民主主義と報道機能(4)
三石博行
ジャーナリズムの社会機能について分析する社会学的な立場から言えば、報道の社会的機能が問題となっており、それらの報道に社会的公正さが存在するのかということは問題にされないだろう。民間報道機関であればその経営体の意思が反映され、公共報道機関であればその所有者である国家の意思が反映されるだろう。
報道機能の運営母体の利益と報道機能が発信する(生産する)情報とは直接的な関係がないにしろ、究極的にはそれらの相関関係を打ち消すことは不可能であると結論付けられるだろう。その視点にたって、公共放送の在り方を考えることで、より正しい公共放送の改革が提案できるのではないだろうか。
公共放送が国家の利益を代表する社会的機能であることの理解が必要である。その意味で、戦中の公共放送(日本放送協会)が行った戦争協力は、公共放送の宿命であると言える。その政治体制がファシズムであろうと民主主義であろうろ、公共放送が国家の利益に反する報道をすることは考えられない。その宿命を理解するなら、国民主権国家での公共放送が国民主権(国家の理念)を前提にして運営されることも理解できるだろう。
つまり、戦中の日本、それ以外の米国にしても戦争協力者としての役割を果たした公共放送に、その戦争責任を問い掛けることは、責任の本当の所在を誤らせる結果となる。つまり、戦争犯罪行為を指令した上官の責任を問うことなく、命令に従った兵士を戦犯として裁くことに等しい行為であると理解すべきである。
最近の例ではアラブの春と呼ばれた北アフリカの市民革命運動の中で、市民は国家権力のプロパガンダの役を果たしてきた国営放送を批判した。比較的民主化されているエジプトでも、公営放送は国民に事実を何も伝えてこなかった。長い、支配の中で、国民は公共放送に絶望し何も期待していなかった。その公共放送に取って替わったのが社会メディアであった。市民から送られる情報が大きな市民の運動を作った。もし、北アフリカの国々でも民主的政権が確立し、国民主権の憲法、国家の理念が形成されるなら、これらの国々での公共放送は変わるだろう。
過去の公共放送が果たした役割を歴史的に伝えることは、そして国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命を国民に理解されることは、今後、日本の公共放送が健全な形で存続するために必要な作業であると言える。
参考資料
ブログ文書集「民主主義と報道機能のありかたへの提言」
1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革
1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html
1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html
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ブログ文書集
1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html
2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html
3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html
4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html
6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html
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