三石博行
精神分析学の説明的仮説(アブダクション)への批判と反批判 -現代科学哲学に問われている課題-
精神分析の有効性さに対する不信・治療に有効なのは薬である
フロイト精神分析学の理論への批判の多くはその理論が用いるモデル、たとえば自我の構造や性精神分析モデル等、謂わば、精神分析学の理論仮説(アブダクション)に関するものから生じている。それらの意義申し立ての発祥地は、伝統的な神経生理学の科学方法論で精神医学の理論を前提にして、臨床行為を行う専門家達である。つまり、神経生理学を土台にしながら精神医学を形成してきた学問的流れを前提にしている以上、フロイトの物理科学(物理学や化学)的説明のつかないモデルに対して同意できないのである。
特に、現在、脳科学に代表される脳神経生理学の伝統的な研究方法、それが正統派精神医学の流れである以上、精神分析学は大学医学部病院で行われる研究や臨床行為ではなく、日本では街の「精神分析家」によって、秘かに行われている似非医療行為に類似される。丁度、大学病院の整形外科の専門家達が、巷で流行るカイロプラクティスや整体に関して持つその科学的説明への不信、医学の一分野として認めることのできない気持ちと類似している。
しかし、カイロプラクティスや整体によって実際、腰痛等の痛みが消え、治療効果が報告されている以上、それらの治療をまったく認めないと言うのはおかしな話である。また、精神分析によって治癒する患者がいる以上、精神分析学を有効でないとは言えない。
つまり、精神分析への批判の多くは、医学とその臨床学の土台にある伝統的な自然科学的方法と精神分析が用いる説明仮説が同じ科学的パラダイム内に共存しえないことに起因している。その具体的例は、精神分析が言語分析を臨床行為の基本に置くことである。一般に精神科では薬理療法が行われる。そして、精神分析を行う精神科医ですら抗うつ剤を使用する以上、精神分析療法だけで患者を治癒することができないと自ら証明しているというのがその理由となる。
精神分析学の専門家集団の形成
日本では1955年から日本精神分析学会が発足し、現在、900名近くの医師と1600名近くの臨床心理士など専門家2600名近くの会員を持つ組織として活動している。また、日本精神分析学会は精神分析療法の専門家の認定制度をもっている。
この学会が発行する認定資格は、医者であれば日本精神分析学会認定精神療法医として、また臨床心理士であれば日本分析学会認定心理療法士となる。例えば、日本分析学会認定心理療法士になるためには、以下の6つの条件を満たさなければならない。
「 (1)臨床心理士を取ってから5年の経験
(2)個人スーパーヴィジョンを2名のスーパーヴァイザーから、3症例をそれぞれ週1回1年以上、合計150回以上受けなければならない。
(3)分析学会で口頭発表2回以上
(4)精神分析研究に論文1本以上
(5)学会が認定する事例研究会に3年以上所属し、3回の発表を経験
(6)学会が認定する系統講義に100時間以上参加する。」(1)
学会が認定する精神分析の専門資格を得るためには大変な努力が必要であることが理解できる。つまり、誰でも精神分析学を学べば専門家として認定される分けではない。しかし、この困難な専門資格認定が設定されていても、精神分析学が精神病理を改善治癒し、多くの効果を挙げているということとは別である。
特殊専門家集団による専門知識の蓄積過程(経験科学としての精神分析学)
しかし、日本精神分析学会では「精神分析研究」を1955年から発行し、臨床研究の報告や理論的な研究を行い続けてきた。例えば、2010年には54巻1号から4号まで年間4回発行を続けてきた。例えば、2007年 51巻2号(Vol.51 No2 2007.4)の「精神分析研究」では「精神療法と自殺」が特集され、海外や国内の面談臨床による症例報告がされている。(2)また、この研究誌には毎号、研修症例が報告されている。「面談」を中心とする治療に関する臨床データが報告されている。
つまり、仮にフロイトが精神病理の臨床行為を通じて、説明的仮説(アブダクション)として提案したメタ心理学理論があったとしても、現実のフロイト派を自称する臨床医や臨床心理士の研究活動は、その理論を活用したにしろそうでないにしろ、その原則は、実際の治療対象者への具体的治療行為であり、その研究報告は症例報告に限定されている。その限り、精神分析研究に記載された研究は「経験科学」に基づく研究成果の報告であると理解される。
言い換えれば、中国医学の鍼灸の場合も、その理論、例えば漢方医学の経絡や陰陽の考え方(理論)を日本の大半の大学医学部の例えば生理学教室の研究者は認めることはできないだろう。しかし、だからと言って、漢方医学や鍼灸治療の効果を否定することはできないだろう。漢方医学の理論もアブダクションの一種である。経験科学にとって説明項は、現実に有効な技術や技法の助けとなればよいのである。つまり、説明的仮説の意味は、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない。
西洋科学の論理、現在は物理や化学的記号や法則による説明とまったく異なる説明的仮説で成り立つが有効な技術、その技術を支える独自の論理体系、ここで鍼灸治療と中国医学や精神分析と精神分析学がその具体的例であるが、それらの説明仮説(アブダクション)によって構成されている科学技術は、経験科学の特殊ケースであると理解できる。
これらの経験科学技術は、その技術に対するニーズが社会に存在している限り、その科学の有効性を否定することはできない。つまり、他の如何なる科学的理論体系からも説明不可能であったとしても、問題解決力をもつ実学性を維持している限り、これらの特殊経験科学の独自の説明的仮説は否定できないのである。
現代の科学哲学や科学認識論の課題として、物理主義的科学論以外の特殊経験科学の科学性に関する研究が求められていると謂える。
参考資料
(1) 日本精神分析学会
http://www.seishinbunseki.jp/authorization.html
(2) 特集 精神療法と自殺 『精神分析研究』 日本世親分析学会 第51巻 第2号 (2007)pp. 1-77
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