私は、誰に伝えたくてブログを書いているのだろう。
いつも、書く行為の背景に存在している私の欲望、伝えたいという私の気持ちの対象が、抽象的な人物ではないように思える。
文章を書くごとに、誰かに、日常生活の中で出会った、そして関心を持った、または心に残った誰かに、書いているように思える。
私にとって書くという行為は、自分の心情を伝えたいという行為である。
伝えたいと思う人がいて、私は書くのだ。
それは、一方的な行為であり、ある意味で、片思いのようなものだ。
Aさんへ
今日も異常なくらい暑い。
友人たちのホームページをながめる。
私は今まで自分のホームページを作りかけては失敗してきた。
その理由は、勿論、私が怠慢であることに過ぎないのだが、
しかし、いつもそれなりの言い訳が用意されている。
「何のために書くのか」
「何のために自分を公開するのか」
「公開しなければならないものは何か」
と、その理由は続く。
人は、はたして抽象的な誰かに書いているのだろうか。
人は、自己の考え方を匿名の誰かに述べることが出来るのか。
そうした疑問というより、その行為への情念が湧かない。
私は、つねに、誰かへ話しかけたいと思う。
それは、具体的な誰かだと思う。
今日も異常に暑い。
三石博行のホームページ
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