2013年11月25日月曜日

参画型社会文化の成長 グループデスカッション方式の会議方式


フェイスブックに記載した文章
 
三石博行
 
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参画型の研究会活動、グループデスカッション方式の研究会

 

 
 
先日、11月16日と17日に大阪府吹田市にある千里金蘭大学で「第四回政治社会学会」を行いました。この学会は現代科学技術文明社会での政策提案や実現を課題にした政治社会学を目指しています。創立以来、文理融合の学際的視点に立った人間社会学の再生やその視点からの社会デザイン提案(総合的国際、社会、経済、文化政策提案)を課題にしてきたのだと思います。
 

 今回の研究大会で、グループデイスカッション(GD)方式を導入しました。テーマを選び、そのテーマに即した3つの研究発表が行われ、会場には、約5名を単位にするグループ分けが行われ、研究大会参加者はその一つに入り、その中でくじ引きをしてグループリーダを選び(場合によっては大学院の学生がリーダーとなります)、約1時間ぐらい議論をし、各グループリーダがそれぞれのGD内容を簡潔に報告します。
 

 勿論、分科会のテーマに関する結論を求めて、GDを行っているのはなのです。GDはコミュニケーションを一つの問題解決の方法として導入し、その過程の中で、多様な意見の理解、それらの違いを前提にした問題分析、問題解決への糸口を模索するための、練習場のようなものなのです。
このGD方式を、すべての政策決定過程に導入することが、このGD方式を政策決定過程の技能としてスキルアップすることが、政治社会学会会員の課題であると理解するために行っているように思えます。
 

 多分、このGD方式は、教育にも、また町内会の話し合いにも、もしかすると教授会や意思決定を行うための会議にも、活用できるのではないかと思います。
 

問題解決を行う能力の一つとして、コミュニケーション能力があります。PBL(問題解決型学習法)では学習参加者がそれぞれグループメンバー間で調査研究分野の役割分担、作業分担、リーダー役を決めますが、その作業自体が『問題解決」の一つの重要な過程として理解されているのです。テーブルを囲む前に、発表の前に、調査の前に、チーム作りを行うこと、お互いの意思を尊重すること、責任と義務を分担し合うこと、等々が学習の課題となってPBL教育は可能になります。
市民参加の政策提案活動を考える場合に、このGD方式やPBL方式は、大切な問題を提案しているように思えます。
 

 



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市民参画型の社会インフラとしての第四次産業の発展

フェイスブックに記載した文章
 
三石博行

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知的産業(第四次産業)の発展と市民社会での高度な専門集団の形成

 
現代社会の特徴の一つとして第四次産業の発展を挙げることができます。第四次産業とは、研究開発を前提にして成立している産業です。これらの産業はこれまでの一次、二次と三次産業と別にあるのでなく、それらの三つの産業とリンクし、それらの産業の在り方を変える、つまり研究開発部門を抜くにして存続できない産業構造にしている。つまり、第四次産業の形成とは、科学技術文明社会の形成を意味します。
 

この社会(科学技術文明社会)の特徴の一つに細分化した(分業化した)専門家(専門的知識や技能を持つ市民)が豊かに形成していくことです。また、現代の科学技術という意味は、決して自然科学中心でなく、すべての分野、人間社会科学を含みます。ですから、法学、社会学、経営学、経済学、文化人類学、心理学、教育学、生活学、美学、情報文化、国際文化、等々、その領域はこれまでの学問分野の分類範囲をはるかに超え、学際化し、また融合化し、さまざまな新分野を提案し、巷に、多様な専門家が生まれ、成熟した知識社会を形成して行きます。
 

この社会(成熟した知識社会)を支える資源、それは高度な教育を受けた、また受け続けることのできる人的資源です。その資源を生みだす豊かな教育産業(制度)、文化産業、公共社会資源(社会公共施設、図書館やミュージアム等)、家族環境(家族資源)、地域社会資源(地域社会の文化施設や町内会施設)等々です。
 

 成熟した資本主義社会(先進国)では、この成熟した知識社会が形成されています。これを別の見方で、成熟した民主主義社会と呼ぶこともできます。この成熟した民主主義社会でこそ、市民は政策提案を行う社会環境を持つことが可能なのです。
 

つまり、その可能性は、インターネット、図書館、寄り合い場という物理的環境のみでなく、議論のルール、他の専門性への理解、強大な専門的知識と技術によって営まれている社会への俯瞰的な了解等々の社会認識を成熟した民主主義社会の市民は持つからだと思います。その意味で、この「市民参加の政策提案活動」を考え、イメージしたいと思います。

 



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今、日本では市民参画型社会の形成が必要とされている

フェイスブックに記載した文章

三石博行

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「特定秘密保護法案」を許す社会文化の構造 社会的無責任を許す社会文化



「特定秘密保護法案」が国会で成立しようとしている。多分、選挙の前に、自民党が選挙公約としてこの「特定秘密保護法案」を提案しているなら、国民の多くが反対を表明できたかもしれない。つまり、自民党を選ばなかったことになる。

 戦後間もない60年代では、選挙で政党が具体的な選挙公約をすることはなかった。一般的に「所得倍増」のような政治スローガンで国民は政党を選んでいた。しかし、民主主義社会が成熟すると国民は選挙公約を厳密に求めることになる。この選挙公約を基にして選挙をやったのが民主党であり、同時に壊したのも民主党であった。

マニフェストという表現が白々しい雰囲気に満ちた中で前回の選挙は行われ、自民党が多数を占めた。その結果が「原発推進」と「特定秘密保護法案」に代表される民主主義社会の成熟と逆行する政治となっている。明らかに日本の民主主義指数は1960年代まで後退した。国民は「所得倍増」と同じように「景気回復」のスローガンで満足しているのだから「特定秘密保護法案」には文句はないと安倍政権は言っている。

こうした責任は無責任な代理人選挙制度を許し続けてきた我々国民にある。我々がこの民主主義の後退をさらに許してしまうなら、この国の未来の人々に、また暗い戦前社会、命と生活を「悪政津波」で失う社会が来ることは確かだ。そのために何をなすべきか、真剣に考えなければならない。


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市民参画型社会形成に必要なインフラとしての人間性と社会思想



市民の力で政策提案をする活動が必要だ。以前、「政策空間」というサイトがあった。今は機能していない。なんとかそれと同じようなサイトが必要だ。今、ある市民の力で政策を調査する「市民がつくる政策調査会」があるようだ。


市民参加の政策運動を始める必要がある。その場合、我々のインフラは携帯端末であり、インターネットである。多くの人々が参加し、日本社会の政治政策を提案できる。参加資格はなんとか世の中を良くしたいという熱意のみである。


市民参加の政策提案活動を始めるまえに、その活動の在り方について共通認識を持つ必要はないだろうか。つまり、この活動を国民運動として展開するための視点が必要になる。


市民参加の政策運動を形成するためには、そしてお任せ民主主義から脱却するためには、何が問われるのかということから始めたいと思うのです。何のための、誰のための政策なのかという真剣な問いかけに、私たちがもつ、狭量な視野、反対意見の排除の思想、多様性アレルギー、等々の私の精神構造とそれを形成した文化に関して、真剣に見つめることから始めようと思う。


話し合いを公開し、その運動の可能性を模索してみる必要がある。多分、専門的な議論の前に、極めて大きな視点が必要で、それは政策提案以前の市民参加の政治活動の思想に関する話し合いになると思うのです。お任せ民主主義を乗り越えるためには自分がどう変わるべきなのかがきっとう公開で話し合われるのかのしれません。


すぐに政策を提案するのでなく、どうすれば政策提案が国民運動となるかという課題を、まず考えようと思う。市民参画型の社会を創るための最も大切なインフラは多様性を認め連帯の和を広げ、問題解決に果敢に挑む、人間性と考え方(思想)ではないだろうか。

私は、市民参加の政策活動の第一歩として、成熟した社会人たちの集まりのマナーについて提案したいと思う。





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官僚指導型国家から市民参画型国家への変革は可能か

フェッスブックに記載した文書

三石博行

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  保守の基本構造 官僚による国家運営とその支配構造



自民党政権になって国民の中にある「保守性」が顕在化しようとしている。この保守性は、官僚支配の構造を打破しようとして勢力、小沢さん、民主党の一部の力量不足への国民的評価によって支えられているように観える。現在の日本、近代国家として成立した経過から考えても、その基本構造(保守性の骨格)を維持しているのが官僚制度である。この構造を合理的に変革することがこれからの日本の政治課題となる。国家公務員法の改革はその一つである。官僚が官僚の人事権を掌握している現在の制度を変える力量は自民党にしろ民主党にしろない。この体制を変革するのは、丁度、江戸時代の幕藩体制の崩壊、幕末に相当する大改革だと思う。多分、その時、中国や韓国を入れた東アジアの台頭という黒舟が来るだろう。もうちらほら来ているのだが。


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エネルギー資源の持続可能な社会の経済社会構造が必要とする社会思想



問われている多くの課題、例えば、エネルギー問題、人口問題、労働問題、教育問題、地方社会の過疎化、農業食糧問題、少子化問題等々。これらの全ての問題は「民主主義社会文化の発展」という社会思想の貧困から生じている。社会運営で最も大切なものは人的資源である。社会文化や生活運営のスキルを高めることで経済や社会は発展する。人的資源育成や保存を疎かにする社会は必ずは疲弊していくだろう。


その一歩が市民参画型の社会である。代理主義から抜け出すには市民が社会運営に責任を持つ必要が生まれる。その意味で次の社会運営には市民一人ひとりの力量が問われる。企業から地域社会の運営まで市民参画型の運営方法を見つけ出して行かなければならない。その小さな一歩を創り出すことが問われている。まず、小さくてもいい社会参画型の市民活動の交流を始めよではないか。



例えば、公共放送から市民放送、巨大発電所から地域小規模発電所、巨大流通システムから地産地消型流通、教育活動への市民参加、点数採点主義から記述論文評価方式、長時間労働からワークシェアリング、地域全体の子育て支援と高齢者支援、教育機関の合理化と効率化、多種多様なベンチャー育成、NPOや市民活動の支援と地域活性化、地域医療体制と脱病院資本主義化等々。巨大化し分業化した社会での政治的課題は無限に近い。それだけにその分野の専門家(市民)がいる。その力を活用することが、この社会をより効率化・経済化する道であ。



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官僚主義の弱点  俯瞰性と地域性の統合



官僚主義を超える力、それは現場主義であり、また俯瞰的視点である。現場主義は現実の生活、生産、社会運営の場で働く人々が持っている。俯瞰的視点は大学や研究機関で働く研究者と生活人がもっている。それらの力、つまり、高度な教育と社会文化をもつ日本の国民の力を集めれば、その力(人的資源)を活用すれば、現在の問題の解決は可能だろう。しかし、問題はそのために必要なインフラである。そのインフラは人脈やコネで動く官僚機能と全く反対の、オープンな情報公開を前提にして動く、このインターネットではないだろうか。そのことはすでにエジプトでもソーシャルメディアの力によって証明されている。我々の必要なインフラは建物でもかければ組織でもない。誰もが手にしている携帯端末かもしれない。


官僚主義を超える。それは官僚を敵に回すことではない。彼らは最も有能な専門家であることは揺らぎない事実である。彼らに問いかけること。誰のための行政であり、誰のための公務なのかと。そして彼らと共にこの国を少しでもよくしていく方法を提案できること。多くの官僚の人々がそれに共感すると思う。今、彼らの中にこれまでと同じ原発行政を進めることに同意している人は少なくなっていると思う。国の全ての力を集めてこそ、この国は変われる。事実、明治維新を指導したのは何も薩長土肥の志士だけではない。有能な幕臣達もその功労者であったことを忘れてはならない。


150年前以上前、日本には小さな国があった。そして戊申戦争や西南戦争もあった。100年前から70年弱前まで、日清、日露、日韓併合(朝鮮植民地化)、日中戦争と東アジアでは国々が争った。これからの日本を考えるとき、東アジアの国々と共同して国づくりを行うことが前提になる。それは何もアメリカと縁を切ることではない。ロシアと仲良くすることがアメリカと距離を置くことだという外交官はもう一人も外務省にはいないだろう。同じように中国と仲良くすればアメリカと距離を置くことになると考える経済人も一人もいないだろう。


世界の中で日本を見つめることが日本の中で地域社会の発展を考えることと矛盾することはない。地域社会の発展こそが国際地域社会での生き残りの政策である。それは東京駅でよく売られる地方色豊かな駅弁を見れば分かることだと思うのだが。




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小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと

フェイスブックに記載した文章

三石博行
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小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと



自民党をぶっ潰すと言って、自民党を選挙で勝利させて小泉元総理、その政治家としての感性は天才と言うべきだろう。彼が今原発ゼロを言うのは、その天才的な政治感覚によるものだと思う。今、日本国民の世論を問い掛けるまでもなく、未来の日本の在り方を考えるなら、誰でも小泉氏の考えに賛同すると思う。この問題に右も左もない。自民党も共産党もない、日本人も中国人もない。これは人類の未来、地球の未来の問題だ。


脱原発を主張しながら、もし小泉氏を批判したかったら、小泉氏以上の政治力を持つべきだろう。問題は未来への我々の責任問題のみだ。未来から見れば、自民党支持者もその反対者も同じ2013年に生きていた人間に過ぎない。今我々が、100年前の日本を見ているように。その視点から、現在の小さな政治的見解の違いを超えることはできないか。もし、彼に騙されたとしても、その大半責任は私の力量にある。それよりも、今、息を吹き返そうとしている原子力村(原子力官僚と原子力独占企業たち)への対策を考えることだ。


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本当に国民は再稼働を認めているのだろうか



日本国中どこへ行っても、「核燃料廃棄物を埋めていいですよ」という町はない。それほど日本国民は核燃料が危ないこと、また我が国の国土がそれを10万年も安全に保管できないことを知っている。しかし、不思議なことに、原発をゼロにするという考えに賛成しているのは国民の半数だといわれている。すると、国民の半数近くの原発再稼働に賛成な人たちは、核廃棄物を自分の家の下に埋めてもいいと思っていることになる。もしそうでなければ、自分の町でなく遠くの町に埋めればいいと思っているのかも知れない。しかし、それを公言する勇気があるだろうか。「いや、私の地域はだめですが、あの地域なら大丈夫でしょう。人口も少ないし、大した産業もなさそうだし等々」と言えるだろうか。そう考えると、このアンケート結果は実に本当に不思議である。みなさんはどう思いますか。


日本では核燃料の再利用は絶対に可能になるといわれ続けてきた。それにも関らずその技術は完成していない。そればかりか核廃棄物はどんどん溜まり続けている。行き場をなくした廃棄物を原子炉の上に置いてあった。それのことが、福島原発事故時に二次災害を引き起こし可能性につながった。また、原発事故の後にも、廃棄物を安全に取り出すために3年近くの時間が必要だった。


その間に大地震が来ると、今回の事故以上の放射能被害が起こる可能性があった。そのリスクはまだ残っている。それが日本での現実の核燃料をめぐる現状である。それでも、核燃料は必ず再利用できるのだと言い切る人々がいる。その発言への責任を未来取っていただけるため、何かを担保にしておく必要がある。もし、災害が起こった場合には、彼らは自らの決断や発言への刑事的責任を取る覚悟を、今、聞いていた方がいいかもしれない。しかし、彼らは、そんな覚悟はない。起こったら起こったでしかたがなかったと言うだろう。今回の事故のように。何ということだろうか。しかし、これが現実なのだ。


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原子力ムラの巻き返しとマスコミの茶番劇



福島原発事故の直後には、マスコミやジャーナリスト、そしてテレビのトーク番組にに出演している人々の口から「再稼働すべき」とか「原発廃棄物処理は問題ない」とか「すべてのエネルギー利用によってバランスのよい電力供給体制を作る必要があり、原発をゼロにするのは得策ではない」とか言う発言はなかった。

しかし、今、テレビの画面では、そうした発言が主流を占めようとしている。電力会社が言っているのではない。専門家と、ジャーナリストや番組出演者が言っている。そんな中で、小泉元総理が「原発ゼロ」を訴えている。さて、こんどは、彼らはどう反応するのだろうか。小泉発言は暴言だと言うのだろうか。それとも、原発再稼働を勧める発言は控えるのか。


国民はこうした茶番といつまでも付き合う必要はない。もうテレビを消して、町にでよう。町のみんなと話しをしよう。君は大飯原発や美浜原発が再稼働されるのに賛成、それとも反対。その理由は。井戸端会議、犬の散歩中に、食事の最中に、そんな話が率直にできる社会を作りたい。本当の世論を作るために、生活の場の生活の実感から語る必要はないだろうか。


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放射能汚染水問題の解決を急がなければならない


今日(2013年8月8日)、福島原発の汚水もれ(海洋への)について二つのニュースがあった。一つは国内のニュースで、「国民の関心のある」汚水による海洋汚染防止策を東電に任すわけに行かないと安倍総理が述べた。そして政府として対応すると宣言した。国を挙げての対応を急ぐべきだと思う。二つ目は、アメリカからのニュースで、汚水によって太平洋が汚染され、米国が放射能汚染被害を受ける可能性があるという内容だった。放射能汚染水の海洋への放出は北陸の漁民、日本の国民、そして世界の人々の健康障害にかかわる問題であることを忘れてはならない。我々日本(人)はそのすべての責任を負っている。


超高度放射能汚染水の海洋への流出はメルトダウン(メルトスルー)を起こした福島原発事故から当然帰結できる結果であった。今更、東電の対応や情報公開に問題があったと言うことでは済まさらない。これは日本という国が世界に対して背負うべき責任問題なのだ。すべての国の力を総動員し、緊急に対応しなければならないだろう。この問題の解決に右も左もない。政治的意見、企業的利害、エネルギー政策上の違い(反原発派も原発マフィアも)、すべてがこの問題を解決するために力を合わさなくてはならない。本当に凍土法がいいのか。どんな方法があるのか。国全体の英知や技能をかき集め、問題解決に当たるべきだと思う。それは対策本部の役割だ。


汚染水問題は、内向きの日本の政治や社会文化の在り方を問いかけています。海洋汚染は地球の問題ですから、内向き、つまり国内や組織内部の問題で回答を見つけることは不可能だと思います。世界は常に我々の対応をウオッチしています。脱原発を主張しているから、この問題に対する責任がないのではありません。世界から観れば、脱原発者の日本人も、原子力村の日本人も、同じ地球規模の放射能汚染の問題から、避けられない立場にあるのだと思うのです。






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レクイエム

多くの方から誕生日の祝いのメッセージを頂いた。
メッセージを送ってくださった友人たちへ返事を書いた。

その日の朝、音楽を聴きながら散歩した。その時の感銘を書いてみた。

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○○様

ありがとうございます。もう11月の後半ですね。

最近、モーツアルトのレクイエムを聴きながら朝焼けを見て散歩しています。

落葉もすぎて、針のように晩秋の灰色の空を刺すように天を向いた枝に、この曲がこんなに合っていたという感銘を受けながら。

この曲は、伊吹山の向こうから上がる朝日の前ぶれ、それは暗く長い夜の終わりを告げる、讃美歌のように聴こえるのです。

生への激しい情熱と死を迎える安らぎのメロディーがなんともこの冬を前にした朝焼けの光景に調和しているのです。

今まで何百回と聞いたこの曲に、まるで今出会ったかのような驚きと感銘を受けています。



つづけること

フェイスブックに記載した文章

杉山(廣行)さん 先日、東京で関東政治社会学会があり、フランスの友人が講演することになり、私が司会をした。

新幹線の中で、ふと沸いたことばが詩になりました。

あなたからのメッセージのようです。



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「つづけること」 



三石博行



もし、疲れたら休んだらいい...

そして、また明日からはじめたらいい

もし、あせる気持ちかに苛まれても、
ゆっくりと納得いくまでやればいい

やりきれなかったら、
また、明日、つづければいい

つづけること、それ以外に
わたしは、どんな方法を知っているだろうか。

つづけること、それ以外に
わたしに、どんな能力があるのであろうか。

わたしに残されてた唯一の手段
それは、つづけることだ。

過去の失敗や怠慢を嘆いたとしても
未来の夢を語ったとしても
現実のみじめさに絶望しても

づづける以外に、凡庸な私には何もできない



2013年10月15日

 

2013年11月11日月曜日

政治社会学会(ASPOS)第4 回総会及び研究大会プログラム

大会テーマ:文理融合と社会デザイン


三石博行


2013年11月16日(土)と17日(日)の2日間、大阪府吹田市にある金蘭千里大学で政治社会学会の全国大会を開催します。大会プログラムをお送り致します。興味ある方は参加してください。また、研究大会ではグループデスカッション(GD)方式を導入しましたので、自由な意見交換ができます。

日時と会場

2013年11月16日(土)・17日(日)
千里金蘭大学 3号館7階 主会場:3717号室
〒565-0873 大阪府吹田市藤白台5 丁目25-1

政治社会学会(ASPOS)第4 回総会及び研究大会プログラム内容


第1日目:11月16日(土)受付開始8:30

9:00 開会の辞 原田博夫(ASPOS 理事長・専修大学教授)


9:10-11:40 セッション1「社会デザインと政策実践」
司会:奥井克美(追手門大学院大学教授)
報告者1:三石博行(千里金蘭大学教授)「設計科学としての政策学基礎論・生活資源論」
報告者2:水垣源太郎(奈良女子大学准教授)「An Interdisciplinary CBPR for Sustainable Agriculture: Its Challenges and Prospects」
報告者3:山口薫(同志社大学教授)「シカゴプランによる新社会デザイン」
グループ・ディスカッション


11:40-12:30 昼食(3号館7階 3714 号教室)
理事会(3号館7階 3712 号教室)
ポスターセッション(3号館7階エレベーターホール)



12:30-13:00 総会


13:00-15:30 セッション2「教育と政治社会」

司会:石生義人(国際基督教大学教授)
報告者1:栁平彬(グループダイナミックス研究所所長)「“教育”基本法の中心に“志(こころざし)”を」
報告者2:森裕城(同志社大学教授)「日本における新自由主義的教育改革の政治社会学的考察」
報告者3: 河村能夫(龍谷大学名誉教授・元副学長)「グローバル化時代における日本の大学改革と高等教育の社会的責務:京都における大学改革の経験から」
グループ・ディスカッション


15:30-15:45 休憩


15:45-16:45 基調講演
荒木義修(ASPOS 会長・武蔵野大学教授)
「神なき後の社会秩序と進化論:言語、恣意的約束事、遺伝子」
司会:油川洋(作新学院大学特任教授)


16:45-19:15 セッション3 「社会デザインと民主主義」
司会:伊藤公雄(京都大学教授)
報告者1:住沢博紀(日本女子大学教授)「ドイツにおける民主主義」
報告者2:濱西栄司(ノートルダム清心女子大学専任講師)「自由空間と三つのデモクラシー−アクターの連携と新たな社会デザイン−」
報告者3:境毅(生活クラブ京都エル・コープ)「官僚支配の超え方」
グループ・ディスカッション


19:15- 懇親会
場所:3号館7階 3714 号教室
会費:3000円


第2日目:11月17日(日)受付開始8:30


9:00-11:30 セッション4 「政策提言型会員公募セッション」

司会:新川達郎(同志社大学教授)
報告者1:金奈英(筑波大学大学院博士後期課程)「政治体制変化と伴う経路依存過程の制度分岐の考察-町内会・部落制度を中心に-」
報告者2:尾形清一(名古屋大学研究員)「再生可能エネルギー事業における科学的不確実性と社会的合意形成の課題-風力事業のバードストライク問題を中心にして-」
報告者3:吉田龍太郎(慶応大学大学院博士後期課程)「政党再編と政策対立軸の模索-保守合同反対論とその後の日本政治-」
報告者4:西田 昌之(国際基督教大学研究員)「津波復興住宅における生活再編の格差-タイ国パンガー県タクワパー郡の事例-」

討論者1:森裕亮(北九州市立大学准教授)
討論者2:田浦健郎(NPO 法人気候ネットワーク事務局長)
討論者3:今村浩(早稲田大学教授)
討論者4:新川達郎(同志社大学教授)


11:30-12:15 昼食(3号館7階 3714 号教室)
ポスターセッション(3号館7階エレベーターホール)


12:15-13:30 基調講演
布野修司(建築家・滋賀県立大学教授)「地域再生とコミュニティ・アーキテクト」
司会:中村知子(茨城キリスト教大学兼任講師)


13:30-13:45 休憩


13:45-16:00 セッション5 「生存環境と政治社会」
司会:佐藤 洋一郎(京都産業大学教授)
報告1:松久寛(京大名誉教授/社団法人縮小社会研究会代表理事)「縮小社会への道」
報告2:宮北隆志(熊本学園大学教授/水俣現地研究センター長)「環境破壊を経験した地域社会の再構築のための新たな統治と『水俣学』」
報告3:森壮一(文部科学省研究開発局)「フューチャー・アース構想の理念と成立過程」
グループ・ディスカッション


16:00 閉会の辞 原田博夫(ASPOS 理事長・専修大学教授


ポスターセッション
日時 11 月16 日(土)11:40-12:30・11 月17 日(日)11:30-12:15
場所 3 号館7 階 エレベーターホール

報告1:アイスン・ウヤル(同志社大学助教) 「Science-Society Interface for Global Change and Sustainability Issues in Asia」
報告者2:村上沙保里(同志社大学大学院博士後期課程)「公害と環境教育-公害資料館関係性へのヒアリングを通じて-」
報告者3:丸山聡子(同志社大学大学院博士後期課程)「自治体とのパートナーシップによる実践型環境教育の展開」
報告者4:小田切康彦(同志社大学助教)「地方自治体における震災避難者支援策の実態とその形成過程:長野県及び北九州市の実例から」
報告者5:切東美子(同志社大学大学院博士後期課程)「医師の進路選択に影響を与える要因と医師不足について」
報告者6:切東美子・明神悟(オージス総研)「電鉄沿線の活性化(安心、安全のライフサポートネットワークの構築に向けて)」
報告者7:梅津庸成(新時代戦略研究所)「911 後の変革期における防衛力整備の在り方検討に関する経緯とその現代的意義」



グループ・ディスカッション(GD)について

この研究大会から、出席者全員が各セッションに参加したうえで、各テーマについての認識を深め、発言を促す観点から、GD(グループ・ディスカッション)方式を取り入れることとしました。GD 方式導入の趣旨は研究大会で会員相互の情報交換と発言の機会を高めることが狙いです。


GD 方式の概要

1、セッションテーマと報告内容に即して、GD を約60分間行う。
2、GD は約5人単位で構成する。
3、グループ分けは、大会受付けで行い、参加者は一日単位で同グループに所属する。
4、セッションごとにくじ引きでグループリーダーを決める。但し、一度リーダーになった人はくじ引きに参加しない。
5、グループリーダーはGD の活発な運営が行われるよう努力する。また、最後にGD の内容を全体に簡単に報告する。



政治社会学会(ASPOS) http://aspos.web.fc2.com/

千里金蘭大学 http://www.kinran.ac.jp/

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2013年7月31日水曜日

旅立ち





三石博行



その時、過去と呼ばれる履歴の先に、約束された未来という新たな予測が消え失せ
目の前は暗黒の世界となる。

もはや、予定された未来はない。
新たに現れた現実は、過去の履歴方程式から一切の未来の解を求めることは出来ない。

私は、過去の時空の切断された暗黒の現実に立たされて
自の決意を後悔する。

もう、元には戻れない。
もう、今までの精神時空の延長線に安堵の世界はない。

私は、目の前の余りにも暗い世界に慄き
今あった確信がことごとく不安の海に沈むのを見る。

もう、元には戻れない。
もう、今まであった生活慣性力の延長線上に私の存在はない。

眼前の暗黒の現実は、私が望んだものではない。
断絶された約束の未来は、私が予測したものではない。

しかし、今、私は暗黒の現実と
過去の履歴からの断絶の道を敢えて選んでしまった。

そして、「僕の前に道はない。 僕の後ろに道は出来る」
と詠うのなら、
日の照らされた希望の路ではないことを覚悟せよ。
夢に溢れた愉快な路ではないことを知れ。


挑戦とは、暗黒の現実の中を、戸惑いながら進むことなのだから。


解説

人には、運命と呼ばれる今まであった過去の世界が突然消えうせる瞬間や、絶望的な現実を受け止めなければならない瞬間がある。また、積極的に今までの生活のしがらみを断ち切り、無謀な旅に出ることもある。それが未来と呼ばれる未知への挑戦なのだ。災害や不幸という運命に立ち向かう人々、進んで過酷な旅に出る人々、そして無謀な旅で命を落した人々。 それらの人々へ、「それでも生きるのだ」、「それでも私は旅にでるのだと」いう叫びの歌を書いた。


2013年7月31日(修正)

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2013年7月19日金曜日

詩にとって表現とは何か

画家笹井孝太氏と詩人寺田悦二氏との出会いの中で


三石博行


画家笹井孝太氏の絵

その画風は暗く、まるで後期ゴヤの作品のように思えた。一人の人間の顔面から強烈な魂が飛び出している。それは、「君は今どう生きているのだ」と問いかけているようだ。





















笹井孝太氏のホームページから
http://koutasasaiartstudio.tumblr.com/

寺田悦二氏のFacebookにこの絵がシェアされていた。
https://www.facebook.com/etuji.terada

笹井孝太氏のブログに「私は広島の宮島という島で画家をしながら、スタジオの一部を公開展示スペースにして作品をご高覧、またお求めいただいております。 スタジオは築120年ほどの古民家をお借りして、呼吸するような光のなか、極力自然光で作品をお見せしております。もし宮島へおこしになることがあれば、是非お立ち寄りください。また、お気軽に、お越しの際や、ご質問、また、このブログを通してのご相談や、作品のお求めを上記のメールにてお伝えくださればうれしいです。」(笹井孝太氏のホームページ)と自己紹介されていた。


言語にとって感性とは何か

寺田悦二氏のFacebookを通じて、笹井氏、寺田氏と私の会話が始まった。課題は、敢えてタイトルを付ければ「言語にとって感性とは何か」というテーマとなる。三人の会話をブログ調に編集しなおしてみた。

まず、会話の火ぶたを切ったのは私だった。笹井氏の絵に対して「すごい。何という迫力と問いかけだろうか。」と直感したことばを書き込んだ。

そして、私は、この凄い画家に「笹井さま、芸術や文化はもっともメッセージ力をもつメディアだと思います。言語を超えるもの、そこの人間の感性の原点があります。音楽、絵画や彫刻、演劇、映画、建築、都市、里山等々、人は美しいと感じ、また感激するものに、私たちの精神の基本的なあり方が存在していると思います。この絵を多くの人々に見せたいですね。そして彼が真剣に問いかけているものを感じさせたいですね。」とメッセージを送る。

すると笹井氏から「人間は精神です。最も精神的な媒介は言葉です。言葉には反省が伴います。反省は僕たちの神です。芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。僕たちは言葉を軽視しすぎる傾向にあります。なぜなら言葉をぼくたちは、文化だと思っているからです。言葉は決して文化ではありません。言葉は芸術そのものです。つまり人のいのちです。」とメッセージが返ってきた。

私は嬉しかった。そこで「笹井さま、いいですね。本当に共感できる感性のことばですね。」と返信した。

私は、もう一度、笹井氏の文章を読み直し、そして真面目な寺田氏に答えるために、文章の展開を企画した。その構成は三つから成り立っていた。一つは、笹井氏の問題提起である「言語にとって感性とは何か」、二つ目は、我々三人が問いかけたかった「芸術としてのことばとは何か」という課題、そして最後は寺田氏が求めていた課題「詩にとって表現とは何か」というテーマであった。

「笹井さんの「言葉には反省が伴います。反省は僕たちの神です。」という表現はいいですね。人にとって神(絶対的な存在)もコトバによって作らざるを得ないもの。つまり、我々(本能の狂った動物・神の支配を拒否した動物)は再びその存在を理解するために理性という言葉の機能(文化や精神の構造)によって再確認するしかないのでしょうか。」と私は書いてみた。

しかし、それは彼の「詩をどのようにお考えですか」という質問への入り口にすぎなかった。

つまり、笹井氏の言う「言葉が反省を伴う」という命題は、言葉がその言葉の主体に返された瞬間において成立することを意味すると考えたからだった。

笹井氏の芸術には人間存在への表現という課題があった。

そのため、彼は「芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。」(笹井)と書いたのだろう。

つまり、反省によって感性が「ことば」化するのだと笹井氏は述べている。笹井氏は、反省の意味の深さによって感性が「ことばと」して生まれ変わるのだと考えているのだろう。

そして、イメージ不可能な「感性」が人間存在そのものを問いかける「反省によって把握されるやいなや」、その感性は「ことば」を身につけ、「ことば」に化身することになる。その時、笹井氏は「言葉は芸術そのものです。つまり人のいのちです。」(笹井)という芸術(詩や文学の)表現について語ったのだろうか。


芸術としてのことばとは何か

笹井氏のコメントで直感的にすごいと思える文章は「芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。」という表現であった。

私は、笹井氏に「つまり、道徳とは正と悪を二分する論理を前提にして成立しています。しかし、人の善(前向きに生きる力)は悪(欲望に浸る生命体)の力によって生み出され、悪のない善はなく、善のない悪はない。自らの行為を善と信じることによってどれほどの極悪が繰り返されたか。芸術も哲学もそのことを訴えた。そして欲望(悪)は美として評価され、形式(善)はつまらないものとして飽きられていったのだと思います。」(三石)とコメントした。

そして、「人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。」(笹井)という彼が敢えて逆説的に導こうとした感性とことばとの関係に対して、「笹井さんの考え方もあると思います。しかし、詩人は多分、言語(反省的表現)を超えるために、ことば(感性的表現)を駆使しているように思えます。つまり、ことばに含まれる概念よりもイメージを探し、そのイメージから出てくるコトバの力を引き出そうとしているようです。私は理性的に語られる言葉が好きです。しかし、同時に感性的なことばの力も理解できます。その二つの側面に人間的な精神構造があるように思えます。」(三石)と答えることにした。

この論理の方が、素直だと思ったのだ。

つまり、ことばは多分、人の在り方そのもので、それによって人が始まり、人が終わるようにも思える。「その意味で聖書の一節は意味深い。つまり、人という動物はその存在を維持するために自ら文化(ことば)という生態環境を作らざるを得なかったのだと思う」(三石)と述べた。しかし、この論理は非常にありきたりのものに過ぎない。


詩にとって表現とは何か

これらの前置きは、寺田氏が投げかけた「感性が反省によって把握される」場合において、「感性はことばになる」という笹井氏の考え方に対して、「詩をどのようにお考えですか」という疑問に近づくためのものである。

何故なら、詩人にとってことばは感性的表現だけでなく表現化するための作戦(戦術)でもある。そのことを詩人は知っている。そのために、単純に感性がことばとなると言いきれないのだろう。

私は詩を書くことについて、以前、「詩的に表現することとは何か 詩にとって真実とは何か」、私のブログの中で、詩を書くことの自己欺瞞を書いたことがあった。

それは、死刑囚大道寺将司氏の俳句集「棺一基」を呼んで、ぎりぎりの言葉(ことば)、自己欺瞞をすべてそぎ落としたことばに接したからだった。それについてブログに「言(ことば)が肉となった」を書いた。

寺田氏の答えは明快であった。詩を書く主体でなく、その詩を読む対象者達の感性、つまり「詩の真実とは読む人の感動だと考えます」という返答であった。詩人は自らの感性をそのままことば化する作業をしておけばいいのだ。自分は詩人であると意識する必要はない。それは意識過剰ではないかと寺田氏は言っているのだ。

寺田氏が詩を意識したのは中学生であった。「私(寺田氏)も詩人になろうとはなぜか思いませんでした。むしろ画家に憧れていました。でも結局は詩を書くことに自分の生きる糧のようなものを感じています。今も好きで勝手に書いているだけの者で、普通の会社員です。詩を書くのに特別な条件はいりません。(あなたもただ書けば)いのではないでしょうか」と詩を書きたいが書くことを禁止している私を励ましてくれた。

これまで、私は「ことばをできるだけ詩的な世界から切り離すことを仕事にしてきました。だが、やはり私は詩を書きたい。詩でしか私であり得ない世界がある」ことを知っている。詩を書くことは、詩人になる(意識過剰になる)ことではない。ただ、寺田氏のように書きたいがために書くことに過ぎない行為なのだと理解した。

私は、寺田氏や笹井氏に感謝した。彼らとの出会いで、私はまた詩を書きたいと思った。その詩のスタイルは三石流でいいのだろう。そして、これまで書いたブログの文章で詩となってしまったものに新しく「詩」というタグを作ってみた。


エピローグ

笹井氏から「画家にとって真実とは何か」という内容の文章が送られて来た。

彼は「絵は見ることと筆を動かすことしかありません。目の前に出てきたものにすがったとたん、芸術は力を失います。それはみていたものをみなくなったからです。だから手法手段はどれだけ稚拙でも、みることによって芸術に力を与えることができます。だいたい手段なんて言うものは みな、どっこいどっこいのうそです。でもそれに照応される嘘じゃないものがある。もし手段手法が真実なら、あらわれてくるものは、嘘です。」(笹井)と書いた。

「絵は見ること」によって成り立つ。もし、それをそのまま見ることでなく、それを自分の解釈(ある表現手段を前提にした見方)によって見ようとすることになるなら、絵を見る力は削がれるだろう。その意味で笹井氏は芸術を力を失うと言った。

また彼は、解釈、つまり理解や表現の手段(芸術家達が追い求める作風や流儀)は、どれもとどの詰まり、同じようなものだろうと言い切った。ここまで来ると、画家笹井氏の思想を理解することが困難に思えた。解釈なくして世界を見ることも表現することも出来ない。だが、それよりも前に画家には問われている世界がある。それは「見ること」だと言うのだ。そのままに見ること。

余りにも、技法に囚われていることによって、美は力を失う。これが画家笹井氏の結論であった。そのことは、詩的に表現することが技法でなく、現実の世界と湧きあがることばの照応現象であることによって、「詩にとって真実とは何か」が感じられると彼は、「詩的に表現することとは何か 詩に取って真実とは何か」(私のブログ)に対して答えてくれたのだった。

笹井氏は寺田氏や私が問いかけた「詩にとって表現とは何か」の答えを画家としての生活の中から語りかけてくれたのだった。


引用、参考資料

寺田悦二氏のFacebook
https://www.facebook.com/etuji.terada

笹井孝太氏のホームページ
http://koutasasaiartstudio.tumblr.com/

三石博行 「詩的に表現することとは何か 詩に取って真実とは何か」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4925.html

三石博行 「言(ことば)が肉となった」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_17.html

NHKETV特集「失われた言葉を探して」2012年4月15日 辺見庸出演
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0415.html

大道寺将著 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)
http://mmall.jp/item/170872390?aff_id=src0101&l=true


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2013年7月15日月曜日

我が家の庭にひまわりが咲きました

今年の春に、6、7年前にもらったひまわりの種を植えてみました。多分、袋に発芽は5年以内でない無理と書かれてあったのですが、せっかくもらったひまわりの種、捨てるのはもったいないと種を蒔いてみました。

すると、ほとんどすべてが発芽し、みるみる大きくなり、高いのは2.5メートルぐらいに成長しました。

そして7月になって開花しました。ちょうど、日本ではじめて「緑の党」が国政選挙に打って出た7月4日には大きく咲いていました。今日はほとんどのひまわりが咲いています。

グリーンジャパン・みどりの党共同代表者「長谷川ういこさんのポスター」(全国比例区)と一緒に写真をとりました。





















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2013年6月15日土曜日

槌田氏の使い捨てを考える会の活動について思うこと

使い捨てをしない生活は可能か


三石博行


槌田劭さんの魅力ある話

先週日曜日(5月23日)に京都大学農学部で第14回縮小社会研究会が開催された。

私の尊敬する人々の一人、槌田劭(つちだ・たかし)さんが、お話をされた。これまで何回かの槌田さんの講演会に参加したが、殆ど同じような話の内容であった。今回が4回目なので、殆どの話を覚えている。しかし、まるで好きなクラッシクの曲を聴いているように、槌田さんの話は、何回聴いても新鮮で飽きることがないのだ。そのことに、実は驚いている。

槌田さんは1968年(全共闘時代と呼んでいます)の学生運動から問われた大学や大学研究者への課題を真面目すぎるほど真面目に受け止められ、1973年に市民や学生と一緒に「使い捨てを考える会」を結成し、リヤカーを引っ張って古紙回収を始めました。その後、京都大学工学部助教授を辞めてしまいました。本当にびっくりするぐらい変わった人(真面目すぎて)と言われていました。

その後、精華短期大学で教職に就かれましたが、専門の金属工学を全く辞めて、もっぱら環境問題や資源や食糧の再生可能な社会のために運動、啓蒙活動や研究をされてきました。教育者としても非常に大きな業績(学校法人の理事長となり精華短期大学を京都精華大学にした)を持って居られますが、そのことは何一つとして皆さんの前でお話されたことはない。

槌田さんの声は、細い身体から創造も出来ないほど力強い。音量は少し小さ目だが、流暢に言葉が流れ、一つひとつの音節がしっかりと区切られ、まるで教会の牧師さんのお話のように、説得力のある事例を出しながら、みごとに説教を組立ていく。明らかに、槌田さんは、講演者と言うよりも、槌田教思想(教)の伝達者(教祖)と言うべきだろう。彼の迫力に満ちた説教、いつの間にか、その気迫と説得力に私たちはのみ込まれてしまう。



こうした話の力は、彼のことばが彼の生きている世界の中から染み出しているからだろう。つまり、生きる現実から彼は我々に話しかけているのである。

槌田さんのお話を聞くたびに、「もしかして、吉田松陰や武市半平太もこんな口調で話していたのかもしれない」と私は思う。時代の黎明期に登場する思想家のように、槌田さんはとうとうと「使い捨てを考える」生き方とは何かを語る。


今、使い捨てを考えるとはどういうことなのだろうか

現代社会に生きていて、使い捨てしないという生き方は不可能に近い。例えば、衣類などはどうだろうか。衣類は捨てにくいもので、どんなに古いものでも、捨てられずに、タンスの奥、押し入れや物置にしまい込んでしまう。そして、家の中には古い衣類がたまっていく。

その中には、亡くなった両親の衣類もあった。昔の人は、服を沢山持っていないが、良い生地の服を持っていた。捨てるのが惜しくて貰ったが、結局、一回も使わず、家の奥にしまい込んでいた。体型が変化して着られなくなったもの、流行遅れのもの、少しシミが着いたもの、それらを困った人々にあげようとため込んでいた。そこで、市民団体に連絡すると、「もうそういうものは誰も貰いません」と断わられた。1970年までの日本と2010年代の日本は違うのだと電話口から聞こえる市民運動家の声を通じて理解した。

使い捨てを考えるということは、使い捨てをせざるを得ないという現代のライフスタイルでは不可能であることを示すだけではないか。それでも、使い捨てをしないことを心がける意味はどこにあるのだろうか。

つまり、使い捨てを考えるという課題は、使い捨てをせざるを得ない社会の在り方を考えると理解していいのだろうか。なるべく使い捨てをしない。例えば、食べ物を捨てない、生ごみをコンポストに入れて肥料として再利用する、食器洗いの水やお風呂の水は再利用しる、庭には雨水を撒く、古紙をリサイクルに回す、ペットボトルやプラスチックのリサイクルに協力する、スーパーには買い物袋を持っていく、等々。

しかし、私たちは現代社会の生活環境の中で、使い捨てを考えないライフスタイルを強制され、使い捨てる便利さの上に日常生活が営まれていることは否定できないだろう。この現実が問いかけている課題、「それでも使い捨てを考えるということの意義」とは何か、使い捨てを考える会を持続したり、使い捨てを考えるという活動を続けるためには、この問い掛けに答えなければならないだろう。


使い捨てをしない社会や生活はどのように可能か

どれくらい私一人の生活が環境に負荷を与えているのか。住んでいる家、暖房や冷房、テレビやステレオ、照明、コンピュータ、その他家電(掃除機や洗濯機等々)が消費している電気、上水道や下水道。生活のすべてがエネルギー消費なくしては成立していない。それが、今の日本社会での、私たちの生活環境である。

その生活環境とは使い捨てをすることで成立しているともいえる。つまり、使い捨てをしなければ家の中は古いもの(つまり多量の電気エネルギー消費する家電等々)、使えないもの(故障しても修理出来ないもの、修理代が新品購入費より高い場合があるもの)で身動きが出来なくなる。狭い日本の住宅では、役に立たないものはサッサと捨てなければ生活が出来なくなっている。使い捨てをしながら少しでも快適な住環境を維持している。これが現実の私たちの生活なのだ。

使い捨てをせざる得ない現代の生活スタイルを少しでも使い捨てをしないようにするためには、出来る限り消費しない生活様式を取り入れなければならない。

無駄なものは買わない。例えば100円ショップで、安いという理由で無駄なもの、結局は質が劣るために、使わなくなるようなものを買い込んでいないか。また、着もしない安売りの服、美味しくもない安売りの食糧、安いから買うという生活スタイルで、家の中にごみが増えていないか。無駄な買い物をしないということが、結局、使い捨てをしないと言うことになる。つまり、使い捨てをしないためには、良いものを買う習慣が必要なのだろうか。貧乏人でなく、金持ちのライフスタイルが求められるのだろうか。

出来るだけ資源やエネルギーを節約する。例えば、水道水を庭に撒かない。そのため雨水、お風呂の水、炊事排水を利用する。太陽熱や光のエネルギーを活用する。台所や庭ででる有機物を土に返す。小さな庭があれば、野菜を植える。雨水タンク、風呂水再利用排水施設、太陽光パネル、太陽熱パネル等々、これまた贅沢な施設が必要となる。

使い捨てをしないことは不可能だが、使い捨てを少なくするために、結局、高価なものを買い、結果的には、高価なごみを作ることになる。

本当に使い捨てを考えることは難しい。今の生活レベルを1970年以前に戻すとすれば、少し、使い捨てをしない生活様式が可能になりそうだ。しかし、今よりも快適な生活環境ではないことは確かだ。平均寿命も低くなる。外国にも簡単に行けそうもない。色々な海外の食べ物も入らない。あのころはバナナが高かったし、高級品だった。

使い捨てを考えるためには、そうした時代に戻る覚悟が真剣に問われることになりそうだ。



「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html




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2013年6月10日月曜日

「死体とうんこ」

総合地球環境研究所の副所長佐藤洋一郎氏に会ったとき、彼が現代の日本社会では「死体とうんこ」を隠す文化に成っていると話していた。

死体、つまり死、そしてうんこ、つまり生命と生成物の廃棄物はある意味で生命の姿の別の一面でもある。生があるから死がり、生きるすべてが死を待っているともいえる。死体を隠すことは、ある意味で、生を隠すことにならないか。

うんこについても同じようなことが言える。

つまり、生成されたものは利用活用され、そして廃棄される。有用なものが利用され、そして最後に消費され、分子レベルまで分解される。しかし、途中で消費されず、そのまま前の形を留め、または形が破壊され、ごみと呼ばれる廃棄物となっているものがある。

それらの廃棄物は、分解可能であれば、また別の生命体の栄養となる。その繰り返しをエコサイクルとか、食物連鎖とか、生態系とか呼んでいる。しかし、人工物の中には、自然に(生物や化学反応によって)分解されないものがある。それは、厄介なことを生態(生体)環境に引き起こす。

うんこは生命活動の中で生じる廃棄物である。言わば、生命が存在してからずーと生み出された廃棄物である。その廃棄物は最近人間が化学的に造りだした廃棄物とは違う。生態系の中では、その廃棄物は他の生命の栄養となる。また、その生命もその栄養を食べて、新しい廃棄物を生み出す。

つまり、うんこは生命と生命をつなぐ物質として自然の中では活躍している。うんこを生態系の食物連鎖の中に組み入れないシステム、下水処理場は、生態資源の無駄使いをしているともいえる。

また、うんこを隠すことは、生命と生命が食物連鎖によって繋ぎ合っていることを隠すことを意味する。つまり、うんこは生命について考える一つの契機を与えているのである。

「死体とうんこ」を隠す文化は、生命について考える契機を奪い、もしくは、その現実を見つめる機会を与えないようにしているようだ。

死を考える生活スタイルの中に、本当に生きることを知る生活環境や文化が形成されるだろう。 そう考えると冗談のように聞こえる「死体とうんこ」というテーマの深い意味が理解できるかもしれない。


「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
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2013年6月8日土曜日

「文理融合と社会デザイン」と5つの政策実践(セッション)課題

政治社会学会(ASPOS)の2013年度大会の課題について(2)


三石博行


2013年度の政治社会学会総会及び研究大会は11月16日(土曜日)から17日(日曜日)の二日間、大阪府吹田市の千里金蘭大学で開催されることが決まった。2010年度(設立大会)から2012年度までの研究大会のテーマは「文理融合と人間社会科学の再生」であった(1)。

この三回の研究大会を踏まえながら、今回(第四回)の大会から「文理融合と社会デザイン」を研究大会のテーマに掲げた。今回はその第一回目の研究大会となる。この研究大会では、5つのセッションを設けた。以下、それらのセッションの課題に私の考えを関して述べる。


セッション「社会デザインと政策実践」

昨年の学会でセッション「プログラム科学とは何か」で設計科学としての政策学の方法論に関して議論した。文理融合型の研究は当然、問題解決に必要なあらゆる専門知識や技術を導入する学祭的プラグマティズムがこれからの政策学に求められている。

文理融合型政策実践の課題を展開するために、基礎理論を課題にした議論から、実際の政策実践の課題に焦点を合わせながら、具体的な理論的検証をその中で進める議論が必要とされている。そこで、今年度は、基礎理論に関する議論から一歩出て、その理論が現実の政策実践に応用可能なのかを検討したい。

これまでこの学会では、政策学を人間、文化や社会経済に関する設計科学、「社会デザイン」科学と位置づけてきた。そして、有効な「社会デザイン」を展開する科学、つまり政策提案や実践に関する検証作業、例えば、地域医療問題(医療政策という社会デザイン問題)、食糧問題や水問題を解決する社会デザイン(農業、環境、地方文化や産業、少子化政策)、脱原発・エネルギー政策と社会デザイン等々の課題に有効な「社会デザイン」論に関する議論を呼び掛けたい。


セッション「社会デザインと民主主義」

昨年の学会のセッションで、福島原発事故に関する議論を行った。この議論で指摘されたことは、技術的問題、エネルギー政策、原子力政策を進めるための制度上の課題があるということであった。一般に「原子力ムラ」と呼ばれる利権集団が形成され、技術的な安全問題、エネルギー政策上のリスク等々があったとしても、つまりこれまで原発事故、高速増殖炉や核燃料サイクルの失敗が続いてきたとしても、それらの事実を隠ぺいし、それらの問題を指摘し批判する人々を排除し続けてきた組織の在り方、人々の考え方、社会の在り方が問われなければならない。

福島原発事故問題が示す課題は、原子力政策を進める制度によって形成された「原子力ムラ」の利益集団と呼ばれる社会文化現象を徹底的に解明し、その構造が、実際は日本社会全体の構造問題として存在していることに気付く必要はないだろうか。

今、今後の日本社会の在り方が議論され、例えば、憲法改正の課題が議論されるようになった。この社会文化現象は評価すべきものである。国民が自らの国や社会の在り方や運営の仕方を議論し、自らの責任でそれを選ぶことは決して悪いことではない。そこで、この議論が国民のものとして位置付けられ、国民的議論を通じて、国民主権、民主主義社会の文化がさらに深く根付くかどうかが最も注目されるべき点である。

つまり、現在の日本社会で問われる課題は、すべてと言っていいほど「民主主義の在り方」にたどり着く。具体的な例を挙げれば切がない。「差別」、「暴力」、「いじめ」、「金融マフィア」、「少子化問題」、「子育て問題」、「女性の権利」等々、つまり、それらの社会文化現象の根底にある「秘密主義」、「官僚主義」、「学閥主義」、「学歴偏重」、「利権集団」、「多様性の排除論理」、「多様性排除」、「他者への差別」、「既得権益の維持」等々の社会構造の体質が挙げられる。

しかし、同時に、民主主義文化を発展させる運動や組織運営方法がある。例えば、「市民参画型運営」、「情報公開型」、「平等主義と役割機能主義」等々が挙げられる。これらの民主主義文化を構築する要素を取り入れた「社会デザイン」の設計が求められる。例えば、自然災害や社会災害に対する安全管理や危機管理体制、また復興計画や都市計画に至るまで、社会デザインの課題には、その最終構想のみでなく、その構築過程の設計図が求められているのである。

例えば、成田国際空港建設事業にみられるように、民主主義に基づく社会デザイン計画の手続き(一方的な立ち退き命令を出すという手段は民主主義国家の在り方と反する)が欠如することで、結果的には空港建設は大幅に遅れ、現在でも完成していない。その損失を考えると、社会デザインにとって民主主義的合意形成の果たす経済性が理解できるだろう。

セッション「教育と政治社会」

教育は百年の計と言われている。明治以来の国民国家の形成、近代化政策を進めることが出来たのも、また、それ以前の江戸時代の教育制度がなければ、明治維新や明治近代化政策も存在しなかったと言える。その意味で、今日の日本社会を形成構築した政策の一つに教育政策がある。

社会が大きな変革を迎える時期に、教育制度や政策が問われる。封建社会から近代国家への過渡期に国民教育制度が生まれ、また戦前の天皇制議会主義社会から戦後の国民主権国家への移行期に、民主主義教育が形成された。そして、今、我々が教育制度や教育政策を見直そうとしていることは、ある時代が終息し、新しい時代が生まれようとしているのだとも予測できる。この新しい時代と社会に最も適した人材育成を社会は教育改革の名のもとに実行しようとしている。

前記したように政治社会学会の目的を謳った会則第2条に「科学技術の著しい発展、地球温暖化問題の発生、グローバル化の急速な進展」等々、日本の政治社会や市民生活は、「これまで経験したことのない事態に直面し、さまざまな問題解決を迫られている」。その意味で、これらの教育はこれらの新しい社会や生活環境に必要とされる政策、制度や内容を求められている。

例えば、
1、国際化社会に適した人材教育(英語教育、PBL、国際教養学部、講義の英語化等々)。
2、すでに、学会指針の三本柱の二つ目の課題に挙げられているのが「リベラル・アーツの再検討と人文社会科学再生への道」、つまり科学技術文明社会で生産・消費・生活者の生き方に役立つリベラル・アーツの内容(人文社会系の入試内容の変更、理数系科目の補習教育等々)。
3、成熟した民主主義社会を発展構築する人材教育(市民運動、NGO、NPO、企業の教育参加)。
4、国際地域の安全と平和的共存に寄与できる人材教育や東アジア共同大学院制度の構築
5、先端産業への人的資源補充機能(実践的な社会人教育制度、専門資格検定制度)、
6、地域社会の活性化を支援する教育体制、
等々、幾つかの課題が簡単に列挙できる。しかし、これ以上に多くの課題が山積していることは言うまでもない。

また、「教育と政治社会」では、前記した「社会デザインと民主主義」の課題、つまり成熟した民主主義社会への形成過程で具体的に問われる課題、例えば、少子高齢化問題、教育政策や教育問題(いじめや高等教育問題)、医療政策、エネルギー政策、安全管理や危機管理政策、過疎化対策、地域経済活性化対策、異文化・異世代共生社会構築の課題解決で問われる「教育制度」や「教育政策」を取り上げる必要がある。


セッション「生態環境と政治社会」

20世紀後半、地球温暖化や生態環境問題を解決するために文理融合型の政策提案や実践が課題となった。この政治社会学会は設立当初から生態環境保全のための政策実現を課題に挙げて、研究活動を展開してきた。

2010年11月の政治社会学会設立記念研究大会ではセッション「理系と文系の研究者の協働による学際研究を目指して -地球研オアシスプロジェクトにおけるパイロット的事例」で「総合科学としての地球環境学」に関する報告があった。

2011年3月11日の福島原発事故の半年後に開催された第二回政治社会学会研究大会は、東日本大震災を受けて災害復旧や今後の減災への議論を深めるために関連する学会が連携し設立した学会連携・震災対応プロジェクトと連携して研究大会が企画された。そして、特別講演(総括)(「パラダイム・シフト-グローバル市民社会と新しい公共を目指して-」)、二つのセッション(「東日本大震災と日本経済・地域経済・政策決定」と「福島原発事故を考える:広島・長崎・チェルノブイリの経験から」)、二つの共通論題(「地球環境コンソーシアム構想:『国際社会の知』の形成に向けて」と「自然科学と社会科学における歴史的アプローチの異同」)と大会の5つのプログラムを生態環境と政治社会の課題が占めた。つまり、東日本大震災・福島原発事故に関する生態環境と政治社会のテーマで第2回研究大会は行われ(た)と言える。

前回、第三回目の研究大会では「生態環境と政治社会」の課題は、二つのセッション「自然科学と社会科学の歴史的アプローチの異同:パートⅡ」と「福島原発事故調査をめぐる自然科学と社会科学」、そして北澤宏一先生の基調講演「福島原発事故に学ぶ-これからの日本のエネルギーと科学技術-」が生態環境と政治社会のテーマに即して企画された。

今回、第四回研究大会は、これまでの政治社会学会が推し進めてきた「生態環境と政治社会」のテーマを継承しさらに発展させたい。つまり、持続可能な生態環境を確立するために問われる政治社会制度や政策に関する議論が必要である。それらの議論を地域社会での政策実践やまたこれからの資源、エネルギー、食糧、農業問題に関する政具体的な策提案や政策実践の検証作業として展開できないかと考えている。


政策提言型会員公募セッション

政治社学会では、昨年(第3回研究大会)から、若手研究者の研究発表の場を提供することを目的にして「政策提言型会員公募セッション」を開催してきた。このセッションでは、研究大会のテーマ「文理融合と社会デザイン」に関する幅広い研究発表を募集している。

昨年の研究大会でも、多くの募集者が集まり、その募集者の中からセッション責任者(新川達郎先生)によって研究発表者を絞って、研究発表を依頼した。今年は、昨年の反省に立って、応募した研究発表課題を、昨年と同じくセッション責任者(新川達郎先生)によって予め発表者を選別することになる。

しかし、発表できない応募者にはすべてポスターセッションでの発表の機会を与えることになる。できるだけ多くの若手研究者に研究発表の場を提供するために、今年からポスターセッションでの発表の機会を提供することになった。


問題解決を課題とする学会活動を目指す

以上、第四回研究大会のテーマと「文理融合と社会デザイン」の意味と課題について述べ、その課題を展開するために準備した5つのセッションの趣旨を説明した。

この「学会テーマとセッション課題について」の議論はこれまでの企画委員会や理事会の議論に基づき書かれたものである。この文書を、企画委員、理事会のメンバーとセッション責任者に配布し、研究大会のプログラムをより具体的に進めたいと希望する。

また、基調講演者への依頼を行うにあたって、大会テーマの意味とセッションの趣旨を説明することで、今回の大会テーマに沿った講演テーマのお願いが可能になる。そのために以上の文章を作成した。

そして、時代の問題を常に取り上げ、その問題解決のために、すべての学問、技術、企業、行政、政府機関、国際機関、市民活動のすべての社会、経済、政治、文化、生活領域を超えて取り組む姿勢を示し、実践する学会、政治社会学会の今後の展開に寄与する第四回研究大会であることを期待したい。


引用、参考資料

(1)、 三石博行 「 政策科学の方法と実践的課題 「文理融合と社会デザイン」-政治社会学会(ASPOS)の2013年度大会の課題について(1)-」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_6.html

(2) 政治社会学会(ASPOS)ホームページ
http://aspos.web.fc2.com/

(3) 第三回政治社会学会総会及び研究大会プログラム
http://aspos.web.fc2.com/20121123-25aspos3.pdf

(4) 第三回政治社会学会総会及び研究大会報告要旨集
http://aspos.web.fc2.com/20121123-25abstract.pdf


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2013年6月6日木曜日

政策科学の方法と実践的課題 「文理融合と社会デザイン」

政治社会学会(ASPOS)の2013年度大会の課題について(1)


三石博行


政治社会学会の設立の趣旨と三つの課題


2010年10月に結成された21世紀型の学会活動を模索する政治社会学会(ASPOS)では、21世紀社会、科学技術文明社会での政治社会学、政策学の在り方を問題にしてきた。「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学の垣根を取り払い、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会を目指して」(荒木義修2010)活動することがこの学会の設立趣旨であった。

本会の設立趣旨に基づき、「新たな社会に対応する学会指針の三本柱」(荒木義修2010)と呼ばれる学会の課題が述べられた。その一つは.「文理融合型の学際的研究を可能にする新たな視点の再開発 」であり、二つ目の課題は「リベラル・アーツの再検討と人文社会科学再生への道」である。そして、三つ目は「新たな社会構想:必要とされる理念の調和と叡智あるプログラム設計」(荒木義修2010)であった。

大会テーマ「文理融合と人間社会科学の再生」の目的とその意味


上記した三つの学会指針に即して、政治社会学の科学方法論としての文理融合型の研究方法が課題となった。第一回から第三回までの研究大会では「文理融合と人間社会科学の再生」が大会テーマとして取り上げられた。

2010年に人間社会科学分野から積極的に文理融合の方法論を取り上げることは決して斬新的なものではなかったが、この文理融合の方法論を政策実践の中で検証しようとする政治社会学会の試みは、人間社会科学での先端的研究として評価できる。

この先端的研究、つまり文理融合型の研究方法や研究制度が評価されたのは、環境問題に取り組む政策学であった。2011年3月11日の福島原発事故は、その先端性を一般性として再認識しなければ政策学は存立しないことを示したのである。つまり、現代社会の政策実践では、高度な先端科学技術、情報社会ネットワーク、社会経済システムの知識のすべてを動員する必要がある。言い換えると、文理融合型の学際的研究方法は、現代社会・21世紀社会での政策学が成立するための必要十分条件であると言える。

2012年の大会と福島原発事故


2012年研究大会(「文理融合と人間社会科学の再生」をテーマに取り上げた)では、文理融合型研究としての政治社会学や政策学の科学的方法論や基礎理論の課題が取り上げられた。例えば経済学の新潮流、経済物理学の紹介、環境問題の解決で求められる自然科学と社会科学の歴史的アプローチやその理論的考察、設計科学やプログラム科学と呼ばれる問題解決型学問に関する提案や報告がなされた。

これらの文理融合型研究を前提にした政策学の課題は、例えば地球環境問題や地球環境学、原発とエネルギー問題、原発問題を巡る独立調査委員会の課題、旧ソ連・カザフ共和国のセミパラチンスク核実験場での放射能汚染問題とその人間社会病理構造の分析、立法機関での自然科学的議論の成立条件の提案、原発問題と報道機関の批判的検証の研究報告の中で具体的に議論された。

また、現在の政治社会学・政策学の課題、例えば、市場万能主義(新自由主義経済)政策から公益資本主義の在り方、社会関係資本に関する議論、市場経済主義の再認識による効率的な企業運営と公正な政府政策の検証作業、新貨幣論(公共貨幣システム)による債務危機の回避を目指す政策提案、地方分権化を目指す広域自治体での政策課題として、問題解決を具体的に模索する課題へ展開応用された。

政治社会学会の趣旨と国内地域主義・国際地域連携


2012年の研究大会で「グローバル、リージョナル、ナショナル、ローカルを結びつける視点を重視した研究大会を持つ」(新川達郎2012)政治社会学会の在り方が展開した。

つまり、政治社会学会は国内での地域主義に基づく学会であると同時に、東アジア、特に韓国政治社会学会との国際共同研究大会を推進してきた。つまり国内の支部活動(地域での政治社会学会の開催)と韓国政治社会学会と共同で開催される研究大会活動が、政治社会学会の特徴を形成してきた。

ナショナルとローカルを結びつける視点を展開している地域主義の学会運営と、グローバルとリージョナルを結びつける視点をもつ国際地域連携の学会の在り方に関する意味を考え、その意味に含まれる21世紀型学会活動の在り方を自覚的に理解する必要がある。

1、地域社会の政策実践に貢献する学会

政治社会学会は国内に九州政治社会学会、関西政治社会学会と関東政治社会学会の三つの支部(学会)によって構築されている。これらの三つの支部は地域における政治社会学会という名称となっている。学会の定款には、支部に関する定義やその役割に関する条文はない。支部でなく地域政治学科としたのは、それぞれの地域での課題となる政策実践の研究を、学会理事会(学会執行機関)が提案するのでなく、地域の特徴に合わせて、地域で展開発展されるべきという考え方が、学会設立当時から存在していたのではないだろうか。

つまり、政策実践とは、時代性や社会文化性と緊密に関連し、それらの個別的な条件に適応したものである。学問的方法論として文理融合、プログラム科学や設計科学を援用展開しながら、その理論や解釈に、さらに時代性と社会文化性の限定条件を与えることは、科学方法論としても先端的である。それらは、ある意味で現代解釈学の科学認識論に基づき、またある意味で科学理論を解釈の道具として位置付けるプラグマティズムの思想を持つと言える。政策実践に付随した社会文化性や時代性を対自化することで、それらの政策の地域文化的特徴を政策提案者が自覚的に理解することになる。つまり、政策実践とは、時代性と社会文化性に規定されている現場(生活実践や社会実践の場)から問題提起され、またそこでその有効性を検証される理論であり技術であると言える。

一般的な政策提案や政策実践は存在しない。それらは個別性、つまり時代性と社会文化性に規定されている現場を持ち、その現場での有効性を問われる。一般的な政策実践の有効性は存在しない。その意味で政策学研究の方法論(文理融合、プログラム科学や設計科学)は、時代性と社会文化性に規定されていると言える。

検証する場として生活や社会環境の中で政策提案や政策理論の実証が必要とされる。この政策学の理論や方法論から、先端的研究としての政策学の在り方が問われる。つまり、それは政策対象が持つ社会文化性や時代性を前提にした研究方法である。地域における政治社会学会活動は、そうした研究条件、地域社会や生活現場に根差した政策実践を前提にしていると言える。

言い換えると、政治社会学会活動が地域社会の政策実践に貢献することによって、政治社会学会が課題とした文理融合、プログラム科学や設計科学と呼ばれる学問的方法論の根底にある問題解決学的プラグマティズムの思想は鍛え抜かれることになる。それが、政治社会学会の国内地域学会による社会や生活現場主義の方法論を展開すると期待できるのである。

2、東アジアの平和的共存を目指すグローバル・リージョナルな学会活動

政治社会学会は発足当初から、韓国政治社会学会と共に研究活動を行っている。韓国の研究者が政治社会学会に参加し、また韓国で政治社会学会を組織し、一年毎に日韓相互で共同の政治社会学会を開催してきた。

昨年、2012年の研究大会では、東アジア問題に関する二つの国際セッション、一つは東アジアの国際関係に関するセッション、二つ目は東アジアの市民社会の課題に関するセッションが開催された。これらの国際セッションに、韓国を始め海外の研究者が参加した。今年度は、韓国で韓国政治社会学会の主催する国際会議に政治社会学会は参加することになっている。

2012年度研究大会のすぐ後に、政治社会学会は他の学会やNPOと共催してシンポジウム「東アジア共同体への道」(京都大学11月26日)を開催した。さらに、2013年1月12日から13日に東京外国語大学で他の学会と共催して第1回「アジア共生」ジョイントカンファレンス開催した。

政治社会学会会則第2条で、学会活動の目的を定めてある。その条文の中に、「科学技術の著しい発展、地球温暖化問題の発生、グローバル化の急速な進展など、私たちの 住んでいる政治社会(political society, John Locke, 1698)、すなわち市民社会( civil society) は、これまで経験したことのない事態に直面し、さまざまな問題解決を迫られている。」(会則第2条の部分)と記されている。

急速な国際化によって生じる課題を、とりわけ国際地域(グローバル・リージョナル)で共に対応しようとしている。この国際地域の連携は国際紛争や戦争によって生じた莫大な犠牲者や被害への反省に立って進められてきた。その代表例がEU(ヨーロッパ連合)である。

アジア共生や東アジアの平和的共存の願いは、第二次世界大戦やその前の、過去の侵略戦争を繰り返さないために、日本がその責任の所在として、積極的に取り組まなければならない課題であることは言うまでもない。しかし、現実の日本の政治はそうなっていない。寧ろ、逆に過去の過ちを再び繰り返すかのようにも思える。今、私たちは、東アジアでの国際地域(グローバル・リージョナル)連携を可能にするための現実的な提案や政策を検討しなければならない。

政治社会学会は21世紀の東アジア社会の重要な課題を設立の当初から展開してきた。その結果が、韓国政治社会学会との共同学会や他の学会(国内のみでなく国際的な) との「アジア共生」ジョイントカンファレンスである。

政策実践とその学問的探究の目的と政策実践の思想


学会活動の目的を定めた会則第2条では、「科学技術の著しい発展、地球温暖化問題の発生、グローバル化の急速な進展」など21世紀社会の新たな課題に対して、「従来の学問体系全体もパラダイム・シフトを求められ、自然科学ばかりでなく社会科学のあり方そのものが問われている。このような状況に対応するため、政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学の垣根を取り払い、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の学際的学会をめざす。同時に、文理融合や社会科学の復権を模索しながら、新たな社会構築のための理念の調和、叡智あるプログラム設計を探究する。」(会則第2条の部分)と記されている。

つまり、政策実践の目的は、より良い市民社会、生活環境、民主主義文化の成熟にある。

その目的を実現するために、政治社会学会の設立趣旨に基づく「新たな社会に対応する学会指針の三本柱」(荒木義修2010)が提案された。三つの柱の一つは政策学を「文理融合型の学際的研究」として展開することであった。その具体的な展開目標として、文理融合型政策実践によって「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学の垣根を取り払い」(荒木義修2010)、人文社会科学のパラダイム・シフトを促し、「人文社会科学再生への道」(荒木義修2010)を目指すことであった。そして、これらの研究と実践の展開の方向は、明らかに「新たな社会構想」(荒木義修2010)を形成するためであった。つまり、その社会構想とは21世紀社会で必要とされる問題解決学としての政策実践と理論であった。それを「理念の調和と叡智あるプログラム設計」(荒木義修2010)と呼んだ。

この問題提起と視点から、2010年から2012年までの研究大会のテーマに「文理融合と人間社会科学の再生」を掲げた。そして、「政策実践の目的は、より良い市民社会、生活環境、民主主義文化の成熟にある」という政策思想の原点に立ち帰ることが常に求められている。

第四回大会のテーマ 「文理融合と社会デザイン」の課題


21世紀社会(科学技術文明社会)での政策学(政治社会学)の大きな課題として、すべての経済社会文化政策の企画から実施に至るまで高度な専門知識が必要となる。しかも、政策決定に必要とされるそれらの専門的知識には、理系や文系の境界は存在していない。問われる課題は有効な政策のための知識ということである。つまり問題解決力を問われている研究、政策学研究の視点から言えば、21世紀の政策学は文理融合型の研究が大前提となる。

政治社会学会設立記念総会から3回目の総会まで、学会は理工系の科学技術と人文社会系科学技術の領域を超えて問題解決力を求める政策学の方法論や課題を議論してきた。その意味で、これまでの研究大会では、政治社会学会が提起する21世紀の政策学の方法論(プログラム科学や設計科学)、それらの実践的検証を社会の実現(原発問題や環境問題)に焦点を合わせながら、議論してきた。

上記した21世紀型政策学の基本課題を社会現実の中で議論し研究活動の蓄積を前提にして、さらに、それらの文理融合型政策学を具体的な社会課題の中で、「実践的な政策提案型研究活動」に展開するために、第四回大会のテーマを「文理融合と社会デザイン」とした。

この「文理融合と社会デザイン」のテーマは政治社会学会の第二期の研究活動を意味している。つまり、この学会がこれまで以上に「実践的な政策提案型研究活動」を展開することを課題にしていると言える。言い換えると、政治社会学会の会員があらゆる分野の政策提案やその実践の場により深く関係し自らの人間社会、生態文化、環境科学の研究を展開することを目指すための学会活動の方向を示しているとも言える。

2013年度研究大会テーマ「文理融合と社会デザイン」を展開するために、学会では2つの基調講演と5つのセッションを準備した。「社会デザインと政策実践」、「社会デザインと民主主義」、「教育と政治社会」、「生態環境と政治社会」と「政策提言型会員公募セッション」である。

引用、参考資料


(1) 政治社会学会(ASPOS)ホームページ
http://aspos.web.fc2.com/
「政治社会学会は、政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会を目指し2010年11月に発足しました」(政治社会学会ホームページ)
http://aspos.web.fc2.com/arakiaisatu.html/

(2) 政治社会学会の設立の趣旨
「科学技術の著しい発展、地球温暖化問題の発生、グローバル化の急速な進展など、私たちの住んでいる政治社会(political society, John Locke 1698)、すなわち市民社会(civil society)は、これまで経験したことのない事態に直面し、さまざまな問題解決を迫られています。しかし、これに呼応して従来の学問体系全体がパラダイム・シフトを求められていることに気づいている人はごく少数です。自然科学ばかりでなく社会科学のあり方そのものが問われています。このような状況に社会的に対応するため、2010年3月に、「政治社会学会」を立ち上げることにしました。

政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学の垣根を取り払い、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会を目指しています。同時に、文理融合や人文社会科学の再生を模索しながら、新たな社会の構築のために、必要と思われる理念の調和と叡智あるプログラム設計を探究していこうとするものです。ご賛同いただける方は、本会を通じて、積極的なご加入とご支援をお願い申し上げます。

なお、本学会では、潤滑な企画運営をはかるため、文理融合部会、政治社会学部会、政治経済学部会、国際社会学部会、国際交流部会、ポスター・セッション部会を設置しています。

【新たな社会に対応する学会指針の三本柱】

1.文理融合型の学際的研究を可能にする新たな視点の再開発
2.リベラル・アーツの再検討と人文社会科学再生への道
3.新たな社会構想:必要とされる理念の調和と叡智あるプログラム設計 」(荒木義修2010)
http://aspos.web.fc2.com/arakiaisatu.html/

(3) 第三回政治社会学会総会及び研究大会プログラム
http://aspos.web.fc2.com/20121123-25aspos3.pdf

(4) 第三回政治社会学会総会及び研究大会報告要旨集
http://aspos.web.fc2.com/20121123-25abstract.pdf

(5) 2013年度 第1回「アジアの共生」ジョイント・コンファレンス  -大会テーマ「東アジア安全保障共同体と日米関係」プログラム –
http://aspos.web.fc2.com/jointconference.html

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個別的震災パターン分析と震災救助対策の検討、評価、改善の作業

災害政策の設計科学的展開を目指す


三石博行


個別的震災パターンと普遍的震災パターン

個別の震災パターンの分析を通じて、そのパターンの特殊性を理解するだけでなく、一般的な震災パターンを理解することが出来る。どの震災や災害でも起こる罹災地での救済活動の在り方、罹災直前に必要となる救援物資等々が、ここで言う一般的な震災パターンに属する。

ここで用語的な混乱を防ぐために、震災パターンを震災による被害の状況とそれに対する救援活動と定義する。そして、個別的震災パターンを、例えば阪神淡路大震災や東日本大震災のような個々の震災の被害状況やその救援活動と定義する。それに対して、どの震災でも一般的に生じる被災状況や救援活動の在り方を普遍的震災パターンと定義したい。

阪神淡路大震災の都市直下型震災状況は阪神淡路大震災の個別的震災パターンである。また、東日本大震災の原発事故、地震と津波による広域の災害状況やそれに対する救援活動の在り方は東日本大震災の個別的震災パターンである。そして、阪神淡路大震災や東日本大震災を含み他の震災でも共通する災害状況とそれに対する救援活動の在り方が普遍的震災パターンである。

言い換えると、個別的震災パターンの分析から、それに類似する震災パターンへの対応が可能になる。また、普遍的震災パターンの分析によって、震災や自然災害一般への救援体制に関する安全管理や危機管理の方針が検討されることになる。


個別的震災パターンの多様性

個別的震災パターンを構成する要素とは、地理的条件、気象的条件、生態環境的条件、経済的条件、文化的条件、政治的条件、地域社会的条件や技術的条件等々が挙げられる。それらの条件は幾つかの要素によって構成されている。また、条件を構成する要素の質的関係のみでなく、特に対立する要素間の相対的傾向、すなわち二つの要素間の相対的比率や二つの要素の存在確率という量的関係によっても決定されている。

地理的条件とは、都市直下型と呼ばれる阪神淡路大震災のような罹災地が都市に集中しているケースや東日本大震災のように都市や農村漁村を含む広域地域に罹災地が広がっているケースなどがある。例えば、地理的条件を列挙すると、都市型と村落型や僻地型、広域型と局所型、海岸地域型と山村地域型や山岳地域型等がある。それらの質的要素の存在比率の変化によって、多様な組み合わせが生まれ、それがそれぞれの震災の地理的条件の多様性を生み出しているのである。

気象的条件とは、基本的には気象を構成する基本要素である雨量、日照時間、気温、湿度によって決定されている。それらの組み合わせによって、季節的条件、気候的条件が生み出されるが、そればかりではない。風力や風向きなどがミクロ的要因として考えられる。そして、それらの要因が多様に組み合わされ、その要因の多様な量的変化によって多様な気象的条件が形成される。

生態環境的条件とは、上記の地理的条件と気象的条件によって形成された条件によって構成されている。例えば、南日本、西日本、東海、北陸、中部、南関東、北関東、東北太平洋岸、東北日本海岸等々と日本の地方を分類する特徴は、これらの地域固有の生態環境を構成している要素によって構築されている。それらの要素とは、例えば、海岸と内陸、緯度や経度、暖流と寒流、雨量、日照時間、気温、平地と山岳地、都市と農村等々である。さらに、それらの対立要因間の相対的比率によって、多様な生態環境条件が形成されることになる。

経済的条件とは、国民経済生産性や国内総生産(GDP)からや、世界経済の視点から先進国型、発展途上国型、貧困国型に分類することもできる。また、工業地帯型、商業地帯、サービス業地帯、農業地帯型、漁業地帯型のような産業構造からの分類も可能である。工業地帯型でも、重工業地帯から軽工業地帯まであり、さらに大企業地帯から中小企業地帯、ベンチャー産業から伝統産業地帯と、その姿は実に多様であると言える。同様のことは商業地帯、サービス業地帯、農業地帯型、漁業地帯型でもその産業規模やその他の要素、例えば伝統産業型やベンチャー産業型によって非常に多様な形態が存在する。また、産業構造からと国民経済生産性からの分類が組み合わさり、さらに新たな分類カテゴリーが形成される。例えば、農業地帯型でも国民経済生産性の高い地域もあれば、低い地域もある。

このように、上記したように震災パターンは、さらに多様な文化的条件、政治的条件、地域社会的条件や技術的条件等が考えられるのであるが、以上の条件を震災パターンの構成要素と考えるなら、それらの要素の組み合わせ(マトリックス)によって震災パターンの多様性が生み出されていると考えることが可能である。

震災パターンとは、「(幾つかの地理的条件・G=Σg(n)、幾つかの気象的条件・C=Σc(n)、幾つかの生態環境的条件・Ecol=ΣEcol(n)、幾つかの経済的条件・Econ=ΣEcon (n)、幾つかの文化的条件・Cul =ΣCul(n) 、幾つかの政治的条件・P=Σp(n)、幾つかの社会的条件・S=Σs(n)、幾つかの技術的条件・T=Σt(n))のマトリックス」構造である。

つまり、あるFの震災パターンとは、例えば、g(1) の地理的条件、c(4)の気象的条件の中から、Ecol(5)の生態環境的条件、Econ (8)の経済的条件、Cul(9)の文化的条件、p(o)の政治的条件、s(p)の社会的条件、t(l)の技術的条件というそれぞれの構成条件の中の一つの要素間の組み合わせによって構築されることになる。ある個別の震災パターンF(n)を以下の成立条件の要素の組み合わせとか関数的関係として表現できると思われる。

F(n)=(g(1),c(4),Ecol(5),Econ (8),Cul(9),p(o),s(p),t(l)) (1)

このモデルから明らかなように、個別的震災パターンも幾つかのその成立条件の組み合わせである。その意味で、震災(災害)パターンは多様であるが、そのパターンが無限にあるのではなく、非常に多くの可能なケースが考えられると言える。つまり、F(n)のパターン数はnの大きさによって決定されることになる。すべての震災パターンをF(太文字のF)とすれば、以下のように表現できるだろう。

F = ΣF(n) (2)


震災救助パターンに含まれる行動主体の内的要因の計量化

個々の震災パターンに対して救援活動が取り組まれることになる。現実の震災では、震災パターンを事前に分析し起こりうる可能な震災状況をシミレーションすることはない。ほとんど、震災が起こり、そこに発生している災害状況に応じて、可能な救援活動が取り組まれることになる。

前節で説明したように震災パターンは、地理的条件、気象的条件、生態環境的条件、経済的条件、文化的条件、政治的条件、地域社会的条件や技術的条件等々、言い換えると震災活動を行う主体の行動を決定づけている人間(活動主体)の持つ知識、能力、技能や方法等々、主体の行動力を決定している内的要因ではなく、むしろ、その活動主体を取り囲む環境的な要因(外的要因)である。

逆に、個別の震災パターンに対する震災救助パターンは、その活動を行う個人や集団のもつ知識、能力、技能、方法、スキル、経験に大きく依存しているのである。つまり、震災パターンが決まれば、そのパターンに即した震災対応が自動的に可能になる訳ではなく、上記した救助する人々の行動を決定している要素、行動主体を決定している要素(内的要因)を同時に組み込まなければならないのである。

震災救助活動を行う行動主体の要素(内的要因・A)とは、例えば、震災救助に関する知識(K)、その知識を生かす技能(スキル・S)、震災救助への情熱や意思(P)、モラル(M)、また震災救助を行う主体の精神的、肉体的健康状態(H)等も含まれる。つまり、それらの内的要因はこれまでの政策学では問われることがなかった要因であり、また正統派社会科学では問題として扱われることのなかった要因であると言える。言い方を変えると、この内的要因を持ち込むことで、「厳密な科学としての政策学」の成立が疑われる可能性すらある。

しかし、現実の震災救助活動の現場では、救助活動を担う人々の震災救助に関する知識、技能(スキル)、震災救助への意思、また震災救助を行う人々の健康状態が重要であることは言うまでもない。この現場の常識を以て、正統派社会学の「物質要素中心主義」を修正するならば、上記した内的要因を計量化する作業を行うことで、震災救助活動主体の多様な状況を想定することが出来る。

例えば、知識(K)、技能(S)、意思(P)、モラル(M)、健康状態(H)等の要因を計量化するために、それらの要因にレベル評価の程度を入れる。非常に良い「5」として、良い「4」、普通「3」、やや劣る「2」、非常に劣る「1」とすれば、質的変数を量的変数に変換することができる。この手法はすでに統計学で使われているので、決して目新しい方法ではない。

例えば、震災救助を行うある人の震災救助に関する知識は非常に良い状態K(5) 、技能(スキル)は良い状態S(4)、仕事への情熱も非常に高くP (5)、モラルも優れている状態M(4)、しかし健康状態が非常に悪い状態H (l) の場合、この救助活動の主体評価は、以下のように表現できる。

A(m)=(K(5),S(4),P (5),M(4),H (l)) (3)

このことは、震災救助主体のパターンも無限にあるのでなく、それぞれの要因の組み合わせによって多様に存在していることが理解できる。つまり、すべての震災救助主体のパターンをA(太文字のA)とすれば、Aは以下のように表現可能である。

A = ΣA(m) (4)


震災救助対策の分析とその改善

現実の震災時の社会的状況(Cs)は、個別の震災状況とそれに対する個別の救援活動状況によって構成されている。つまり、個別的震災パターンとそれに対する具体的な震災救助主体のパターンによって、現実の震災時の社会的状況が決定されていると言える。言い換えると、F(n)と A(m)の二つの要素によって、現実の震災時の社会的状況は構築されている。

上記した現実の震災時の社会的状況の概念を、前記した(1)と(3)の計量的概念を用いて、表現すると、以下のようになる。

Cs(p) = f(F(n), A(m))  (5)

すべての震災状況とは、この(5)式で示した、ある個別の個別的震災パターンとそれに対する具体的な震災救助主体のパターンとの関係によって生み出されたものである。現実の震災現象は、この(5)式で示したものとして現れる。

このことから、震災状況の現実がより被害の少ない状況になるように対策を考えることが課題となる。つまり、ある地域での過去の震災や災害の状況が教える課題は、その災害の個別的な特殊パターンのみでなく、災害時での救援活動の質に関する分析や解釈評価にある。災害時の救援活動の質をより詳しく分析し、その反省を次の災害に活かすことが、この分析の最終的目的であることは言うまでもない。


具体的な震災対策の検討課題、震災経験の蓄積と制度化、その評価

1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災から今年で18年目を迎えた。この震災の教訓がその後の日本社会の震災対策に大きく影響を与えた。取り分け、ボランティア活動の意味を社会が理解し、その役割と社会的機能を震災や自然災害対策に活かす試みが行われてきた。阪神淡路大震災以来、震災のもみならず自然災害や事故、例を挙げると1997年に北陸福井の海岸で起きた重油タンカー「ナホトカ号」の事故でも原油による海岸汚染物質の除去作業に全国から多くのボランティアが集まった(1)。

今回の東日本大震災ではこれまで市民運動を経験したことのない人々が使命感に燃え積極的にネットワークを活用したボランティア活動を組織し、驚くべき力を発揮し全国的な支援活動を組織した(2)。西條剛央氏の組織した「ふんばろう日本支援プロジェクト」は行政の支援活動が行き届かない地域に必要な支援物資を送り、全国から参加してきたボランティアを必要に応じて手際よく罹災地に送り出した(3)。

阪神淡路大震災のボランティア活動の経験や教訓が他の災害に活用されたことは、そのボランティア活動(震災救済)が普遍的災害パターンとなったことを意味する。つまり、個別的震災パターンが異なる災害状況下で再現され活用され、ある一定の救援活動のプロトコールを作り出し、新たな個別的震災パターンの中で、発展的に展開し、その経験や教訓を蓄積し続けるのである。

災害はそれぞれの個別的な要因(個別的震災パターンと呼んだ)がある。したがって、それぞれの状況に対して災害救助活動は取り組まれている。しかも、これまでの災害救助活動の経験が、その取組に活かされる。また、それらの状況や経験を点検し、災害対策が制度化されることもある。

よりよい災害対策の事例として、個別の災害パターン(個別的震災パターン)をより分析的に理解する作業と、同時に災害救助活動の質、つまり震災救助主体のパターンの理解とその質的課題の解決を問題にすること、この二つの課題が同時に問題となる。

それぞれの地域によって予想される災害、震災のパターン分析をより具体的に行う必要がある。そのために、あらゆる調査施設、気象庁、国土庁、環境庁、市役所、通信会社のビックデータ、その他調査機関のデータ、大学研究機関、学会等々の情報の総合的分析や評価のシステムが必要となる。すでに、GPSのビックデータを基にした東日本大震災での避難行動に関する分析が行われている。

また、同時に、ボランティア活動の組織化やその運営、安否情報支援体制、救助情報の管理、避難所運営、救援物資の配給、生活情報支援等々、被災者支援活動の質を向上させるための研究、災害救助行動の分析と改善のための組織的な研究やその情報交換や政策展開が必要となるだろう。


引用、参考資料

(1) Wikipedia 「ナホトカ号重油流出事故」

(2) 西條剛央  『人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』

(3) Wikipedia「西條剛央」より「西條は、『ふんばろう東日本支援プロジェクト』を設立、代表をつとめている。ふんばろう東日本支援プロジェクトは、構造構成主義が方法原理として採用されている。支援を行った避難所と個人宅避難所は延250箇所、物資の提供して頂いた方は、延2500人(団体や会社を含む)。冬物家電の提供では1万5千件に達している。」

(4) 三石博行 東日本大震災の分析と津波防波堤計画の合理的経済的な在り方とは http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/05/blog-post_15.html


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して」 http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/03/blog-post_23.html


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2013年6月5日水曜日

阪神大震災時に発行されたチラシの生活情報の質的変化と住民による震災時のチラシの発行の社会的必要性について

生活情報の危機の構築に関する課題として


三石博行


英文での論文 発表要旨

阪神淡路大震災に関する住民情報紙の調査は、災害時に市民が自主的に発行する生活情報のあり方を教えた。市民社会の発達した先進国では災害時の生活情報の危機管理を市民が担う力をもっている。この調査はその実例を示したものである。また、市民の発行する生活情報が市民の必要性に応じて変化する経過も調査で分かった。

38種類の震災に関する住民情報紙を調査し、それらの性質を理解するために情報紙の初動情報日、発行日数間隔、情報頻度(発行日数間隔)の要素を使って分析した。震災直後に発行された第一次生活情報(生命を守るために必要な生活情報)を記載した住民情報紙(第一期住民情報紙)、復旧活動(第二期住民情報紙)や復興活動(第三期住民情報紙)に関する住民情報紙の分類が可能になった。そして情報紙が、社会的要請を受けて、第一期、第二期と第三期の住民情報紙へと変遷することも理解できた。特に、生活情報の危機管理の在り方を考えるとき、第一期住民情報紙の発行を支える情報ボランティア運動の重要性が明らかになった。

国内の学会では、これまでの研究調査結果を報告する機会があった。そして、国際学会では一回の報告の機会があった。今回、取り分け災害時の住民情報紙に関する調査研究結果を英文にして報告する。

震災に関する住民情報紙のデータベースは神戸大学が収集していた。そのデータベースを当時龍谷大学経済学部河村研究室で卒論を書いていた学生と共に長い時間を掛けて調査を行い、そのデータをまとめた。

紙切れの集まりである住民情報紙に関する社会情報分析の視点からの調査研究の結果であるこの報告が意味するものは、震災時に必要とされる生活情報が、地方自治体組織や町内会によって提供されたのでなく、自発的に生み出されたボランティア運動によって担われていたという事実である。

このことは、震災時の生活情報の危機管理を考える上で、参考になると思われる。現在、生活情報の危機管理や安全管理の課題が、社会システムの中で問われている。災害に強い強固な安全管理システムを作ることは必要である。

しかし、その強固な社会の安全管理システムが壊れた時に考えなければならないのが危機管理である。社会システムの危機管理の形成は、安全管理のシステムと同じ発想を持って作ることは出来ない。この単純な発想が、現在、わが国では了解されていない。つまり、巨額の資金で、強固な建物や箱物を作る発想しか、社会経済システムの危機管理をイメージできないのである。

ここでは、危機管理はボランティア運動という市民文化であると位置付けられている。つまり、社会システムが、日常的に生活文化の中で、主体的な市民活動を育て、かつ、その意味を理解することが必要なのである。この問題提起を、この論文では行っているのである。


英文タイトル

「Considering the developmental form of the nature of resident-generated newsletters published during the Kobe Earthquake and their social necessity -To construct a risk management system that sensibly relates to living information- 」


キーワード

Aftermath of the Kobe Earthquake,(阪神淡路大震災の影響)
Risk management of daily living information,(生活情報の危機管理)
First release of information, News source (初動情報日) 
Interval of news release, (発行日数間隔 情報頻度)
News duration, (発行継続日)
First period of information from residents, (第一期住民情報)
Second period of information from residents, (第二期住民情報)
Third period of information from residents, (第三期住民情報)
Evolving form of information from residents, (住民情報の進化)


論文ダウンロード
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_03/cMITShir12a.pdf

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関連ブログ文書集


三石博行 ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」

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2013年5月15日水曜日

東日本大震災の分析と津波防波堤計画の合理的経済的な在り方とは

民主主義制度の持つ経済性

三石博行


未来の震災対策のための過去の震災パターン分析

阪神淡路大震災やその他の震災を通じて得た経験や教訓は、当然、その後の震災に役立っている。しかし、それらの教訓や経験は阪神淡路大震災の特徴を前提にして形成されたものである以上、東日本大震災では、その経験がすべて役だった訳ではない。例えば、2011年3月11日に起こった東日本大震災は、阪神淡路大震災のような都市直下型や新潟県中越地震のような局所的震災ではなかった。広大な地域が地震と津波の被害を受けた。青森から茨城までの広大な地域が罹災した。

地震と津波による広域の罹災地を抱えた東日本大震災の場合、都市直下・局地型の阪神淡路大震災と比較するなら、広域罹災地への救援活動は遅れた。特に三陸海岸地域の半島に位置する孤立した被災地への救援活動は困難を来した。また、海岸線に近接した幹線道路や鉄道が津波によって破壊されたため、救援活動はもちろんのこと、罹災地への食糧や医療などの生命維持に直結する支援が震災直後に十分に出来なかった。

近未来に発生すると予言されている東南海地震では東海、南海、四国地方にわたる広域の海岸線地帯が地震や津波被害が予測されている。この東南海地震では東日本大震災時の救援活動の経験や教訓が活かされるだろう。そのためにも、東日本大震災の震災パターンの分析とその対策の研究が必要となる。

東日本大震災の震災パターンには大きく分けて二つの課題があった(1)。一つは広域の地震と津波の被害とその救済活動、もう一つは福島原発事故を伴う被害とその救済活動であった。今回は、前者の課題に絞って、東日本大震災の震災パターンについて述べている。巨大津波・地震に原発事故が併発した震災パターンは、確かに、東南海地震の場合でも、浜岡原子力発電所が海岸に隣接している以上、そのまま当てはまると言えるだろう。

これまで、政府を中心としてすべての分野の研究機関や企業の協力を得ながら東日本大震災の震災パターンの分析が進んでいる。例えば、携帯電話やカーナビゲーションのGPSシステム情報から東日本大震災時の避難行動の軌跡データが抽出され、それらの莫大なデータベースが統計分析されている。その分析から、震災時の人々の避難行動の解明、避難行動傾向、障害が分析されている。そしてその分析によって、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、避難に必要なインフラの整備計画が立てられようとしている。こうした災害パターンとその対策がこれからの災害救済活動に必要であることは言うまでもないだろう。

今までの震災経験に基づく震災パターン分析(被災状況や救済活動の分析)は今後の震災対策の在り方や考え方、つまり安全対策、危機管理や救援システムを考えるときの重要な材料となる。


安全管理の経済論理と津波対策

震災対策とは被害を最小限に防ぐということである。巨大地震や津波によって受ける災害をゼロにすることは不可能である。言い換えると、大地震や大津波に対して災害を受けないという対策は不可能である。つまり、より現実的な震災対策とは、人命救助や最低限の生活環境の維持に必要な社会資源の安全管理や減災のための対策であると言える。

減災としての震災対策は安全管理の経済論理が働く。安全管理の経済論理では、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている(2)。地域経済活動を犠牲にしなければ完全な人命の安全を保障されないという極端な例を取っても、必ずしも完全な人命の安全が経済活動に優先するとは限らないのである。何故なら、経済活動の消滅によって、過疎化が進行すれば、その地域の人命を守る意味も全くとは言わないまでも大きく失われることになる。つまり震災パターン(被災状況や救済活動)の分析から必要とされる現実的な安全管理を決定しなければならない。

最近、三陸海岸にまるで万里の長城のような防波堤(津波対策用の)の建設計画が問題となっている。人命を守るために計画されたこの巨大な津波防波堤建設の計画に対して住民の一部から批判が出ている。その批判の根拠は、津波防波堤によって失われる生活環境の便宜性や景観である。それらよりもより人命を守ることが大切だという考え方に誰も正面から反対は出来ない。がしかし、この安全対策の背景にある震災復興資金に群がる一部利権集団の影を感じる人々に取って、この計画への疑問が沸き起こることも避けられない事実である。そのためには、この計画を住民参加と情報公開の方法で、根本から問い掛ける必要がある。

この巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題を以下3点に整理した。
1、人命の犠牲を最小限にするための対策として最も費用対効果の高い対策
2、地域社会の経済や文化を維持発展するために必要な津波災害への最も費用対効果の高い対策
3、 安全管理とは生活環境の一部を改善することによって可能になる。その安全管理システムが地域社会の生活者によって管理運営されなければ、その機能は失われる。そのためには、安全管理システムの企画、設計、建設過程に住民の参画が必要となる。


住民参画型の安全管理システム企画や構築活動の意味

巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題として、その建設の企画、設計や建設過程に住民が参画する必要性について述べたのだが、その意味を理解しなければ、安全対策への住民参画も形式的なものとなる可能性がある。すでに前節で述べたが、安全管理の対策は住民の生活環境の一部として恒常的に行われることで正しく機能する。例えば、巨額の管理費用を掛けないで、防波堤や防潮堤を維持管理するためは、その管理を地域住民の参加によって行うことが必要となる。勿論、それらの管理には専門的な知識や技術が必要であるが、日常的なその安全管理システムの運用は地域住民の参加によって、より効果的に、またより低コストで行うことができる。

例えば日本社会独自の防災制度、消防団の例を取るまでもなく、住民参画型の安全管理システムは日本社会の伝統として存在している。その意味で、津波防波堤の日常的管理を地域社会やそこに住む人々に委託(アウトソーシング)することが、長期的に見れば経済的であり、合理的であり、かつより有効であると理解できる。長期的な防災・津波防波堤の維持管理を行うためには、その企画段階から地域住民や自治体の参画が必要となることは言うまでもない。

地域での災害に強い生活環境の建設事業の一環として、津波防波堤のみでなく、震災に強い街づくりを住民参加型プロジェクトで進めることが長期的視点に立ってもより現実的な、つまり地域の生活環境と文化に適してシステムが形成される可能性が大きい。勿論、自然災害、また原発事故に対する安全対策や危機管理システムの形成には専門的な知識が必要である。そのために、このプロジェクトには専門家の調査や提言を行う委員会が必要となる。それらの専門家を地域社会・自治体や住民がリクルートすることが困難な場合には、政府(官庁)や地方行政(県庁)がその委員会メンバーの推薦を行うこともできる。住民参加型で震災からの復旧や復興活動を進めることで、その後の社会運営にも大きな効果が生まれることは間違いないのである。


経済的な減災対策と民主主義

震災への安全管理の基本は減災政策であることはすでに述べた。その減災の意味は地域社会の経済環境、文化環境、生態環境、生活環境によって、それぞれ独自に決められる。例えば、非常に生産性の高い社会資本や生産地帯を持つ地域では、それらの地域を守るための投資が行われる。その減災対策費(投資金額)は安全管理の経済論理、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている。また、生産能力が相対的に小さい場所では、その安全管理に巨大なコストを掛けることはしない。

こうした安全対策の現実的で現場に適用した判断を行うことは、地域社会がある限られた予算(震災地域への復興予算)の枠を決められることによって、独自に判断し、その対策を行うことがより地域の事情に合った減災対策が可能になる。勿論、地域社会での復興予算の使用に関する不透明な談合や不正を防ぐためには、予算執行までの過程、つまり、震災復興地域委員会への住民参加と情報公開を義務付けなければならないだろう。また、同時に、それらの成果、つまり予算を使った減災対策や復興活動の成果を点検する第三者を入れた評価委員会が必要となる。

地域社会での住民参画型の減災対策、復興計画、都市計画、地域社会文化計画があるなら、そしてその活動をサポートする国家の政策、地方行政の在り方、専門家集団の協力体制、さらには情報公開制度や予算の住民の仕分け活動、政策評価委員会等々の民主主義のシステムがあるなら、それらのシステムの中で、地域独自の震災パターン(被災状況や救済活動)の分析や評価から、地域に合った現実的な安全管理、減災対策の企画、決定、実行と評価点検活動が成さるだろう。


引用、参考資料

(1) 三石博行 「大震災・津波と原発事故を引き起こした東日本大震災復興活動が問いかける課題」
ブログ文書 2013年5月2日

(2) 三石博行 「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して
東日本大震災の復旧・復興、 災害に強い社会建設を目指して」 ブログ文書集
2章 現代社会での安全管理
3章 現代社会での危機管理
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

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2013年5月13日月曜日

東日本大震災復興活動が問いかける課題

未来社会に必要とされる原発事故原因解明と事故処理の経験

三石博行


今、東日本大震災の課題を問うことの意味

地震・巨大津波と原発事故・広域放射能汚染の二つの異なる災害を引き起こした東日本大震災に関して、改めてその意味を考えなければならない。このことを敢えて今更言わなくてもよいと言われるかもしれない。しかし、東日本大震災の意味を問うというこの当然の疑問の中から現代社会での自然災害の姿を改めて見直す必要に我々は立たされていることに気付くのである。

再び見え始めた経済成長の希望に沸き立つ現在の日本社会を観るとき、これほどの大災害に遭いながらも、この災害の意味する深刻な課題を忘れ去ろうとする社会の動きを感じる。そこで、東日本大震災は人類史に残る大災害であったと改めて言うことで、希望の未来・経済成長に関心を向けようとしている現在の社会の流れに対して、私はあえて警告と反省を呼びかけ、この大災害から問われている重大な社会的課題を共に考えることを提唱したい。

だからと言って、私は、現政権が進める政策や経済成長が悪いと批判しているのではない。また、災害復旧や復興と経済成長が対立すると言っているわけでもない。ただ、自然災害からの復興のためには社会経済的な力が必要であるのは当然である。だがしかし、この大災害は、単なる自然災害だけでなく、以前、経済成長のために進められたエネルギー政策、安全を無視した原発建設によって引き起こされた事故でもある。そのことを忘れてはいけないと言っているのである。

社会や国民の生命や健康に関する安全管理と経済成長は対立する概念ではない。むしろ、安全管理を無視することで社会経済的な被害を受けることになると考えるのは言うまでもないだろう。しかし、現在の社会の流れは、経済成長のためには安全を犠牲にしても仕方がないという暗黙の了解が渦巻こうとしていないだろうか。

今年になって、原発事故に対する社会的な危機意識は大きく後退した。原発事故で沈黙を守ってきた人々、長年自民党政権下で利権を得てきた原子力ムラの一部の人々が「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」というキャンペーンを始めた(1)。そして、同時に、福島原発事故の徹底的調査は中断状態に置かれ、これまでのエネルギー政策が復権しつつあるように思われるのである。


地震・巨大津波と原発事故による放射汚染災害としての東日本大震災の特徴

2011年3月11日に起こった大災害・東日本大震災は、その発生当時から二つの異なる災害の質を持っている。一つは、地震と津波に代表される自然災害であり、もう一つは原発事故に代表される社会災害である。この二つの災害要因の異なる性質を、災害発生時から正確に理解しなければならなかった(2)。

一つ目の災害因子に対しては、これまでの震災経験を活かすことが出来た。例えば、1995年1月17日の阪神淡路大震災や2004年10月23日のその後の災害救済活動の経験が活かされた。しかし、すべての過去の経験が今回の東日本大震災の対策に活用された訳ではない。東日本大震災は、都市直下型の阪神大震災やまた新潟県中越地方を局所的に襲った新潟県中越地震と異なり、東北地方から北関東地方の太平洋岸全域に被害をもたらした。東日本全体にわたる巨大な地震と津波による大災害はこれまでの災害経験を超えていたと言えるだろう。

そればかりではなく、東京電力福島第一原子力発電所の4つの原子炉が同時に事故を起こし、1号機から3号機がメルトダウンを起こした。二つの原子炉が水素爆発を起こし、高濃度の放射能が大気中に放出され、福島のみでなく関東から東北太平洋岸を含む広範囲の放射能汚染が起こった。現在でも14万人の人々が避難生活を強いられている。しかも、福島第一原子力発電所の事故現場では放射能汚染水漏れ事故が繰り返され、汚染水の貯蔵が限界に来ると言われ、また使用済み核燃料のメルトダウンとそれに伴う巨大放射能汚染の可能性も残っているのである。原発事故は終結したのではない。事故は現在も進行中であり、今後、首都圏を含む広域の放射能汚染のリスクを抱える可能性を孕んでいるのである。

東日本大震災によって、地震と津波によって破壊された罹災地と原発事故によって高濃度放射能汚染を受けた被災地が生まれた。前者の罹災地に対しては、これまでの局地型震災と災害の規模が違うと言え、これまでの震災や津波被害に対する救済活動の経験や教訓が活かされる可能性を持っている。しかし、福島第一原発の事故によって発生した放射能汚染災害は日本社会がこれまで経験していない災害である。そのため、この災害に対しては、すべて初めての災害対策や救済活動が求められることになった。

震災や津波被害と放射能汚染災害の最も大きな違いは災害期間が基本的に異なることである。前者が一過的災害であるのに対して、後者は長期的災害となる。つまり、前者は災害直後に復旧や復興計画が立つが、後者は全く立たない。東日本大震災は、地震と津波による被災と原発事故によるそれとが重なることによって、これまで日本の震災史に書き込まれていない対策を求められた初めてのケースとなったのである。

震災当初から、地震と津波によって破壊された罹災地への震災対策と原発事故対策や放射能汚染対策は分けて取り組まれている。岩手や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地対策はこれまでの震災対策を活かしながら対応ができる。しかし、福島県を中心とする原発事故による被害地への救援活動や福島第一原発の事故処理の活動は、チェルノブイリの経験と同じく、これまで世界や日本の歴史の中で人類が経験したことのない災害対策や救援活動の在り方が求められている。


これまでの震災経験の活用と、問題解決型の震災対策の分析・設計活動

福島原発事故を引き起こした東日本大震災では、阪神淡路大震災やその他の震災での経験や教訓を超えた課題が問われた。岩手県や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地での救援活動に対しては、不十分な点はありながらも、阪神淡路大震災で学んだ多くの経験が活かされることになった。言い換えると、放射能被害を受けなかった震災地域と受けた震災地域の両方が東日本大震災を特徴づけたのである。そして 今回の福島原発事故の経験は、 自然災害の多い日本では、今後、地震によって原発事故が起こる可能性を示し、また、今回の放射能被害を受ける可能性のある罹災地の災害対策に活かされなければならないことを深刻に問い掛けている。

都市型や局所型の震災に比べ、広大な地域に広がる罹災地を抱えた東日本大震災の場合、罹災地での支援物資の供給活動は完全ではなかった。東日本大震災への対策や救援活動から得られた教訓が、その意味で、今後の震災対策の考え方、安全対策、危機管理や救援システムに活かされようとしている。インターネットや携帯電話、GPSシステムの巨大データベースが情報処理を駆使した統計処理によって分析され、震災時の人々の動きの理解を与え、それの分析資料から、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、それに必要なインフラの整備計画が復興対策の中に織り込まれようとしている。これまでの震災や津波のデータをあらゆる分野の研究成果を駆使して分析することによって、より有効な震災津波対策案が検討されることになるだろう。

震災被害を最小限に防ぐということが震災対策の最も重要な課題である。震災対策への投資コストと震災から受ける被害コストのバランスから投資の規模が算出される。これが現実的な対策が検討される基準となる。つまり、震災対策は経済上のコスト計算によって決定されている。その投資内容は、あらゆる分野の技術力や技能を投入動員したとしても、より効率よく、より経済的に、より便宜性を高めた選択枝が常に求められることになる。


福島原発事故と事故処理で生じる失敗が問いかける課題、東電や政府の責任問題 

他の震災と異なる東日本大震災が与えた教訓は原発事故である。震災や津波が原発の巨大災害を引き起こすということがこの震災を通じて世界の人々に理解された。その意味で、東日本大震災と福島原発事故は切り離して考えられない。と同時にこの悲惨な事故が我々に警告している課題を理解しなければならない。

今、世界には原子力発電が431基(2010年)ある(3)。しかも、不足するエネルギーの最も経済的で手っ取り早い解決手段として原子力発電所の建設が計画されている。今後、中国では建設中と計画中の原子炉は56基あり、現在稼働中の原発を入れると70基の原発が建設される予定となる(4)。アジアだけでも100基以上の原子炉が建設される予定である。そう考えると、第二の福島原発事故は震災や津波以外の原因でも、起こることが避けられない時代が来る。その意味で、福島原発事故の解明と現在の事故対策は、今後の課題に大きな教訓を与え、また具体的な事故対策の方法や安全管理や危機管理システムを提案することになる。

しかし、この貴重な経験に向きあう日本社会(国民)、政府、東電や原発関連専門家集団の姿勢が問われている。東電の原因追究を避ける姿勢は事故以前と変わらない。起こりうる災害の可能性や問題を正確に理解しようとせず、常に楽観的な安全神話の思惑が先行して対策やシステムが企画される。そのシステムを検証することもしない。重大な原発事故を起こしても、また事故処理で発生する放射能汚染水の地下貯蔵タンク建設でも同じような失敗を繰り返し続けているのである。つねに、問題が発生するという可能性を最小限に見積もる、また、そのシステムを活用している他の専門家の意見すら聞くことも調査することもなく、素人に近い自分たちの知識と予測で対策を企画しシステムを建設してしまうのである。この重大な失敗の繰り返しの基本にある設計思想を問い掛け、検証する感性や知性を全く失っているのである。それに対しての対策は、それらの東電専門家を総入れ替えするしか、解決の道はないだろうと大多数の人々は考えるに違いない。

こうした東電専門家・技術者の無能さを放任してきたのは政府である。一つは政府事故調査委員会の調査報告書の国会での報告や討論、そして調査委員からの勧告を受けた法的システム(法律や制度改革)を行う政治活動が行われようとしていない。政策に活かされない国会事故調査活動とは税金の無駄使いとしか言いようがない。

前記したように、経済的発展に原発建設が必要という理解は世界の殆どの国に共通するものである。それは、この21世紀では、エネルギーと食糧の問題が世界の重大な政治的危機に発展することは避けらない事態が生じることを意味する。国民の豊かな生活レベルや環境を求め、世界の多くの国々では原発建設が進む。そして、同時に、原発が危険なものであることを経験した我が国や先進国では、脱原発と再生可能エネルギーを多く活用したエネルギー政策が進むだろう。日本は、今更、前者のグループに留まることは出来ない。寧ろ、後者のグループに参加するしか道がないことを、今後の福島原発事故処理で更にはっきりするだろう。

福島原発の事故処理に必要な時間は少なくとも30年と言われている。チェルノブイリの例でも、この30年の事故処理の時間は非現実的な予測でない。つまり、原発事故現場から10から20キロ範囲の立ち入り禁止地域は半世紀の間、人が住めない地域となる。したがって、その事実が深刻に日本社会の経済や地域文化に圧し掛かってくるのである。福島はこれからどうなるか。除染作業は進むのか。除染した放射能汚染物質の保管はどうなるのか。原発事故現場に放置されている使用済み核燃料は今後起こる地震で再びメルトダウンの危機にさらされないのか。いつまでにそのリスクを解決できるのか。東日本大震災は終わることのない原発事故処理を抱えたのである。


福島原発事故の原因解明と事故処理で生まれた技術が世界を救う(東日本大震災の教訓)

事故処理から見える我々の無能さを深く理解しているのは、事故現場で具体的に事故処理に立ち向かう技術者たちである。彼らの日々の闘いに対して、東電幹部の官僚的な対応は改善されたのだろうか。放射能汚染水漏れ事故と原発事故は共通する失敗の思想を持つのであるが、どのような制度がその彼らの事故処理への姿勢を変革できるだろうか。もし変革できなければ、多分、汚染水漏れ以上の重大な失敗が起こる可能性はないだろうか。それを防ぐためには、もはや事故処理を東電に任してはならないのではないか。政府が国家と国民の安全にかけて、その対策に乗り出す以外に道はない。つまり、着実の事故処理を進められる能力を持った人々を事故現場の司令塔に派遣し、彼らの指導の下に事故処理を行うしかない。

今後の二次災害や事故を防ぐための対策、思い切った決断を行えるのはもはや東電幹部ではない。政府にしかそれは出来ない。しかし、政府がかくて東電幹部と共に進めたエネルギー政策を変更しない限り、それを政府に望むことは出来ないだろう。

この悲観的状況を一つでも改善するために、少なくとも以下の課題をまず共有することから始めたい。
1、福島原発事故は東日本大震災を特徴づける災害であり、この事故処理が終わるまで、東日本大震災からの復旧や復興はあり得ない
2、福島原発事故の原因解明と原発安全管理システムの検証作業、事故後の危機管理、事故処理で開発された技術は今後世界に普及する原発建設にとって重要であり、その役割や責任を日本社会と政府が担っていることを自覚しなければならない。
3、エネルギー資源枯渇の時代を前にして、国民へのエネルギー安定供給を確立するために必要な再生可能エネルギーの利用、省エネ技術開発を脱原発政策を平行して推進するための中長期のエネルギー政策を立てる必要がある。


引用、参考資料

(1) 特集「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」月刊エネルギーフォーラム 2013年3月号 http://www.energy-forum.co.jp/eccube/html/user_data/energy_forum.php

(2) 三石博行 「震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性 -震災に強い国を作る(3)B-」 http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html

(3) 「世界の原子力発電所の原子炉の数 2010年」 http://memorva.jp/ranking/world/iaea_nuclear_power_reactor_2010.php

(4) 日本原子力産業協会 「日本と世界の原子力」「2012年1月現在 の世界の原子力発電開発の現状の説明」によると、中国では稼働中の原発は14基、建設中のものが30基で計画中の原発は26基ある。 建設中と計画中の原発は56基で、現在運転中の原発を入れると将来70基の原発が稼働することになる。 http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/overseas/f0103.html

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2013年1月23日水曜日

ECは東アジア共同体への道のモデルとなり得るか、その可能性とは

東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(3)

三石博行


東アジア共同体構想を展開するための問題点

まず、東アジア共同体は存在していないと言うことから述べなければならない。つまり、正確には東アジア共同体構想として議論が始まっている段階である。この共同体を我々日本、また議論に参加している諸国は、全く同じ条件ではないにしろ、必要としていると言える。それらの必要性を前提にして、東アジア共同体構想が検討されつつある。

そのために、これから議論する課題を大きく4つに整理してみた。
1、 東アジア共同体構想の現状
2、 東アジア共同体の必要性とは何か
3、 EUモデル(進捗状態)の応用可能性
4、 共同体構想が具体化するための条件とは何か(方法と課題の選択)


東アジア共同体構想とその課題

東アジア共同体構想は、1997年12月インドネシアのクアラルンプールで開催されたASEAN(東南アジア諸国連合)30周年の首脳会議で、「ASEAN+3」と呼ばれる韓国、中国と日本の首相が招待されて参加した非公式首脳会議から始まった。 また、2005年12月クアラルンプールで開催されたASEAN+3の会議でEAS(東アジアサミット・東アジア首脳会議)が提案された。この第1回EASでは,エネルギー,金融,教育,鳥インフルエンザ/感染症対策,防災を優先協力分野に設定された。現在、ESAには、ASEANの10カ国(インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ブルネイ,ベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア)と日本,中国,韓国(ASEAN +3と呼ばれた),豪州,ニュージーランド,インド(ASEAN+6と呼ばれる)と米国,ロシアが2011年から参加している。

現在、東アジア共同体構想は主にASEANとESAで議論されている。中韓日三国での政府間の議論は行われていない。しかし、今回のジョイントカンファレンスに代表されるように、東アジア共同体評議会や大学研究機関、市民組織等で活発な議論が繰り返されてきた。それらの議論によって東アジア共同体に関する可能性が具体的に提案されてきた。

しかし、共同体構想を具体化する地域共同体のガーバナンスシステムの形成にも至っていないのが現実である。つまり、地域連合の地理文化的枠組み(参加国の地理文化的条件)、政治文化的価値表象の概念(参加国の政治文化的理念)、地域共同体を構築するための行程に関する取り決め(地域共同体提携のための条約批准等)等が挙げられる。この構想は従って、状況によれば、全く進展することもなく、また廃止される危険性もあると言えるものである。

その意味で、現在、東アジア共同体の必要性に関して議論し、その内容を相互確認し、少なくとも東アジア共同体構想を具体化するための参加国間の取り決めが必要となるだろう。

しかし、東アジア共同体が必要であるという要請が現実に存在しなければ、この構想は進展しないだろう。その必要とする具体的な内容もESA参加国によって異なるだろう。そこで主な参加国共通の課題について、以下の二つを挙げる。
1、 東アジア地域での平和的共存関係の成立
2、 東アジア地域での経済的相互関係の発展

この二つの課題を展開するためには、参加国の経済、政治、文化的立場(利害関係)から来る平和的共存関係を進展させる要素や条件を理解しておく必要がある。


東アジア共同体構想が成立する条件、域内の平和的共存の成立条件

東アジア共同体構想が成立する条件として、域内の平和的共存の成立条件を課題にする場合、まず、東アジア共同体の成立条件のEUのモデルの第一段階、つまり、域内の共通の政治文化的価値観の形成の現在 の段階とその課題について述べる。

1、戦争責任問題を解決するために

東アジア地域もヨーロッパと同じく、第二世界大戦の戦場となり、莫大な被害を受けた。日本の死者は320万人、中国では2000万人、朝鮮半島でも大戦中のみでなく、朝鮮戦争時に多くの犠牲者を出した。しかし、日本が戦前に行った朝鮮植民地支配、日中戦争、東南アジア侵略、太平洋戦争に関する戦争責任問題は曖昧にされている。

つまり、ドイツが戦後行ったように国民全体が過去の戦争責任と真摯に向き合う文化を生み出すに至っていないのである。そのために、戦後は終わったと宣言してから半世紀経っても、周辺諸国に日本の戦争犯罪の事実を認める運動が起るのである。

また、そればかりではない、日本政府を代表する人々によって、東条英機らA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝が行われている。確かに、極東国際軍事裁判においてA級戦犯として処刑された人々の中には、裁判の在り方、A級戦犯としての判決を検証する必要がある。

しかし、ここで大切なことは、この政府代表の(A級戦犯の合祀されている靖国神社への)参拝が国際社会の視点に立って意味していることである。言い方を合えると、戦後のドイツが、戦争犠牲者と共にヒットラーも合祀されている記念碑に首相が参拝しに行くと想像してみると良く理解できる。この仮定を置くと、どの日本人でも、その異様さに驚くだろう。しかし、その異様さは、日本の過去に関しては国内では通用しないのである。

ここで問題となっていることは、対外的理由によって政府代表参拝を抑えるということよりも、その異様さを理解できない現実の日本的感性の存在理由を真剣に問題にしなければならないのである。

また、日本は戦後、東南アジア、中国や韓国の経済復興を支援して来た。その支援によって、東南アジア、東アジアの経済復興が進んだ。それらの莫大な経済支援の評価が、首相の一回の靖国神社への参拝によってかき消されるのである。経済的に見ても、外交的視点から考えても、大きな損失であると言える。
その為に、以下の二つの提案をする。

A、まず、日韓、日中という2国間で、政府と独立した歴史問題に関する第3者機関を作り、それぞれの国の専門家による、調査研究活動を行う。その成果は公共報道機関と共同して、前回、NHKが報道した「朝鮮半島と日本」のように市民に報道する。

B、草の根国際文化交流を町おこしとして取り上げている運動がある。その実例に習い、日本の各地で、小中教育からの日韓、日中、日露、日台間の交流を推進する。

2、政治制度の違いを認め、そこから始まる議論を行う

言うまでもないが、東アジアの代表国である日中韓三国を例にとっても、政治制度は異なる。日本と韓国は民主主義国家であり、中国は資本主義経済化を進める社会主義一党独裁の国である。北朝鮮は旧来の社会主義一党独裁の国制度を維持している。こうした政治体制の基本的違いからも、EUモデルは適用されないことと言える。そのためには、政治的共同体を巡る議論でなく、その前段階の議論を行う必要がある。

A 例えば、東アジア共同構想を段階的に作りだす、域内の研究者を中心とする民間及び、政府専門家(官僚)や地方自治体専門家の間で、またそれらの組織を越えた横断的な委員会を独自に作りだし、東アジア共同体評議会の活動や今回の第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスのように、自由な議論を起こす必要がある。

B 尖閣諸島や竹島問題で生じている領有権問題を政治的視点からでなく、歴史的視点、文化的視点、環境的視点、未来学的視点等々の利害を超えて解決で可能性を上記した自由な議論の場に下ろす努力をする。

3、平和的共存の成立条件 教育文化交流を進める

しかし、こうした違いや共同の価値表象を構築するための基本的作業の遅れはあるものの、日本の国際的な平和共存条件を確立するためには、東アジア共同体構想を発展させる必要がある。そのためには、予め高度なレベルの平和的共存を求める課題でなく、学生の教育交流、市民レベルの文化交流や韓流ブームやアニメブームとして域内諸国の文化交流を推進する必要がある。そして、文化交流を通じて、市民が観光旅行として、域内諸国を訪問する。その観光によって、相互理解は深化し、共同の価値表象を形成する土壌が作られることになる。

A 東アジア映画祭、音楽大会、芸術に関するイベントを企画し、市民間の交流を生み出す。その経済文化的効果を理解する。つまり、東アジア共同体構想を文化、芸術、観光活動として展開する発想を育成し、発展させる。

B すでに多くの大学が日中、日韓の大学交流を行っている。未来のアジア共生への道を繋ぐ若い人材育成によって、長期的な視点に立った交流が可能となる。また、学生時代に東アジアの国々で学んだ経験は、その後、社会活動に活かされ、未来社会で必要な多様な人材が育つのである。


4、環境・エネルギー問題を解決する学術産業文化交流を進める

この課題は、新しく節を設けて、議論したい。


結論

地域連合を形成するための単純にEUモデルは東アジア共同体構想に適用されないだろうということを、まず、理解しておく必要がある。

しかし、その上で、このEUモデルを構成している要素が東アジア共同体構想に役立つ。つまり、EUモデルの中で、東アジア共同体構想に役立つと思われるものを拾い出し、その機能性を分析し、解釈して、東アジアの政治地理的条件に合った形で適用可能なもの変換する必要がある。

こうしたモデルのプラグマティズム的な適用や活用に関しては、すでに、日本を始め、アジアの国々では近代化過程で技術や産業システムの取り入れの歴史を持っている。その経験に基き、EUモデルを東アジア化するイノベーションを行う必要がある。

あくまでも参加国家の相互利益が成立していることがそれらの要素の成立条件となる。この場合、理想主義的考え方を改め、現実的で実利的な方法を着実に取る必要がある。しかし、このプラグマティズムには、問題解決型の設計科学思想がなければならないだろう。


参考資料

1、東アジア共同体評議会 『東アジア共同体白書2010 East Asian Community 東アジア共同体は可能か、必要か』たちばな出版 日本国際フォーラム叢書、2010.9.30、655p

2、進藤栄一 『東アジア共同体をどうつくるか』筑摩書房 ちくま新書636、2007.1.10、270p

3、滝田賢司 編著 『東アジア共同体への道』 中央大学出版部 中央大学政策文化総合研究叢書3、2006.3.30、285p

4、廣田功 編 『欧州統合の半世紀と東アジア共同体』 日本経済評論社、2009.9.25、245p

5、佐藤洋治・鄭俊坤 編著『アジア共同体の創成に向かって』ワンアジア財団叢書 芦書房、2011.11.1、276p

6、谷口誠『東アジア共同体 -経済統合のゆくえと日本- 』岩波新書919、2004.11.19、231p

7、崔昇煥; (金美善訳)「東アジア経済共同体の推進方向と課題」、国際公共政策研究. 12(1) 2007-09、pp1-12、
http://hdl.handle.net/11094/12892

8、桂木健次 「環日本海・東アジア共同体と脱原発エネルギー課題」

9、舟橋精一 「第二次世界大戦等の戦争犠牲者数」ホームページ資料
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM

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