2011年6月12日日曜日

原発問題は今後、我が国の政治の中心課題となるだろう

今、政治に求められていること(2)


三石博行


政治家の茶番劇という日本社会現象・過激な憂国の士を生み出す土壌

自分の利益に反する人を押しのけ、自分に敵対する人を排除し、自分を批判する人を落とし込むことを政治的だと言うのだろうか。いつから政治という言葉がみっともない行動の代名詞になってしまったのだろうか。

今の日本の政治を見ていれば、小学生の子供ですら、確かに政治とは人を追い落とすための知恵や手段のように理解することになるだろう。

政治家という名詞の響きが、「偉い人」「社会に貢献する人」というニュアンスから「自分勝手で私利私欲を求める我儘(わがまま)な人」になるのではないかと恐れる。そして、政治への絶望が生み出す社会現象は「憂国の士」と呼ばれる「過激に社会変革を切望する人々の群れ」である。この現象は今までの歴史の中で東西を問わず存在した。そのため、今の日本の政治家の行動は国民の中に、憂国の士を生み出すに十分な犯罪行為を行なっていると解釈されても仕方がないだろう。

ある評論家は内閣不信任案を出してはしゃいでいる政治家(そうでない政治家がいるので一把一絡げにするのは問題だが)を歴史が断罪すると言う。しかし、歴史の断罪を待つには犠牲が大きい。何とかしなければならないだろう。


国の為に散った無名の志士の思い

我々は今から1世紀半前の江戸時代末期、日本が西洋列強国と不平等条約を結んだあの時代の人々の努力を思い出さなければならない。帝国主義の時代に列強の植民地と化したアジアの国々、インドや中国という古代文明の発祥の地、誇り高い民族ですら、列強の軍事力に敗北し国土を奪われ、国家の主権を犯される国際協定の締結に屈したのであった。

そのアジア侵略の時代に唯一政治的植民地化から逃れた国が日本であった。しかし、経済的な植民地化は受け入れてしまったのである。それが不平等条約であった。まず、政治的植民地化を避けるために日本の人民はどのように振舞ったのか。多くの無名の志士たちが屍となり、その道を切り開いた歴史を思い出す必要がある。決して、薩摩、長州、土佐や肥後等の下級武士だけでなく、日本国の多くの地方(藩)から脱藩し明治維新に参加し、また幕府の中でもそれに賛同した人々がいた事を思い出すべきである。

我々の身体に、我々の風土にその熱い血は流れ、その熱い思いは継承しれてきた。彼らの思いを忘れてはならない。

そして、同じように不平等条約を撤回するために闘った明治の政治家や軍人たちの思いを思い出すべきである。さらに、間違った戦争と言われようと、日清、日露戦争、太平洋戦争で国を守るために散った兵士たち、若い命を思い出すべきである。

日々の命と生活を守るために苦しむ罹災者(国民)の目線に立てば、内閣不信任案を提出するとか、総理の任期を議論するとか、誰が次の総理になるかに関心を集中するとか、全く考えられない政治家達の行動を、もし、彼らが今の政治家の姿を観るなら何と思うだろうか。

多分、無名戦士達から、「恥を知るべきである」と一喝されるだろう。


転換期の社会現象としての原発事故

多くの血を流し、弾圧の歴史を経て勝ち取った市民の自由や平等、民主主義社会の成立の歴史を思い出すなら、国民主権の重さを理解できるのである。江戸時代に生まれていたら、一地方から他の地方への移動も、職業選択の自由もなかった。近代日本が始まっても戦前までは国民主権(民主主義)、人権尊重や国際平和を理念にする国家ではなかった。

自由、平等、人権や平和の理念に戦後の日本国の繁栄がある。そしてその繁栄を得て、我々はさらに豊かな国を創ろうと努力している。その豊かさは贅沢の尺度で測られるのではなく幸福の尺度で測られるのではないかと考えるようになった。

今、日本は大きな転換期にある。それは日本の周りから押し寄せる影響、東アジア(台湾、韓国や中国、そして極東ロシア)の活性化し巨大化する経済圏の成立である。戦後日本の経済発展に大きく関係し寄与したアメリカやヨーロッパとの関係を超えてアジアの国々との関係が重要になってきたことがその転換期への入口であった。

そればかりではない、資源・環境問題や地球温暖化に代表される資源エネルギー問題である。そこで登場したのが原発推進であった。しかし、その原発推進は環境問題や資源問題の最善の解決策であるかという国民的な議論が為されていないままに、日本をはじめ、欧米や中国やインドに代表される最発展途上国の最優先国策となっていた。

その状況にまったく偶然とは言え、待ったをかけたのが福島第一原発事故であった。これまで原発建設を躊躇って(ためらって)きた欧米の国々は原発推進に転換したが、この原発事故で再び、原発推進を検討しなければならない状況になった。


原発問題が政治活動の重要な位置にある

福島第一原発事故の結果の重大さに比例して、どの国(民主主義国家)も、国民の意見が、今後のエネルギー政策に大きく反映される。つまり、被害を受ける国民の感情が、これまでのなし崩しの原発政策に待ったをかけることは言うまでもない。

原発政策は、電力会社、政府、マスコミ、専門家(大学、学会)がひとつになって推進してきた。原発への批判は、一切認められず、原発に反対する人々は「過激派」のレッテルを貼られてきた。地域住民が事故を起こした原発の安全性を問いかけるのはもちろんのこと、原発内の作業で被爆した人々の労災認定すら難しい時代であった。

この原発安全神話はこれまでの数々の原発事故やその事故情報の隠蔽事件の中で壊れつつあったものの、決定的な崩壊を見ることはなかった。国会でも再三、吉井英勝議員(共産党)が福島第一原発の安全性に関して質問したが、政府は何も対策を取らなかった。そして、残念なことに、吉井代議士の指摘したような事故が発生したのである。

この原発事故によって、日本社会は1960年代後半から続いた原発政策を検証しなければならなくなった。そして、電力会社の計画的停電という脅しに対して、節電運動と再生可能な自然エネルギーへの転換を行おうとしている。

この流れに対して、多分、これまで原発政策を推進して来た原発村は危機感を持っているだろう。しかし、今、その危機感を露に表現することを避けているだろう。その代表的な彼らの反応が浜岡原発の安全点検のために政府が決定した可動中止の要請と中部電力の浜岡原発の稼働中止に対する批判として吹き上がった。そして本音では、浜岡原発を中止した菅直人を早く辞めさせたいと思っているだろう。今後も、この原発村の利権を潜伏させながら内閣不信任案や国会での政治的混乱が仕組まれてくることを見抜く必要がある。

今後の政治家たちの動きの尺度として、原発問題への対応が問われる。これまで巨大な利権集団となり国のエネルギー政策を左右してきた原発村の力を甘く見ることは危険であると思う。特に、マスコミの動きは原発村の意向を受けた先兵として登場し続けることは今までの経過から理解されるだろう。

こうした政治や社会の動きに対して、大きな国民運動を起こし、将来持続可能な社会・日本を建設する活動を行う必要がある。



参考資料


三石博行 「罹災者救済、国民と国家の将来のために働くことのみが政治家の課題である」 2011年6月7日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html

http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_07.html 


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東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災に立ち向かおう」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
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2011年6月12日 誤字修正

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