合、つまり国家の存亡に係わる非常事態が宣言され、国家緊急権が発動、つまり戒厳令を敷かれ、議会は中止されて、緊急事態に対応する素早い意思決定機能が稼動することになる。9.11直後のアメリカのように、国家は緊急時に応じて意思決定の遅い民主主義制度を一部中断することになる。このことは民主主義制度の部分的な廃止を意味している。
言い換えると、国家の緊急事態に対応できる意思決定機能を民主主義制度が保障しない限り、この民主主義制度は簡単に国家主義や独裁政権のもつ組織運営の効率的運営に敗北するのである。その意味で、非常事態でも民主主義制度を維持するためには、緊急時の意思決定を可能にする立法機関とそれを構成する人材(議員)の人的資源が重要であることが理解できるだろう。
この視点から考えると、現在の日本の国会はファシズムや民主主義社会を否定する勢力を自然発生させる環境にあると謂えるのである。つまり、この国民主権による立法機能の点検制度の確立をめぐる議論は、今回の大震災で機能しない立法機関への国民的批判は、結果的に極端な民主主義制度の否定論者を生み出し、ひいては日本にファシズムの嵐を巻き起こしかねない政治課題を孕んでいるのであると理解して欲しいのである。
国民主権の立法制度改革・選挙制度の改革提案
立法制度改革に必要なことは選挙権と被選挙権に関する責任と義務を明らかにし、国民と国民から立法活動を信任された議員との選挙契約の関係を明らかにすることである。
この課題を解決するために、選挙民の民主主義社会を堅持する責任と義務を明らかにする必要がある。つまり、選挙民は国民主権の権利を持つと同時に、国民主権制度を維持する責任と義務を持つ。その権利、責任と義務を明文化した義務投票制度を作る。つまり、納税義務と同様に、投票は国民の義務であるという国民の自覚とその義務行為を遂行させるための法的な裏づけや社会制度を作るべきである。
さらに民主主義社会では選挙権をもつ国民は、同時に選挙に立候補する権利を持っている。立候補者の被選挙権を主張する人々に対する責任と義務について決めなければならない。
まず、立候補者の義務を述べる。
1、 立候補者は選挙の時、必ず選挙公約を広く市民に提示し情報公開をしなければならない。同時に選挙制度では、立候補者の選挙公約に関する情報公開をサポートしなければならない。選挙管理委員会は、すべての立候補者の政治的意見を集約し、比較し、市民が理解しやすいように、情報公開する作業を行う義務がある。
2、 立候補者は選挙活動を通じ、選挙公約に関する説明を市民に行わなければならない。つまり、選挙公約を国民に行わないで選挙に臨むことを選挙違反とする。選挙公約は選挙を通じて、立候補者と選挙民の社会契約の内容を明示する作業であるため、選挙公約を示さない行為は契約文書のない契約書にサインを要請する行為として解釈されるのである。
そして、選挙民の義務を再度述べる
1、 選挙民は選挙に参加する義務がある。つまり、事情があり選挙当日に投票できない場合には、事前に投票を行うなりして、必ず投票を行う。
2、 海外で長期滞在する日本国民も、日本の本籍地ないし登録されている住所の所属する選挙区の立候補者について投票する権利と義務を持つ。
以上が、国民主権の立法制度改革を目指す選挙制度の改革案である。
国民主権の立法制度・選挙公約検証委員制度の提案
さらに、選挙によって選ばれた議員と国民との社会契約関係について述べる。国民に選ばれた国会や地方議会の議員たちは、選挙を通じて国民との選挙契約関係が成立したことになる。議員が選挙時に国民と契約したことを実行しているかどうかについて、議員の自主的な自己点検に任せるのではなく、制度として、契約関係の履行を検証する機能が必要である。
この制度を、(仮称)選挙公約検証委員制度と呼ぶことにする。この制度の構築に二つの提案がある。一つは、オンブズマンのような行政機能を検証するNPO組織のような団体として、選挙公約検証活動の組織を立ち上げる。もう一つは、裁判員制度のように、国が地方自治体と国会の二つの長が議員の選挙公約を点検する組織を立ち上げ、国民や住民の中から無作為に選出した人々を委員として、議員たちの選挙公約の実現度を検証する活動を行うことである。
上記したそれぞれ二つの組織は、いずれにしても、それぞれの課題を持つだろう。そこで、ここでは組織問題に重点を於いて議論することに多くの紙面を割かないことにする。そして最も大切な問題は、この選挙公約検証委員制度の機能に関する提案内容である。
1、 立候補者は選挙当選と同時に指定されている選挙公約検証委員会に選挙公約内容を届けなければならない。
2、 新議員の選挙公約内容は選挙公約検証委員会のホームページによって情報公開される。
3、 選挙公約検証委員会のホームページに公開された議員の公約に関して、国民はいつでも質問や批判を書き込むことが出来る。
4、 選挙公約検証委員会は書き込まれた国民や住民からの議員への選挙公約違反にかんする事実を調査しなければならない。
5、 選挙公約検証委員会が議員に対して明らかな選挙公約違反の事実を確認した場合には、選挙公約検証委員会は議員に対して、その理由と選挙公約の実行予定、または変更に関する意見を述べるように要請しなければならない。
6、 すべての議員は、その任期中に選挙公約検証委員会からの質問とそれに対する対応のすべての情報を選挙公約検証委員会のホームページと議員自身のホームページで公開する義務を負う。
以上が、選挙公約検証委員会が担う選挙公約の履行の点検と検証機能である。
選挙公約検証委員制度を通じて生み出される人材
立候補者の選挙公約明示義務や国民の義務投票制度、さらに選挙義務選挙制度の改革選挙公約検証委員制度の提案は、国政に国民が唯一参加できる機会としての選挙を日本国憲法に謳われた国民主権の基調に即して最も有効かつ効率の高い制度に変革するための機能補足案である。
その究極の目的は、議員(立法作業を国民から委託された人)と選挙民(国民)との選挙契約関係の成立、つまり投票行為に伴う双方の義務と責任を明らかにしながら、それに違反する人々に立法作業を委託させない国民政治文化をつくり、より有能な人材が議員となり、国家の運営に寄与してもらうためである。
つまり、この強固な契約履行の関係が成立することによって、日本の民主主義制度はより強固になり、緊急事態に於いても、常に国民主権を維持しながら事態を納め、民主的な国民総動員体制で危機を乗り越えることを可能にするのではないだろうか。
議会に有能な人々が集まり、その人々が誠心誠意をもって国民に奉仕する時、議会制民主主義の制度は堅持され発展するのである。その意味で、現在の憲法の範囲で、立法機能の改革を行うことは十分に可能である。
参考資料
三石博行 「国民による議会・立法機関の検証作業は可能か」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_14.html
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ブログ文書集 タイトル「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月16日 誤字修正、一部文書変更
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