2010年5月20日木曜日

倫理と規範の関係

三石博行

社会的存在としての人間に関する研究にとって、
1、人間の社会的行為を形成している精神構造
2、社会の人間的行為を規制する社会文化的構造
この二つの構造とそれらの関係を解明しなければならない。

2の法律や社会制度は、それを了解する社会構成員の倫理やモラル、つまり1によって成立している。
1の倫理やモラルによる内的な規範のない状態で、2の法律が機能することはない。しかし、だからと言って、法律の規定したものがモラルや倫理の内容にそのままなるわけではない。

2の法律や社会制度は人間社会が継続するために用意された外的世界に準備された道具である。と同時に、その道具を動かす技能が必要となる。それが内的世界に準備される道具としての1のモラルや倫理である。

現代の社会学、構造主義、現象学社会学や構築主義はこのことについて語ってきた。


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2010年5月18日火曜日

吉田民人研究のために1

三石博行


前期から始まった新しい三つの科目の教材作成に追われながら、吉田民人理論の研究に関して3つの課題を進めている。

1、Van Drom Eddy さんと吉田論文のフランス語訳や英語訳を進めている。フラン誤訳を終えて、吉田民人用語の説明をしなければならない。そのため、1990年以降の「プログラム概念」を形成していこうとする先生の論文の全てを読まなければならない。

2、綿引宣道さんと『情報と自己組織性の理論』を資料にして、吉田理論の研究会を始めようとしている。長岡先端科学技術大学院大学での公開ゼミとして綿引先生が企画されたもので、研究会の進め方を今検討している。

3、槇和男さんと一緒に「プログラム科学論研究会」を開いている。現在、槇博士は統計学の学習とその医学研究への応用に専念。多分、統計学の学習から得られた知識と思索がプログラム科学論研究に大切な役割を果たすことと信じている。

吉田民人論文の研究方法について理解したことは、先生の著書や論文は、物理学理論の説明のように書かれている(槇和男氏のことば)。だから、その勉強をするためには、物理学の学習のように進めなければならない。文章を一つひとつ、まるで数式の物理的意味を理解しなければならない。しかも、その一つひとつの文脈の流れを全体の科学思想の中で体系的に理解しなければならない。

多分、吉田民人の理論は、戦前の三木清、戦後の廣松渉に続く、人間社会学基礎論を確立した日本を代表する科学者であろう。
その理論に立ち向かうためには、こちらも何一つ妥協することを許されないのである。
それを覚悟しなければならない。

1、本文を、一つひとつの文脈をすべてこまなく正確に理解すること。
2、その理解を進めるために、必ず、演習問題として、自分のことばで自分が理解したことを具体的に記入し記録すること。
3、理解したと思ったことを具体的な例を用いて説明すること。

まるで、物理学の学習、演習問題をするよに。

以上3点の作業が必要である。

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吉田民人先生を偲ぶ2

三石博行


私の自宅に吉田民人先生が着て下さって、何回か講義をして下さった。
その録音をまた聞きなおす。

懐かしい先生の声がMedia Player から流れてくる。
先生の講義を聴きなおしながら、新鮮な感動を感じる。

何一つ妥協のない論理展開
学生のような真剣な議論
学問への謙虚な姿勢。

そんな研究者の基本的姿勢を死ね直前まで貫かれた
思い出す度に、静かな感動と尊敬の念に襲われる。

私のへの講義に時間を割くよりも、最後の仕事を本にする時間に使えばよかったのに。

先生は、きっと「プログラム科学論」をまとめる時間が欲しかっただろう。

2010年5月17日月曜日

今を維持する力を与えよ

三石博行



自分の人生は自分のもの。
だから、自分が納得して生きるしかない。
それが、自分らしいという自分の姿をつくる。

自分の姿は、将来のイメージにはない。
自分の姿は、自分の足跡によって作られたものだ。

自分らしいということは、自分の足跡への自分なりの納得にすぎない。

これから未来に、創ろうとしているものでなく、
今までつくられたものとして、自分が存在する。




全ての人に、それぞれの自分があるのは、それぞれの足跡があるからだろう。

予め(あらかじめ)用意された自分はない。

自分が昨日何をして、
その前の日に何をして、
そして一ヶ月前に何をしたのかということが自分なのだ。

だから、もっと自分に正直に生きるしかない。
だから、もっと自分の現実を受け止めるしかない。

そこに、納得という自分がつくられた自分に対する理解が生まれる。




そして、もし明日があれば、それは今日の自分の姿の現れ。
そして、もし未来があれば、それは今まで過去の生き方の方向。

だから、未来という自分を生み出すものは今という時間しかない。
自分を変える可能性を持つものは、今という時間でしかない。

過去はもう返らない時間のことだ。
過ぎ去った時間は、今の自分を作ってはいるが
明日の自分へとその過去をつなぎとめることは保障できない。
明日の自分へ過去の自分をつなぎとめるものは、唯一今の自分だけなのだ。




だから、今しかない。
今しか、自分は存在しない。

問われていることは、
今をどう生きるか、どう今に生きているか、
ということだけである。

明日は、今の自分によってしか創れないのだから。
未来に逃げることはできない。
過去に逃げることもできない。

だから、自分の現実を受け止め
だから、自分らしく生きることだ。

もう、未来に逃げることも過去に逃げることもできない。

だから、今の自分の志向性は昨日の自分から継続されたのか。
だから、今の自分の志向性は明日の自分へと継続されようとしているのか。
それのみが問われるのだ。

2010年5月13日木曜日

自己を罪びとと思っている義人と自己を義人と思っている罪びと

三石博行


何故、自分の失敗を認めることが大切なのだろうか。何故、失敗をしないために、失敗を否定するのでなく、それを受け止めることが自分に必要なのか。


逆説的に成立する人間性のあり方(真実)

▽ 理性と情欲の二つの異なるベクトルをもつ生命力、一方は快楽を満たそうとし、他方はそれを抑制しようとする力からなる人間性、それらの闘争状態として人間の生命や生活活動が展開される。

▽ その活動は、いずれにしても失敗、絶望、敗北、悪、違反、撹乱、錯乱、狂気等々の否定的精神状態と、成功、希望、勝利、正義、遵守、維持、安定、冷静等々の肯定的精神状態が明確に異なる境界線や境界領域を有しているのでなく、その否定側面と肯定的側面が相互に関連しながら、一方が他方の原因となり、また逆にその結果となるという現実を生み出すのである。

▽ 例えば、人は心の安定を求めながら、不安定さの要因を作る。その逆に不安定さを受入れながら精神を安定させることが出来る。

▽ また、成功を目指しながら失敗の原因を作る。その逆に失敗を受け入れることで成功の道筋を見つけ出すことも出来る。

▽ 勝利に酔いながら敗北の原因を作り、敗北を噛み締めることによって勝利への準備を整えることも出来る。

▽ うまく物事が運ぶとき、もっとも恐れなければならないのはその状況(うまくいっている)に安心する自分である。困難な道が現れたとき、それにひるむことなく進む自分がいるなら、その困難さは貴重な経験となるだろう。しかし順調な時には、その状況から学ぶことは少ない。何故なら、その順調な状況は、改革し改良し状況に立ち向かう機会を得ることがないからである。困難な状況こそ最も素晴らしい人生の教師であると良くいわれるのはそのためである。

▽ このような「人間的なそしてあまりにも人間的な」生命・精神・生活活動の現実を受け止めることが課題となる。そのことは、人間の理性や思惟の有限性を理解すること、人間が神のような完全な存在でもなく、またその逆のまったく自然や宇宙の法則に支配され、それを完全に受け入れる他の生命体のような存在でもないこと。その中間にある存在、つまり、不完全な理性や知性を持つ存在者であることを自覚する以外にない。

▽ 言い換えると、人間は、その生命が有限であり、必ず死という生命活動の終わりを持つ存在である。しかも、宇宙の中では微細な塵に等しい存在である。その人間の悲惨な存在形態(実存)を知ることが、人間に与えられた思惟活動(生命の進化によって異常に発達した脳による生命活動)の中で、最も偉大なことであると理解できるのである。

▽ つまり、人は自らその知性の活動において、自らの存在とそれを創った大自然・宇宙のあり方を理解できるのである。つまり、有限な肉体を持つ生命がその生命を形成した宇宙の存在を理解することが出来るのである。それは、他の生物には不可能な認識活動である。その無限の存在・宇宙と有限の存在・自分の理解が人間の知性の最高の結果といえよう。パスカルはこの了解(理解)を人の偉大である理由として挙げた。

▽ つまり、それは、人が常に、宇宙の無限性と同時にその人間の知性や思惟の有限性を知ることを意味する。そして、それは、また人の理性が不完全なものであることを知ることを意味する。つまり、最高の理性とは、理性の限界を知る理性であるという結論に達するのである。

▽ 前節でのべた結論、「人間は理性的な存在(天使)でもないし、また欲望のみで生きている存在(禽獣)でもない」というパスカルの帰結は、逆説的に成立している人間性の現実に結びつくのである。人が偉大であることの理由は、人が自分の悪(罪)を知ること、自分の敗北を認めること、自分の失敗を知ることであるといえる。

▽ その理解は、前節でのべた「理性の限界を知る理性を確立」や「人間の悲惨さを理解する思惟」の理解こそ、我々が求める道徳や徳の基本であり、逆に人間の偉大さを示すものであるといえる。つまり、その知性と理性の活動が唯一残された不完全な人間の最も高度な理性的活動を意味するのである。

▽ そのことは、これから考える反省活動の限界を知ることが人の反省する最後の姿であるという意味に繋がる。


罪びと

▽ パスカルの「罪びと」の概念は、キリスト教の原罪の概念から来ている。キリスト教では人は生まれながらにして罪びととしての宿命を負っている。

▽ キリスト教における原罪は「神が人間に禁止していた善悪の知識の木の実(りんご)」を食べる禁断を破ったことを意味する。つまり、人が動物でなく神の知識、善悪の知識を持ったこと、裸でいることを恥ずかしいとも思わない動物から、裸(自然の姿)を恥ずかしいと感じる反自然的な感性を持つようになったことを意味する。

「そもそも原罪の概念は『創世記』のアダムとイヴの物語に由来している。『創世記』の1章から3章によれば、アダムとイブは日本語で主なる神と訳されるヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)の近くで生きることが出来るという恵まれた状況に置かれ、自然との完璧な調和を保って生きていた。主なる神はアダムにエデンの園に実る全ての木の実を食べることを許したが、中央にある善悪の知識の木の実だけは食べることを禁じた。しかし、蛇は言葉巧みにイヴに近づき、木の実を食べさせることに成功した。アダムもイヴに従って木の実を食べた。二人は突然裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉をあわてて身にまとった。主なる神はこれを知って驚き、怒った。こうして蛇は地を這うよう定められ呪われた存在となった。」(Wikipedia)



「罪びと」(悪人)と「義人」(善人)の成立条件

▽ パスカルの「罪びと」は、人間本来の姿としての原罪を背負う人間の姿である。また、パスカルは、その原罪を受入れた人、その原罪への自覚を持つ人を「義人」と呼でいる。この考えはキリスト教の原罪論から来たものである。

▽ パスカルによれば、人間は本来原罪を背負う存在(罪びと)であり、またその原罪への自覚を持つことが出来る存在(義人)にもなり得る。従って、その二つのあり方が人間の存在の仕方であると考えた。そこでパスカルは「人間には二種類だけしかいない」と述べているのである。

▽ しかし、もし、罪びとである自覚をもって義人となることができれば、罪びとはすべてその罪を自覚することで義人になることが出来るだろう。この論理からは、キリスト教の教えにそって生きることで人々は救われそうである。しかし、ここで矛盾が生じる。つまり、キリスト教の教えに従って原罪を認め「自己を罪びとと思っている義人」となる。罪びとから救われた義人は、原罪から決定的に救われたのだろうか。もし、「自己を罪びとと思っている義人」として救われるなら、もはや「罪びと」はいない。その罪びととしての原罪も存在しえない。すると、原罪を自覚しない「義人」が登場する。このことから、この「義人」は原罪を自覚しえない人間、キリスト教の教義を理解していない人間として「義人」は変貌することになる。言換えると、「自分を義人と思っている罪びと」が登場するのである。

▽ 「自己を罪びとと思っている義人」は、永遠に自分を義人と思っていることでは成立しない逆説の論理が成立し続ける。もし、「自分を義人と思っている」なら「義人」は原罪を自覚しない「罪びと」になるのだ。

▽ この論理から成立している「義人」つまり善人は、「罪びと」の自覚を持ち続けることによって成り立っている。この考え方は、前節でのべた逆説的に成立している人間性の姿、つまり、「理性の限界を知る理性の確立」や「人間の悲惨さを理解する思惟」の理解こそが道徳や徳の基本であるという理論に繋がる。

▽ 人は生きている以上、何らかの誤りや失敗をし続けている。そのことは人の基本的な誤りではない。それは仕方のないこと、つまり、人間という不完全な理性をもつ存在者の宿命である。問題は、それに対する自分の理解とそれへの対応である。失敗を認め、それを直そうとする努力が、反省の姿である。反省は次回必ず失敗しないということを意味しない。それは何回も失敗を続けるであろうが、しかし、失敗をしないように前向きに生きる生き方を示している。不完全な自分に諦めずに向き合うことを「反省」していると呼んでいいのではないだろうか。

▽ このパスカルの原罪に関する解釈から、人の狂気や原罪が、人が本来持つ宿命的な姿である。何故なら、人は快楽を追い求める存在者であり、それゆえに理性を働かす存在であるからだ。そうした現実の自分(人間)への自覚を持ち続けることを、道徳や倫理の基本とした。つまり、つねに休むことなく、考え続けなければ、思考し続けなけなければ、倫理的な思惟は成立しないのである。
 
▽ 人(自分)は、必ず失敗を犯すものである。問題は、その現実を受け止め、理解することが問われている。その理解によって、致命的に失敗から身を滅ばされない可能性が生まれる。それが唯一の失敗への手立てではないか。

「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』(534)


諦め(あきらめ)という最高の安定したこころの世界

▽ しかし、人は果たして、「その悲惨な宿命、有限の生命、一滴の水によって滅びる生命体である自分の姿」について、休むことなく思考し続けられるのだろうか。人は救われるのだろうか。否(いな)。パスカルの問い掛けは続く。

▽ 人間が日常生活を平穏に過ごすために用意したのが良識であり、倫理であり、道徳であり、徳であった。その徳は、休むことなく人間の本性としての原罪を点検し続けなければ得られないものだろうか。それに対するパスカルの答えは、「人間の徳」は「その人の平常によって測られなければならない」と言うことであった。

▽ 何故なら、「人は天使でもなく禽獣でもない」。人が天使になろうとすることに無理があり、それは不可能な望みである。何故なら、人間の理性は不完全であり、その不完全な理性によって、人間本来の生命力である快楽を求める欲望を抑制しなければならない。つまり、他人の要求には厳しい人も、自分の欲望には鈍感なのが我々の当たり前の姿である。そのため、他人からの親切をありがたいとも思わないが、他人へ施した親切は忘れることはない。人の理性にもその人の主観性が持ち込まれる。科学的思惟はそれを極力排除したのであるが、結果的には人類を滅ぼす技術を作り出した。

▽ 人間の不完全さを変えることは出来ない。それを受入れ、むしろそれを自覚する方法が必要である。過去の歴史を解釈することは現代社会の価値観で過去を勝手に位置づけることであると歴史学者が語るなら、歴史問題は、少しは解決するかもしれない。また、他の社会への理解は常に誤解から始まるのだと理解しているなら、異文化の衝突も少なくなるかもしれないし、自分達の社会の制度を異なる文化を持つ人々に押し付けることはない。つい最近でも、世界の最大の文明国の大統領が、人類社会の最高の到達点としてアメリカ民主主義を考え、それをイラクに押し付けるのである。

▽ 人間には理性と情欲の全く異なるベクトルをもった生命活動が同時に共存し、互いに争いながら、人間性を形作り、人間の営みを形成している。人の徳(善行)は、理想に向かい、目標を得るために努めることによって可能になるのでなく、むしろ、人間に与えられている現実(パスカルの言う悲惨さ)を受け入れて、可能になるのではないだろうか。

▽ その意味で、人(自分)は、必ず失敗を犯すものであり、失敗をまったく犯さないように努力することも不可な試みであることも同時に理解しなければならない。つまり、残された失敗を避けるための対策は、本来、失敗をしないためにあるのではなく、最低限、致命的な失敗から身を滅ぼされないためにあるともいえる。そうだとしても、致命的な失敗で身を滅ぼすかもしれない。その現実を受け入れる以外に手立てがないのである。そのことを理解する以外に失敗から身を守る道はないのかもしれない。

▽ 失敗しないように常に反省し努力することと共に、そのことを受け入れる(諦める)ことが問われる。そして、それによって、他の人々への優しさ(悲哀)は生まれるのではないだろうか。

「一人の人間の徳がどれほどのものであるかは、その人の努力によってではなく、その人の平常によって測られなければならない」パスカル『パンセ』(351)


参考文献

1、 パスカル著 松浪信三郎訳 『パンセ(抄)』旺文社文庫、1970年10月、442p
2、 野田又夫 『パスカル』 岩波新書143 1953年10月、217p
3、 三木清 『パスカルにおける人間の研究』 岩波文庫 1980、231p
4、 甲斐潔信 「パスカルの『パンセ』における「人間の不均等」概念の研究
 http://members.ld.infoseek.co.jp/pascaliankk/r0hajimeni.htm
5、 後藤嘉宏 「 『パスカルにおける人間の研究』にみられる三木清の弁証法について」 図書館情報メディア研究第4巻2号 2006年 pp19-32 


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理性と情念の両方を持つ人間の姿 パスカルから

三石博行


理性と情欲の間に生じる内的闘争(人間的な精神構造)

▽ パスカルは、人間の性は本来悪でもなければ善でもないと言っている。もし、人の悪の起源が欲望であるとするなら、欲望を持たない人間はいないので、全ての人が悪人となる。また、その逆に人の善の起源が理性であるとするなら、理性を持たない人はいないので、全ての人は善人となる。しかし、人は欲望と理性の両方をもつために、悪人であり善人でもある。人の性を本来悪とすることも、また逆に善とすることも、あまりにも単純な人間観であると言えないだろうか。

▽ しかし、その二つ、欲望と理性を持つことで、人はその二つの要求に引き裂かれ、その二つの力のぶつかり合いを日常生活の中で経験し続けなればならない存在になったとパスカルは言うのである。

▽ 前回の講義で、理性と情念「両方をもちあわせているので、人間は闘争なしではいられない」というパスカルの文章から、人間のあり方について考えた。今回、もう一度その課題に立ち返り、議論を深めたい。


「理性と情欲のあいだにおける人間の内的闘争。
もし人間が情欲をもたず、理性だけをもっていたとするなら…。
もし人間が理性をもたず、情欲だけをもっていたとするなら…。
だが、両方をもちあわせているので、人間は闘争なしではいられない。というのも、一方と闘わずには、他方と平和を得ることができないからである。かくして、人間はつねに分裂し、自己自身に反抗する。」パスカル『パンセ』(412)


快楽を追い求める力・欲望 とそれを抑制する力・理性

▽ 前回の学習を簡単に復習すると、以下のパスカルが述べた四つの人間に関する課題があった。一つ目は、人間の欲望に関する理解であるが、人は本来快楽を求めて生きているため、禁欲主義は非現実的であること。二つ目は、人間が宇宙の中で一滴の水で生命を落とす小さな悲惨な存在であること、人間がその「人間の悲惨さを理解できる知性」思惟を持っている存在であることが人間の偉大さであるとパスカルは考えた。三つ目は、「思惟(人間の偉大さの理由)」や「理性(人間が善人であるために必要なもの)」が在ったとしても、「人間が狂気(きょうき)じみていることは避けがたい」事実であると考えた。そして、四つ目は、人間の生(生命や生活)とは、理性(思惟によって形成された)と情念(欲望によって噴出している)の二つの避けがたい闘争状態であるとパスカルは帰結した。

「人間は自然のうちで最も弱い葦(あし)に過ぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくでも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶしたときにも、人間は、人間を殺すものよりいっそう高貴であるであろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。
それゆえに、われわれのあらゆる尊厳は思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、われわれの満たすことのできない空間や時間からではない。それゆえに、われわれはよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根源がある。」(347)


▽ パスカルの一つ目の主張は、人が欲望を持ち、それを満たすために行動することは人の自然の姿であるということである。人間は快楽を求めながら生きている。快楽を満たそうとする生命力を欲望と呼んでいる。その欲望が理性(思惟)によって、一時的(刹那的)快楽から将来の人生の希望や夢へと昇華される。人はその欲望を実現するために努力をしている。その希望の実現することで得られるものが利益と呼ばれる高度な(社会的に認められた)快楽であることを知っている。例えば、人に尊敬される立派な人になりたいという名誉欲、お金持ちに成りたいという金銭欲、偉い人や強い人に成りたいという権力欲、ハンサムな男や美人と一緒になりたいという性欲等々、それらの欲望を満たすことによって快楽を手に入れることが出来るのである。

▽ その意味で、快楽を求めること、つまり欲望を悪と決めつけるのであるなら、人間本来の姿を無視することになる。よりよく生きようとする生命力を否定し、それを悪いこととして禁止することになる。愛することも、結婚し子育てをし、幸せな家族をつくることも、友達と楽しく過ごすことも、すべて禁止する極端な禁欲主義者になってしまう。人が快楽を求めて生きている、つまり人が情欲(欲望)を持っていることを否定することは出来ない。

▽ しかし、手段を選ばす(社会的決まりを無視して)快楽を求める行為をしたなら、社会や他者の非難に出会うだろう。自分の夢(社会が高く評価している理想的な姿)を実現するためには、社会の認める規則(法律や道徳)に従い、その夢を獲得しなければならない。欲望を満たす目的の為に手段を選ばない行為をすることは社会から認められない。もし、その手段を選ばないで欲望を満たす行為が社会で横行するなら、社会には犯罪が多発し、大混乱が発生するだろう。

▽ つまり、社会的ルールに即して欲望を満たすための人々が取る行為を「理性的行為」と呼んでいる。人間は本来快楽を追い求めて生きている。その人間の本性を理解し、それを社会の規則(法律や倫理)に即して強制・制御する力を理性と呼んでいる。パスカルは人が欲望だけの存在でないことを人が知っている。 つまり、人は本来快楽を求めて生きる存在であるが、その欲望が引き起こす結末を理解する知性や思惟(考える行為)が人に備わっていると主張した。それが二つ目の例である。


人は善的存在でもなければ悪的存在でもない、その両者が同時に共存している

▽ 人間は本来快楽を求める存在であること、また人間は思惟する能力を持つ存在であること、その二つの生命活動によって生じた、理性と情念の闘争状態を生活と呼んでいる。生きている限り、その二つの力、快楽を求める力と快楽を抑制する力が衝突し続ける。

▽ 言い換えると、理性と情欲の二つの人間性の衝突によって、人間性は作り上げられている。その一方の存在を否定することは出来ない。それらの二つの要素、理性と情欲(欲望)が互いに反発し、互いにその存在理由(それがあることの意味)を見つけ出している。

▽ その意味で、人は単に理性的な存在でもなければ、情欲的な存在でもない。人が理性的な存在であろうと思うとき、その力は理性を生み出す情念によって支えられる。つまり、理性の背後には現実的に生きようとする欲望があるのである。

▽ また、人は欲望を満たすために色々な行動を模索する。その模索は、理性という手段によって可能になる。現実的な手段をもちいることによってしか、欲望を満たすことは出来ない。

▽ しかし、欲望や快楽を現実的に(合理的に)、つまり社会と衝突しないで(他人に迷惑を掛けないで)上手に抑制する力である筈の思惟や理性も決して完全なものではない、むしろ非常に不完全なものであるといえる。不完全な制御装置を装備し、欲望を燃やし続けながら動く生命機械である人間とは結果的には失敗(悪)を作り出す運命にある。その失敗を最小限に防ぐためには、より高い理性(社会制度を発展させ、刑罰を重くし、科学技術を発展させ人間の欲望を抑制する道具や装置を開発する)を求めること、もしくは欲望を最小限に押さえつけること(厳しい禁欲主義を貫き通すこと)では解決しないかもしれない。

▽ 残された道はなにか、それはその人間存在の宿命を受け入れること、つまり人間の悲惨さを理解する思惟を持つこと、また理性の限界を知る理性を確立することではないかとパスカルは問いかける。
▽ そして、完全な存在、悪を犯すことのない善人の存在(イエス・キリスト)を理性や思惟によって理解しながらも、悪を犯さざるを得ない存在者としての自分を理解することではないかとパスカルは考えた。

▽ 歴史を振り返ると人類は正義の名において戦争(悪)を行い、宗教の教義(神への信仰)の名において異なる宗教に属すという理由の基に異教徒とよばれる人々を迫害してきた。これらの史実から、その逆転劇(正義の名において殺害を行い、他の悪を駆逐した素晴らしい人間の歴史)の結末やその矛盾を批判し乗り越えるために、もう一度、善や道徳の概念を考えなければならないのである。つまり、「理性の限界を知る理性を確立」や「人間の悲惨さを理解する思惟」の理解こそ、我々が求める道徳や徳の基本であると考えたのである。

▽ 以上の議論から、人間は理性的な存在(天使)でもないし、また欲望のみで生きている存在(禽獣)でもないとパスカルは帰結したのである。


「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル「パンセ」(358)



人間的理性の限界を知ることそえが最後の理性の姿である

▽ 人を偉大にした思惟(知性)・理性について知らなければならないこと、それは理性の限界である。我々は無限の宇宙に対する有限な、そして悲惨な(水一滴で消滅する生命体である)人間を知る力(思惟)があったとしても、無限の宇宙を知ることは出来ない。その意味で、人間の思惟(知性)や理性は限界を持つものである。有限な人間である以上、有限な能力(思惟)しか持ち合わせていない。それを理解することが、理性の最後の姿、理性を超えることを知っている理性(もはや科学的知でなく、祈りにも近いもの、パスカルの信仰)のあり方が問われる。

▽ もし、人が自己の理性(科学的知)を知らなければ、自然に支配され、猛獣の脅威に慄き、生きるために逃げまとい、恐怖心から逃れるためにひたすら祈祷しつづける、今日の科学技術文明社会の住民から見れば卑屈な生き方になるだろう。しかし、もし人が自己の理性の限界を知らなければ、あらゆる問題、地球規模の気候変動すら人間の知識、科学技術によって完全に解決できると信じ、さらに新しい、そして強力な生産体制を確立し、多くのエネルギーを消耗し続けるかもしれない。この行動は、古代人から見れば、あまりにも自然の力を見くびった、その結果として人間が受けている災害に感じられるだろう。つまり、傲慢な知性の過信によって、人々は益々生態系を破壊し続けるかもしれない。

▽ つまり、理性と欲望の闘争、人間的思惟の作り出すその結果、人間社会は発展し続けてきた。豊かな生活をしたいという欲望を満たすために、人々は知的活動を行い、理性を磨き上げてきた。つまり、その結果、猛獣や自然の脅威に晒(さら)されていた時代を克服し、それらを逆に支配活用し、今日の科学技術文明社会を形成し、人間の偉大さを確立してきた。

▽ すなわち、人間は豊かさ(快楽)を追い求めて、それを可能にするために社会を発展させ、道具や装置を発明し改良してきた。人類は社会的分業を考え出し、専門的職業を形成し、社会制度を高度に発展させ、巨大な生産力を生み出し、科学技術を発展させ、合理的な生産ラインを作り出し、短時間労働で大量生産を可能にしてきた。

▽ 人類は、狩猟活動から、農耕活動、そして工業活動や高度な知的活動へと、次から次へと生産効率を上げながら社会経済制度を作り上げてきた。社会は、石器時代、土器時代、青銅器時代、鉄器時代、人工物素材時代へと文明構造を変化させてきた。より便利で効率の高い道具、生産手段を見つけ出しながら、社会制度や生活様式は変化してきた。つまり、より豊かに生活したいという人の欲望こそが歴史や社会を動かす原動力なのである。

▽ 考えること、思惟、つまり知性によって何十万年も支配され続けてきた猛獣達を駆逐し、自然を支配し、その自然の法則やエネルギーを逆に活用し、豊かな人間社会を構築し続けてきた。その豊かさは、人間がこの地球上の生命体の長であり、もっとも進化していることを自覚させた。それは逆に、人間が「水一滴によって滅びる悲惨な生命体」であること、つまり悲惨な人間の実存形態(姿)を忘れさせることになった。

▽ 言い換えると、人類は生活を豊かにするために努力し続けながら、一方で多くの人間を殺害する道具も開発し続けてきた。それが人類の現実の歴史である。豊かな生活をしたいという欲望によって個人の生活も豊かになる。人々が夢や理想とする世界に近づこうとする努力によって社会は豊かになる。そして、毒ガス、化学兵器、生物兵器、大陸弾道弾や核兵器が作られた。最近では、無人のロボット偵察機が敵(テロリスト)の根拠地を爆撃できるようになった。そのテロリスト撲滅のための新兵器開発は人類にとって進歩と呼ばれているのである。

▽ この人間の悲惨さを忘却することを「不完全な理性の証」と逆にパスカル考えた。「傲慢」さとは、本来人が持っている不完全な理性によって必然的に人に生じる自然な姿なのかもしれない。

「自己の悲惨さを知らずに神を知ることは、傲慢を生む。神を知らずに自己の悲惨さを知ることは、絶望を生む。イエス・キリストを知ることは中間をなす。というのも、われわれはそこに神とわれわれの悲惨さとを見いだすからである。」パスカル『パンセ』(527)



道徳とは人間の傲慢さへの戒め

▽ パスカルによると道徳の根源は人間の思考力にある。人が偉大なのは、その思考によって人が「人の悲惨さを知っている」ことが出来るからである。有限の存在者・人間が、無限の存在・宇宙、その運動法則、惑星運動などを知ることが出来る。この人間の知性を導く力、理性的な思惟こそ人間が最も偉大であることを示すものである。

▽ 人類は宇宙の運動を観測し、これらの知識は宇宙の法則である天体運動の法則を見つけ出し、力学の法則を打ち立て、それらはさらに物理学として発展し、現代の科学技術の知識の基礎を創った。そして、現代科学技術文明社会は人間の思考の勝利を意味する。

▽ だが、人間はその人間の悲惨さを知らない思考によって、傲慢になる。その結果、自ら開発した知識によって自らを崩壊させる。例えば、人類は自然の法則を解明した。そして質量の意味、エネルギーとの物理的関係を見つけ出す。光速の二条に質量を掛けることによって宇宙のエネルギー量を導き出すことが出来た。つまり、そのことが核分裂や核融合によって得られるエネルギーであることを発見した。その偉大な発見は、そのまま人類を滅ぼす核兵器を開発に繋がった。

▽ 言い換えると偉大なる人間の思考力、理性の勝利が人類の消滅の道具を作ったのである。科学的思惟によって人間を豊かにしたかった志は、人間の消滅の玩具(おもちゃ)を天使(無邪気な人間、自分に悪意がないことを良く知っている人間)に与えたのである。

▽ 人間がその知性を展開しなければ自然に支配される他の動物のように猛獣にそして川の流れにもおびえながら生きなければならないだろう。そして、人間は知性によってその恐怖を克服した。と同時に、人間は自ら手に入れた知性の限界を知らない。そのために、その知性によって、自ら滅びる道を選んでしまった。それは、その知性が宇宙の存在にくらべて有限なものであること、また人間という生命体が有限な存在であること、そして人間が悲惨な存在者(死という存在の終わりを持つもの)であることを忘れるためである。このことをパスカルは「傲慢」と呼んでいた。


人間的行為と呼ばれる狂気

▽ 傲慢さとは、人間の本来の姿である悲惨さを知らずに例えば神を知ることであるとパスカルは述べた。この意味は、人類が本来人間の救済のために考え出した宗教の名の下に戦争や殺戮(さつりく)を繰り広げた宗教戦争、知性の勝利とも言うべき科学研究によって人類消滅の技術を開発してしまった歴史を意味している。

▽ 人間の偉大さの象徴とも言うべき思惟(考えること)、そしてその結果得られる理性(知性)によって、人は最良の存在者(天使)になろうとしながら最悪の存在者(禽獣)になってしまっている。このことの原因は、人間の悲惨な状態を救うために考えられた知性、科学的思惟、その応用、技術が結果的にたどり着く「大量破壊兵器」や「地球温暖化」の現実を受け止めることで納得できるだろう。

▽ もし、人間の理性の限界を理解することが理性に問われる最後の闘いであるなら、科学的知に問われる最後の科学的知識は、その科学的知の限界を理解することではないだろうか。

▽ つまり、パスカルが求めた最も高度な科学的理解とは「傲慢さ」を作り出す科学的知識でなく、むしろ、「人間の悲惨さの理解」するための科学的知ではないだろうか。
▽ しかし、あらゆる世界を理解するために前進的に進む科学的知によって、人が人の知の限界を理解することは可能なのか。もし可能なら、すでに科学的知性と呼ばれるものでない異質の知のあり方が登場するかもしれない。科学的知は「力」である以上、必然的に人間の傲慢さを生み出すのだ。しかも、その傲慢さを自覚することもできないぐらい、危機的な状況に来ているのが科学技術文明社会と呼ばれる現代社会の一面の姿である。

▽ 地球規模の生態系の危機的状況や人類を破滅させる核兵器所有とは、人間の傲慢さによって作り出されたもの、それは征服したと勘違いしている自然の逆襲であるともいえる。人間を生み出した自然、地球の生態系を支配し、それを制御できると錯覚した人間の姿こそ、自らの開発した核兵器によってその存在の危機を迎える姿なのかもしれない。つまり、それが人間の悲惨な、ある意味で滑稽な姿なのだろう。

▽ 正義を行うために悪を滅ぼす戦いをする。正義の名において殺戮(さつりつ)が許される。一人を殺すことを殺人とよび、敵を撲滅することを英雄と呼ぶ。殺戮行為には、正当な理由と不当な理由が歴史社会の中では常につけられる。その荷札をつけた屍(しかばね)の山を歴史は聖戦と呼び、あるいは大虐殺とも呼んできた。

「人間が狂気じみているのは避けがたいことなので、狂気じみていないことも、別種の狂気からいえば、やはり狂気じみていることになるであろう。」パスカル『パンセ』(414)



人に道徳を守らすには社会の規則が必要である。そのため政治学が研究された。

▽ 人間のこうした狂気じみた行為は避けがたいものであるとパスカルは言う。

▽ それでは、この避けがたい狂気、人間性に含まれる狂気をこれ以上増幅させないために、我々はこの精神病院の規則を作らなければならなかった。それが政治学であり、国際紛争を解決するための安保理事会の規則や国連軍であった。

▽ しかも、狂気を抑えるために、狂気を用いなければならないのである。

▽ 例えば、イラクの核兵器開発や生物兵器など大量殺戮兵器の開発を阻止するために、より強大な大量殺戮兵器をもった連合国、特にアメリカの軍隊が活躍する。核戦争を抑制するために、核軍備を行う。

▽ これが現実の狂気としての人間性が暴走しないための、最も有効な方法である。人類は、狂気を狂気によって抑制する方法を見つけ出したのである。その抑制の規則、それは気の狂った人々が混乱を起こして自分達で自分達に危害を加えないようにと作られた精神病院の規則のようなものなのだ。

▽ 狂気は人間の宿命であり、その狂気による混乱を防ぐために、社会や国家が必要とされ、法律や規則が作られ、軍隊や警察が作られ、場合によっては核爆弾や死刑台まで用意されているのである。


「彼ら(プラトンやアリストテレス)が政治について書いたのは、いわば精神病院の規則を作るためである」パスカル『パンセ』(331)


参考文献

1、 パスカル著 松浪信三郎訳 『パンセ(抄)』旺文社文庫、1970年10月、442p
2、 野田又夫 『パスカル』 岩波新書143 1953年10月、217p
3、 三木清 『パスカルにおける人間の研究』 岩波文庫 1980、231p
4、 甲斐潔信 「パスカルの『パンセ』における「人間の不均等」概念の研究
 http://members.ld.infoseek.co.jp/pascaliankk/r0hajimeni.htm
5、 後藤嘉宏 「 『パスカルにおける人間の研究』にみられる三木清の弁証法について」 図書館情報メディア研究第4巻2号 2006年 pp19-32 


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中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響

三石博行


中世的世界観から近代的世界観の転換 天動説からケプラーの地動説へ


▽ 中世西洋社会の人々は魔女や魔術を信じ、また人のうわさを批判的に検討する知性を持っていなかったのだろうかという問いに答えるために、逆に、魔女や魔術などの迷信を信じない、また不確かなうわさを聞いてもすぐにそれを信じない現代の我々の意識がどのようにして形成されたか、つまり、迷信を信じ、うわさを鵜呑みにしていた中世社会の人々の意識から、どのようにして脱皮してきたのかということに考えてみる。

▽ 現代社会から中世社会の人々の考え方や意識を観(み)ると、中世の人々が「魔女狩り裁判」をまじめに行っていたことが理解できない。そこで、この問題を考えるために、逆に当時の人々の世界観や社会常識に立って考えることにする。当時の人々の世界観について考えてみよう。

▽ 中世までの世界観の中で代表的な「天動説」について考えてみる。天動説はすべての天体が地球の周りを公転しているという説で、古代ギリシャのエウドクソス(紀元前4世紀)やアリストテレス(紀元前384年-322年)によって宇宙の中心に地球を置き、その周りを天体が同心円上に公転しているという説である。アリストテレスは「天体は永遠に運動している」という考えをもっていた。そして、その後天動説は、紀元後2世紀にクラウディウス・プトレマイオスによって体系化されたのである。アリストテレスに影響される中世ヨーロッパ社会の学問(スコラ学)では、天動説が採用されることになる。

▽ この天動説に対して古代ギリシャのピタゴラスは地球が自転し、太陽の周りを公転しているという宇宙観である地動説を提案していた。このピタゴラスの地動説は15世紀にキリスト教神学者であるコペルニクス(1473年から1543年)によって復活する。コペルニクスの地動説は、確かに現代の天文学の理論である太陽を中心にその周りを地球を含めた惑星が公転しているという説であったが、地球を含めた諸惑星は太陽の回りで完全な円運動をしており、現在の理論(地動説)とは異なるものであった。つまり、コペルニクスの地動説も、アリストテレスの自然学における自然運動(同心円運動)と同じ考え方に立っていたので。

▽ コペルニクスの地動説はジョルダーノ・ブルーノによってその後継承される。ブルーノはイタリアの哲学者、宗教家・神学者である。彼はヨーロッパを放浪しながら、フランスのパリのソルボンヌ大学や当ルーズ大学、オックスフード大学で教鞭を取る。ブルーノはスコラ学派(中世ヨーロッパ社会でキリスト教神学者・哲学者によって確立し、当時の大学で教えられていた文献学と弁証法的討論を方法とする学問)の権威たるアリストテレスの自然学を批判し120のテーゼを書いた。そのことが問題となり裁判に巻き込まれ、最後はローマで7年間もの獄中生活を送ることになる。そして最後は、彼は地動説を唱えたことで異端審問に掛けられ1600年に火あぶりの刑に処せられた。

▽ コペルニクスやブルーノの地動説は太陽の回りを地球や他の惑星が同心円運動をしているというもので、今日の天体運動と異なるものであり、精密なものではなかった。その後、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571年-1630年)は天体望遠鏡による観測と惑星運動の数学的裏付けを行いながらケプラーの法則を打ち立て、ガリレオやニュートンを経て成立する古典物理学の基本を提唱した。ケプラーによって、今日の惑星運動、つまり楕円軌道をえがく惑星運動の説明(地動説)が確立した。

▽ 2世紀にクラウディウス・プトレマイオスによって唱えられた天動説は1609年に「新天文学」の中でケプラーが唱えた「ケプラーの法則」によって、体系的に乗り越えられる。中世ヨーロッパ社会の基本的な世界観であった天動説(地球を中心とした天体運動、キリスト教スコラ哲学の世界観)が崩壊するのである。現代の地動説の理論は緻密な天体観測に基づいてケプラーによって唱えられたものである。この天動説からケプラーの地動説への変換の意味は新しい天文学理論の形成という意味以上に世界観の変化を意味する。つまり、科学史の中で語られる「パラダイム変換」を意味する。天動説からケプラーの地動説の変換によって、中世の科学(スコラ学)が崩壊し、アリストテレスの世界観が終焉し、その世界観を基にして出来上がっていた中世社会の支配構造が崩壊していったことを意味するのである。
▽ 例えば、感覚的に星や太陽が東から昇り西に沈む天体の運動を観ているなら、素朴に太陽が東から昇り西の空に沈むと言っている。その限り、人々は朝日や夕日を見ながら「地球が動いている」と感じることはない。感覚的には「太陽が動いている」と思い、「星が動いている」と感じているのである。

▽ アリストテレスの自然哲学(自然観)を簡単に説明するなら、現象として我々の感覚に見える、感じる世界(形相)があって、その世界の存在は物質(質料)によって出来ている。つまり、世界の存在は感じられるものである。感じられるように世界は存在している。そのため、肉眼で感じる世界、天体の存在が天体の本質的な姿を示している。知覚観測によって存在している世界のあり方が理解される。言い換えると、太陽が動いていると感じる以上、太陽は我々の地球(大地)の上を動いていることになる。その視点が天動説の根拠になる。誰も、太陽や星の観測をしながら「今日も地球は動いている」と感じる人はいない。天動説は素朴な人間的感覚を土台にした最も分かりやすい天体運動の理論(説明)なのである。

▽ 現代の社会で、太陽が西の沈む光景を誰が見ても、「地球が動いている」と感じる人は一人もいないだろうが、しかし、義務教育を受けた人なら、誰一人として、太陽が地球の周りを回っていると説明する人もいない。しかし、小中学で太陽系の学習をして地動説を理解していても、我々は、夕日を眺めながら「日が沈む」と確かに言っているのである。では、どうして「日が沈む」と言いながら、頭の中で「地球は自転している」と理解するのだろうか。

▽ ケプラーは望遠鏡(肉眼)で観測して得られた情報(データ)を数学的に整理する手法で、天体運動の理論をまとめた。つまり、それまでも望遠鏡で感覚的に観測しているのであるからケプラーの観測方法とそう変わらないのである。しかし、ケプラー以前は、天体観測のデータを数学的に整理することはしなかったのである。ケプラーは数学という論理の世界で観測データを整理してみた。何故なら、ばらばらの惑星運動を一つの法則で説明するために(神の法則は一つである以上、一つの法則が宇宙を支配している筈であると信じていたので)、人間的な感覚の入る余地のない厳密な計量的方法、数学的方法によって整理したのである。その視点が、それまでの天体観測の方法と基本的に異なることになる。

▽ つまり、自然観測から得られたデータを、数学という道具を用いて再度解釈する、現代科学の基本がそれによって確立するのである。アリストテレスの世界観、人間的感覚を中止とした世界から、それを超越した世界(イデアの世界)を理解する方法として神のことば(数学)を用いることで、宇宙の法則(神の法則)を見つけ出そうとしたのであった。コペルニクスやブルーの物理神学の思想を継承しながら、観測データの数学的解釈という新たな世界を切り開いたのである。ケプラーの法則は、ガリレオの落下の法則と共に、その後、デカルト、パスカル、ニュートンやライプニッツへと大きな影響を与え、近代科学の形成の土台を創ったのである。

▽ アリストテレスの自然学を基礎付けた感覚世界(感覚的経験主義)が根本から否定され、論理(数学)的経験主義へと変化したのが、天動説から地動説への世界観の変化、つまり、中世社会の世界観から新しい近代合理主義社会の世界観の変化を意味するのである。


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魔女狩り裁判を引き起こす世界観

三石博行


思い込みを生み出す人間と社会の思想的背景

▽ 我々人類が歴史の中で繰り返される虐殺行為、ユダヤ人虐殺、魔女狩り、民族浄化、在日朝鮮人虐殺、クロアチア人虐殺、ツチ族虐殺等々、戦争行為以外に、多くの人々が犠牲になってきた。これらの虐殺を、私達は自分の日常生活と無縁の世界で行われた蛮行(ばんこう)であると考えた。

▽ しかし、現実は私たちの日常生活の中で発生している普通の人々が繰り広げた行為なのである。戦争という極限状態の中で繰り広げられる殺戮と違い、自分達の生活を守るため、それを破壊する者を取り締まり、未然に被害を防ぐために行った(人間的な)行為なのである。それだからこそ、これらの虐殺は過去の歴史や他国の話ではなく、いつでも将来、我々の社会に起こる現実なのである。そのことを理解しなければならない。

▽ 前回、こうした虐殺の背景と日常生活の中で生じる「いじめ」や「排除」が、その被害の規模は違っても、共通する原因によるものであると考えた。つまり、我々が「うわさ」や「他人への間違った思い込み」によって、他人に対して間違った行動を取ることがある。その間違った判断や行動の原因を徹底的に理解し、それを防ぐ対策(生きたかの技術)を身に付けなければならないことが課題となっている。

▽ 今回は、中世社会の世界観に深く関係している「魔女狩り裁判」を引き起こす社会観念(社会全体に共通して存在している意識)について考え、その考え方の何が「魔女狩り」の引き金になったのかを考える。そして、その考え方を批判し、点検するために、西洋社会では何が行われたのか。それは、現代どのように継承されているかを考える。



魔女狩り裁判の起こった中世ヨーロッパ社会の人々の意識(迷信と思い込みの起源)

▽ 「魔女狩り裁判」を引き起こす社会での人々の意識とはどのようなものなのか考えてみよう。「あの人は魔女だ」という「うわさ」を信じるためには、「魔女が存在する」ということと、人のうわさを疑わないという二つの要素が挙げられる。

▽ まず、「ひとのうわさを(簡単に)信じる」意識であるが、その意識は、今の時代でも、今の日本でも、つまり我々が日常的に何の疑いもなくよくやっている行為である。つまり、我々は日常生活の中でいつの間にかそう思い込んでいる。そう思い込んでいる根拠は「誰かがそう言っていた」とか「何となくそう思っていた」という主観と呼ばれる意識である。この思い込みを起こす主観的な意識は何も特別な意識ではなく誰でも持っている。どこの社会でも人々は自然にこの意識を持っている。つまり、そう思っているという主観的な意識は、全ての人々の生活の中に自然に存在している人間的な意識であると言える。

▽ しかし、現代の科学技術の発達している私達の社会で、もしある人が誰を「魔女だ」と言っても、誰もその人の言っていることを信じないだろう。何故なら、「魔女が現実に存在する」とまじめに信じる人は殆どいないからである。「魔術」もそれを使う「魔女」も非現実的な世界の話であり、迷信だと受け止められるだろう。そもそもこの社会では「魔女がいる」とか「魔術をつかって病気を流行らしている」ということはあり得ないこと、成立しない出来事である。私達の社会では、まじめに「魔女」の存在を信じる人がいない以上、「魔女狩り」は起こらないのである。

▽ 魔術を使い、ほうきに乗って空を飛ぶなどというのは「魔女の宅急便」(宮崎駿の漫画、1989年7月に東映で上映された。)や家庭の主婦として優しいご主人を助けるために魔法を使う可愛い奥様の話し「奥様は魔女」(1942年アメリカで上映された映画、1964年から1972年テレビドラマのシリーズでアメリカや日本で上映される。2004年にTBSで日本版のテレビドラマが放送される。)のように漫画や映画の話として存在する。

▽ 現代社会で、魔女が存在しないと我々が確信しているのは、魔女が使う超能力が「科学的な根拠」を持たないからである。つまり、現代人は「魔術」という非科学的な考え方を信じていないことになる。そして、魔女狩りをしていた中世の人々は「魔術」を信じていたことになる。その意味で、ヨーロッパ中世社会で行われた「魔女狩り裁判」は、現代社会では起こりようのない話となる。

▽ 従って、西洋中世社会での「魔女狩り」と同じような誰かを「魔女だと信じて」危害を加える歴史は、さすがに現代社会では起こらないのであるが、もう一つの原因である「うわさを信じてしまう」ことによって起こる虐殺行為は、前回説明したように、ユダヤ人虐殺、在日朝鮮人虐殺、クロアチア人虐殺、ツチ族虐殺等々と、魔女狩り裁判以降も、我々の社会の歴史の中で繰り返される。

▽ しかし、仮に現在、つい60年前に行われたナチスドイツのユダヤ人虐殺と同じような民族浄化がバルカン半島(クロアチア人虐殺)やアフリカ(ツチ族虐殺)で起こるなら、国際社会は「うわさを流し民族浄化をおこなう」蛮行(ばんこう)を許さないだろう。その意味で、21世紀の我々の社会は、魔女狩り裁判を行い多くの無実の人々を殺害した時代、異教徒や異民族を虐殺した時代とは異なるのである。そして、意図されて流れる「うわさ」や悪意をもった「うわさ」に対して、批判的に対応できる社会となっている。

▽ 例えば、前回説明した今から87年前の1923年9月1日におこった関東大震災時の在日朝鮮人(韓国人)虐殺事件、「在日朝鮮人が暴徒化し」「井戸に毒を入れて、放火し回っている」というデマや噂が立って、6415名の人々(在日朝鮮人や在日中国人)が(当時の司法省は233名と発表したが)殺害された事件のような在日外国人への迫害事件は、1995年1月14日の阪神淡路大震災時では起こらなかった。確かに、阪神淡路大震災直後に「在日外国人が反倒壊した家に侵入して窃盗を働いている」といううわさが立った。しかし、そのうわさを新聞は批判した。1923年から72年を経て、民主主義国家に成長した日本社会の良識ある市民が得た人権思想がその蛮行(ばんこう)を食い止めることが出来たのである。

▽ 「迷信を信じない科学的精神」と「噂などのような不確かな情報を簡単に信じないで、それを検証する批判精神」の二つが、魔女狩りとそれに類する悲惨な歴史を繰り返さないための力となっていることを理解できる。


中世社会の人々の意識 感覚中心の世界と魔女の存在

▽ 中世社会の世界観、古代社会から自然災害に対する恐怖、その対応を祈祷によって行っていた時代、占いや祈祷が政務として存在した時代、日本でも古代社会は祈祷師である卑弥呼が国を治め、また平安時代にも陰陽師(おんみょうじ)が政務(古代日本の律令制の下で中務省に陰陽寮(おんみょうりょう)という国の業務を司る官職)が大きな役割を果たしていた。

▽ 科学技術の進歩した現代社会から見れば、自然災害、例えば地震の原因もプレートの移動によって生じる現象であると理解され、その予知も研究されている。また台風の原因もその到来の予知も気象衛星によって正確に可能になっている。

▽ つまり、科学技術が進歩した社会では、ペストの原因はペスト菌であり、その感染経路はねずみと蚤であることや、旱魃(かんばつ)やエルニーニョ現象(南方振動とも呼ばれ、インドネシア付近と南太平洋東部では大気圧が異なることによって、赤道太平洋の海面水温や海流が変動しそれが気象へ影響を与える現象、日本では梅雨が長引き冷夏(れいか)と暖冬(だんとう)傾向になる気象現象で異常気象ではない)も科学的に解明されている。

▽ しかし、「現在でもアジア・アフリカ・南北アメリカの近代化の遅れた社会、例えばインディオやインディアンやニューギニアの原住民社会では祈祷や占いが重要な社会的役割を持ち、部族長や酋長と呼ばれる人々の多くは祈祷師である場合も多い。日本を始め先進国でも、伝統行事として五穀豊穣(ごこくほうじょう)や大漁追福(たいりょうついふく 大漁を願って仏事を営むこと)から天候や個人の吉凶(きっきょう)を占う事や、「払い清め」や呪術(じゅじゅつ)が社会に残っている。」(Wikipedia) これらの神事、占いや祈祷は古代社会からの名残であり、科学技術の進歩した社会でも、市民は縁起を担ぐために活用している。しかし、古代や中世社会では、この行事が国の政務として執(と)り行われていた。

▽ 祈祷や占いが社会で大きな影響力をもっていた社会では、魔術が信じられ、恐れられていた。そのため、「あの女は夜に魔女と話をしていた」という噂もありえる事実となる。「その女が、魔女から渡された毒を井戸に入れた」ので「ペストが流行った」という話もその時代の人々の意識からは決してあり得ない話ではなかった。

▽ 魔術や占いを信じる世界は、一言で言えば、科学的な考え方や理論がないのであるが、そもそも、我々の語る科学的な考え方も17世紀に西洋社会で芽生え、18世紀にヨーロッパで発展し、19世紀に生産制度に応用され社会化し、20世紀に巨大な産業システムを作ることで社会制度の中心となったのである。つまり、科学的な考え方がこの人類の歴史に登場したのは、精々(せいぜい)400年間未満なのである。それまでの社会は占いや祈祷によって社会が動いていたのであった。

▽ 近代・現代社会以前の社会での人々の意識では、世界の理解は、現在のように科学的機器があったわけでなく、直接人が観たもの、感じたものが世界であった。その意味で天動説が成立していた。現在のように、X線解析で物質の構造を調べ、スペクトル分析で分子構造を調べ、またクロマトグラフィーで分子を判明することもできないのである。

▽ 人間の直接見えるものが世界であった。見えるもの(形相)をもとにしてものの本質(存在)を理解する、謂わば(いわば)直接観察が中世までの科学(神学や哲学)の世界を知る方法であった。そのために中世では天体観測用の望遠鏡や占星術(せんせいじゅつ)用の道具が開発された。

▽ 世界を見ている感覚を前提にして成立している自然学が中世までの自然科学の姿であった。そのため、感覚を疑うことはなかった。つまり、感覚を疑うことは、自然観測を唯一の手段を疑うことになるのである。

▽ 感覚した世界を絶対条件に成立している世界、中世までの世界観では、幻覚や妄想も感覚された世界である以上、その存在を否定することは出来ない。つまり、「あの女が魔女と夜に話をしているのを聞いた」という妄想も、その本人にとってはリアルな出来事(妄想の多くがリアルである)である以上、現実の出来事として理解されるのである。その社会では、この妄想も、魔女の存在を信じている以上、「魔女と女が話をしていた」ということも実際に起きてもおかしくない話となる。そこで「あの女は魔女と密会をし、魔女から毒を貰っていた」ことが現実の話になっていくのである。

▽ つまり、中世社会での魔女狩り裁判は起こるべきして起こる社会現象であった。科学的知識や世界観が存在していなかった。人間の感覚しか世界を了解(理解)するすべを持たなかった。そのため、幻想や幻覚であれ見えるものは全て存在しえた。

▽ 例えば、皆さんが子供のころ、闇が怖くなかったかを考えてみよう。あの闇の中から登場する恐ろしい化け物や幽霊(ゆうれい)は、自分の持っているイメージであるにもかかわらず、子供はそれを怖がっていた。彼らの意識は、中世社会の人々の意識と同じなのかもしれない。



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2010年4月29日木曜日

人間と倫理2 「人は天使でもなければ禽獣でもない」(パスカル)

三石博行


1、もっとも単純な人間観、性善説と性悪説

▽ 孟子は人の性(人間の性格)は、本来、善きものである。全ての人は生まれながらにして善き性格を平等に与えられている。しかし、その善き人の性は社会の環境によって汚され、不善(よくないもの)になると主張した。この考え方を性善説と呼んだ。

▽ この性善説を荀子は批判し、それと逆の説である性悪説を主張した。つまり、人の性を悪と考え、その本来悪としてある人間の性格を人々は努力し善へと変えていく。その努力が学習であり反省である。社会は、人々が正しく生きること、善行を行うために制度を作っているのである。

▽ 性善説と性悪説という二つの極端な人間性に関する評価を基にして、それらの説から導かれる社会倫理の姿を想像してみた。二つの説から考えられる「学級崩壊のクラス」と「生産地偽造問題を起こした会社での社員の対応」の二つの具体的な課題を考えた。

▽ 例えば、演習1で取り組んだ「学級崩壊」のクラスと騒いでいる生徒への対応であるが、性悪説に従うなら、学級崩壊を起こしているクラスの生徒たちに対しては、騒いでいる生徒を隔離(クラスに入れない)し、懲罰を与え、授業時間に騒ぐことが「悪」であることを教える方法を取ることになる。その逆に性善説に従うなら、騒いでいる生徒を説得する。それでも騒ぎが収まらないなら、騒いでいる生徒を隔離して別のクラスで授業を受けさせる。つまり、性悪説のように懲罰のために隔離するのでなく、その生徒の本来備わっている善き性格を導くために、外部と遮断する方法を選んだ。

▽ 例えば、演習2で取り組んだ「生産地表示偽造問題を起こしている会社」で働く社員の取るべき姿勢を課題にした。社員は自分の雇用が危機に晒(さら)されても、会社幹部の不正を社内で問題にするべきであるという考え方である。この姿勢は、会社で働く以上、そこで生産される商品への責任の一角を一人の社員として持っている。その責任を果たすことが社会的倫理であるという考え方に支えられている。もし、会社がその不正を隠蔽し、また会社内部の批判、点検活動の呼びかけを抹殺する場合、極端な場合、批判した社員を解雇した場合、社員は会社の不正を内部告白する必要があると考えるだろう。

▽ つまり、この演習2の場合には、会社の不正を批判する社員が、性悪説を信じているなら、会社幹部への社会的懲罰を求めることになる。もし、性善説を信じるなら、会社幹部と話をし、彼らが本来持っている人間性の善の姿を引き出し、会社の不正を反省させる行為に出るかもしれない。

▽ 以上、前回2回に亘って、問題を起こしている人々への対応に関する考え方を検討してみた。


2、「両方(理性と情念)をもちあわせているので、人間は闘争なしではいられない」パスカル 『パンセ』(412)

▽ 実際の社会問題や人間的問題は、性善説や性悪説の二つの立場から解決できるだろうか。性善説や性悪説は、極端な二つの見解であり、人の性は本来悪でもなければ善でもない。人の悪の起源を欲望とするなら、欲望を持たない人間はいない。そして逆に人の善が理性であるなら、理性だけで生きている人もいない。つまり、人間は理性と欲望を同時にもった存在である。


「理性と情欲のあいだにおける人間の内的闘争。
もし人間が情欲をもたず、理性だけをもっていたとするなら…。
もし人間が理性をもたず、情欲だけをもっていたとするなら…。
だが、両方をもちあわせているので、人間は闘争なしではいられない。というのも、一方と闘わずには、他方と平和を得ることができないからである。かくして、人間はつねに分裂し、自己自身に反抗する。」パスカル「パンセ」(412)


「もし人間が情欲をもたず、理性だけをもっていたとするなら…。」パスカル『パンセ』(412)

▽ もし、人が何か(立派な人、お金持ちの人,偉い人や強い人)を夢みてそれに成りたいと思わなければ、人は努力をすることはないだろう。人が努力をするのは、欲望があるからだ。

▽ しかし、欲望を悪とする考え方は、人間本来の姿を無視した、「生きることを欲することなく生きる」「愛することを求めることなく結婚し、家族をつくり、子育てをし、家族や友達と過ごす」という不可能な要求を突きつけることになるだろ。

▽ つまり、「欲望を捨てて生きる」という不可能な目標は、すべての場合、失敗すると思われる行動を要求することになる。極端な禁欲主義は、自然な人間の行為を無視し、拒絶し、批判することになる。

▽ もし、人間の欲望を抑えることに成功した社会があったとすれば、その社会では、人々は働く力も、家族をもつ努力も、立派な家を建てる気持ちも、レストランで美味しい食事をする気持ちも、美術館で美しい絵や彫刻を鑑賞する気持ちも、そして学校で勉強する気持ちも失うだろう。

▽ もし、欲望(情欲)を完全に捨て去ることができれば、人を愛することも、逆に人から愛されたいと思うこともないだろう。家族をつくり、子供を育て、家庭を守り、友人や近所の人々と楽しく過ごす喜びを求めることもないだろう。



「もし人間が理性をもたず、情欲だけをもっていたとするなら…。」パスカル『パンセ』(412)

▽ しかし、もし人が自分の夢(社会が高く評価している理想的な姿)を実現するために手段を選ばない行為をしたら、社会に大混乱が生まれるだろう。

▽ 例えば、大学の講義で使うための教材を購入するのにお金が欲しいと思う。教材を手に入れる行為は大学で学ぶために必要な行為であり、社会はその行為を評価している。同じ千円でも、アダルトヴィデオを買うより、「大学の授業で使う教材を買う」ことを社会は評価する。何故なら、「教材を買う」ことで、有意義なお金の使い方をしたという評価が生まれるからである。

▽ しかし、もし、そのためにお金をどこかで盗んできたら、例えば、買い物帰りの主婦のバックの中の財布からお金を盗んだなら、その盗んだお金で「教材を買って」いたら、それは犯罪となる。お金を盗む行為は、仮により豊かな知識を学ぶために必要とする材料(教材)を買うためであろうと、許される行為ではないことは誰でも知っているのである。

▽ 自分の欲望を、仮にそれが高い夢や理想であっても、間違った手段、社会が認めない行為によって、それを実現しようとするなら、それらの行為は非難される。社会は、その行為の目的だけなく、その行為そのものを認めていないのである。自分の欲望を満たすことが悪なのではなく、そのために社会で許されていない行為を選択したことが悪として評価され、非難されるのである。

▽ すべての人は自分の欲望を満たすことが許されている。しかし、その場合には、欲望を満たすための行為が、社会の規則や社会の習慣に違反してはならない。もし、人々は自分の欲望(情欲)を満たすために、社会の規則に従わないなら、その社会は混乱し、日常的に犯罪や殺人が社会の中に蔓延(まんえん)するだろう。

▽ そして、結果的に、人々はそうした無秩序の混乱に巻き込まれ、犠牲になるのである。自分の欲望を満たすために許した行為が、自分の生命を奪い、生活を破壊する結果に繋がるのである。



「だが、両方(理性と情欲)をもちあわせているので、人間は闘争なしではいられない。というのも、一方と闘わずには、他方と平和を得ることができないからである。かくして、人間はつねに分裂し、自己自身に反抗する。」パスカル 『パンセ』(412)

▽ 情欲を満たすには理性に即して行動しなければならない。欲望を満たすためには社会で認められた手順を踏まなければならない。例えば、お腹がすいた人は、空腹を満たすためには、お金を払って「サンドイッチ」を買わなければならない。もし、コンビ二エンスストアーで「サンドイッチ」を盗んだら、それは犯罪となる。

▽ 自分の理想や夢を実現するために、人々は社会が認めた手段、社会の決まりにそって、行動しなければならない。そうすることによって情欲と理性は共に共存することが出来た。だが、その共存は相互に闘いあいながらのことなる二つのベクトルをもった生命活動の共生である。

▽ その結果、欲望は人間社会を発展させてきた。豊かな生活をしたいという欲望を満たすために、社会的分業が生まれ、専門的職業が発生し、社会制度は高度に発展し、巨大な生産力を社会は備え、科学技術は発展し、合理的な生産ラインを作り、人々は短い労働時間で多くの生産物を生み出すことが出来るようになった。人類は、狩猟活動から、農耕活動、そして工業活動や高度な知的活動へと、次から次へと生産効率を上げながら社会経済制度を作り上げてきた。

▽ 社会は、人間達が作り出した人工物の素材によって、石器時代、土器時代、青銅時代、鉄器時代、人工物素材時代へと文明を変化させてきた。より便利で効率の高い道具、生産手段を見つけ出しながら、社会制度や生活様式は変化してきた。つまり、より豊かに生活したいという人の欲望こそが歴史や社会を動かす原動力なのである。

▽ だが、人類は生活を豊かにするために努力し続けながら、一方で多くの人間を殺害する道具も開発し続けてきた。それが人類の現実の歴史である。豊かな生活をしたいという欲望によって個人の生活も豊かになる。人々が夢や理想とする世界に近づこうとする努力によって社会は豊かになる。そして、毒ガス、化学兵器、生物兵器、大陸弾道弾や核兵器が作られた。最近では、無人のロボット偵察機が敵(テロリスト)の根拠地を爆撃できるようになった。そのテロリスト撲滅のための新兵器開発は人類にとって進歩と呼ばれているのである。

「人間が狂気じみているのは避けがたいことなので、狂気じみていないことも、別種の狂気からいえば、やはり狂気じみていることになるであろう。」パスカル『パンセ』(414)



3、「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル「パンセ」(358)

「人間は天使でもなければ禽獣(きんじゅう)でもない。」パスカル『パンセ』(358)

▽ 理性と情欲の二つの人間性の二律背反運動(異なる二つの要素が互いに作用しあう運動)によって、人間性は作り上げられている。その一方の存在を否定することは出来ない。それらの二つの要素、理性と情欲(欲望)が互いに反発し、互いにその存在理由(それがあることの意味)を見つけ出している。

▽ その意味で、人は単に理性的な存在でもなければ、情欲的な存在でもない。人が理性的な存在であろうと思うとき、その力は理性を生み出す情念によって支えられる。つまり、理性の背後には現実的に生きようとする欲望があるのである。

▽ また、人は欲望を満たすために色々な行動を模索する。その模索は、理性という手段によって可能になる。現実的な手段をもちいることによってしか、欲望を満たすことは出来ない。

▽ 以上の議論から、人間は理性的な存在(天使)でもないし、また欲望のみで生きている存在(禽獣)でもないとパスカルは帰結した。


「天使になろうとするものが禽獣になるのは、不幸なことである。」パスカル『パンセ』(358)


「人間は自然のうちで最も弱い葦(あし)に過ぎない。しかしそれは考える葦である。これをおしつぶすのに、宇宙全体は何も武装する必要はない。風のひと吹き、水のひとしずくでも、これを殺すに十分である。しかし、宇宙がこれをおしつぶしたときにも、人間は、人間を殺すものよりいっそう高貴であるであろう。なぜなら、人間は、自分が死ぬことを知っており、宇宙が人間の上に優越することを知っているからである。宇宙はそれについては何も知らない。
それゆえに、われわれのあらゆる尊厳は思考のうちに存する。われわれが立ち上がらなければならないのはそこからであって、われわれの満たすことのできない空間や時間からではない。それゆえに、われわれはよく考えるようにつとめよう。そこに道徳の根源がある。」パスカル『パンセ』(347)


▽ パスカルによると道徳の根源は人間の思考力にある。人が偉大なのは、その思考によって人が「人の悲惨さを知っている」ことが出来るからである。有限の存在者・人間が、無限の存在・宇宙、その運動法則、惑星運動などを知ることが出来る。この人間の知性を導く力、理性的な思惟こそ人間が最も偉大であることを示すものである。

▽ 人類は宇宙の運動を観測し、これらの知識は宇宙の法則である天体運動の法則を見つけ出し、力学の法則を打ち立て、それらはさらに物理学として発展し、現代の科学技術の知識の基礎を創った。そして、現代科学技術文明社会は人間の思考の勝利を意味する。

▽ だが、同時に人類は人類を滅ぼす核兵器を開発した。偉大なる人間の思考力、理性の勝利が人類の消滅の道具を作ったのである。科学的思惟によって人間を豊かにしたかった志は、人間の消滅の玩具(おもちゃ)を天使(無邪気な人間、自分に悪意がないことを良く知っている人間)に与えたのである。


「彼ら(プラトンやアリストテレス)が政治について書いたのは、いわば精神病院の規則を作るためである」パスカル『パンセ』(331)

▽ 天使になろうとして禽獣になる人間の姿。理性と欲望(情欲)の二つの本性をもって存在していている人間。その一方を否定したとき、否定された他の一方から復讐される運命。それが人間の姿なのだ。

▽ 正義を行うために悪を滅ぼす戦いをする。正義の名において殺戮が許される。一人を殺すことを殺人とよび、敵を殺害することを英雄と呼ぶ。殺戮(さつりつ)行為には、正当な理由と不当な理由が歴史の中では常に付けられる。その荷札をつけた屍(しかばね)の山を歴史は聖戦と呼び、あるいは大虐殺と呼んできた。


「人間が狂気じみているのは避けがたいことなので、狂気じみていないことも、別種の狂気からいえば、やはり狂気じみていることになるであろう。」パスカル『パンセ』(414)


▽ 人間のこうした狂気じみた行為は避けがたいものであるとパスカルは言う。

▽ それでは、この避けがたい狂気、人間性に含まれる狂気をこれ以上増幅させないために、我々はこの精神病院の規則を作らなければならなかった。それが政治学であり、国際紛争を解決するための安保理事会の規則や国連軍であった。

▽ しかも、狂気を抑えるために、狂気を用いなければならないのである。

▽ 例えば、イラクの核兵器開発や生物兵器など大量殺戮(さつりく)兵器の開発を阻止するために、より強大な大量殺戮兵器をもった連合国、特にアメリカの軍隊が活躍する。核戦争を抑制するために、核軍備を行う。

▽ これが現実の狂気としての人間性が暴走しないための、最も有効な方法である。人類は、狂気を狂気によって抑制する方法を見つけ出したのである。その抑制の規則、それは気の狂った人々が混乱を起こして自分達で自分達に危害を加えないようにと作られた精神病院の規則のようなものなのだ。

▽ 狂気は人間の宿命であり、その狂気による混乱を防ぐために、社会や国家が必要とされ、法律や規則が作られ、軍隊や警察が作られ、場合によっては核爆弾や死刑台まで用意されているのである。



4、「人間には二種類だけしかいない。一は、自己を罪びとと思っている義人。他は自分を義人と思っている罪びと。」パスカル『パンセ』(534)

▽ 理性と情欲の二つの本性からなる人間性、狂気として人間性の理解を前提にするとき、人は、どのようにしてそれを受入れ、それと向き合えばいいのだろうか。

▽ パスカルの「罪びと」の概念は、キリスト教の原罪の概念から来ている。キリスト教では人は生まれながらにして罪びととしての宿命を負っている。

▽ キリスト教における原罪は「神が人間に禁止していた善悪の知識の木の実(りんご)」を食べる禁断を破ったことを意味する。つまり、人が動物でなく神の知識、善悪の知識を持ったこと、裸でいることを恥ずかしいとも思わない動物から、裸(自然の姿)を恥ずかしいと感じる反自然的な感性を持つようになったことを意味する。


「そもそも原罪の概念は『創世記』のアダムとイヴの物語に由来している。『創世記』の1章から3章によれば、アダムとイブは日本語で主なる神と訳されるヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)の近くで生きることが出来るという恵まれた状況に置かれ、自然との完璧な調和を保って生きていた。主なる神はアダムにエデンの園になる(実る)全ての木の実を食べることを許したが、中央にある善悪の知識の木(の実)だけは食べることを禁じた。しかし、蛇は言葉巧みにイヴに近づき、木の実を食べさせることに成功した。アダムもイヴに従って木の実を食べた。二人は突然裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉をあわてて身にまとった。主なる神はこれを知って驚き、怒った。こうして蛇は地を這うよう定められ、呪われた存在となった。」(Wikipedia)

▽ パスカルの「罪びと」は、人間本来の姿としての原罪を背負う人間の姿である。また、パスカルは、その原罪を受入れた人、その原罪への自覚を持つ人を「義人」と呼んだ。

▽ パスカルによれば、人間は本来原罪を背負う存在(罪びと)であり、またその原罪への自覚を持つことが出来る存在(義人)にもなり得る。従って、その二つのあり方が人間の存在の仕方であると考えた。そこでパスカルは「人間には二種類だけしかいない」と述べているのである。

▽ しかし、もし、罪びとである自覚をもって義人となることができれば、罪びとはすべてその罪を自覚することで義人になることが出来るだろう。この論理からは、キリスト教の教えにそって生きることで人々は救われそうである。しかし、ここで矛盾が生じる。つまり、キリスト教の教えに従って原罪を認め「自己を罪びとと思っている義人」となる。罪びとから救われた義人は、原罪から決定的に救われたのだろうか。もし、「自己を罪びとと思っている義人」として救われるなら、もはや「罪びと」はいない。その罪びととしての原罪も存在しえない。すると、原罪を自覚しない「義人」が登場する。このことから、この「義人」は原罪を自覚しえない人間、キリスト教の教義を理解していない人間として「義人」は変貌することになる。言換えると、「自分を義人と思っている罪びと」が登場するのである。

▽ 「自己を罪びとと思っている義人」は、永遠に自分を義人と思っていることでは成立しない逆説の論理が成立し続ける。もし、「自分を義人と思っている」なら「義人」は原罪を自覚しない「罪びと」になるのだ。

▽ このパスカルの原罪に関する解釈は極めて興味深い。それは、人が宿命的にその人の狂気や原罪を自覚しつづけるには、つねに休むことなく、思考し続けなけなければならないという結論を導くのである。
 
▽ 休むことなく思考し続けて人はその悲惨な宿命、有限の生命、一滴の水によって滅びる生命から救われるのだろうか。否(いな)。パスカルの問い掛けは続く。


「一人の人間の徳がどれほどのものであるかは、その人の努力によってではなく、その人の平常によって測られなければならない」パスカル『パンセ』(351)

▽ 人間が日常生活を平穏に過ごすために用意したのが良識であり、倫理であり、道徳であり、徳であった。その徳は、休むことなく人間の本性としての原罪を点検し続けなければ得られないものだろうか。それに対するパスカルの答えは、「人間の徳」は「その人の平常によって測られなければならない」と言うことであった。

▽ 何故なら、「人は天使でもなく禽獣でもない」。人が天使になろうとすることに無理があり、それは不可能な望みである。

▽ 何故なら、人間には理性と情欲の全く異なるベクトルをもった生命活動が同時に共存し、互いに争いながら、人間性を形作り、人間の営みを形成しているからである。

▽ 人の徳(善行)は、理想に向かい、目標を得るために努めることによって可能になるのでなく、むしろ、人間に与えられている現実(パスカルの言う悲惨さ)を受け入れて、可能になるのではないだろうか。


参考文献
1、 パスカル著 松浪信三郎訳 『パンセ(抄)』旺文社文庫、1970年10月、442p
2、 野田又夫 『パスカル』 岩波新書143 1953年10月、217p

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2010年4月28日水曜日

1980年、パキスタンから激動するイランへ

三石博行

ムジャーヒディーン(mujāhidīn)とエチオピアのエリート船員

▽ その日、私は寝坊してしまった。朝早く立つバスに乗りそこなった。パキスタンの西部にあるクエッタの町は、砂漠の中にあるオアシスの町だ。アフガニスタンに近く、多くの人や物資がアフガニスタンからやってくる。パキスタンの鉄道にのってこの町まで来たが、これからは、バスにのって砂漠を越えて、イランに向かう予定だった。

▽ ホテルの人が、もう一台バスがイランの国境近くの町まで出ると教えてくれた。タクシーに乗って、そのバス停まで急いで行った。パキスタン人以外の旅行者は、英語の話せないスペイン人、二人のエチオピア人(二人とも外国航路の船員でバカンス旅行中)と私の四人だった。バスをまっていると、大きな体格の男達がたくさんやって来た。聞くとアフガニスタンから来たらしい。

▽ これからの予定を確認する。クエッタからバスで約36時間かけてかイランの国境まで行き、そこで別のバスに乗って、イランとパキスタンの国境の町へ向い、その町でさらに一泊してイランに入国する。そこからイランの国境の町ミルジャワに向かう。そのミルジャワからさらにザヘダンに別のバスに乗って行く。ザヘダンからテヘラン行きのバスが出るとのことだった。

▽ クエッタからのバスが出発した。おおよそ二日間バスに揺られ、砂漠をわたる。バスは木製の車体で、サイドの荷物入れにガソリンをドラム缶を二つ積み、がたがたの山道をすごいスピードで走る。すごいゆれで身体が浮き上がり、そして、そのまま落ちる。長くのっているとお腹がおかしくなる。運転手は、噛みタバコを口に入れ、時より、車の窓から褐色のつばきを吐きながらハンドルを握る。車内はすざましいボリュームの異国情緒のパキスタン音楽が鳴り響く。

▽ バスに同上したアフガニスタンの乗客は「ムジャーヒディーン」(侵略者と戦うイスラム義勇軍)の兵士だった。バスは時間が来ると止まり、男たちは外に出て、一定の方向を向いて座りお祈りをする。
▽ 当時、アフガニスタンのゲリラはソビエト連邦の侵略と戦っていた。それを軍事的にアメリカやヨーロッパの国々が支援していた。バスの中では、若いイスラム教徒のムジャーヒディーンの兵士がたどたどしい、ほとんど理解できない英語で話しかけてくる。

▽ 「日本人は友人だ。ドイツ人も友人だ。しかしソ連人は敵だ。」と言っていた。彼は政治の話を始めた。すると、二人のエチオピア人は社会主義者らしく、ソビエトを批判し社会主義を批判していたムジャーヒディーンの若者に反論しようとした。私は危機感を感じた。反射的に「その議論をすれば、殺されるかもしれないことが解らないのか」と早口の英語で彼らの口を塞いだ。

▽ もし、ソビエトと命を掛けて闘っている若いムジャーヒディーンの兵士が、我々の中の二人がソビエトの手先ではないかと疑ったとき、何がそこで起こるだろうか。そうした心配は、この無邪気なエチオピアの青年達には通じなかったか。それから、一切、政治の話をしなかった。いや、私が彼らにそれをさせなかったのだ。

▽ バスは春に起こる砂漠の嵐の中、雨が降り注ぎ、水が谷から流れる中を、猛スピードで走った。稲妻が横に走る。その壮絶な風景。多分、このバスに当たると、我々は、あのドラム缶に詰めたガソリンもろとも爆発して死ぬのだろうと思った。

▽ イラン国境の手前の小さいパキスタンの町でバスは止まった。その夜は、その町の小さな宿屋で一泊した。


アフガン難民とフランス人の女の子

▽ 朝早く、朝日を見ながらパキスタンの国境からイランの国境の町ミルジャワに向かった。三、四時間してイランの国境の町ミルジャワに着く。もうここはイランだ。インドからはるばる陸路でイランまで来た。イランに入ると立派なバスが待っていた。道路も舗装されていた。イランがバスパキスタンより随分豊かな国であることがすぐに感じられた。

▽ ミルジャワからザヘダン行きのバスに乗り換えることになった。ザヘダン行きのバス停には、すでに20名ぐらいの旅行者がいた。ヨーロッパから来た旅行者、オーストラリア人、ブラジル人と日本人の私だ。テヘラン行きのバスがやって来た。旅行者がバスに乗ろうとしたとき、少年のような体つきをした、そして顔だけが老け込んだバスの車掌が、バスの奥の椅子に座るように外国人の旅行者に命令した。かなり威圧的で一方的な命令だった。

▽ すると、フランスから来ていた女の子が、その命令に反して、自分の好きな席に座った。車掌男は、彼女に命令を繰り返した。その女の子は二人と男の子と一緒に旅行をしていた。連れの二人も、その女の子の行動をやめさせようとしていなかった。

▽ 車掌は激怒し、彼女につかみかかった。そして殴りかかった。二人の男子はそれを止める様子もない。私は反射的に、車掌に向かって行った。危険な場面であった。私が登場したことで、車掌はフランスから来た女の子に手を振り下ろすことはしなかった。しかし、私と彼女に出て行けと叫んでいた。イランのペルシャ語が理解できないので、車掌が正確に何を言ったのか理解できなかったが、出て行けというすごい剣幕の身振りから、これは大変なことになったと理解できた。

▽ 砂漠の町ミルジャワからの町から今出られなければ、多分、明日のバスを待つしかない。一日、旅が長くなる。予定が変更される。これは大変だと思った。そして、とっさに「君は、ここがどこだと思っているのか。ここはフランスではないイランなのだ。そのことが理解できないで、この国を旅行するな!」と大声でフランス人の女の子に怒鳴った。その私の態度を車掌は見ていた。そして、私が女の子を叱ったと思い、私たちを許し、外に追い出さずに、席に戻るように命令した。

▽ 女の子は不満そうな態度だった。彼女は恐怖に慄いていたが、それでもどこか、まだ強気な表情を残していた。私が演技でもフランス人の女の子を怒鳴ることで、車掌は許してくれたのだ。私は、その場を、何とか切り抜け、砂漠の町に置いてきぼりにされる状況から逃れることが出来た。安心した私もフランスの女の子もバスの後ろに座席に大人しく座った。

▽ 「君は何を考えているのだ。ここは一歩誤ると命すら保障されていない情況を抱えた国なのだ。 君はそのことを本当に理解しているのか。」と、もう一度彼女にゆっくりとした口調で話す。しかし、彼女は私に「ありがとう」の一言も言わなかった。ただ不愉快そうな視線を送っていた。そして、また自分の危険な状態を見て見ぬ振りをした二人のフランス人の男達の横に座った。「君達は、本当になんという人々なのだ」と私は彼らにいった。彼らから何もことばは返ってこなかった。それから、私は彼らとは一言も話しをしなかった。そして、「このバスから降りたら、生涯、彼らに会うこともないのだ」と思った。

▽ バスはミルジャワのバス停で少し待った。すると我々のザヘダン行きのバスに三、四十名のチャドルを着た女性と子供がバスに乗り込んできた。うわさによるとアフガニスタンからの難民だと言うことだった。彼女らがバスの前方に座り終わると、バスはザヘダンに向かって出発した。


旅をして異文化を理解すること

▽ 当時(1980年)、イランやアフガニスタンは政治的に非常に緊張していた。アフガニスタンはソビエトと戦争をしていた。国は内戦状態だった。アフガニスタンの周辺国、パキスタンやイランはアメリカの要請を受けて、アフガニスタンのイスラム義勇軍(ムジャーヒディーン)がゲリラ活動をしていた。
▽ イランは16世紀以来続いたイラン王国がイラン・イスラム革命によって1979年に崩壊し、イラン国内も不安定な状況であった。 新しいイラン・イスラム共和国はこれまでの親米路線を変更し、反米的な政治姿勢を打ち出していた。

▽ 一人の旅行者にとって激動する国際政治事件は関心のない出来事であろうが、ひとたび、その現場に居ると、好むと好まざるに係わらず、その政治的な事件から生み出される状況に呑み込まれるのである。その恐ろしい状況は、一人の人間の努力で乗り越えられるものではない。

▽ その時、政治的に不安定な地域をめぐる旅は命がけになる。異国の社会や文化的な状況を正しく理解しなければならない。あのフランスの女の子のように、自分の国の常識や考え方を、旅先の国に当てはめることによって、とんでもない事件に巻き込まれるのである。

引き裂かれた民族と作られた国境

三石博行


▽ 私は、今から30年ほど前、1980年にリックを一つ背負って、インド、バングラディシュ、パキスタン、イランの国々を鉄道やバスを経由しながら陸路で旅行をした。若いからこそできる旅で、その中で多くのものを見た。

▽ インドのデーリーから汽車に乗ってパキスタンへ向かう途中、アムリトサルにあるシーク教の黄金寺院に立ち寄った。アムリサルは、インド北西部にあるパンジャーブ地方のシーク教の聖地であり、1919年アムリットサル事件でも有名である。アムリットサル事件とは、イギリスのインド植民地政府が交付した法律で、テロ組織に参加していると疑われる人を令状なく逮捕し、裁判なくして投獄できる制度であった。この法律に反対するために集まった非武装の市民にインド植民地の軍隊が無差別射撃し多数の市民を射殺した事件である。そのため、アムリットサル事件のあった場所は、インド独立運動を牽引した非暴力抵抗運動の始まりの地として多くの観光客が集まる。

▽ パンジャーブ州(インド北西部)は、公用語としてヒンディー語と共にパンジャーブ語が使われている。しかも、隣接するパキスタンにも同じパンジャーブ州がある。そして同じ言語、パンジャーブ語が話されている。この二つの地方は、宗教上の違いを理由にイギリスからインドとパキスタンがそれぞれ1947年に独立したときに、インドとパキスタンに分離されたのである。その後、1948年にカシミールの領有権をめぐり二つの国は戦争を起こすことになる。インドとパキスタンに分離された一つの民族、パンジャーブ人は、インド人とパキスタン人として争うことになるのである。

▽ 私はインドからインダス川を渡りパキスタンに入った。パキスタンで宿を取った。その日の夕方、安ホテル待合室の椅子に座って夕日を眺めていた時、同じ宿泊者の二人のパキスタンの青年と会った。二人は兄弟だった。弟のほうは二十歳前後だろうか、まだ若かった。彼がたどたどしい英語で私に話しかけてきた。

▽ 「君は、私達の民族の歴史を知っているか。インダス川の向こうに自分たちと同じ民族がいて、同じことばを喋る。しかし、国が違う。それだけでない。我々の文字と彼らの文字が違う。我々はアラビア風になった文字を使い、かれらはヒンディー風の文字なのだ。どうだ、この大変さが理解できるか。どうして、自分達はこんな目にあうのだ。同じ民族が、どうして違う国に所属し、違う文字を使わなければならないのだ。」

▽ 彼の目には怒りが漲(みなぎ)っていた。そして、何もしらない日本人の私に、その怒りの目は突き刺さるように向けられていた。私は困惑し、ことばを失っていた。その青年の気持ちを理解するにも、理解できる土台がないのだ。迷惑そうに彼の質問に答える私を見ていたか、三十歳前後の彼の兄が、心配そうに近づいて来た。私に済まなそうな視線を送りながら、弟に言った。

▽ 「もういい、もういい、彼(日本人)にそんなこと言ったって、解るわけがないだろう。」とやさしく、弟の肩に手を掛けて、弟を自分達の部屋に連れて行った。

▽ 私は、一人の青年の深刻で苦しそうな目を忘れることが出来なかった。彼は、引き裂かれた民族の歴史をそのまま背負っているのだろうか。そんな深刻で、どうしようもない現実を私は経験したことはない。日本が二つの国に分断され、家族に会うにも会えない。そんな経験をしたことのない私に、彼の悩みが解るわけがないのだ。

▽ 同じ民族が二つの国に分断されていると言えば、東アジアの国では韓国と北朝鮮、1940年から1990年まで続いた東西ドイツを思い出すだろう。しかし、それらの国々ばかりではない。世界には、私の知らない多くの民族が、政治的理由によって分断されているかもしれない。そしてどれだけ多くの人々が不条理な民族、家族の分断に苦しんでいるかを私は知らない。


参考 Wikipedia 「パンジャーブ」「パキスタン」「アムリットサル事件」等々

多言語文化社会の生活風景

三石博行

インド社会の成り立ちと多言語文化社会

▽ インドは紀元前2600年から前1600年頃までにインダス川流域に文明(インダス文明)が栄え、紀元前1500年頃にアーリア人がパンジャーブ地方に移住、その後、ガンジス川流域の先住民を支配し、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度(カースト制度)に基づく社会を形成し、今日のインド社会の基礎を創った。その後、長い歴史を経て、1877年から1947年まで続いたイギリス植民地時代から独立し、南アジア最大の国、インド亜大陸の28州からなる連邦共和国(インド憲法に書かれている正式国名はインド社会主義共和国「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」である)、インド共和国を1947年8月に設立(イギリスから独立)した。

▽ インドの公用語はヒンディー語と英語である。インドで話されている言語は800種類に及び、中央政府とは別に各州に政府があり、それぞれの地方政府別に地方政府の公用語がある。主な言語だけでも15以上あり、インド政府の発行する紙幣には17の言語で印刷されている。インド憲法には22言語が公的に承認された言語と言われている。

▽ インドの人口は、1950年に約3億5千万人、1980年には約6億9千万人、2008年には約12億に達している。インドで最も多くの人々が日常的に話していることばはヒンディー語で、全人口の約40%(約4億人)、11%(約0.9億人)が英語を第一、第二ないし第三の公用語として話している。


カルカッタ(コルカタ)の街での会話風景

▽ 私は1979年の冬から1980年の初夏まで、インドのコルカタ(カルカッタ)に滞在した。コルカタは西ベンガル州の首都で、ベンガル語が地方政府の公用語となっていた。ベンガル人にとってベンガル語は大切なことばであり、ベンガル語を国語とする人々はバングラディシュの人口をあわせると、約2億2千万人で、世界で7番目に多い人口を持つ言語である。ベンガル語はまた文化的に高い歴史を誇り、ベンガル語で書かれた文学は多くある。中でも詩人であり思想家であったタゴールはベンガル語で詩を書きアジアで初めて1913年にノーベル文学賞を受賞した。タゴールの詩は世界的にも有名であり、彼のベンガル語の詩が多くの外国語に翻訳されている。

▽ 当時(1979年)、カルカッタ(現在のコルカタ)には、ベンガル語で講義する大学、カルカッタ大学と英語で講義する大学があった。小学校でもヒンディー語とベンガル語で教育がなされていた。また、英語教育は一般に小学校6年から行われ、高校では英語の授業もなされていた。英語は日常的に使われているため、インド連邦内の企業や公務員は日常的に仕事で英語を使うため、インド社会では、英語を使えない人は大きな会社では働けない。

▽ コルカタ(カルカッタ)の家族の会話は、ベンガル人であれば家庭内でベンガル語を話している。しかし、タミール地方から来た人々は、その現地の言葉を家族内では喋る。しかし、外ではベンガル語を話したり書いたりできない限り、コルカタでの社会生活は不自由であるため、会社や公共施設で働く人々は殆どが、出身地の地方公用語、ベンガル語、ヒンディー語と英語の四ヶ国語を話す。例えば南インドのケララ州から来ている場合にはマラヤラーム語を話し、コルカタの会社ではヒンディー語や英語を話し、街ではベンガル語を話している。

▽ こうしたコルカタの人々の日常生活の庶民の会話風景から、多言語文化社会で成立しているインド社会では、教育を受けていない人々を除いて、国民の多くがバイリンガル(二つのことばを自由に喋る人)やトリリンガル(三つのことばを自由に喋る人)であるといえる。


世界の国々の半分以上が多言語文化社会

▽ 多言語社会はインドに限らない。Wikipedea によると、北米ではアメリカ合衆国では州によって、フランス語やスペイン語が公用語となっている。カナダでは英語とフランス語(ケベック州はフランス語のみ)、中南米では、ニカラグア、ペルー、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンなどでスペイン語以外に先住民の言語が公用語となっている。

▽ アジアでは、中国、香港、マカオ、シンガポール、台湾、フィリピン、スリランカ、東ティモール、ブルネイ、パラオ、中央アジア諸国など、またヨーロッパでもアイルランド、イギリス、スイス、スペイン、フィンランド、ベルギー、マルタなど二つ以上の言葉が公用語となっている。

▽ アフリカでは多くの国が英語とフランス語の2カ国語を公用語にしているが、多種多様な先住民の言語存在し、民衆は日常生活では、もともと先祖が使っていたことばを喋っている。

▽ 日本の周り、東アジアの国では、ロシア連邦の極東連邦でもロシア語と先住民の言語が公用語として使われている。中国では、公用語は中国語(北京語)であるが、数多くの方言(広東語など)があり、それ以外にも50以上の少数民族の言語が存在している。中国は多民族国家である。多くの少数民族自治州(区)では、中国語が公用語とされているが、その民族独自の言語が公用語として使われている場合もある。台湾では中国語が公用語であるが、先住民(オーストロネシア語族やマレー・インドネシア文化に属する人々)の言語が使われ、国語(中国語)以外に、台湾語(中国語と同じシナ・チベット語)、客家語(中国語の方言)、原住民語(オーストロネシア語)の教育も義務化されている。

▽ 東アジアでも、国民が一つのことばを喋る国は、日本、韓国や北朝鮮である。つまり、世界を見渡すと、一のことばを話す、モノリンガルの言語文化を持つ国が大半を占める分けではない。

▽ 我々は、モノリンガルの言語文化の中で育った。そして、国民は全て日本語を話すのが当然と思ってきた。そのため、南米、特に日系ブラジル人や日系ペルー人が、日本人の姿をし、日本人の名前を持ちながら、日本語が話せない姿をみて、逆にショックを受けているのである。このショックや違和感の中に、実は、モノリンガル言語文化社会から出た経験を持たない私達日本人の大半の人々の異文化理解の姿(本音)が隠されている。


多言語文化社会を土台とした新しい国家建設の実験・EU(ヨーロッパ連合)

▽ ヨーロッパは1914年から1918年の第一次世界大戦で約2千万人の死者と2千2百万人の負傷者を出した。また、1940年から1945年まで第二次世界大戦の戦場となり、約5千万人以上の犠牲者が出た。この二つの悲惨な戦争を繰り返さないために、ヨーロッパは半世紀をかけてEU(ヨーロッパ連合)を形成してきた。

▽ このヨーロッパ連合では、23カ国が公用語とされている。EUは、ヨーロッパが多数の民族による多言語文化圏であることを前提にして、ヨーロッパの文化の多様性に価値を置き、その多様性を維持するために、少数民族の言語文化の保護を、EUの文化政策として実行してきた。そのため、これまで、アイルランド、コルシカ、バスク、アルザスなど境界地方にあった方言や独自の文化の保護が行われ、それらの人々の分離独立運動を抑えることが出来た。

▽ すでに、近代国家としての連邦国家は1776年7月に独立したアメリカ合衆国、1917年3月に成立した(旧)ソビエト連邦や1947年に独立したインド共和国では、多言語文化社会の国家建設がなされてきた。これらの国々は、その国の事情もあり、一つの公用語を選択した国、二つの公用語を設定した国などがある。しかし、いずれにしても、ヨーロッパ連合のように連合に参加した主な国23カ国の言語を公用語としてはいない。EUとそれまでの連邦国家の形成過程が異なる以上、公用語決定に関する政治的見解の相違がある。

▽ しかし、すでにヨーロッパでは多言語文化社会を経験している国々が多くあり、特にEUの中心になっているベルギーでは、フランス語、ドイツ語とオランダ語が公用語として活用されている。また、中立国スイスでも、約4万平方キロメートル(日本の約9分の1より小さい)小さな国土でフランス語、ドイツ語、イタリア語とロマンシュ語の四つの言語が使われ、日本と同じように不自由なく公共サービスや市民生活が営まれている。

▽ 多言語文化社会環境を永年形成した国々の経験が、これから世界が交流し、多くの民族や文化が交差する時代に必要となるのかもしれない。スイスでは4つの言葉が公用語になっている。また、ベルギーでは3つの言葉が公用語となっている。

▽ すでに、これまでヨーロッパ社会に存在していた多言語文化社会の歴史を土台にしながら、EUは新しい政治経済制度の建設のみでなく、多言語文化国家の建設も試みているのである。


参考 Wikipedia 「インド」、「多言語」、「台湾」「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」「アメリカ合衆国」「ソビエト連邦」等々

2010年4月27日火曜日

人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造

三石博行

ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判の歴史

▽ ペスト大流行、疫病大災害によってキリスト教社会でおこるキリスト教義を逸脱した鞭説教(鞭を自分に打ちながら悪魔を追い払う行動を起こすカルト)が民衆の中に広まった。

▽ 町の人口の半数近くの死者を出したペストによる極端な人口減少によって、中世封建領主制の基本である領主と農奴の関係が壊れ、農民の賃労働(賃金をもらって働く)つまり小作農民が生まれる。また、賃金を払えない領主は小作農民へ土地を賃金の変わりに渡した。さらに、中世の医学(ギリシア医学・ピポクラテス主義やガレニズムの医学理論)の権威が失われ、中世大学(学問研究の中心)の人気もなくなった。

▽ 紀元1世紀にローマ帝国に滅ばされたユダヤ人たちが、長い流浪の果てにたどり着く中世ヨーロッパ社会で異教徒に対する弾圧や虐殺を受けることになるのだが、14世紀ヨーロッパでのペスト大流行は、その異教徒ユダヤ人の虐殺を助長し、300以上のユダヤ人社会が消滅したと言われている。

▽ ユダヤ人虐殺の引き金を引く「ユダヤ人が井戸に毒(ペストの原因となったもの)を入れた」という噂とそれを真に受けた告発、そして、その告発を受けて繰り広げられたユダヤ人狩り、拷問、死刑は、今から見れば、考えられない非人道的行為であるが、当時は一般の村民が、しかも良識ある人々が「自分達を悪魔(異教徒)から守るために行った」正義の行為と信じて行ったのである。


歴史の中で繰り返される史実・民族浄化と他民族虐殺

▽ 自称良識ある人々が繰り広げた虐殺の史実にこそ、私達が理解しておかなければならない問題が隠されている。歴史の中で繰り広げられる悲劇は、つねに、悪魔のような人々がいて、善良な人々を殺害するという、善悪の明確な事件ではない。それは、善良な人々が、繰り広げた恐ろしい(結果的には)事件である。この問題の本質を理解することが、この講義「現代社会と人権」の課題の一つである。

▽ つまり、こうした行為は、歴史の中で、何遍となく繰り返し行われてきた。また、これからも行われる可能性を持っている。そのことが重大な問題なのである。

▽ 身近で具体的な史実、例えば日本で起こった最近の出来事を挙げことが出来る。古いヨーロッパ社会でのユダヤ人虐殺と同じ行為が、今から87年前の日本でも起こっていた。1923年9月1日に起こった関東大震災では、「在日朝鮮人が暴徒化し」「井戸に毒を入れて、放火し回っている」というデマや噂が立って、6415名の人々(在日朝鮮人や在日中国人)が(当時の司法省は233名と発表したが)殺害された。この関東大震災時に起こった在日外国人の虐殺も、町内会の人々、いつもは在日外国人達と一緒に住んでいる町の人々、例えば働きに行っている勤め人、職人、お店の主人や町工場の経営者など、一般の庶民、良識ある生活を日常過ごしている人々であった。

▽ いつもは、共に生活している在日外国人が、災害時に危害を加える人々に変貌する妄想に取りつかれ、その恐怖のために、先に攻撃して殺したのである。この日常生活の中に潜む敵意や憎しみ、そして違和感や差別意識はどのようにして生まれたのかということを考えなければならないだろう。

▽ その後、戦争という非常事態の中で、ドイツナチスによるユダヤ人虐殺が起こる。優秀な民族としてのアーリア人(ドイツ民族)を保護し、劣等人種であるユダヤ人を虐殺する民族浄化(みんぞくじょうか)の思想が起こる。

▽ その民族浄化による第二世界大戦時のユダヤ人虐殺が人類史の汚点として批判され、多くの映像や文字として現代史の記録に刻み込まれたにもかかわらず、我々の歴史は、同じような民族大虐殺に終止符を打つことが出来ないまま、今日でもその忌わしい行為を繰り返し続けているのである。

▽ 1990年から起こるユーゴスラビア紛争中のセルビア人勢力によるクロアチア人の大虐殺、ルワンダ紛争中、1994年4月の誤ったラジオ放送によって起こったフツ族によるツチ族の虐殺では、フツ族の一般市民が参加し、ツチ族の女子供まで殺害した。その数なんと100万人と推察されている。

▽ これらの民族浄化と呼ばれる「大虐殺」は、戦争のように兵隊が敵の兵隊を殺害するのでなく、一般市民が「自分たちの生活や命を守るために」、それを脅かす人たちである異教徒や異民族を殺害する行為によって起こったである。

▽ つまり、この殺害は、関東大震災時の在日外国人の虐殺のように、社会がパニックになるとき、その非日常性に引きずられ、どこにでも起こり、だれでも起こす可能性を持っているのである。そして、なによりも重大なことは、簡単に、自分達もその殺害者にも殺害される側にもなりうるのである。つまり、常に我々はその二つの候補者なのである。

▽ 映画で映し出され、ニュースで報道される民族大虐殺の映像や報道は、まるで別の世界の話として、私達は聴いているし、観ている。しかし、どの虐殺も前提として「自分達の生活や命を脅かす人々から自分達の家族を守るために行った行為」であるという自己防衛(虐殺)に参加した人々の声がある。

▽ 実は、この自己防衛のために、殺すという行為を選んだ人々(私たち)の他民族に対する理由なき優越感と差別感、違和感と恐怖心、不寛容さと侮蔑心、どの国民も持っている自国への誇りや愛国心とその反作用とも言うべき他民族排他心、そしてどの人ももっている自我の形成に欠かせない自己確認とその自己確立の意識の反作用とも言うべき他者への差別意識、これらの人間本来のこころのありかたを問わない限り、この民族浄化と呼ばれる恐ろしい虐殺の基本構造は理解できないだろう。そして、なぜ普通の市民が虐殺に走ったのかを説明することも出来ないだろう。

▽ この問題は、「外国人と仲良くしましょう」という楽観的な平和共存主義だけでは解決しない重たい課題がひそんでいるように思える。そして、この重たい課題に、つまり自分の中にひそむ得体のしれない怪物たちと正面から向き合わない限り、これからも、必ずこの恐ろしい事件は起こるだろう。しかも、このおぞましい行為に、私達も参加する可能性を否定できないのである。


その行為のなにが問われているのか

▽ その原因は、実に身近に起こっている。つまり、うわさを聞いて、それを疑いもしないで思い込む。また、ある人の極端な意見をきいても、それを批判的に検証することはしないで、聞き流す。また、自分が受けた感じや感覚をそのまま信じて、疑いもしない。

▽ こうした残虐な行為は、例えば、フツ族の市民が放送を聞いて「ツチ族が殺害に来る」と思い込んだり、東京下町の町内会の人々が「在日朝鮮人が放火に来る」と思い込んだり、また「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という思い込みや誤解から生じる。

▽ しかも、誤解や思い込みは、私達が日常生活の中で自然に行っている人間的な行為なのだ。この私達の日常的な行為から「大虐殺」が生み出されているとすれば、それを防ぐには、どうしたらいいのだろうか。大変な課題が残される。

▽ 私達は、自分を中心にしてものを考える存在(主観的な存在)である。それだからこそ、自分という人間が生活し、生きることが出来る。そして、そのことが、他人と共存し、また張り合ったり、競争したりする。生きるということは、自分の世界を持つことである。しかし、そのことによって、自分の思いが生まれる。自分の思いを持たない人は居ない。ひとは全て、自分の思いを持っている。

▽ その自分の思い、自分でありたいと願う気持ち、自分で生きようとするこころ、そのこころと「思い込み」との境界はどこにあるのだろうか。思い込む力はひとが生きるために与えられたものではないか。自分の世界を持つ力が「思い込み」として現れる。

▽ 我々は、極めてぎりぎりの自分の主観的な世界、思い込みを起こす世界と、人を傷つける、極端な例として他の民族を虐殺する世界が表裏一体の姿であることに気付かないだろうか。

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2010年4月22日木曜日

魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある

三石博行


ダヤ人虐殺と魔女狩り裁判

中世ヨーロッパの終焉、異端裁判(審問)と大災害ペスト大流行

▽ 中世ヨーロッパでの異端審問が魔女裁判の原型と言われている。1307年から1313年まで継続されたフランス国王がおこなった騎士たちの異端を裁く宗教裁判が広範囲に行われた。南フランスでは、宗教裁判官たちが、実際には存在しなかった魔術をつかう異端の徒を裁判にかけたと記録されている。

▽ そして、悪魔を追い払うためにみずからの体が血に染まるほど鞭(むち)を打つ「鞭説教」が、民衆の中で起こった。群衆が鞭打ちしながら行進する「鞭説教」はペスト大流行よりも1世紀以上前1260年ぐらいから行われた。彼らはペストが発生した町に押しかけ、またユダヤ人の町に押しかけ、悪魔を追い払うために自らに鞭を打った。

▽ ペストがヨーロッパを襲った1350年前後、世界のペスト(黒死病)による死者数は、「大まかな計算で、約1億という」言われている。この数字から、「全ヨーロッパでの死者数を二千五百万人程度と推定する」ことが出来る。つまり、ヨーロッパの人口の約半数近くの人々が死亡したと推定できるのである。そして、「都市の人口の三分の一から三分の二の人々が死んだ」という記録もある。このように、ヨーロッパにとってペスト流行はこれまでの歴史で経験したこともない大災害であったと言える。


ペストとユダヤ人迫害や魔女狩り裁判

▽ ヨーロッパでの「ユダヤ人迫害の歴史は、紀元後の二0世紀間、絶えることなく続けられ、現在にまで到っている。」それで、ペストがその原因であると言えないが、「キリスト教徒の敵」異教者ユダヤ人への感情を、ペスト病因説に向けるためには、誰かが(キリスト教徒の誰かが)一人が、ユダヤ人かが井戸に毒を投げ込むのを、自分は見たといえば十分であった。

▽ ペスト大流行期の最初のユダヤ人虐殺はスイスのジュネーブで1348年に起こる。この年のペスト大流行の原因に、ユダヤ教徒が「井戸に毒をまいてペストをはやらせた」といううわさが流れ、ユダヤ人はペストを大流行させた疑をかけられ、捕まり、拷問され、女子供まで殺された。この虐殺で300以上の集団(ユダヤ人は集まって住んでいた)が滅亡したと言われている。

▽ 例えば、1349年、「アルザスのストラスブールの近くにある小さな村ペンフェルトではユダヤ人がペスト流行の張本人であるという告発」があって村民の意志を問う会議が開かれた。その場に居た一人の男の発言が決定的な結果を生み出した。彼は「彼ら(ユダヤ人たち)は何ゆえに、あらかじめ自分たちの使う井戸には蓋(ふた)をし、外に出ていた汲み置き水のバケツを、屋内に取り込んだのか」と質問した。この村人は、ユダヤ人が自分たちの井戸に毒を入れないようにあらかじめ蓋をした。そして井戸の水を汲まないようにバケツを屋内に取り込んでいたという推察をして、井戸に水をまいたのはユダヤ人に違いないと結論づけたのだった。そして、村人たちはこぞってユダヤ人狩りを行い、処刑した。このあとすぐに、ストラスブールでも同様の事態が起こり、わずかな子供が同情によって命を救われたが、二千人を超える人々が処刑されたと記録されている。

▽ また、この時期は、魔女狩りの盛んな時代でもあった。しかし、魔女狩り裁判とペストとの関係を明確に裏付ける歴史的資料は乏しいが、黒死病に触発され鞭打教徒の運動があり、それがユダヤ人(異教徒)の虐殺運動に関連したことは否定できない。


ペスト流行の張本人とされたユダヤ人の虐殺と魔女狩り裁判の姿

▽ 中世ヨーロッパで行われたユダヤ人虐殺や魔女狩りや異端裁判(審問)では、誰かが「あの人は魔女である」とか「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」といえば、ユダヤ人や魔女と看做された(みなされた)人々は捕らえられ、厳しい拷問にあい、自白を迫られる。

▽ いずれにしろ、ユダヤ人であることが、処刑の理由となる。また魔女として捕らえられた人々も、自白しなければ「魔女だから自白しない」と逆に判断され、また拷問から逃れるために嘘の自白をすれば「やっぱり魔女なのか」と判断され、いずれも火あぶりの刑に処せられたのである。

▽ この時代、多くの無実な人々が厳しい拷問で苦しみ、また火あぶりの刑で死んでいったのである。こうした歴史的悲劇は、「ユダヤ人は自分達の井戸に蓋をしていた。」という理由で、また「あの人は魔女だ」という一人の人間の証言がそのまま信じられ、その証言を検証する場、つまり、魔女にされた人々に反論の余地を与え、つまり弁護士をつけて、反論させる。また魔女であると告訴する人々にその証拠を提示させ、それが信頼できるものであるかどうかを検証する場としての現代社会の裁判所のようなものはなかったのである。

▽ 一人の人が、ある人(異端者と思われる人、ユダヤ人や異教徒などキリスト教社会からはみ出した人々)を魔女であると訴えることで、またユダヤ人であるという理由で、それらの人々は簡単に捕らえられ、拷問にあい、撲殺され、火あぶりの刑にされるのである。それを支えた社会とその社会の持っていた考え方、制度を分析し、何故、ユダヤ人虐殺や魔女狩り裁判が生まれたのかを理解しなければならない。


ヨーロッパ中世の終焉、農奴制の解体と中世医学の権威失墜

▽ ペストの大流行によってヨーロッパ社会は危機を迎えた。都市の人口の三分の一から三分の二の人々が死んだという記録もある。町や村の半分の人々が病死する事態を引き起こしたペスト大流行は、中世ヨーロッパ社会に大きな衝撃を与え、その社会を大きく変えることになる。

▽ まず、「多くの死亡者の発生によって、14世紀ヨーロッパ社会では農奴が不足した。当時の荘園では、農地に縛られていた農奴と自由農民がいた。農業労働力の不足は、農奴を含め農民の立場を強くした。」自由農民や労賃を受け取り農業に従事する農民層が増えた。そのため、中世社会の土地に縛られた農奴と荘園領主の関係は崩壊し、労賃を払って働く農民が多くなったのである。しかも、人手不足や労働力不足は農民の労賃を高騰(こうとう)させた。その結果、「領主は仕方なく支払えなくなった労賃の代わりに、土地を農民に賃貸しという名で下げ渡す」ことになった。農民達は一揆やストライキを行い、少しずつ土地の権利を獲得していったのである。

▽ 黒死病は中世社会の領主社会を崩壊させ、農奴から、小作農民と労働者という二つの社会階級を生み出したのである。

▽ また、「ヨーロッパ社会では、14世紀半ばに三十の大学のうち四つが消滅している。」その理由はペストによって教育従事者が不足したという現代の社会では想像できない理由によるものである。つまり、中世の大学では、知の伝達は職人的な方法によるもので、長年の修行を前提にして知は伝達可能になる。その中世の知の再生産のあり方が問われたのである。

▽ 勿論(もちろん)、「中世ヨーロッパの医学の理論であるピポクラテス主義やガレニズム(古代ギリシャ時代の医学者ガレノスの学説による医学)がペストの大流行においてまったく無力」であったことが、中世医学を失墜させ、その医学を教える大学の権威を落としたと言える。

▽ こうして古い中世ヨーロッパの社会は解体し、その新しい活路を求めるようにルネッサンスが始まるのである。




参考
(1) クルト・バッツュビッツ著 川端豊彦・坂井洲二訳 『魔女と魔女裁判』 法政大学出版局 りぶらりあ選書 1970年11月20日、504p
(2) 村上陽一郎 『動的世界像としての科学』、新曜社、1980年6月20日、296p
(3) 村上陽一郎 『ペスト大流行 -ヨーロッパ中世の崩壊-』岩波新書225、1983年3月22日、192p



1-2、魔女狩り裁判の思想と現代社会

魔女狩り裁判は中世だけの話だろうか

▽ 前記した魔女狩り裁判を起こす社会、中世の社会では、告発者によって非常に簡単に人々の命や生活が奪われた。今から考えれば不思議だろうが、ある人が別の人を魔女だと告発すれば、告発された人は魔女として捕まえられ、拷問に会い、そして火あぶりにされた。このようなことは現在の社会から考えられないと思われるだろう。

▽ しかし、死者行方不明者が14万2800名、負傷者が10万3800名弱の大災害であった1923年9月1日に起こった関東大震災では、「在日朝鮮人が暴徒化し」「井戸に毒を入れて、放火し回っている」というデマや噂が立って、6415名の人々が(当時の司法省は233名と発表したが)殺害されたと言われている。

▽ 今から、90年前の近代国家日本でも、14世紀ヨーロッパ社会と同じような事件が起こったのである。そのことは、魔女狩り裁判は中世社会の古い話であって、現代社会では起こりようもない事件であるということが出来ない事実を突きつけている。



デマや噂を信じる精神構造とは

▽ このようなデマや噂が一人歩きする社会の風潮はどうして生まれたのかということを考えなければならないことが、ここで問題にすべきことである。

▽ 何故人々はうわさやデマを信じるのだろうか。何故、人々は自分の思い込みを点検することが出来ないのだろうか。この疑問に答えなければならない。

▽ なぜ人は、うわさを信じ、デマに踊らされるのだろうか。そしてこうした精神行動は日常的に行われているのではないか。

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2010年4月15日木曜日

人間と倫理1 「性善説と性悪説から推察できるモラルのあり方」

三石博行

3、性善説と性悪説から推察できるモラルのあり方を考える

性善説
▽ 性善説からすれば、人は本来、善き存在で、悪(悪い癖)は社会生活の中で受け入れてきたものである。そのため、社会の悪癖(悪い行い)に染まらないように努力する必要がある。もし、悪い友人や集団と交わることで、悪癖を受入、悪に染まってしまったら、その悪友や集団から離れ、自分の良心を取り戻す生活をすればよい。そのことによって、倫理的な生き方を取り戻し、維持することが出来る。

▽ 我々の社会は欲望によって動いている。悪が社会の中で生み出される必然性がそこにある。その社会の中で、自分を善き存在(人)であるように努めるには、出来るだけ悪い集団や習慣に近づかないように努めなければならない。しかし、もし悪い習慣を身につけたなら、その悪い社会環境から離れ、自分ひとりになって、自分に向き合い、自分と会話することで、人本来の姿を取り戻すことが出来る。人は本来善き存在である以上、自分と確り向き合えば、倫理的生き方が維持されるのである。

▽ つまり、人は社会的な影響を受けることで、悪を受け入れてしまう。そのため、そうした社会から出来るだけ離れ、自然の中に身を置き、社会の影響を受けないことで、倫理性は自ずと生まれることになる。

▽ 人間の内面にあるモラルの力を信じ、その内面的な力を引き出すために、出来るだけ一人になり、確りと自分に向き合う時間を持つこと、そうすることで人間は誰でも間違いを見つけ出し、正しい道に戻ることが出来る。


性悪説
▽ 性悪説からすれば、人は本来利己的存在であるため、悪は人間が生まれつきもっている、人間本来の姿であるという考え方である。

▽ 性悪説は人間が本来悪い存在であると述べているのではない。人は、本来、生きるために悪と評価される行為をしなければならないように出来ていると述べているのである。例えば、もし、自分の欲望を満たそうとする力がなければ、人は生きてゆけないだろう。そして、何がなんでも自分の生命や生活を守ることが出来なければ、死んでしまうかもしれないし、大切な人を見殺しにしてしまうかもしれない。

▽ 生きるために行う行為、それは悪と言われようと、善と言われようと、食べるために、命をつなぐために、選ぶ行為がある。

▽ 終戦直後、日本では闇市が禁止されていた。闇市で食料を買わないと生きていけなかった。親は子供に食べさせるために闇市で食料を買いあさった。それは社会的に悪とされている行為である。ある人が、その社会の決まりを守ること、社会が認めない行動をしないことを良心に誓い、闇市で食料を買いあさることをしなかった。その人は餓死したとの事である。

▽ しかし、闇市で商売する人々の弱みにつけこんで、人々から「寺銭」(闇市をするためのお金)を集める人々が生まれる。生きるために闇市をする人々は、社会が認めていない商売をするので、不当なお金を取られることを警察に相談することは出来ない。そこで寺銭を集める人々は、闇市の商売人たちを脅し、半ば強制的にお金を取り上げることができる。

▽ このようにしてヤクザやマフィアは収益を得て、大きく組織を拡大することが出来た。社会の悪は、人が生きるために行う行為によって、さらに拡大し続ける。

▽ 生活物資が不足し、食料が無いときに、人は誰でも自分が生きるために、家族を守るために、それが社会で禁止されていても、それが悪いことだと知っていても、闇市で商売し、闇市で食料を買うのである。貧しい限り、生きるための生活物資が不足している限り、警察が闇市を徹底的に取り締まったにしろ、社会から闇市をなくすることは出来ないのである。

▽ アメリカの禁酒令とマフィアの関係はもう一つの典型的な例である。

▽ 人々が個人の欲望を満たすために争い、殺しあうなら、社会は混乱することになる。食料が欲しければ、スーパーで盗む。カラオケで遊びたかったら、人の金を巻き上げる。こうした行動が日常化している社会がある。この社会では人の命が簡単に奪われる。欲望を満たすために、何をしてもいいわけではない。

▽ そこで、社会の秩序を保つために、社会の平和を維持するために、人々の生活を破壊されないために、人々は決まり(法律)を作った。その決まりを守らすために、警察をつくり、刑務所をつくった。決まりを守らない人は、自分達の社会から排除する制度を作ったのである。

▽ 社会の秩序が維持されるには、個人の欲望を抑制する社会的機能が必要となる。個人の道徳や倫理的規範を支える社会的な制度、法律、警察、裁判所、刑務所、場合によっては死刑台が必要となる。

▽ つまり、「人のものを盗んではいけない」という道徳規範があり、それが有効に働いていなければならない。人のものを盗む行為を取り締まり、裁き、刑罰を与える制度があり、その制度が機能していなければならない。悪を取り締まる厳しい制度や罰則があって、はじめて犯罪の発生を抑えることが出来る。

▽ 人々は、その罰則を受けないために、ひとのものを盗む行為等の犯罪を行わないように、自分の中で自然に生まれる欲望、例えば「人が持っているいいものが欲しい」という欲望を押さえ込むことが出来る。つまり、人がもっているものが欲しいのだけど、それを勝手に取り上げたり、盗んだりしたら、自分はもっと損をすることになると知っている。欲しいものを直接手に入れることの利益から、それをやった後に受ける懲罰の不利益を引くなら、結果的に損をすることを知っているために、人はものを盗まないのである。

▽ 人間が本来利己的であり、自分の欲望を満たそうとする限り、倫理や道徳で述べられたことが自然にできる分けではない。むしろ、個人のモラルを維持し、社会的倫理規範を維持するためには、法的な強制力をもった抑止力が必要である。

▽ 言い換えると、個人のモラルを助けるために、社会は個人が自分の欲望を抑えるために必要な社会的強制力を他方で用意しなければならない。それが人を罰するために刑法があるというのでなく、人が自分の欲望で自滅しないように、犯罪行為を起こさないように、その抑止力として、刑法や刑罰があると考えることも出来る。

▽ 人のモラルや理性はあまりにも弱い。利己的な人間本来の性格や少しでも良く見せたい、楽をしたい、いいものを手に入れたいという欲望によって、理性やモラルは、簡単に、いつでも破棄されてしまう。ついつい、いつのまにか間違いを犯す。それが人の姿である。その間違いが致命的なことにならなければ何とか生きていける。そして、致命的なことにないように、社会に助けてもらわなくてはならない。それが警察であり、刑務所である。

▽ 懲罰を行う社会制度は、人の引き起こす重大な間違いを事前に抑制するために、もしそれが生じたなら厳しく取り締まるために、性悪説を前提にして設定されているのである。





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人間と倫理1 「性善説と性悪説」

2、性善説と性悪説

▽ 古代中国の二人の賢人、孟子(もうし)と荀子(じゅんし)は孔子の弟子であったが、人間に関する考え方は真っ向から異なった。孟子は、人間は生まれながらにして善であるという思想であるである性善説を唱え、一方、荀子は孟子の性善説を批判した。

▽ 孟子は、「人の性の善なるは、猶(なお)水の下(ひく)きに就くがごとし」(告子章句上)と述べ、人の性は善であり、どのような聖人も小人もその性は一様であると主張した。また性が善でありながら人が時として不善を行うことについては、この善なる性が外物によって失われてしまうからだとした。そのため孟子は、「大人(たいじん、大徳の人の意)とは、其の赤子の心を失わざる者なり」(離婁章句下)、「学問の道は他無し、其の放心(放失してしまった心)を求むるのみ」(告子章句上)とも述べている。」 「ウィキペディア(Wikipedia)」

▽ 一方、荀子は性悪説の立場から、孟子の性善説を批判した。「人間の性を悪と認め、後天的努力(すなわち学問を修めること)によって善へと向かうべき」だと荀子は主張した。ウィキペディア(Wikipedia)

▽ つまり、荀子は、人間の「性」(本性)は「限度のない欲望」だという前提から、「悪」を「乱」とした。何故なら人々は各自、自分の個人的な欲望を無限に満すために、最終的には奪い合い・殺し合いの騒乱を引き起し、社会は「乱」(=「悪」)に陥ることになる。

▽ 荀子は、そのような欲望を無限に満たそうとするのでなく、それを抑え騒乱を引き起こす行為を治めることを「善」と考えた。つまり、各人の欲望を外的な規範(=「礼」)で規制することによってのみ「治」(=「善」)が実現されるとして、礼を学ぶことの重要性を説いた。

▽ 荀子は、まず人間の性を悪と認めることで、本来人に具わっている悪を自覚し、それを戒める努力が必要であると考えた。従って、人は後天的努力、例えば学問修行、スポーツやボランティア等などによって悪(人の迷惑を顧みず自分のためにだけ行動しても満たしたい自分の欲望)を抑制することが出来る。そして、自分の行動や生活スタイルを他者との共存と対立しない考え方や生き方を工夫し、社会規範を守る行動を心がけ、人々のために働く努力をすることで、人は善へと向かことが出来ると荀子は考えたのである。


参考文献
1、 松尾善弘「性善説と性悪説」鹿児島大学教育学部研究紀要.人文・社会科学編 第47巻(1996) pp11-26



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人間と倫理1 「倫理、道徳と規範の意味」

1、 倫理、道徳、規範の意味

▽ 広辞苑によると倫理は「人倫(じんりん)のみち、実際道徳の規範となる原理、道徳」と書いてある。人倫とは孟子のことばで、人と人との秩序関係、例えば親子、夫婦、上司と部下などの社会で成立している人間関係の秩序を意味する。それが転じて、人として守るべき道や行為と解釈されている。その他にも、人倫は人間や人類という意味にも使われている。

▽ この広辞苑の説明では、倫理と道徳や規範ということばが重なりあう。

▽ 例えば、道徳とは「人のふみ行うべき道」、社会の構成員がその社会にたいする行為の、あるいは構成員相互間の行為の、「善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体」、しかし「法律のような外面的強制力を伴うのでなく」、あくまでも「個人の内面的な原理」を意味すると広辞苑では説明されている。

▽ また、規範については、(人の道や社会に)「のっとるべき規則、判断・評価または行為などの拠るべき基準」と広辞苑では説明されている。

▽ 倫理、道徳と規範の意味をまとめると、人の道としての倫理と道徳は非常に近い。つまり、倫理は人と人との秩序関係である人倫のみちと説明されている。そして、道徳は社会的に成立している善悪の判断に関する内面的な原理や基準と説明されている。その意味で、倫理も道徳も同義語(同じ意味のことば)である。

▽ 規範は、判断評価や行為の基準であるから、道徳的規範や倫理的規範という概念が使われている。道徳や倫理的規範は、成文化されていない、つまり法律の条文に記されていないが、社会の構成員全員が守るべき行動の指針を意味する。従って、道徳的規範や倫理的規範は法的規範とは異なる。あくまでも主体の内面的なこころの課題としての規範であり、社会的に強制された義務を負っていない。私達が、仮に道徳的規範や倫理的規範を守らないとしても、だからと言って、社会から法律によって(司法的の手続きをもって)罰されることはない。ただ、社会から批判され、人々から嫌われるかもしれない。

▽ 倫理や道徳の用語のかすかな違いを述べると、まず文献によって、倫理と道徳の微妙な解釈が異なる。ある文献では、倫理は個人としての人の道であり、個人の内面的な課題を重視している。それに比べて道徳は時代性や社会文化性によって多様な形態があり、その意味で、社会的に関連した行為者の個人的義務を意味すると述べている。別の文献では、上記した逆が述べられている。

▽ ここでは、倫理も道徳も、社会的な規範ではなく、つまり法的な強制力をもって個人への義務ではなく、個人が内的に(こころの問題として)自分の行う行為や生活スタイルについて、それらが「人のふみ行うべき道」や「人倫の道」であるのか、そうではないのかを自分の問題として捉える(考える)行為であると理解できる。



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2010年4月9日金曜日

忠臣蔵神話の終わり

可哀想な赤穂浪士と愚かな浅野内匠頭



元禄赤穂事件とは、1703年1月30日(元禄16年12月14日から15日) に元禄太平の世を驚かした仇討ちである。

この事件は、1701年4月21日(元禄14年3月14日)に江戸城の松之大廊下で赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が高家旗本吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)に対して遺恨ありとして切りつけ負傷を負わせた事件であるから始まる。この事件によって、浅野内匠頭は切腹、筆頭家老大石内蔵助は、浅野家再興の望みを掛けて赤穂城を開け渡した。

「事件後はさまざまな劇化が試みられ、討入りから45年後の寛延元年8月(1748年8月)人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が初演され、同年12月(1749年1月)には歌舞伎として上演された。同作は多くの観客を呼び、事件を元にした作品群の代表的存在となっている。」( フリー百科事典『ウィキペディア( Wikipedia )』 )

江戸時代から現代まで、「忠臣蔵」は大衆娯楽番組として、歌舞伎、映画、テレビドラマと何遍となく演じられてきた。




この事件を現代風に解釈すると、以下のようになる。

つまり、常々嫌がらせを受けていた赤穂会社の浅野社長が、霞ヶ関旗本庁に勤務している吉良上野介事務次官を、国会議事堂の中で襲った。浅野社長はピストルを抜いて一発撃った。弾は吉良事務次官の額をかすめて、軽症で終わった。この事件で、浅野長矩は即逮捕された。

あまりにも衝撃的な事件で、赤穂会社は大騒動となり、経営不振に陥り、倒産した。しかも、浅野長矩は殺人容疑で刑事告訴された。また、吉良事務次官はうその診断書を書いて、重傷を装った。そのため、浅野長矩は殺人容疑事件での刑は重く無期懲役になる。

重役の大石内匠頭は、会社倒産処理、社員の再就職問題などの業務に明け暮れる。それらの業務処理を終えた後で、元社員と共に、不当に罰せられた愛すべき社長、浅野長矩の仇打ちを考えた。

大石らは、裁判の判決から3年後に、吉良事務次官の目白にある自宅を夜襲撃して、彼に重症を負わした。その襲撃のあと、大石ら数人は最寄の警察署に自首した。

大体、現代風に赤穂浪士の結末を語れば、こんな話ではないのか。

この現代風に解釈した話からは、大石は単なるテロリストになる。また浅野は、私憤のために会社を潰し、社員とその家族を路頭に迷わした馬鹿な社長となる。




何故、浅はかな馬鹿社長の破壊的行為から始まる話が、江戸時代から現代まで、日本の大衆市民のお茶の間に毎年登場し続け、また、全国に至る所に赤穂浪士に纏わる(まつわる)イベントが毎年繰り返し行われるのだろうか。

まともに考えれば、浅野長矩の一会社を預かる社長としてはあまりにも無責任な行為が批判されず、むしろ美化され、可哀想な社長になり、その仇を討つ元社員の行為(テロ行為)が美化されることになるのであるから、狂っているとしか言いようのないのである。しかも、それを美化する社会の神経を疑いたくなるだろう。

これが、江戸時代のお話で、現代社会とはまったく関係のない、御伽噺(おとぎ)話のような世界である。実際、仇討ちも、演じられた歌舞伎舞台の上での話しであり、また、映画の場面である。元禄時代の忠臣蔵は、まったく現実社会では起こりようもないという前提をもって登場している。

その意味で、この話は、赤穂事件の真相、現代風に言うと刑事事件ではなく、単に「主君への忠義」の話として、つまり「忠臣蔵」として語られることに意味があるのだ。

日本では、「主君への忠義」の話し、「忠臣蔵」が江戸時代から昭和の終わりまで、殆ど毎年、どこかで演じられている。このことが、むしろ大学の社会学や文化人類学研究者にとって、実に興味深い社会文化現象であったと言えるだろう。




終身雇用制が壊れ、社長が社員の生活を最後まで見なければならないし、また社員は生涯一つの会社に勤務しなければならない時代が終わった時、赤穂浪士の「忠臣蔵」は昔のよき時代の会社の姿、つまり社員が一つの会社へ忠誠精神をもって奉仕していた時代の社会のあり方として語られるだろう。

終身雇用制が壊れた社会では、忠臣蔵はもう上映されない。もし、上映されれば、きっと観客は「馬鹿な社長のために可哀想な社員の話し」かと、上映された劇や映画の感想を語るのではないか。

映画館の中では、仇討ちをとって意気揚々と吉良邸から帰る赤穂浪士に、白けた雰囲気と皮肉な視線が向けられるだろう。映画が終わったら、テロリスト化した浪士たちへの同情の念がわくかもしれない。


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プライド



その年の冬にインドのカルカッタ(現在のコルカタ)に私は着いた。

マザーテレサも 彼女がその年(1979年)にノーベル平和賞を受賞したことも、まったく知らないままで、外人の集まるサマーストリートのホテルで知り合ったオーストリアの青年に誘われ、「死を待つ人々の家」を訪問した。
だった。
一日目のボランティアは、その施設に運び込まれた人々に食事を与えることだった。

その日、十代(多分高校生ぐらいの少女)とそのお母さんがボランティアに来ていた。サリーの良く似合う美しい少女と気品を感じさせる中年の女性、二人は寝たきりの人々の食事を手伝っていた。

一人の老人の前で少女が困惑した様子をしている。その老人は、二人の女性を睨み付けている。彼女がスプーンに注いだ食べ物を頑なに口を閉じて拒絶している。少女は、困惑した顔から悲しそうな表情へと移っていく。

私は、その二人の横に行った。そして、少女の指からスプーンをそっと取って、それを老人の口元に持っていった。

彼は私に微笑みかけながら口を開いた。




「死を待つ人々の家」でのボランティア作業の最中、明らかに病気で苦しんでいる人々を前にして、私は「何か薬はないですか」と近くにいたシスターに聞く。すると、彼女から「私達は、ここに運ばれてくる人々の病気を治そうと思って、この活動をしているのではありません」という答えが返ってきた。

「何故」と聞こうと思った瞬間、「ここに運ばれてくる人々は、生まれてから一回も、人々に大切にされた経験を持っていないのです。自分が生まれてきてよかったと思うことも、生を得たことに感謝することなく、悲惨な人生を送ってきたのです。これらの人々にせめて一回だけでもいいから、他人から親切を施してもらった経験をしてもらいたいのです。死ぬ前に、一回でも、生きているとこんなこと(他人が自分に何を期待することもなく親切にしてくれること)もあるのだという経験をしてもらいたいのです。」と彼女は答えた。

この答えは私にはショックだった。そんな人々が、今、自分の目の前にいる。今まで、これほどにも悲惨な生き方をしてきて、人としての基本的な尊厳の一かけらも受けたことのない人々が、今、私の目の前にいる。
本や映画では奴隷や女工哀史の少女たちを読んだりみたりしてきた。しかし、自分の目の前にいる人々は、明らかに人間でありながら人間としての扱いを受けていなかったのだ。そう思った時、今までの、自分の社会思想が問われ、解体して行くようだった。




コルカッタの町を歩く。当時、コルカッタ市は地下鉄の工事をしていた。市の大通りは深く掘られ、地下の土を多くの労働者が頭の上にのせて、竹や木で造った階段を上がり、トラックに積み込んでいた。その労働者の殆どが不可触(賎)民と呼ばれる人々だった。友人のジャーナリストは、「彼らには、給与は支給されず、その日の食事が与えられるだけで、まるで奴隷と同じだ」と言っていた。

ある日、年取った老人、明らかに不可蝕民が路上電車の線路を渡ろうとしていた。彼は、近づいてくる電車を機敏に避けることが出来なかった。
勿論、電車は人が線路上に居るからといって、事故を避けるために、速度を落とすことはない。そして、老人は電車にはねられた。
電車は止まった。それは線路に倒れた障害物(怪我をした老人)を取り除くためであった。車掌が出てきて、その足を痛めた老人を、ぽいと線路の横に投げ捨てて、電車に乗り込み、そのまま電車は立ち去った。

こうした光景は、コルカタの日常風景だとのことだ。それを観ていた我々は、ショックを隠しきれない。この社会では、不可蝕民は人間としては扱われていないのだという現実を見せ付けられたのだった。




優しく食事を口に運ぶ少女、ボランティアに来た少女、美しいサリーを着た少女、その少女への老人の怒った目つき。
この現象を理解するためには、難解な方程式を解かなければならない。

難解な方程式の解として、コルカッタを歩かなければならない。
不可蝕民の生活に触れなければならない。
地下鉄工事の現場を見なければならない。
路線電車にはねられた老人のその後の経過を知らなければならない。

あの目の奥には、優しく差し出された少女の手や指へ、激しく唸る怨念の嵐が渦巻いている。
あの目の奥には、美しいサリーに象徴された冷酷な人々の行為への憎しみや怒りが焼き付けられている。

そして、悲しそうにした少女もそれを知っていたのだ。
そして、自分の力を超えた世界に対して、救いを求めようとしていたのだ。




インドには古代社会から続くカースト制度に属さない人々が居る。代表的な人々が不可蝕民である。これらの人々の多くはイスラム教化している。
他方、長いイギリスの植民地時代の中で、イギリス人とインド人の間に生まれた子供達、アングロインディアンと呼ばれる人々の多くはキリスト教化している。

キリスト教化した人々の中には、インド南部からくる人々、ポルトガル植民地政策に影響されている人々、カースト制度から抜けた知識人もいる。
あの少女と母親は、多分、キリスト教徒ではなかったか。

その不可蝕民に親切さを与えるべきと思うキリスト教徒もカースト制度からはみ出しイスラム化した不可蝕民も、1947年に独立し、約33年目を迎えた、1980年の若いインドの現実に苦しみ、洪水のように押し寄せてくる問題解決の問いかけに闘っていのだ。

その人々のこころを支える力、それはプライドであった。インド人としての、人間としての、プライドであった。

老人は差別者の服装をした人間を、たとえ死んでも、許さなかった。
少女は、キリストの前で、カースト制度と植民地化によって作り出された歴史の産物である貧困と迫害への罪を、自ら引き受けようとしていた。

コルカタは今日も轟音を発しながら動いている。
生きるために、自らであり続けるために、コルカタの人々は、
歩き、働き、話し、寝るのだ。

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大津の雪桜(自然の造花)

今年の3月末の突然襲った季節はずれの寒波。
大津の山にも雪が降った。
突然の大雪で若葉をつけた木々の枝が雪化粧をした。
満開の桜の花を小枝にプレゼントされた木々に朝日があたる。
白い雪の桜の花びらで化粧された春の樹木の造形。
雪に覆われ若葉は、冬を惜しむ青い空からの贈り物に微笑む。