政治改革の課題(1)
三石博行
政治への国民の絶望
国民がこれほど政治に絶望したことが今まであっただろうか。その理由は、現在の政治が今までの政治よりも最悪な状態であるというだけでない。現在の民主党政権の成立に国民が期待していたということが、もう一つの理由にあると思う。
小泉内閣の成立時も、小泉純一朗氏は「自民党をぶっ潰す」と言って、選挙を戦った。その結果、自民党は政権与党を持続した。自民党が自民党をぶっ潰すと言って選挙に勝つのだ。その背景には、長年続いた自民党政権への国民の絶望があった。そして、その後、民主党は自民党では徹底した行政改革も政治改革も出来ないと言って、政権与党となることができた。つまり、国民はすでに長い間、この国を何とかして欲しいと願い続けて来たのである。それが、小泉内閣成立であり、民主党政権の成立であった。
多くの国民は、現在の日本の財政は危機的状況であることを知っている。このまま、赤字財政を続け、さらに赤字国債を発行することは出来ないと思っている。そして、昨年以来、EU財政危機の現実を見て来た。このまま赤字国債を出し、財政改革をしなければ、日本もギリシャやポルトガのようになると思っている。
増税に反対する声もある。それらの声は、日本の財政危機を知らないで発せられているからではない。十分、国民はその危機感を持っている。しかし、増税する前に、確り行政改革や政治改革を行なうことを要求しているのだ。また、増税することによって、それらの財源が、再び、無駄な公共事業、間違ったエネルギー政策(原発建設)、天下り官僚の懐を潤すこと等に使われることを拒否しているのである。
こうした増税反対を叫ぶ国民の不安は、今回、東日本大震災への復興支援として国民に課税される復興基金の不明な(不当な)使い方で明らかになった。こうした不祥事を繰り返すなら、誰も、税金は払いたいとは思わないだろう。この責任すら明らかにされていない。そればかりか、国会は今不当に使われようとしている復興基金の差し押さえさえ出来ない状態なのだ。
それで、国民の政治不信が起こらない国は、世界のどこにあるだろうか。中世社会に帰るなら別だが、国会議員たちは、この事実が民主主義国家の面子に係わる問題だと思わないのだろうか。
国民主権国家を冒涜する行為・選挙公約破棄
今回の民主党の消費増税法案の成立への動きは、今後の日本の政治の在り方をめぐる問題として重大な課題を投げかけた。それは「民主主義政治の崩壊」である。その点で、野田民主党政権の犯した政治的誤りは、これからの世代に続くことになる。つまり、このことで、政党は選挙公約をしても、選挙に当選すれば、破ることが出来ることを明らかにした。そして、国民は、選挙公約に何の意味のないことを理解した。これは、重大な民主主義政治、特に議会制民主主義政治の危機であると理解しないだろうか。
政党は選挙で政策を公約する。その政策を国民は選ぶ。多数の選挙民に支持された立候補者が議員に選ばれる。この政党は選挙公約をし、国民がそれを選挙で選ぶ。これが議会制民主主義の原則である。この原則を破ることは選挙という手段でしか政治に参加できない国民の唯一の権利を奪うことなる。現在の財政問題を考えると、消費税増税が必要であると考えているのは当然である。そう思う国民は多くる。しかし、もし選挙公約に増税を言わないなら、それを選挙後にやっては行けない。もし、財政破綻を防ぐために増税が必要なら、そう訴えて、選挙をすべきなのです。
民主党はこの原則を壊してしまった。つまり、これは、議会制民主主義に対する国民の絶望という政党政治の基本を揺るがしかねない事態に発展する可能性、議会制民主主義の危機への扉を開いたことに対する重大な責任がある。
勿論、民主党内には、私の意見に反対の人もいると思う。「今まで、自民党も(選挙公約違反は)繰り返しやっていることで、民主党がその自民党と同じことをやったからと言って、民主党だけ批判されるのはおかしい」と私の考えに反論されるだろう。しかし、2009年の衆議院選挙は、こうした自民党指導型の政治(官僚依存型政治や公約無視政治)への絶望とそこから脱却することを願う国民の願いが掛けられた選挙であったとおもえる。国民主権の政治を目指すために、国民が民主党に政権運営を委託したのだと思う。
政治家の役割と責任を真剣に考えるなら、選挙公約を破る行為は、議会制民主主義社会制度を崩壊させる行為であり、決してやっては行けないことであると自覚すべきである。今回の野田民主党政権のやったことは、これまでの政権が「マニフェストを実現する力がない」という批判に留まらず、「マニフェストに反する行為をすることができる」ことを国民に伝えたことになる。この政治的責任の重さを感じる議員達はすでに民主党を去っている。そして、残った民主党議員達は、その重さを受け止める力すらないかもしれない。
選挙公約破棄の意味
国民は、選挙公約を勝手に破り、それと反対のことをする政党や議員達に何も出来ないのだろうか。ただ、次の選挙まで待って、1票を入れないという行為しか出来ないのだろうか。議会制民主主義では、これほど、国民は無力な状態に置かれているのか。すると、この議会制民主主義に頼らない気持ちが湧くのはないか。つまり、それがデモとなり、最悪の場合には革命と呼ばれる暴力的な訴え、政界要人を暗殺するテロにまで進展する可能性が生まれないだろうか。
社会の平和や安全、そして国民主権を守るためには、民主主義社会を運営するルール作り、それを守るための努力をすべきである。こんな当然の要求は、市民には求められている。まず、人のものを盗まない、人に暴力を振るわない、迷惑を掛けない、人権を無視しない、約束を破棄しない等々。しかし、国や自治体の決まり(法律や条令)を作る政治家には、こうした民主主義のルールは適用される必要はないようだ。その一つが、政党のマニフェスト違反だ。国民と選挙で約束(契約)したことを無視し、破棄し、最悪の場合には反対のことをした政治家や政党に対して、国民は警察にも裁判所にも訴えることが出来ないのである。
もし、約束違反の政党や政治家がいたら、次の選挙で落とせばいいと言われるだろう。そのことが認められるなら、例えば、商品に書いてあることと違うものを売る約束違反の企業が居たら、「次はその商品を買わないようにしなさい」と言われるだろう。また契約書に違反した工事した業者に遭ったら、「次に家を建てるときはその業者に任さなかったらいいでしょう」と言われることになる。政治家達は国民に「それは当たり前ですよ」と言っているのだろう。
国民主権の民主主義社会であるなら、政治家は選挙のときに約束した公約に関して国民(選挙民)に対して、それを守る義務がある。選挙公約の実現度を点検しそれを公開することは最低限の義務である。しかし、現在の選挙法にも、公約の自己点検に関しては条項がない。つまり、法的には選挙公約は無視し、破棄してもいいと事になっている。選挙時に行なった選挙民との契約を守ることは政治家には義務ではない。これが、民主国家と称するわが国の現実である。
良心というレベルで、選挙公約を点検した議員や政治家がいた。滋賀県の嘉田知事は就任後1年目に公約の自己点検を行い、毎年それを続けている。また大阪府知事時代の橋下徹知事もそれに近いことをした。そうした真摯な姿勢を国民は見ているのだ。その他、市民運動、市民活動に支えられている自治体の議員達や首長達が、そうした真摯な態度で市民に向き合っている。それらは、民主主義制度を発展させている人々の努力であると言える。
選挙公約の遵守と点検の法的義務付け
選挙公約に対する国民への責任が政治家の良心に委ねられているなら、殆どの政治家は選挙公約を破り続けるだろう。選挙の度に、国民に受けのいい政策を語り、選挙が終わると、それら一切を破棄し、最悪の場合には、まったく約束したことと反対のことをする。こんなことを繰り返していると、わが国では、議会制民主主義は育たない。絶望している国民は選挙にも行かない。現実にどの選挙でも投票率が40%を切る事態となっている。政治的無関心が蔓延し、有権者の3分の1弱の投票率によって選挙が地方自治体の議会や首長選挙、国会議員が選ばれている。こうした選挙への国民的な無関心状態は、民主主義国家の危機であり、ゆくゆくは民主主義制度自体が崩壊する危険性を意味しないだろうか。
その意味で、議員達には、選挙公約に対して自己点検し、それを情報公開することを義務付ける法律が必要となる。そして、同時に、国民は選挙に行く義務を持たなければならない。税金は国民の国家財政に対する義務であるように、選挙は国民主権を維持するための義務である。国の財源を維持している納税行為と同じく、国の立法機能に責任を持ち、国民のための行政機能を運営させるために投票を行うのである。
こうした国民の投票義務と同じように議員の選挙公約違反は厳しく点検されなければならない。実現できない公約をすること自体が政治的犯罪なのだ。それは、実現できない工事企画案を出して、消費者から契約を取り付ける行為と同じであると自覚すべきである。
もし、実現できない契約をしたなら、二つに一つを選ぶべきだ。一つは議員を辞める。もう一つは実現できない理由を国民(選挙民)に説明し、さらに、その説明に対する意見を聴き、そして、実現可能な公約内容を示すべきである。公約違反の責任として議員辞職しないなら、二つ目の選択、つまり、実現できなかった理由の説明と実現可能な政策提案を示す義務を負うべきである。それが、最低限の議会制民主主義制度を尊守する立場である。言い換えると、議会制民主主義では、国民の代理人(議員)は、常に、その契約内容に関する情報を契約者に公開する義務がある。
つまり、議会制民主主義とは、国民と議員との厳しい契約(選挙公約)によって成立している社会である。その厳しい契約を守れる人材に、国民は自分達の生活、経済、社会、文化、環境に関する法律を作り政策を決定することを委託できる。現実的で有効な法案作成や政策案を作ることの出来る人材が、議員として働くことによって、議会制民主主義は合理的に機能するのである。その有能さを評価して貰うために、むしろ議員は、積極的に公約実現率を情報公開するのである。
投票率低下と呼ばれる消極的選挙ボイコットが生み出す無責任国会議員たち
しかし、多分今の国会では、自らの身を切る改革から逃亡し続けている国会議員たちに(仮称)選挙公約法を決めてくれとお願いしても、絶対に決めることはないだろう。つまり、この選挙公約法は実現できそうもない架空の法律であるといえる。
その法律が出来ないから、議員たちは選挙公約を守らない。選挙公約を守らないから「選挙公約法に賛成ですか、反対ですか」と選挙前に聞いても、それは意味がない。意味がないから、選挙ではデタラメな公約を並べて、選挙公約詐欺行為を防ぐことが出来ない。詐欺行為が防げないから、議員達はますますデタラメなマニフェストを書き、そのマニフェストを選挙後すぐに破棄する。
いつまで経っても、この国では、議会制民主主義の文化や社会システムは成長しない。毎回選挙で嘘をつかれる国民は選挙に飽き飽きし、投票に行かなくなる。低い投票率とは無言の選挙ボイコットである。
しかし、選挙ボイコットによって得た有利な条件を守る人々によって、選挙公約違反の状態は野放しにされる。つまり、国民が選挙に行くことによって、無党派層(固定した政党支持者でない人々)と呼ばれる人々の投票率が上がることによって、困る人々が居るのだ。それは明らかに利権集団化した人々に支えられている立候補者なのだ。
利権を優遇し続けることが議員の役割である以上、政治家は法案を書くことも政策を提案することもしない。役所や官庁への陳情を助けることで十分なのだ。つまり、国会は利権集団に依拠する政治家が多くを占める。彼らの多くは、国会での仕事、立法作業や政策企画力が不足している。そうした人物は議員としての仕事をすることは出来ない。
つまり、わが国では、政策を決定し、それを制度化する法律を作るのは官僚である。今回、東日本大震災復興予算が罹災者に関係のないところに使われている。その事実に社会は驚きながら、しかし、国会は、その不当な予算決定を破棄することも、修正することも出来ない。この事実、つまり、国会は何もできない。国家によって国が運営されるのでなく、官庁の官僚によって国は運営されている。この事実を目の前に突きつけられても、国会議員たちは政局論争を続けているのである。
言い換えると、この無責任国会議員たちを野放しにしておくことで、今後も益々、国民や住民の利益を無視した国会や議会運営が行なわれる。そして、国民の税金は官僚たちの采配で好きなように使われ続ける。その大きな責任は選挙で無責任な議員を選んだ国民にある。その無責任な議員によって、益々、国民は選挙に絶望する。政治への絶望は投票率の低下を生み出し、投票率の低下は無責任な国会運営に繋がる。
そして今、日本は、この国民の政治への絶望と政治家の無責任さの繰り返しによって、絶望社会へのスパイラルを起こしている。このままだと、社会は力を失い、いずれ国は衰退していくだろう。貧しくなった日本がその次に選ぶのは議会制民主主義社会でないとすれば、その社会の姿は何か、それは明らかに深刻な危機感を持って対応しなければならない事態だと言えないか。
政治家に政治改革をお願いすることはできない
選挙公約の遵守と点検の法的義務付けから逃げる利権集団化した議員達と消極的選挙ボイコットを行なう国民によって、選挙の投票率が低下する現象が生じ、それは次第に深刻な事態、政治への絶望社会と無責任国会運営という最悪のスパイラルが生じることを防ぐにはどうすべきなのか。
まず、政治改革を議員たちにお願いすることが間違いであると気付くべきである。政治改革で痛い目を見るに違いない議員たちが率先して政治改革をすることはない。政治家に政治改革をお願いするのは、官僚に官僚制度の改革をお願いするように、また生産者に生産者に直接負担となる課題を要求するように、利害関係の存在を前提にしないで、損害を与える側に損害を与えることを規制する法案を作るように要請しているのだと理解するべきである。政治改革は政治家が自ら出来る改革ではないことを理解することが正常であると言える。
では、政治改革が議員達には出来ないなら、それを可能にする手段はあるのだろうか。その実験として「日本維新の会」は「現在の議員定数を半分にする」というマニフェストを掲げた。つまり、選挙公約として議員削減を具体的に提示した。当選した議員はこの公約を実現しなければ選挙公約違反となる。また、河村たかし名古屋市長は議員給与の見直しを訴えて選挙を行った。こうした、試みの結果を見守る必要があるだろう。しかし、議員定数の削減や議員報酬の見直しを掲げたマニフェストも、マニフェストに対する政治家の履行義務が法的に決められていない限り、今までのように、無視されるに違いない。
政党が選挙公約をして選挙を行なった場合には、政党の選挙公約の実現状態、つまり実現されたこと、されていないことを明らかにすべきである。常に、政党は、マニフェストの実現状態を情報公開しなければならない。しかし、このことも、政党や政治家が自ら行うことはないだろう。現実は、この公約実現状態に関する選挙民への情報公開や説明も、議員のモラルの問題として語られている。モラルの問題である限り、マニフェスト履行説明責任を果たす議員はいないだろう。政党も不利な選挙公約の実情を公開はしないだろう。
国民運動としての選挙公約の情報公開制度
選挙公約に対する説明責任を果してもらうために、国民的な運動を起こす必要がある。それは、全政党、全議員に対して、マニフェスト(議員個人の選挙公約も含め)の実現状態を監視し、その情報を公開する制度である。この情報公開の制度は市民の「マニフェスト実現点検サイト」と呼ぶこともできる。市民運動の一つとして行なわれるものである。例えば、定期的(半年に一回)に、政党や議員にマニフェスト実現状況に関する調査アンケートを出し、回答して貰う。回答しない議員や政党もある。その無回答も回答としてサイトに記載する。その情報を公開し続ける。国民が選挙の時に見るか見ないかは、国民一人ひとりの判断に任されている。
例えば、最もいい例を挙げるなら、原発に対するこれまでの政策に関する具体的なアンケートを出すことだろう。その内容を公開する。それだけでも、大きな影響力を持つのではないだろうか。
色々な政策案や政治姿勢に関するアンケートは勿論のこと、例えば、国会議員の定員削減や選挙公約法の設定に関するアンケートを取ることもできる。継続的にアンケートを取り続けることによって、選挙公約実現の自己点検結果やアンケート回答が累積し、その経過を集めることで、自ずと、政治家が何を言ったと言うことでなく、何をしたかが結果的に集計されることになる。選挙民は、その何をしたかを知る情報機能として、「マニフェスト実現点検サイト」を使うようになる。
つまり、何を言っているかでなく、何を成したかが選挙民の判断基準になる事で、政治に絶望している社会かの脱却の糸口を見つけ出し、無責任な国会運営を行ない続ける議員たちを落選させることが出来るかもしれない。言い換えると、腐敗した政治や利権集団と闘う市民の力こそが、国家や社会の力を喪失させる最悪のスパイラルを断ち切ることが出来るのである。
選挙公約点検に関する市民運動を起こそう
国民的な選挙公約に関する実現実情を監視し、選挙公約を守らせる国民運動を展開するための運動を起こす必要がある。その運動の見本はすでにある。つまり、行政の国民的監視運動を展開したオンブズマン運動である。このオンブズマンの活動やその運営経験が国会議員や地方自治体の首長や議会議員の選挙公約への監視運動やその組織運営のための参考となる。
以下、試案(私案)であるが、選挙公約を点検する市民運動の組織を「選挙公約点検市民運動委員会」と仮称し、その委員会の運営規約案を作成した。もちろん、この案は未熟である。この委員会の組織運営やそれを公に約束するための規約を作ることから市民運動として始めるべきである。
しかも、この運動は市民が独自に行う運動であるので、全国に別々に出来てもいいと思う。それらの運動間で、交流を深めながら、例えば、仮称「京都市選挙公約点検市民運動委員会」が有志によって組織され、また、山口市選挙公約点検市民運動が起こり、全国に自主的に起こる運動の中から、例えば、全国市民オンブズマン連絡会議のような連係が生み出され、そして仮称「全国選挙公約点検市民運動連絡会議」が形成されればいいのではないだろうか。
しかし、それらの運動は、ある意味で、その目的を果たすための原則的なルールを前提にしない限り、その後、連帯し連係することは出来ないと思う。そのために、この運動の最低限のルールを提案したい。
仮称「選挙公約点検市民運動委員会」規約案
目的
1、市民の「マニフェスト実現点検サイト」を作り選挙公約内容とその実現状態に関する情報公開運動を起こす。
運営
2、全国市民オンブズマン連絡会議のように、「選挙公約点検市民運動」を運営する会議は、自主的な市民の運動であり、それの運動を担う運営委員会は絶対に政治的立場を取ってはならない。つまり、「選挙公約点検市民運動」はある特定の政党の立場を取ってはならないことが原則とされる。
3、「選挙公約点検市民運動」のある特定の政治的立場を取らないことを保障するために、ある特定の政治団体に所属しない人々によって構成される「選挙公約点検市民運動」運営委員会とその運営委員会を監視する「選挙公約点検市民運動」評価委員会を組織する。但し、評価委員と運営委員を同時に兼任することはできない。
4、国政選挙と各地方選挙区にそれぞれ第2項に定めた「選挙公約点検市民運動」運営委員会と「選挙公約点検市民運動」評価委員会を設置する。
5、すべての「選挙公約点検市民運動」運営委員会とその評価委委員会の委員のプロフィールを公開し、委員はある特定の政党員やサポータでないことを情報公開する義務を負う。
活動1、 選挙公約実現状態に関するアンケート調査とその公開責任
6. 「マニフェスト実現点検サイト」では、すべての議会、首長、国会議員の当選者に選挙公約に関するアンケート調査を実施し、それを公開する。それらの情報公開の様式はすべて統一され、すべての情報公開の条件に違いがあってはならない。
7、アンケート調査は毎年行う。無回答の場合には、無回答として情報公開する。
活動2、国民的議論課題に関するアンケート調査とその公開責任
8、毎回のアンケート調査では、国民的議論課題に関するアンケート調査項目を入れることが出来る。
9、国民的議論課題に関するアンケート調査項目に関しては、運営委員会が独自に選択するのではなく、「マニフェスト実現点検サイト」を通じて、国民から広く募集し、募集された調査項目を情報公開した上で、委員会が決定する。委員会は調査項目の決定に対して、説明責任を持つ。
活動3、「選挙公約点検市民運動」に関するアンケート調査とその公開責任
10、「選挙公約点検市民運動」を健全な国民的運動にするためには、「選挙公約点検市民運動」運営委員会と評価委員会の活動内容を情報公開し、その評価をすべての国民から受ける制度を設けなければならない。いかなる批判的意見も公開することを義務とする。
引用、参考資料
1、オンブズマン(Wikpedia) ttp://ja.wikipedia.org/wiki/
2、全国市民オンブズマン連絡会議
http://www.ombudsman.jp/
http://www.ombudsman.jp/
3、三石博行 ブログ文書集「日本の政治改革への提言」
2012年10月28日 誤字修正、文書追加
2012年10月31日 誤字修正
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哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2012年10月25日木曜日
2012年10月18日木曜日
太陽光発電システムは未来社会のエネルギー生産を担えるか
2-2、再生可能エネルギー社会の形成に向けて
第11回縮小社会研究会(9月30日、京都大学吉田キャンパス)での研究報告
三石博行
未来社会からみた太陽光発電システムの課題
9月30日、京都大学で第11回縮小社会研究会が開かれた。今回の研究会で「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」というテーマで発表した。この発表で配布した資料「太陽光発電の将来性と問題点」は四つのテーマから成り立っている。
1章、エネルギー消費量からみた現代社会の課題
2章、市場からみた太陽光発電システムの課題
3章、社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題
4章、未来社会からみた太陽光発電システムの課題
この資料の1章から3章までのテーマは2011年12月18日に神戸市の神戸市勤労会館で開催された太陽光発電フォーラム(太陽光発電相談センター((財)ひょうご環境創造協会)NPO法人 太陽光発電所ネットワーク共催)での基調講演「再生可能エネルギー社会に進む中での太陽光発電の可能性と問題点」で報告したものである。
また、4章のテーマは2012年8月26日大阪市で開催された第二回PV-Net関西地域交流報告会「8月26日 太陽光発電交流集会 ますます活躍する太陽光発電」でおこなった報告「市民の声・市民の力・市民のエネルギー」で使われたものである。
今回の第11回縮小社会研究会での「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」の発表に合わせて、第4章のテーマ「未来社会からみた太陽光発電システムの課題」をさらにすこし詳しく検討した。以下、今回の発表の要点を述べて見る。
3.11以後、市民の省エネ努力の成果は市民の底力を証明した
再生可能エネルギー生産技術開発よりも大量エネルギー消費社会を止めることが第一の課題である意見が出された。実際、今年夏に原発再稼働の理由となった電力不足に対して、市民は節電を行った。その結果、電力会社や政府の見解や予測を大幅に下回る節電効果を上げた。
3.11福島原発事故から1年目を経て日本のすべての原発はストップした。危険な原発に頼らない社会を目指すために、市民は節電に努めた。特に、夏の暑い時期に、節電することを要請された。しかし、政府は節電によっては、電力不足を解決できないとして、今年の夏前6月に、特に厳しい状況にある関西電力会社や関西経済連合会等の経営者組織の要請を受けて、活断層問題の解決していない大飯原発の再稼働を認めた。
実際、今年夏に原発再稼働の理由となった電力不足に対して、市民は節電を行った。その結果、猛暑による電力不足の発生、大停電の危険性を訴えていた電力会社や政府の見解や予測を大幅に下回る消費電力量を示した。現在、最も多い夏場の消費電力量は、当時予測されていた電力不足量を越えることはなく、つまり大飯原発を稼働させる必要のない状態であったことが判明している。
他方、気象データから夏の猛暑で温度が上がるごとに死亡者(熱中症による)が増えるという報告がなされている。確かに、震災以前の2010年には、熱中症によって救急搬送された件数がそれ以前よりも多くなっている(4)。しかも、熱中症によって死亡するケースは高齢者が高い確率を占めている。また、2011年7から9月までの3カ月間に、「熱中症で救急搬送された人は全国で約4万人であった。このうち重症患者の60%は室内で熱中症になり、44%が65歳以上の高齢者(総務省消防庁の資料)であったと報告されている。
省エネや節電によって、弱者がその被害を受けることは避けられない事実である。節電への努力が弱者切り捨てになることは避けなければならない。高齢者の熱中症を予防する試みと節電の試みの両立は可能なのか。そこに縮小社会研究会のテーマが存在している。高齢者の熱中症の原因の一つが、一人暮らしの高齢者人口の増加や、自宅とじ込もりの生活スタイル、高い電気代を惜しむ経済的理由にあると考えられている。その原因を解決すること、つまり、家に閉じこもりがちな高齢者が、涼しい共同施設で一緒に暑い夏を過ごす地域社会の取組を提案することで、節電と高齢者支援の二つの対策を両立できる。
縮小社会研究会の調査研究テーマは、この例に示したように、節電や省エネルギー、節約やリサイクルの課題を、一見、関係のない社会問題、少子高齢社会、教育、地域経済の活性化等々の現在の社会で問われている問題に関連して、解決策を提案することである。
固定価格買い取り制度によって暫定的に進む再生可能エネルギー生産(太陽光発電)とその課題
福島原発事故以来、日本社会(世界)で、原発に依存しないエネルギー政策が検討され始めている。原発の代わりに大量の化石燃料を使用している。しかし、地球温暖化現象を考えるなら(大気中の二酸化炭素量の増加は温暖化現象に関係ないという意見もあるが)はその解答に成りえないことも明らかである。原発や巨大火力発電システムが未来社会のエネルギー生産様式ではないという結論を得た現在、それに代わるエネルギーとは再生可能エネルギー以外にないということになる。
更に、再生可能エネルギー生産のためのシステムがその目的である化石燃料や原発によるエネルギー生産価格よりも高く、またそれらのシステムは技術的に貧弱であり頻発する故障等のトラブルによって、生み出すゴミ(再生可能エネルギーシステムの廃棄物)処理のコスト計算が正確に出されていないという批判もある。
そうした批判の最も集中している太陽光発電システムについて今回はその技術レベルの現状、システムの普及状況に関して取り上げる。最近の日経新聞の記事によれば(、7月から始まった再生エネルギーによる電力の固定価格買い取り制度によって、今年の7月と8月に登録された住宅用パネルの電力容量は30.6万kw、メガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kw、つまり102.5万Kwの電力を太陽光発電システムで生産可能になった。政府・経済産業省は2012年度末まで、住宅用パネルの電力容量は150万kwとメガソーラー発電は50万kw、つまり合計して200万Kwの電力供給を試算していたが、その半分を2カ月間で達成した。つまり、6ヶ月間の計画の半分を2カ月間で達成したのである。
このことは、日本での太陽光発電システムが急激に普及することを意味している。この調子で太陽光発電システムが普及するなら、2012年度末には、太陽光発電システムだけで300万kwの電力を生産することになる。つまり原発3基分の電力が6ヶ月間で生産可能となるのである。もし、原発50基分の電力を太陽光発電によって生産しようとするなら、8年弱の年数で可能になる。
しかも、固定価格買い取り制度によって7月から8月の2カ月間で生産された再生可能エネルギー量は130万kwとなっている。つまり、2か月間で生産された再生可能エネルギー量は原発の1基分を越えるものである。この調子で生産が進めば、1年間に780万kwを生産することになる。つまり、原発1基の発電を100万kwとして計算して、原発50基分の電力(5000万kw)を、再生可能エネルギー生産システムの建設期間6年3カ月弱で、生産することになるのである。
再生可能エネルギー生産が進むことで、原発のみならず化石燃料による発電施設の必要性は無くなるだろう。火力発電所で必要とする化石燃料の輸入コスト年間約2兆円分が不要となる。つまり、国家の資金2兆円が海外に流出しなくなる。
しかし、原発不要の事態をもっとも恐れる人々は原子力ムラの人々である。これらの人々の反撃をかわすためにも、敢えて、再生可能エネルギー社会の可能性を検討し、そこに潜む大きな落とし穴や誤解を見つけ出す必要がある。原子力ムラの人々だけでなく、環境問題を考える人々をも含める人々からも投げかけられている疑問に答え、批判に耐えられる再生可能エネルギー社会形成の企画案が問われている。
それらの疑問や批判を抱えながらも、固定価格買い取り制度に便乗し(後押しされて)再生可能エネルギー生産が始まろうとしている。この後押しに依存しているだけでは、今後の再生可能エネルギー社会の形成や方向を確立することはできない。そこで、敢えて再生可能エネルギー社会の在り方を疑う必要があるのである。
特に太陽光発電システムはその疑問の中にあると言える。そこで、このシステムの技術や生産コストの現状を報告しながら、太陽光発電システムは未来社会のエネルギー生産の中心技術に成り得るか課題を検討する必要がある。
再生可能エネルギー社会形成のために問われる課題
世界のエネルギー消費量を太陽光発電システムで賄うことは可能か
エネルギー問題を語る時に常にその立場が問われる。何故なら、エネルギー問題ほど世界経済の現状、先進国と発展途上国の生活格差を反映しているものはないからである。殆どのエネルギー消費を先進国が独占している。また、あらゆる政治的手段を用いて先進国はエネルギーの独占を維持している。
そこで再生可能エネルギー社会の課題を、そのシステム建設が進む先進国(我が国もその一員)に限定せず、世界全体の人々が必要とするエネルギーを賄うための技術やエネルギー生産システムとして考える。世界全体で必要なエネルギーを再生可能エネルギーによって賄うことができるのかという疑問を前提にして、太陽光発電システムの技術やコストに関する議論の視点を立てることにした。
そして、現在のパネルの発電効率や実際の発電量から試算できる世界の一次エネルギー消費量を生産するために必要なパネル面積や設置費用を具体的に計算する。それらの仮説によって試算された数字の実現可能性をさらに検討する。
太陽光発電システムを普及させるために必要な市場原理とその課題
固定価格買い取り制度の導入によって、現在の太陽光発電システムのコストは、投資した分を回収し利益を上げることが可能であると市場は理解した。その結果が上記した今年7月と8月の2か月間の住宅用パネルとメガソーラーによる102.5万Kwの太陽光発電による電力生産であった。これらの電力生産量の増加は政策によって導かれたものである。
しかし、固定価格買い取り制度によって高く設定された再生可能エネルギーによる電力料金負担は電力消費者(国民)が担うことになる。つまり、この制度では、コスト的に高い再生可能エネルギーを生産することによって、国民は高い電気料金を負担することになる。つまり、固定価格買い取り制度によって、パネルを持たない人々はパネルを設置した人々がつくる高い電気を買うための負担を強いられることになる。そのことは、この制度自体が持続可能な制度でないことを意味する。
再生可能エネルギー社会を創るためにはその社会制度が持続可能な形で運営されることが必要となる。現在は 新しいシステムを社会化するために政府が政策として推進することは必要であるとしても、その制度によって負担する人々が増えるために、いずれその制度への批判が起ることは避けられない。そのためには、以下に示す市場原理の導入による、市民の自主的な選択行為としての再生可能エネルギーによる電力の購入制度が必要となる。
市民の自主的な選択行為とは、再生可能エネルギーによる電力料金の負担を自覚的に市民が受け入れる行為である。その行為が可能になる制度が必要である。例えば、すでに北欧で実施されているのだが、生産方法の違いによって電力料金が異なる制度、太陽光発電による電気料金、風力発電による電気料金、火力発電による電気料金や原発による電気料金が明記される。その上で、市民はどの電力を買うかを選択することが出来る制度である。この制度の導入によって、市場で人気のある電気が決まる。その電気の需要によって、その電気の供給も決まることになる。つまり、市場原理を導入して、それぞれの電気生産による料金制度を導入し、市場の判断によって、生産調整を行う制度である。
つまり、国家の介入による固定価格買い取り制度に依存し続けることでは、健康な再生可能エネルギー社会の建設の在り方は望めない。そこで市場原理を導入し、生産者間のペア-な競争によって生じるパネル価格の廉価化が生まれる。さらに、市場原理によって進む生産者の消費者への敏感な感覚の育成、例えば、消費者が生産者へのクレームを通じて生じる消費者による技術や製品の改良アドバイスが生まれる。そのクレームは助言を受ける生産者が消費者のニーズを取り入れることで新しい商品開発が促進されるのである。
また、現在の独占企業としての電力会社を少なくとも市場原理で運営される企業へと変革する必要がある。すでに政府もそのための政策を打ち出している。その一つが民間企業の電力産業への自由参加であり、発電と送電部門の分離(発送電分離)である。電力会社も一般の企業と同じような市場原理で運営されるべきだろう。そうでない限り、健全な企業経営を確立することは困難であると言える。
スマートグリッド(次世代送電網)によって総エネルギー消費量は増えないか
もともと、停電が頻発するアメリカで、中規模地域の送電を調整する機能として開発されたスマートグリッドは、風力や太陽光のように気象条件に左右されやすい不安定な電力と、至って安定した電力供給が可能な小型水力発電、バイオマス、海流発電や地熱発電等を組み合わせ、その上に火力発電によって需要の殺到する時間帯の電力をその需要量の変動に合わせて電力量を調整する、謂わば、電気供給制御システムを持つ送電網を意味する。
発電が集中型の巨大生産システムから分散型の小規模生産システムへと変化する再生可能エネルギーを活用する社会では、安定した電力供給が大きな問題となる。その解決策として脚光を浴びているシステム「スマートグリッド」とは、地産地消型の分散型エネルギーシステムを創り出す技術である。
不足電力のみならず、過剰電力の調整を行うことによってエネルギー効率を上げることが出来る。過剰時には火力発電による調整だけでなく、蓄電施設への余剰電力の蓄積を行い。不足時にはそれらの蓄電装置からの放電によって、不足電力の補充を行う。そのことによって、火力発電に必要な化石燃料の使用を最も経済的な値に近付けることが可能になる。スマートグリッド区域の蓄電効果を高めるために電気自動車用のバッテリーを活用する提案が出ている。つまり、スマートグリッドは再生可能エネルギー社会の実現には不可欠の社会システムの一つであると言える。
しかし、その必要条件が根本から問われている。それは、スマートグリッドを行うための巨大な情報処理機能の必要性であり、その情報処理機能を維持するために必要とされる電力である。現在の情報社会では、情報処理機器が消費する電力は莫大なものになりつつある。スマートグリッドは電力調整のための無数の情報処理機器を必要とする。その無数のCPUを動かすためにどれだけの電力が必要とされるのか、その総消費量は不明である。
つまり、夢のようなスマートグリッドの発想は、巨大科学技術システムやエネルギーや資源の大量消費を前提とし成立している技術システムであると言える。この制度自体がエネルギー消費量を出来るだけ少なくしようという発想を受け入れていない。そのため、スマートグリッドを地産地消型の再生可能エネルギー社会に導入することは困難であると言えるかもしれない。
もし、分散型エネルギーシステムでは制御機能が重大な役割を果たすと考えるなら(それしか道はないと思うなら)、スマートグリッドの徹底した省エネルギー技術の開発が必要となるだろう。
生産者として位置付けられていない住宅用パネル設置者の立場
住宅用発電所と非住宅用発電所の違いは、電力生産者が個人用住宅の屋根にパネルを設定しその電気を住宅用に利用しながら売電しているか、発電した電力を個人用に一切利用せず全て売電しているかの違いであると言える。またもう一つの分類として10kw以下の発電規模かそれ以上の発電規模かによっても分類されている。
これまでの太陽光発電は住宅用発電所が圧倒的に多く、その世帯数は今年の8月で100万世帯を越えた。しかし、固定価格買い取り制度によって、太陽光発電を事業とする企業が生まれ、今年の7月と8月に登録されたメガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kwで住宅用パネルの電力容量は30.6万kwの約2.4倍となっている。つまり、固定価格買い取り制度の続く条件下では、この2カ月間の傾向が今後も続くと予測される。その意味で今後はメガソーラー発電が太陽光発電の主流を占める可能性が大きくなるだろう。
しかし、いずれにしても、固定価格買い取り制度がある限り住宅用発電によって生産される電力も今後も増えつづけることは明らかである。2か月間で30.6万kwの住宅用パネルの電力が増えるなら、一年間にその6倍、つまり184万kwの電力(原発約2基分)を増産し続けることになる。その発電機能は無視できないし、社会資本として高く評価しなければならない。
しかし、住宅用のパネル設置者はパネルの消費者として企業や社会から位置付けられているだけで、電力生産者としての位置付けが明確にされていない。例えば、住宅用の発電は余剰電力、つまり家庭で使用された電気を除いた分の電力のみが「買い取り」の対象となっている。
仮に、住宅用の発電所は家庭で電気を使うのだから、その余剰分のみを買い取りの対象とすることを認めたとしても、今年度の非住宅用パネルの設置者に対して42円の買い取り価格の設定が20年とされているのに対して、住宅用では10年とされている。つまり、非住宅用の半分の年数しか設定されていないのである。
このことは、住宅用パネルが社会資本として評価されていないことを意味するのである。そのことが、今後、以下に列挙する住宅用発電所の抱える問題に発展することになる。
1、住宅用パネルの事故や故障の問題解決
2、住宅用パネルの発電効率の低下、パネルの劣化問題に対する企業の補修や保障問題
3、自然災害時の住宅用パネルによる二次災害を防ぐための対策の遅れ
求められる生産者生協運動(再生可能エネルギー生産者市民運動)と市民参画型民主主義
アメリカのように、降水量が少なく日照時間の長い、しかも誰も使っていない広大な砂漠のような土地のない日本では、企業活動として太陽光パネル事業に参加するためには、土地問題を解決しなければならない。最も日本に相応しいパネル設置場所は屋根である。問題は、個人や企業、もしくは公共施設の屋根を有効利用するためのアイデアや方法が問われる。
一つの考え方はNPO法人PV-Netが進めている「市民ファンドサポートセンター」である。市民が自分たちの生活区域で出資者を集め基金団体(ファンド)を作り、その地区で利用出来るスペースに100kw以内のパネルを設置する運動である。また、ファンドに参加するメンバーの中には、自宅の屋根にファンドが出資するパネルを設置することも可能となる。自宅の屋根に設置したパネルはファンドのメンバーである屋根の所有者が日常的に管理する。勿論、その管理は無償のボランティア運動で支えるばかりでなく、そこに住む会員(屋根の所有者)の仕事となる。ファンドはボランティア運動と自分の実益を満たすものでなければならない。
市民ファンドに参加し、パネルを設置する人も、またファンドへの資金提供のみを行う人も、これら市民がエネルギー生産者であることが、自宅のパネルだけでなく共同出資のパネルも生産者として市民ファンドとして活動している。
この活動はこれまでの生活様式と異なり、エネルギー生産者の組合のようなイメージを持つことになる。つまり市民がエネルギー資源を生産する社会では、再生可能エネルギー生産者市民運動が形成され、エネルギー消費者であり生産者である市民の新しい運動が生まれるだろう。この再生可能エネルギー生産者の運動では、参画型の市民民主主義文化が基礎にない限り発展しないのである。
生き延びるために総力を結集すること
これからの社会は資源枯渇問題を抱え、また先進国では人口減少が進む時代である。その中で、現在のすべての力、技術開発、社会経済政策、市民運動、企業力等々、考えられるすべての力を動員し総力戦で、太陽光発電システム開発に取り組まなければ、このシステムが一次エネルギーの供給源となる未来はない。
結論から言うと、現在の太陽光発電システムの技術や生産コストから考えると、太陽光発電システムで将来の人類のすべての一次エネルギーを賄うことは不可能である。現在、固定価格買い取り制度によって、高く買われている太陽光発電を、健全な市場競争の中で、他の電力に負けないものとするための努力が必要である。
「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html
講演資料 第11回縮小社会研究会 研究発表
(資料をダウロードする場合には以下の論文タイトルをクリックする)
三石博行「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」2012年9月30日 京都大学 (PDFファイルにリンク)
参考資料
1、縮小社会研究会 http://vibration.jp/shrink/ 10月14日、毎日新聞 朝刊 面 書評「松久寛編著 縮小社会への道」が記載される。 松久寛 『縮小社会への道 ―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して―』日刊工業新聞社 2012年4月 220p
2、PV-Net関西地域交流会HP
http://kansai.greenenergy.jp/2012.9.5osakashinbun.pdf
3、小野雅司 環境健康研究領域総合影響評価研究室 「救急搬送データから見る熱中症患者の増加」『環境儀 No32 APRIL 2009 』 国立環境研究所の研究情報誌 ISSN 1346-776X http://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/32/32.pdfX
4、本川 裕『社会実情データ図鑑』 「熱中症死亡者数の推移」 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1962.html
5、厚生労働省『厚生労働省ホームーページ』「平成22年の熱中症による死亡者数について ~全死亡者数の約8割(79.3%)が65歳以上~」 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001g7ag.html
6、株式会社インターネットインフィニティー 『介護専門職員サイト』「ケアマネジメントオンライン」 http://www.caremanagement.jp/?action_contents_season=true&page=summer2012
7、日本経済新聞夕刊 2面 9月26日発行
8、NPO法人PV-Net HP 「市民ファンドサポートセンター」 http://www.greenenergy.jp/citizen_plant/index.html
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第11回縮小社会研究会(9月30日、京都大学吉田キャンパス)での研究報告
三石博行
未来社会からみた太陽光発電システムの課題
9月30日、京都大学で第11回縮小社会研究会が開かれた。今回の研究会で「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」というテーマで発表した。この発表で配布した資料「太陽光発電の将来性と問題点」は四つのテーマから成り立っている。
1章、エネルギー消費量からみた現代社会の課題
2章、市場からみた太陽光発電システムの課題
3章、社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題
4章、未来社会からみた太陽光発電システムの課題
この資料の1章から3章までのテーマは2011年12月18日に神戸市の神戸市勤労会館で開催された太陽光発電フォーラム(太陽光発電相談センター((財)ひょうご環境創造協会)NPO法人 太陽光発電所ネットワーク共催)での基調講演「再生可能エネルギー社会に進む中での太陽光発電の可能性と問題点」で報告したものである。
また、4章のテーマは2012年8月26日大阪市で開催された第二回PV-Net関西地域交流報告会「8月26日 太陽光発電交流集会 ますます活躍する太陽光発電」でおこなった報告「市民の声・市民の力・市民のエネルギー」で使われたものである。
今回の第11回縮小社会研究会での「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」の発表に合わせて、第4章のテーマ「未来社会からみた太陽光発電システムの課題」をさらにすこし詳しく検討した。以下、今回の発表の要点を述べて見る。
3.11以後、市民の省エネ努力の成果は市民の底力を証明した
再生可能エネルギー生産技術開発よりも大量エネルギー消費社会を止めることが第一の課題である意見が出された。実際、今年夏に原発再稼働の理由となった電力不足に対して、市民は節電を行った。その結果、電力会社や政府の見解や予測を大幅に下回る節電効果を上げた。
3.11福島原発事故から1年目を経て日本のすべての原発はストップした。危険な原発に頼らない社会を目指すために、市民は節電に努めた。特に、夏の暑い時期に、節電することを要請された。しかし、政府は節電によっては、電力不足を解決できないとして、今年の夏前6月に、特に厳しい状況にある関西電力会社や関西経済連合会等の経営者組織の要請を受けて、活断層問題の解決していない大飯原発の再稼働を認めた。
実際、今年夏に原発再稼働の理由となった電力不足に対して、市民は節電を行った。その結果、猛暑による電力不足の発生、大停電の危険性を訴えていた電力会社や政府の見解や予測を大幅に下回る消費電力量を示した。現在、最も多い夏場の消費電力量は、当時予測されていた電力不足量を越えることはなく、つまり大飯原発を稼働させる必要のない状態であったことが判明している。
他方、気象データから夏の猛暑で温度が上がるごとに死亡者(熱中症による)が増えるという報告がなされている。確かに、震災以前の2010年には、熱中症によって救急搬送された件数がそれ以前よりも多くなっている(4)。しかも、熱中症によって死亡するケースは高齢者が高い確率を占めている。また、2011年7から9月までの3カ月間に、「熱中症で救急搬送された人は全国で約4万人であった。このうち重症患者の60%は室内で熱中症になり、44%が65歳以上の高齢者(総務省消防庁の資料)であったと報告されている。
省エネや節電によって、弱者がその被害を受けることは避けられない事実である。節電への努力が弱者切り捨てになることは避けなければならない。高齢者の熱中症を予防する試みと節電の試みの両立は可能なのか。そこに縮小社会研究会のテーマが存在している。高齢者の熱中症の原因の一つが、一人暮らしの高齢者人口の増加や、自宅とじ込もりの生活スタイル、高い電気代を惜しむ経済的理由にあると考えられている。その原因を解決すること、つまり、家に閉じこもりがちな高齢者が、涼しい共同施設で一緒に暑い夏を過ごす地域社会の取組を提案することで、節電と高齢者支援の二つの対策を両立できる。
縮小社会研究会の調査研究テーマは、この例に示したように、節電や省エネルギー、節約やリサイクルの課題を、一見、関係のない社会問題、少子高齢社会、教育、地域経済の活性化等々の現在の社会で問われている問題に関連して、解決策を提案することである。
固定価格買い取り制度によって暫定的に進む再生可能エネルギー生産(太陽光発電)とその課題
福島原発事故以来、日本社会(世界)で、原発に依存しないエネルギー政策が検討され始めている。原発の代わりに大量の化石燃料を使用している。しかし、地球温暖化現象を考えるなら(大気中の二酸化炭素量の増加は温暖化現象に関係ないという意見もあるが)はその解答に成りえないことも明らかである。原発や巨大火力発電システムが未来社会のエネルギー生産様式ではないという結論を得た現在、それに代わるエネルギーとは再生可能エネルギー以外にないということになる。
更に、再生可能エネルギー生産のためのシステムがその目的である化石燃料や原発によるエネルギー生産価格よりも高く、またそれらのシステムは技術的に貧弱であり頻発する故障等のトラブルによって、生み出すゴミ(再生可能エネルギーシステムの廃棄物)処理のコスト計算が正確に出されていないという批判もある。
そうした批判の最も集中している太陽光発電システムについて今回はその技術レベルの現状、システムの普及状況に関して取り上げる。最近の日経新聞の記事によれば(、7月から始まった再生エネルギーによる電力の固定価格買い取り制度によって、今年の7月と8月に登録された住宅用パネルの電力容量は30.6万kw、メガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kw、つまり102.5万Kwの電力を太陽光発電システムで生産可能になった。政府・経済産業省は2012年度末まで、住宅用パネルの電力容量は150万kwとメガソーラー発電は50万kw、つまり合計して200万Kwの電力供給を試算していたが、その半分を2カ月間で達成した。つまり、6ヶ月間の計画の半分を2カ月間で達成したのである。
このことは、日本での太陽光発電システムが急激に普及することを意味している。この調子で太陽光発電システムが普及するなら、2012年度末には、太陽光発電システムだけで300万kwの電力を生産することになる。つまり原発3基分の電力が6ヶ月間で生産可能となるのである。もし、原発50基分の電力を太陽光発電によって生産しようとするなら、8年弱の年数で可能になる。
しかも、固定価格買い取り制度によって7月から8月の2カ月間で生産された再生可能エネルギー量は130万kwとなっている。つまり、2か月間で生産された再生可能エネルギー量は原発の1基分を越えるものである。この調子で生産が進めば、1年間に780万kwを生産することになる。つまり、原発1基の発電を100万kwとして計算して、原発50基分の電力(5000万kw)を、再生可能エネルギー生産システムの建設期間6年3カ月弱で、生産することになるのである。
再生可能エネルギー生産が進むことで、原発のみならず化石燃料による発電施設の必要性は無くなるだろう。火力発電所で必要とする化石燃料の輸入コスト年間約2兆円分が不要となる。つまり、国家の資金2兆円が海外に流出しなくなる。
しかし、原発不要の事態をもっとも恐れる人々は原子力ムラの人々である。これらの人々の反撃をかわすためにも、敢えて、再生可能エネルギー社会の可能性を検討し、そこに潜む大きな落とし穴や誤解を見つけ出す必要がある。原子力ムラの人々だけでなく、環境問題を考える人々をも含める人々からも投げかけられている疑問に答え、批判に耐えられる再生可能エネルギー社会形成の企画案が問われている。
それらの疑問や批判を抱えながらも、固定価格買い取り制度に便乗し(後押しされて)再生可能エネルギー生産が始まろうとしている。この後押しに依存しているだけでは、今後の再生可能エネルギー社会の形成や方向を確立することはできない。そこで、敢えて再生可能エネルギー社会の在り方を疑う必要があるのである。
特に太陽光発電システムはその疑問の中にあると言える。そこで、このシステムの技術や生産コストの現状を報告しながら、太陽光発電システムは未来社会のエネルギー生産の中心技術に成り得るか課題を検討する必要がある。
再生可能エネルギー社会形成のために問われる課題
世界のエネルギー消費量を太陽光発電システムで賄うことは可能か
エネルギー問題を語る時に常にその立場が問われる。何故なら、エネルギー問題ほど世界経済の現状、先進国と発展途上国の生活格差を反映しているものはないからである。殆どのエネルギー消費を先進国が独占している。また、あらゆる政治的手段を用いて先進国はエネルギーの独占を維持している。
そこで再生可能エネルギー社会の課題を、そのシステム建設が進む先進国(我が国もその一員)に限定せず、世界全体の人々が必要とするエネルギーを賄うための技術やエネルギー生産システムとして考える。世界全体で必要なエネルギーを再生可能エネルギーによって賄うことができるのかという疑問を前提にして、太陽光発電システムの技術やコストに関する議論の視点を立てることにした。
そして、現在のパネルの発電効率や実際の発電量から試算できる世界の一次エネルギー消費量を生産するために必要なパネル面積や設置費用を具体的に計算する。それらの仮説によって試算された数字の実現可能性をさらに検討する。
太陽光発電システムを普及させるために必要な市場原理とその課題
固定価格買い取り制度の導入によって、現在の太陽光発電システムのコストは、投資した分を回収し利益を上げることが可能であると市場は理解した。その結果が上記した今年7月と8月の2か月間の住宅用パネルとメガソーラーによる102.5万Kwの太陽光発電による電力生産であった。これらの電力生産量の増加は政策によって導かれたものである。
しかし、固定価格買い取り制度によって高く設定された再生可能エネルギーによる電力料金負担は電力消費者(国民)が担うことになる。つまり、この制度では、コスト的に高い再生可能エネルギーを生産することによって、国民は高い電気料金を負担することになる。つまり、固定価格買い取り制度によって、パネルを持たない人々はパネルを設置した人々がつくる高い電気を買うための負担を強いられることになる。そのことは、この制度自体が持続可能な制度でないことを意味する。
再生可能エネルギー社会を創るためにはその社会制度が持続可能な形で運営されることが必要となる。現在は 新しいシステムを社会化するために政府が政策として推進することは必要であるとしても、その制度によって負担する人々が増えるために、いずれその制度への批判が起ることは避けられない。そのためには、以下に示す市場原理の導入による、市民の自主的な選択行為としての再生可能エネルギーによる電力の購入制度が必要となる。
市民の自主的な選択行為とは、再生可能エネルギーによる電力料金の負担を自覚的に市民が受け入れる行為である。その行為が可能になる制度が必要である。例えば、すでに北欧で実施されているのだが、生産方法の違いによって電力料金が異なる制度、太陽光発電による電気料金、風力発電による電気料金、火力発電による電気料金や原発による電気料金が明記される。その上で、市民はどの電力を買うかを選択することが出来る制度である。この制度の導入によって、市場で人気のある電気が決まる。その電気の需要によって、その電気の供給も決まることになる。つまり、市場原理を導入して、それぞれの電気生産による料金制度を導入し、市場の判断によって、生産調整を行う制度である。
つまり、国家の介入による固定価格買い取り制度に依存し続けることでは、健康な再生可能エネルギー社会の建設の在り方は望めない。そこで市場原理を導入し、生産者間のペア-な競争によって生じるパネル価格の廉価化が生まれる。さらに、市場原理によって進む生産者の消費者への敏感な感覚の育成、例えば、消費者が生産者へのクレームを通じて生じる消費者による技術や製品の改良アドバイスが生まれる。そのクレームは助言を受ける生産者が消費者のニーズを取り入れることで新しい商品開発が促進されるのである。
また、現在の独占企業としての電力会社を少なくとも市場原理で運営される企業へと変革する必要がある。すでに政府もそのための政策を打ち出している。その一つが民間企業の電力産業への自由参加であり、発電と送電部門の分離(発送電分離)である。電力会社も一般の企業と同じような市場原理で運営されるべきだろう。そうでない限り、健全な企業経営を確立することは困難であると言える。
スマートグリッド(次世代送電網)によって総エネルギー消費量は増えないか
もともと、停電が頻発するアメリカで、中規模地域の送電を調整する機能として開発されたスマートグリッドは、風力や太陽光のように気象条件に左右されやすい不安定な電力と、至って安定した電力供給が可能な小型水力発電、バイオマス、海流発電や地熱発電等を組み合わせ、その上に火力発電によって需要の殺到する時間帯の電力をその需要量の変動に合わせて電力量を調整する、謂わば、電気供給制御システムを持つ送電網を意味する。
発電が集中型の巨大生産システムから分散型の小規模生産システムへと変化する再生可能エネルギーを活用する社会では、安定した電力供給が大きな問題となる。その解決策として脚光を浴びているシステム「スマートグリッド」とは、地産地消型の分散型エネルギーシステムを創り出す技術である。
不足電力のみならず、過剰電力の調整を行うことによってエネルギー効率を上げることが出来る。過剰時には火力発電による調整だけでなく、蓄電施設への余剰電力の蓄積を行い。不足時にはそれらの蓄電装置からの放電によって、不足電力の補充を行う。そのことによって、火力発電に必要な化石燃料の使用を最も経済的な値に近付けることが可能になる。スマートグリッド区域の蓄電効果を高めるために電気自動車用のバッテリーを活用する提案が出ている。つまり、スマートグリッドは再生可能エネルギー社会の実現には不可欠の社会システムの一つであると言える。
しかし、その必要条件が根本から問われている。それは、スマートグリッドを行うための巨大な情報処理機能の必要性であり、その情報処理機能を維持するために必要とされる電力である。現在の情報社会では、情報処理機器が消費する電力は莫大なものになりつつある。スマートグリッドは電力調整のための無数の情報処理機器を必要とする。その無数のCPUを動かすためにどれだけの電力が必要とされるのか、その総消費量は不明である。
つまり、夢のようなスマートグリッドの発想は、巨大科学技術システムやエネルギーや資源の大量消費を前提とし成立している技術システムであると言える。この制度自体がエネルギー消費量を出来るだけ少なくしようという発想を受け入れていない。そのため、スマートグリッドを地産地消型の再生可能エネルギー社会に導入することは困難であると言えるかもしれない。
もし、分散型エネルギーシステムでは制御機能が重大な役割を果たすと考えるなら(それしか道はないと思うなら)、スマートグリッドの徹底した省エネルギー技術の開発が必要となるだろう。
生産者として位置付けられていない住宅用パネル設置者の立場
住宅用発電所と非住宅用発電所の違いは、電力生産者が個人用住宅の屋根にパネルを設定しその電気を住宅用に利用しながら売電しているか、発電した電力を個人用に一切利用せず全て売電しているかの違いであると言える。またもう一つの分類として10kw以下の発電規模かそれ以上の発電規模かによっても分類されている。
これまでの太陽光発電は住宅用発電所が圧倒的に多く、その世帯数は今年の8月で100万世帯を越えた。しかし、固定価格買い取り制度によって、太陽光発電を事業とする企業が生まれ、今年の7月と8月に登録されたメガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kwで住宅用パネルの電力容量は30.6万kwの約2.4倍となっている。つまり、固定価格買い取り制度の続く条件下では、この2カ月間の傾向が今後も続くと予測される。その意味で今後はメガソーラー発電が太陽光発電の主流を占める可能性が大きくなるだろう。
しかし、いずれにしても、固定価格買い取り制度がある限り住宅用発電によって生産される電力も今後も増えつづけることは明らかである。2か月間で30.6万kwの住宅用パネルの電力が増えるなら、一年間にその6倍、つまり184万kwの電力(原発約2基分)を増産し続けることになる。その発電機能は無視できないし、社会資本として高く評価しなければならない。
しかし、住宅用のパネル設置者はパネルの消費者として企業や社会から位置付けられているだけで、電力生産者としての位置付けが明確にされていない。例えば、住宅用の発電は余剰電力、つまり家庭で使用された電気を除いた分の電力のみが「買い取り」の対象となっている。
仮に、住宅用の発電所は家庭で電気を使うのだから、その余剰分のみを買い取りの対象とすることを認めたとしても、今年度の非住宅用パネルの設置者に対して42円の買い取り価格の設定が20年とされているのに対して、住宅用では10年とされている。つまり、非住宅用の半分の年数しか設定されていないのである。
このことは、住宅用パネルが社会資本として評価されていないことを意味するのである。そのことが、今後、以下に列挙する住宅用発電所の抱える問題に発展することになる。
1、住宅用パネルの事故や故障の問題解決
2、住宅用パネルの発電効率の低下、パネルの劣化問題に対する企業の補修や保障問題
3、自然災害時の住宅用パネルによる二次災害を防ぐための対策の遅れ
求められる生産者生協運動(再生可能エネルギー生産者市民運動)と市民参画型民主主義
アメリカのように、降水量が少なく日照時間の長い、しかも誰も使っていない広大な砂漠のような土地のない日本では、企業活動として太陽光パネル事業に参加するためには、土地問題を解決しなければならない。最も日本に相応しいパネル設置場所は屋根である。問題は、個人や企業、もしくは公共施設の屋根を有効利用するためのアイデアや方法が問われる。
一つの考え方はNPO法人PV-Netが進めている「市民ファンドサポートセンター」である。市民が自分たちの生活区域で出資者を集め基金団体(ファンド)を作り、その地区で利用出来るスペースに100kw以内のパネルを設置する運動である。また、ファンドに参加するメンバーの中には、自宅の屋根にファンドが出資するパネルを設置することも可能となる。自宅の屋根に設置したパネルはファンドのメンバーである屋根の所有者が日常的に管理する。勿論、その管理は無償のボランティア運動で支えるばかりでなく、そこに住む会員(屋根の所有者)の仕事となる。ファンドはボランティア運動と自分の実益を満たすものでなければならない。
市民ファンドに参加し、パネルを設置する人も、またファンドへの資金提供のみを行う人も、これら市民がエネルギー生産者であることが、自宅のパネルだけでなく共同出資のパネルも生産者として市民ファンドとして活動している。
この活動はこれまでの生活様式と異なり、エネルギー生産者の組合のようなイメージを持つことになる。つまり市民がエネルギー資源を生産する社会では、再生可能エネルギー生産者市民運動が形成され、エネルギー消費者であり生産者である市民の新しい運動が生まれるだろう。この再生可能エネルギー生産者の運動では、参画型の市民民主主義文化が基礎にない限り発展しないのである。
生き延びるために総力を結集すること
これからの社会は資源枯渇問題を抱え、また先進国では人口減少が進む時代である。その中で、現在のすべての力、技術開発、社会経済政策、市民運動、企業力等々、考えられるすべての力を動員し総力戦で、太陽光発電システム開発に取り組まなければ、このシステムが一次エネルギーの供給源となる未来はない。
結論から言うと、現在の太陽光発電システムの技術や生産コストから考えると、太陽光発電システムで将来の人類のすべての一次エネルギーを賄うことは不可能である。現在、固定価格買い取り制度によって、高く買われている太陽光発電を、健全な市場競争の中で、他の電力に負けないものとするための努力が必要である。
「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html
講演資料 第11回縮小社会研究会 研究発表
(資料をダウロードする場合には以下の論文タイトルをクリックする)
三石博行「太陽光発電システムは縮小社会のエネルギー生産を担えるだろうか」2012年9月30日 京都大学 (PDFファイルにリンク)
参考資料
1、縮小社会研究会 http://vibration.jp/shrink/ 10月14日、毎日新聞 朝刊 面 書評「松久寛編著 縮小社会への道」が記載される。 松久寛 『縮小社会への道 ―原発も経済成長もいらない幸福な社会を目指して―』日刊工業新聞社 2012年4月 220p
2、PV-Net関西地域交流会HP
http://kansai.greenenergy.jp/2012.9.5osakashinbun.pdf
3、小野雅司 環境健康研究領域総合影響評価研究室 「救急搬送データから見る熱中症患者の増加」『環境儀 No32 APRIL 2009 』 国立環境研究所の研究情報誌 ISSN 1346-776X http://www.nies.go.jp/kanko/kankyogi/32/32.pdfX
4、本川 裕『社会実情データ図鑑』 「熱中症死亡者数の推移」 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1962.html
5、厚生労働省『厚生労働省ホームーページ』「平成22年の熱中症による死亡者数について ~全死亡者数の約8割(79.3%)が65歳以上~」 http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001g7ag.html
6、株式会社インターネットインフィニティー 『介護専門職員サイト』「ケアマネジメントオンライン」 http://www.caremanagement.jp/?action_contents_season=true&page=summer2012
7、日本経済新聞夕刊 2面 9月26日発行
8、NPO法人PV-Net HP 「市民ファンドサポートセンター」 http://www.greenenergy.jp/citizen_plant/index.html
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2012年10月5日金曜日
未来社会からみた太陽光発電システムの課題
太陽光発電の将来性と問題点
三石博行
4-1、省エネ・創エネによる経済成長の可能性
現代科学技術文明構造の変革・「高度農工文明」への道(佐藤進氏の提案から)
我々は、経済成長は多量のエネルギーや資源の消費を必要とすると考えている。事実、資本主義社会は多量のエネルギーと資源を消費できる生産様式を作り出し、生産力を向上させ、安価の商品を大量生産しながら、発展して来た。
19世紀中期の機械制工場生産の導入、20世紀の機械制大工業や重化学工業の形成によって人類がこれまで経験したことのない生産能力を獲得し、また同時に多量のエネルギーと資源を消費しながら、現在まで、豊かな経済社会を創り出してきたのである。
言い換えると、エネルギーや資源の消費を減らすための条件として、経済成長は止まり、後退することは避けられないと考えるのが一般的である。そして、我々は、今まで繰り返してきたように、枯渇する資源エネルギーを巡る将来に起こる紛争(現実にイラクやリビアで欧米先進諸国によって、自由と民主主義の名のもとに、独裁政権の軍事的攻撃と政権転覆が起っているし、また、竹島(独島)や尖閣諸島(魚釣島)での日韓、日中の領有権問題が地域国際社会の平和的共存を脅かす事件として発展しつつある)を、今後も避けることができないと感じている。
21世紀の世界の平和を脅かす資源エネルギー占有を巡る紛争や戦争を回避するために、資源(食糧を含む)、エネルギーの各国の自給率を上げることが課題となるだろう。つまり、人類が末長く生き延び、今後も豊かな生活環境を持続するため、資源エネルギー自給、再生可能なエネルギー生産、省エネルギー・エネルギー効率の高い生産様式や資源リサイクル等々の社会経済技術と生活文化環境の構築が必要となるだろう。
1佐藤進先生(以後、佐藤氏と称す)は、すでに1970年代から、第四次産業(情報産業)の後にくる新しい産業、高度ソフト農工産業を提案していた。佐藤氏によると、この社会経済システムは、再生可能な自然エネルギー(水力、潮力、地熱や太陽エネルギー)を活用し、分散型小規模生産様式によって運営される。現在の再生可能エネルギー社会の課題を佐藤氏は1970年代当時から理解しのである。
つまり、再生可能エネルギー社会の成立は根本的に大量生産様式の社会と相反する新しい社会経済制度や科学技術が求められていると佐藤氏は述べている。この新しい社会制度はエコロジー思想に基づくものである。それらの未来社会を「高度ソフト農工文明」や「高度農工文明」と佐藤氏は呼だ。
佐藤氏が提案したポスト情報社会としての「高度農工文明」社会は、今、21世紀になって、真剣に議論され、社会経済制度や技術的可能性が研究されつつある。太陽光発電システムが一般化することによって、そのエネルギー生産の特性である分散型の生産によって、エネルギーの地産地消が行われえることになる。それらの地産地消型の生産消費文化は、すでに、1970年代から続けられてきた安全食品を求める市民運動が先駆的に切り開いてきたものであった。
資源エネルギーの大量消費こそ経済成長の条件であると信じて疑わなかった高度経済成長に酔いしれた日本社会の中で、リサイクル市民運動、例えば「使い捨てを考える会」や農産物の地産地消を運動してきた市民運動の地道な蓄積こそが、資源エネルギーの消費抑制と豊かな生活文化の両立の道を示す可能性を持っていると言えないだろうか。
それは、これまで日本の太陽電池や太陽光発電システムの産業化に貢献し続けてきたNEDO(政府の国家戦略)に対して、その役割と戦略方針、さらには機構の機能性をも問われることになるだろう。これまでの公共研究機関としてのNEDO指導力によって、今後の状況を切り開いていくためには、この問いかけを敏感に検証点検する機能性が社会経済システムの中に必要となるだろう。
技術革新よる経済成長と省エネの両立
1970代の日本社会で、「経済成長は資源エネルギーの大量消費によって可能になる」という資本主義社会の命題から逸脱した経済現象が起った。第一次から第二次オイルショックと呼ばれた原油の高騰によって日本経済は厳しい状況を迫られた。高騰した原油価格による経済的打撃を、使用原料の節約、つまり省エネルギー・資源対策で乗り切ろうとした。省エネ対策は、燃料や電気の使用上の工夫による節約や技術革新による生産システムの省エネルギー・資源のための技術開発が進んだ。国を挙げての省エネ技術の開発によって、高効率の生産システムを創り上げた。エネルギー・資源の消費量の逓減と生産性の向上が拮抗することなく実現したのである。
この経済・技術革新による国民経済への現象は、国内の一次エネルギー需要の変化に対する経済成長率(GDP増加率)の関係から観察することが出来る。この定量的関係を「エネルギーのGDP弾性値」と呼んでいる。以下、その関係式(2)を示す。
エネルギーのGDP弾性値 = エネルギーの需要の伸び率 / GDPの伸び率(式2)
省エネルギー技術の開発によって、エネルギーのGDP弾性値は変化することになる。「経済成長は資源エネルギーの大量消費によって可能になる」(命題1)というこれまでの資本主義経済の命題に対して、「経済成長は技術開発によって可能になる」(命題2)と「資源エネルギー利用の効率を上げる技術開発によって、一定資源エネルギー使用量に対する生産効率を高める」(命題3)という二つの命題を準備しなければならない。
命題2は、これまで技術革新と生産効率との関係として述べられてきた。この命題2を前提にして、資源エネルギー利用効率を上げる技術開発を行うことが、生産性の向上と矛盾しないということが論理的に帰結できる。つまり、命題3は、命題2から論理的に導くことが可能な命題であると言える。 この命題が成立するためには、エネルギーのGDP弾性値は1以下を示す観測値(データ)が必要となる。
つまり、 年間のGDPの伸び率をその期間の一次エネルギーの需要の伸び率から割ることよって算出される値をエネルギーの所得弾性値と呼ぶ。この GDP弾性値を使って、使ってエネルギー消費量と国民経済の成長の関係の推移を分析する方法が取られる。
図表15に1965年から2009年までの日本のGDP(各産業別と全体の)と一次エネルギー供給量の推移を示した。第一次石油危機(1974年)と第二次石油危機(1979年)がその期間に起こった。そのため、日本では省エネ対策を国家プロジェクトとして取り組んだ。GDPは右肩上がりを続けながらも1973年から1987年まで一次エネルギーの供給量は横ばいとなる。しかし、この間GDPは約230兆円から約380兆円へと増加している。つまり、国家プロジェクトの省エネ対策の結果、一次エネルギー供給量(消費量)の増加を抑えながらGDPを増やすことが出来たのである。
図表15 GDPと一次エネルギー供給の推移(国内 1965年から2009年)
引用 財団法人日本エネルギー研究所計量分析ユニット編『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』p7
図表16に、1890年から2009年までの日本のエネルギー消費とGDPの伸び率から計算されるGDP弾性値(式2で示した)のデータを示した。1885年から2009年までのエネルギー消費量の年間増減率とエネルギーのGNP弾性値を図表16に示した。この図表16から、エネルギーのGDP弾性値が1以下を示す期間は、1950年から1960年の間が0.83、1970年から1975年の間が0.44、1975年から1980年の間が0.60、1980年から1985年の間が0.09、1985年から1990年の間が0.70、である。
この図表からも、1970年代から1980年代の20年間、日本ではGDPは成長しながらも、エネルギーのGNP弾性値は1以下を示している。つまり、省エネと経済成長が共に進んでいることが示されている。
図表16 エネルギー消費のGNP弾性値 (日本、1890年から2009年まで)
引用 財団法人日本エネルギー研究所計量分析ユニット編『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』p9
言い換えると、1970年代から1980年代の20年間の時代、自動車産業では省エネエンジンの開発やロボット技術を駆使した生産性の効率化が進んだ時代であった。つまり、この時代に限って言えば、産業構造の省エネ化や省エネ製品の開発によって一次エネルギー消費量を抑えながら経済成長を可能にしていたのである。
脱化石燃料・脱原発エネルギー利用と再生可能エネルギー普及を可能にする条件 現在の一次エネルギー需要量の殆どを化石燃料が占めている。省エネとは化石燃料の消費を抑えるという別名でもある。特に、100%に近い化石燃料を海外から輸入している我が国での省エネ政策とは、エネルギー資源の海外依存度を減らすということを意味し、省エネルギー政策は国防政策と関連することになる。また、高騰する原油価格は一次的な現象でなく、化石燃料埋蔵量の減少つまり資源の希少化による価格高騰の現象であり、今後も高騰し続けるだろうという意見もある。
また、化石燃料使用によって生じた廃棄物・二酸化炭素や排熱による環境負荷と気象等環境変化が引き起こす経済効果も評価(4章2節(再生可能エネルギー生産コストの相対的評価で述べるが)しなければならない。
そこで日本政府は、原子力発電所の建設を進め、一次エネルギーの自給率を高め、脱化石燃料依存率を低下させるエネルギー政策を取ってきた。しかし、その政策が福島原発事故によって根本的に見直されようとしている。現在まで最も安価な電力として評価されてきた原子力発電による電力価格は、福島原発事故で発生した全ての被害額を算定し、それらのリスクを設置された全ての原発の経費や放射性廃棄物の処分と数万年以上の管理費用を予測計算するなら、おそらく高額になるだろうと言われている。
つまり、原油の高騰や原発事故による原子力エネルギー利用による発電のリスクが存在する以上、再生可能エネルギー資源の利用を進めるべきであるという考え方と高価なエネルギー利用によって日本経済は国際競争力を失うという考え方がある。とは言え、「エネルギーは100年の計」と言われるように、長期的視点に立ってエネルギー問題は考えなければならない。
現在、確かに再生可能エネルギーの生産コストが化石燃料や原子力燃料よりも高く評価されている。しかし、今後の資源枯渇や事故のリスク等々のエネルギー価格の高騰要因を長期的視点に立って考慮しなければならない。その上で、今後、再生可能エネルギー資源価格は相対的に低くなると予測できる。しかし、これは幾つかの仮定を入れての予測に過ぎない。
現在、国家の政策として再生可能エネルギー利用が進んでいる。つまり、国民の税金を使い、高い再生可能エネルギーを無理に使っているとも言える。国家の政策に再生可能エネルギー社会の建設を依存する限り、その実現は困難である。健全な市場の力で、つまり市民の自発的な経済活動として再生可能エネルギー資源の活用を進める必要がある。
市場の判断基準とは、一言で言えば、再生可能エネルギーの生産コストが化石燃料や原子力燃料でのその生産コストよりも低い条件を意味する。再生可能エネルギーの生産コストを低くする条件や課題については既に2章で議論した。その条件を改善する環境として、技術革新や生産規模の拡大がある。そのために政府の前提的な支援政策が必要となる。
すでに第2章で議論したが、一般に再生可能エネルギー資源の利用では、初期投資及びその破棄に関する費用以外に、システム稼働に必要な燃料費は不要であると考えられている。そこで、太陽光発電システムの製造と破棄・リサイクルの経費が少なく、システムのエネルギー生産効率が高く、しかも稼働年数が長く、故障が少ないという条件が得られるなら、太陽光発電システムによるエネルギー生産コストは下がる。
以下、簡単にその条件を列挙した。
1、再生可能エネルギー生産設備の生産とリサイクルに必要なエネルギー使用量とその生産システムが生み出すエネルギー量との関係から導かれるエネルギー回収年数が短いこと。
2、システム設置と維持管理コストが一定年度間のエネルギー生産コストより低いこと。
3、エネルギーの質(時間的地理的に変動し続けるエネルギー需要の特性に対応しえる供給側のエネルギーの特性)が高いこと。
4、市民による再生可能エネルギーシステム管理が可能であり、エネルギー生産者の大衆化が進むこと。
再生可能エネルギー生産による経済成長
持続可能な社会経済システムを構築するために再生可能な自然資源を活用したエネルギー生産(創エネ)が課題となっている。この再生可能エネルギーの生産は新しい技術開発によって可能となる。言うまでもなく、省エネと創エネを組み合わせることで、積極的に一次エネルギー需要に占める化石燃料量を少なくすることが出来る。
現在、国内で消費される一次エネルギーの殆どを化石燃料と原子力燃料に依存している。再生可能エネルギーの占める割合は4%で、その殆どが水力発電である。その数字がそのまま日本のエネルギー自給率を示している。今後、太陽光発電をはじめ再生可能エネルギーの生産が増加していくことでエネルギー自給率は向上する。そのことは国内でのエネルギー生産量としてGDPを押し上げることを意味する。それと同時に、一次エネルギー資源を国外から輸入する量が減少する。
例えば、国内での一次エネルギー消費量から再生可能エネルギーによって生産された分を差し引くことによって得られる値は、海外から輸入された化石燃料や原子力燃料等と考えることが出来る。この値を非再生可能エネルギー消費量と呼ぶことにする。
(2)式を応用して、この非再生可能エネルギーの年間消費量の伸び率とGDPの伸び率の関係から、非再生可能エネルギーのGDP弾性値を仮定してみる。この関係式を(3)式に示す。
非再生可能エネルギーのGDP弾性値 = 非再生可能エネルギーの需要の伸び率 / GDPの伸び率)(式3)
この(3)式は、再生可能エネルギー生産が普及する社会、例えばその割合が10%以上になる社会の場合には、(2)式で導いたエネルギーのGDP弾性値に相当すると考えられる。従って、その値が1以下を示す社会では、化石燃料等を中心とする一次エネルギー消費量を抑制もしくは減少させながら経済成長を維持もしくは発展していると解釈できる。
再生可能エネルギー生産システム(太陽光発電システム)の普及によって国内エネルギー生産量は増加し、そのシステムが積極的に経済成長に寄与していることを意味する。また同時に、非再生可能エネルギーGDP弾性値を1以下に抑えることで化石燃料等の省エネ技術や社会システムが発展していることを意味する。再生可能エネルギー生産によって積極的に経済発展を進めながら、省エネによって再生可能エネルギーの高効率利用を更に可能にすることになる。
太陽光発電によって太陽光パネルを生産する社会・再生可能エネルギー社会
現在の再生可能エネルギー生産システムは化石燃料や原子力発電を活用して生産している。太陽光発電システムを大量に生産するためにはより多くの化石燃料や原子力エネルギーを必要とする。言わば、地球温暖化ガスを多量に排出しながら太陽光パネルを生産し、原発で生産する電気を使いながら風力発電を作るという状態が、再生可能エネルギー社会を創りだすための過渡的な段階で起る。
もし、太陽光発電システム等を作るために必要なエネルギーを、限りなく今後も、化石燃料や原子力エネルギーに依存しなければならないとすると、再生可能エネルギー社会を作るために余分なエネルギーが必要となる。それでは、再生可能エネルギー社会を目指すという目的に反した、再生可能エネルギーシステムを作るという、本末転倒の事態が生じる。つまり、再生可能エネルギーシステムの形成を行うために、いつまでも化石燃料や原子力エネルギーに依存する必要があるなら、再生エネルギー社会の建設自体がその目的と異なる間違がったエネルギー政策である。
ここで言う再生可能エネルギー社会とは一次エネルギー消費量の大半を再生可能エネルギー生産によって賄うことが出来る社会であり、再生可能エネルギーによって、再生可能エネルギー生産システムを生産することが出来ることがその成立条件となる。
例えば、太陽電池の生産によって、太陽光発電を行うことが出来る。その発電によって、さらに太陽電池の生産を可能にする。再生可能エネルギー生産システムの自己組織性が形成されて成立する社会である。自然エネルギー生産と消費による自然エネルギー生産システムの増殖過程を持つ、自己組織性の自然エネルギー生産システム社会を、再生可能エネルギー社会と呼ぶことにする。
再生可能エネルギーの生産による再生可能エネルギー施設の生産が可能になることで、太陽電池とそれによる太陽エネルギー生産は相互にループしながら、経済を発展させるのではないだろうか。この経済システムを山崎養世氏は「太陽経済」と呼んだ。そして、山崎養世氏は「太陽からのエネルギーを活用し、資源とエネルギーを節約し、水と食糧を確保して、人類は自らを救い、人間性を守ること」を課題にした太陽経済を広める活動「太陽経済の会」を行っている。
経済成長と省エネルギーが共存する条件として、省エネと創エネの技術革新が課題となっている。太陽光や太陽熱の利用技術のみでなく、他の再生可能エネルギー生産技術や省エネルギー技術の向上とその技術導入、社会経済インフラの再整備によって経済成長は保障され、同時に化石燃料依存度は確実に低下するだろう。また同時にそれらの新しい再生可能エネルギー産業の形成によって雇用が生まれることも確かである。雇用の創出によって消費は開発されるだろう。当然のことながら、新しい産業、再生可能エネルギー産業の形成によって経済活動は活発化することになる。
4-2、太陽光発電で全世界のエネルギーを賄うことが出来るか
日本の年間総発電量を賄うパネルの広さは琵琶湖の15倍(理論値)、12倍(現実値)となる
産業総合技術研究所の作田宏一氏は、日本の年間総発電量を1.000.000GWh(10億万KWh)とする場合、等価稼働時間を1時間で10%の発電効率をもつ太陽光発電システムの必要容量は1.000GW(0.1億万KW)として、約10.000 K㎡(1万平方キロメートル)の面積が必要であると報告している( )。縦横100㎞の正方形の面積である。この面積は、琵琶湖の面積が約670平方キロメートルであるから、琵琶湖の約15倍の面積が必要となる。
例えば、実際、筆者が観測し集計してきた住宅用の太陽光発電システムの発電量のデータを活用して、上記の課題、世界のすべての消費エネルギーを太陽光発電で賄う条件を計算してみる。図表17に示すように、シャープNE-132型のモジュール(発電効率10-12%)40枚(38.48平方メートル)の太陽光発電システム(2004年設置)で設置から2011年までの発電量の年間平均値は4665KWh/年となる。
図表17 シャープNE-132型のモジュール40枚の面積と価格(2004年)
筆者の太陽光システムと地理的条件が異なることをここでは無視して、この太陽光システムを使って10億万KWh/年間の発電を行うためには、0.825万平方キロメートルのパネルが必要となる。作田宏一氏が理論的に導いたパネル面積の0.825倍の面積となる。つまり、筆者の自宅のシャープNE-132型のモジュールを使って日本の年間総発電量を満たすパネル面積は琵琶湖の12倍の面積となるのである。またそのパネルを設置するために必要な資金は約750兆円に相当する。現在のパネル価格は2004年時点よりも安くなっている。現在では上記のパネル面積に相当する価格は約200万円であると言われている。仮に、価格が半分になったとしても、約325兆円の資金が必要となる。
また、2008年度の日本の一次エネルギー消費量は約58億トンTOEである。1TOEは1.1628万kwhに相当するので、年間6.74億万kwhの電力量となる。つまり、この年間の日本のエネルギー消費量を満たすために必要なパネル面積は55,660平方キロメートルで琵琶湖の約83倍、九州と四国を合わせた面積に相当する。 このことから、日本の一次エネルギー年間消費量を発電効率10-12%の多結晶太陽光発電システムで補うことは非現実的であると言えるだろう。
変換効率約10%のパネルで世界の1次エネルギー消費を賄うパネルの広さは 桑野幸徳氏は1989年に「ジェネシス計画」と称する太陽光発電による世界規模のエネルギー自給システムを提案した。2010年の世界の1次エネルギー消費は、原油換算で年間140億キロリットルとなると1989年に桑野氏は予測した。
現在では変換効率はよくなったが、当時、桑野氏は変換効率10%の太陽電池で、2010年に必要となる世界の一次エネルギー量を140億Kリットルと仮定し、そのエネルギーをエネルギー変換率10%の太陽光発電システムで生産するとして、その電気エネルギーを生産するために必要な太陽光発電システムの面積が800Km×800Km(640,000平方Km)と換算している。
つまり、東京と広島間の距離を二辺とする正方形の面積(世界の全ての砂漠の4%)で、原油140億リットルの一次エネルギーを太陽光発電で生産できると仮定した。しかも、アフリカの砂漠に巨大な太陽光発電システムを造り、その電気を直流電力融通幹線網で世界中に送電するGENESIS (Global Energy Network Equipped with Solar cells and International Superconductor grids)を桑野氏は提案している。
実際、桑野氏の予測に近い値、2010年のBP Statistical Review of World Energy の資料によると120億トン(石油換算トン)である。図表17に示すように、2010年度の世界の1次エネルギー消費量は120億TOE、つまり135.5兆KWhの電力量となる(1TOEは電気量に換算して1.1628万KWhであるので、120億TOEは139.5兆KWhとなる)。また、2035年には168.4億TOE、つまり195.8兆KWhの1次エネルギーの消費量が予測されている。25年間で増加する1次エネルギー消費量は56.3兆KWhと仮定されている。
図表18 世界の1次エネルギー消費量増加率(2035年)
例えば、筆者が実際観測し集計してきた住宅用の太陽光発電システム(シャープNE-132型のモジュール(発電効率10-12%)40枚、38.48平方メートル)の発電量の図表17に示したデータを活用して、上記した日本の年間総電力量と一次エネルギー消費量を賄うために必要な面積と金額を予測してみる。
2010年度の世界の一次エネルギー消費量を賄うために必要な太陽光パネルの面積は約115万平方キロメートとなった。シャープNE-132型のモジュール40枚38.48平方メートルを設置し屋根が299億軒数必要となる。つまり、このモジュール(発電効率10-12%)を使って世界の年間総発電量を賄うために必要な太陽光パネルの総面積は琵琶湖の1716倍の面積、日本の国土の約3倍の面積が必要となるのである。
さらに、この発電システムの設置に350万円が必要であったとすれば、115万平方キロメートルのパネルを設置するためには、これだけのパネルを設置するシステム価格は10.4京円(104,689兆円)必要となる。現在の日本の国家予算(80兆円)の約1309倍である。 2035年度の世界の1次エネルギー消費予測量は168.4億TOCであると仮定すると、2010年度の約140.3%の増加となる。すると、391.1億軒数の同じタイプの太陽光発電システム(シャープNE-132型のモジュール40枚38.48平方メートル)を載せている家が必要で、約162万平方キロのパネルが必要となる。つまり、1000Km×1620Km(1620,000平方Km)、日本の面積が約37.8万平方キロであるから、その4.3倍の広さの太陽光パネルが必要となる。
また、上記と同じ条件でそのパネル設置に必要な予算は約14.7京円となる。つまり、今後20年から25年間掛けて、世界が12京円の予算つまり(年間平均7300兆円から5800兆円)の予算を太陽光発電システムに費やすなら、2035年には、世界の1次エネルギーを太陽光発電で賄うことができる。
図表19 図表16の条件で世界の1次エネルギー量を生産するために必要な面積と財源
しかし、2010年度の世界のGDPは約629.1兆ドルで、1ドル100円として換算すれば6291兆円となる。2035年までに世界の1次エネルギーをすべて太陽光発電システムで賄うために必要となる太陽光発電システムへの年間投資金額は7300兆円から5800兆円であるから、世界のGDPに匹敵する太陽光発電システムへの投資が必要となることが理解できる。
以上の議論から、2035年までに世界のすべての1次エネルギーを太陽光発電システムで賄うことは、現状の太陽光発電システムのシステム価格、電源コスト、発電効率の状態では非常に困難であることが理解できるだろう。
また、現在のシステムの耐久性を考慮するなら、10年間で発電効率が仮に20%低下し、20年間の試用期間中に必要となるパネルの補修費用を考えると、現状の太陽光発電システムで世界の1次エネルギーを賄うことは夢のまた夢であると言える。
今後の技術革新によってどこまで太陽エネルギー利用は改良可能か 第3章3-1の図表13の「PV2030+による太陽光発電技術開発シナリオ」で示したように、発電効率はNDDOの計画に従い、2020年までにモジュール変換率20%に、2030年でモジュール変換率25%に改良され、また発電コストやシステム価格も逓減するなら、上記した条件は大きく変わることになる。単純に計算しても、1KWhの発電に必要な太陽光パネル面積は2020年には2010年の半分、2030年にはさらに少なくなる。仮に、2035年では現在の発電効率の3倍の電気を生産できると仮定するなら、図表18に示すように、2035年に必要な太陽光システムの面積は日本列島の約1.4倍の広さとなる。
図表20 図表16の3倍の条件で世界の1次エネルギー量を生産するために必要な面積と財源
2012年1月16日の環境ビジネスのニュースによると「物質・材料研究機構の深田直樹グループリーダーは、現在主流となっているシリコン太陽電池において、シリコンナノ構造体を機能的に複合化させることで、接合面積を100倍以上にできる新構造の太陽電池材料を開発した。シリコン材料の削減による低コスト化と変換効率向上を両立させる、これまでにない新しい太陽電池材料として、5年後に実用化する予定」であると報道されている。
この報道記事の通り、同一面積で現在の太陽発電量の100倍の電気を発電することが可能になり、また発電コストが非常に安くなるならば、世界のすべての1次エネルギーを太陽光発電によって賄うという計画は決して不可能だとは言えないだろう。 しかし、それらの革命的な技術を使った太陽光発電パネルの生産はまだ実現してはいない。殆どと言っていいほど現状では実現不可能に近く、その計画の可能性を楽観的には予測できないことは事実である。そして、21世紀の半ばまでに太陽光発電システムのみで人類が必要とするエネルギーを賄うことは可能であるとは言えない。
また、すべての再生可能エネルギーを活用して人類が消費する1次エネルギーの生産が可能になるとは言えない。そして、予測を上回る勢いで世界の1次エネルギー消費量が増え続ける可能性も否定できない。そう考えるなら、再生可能エネルギーによって世界のすべての1次エネルギーを賄うことは殆ど可能性のないほど困難であるとしか言えないのである。
4-3、太陽光発電システムの普及を進めるための課題
再生可能エネルギー生産コストの相対的評価
上記の議論から太陽光発電システムを使って現在の消費エネルギーを賄うことが非常に困難であることに気付くのである。しかし、このことは、即、原子力発電や化石燃料発電を維持推進することを意味するわけではない。
これまでの原子力発電による電力料金の計算方法に大きな欠陥がある。例えば研究開発費等々の政府補助金(国民の税金)や福島原発事故処理費(これも税金)は含まれていない。その上で政府試算の原発の発電原価は5.9円となっていた。
しかし、これまで初期トラブル、老朽化によるトラブル、さらに頻発する事故による停止は、今までも頻繁に起っている。その上、原発の過剰電力を捨てる「揚水発電所」の建設費、原発依存が招く過剰設備、原発立地対策費を支払っている。今回の福島原発事故処理の経費(被害者救済、放射能除染、事故処理、廃炉、高放射性物質の処理等々に必要な費用)が必要となる。その意味で、原発の経済的な再評価を行う必要性を訴える指摘を否定することはできない。
もし、これらのすべての費用を原発の発電原価に組み込むなら、予想をはるかに超える電気料金になることは避けられない。その意味で原子力エネルギーによる発電原価は、今後、再生可能エネルギーの原価より安いと言うことにはならないのである。しかし、そこには再生可能エネルギーのコストが今以上に安くなるという条件を満たすことが前提となっている。
また、化石燃料の使用による大気中の二酸化炭素の増加とそれによる地球温暖化現象が問題にされてきた。地球の温暖化現象への二酸化炭素の影響に関しては異論も出されている。しかし、現実の地球の温暖化はこの半世紀に進んだ。そして同時に大気中の二酸化炭素量も増加した。仮に、その二つの要因が温暖化に関係がないとしても、大気中の二酸化炭素量を増やすことは、これまでの地球規模の生態系にとって大きな変化があることには違いない。その生態系の変化がもたらす気象へのリスク、温暖化現象をまったく否定することは出来ないという立場も成立する。
この仮定に立って、二酸化炭素の排出の経済効果を考える。つまり、気象や生態環境の変動がもたらす災害、例えば都市のヒートランド現象等によるゲリラ豪雨、集中豪雨、雷雨、竜巻の発生による洪水、深層崩壊、土砂崩れ等の災害の発生、さらには北極、南極や高山地帯の氷河溶解による海面上昇と高潮の危険性等々の自然災害の増加による経済的被害を試算する必要がある。世界規模の自然災害の増加と大気中に排出された二酸化炭素量との関係を精密に求めることは難しい。しかし、その相関関係から導かれる二酸化炭素排出量の価格を仮定することは可能である。
その意味で、化石燃料を使ったエネルギー生産(熱や発電)は出来るだけ低く抑えるべきであるという意見が出されてきた。当然、この意見に便乗して原子力発電(原発)の建設が提案されてきた。しかし、原発の熱効率は悪く、例えば沸騰水型の原子炉では33%であると評価されている。つまり、この原子炉では三分の二の熱を捨てながら発電を行なっているのである。 以上の議論から、原子力発電コストや化石燃料発電コスト試算の中に放射能汚染や温暖化という環境破壊の被害コストを計算する必要がある。
社会資本としての太陽光発電システムの位置付け パネルの消費者かエネルギーの生産者か
2012年7月1日から固定価格買い取り制度が始まった。その2ヶ月後の9月に住宅用パネルの設置件数は100万世帯を超えた。この制度が存在する前から日本の太陽光発電の主流は住宅用パネルである。つまり、日本では高額の資金を出して太陽光発電を設置する人々が他の国々に比べて相対的に多くいるといえる。それは日本人の環境意識の高さであるとも評価できるだろう。
日経新聞によると、今年(2012年)の7月と8月の2ヶ月間で認定を受けた住宅用パネルの電力容量は30.6万kwであり、メガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kw、風力発電は26.2万kw、等々、再生可能エネルギー全体で130万kwとなっている。政府・経済産業省は2012年度末まで、住宅用パネルの電力容量は150万kw、メガソーラー発電は50万kw、風力発電は38万kw、等々、再生可能エネルギー全体で250万kwの導入を予測していたが、その予測の半分をすでに2ヶ月間で達成した( )。 この数値が示す意味は、固定価格買い取り制度は再生可能エネルギーの普及に大きく貢献していること、また、住宅用や非住宅用(メガソーラー)の太陽光発電パネルの設置は今後も急速に進むことを意味する。
今年度の1kwhの買い取り価格は住宅用太陽光発電と非住宅用(メガソーラー)太陽光発電では42円と設定されている。この価格で住宅用太陽光発電は10年間、非住宅用(メガソーラー)太陽光発電は20年間買い取り価格を保障される。そのために、多くの市民や企業が売電による利益を目的にしてパネルを設置している。買い取り価格が高めに設定されている限り、今後もパネル設置は進む。
この固定価格買い取り制度によって再生可能エネルギーによる電力の生産が進む。つまり、原子力発電所や火力発電所のような50万kw以上の大型の発電施設に代わって、1万kwクラスのメガソーラーや10kw以下の住宅用太陽光発電所が至るところに設置される。それらの小規模発電所は電気を生産する施設である。また、原発などの大型発電所と異なりこれらの小規模発電所は電力消費地に設置されている。その意味で、送電時の電力ロスが少ないのである。
しかし、同時に、太陽光発電の普及はそのシステムが抱える幾つかの重大な問題を提起している。その一つが太陽光パネルの劣化問題である。産業技術研究所の太陽光発電工学研究センターの加藤和彦博士らが運営するボランティア団体「PVRessQ!」はこれまでの483件の住宅用パネル(10年以内の発電システム)の調査のデータを公開している。そのデータによると、運転開始からで483件中100件(全体の21%)の発電所がパワーコンディションの修理・交換を行なった。そして、483件中78件(全体の16%)が太陽電池モジュール1枚以上の交換を行なったと報告されている。
太陽電池モジュールの交換に至るパネルの故障の主な原因は、モジュールの素材である半導体の故障というよりも、モジュール間やパネル間を接合する部分の劣化による電気抵抗の発生と発熱によってモジュールが壊れるケースが多いとの報告があった。
京セラが1983年に国内で初めて、太陽光発電システムを商品化した。それからシャープが2000年から大量生産を行なった。つまり、太陽光発電システムが市場に出てから約12年の歳月しか経っていない。その意味で、このシステムの持久性を検証するデータは多くないのである。それにも拘わらず、2000年以降のパネルの保障期間は10年となっていた。また現在では20年と言われている。
2000年代当時1kwあたり80万以上した高額な設備である住宅用太陽光発電システムの10年間の保障期間中に、製造業者にはその保守点検を行なう義務はない。例えば、トヨタ自動車を初め、日本の自動車メーカーで新車を買った場合、少なくとも1、2年の間、無料の保守点検がサービスとして付いている。しかし、車と同じ位、いやそれ以上の高額な太陽光発電システムに対して、販売業者の保守点検の義務もなければ、勿論、サービスもないのである。
10年以内の太陽光発電システムの21%がパワーコンディションの修理・交換を行ない、またその16%が太陽電池モジュールの交換(一枚以上)をしたという調査結果からすれば、現在、100万世帯に普及した住宅用太陽光発電システムや非住宅用メガソーラーのシステムの故障が大きな社会問題となることは明らかである。そして、この社会問題を正しく解決することが出来なければ、太陽光発電システムの設定に投資しようとする市民や企業の数は激減することは明らかである。
パネル製造企業や政府は、太陽光発電システムの劣化、故障の問題を解決する方法を早急に見つけ出さなければならないだろう。特に、安価な中国・台湾製や韓国製が市場を席巻しようとしている。それらの20年保障を謳うパネルを設置した市民や企業が、今後、10年以内、もしくは10年後に果たして故障したパネルを無料で修理して貰えるのかが深刻に問われているともいえるだろう。
言い換えると、政府も企業も住宅用パネル設置者を高額な電気製品の消費者としてしか位置付けていないことが問われていると言える。太陽光発電システムを導入する市民は、パネル業者から観れば消費者である。しかし、同時に、社会からみれば電気の生産者である。太陽光発電の経済的で社会的な効果を評価するために、固定価格買い取り制度が作られたのである。その意味で、エネルギー生産を行なう社会資本として住宅用の太陽光発電所を位置付けるには、価格の買い取り制度のみでなく、太陽光発電所の保守と修理に関する制度が必要となると言える。
太陽光システムの危機管理と生産技術の開発
東日本大震災時に太陽光発電システムの被害状態に関する現地調査を、NPO法人太陽光発電所ネットワークは東京工業大学ソリューション研究機構 黒川浩助特任教授と共同で進めた。この調査によって東日本大震災時の住宅用パネルの被害状況が判明した。その報告書の中から、特記すべき課題を以下に述べる。
一つ目の課題は、パネルを設置することによって屋根の強度が確保され、その結果地震による屋根の被害がパネル設置家屋は相対的に少なかったという調査結果であった。
二つ目の課題は、地震によって壊れない強固なパネルによって、その後も発電を続けるために、しかも接続箱にある回線切断用設備が活用されていないので、その部分に発電によって生じた熱が発生する。その熱によって結果的に電線が燃えて、さらにその火災によって電気がショートし電線が炭化したのである。この事故を予防するためには、災害時には回線を切断しておく必要がある。そうしなければ、太陽光発電による家屋の火災が発生する可能性が起こるのである。
さらに三つ目の課題は、災害時には太陽光発電システムの自立機能を使い、停電時でも電気を供給できることも証明された。しかし、中規模の住宅用太陽光発電システムには自立運転機能がない場合もあり、パワーコンの自立分電盤機能を追加する必要が求められた。
こうした調査結果は太陽光発電システムの安全管理や危機管理機能を向上させるために評価できる。政府や業者が、今回調査を行なったNPO法人(PV-Net や再生可能エネルギー協会)と大学研究機関と協力し、太陽光発電システムの改良を進める必要がある。
4-4再生可能エネルギー生産管理システムの普及化を促進する新しい文化、社会のあり方
これまで太陽光発電システムの技術的課題に関して議論してきた。これまでの議論から、太陽光発電システムの限界もその可能性も、このシステムの技術的改良に委ねられているという結論が出てくる。しかし、「4-2、太陽光発電で全世界のエネルギーを賄うことが出来るか」で議論したように、発電効率を上げることや、生産価格を下げることなどの太陽光発電システムの生産に関する技術的な議論の限界を理解しておく必要がある。
つまり、太陽光発電システムによって世界や日本の一次エネルギー消費量の大半を生産することが不可能に近い計画であるなら、他の再生可能エネルギーを導入し、また省エネ技術を駆使して、再生可能エネルギー社会の構築という困難な課題に取り組むべきである。つまり、太陽光以外の再生可能エネルギー(太陽熱、バイオマス、風力、潮力、地熱、排熱、水力等々)の活用と電力生産や省エネルギーの技術開発を急ぐべきである。 しかし、再生可能エネルギー社会を構築するためには、技術的な課題だけでなく、社会文化や生活文化の課題が問われている。
集中型生産様式から分散型生産様式へ 再生可能エネルギー生産の特徴は、生産能力が大規模化できないことである。原子力発電や大型火力発電と違い、小規模の発電能力しかもっていない。例えば、10万kwのメガソーラー発電所を建設するには広い敷地が必要となる。固定買い取り制度を活かして、多くの企業がメガソーラー発電所の建設にビジネスチャンスを感じている。休耕作地、日照条件のよい山林、空き地等々の利用を考えている。しかし、殺到するメガソーラーの建設の需要で、こうした土地は高騰しつつある。設置場所の借地金が高騰すると発電から得られる利益は落ちることになる。つまり、経済的なメガソーラーの設置は、格安の借地でなければ、自治体が提供する公共地か自己所有地となるだろう。
広大な砂漠を活用して太陽光発電システムが出来る国々の事情と異なり、平野面積の狭く、人口の多い我が国では、狭い平野に太陽光発電や風力発電を立てることは困難である。パネルの設置場所に休耕田や家屋の屋根利用が計画されている。食糧自給率が30%以下である我が国の食料資源の自給問題を考えると、休耕田を利用することは困難になる。我が国の地理的や文化的事情に適した太陽光発電所の条件を見つけ出す必要がある。
この我が国の地理的条件や発電資源の特性から、太陽光発電に限らず、風力発電、小規模水力発電、地熱利用、潮流発電等々の再生可能エネルギー生産の規模が限定される。設置価格の安い中小規模発電所を効率よく配置連係させるネットワーク設計とその経済的環境条件を確立する技術開発が求められている。
この技術開発の課題の一つが、地域電力調整制御システムの開発である。風力や太陽光による発電は、気象や時間によって発電量が変動する。そのため、質の悪い電気と評価されている。つまり安定供給が出来ないのである。この弱点を克服するために、一つはスマートグリッド、コミュニティグリッドと呼ばれるネットワーク型のエネルギーの供給需要と制御調整機能が必要となる。このネットワーク型のエネルギー需要供給システムを、別名、エネルギーの地産地消型と呼ぶことができる。
言い換えると、再生可能エネルギー社会は、これまでの生産様式である集中型、大量生産と流通方式と異なる産業構造や社会制度の構築、つまり分散型の生産システム、分権型の社会システムが形成されることになる。この分散型社会が集中型社会よりも経済的であり、生産やコミュニケーションの効率がよいということが前提となる。
この前提を受けて社会経済システムが確立するための条件は、資源の有限性やその枯渇問題が顕在化していることにある。つまり、これまでの大量生産制度を支えていた要因の一つは、化石燃料資源を代表として天然資源は無限にあるという考え方であった。しかし、資源の枯渇問題は年々深刻化しつつあり、資源のリサイクル等による再利用によって、持続可能な資源利用リサイクルを創らなければならない。その循環型サイクルを維持するために小規模化の技術と生産システムが再評価されることになる。
資源の枯渇問題を抱えた21世紀の社会経済は、必然的に分散型社会へと変化していくことになると言える。しかし、現実は先進国の優位な経済力を背景に資源の独占化を維持しようとしている。だが、力を増す発展途上国や新興国の台頭によって、資源の独占的な支配構造もそう長くは続かないだろう。その意味で、先進国は分散型生産様式を取り入れ、いち早く持続可能な社会経済システムの構築を目指す必要があるだろう。すでにヨーロッパ社会が先行して持続可能な社会のための実験を進めている。
地産地消型エネルギー生産と地方分権化と国際地域共同化
エネルギーの安定供給化を可能にするためには、地方分権化と国際地域共同化が必要となる。地方分権化とは地域共同体の役割を重視する社会制度である。つまり、地方分権によって広域地域自治体の形成が可能になり、エネルギー生産に関連する社会資源の共同利用を可能にすることができる。 広域地域自治体(市民参加を前提にした地域社会運営)を土台とした国のかたちから逆算して考えるなら、地域国際共同体の形成が課題となる。言い換えると、地方分権化による広域地方自治体の形成によって地方の多様性が生まれる。その社会の多様性が日本社会の国際化を進めるのである。中央集権的な国家から地方文化の多様性が失われる。その分、国際化に必要な要件を失うことになるのである。
言い換えると、分散型社会の経済合理性は、ネットワーク型社会によって生まれる。つまり、分散型社会は地方分権化を要求する。そして、地方分権化は社会の多様性を生み出す。その結果、社会の多様性によって分散型社会は地域国際社会での経済文化競争力を獲得することになるのである。 同じように、分散型エネルギー社会の多様なエネルギー生産活動によって広域地域自治体の安定した経済活動が保障され、エネルギーの需要と供給のネットワークを地域国際共同体に広げることも可能となる。具体的にはEUのエネルギーネットワークを模範にしながら、東アジア共同体のエネルギーネットワークを構想することも可能となる。
市民参画社会によって発展する再生可能エネルギー社会システム
エネルギーの地産地消型によって分散型エネルギー生産システムは有効に機能する。その機能を支えるのは、単にスマートグリッドの情報処理や制御技術だけではない。分散型生産システムに必要なきめ細かい生産地と消費地のコミュニケーション力であり、そのコミュニケーション力を維持発展する力は市民参画型社会によって形成される。
生産者であり消費者である市民によって、資源の有効活用を生み出す生活文化が形成され、それをリサイクル文化と呼ぶこともできるが、大量消費生活への反省や環境保全を生活文化とするライフスタイルの形成が行なわれ、人々の豊かさの評価尺度が、消費財の価格評価から、生活の質(QOL)を重視した生活文化やライフスタイルへ移行することになる。
人権や平和、共存やコミュニケーションが社会文化の評価の基準となり、社会サービス業務への市民参加(ボランティアやNPOの役割)が国民総生産の一要因として評価され、こころを持つと呼ばれる良質の福祉環境が形成され、また生態環境が生活の豊かさの一要因となるだろう。 このように、大量消費文化を支えていた経済主義から脱却していくとき、経済の分散型社会の経済効率は向上するといえる。その意味は、これまで経済主義の評価していた資源概念が大きく変化し、産業生産に有用な資源のみでなく、家庭生活に必要なあらゆる資源(愛、思いやりや協力)を含めて経済活動として評価されることになるだろう。
市民参画社会とは、生活重視の考え方に立った人々によって創られる社会を意味する。それらの社会生産力とは、豊かで多様な生活資源の生産を意味する。その生産に有用なシステムを経済効率の高い制度として評価することになる。つまり、資源の無駄遣いから、平和や人権主義によって生み出される生活の豊かさの形成と向上を経済活動として捉える社会形成が市民参画社会の究極の課題となるのである。
例えば、欧米や日本ではエネルギー自給率の向上を目指すために固定価格買い取り制度が確立した。その制度は、ドイツの例にみられるように、市場原理を取り入れながら、システム価格の逓減に即して順次固定価格を見直す必要がある。日本では、その見直し制度が再生可能エネルギー経済や社会政策の専門家で作る委員会によって行われる。こうした再生可能エネルギー社会を発展維持する政府の活動(専門委員会の議事録や答申内容)の情報を市民に公開し、市民参加の意見聴取会を開く必要がある。
分散型エネルギー生産社会では、市民がエネルギーの生産者となる。市民参画型社会を形成しない限り分散型エネルギーシステムの経済合理性は確保されない。その経済合理性の基本要因は市民がエネルギー生産に参加することで成立している。つまり、この生産様式が成立するには、市民民主主義文化の形成発展が条件となる。
言い換えると、市民民主主義文化によってエネルギー問題のみでなく、社会福祉、健康、子育て環境、社会の危機管理や安全管理、教育や文化、環境保護、人権、国際交流、平和活動等々、今、集中型社会が抱える経済負担の大きな社会要因を市民が参画しやすい社会規模にすることによって、分散型社会でのエネルギー生産力は向上するのである。
メガソーラー発電所と家庭発電所の違いから来る課題
現在、二つの太陽光発電所スタイルがある。一つは非住宅用のメガソーラー発電所であり、もう一つは住宅用の発電所である。その二つの太陽光発電所は分散型エネルギーシステムを担い、また他の発電所とのネットワークによってより安定した電力を地域社会に提供できる。
しかし、メガソーラー型はこれまでの集中生産型により近く、現在の産業システムから最も期待される太陽光発電所である。それに比べて、家庭発電所は殆ど現代の日本の産業システムから期待されないだろう。そのため、政府が家庭用太陽光発電所を重視するというのは、殆ど、その発電機能に関する期待からでなく、パネル製造業者の需要先としての役割が主な理由となるだろう。 言い換えると、家庭用発電所ネットワークであるNPO法人太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の今後の社会的役割やその活動の在り方が問題となると言える。以下、その問題を検討するために、二つの課題を列挙する。
一つは、家庭用発電所の意味をエネルギー政策上、社会や政府、産業界に理解させること。二つ目は、PV-Net運動の意味を再度確認し、家庭用発電所の発展と維持のために活動の在り方を検討すること。以上の二つの課題を展開するための、議論をはじめる必要がある。
とりわけ、住宅用の太陽光発電システムの普及によって多様なサポート企業やNPOが生まれる。これらの企業や団体は太陽光発電所の管理者となった市民、もしくは管理者になろうとする市民のニーズによって発展する。
これらのニーズを満たすために、NPO的な企業が形成され、市民参画型社会の経済構造の大きな要素を作り上げてゆく。つまり社会貢献度の高さを企業活動の目標に掲げる企業文化が生まれるのである。この企業文化は分散型社会の構築に貢献するのである。
消費者・生産者(プロシュマー)の組合運動
1960年代、市民社会の発達とともに形成された日本の消費者運動、その始まりは安い商品による生活支援活動であった。1970年代になると、この消費者運動は安全な商品の提供による生活支援運動に展開した。
太陽光発電所ネットワークは、その意味で、全く新しい運動である。何故なら、環境保全や再生可能エネルギー社会に貢献するために高額の太陽光発電システムを購入した消費者であり、また同時に、そこで生産した電気を電力会社に売る生産者でもある。つまり、消費者・生産者運動(プロシュマー運動、プロシュマーとはアメリカの経済学者トフラーの用語)である。
この新しい運動の形成は21世紀の市民の在り方を意味している。20世紀後半は消費者や勤労者として市民は位置づけられていた。しかし、21世紀は、生産者としての市民の役割が大きく評価されつつある。それは、商売や中小企業の経営者という市民のみでなく、太陽光パネルを始め、他の再生可能エネルギー生産に投資する市民、また、環境保全や自然エネルギー生産のNPO活動に投資する市民としての、言い換えると、社会や経済活動に参画する市民という、概念を意味する。この新しい市民のイメージが太陽光発電所ネットワークの中で語らなければならないものである。
そこで、この運動は、以下の二つの課題が具体的に検討されなければならない。一つは、消費者運動としての在りかた。つまり、太陽光発電システム購入者の利益を擁護する活動の在り方が問われる。さらに、もう一つは生産者運動としての在り方、つまり、買電に関する利益を擁護する活動が問われる。
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論文「社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題
-太陽光発電の将来性と問題点- 」のダウンロード
クリックしてください
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_03_04/MITShir12b.pdf
「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html
2012年10月17日 誤字、文書修正
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三石博行
4-1、省エネ・創エネによる経済成長の可能性
現代科学技術文明構造の変革・「高度農工文明」への道(佐藤進氏の提案から)
我々は、経済成長は多量のエネルギーや資源の消費を必要とすると考えている。事実、資本主義社会は多量のエネルギーと資源を消費できる生産様式を作り出し、生産力を向上させ、安価の商品を大量生産しながら、発展して来た。
19世紀中期の機械制工場生産の導入、20世紀の機械制大工業や重化学工業の形成によって人類がこれまで経験したことのない生産能力を獲得し、また同時に多量のエネルギーと資源を消費しながら、現在まで、豊かな経済社会を創り出してきたのである。
言い換えると、エネルギーや資源の消費を減らすための条件として、経済成長は止まり、後退することは避けられないと考えるのが一般的である。そして、我々は、今まで繰り返してきたように、枯渇する資源エネルギーを巡る将来に起こる紛争(現実にイラクやリビアで欧米先進諸国によって、自由と民主主義の名のもとに、独裁政権の軍事的攻撃と政権転覆が起っているし、また、竹島(独島)や尖閣諸島(魚釣島)での日韓、日中の領有権問題が地域国際社会の平和的共存を脅かす事件として発展しつつある)を、今後も避けることができないと感じている。
21世紀の世界の平和を脅かす資源エネルギー占有を巡る紛争や戦争を回避するために、資源(食糧を含む)、エネルギーの各国の自給率を上げることが課題となるだろう。つまり、人類が末長く生き延び、今後も豊かな生活環境を持続するため、資源エネルギー自給、再生可能なエネルギー生産、省エネルギー・エネルギー効率の高い生産様式や資源リサイクル等々の社会経済技術と生活文化環境の構築が必要となるだろう。
1佐藤進先生(以後、佐藤氏と称す)は、すでに1970年代から、第四次産業(情報産業)の後にくる新しい産業、高度ソフト農工産業を提案していた。佐藤氏によると、この社会経済システムは、再生可能な自然エネルギー(水力、潮力、地熱や太陽エネルギー)を活用し、分散型小規模生産様式によって運営される。現在の再生可能エネルギー社会の課題を佐藤氏は1970年代当時から理解しのである。
つまり、再生可能エネルギー社会の成立は根本的に大量生産様式の社会と相反する新しい社会経済制度や科学技術が求められていると佐藤氏は述べている。この新しい社会制度はエコロジー思想に基づくものである。それらの未来社会を「高度ソフト農工文明」や「高度農工文明」と佐藤氏は呼だ。
佐藤氏が提案したポスト情報社会としての「高度農工文明」社会は、今、21世紀になって、真剣に議論され、社会経済制度や技術的可能性が研究されつつある。太陽光発電システムが一般化することによって、そのエネルギー生産の特性である分散型の生産によって、エネルギーの地産地消が行われえることになる。それらの地産地消型の生産消費文化は、すでに、1970年代から続けられてきた安全食品を求める市民運動が先駆的に切り開いてきたものであった。
資源エネルギーの大量消費こそ経済成長の条件であると信じて疑わなかった高度経済成長に酔いしれた日本社会の中で、リサイクル市民運動、例えば「使い捨てを考える会」や農産物の地産地消を運動してきた市民運動の地道な蓄積こそが、資源エネルギーの消費抑制と豊かな生活文化の両立の道を示す可能性を持っていると言えないだろうか。
それは、これまで日本の太陽電池や太陽光発電システムの産業化に貢献し続けてきたNEDO(政府の国家戦略)に対して、その役割と戦略方針、さらには機構の機能性をも問われることになるだろう。これまでの公共研究機関としてのNEDO指導力によって、今後の状況を切り開いていくためには、この問いかけを敏感に検証点検する機能性が社会経済システムの中に必要となるだろう。
技術革新よる経済成長と省エネの両立
1970代の日本社会で、「経済成長は資源エネルギーの大量消費によって可能になる」という資本主義社会の命題から逸脱した経済現象が起った。第一次から第二次オイルショックと呼ばれた原油の高騰によって日本経済は厳しい状況を迫られた。高騰した原油価格による経済的打撃を、使用原料の節約、つまり省エネルギー・資源対策で乗り切ろうとした。省エネ対策は、燃料や電気の使用上の工夫による節約や技術革新による生産システムの省エネルギー・資源のための技術開発が進んだ。国を挙げての省エネ技術の開発によって、高効率の生産システムを創り上げた。エネルギー・資源の消費量の逓減と生産性の向上が拮抗することなく実現したのである。
この経済・技術革新による国民経済への現象は、国内の一次エネルギー需要の変化に対する経済成長率(GDP増加率)の関係から観察することが出来る。この定量的関係を「エネルギーのGDP弾性値」と呼んでいる。以下、その関係式(2)を示す。
エネルギーのGDP弾性値 = エネルギーの需要の伸び率 / GDPの伸び率(式2)
省エネルギー技術の開発によって、エネルギーのGDP弾性値は変化することになる。「経済成長は資源エネルギーの大量消費によって可能になる」(命題1)というこれまでの資本主義経済の命題に対して、「経済成長は技術開発によって可能になる」(命題2)と「資源エネルギー利用の効率を上げる技術開発によって、一定資源エネルギー使用量に対する生産効率を高める」(命題3)という二つの命題を準備しなければならない。
命題2は、これまで技術革新と生産効率との関係として述べられてきた。この命題2を前提にして、資源エネルギー利用効率を上げる技術開発を行うことが、生産性の向上と矛盾しないということが論理的に帰結できる。つまり、命題3は、命題2から論理的に導くことが可能な命題であると言える。 この命題が成立するためには、エネルギーのGDP弾性値は1以下を示す観測値(データ)が必要となる。
つまり、 年間のGDPの伸び率をその期間の一次エネルギーの需要の伸び率から割ることよって算出される値をエネルギーの所得弾性値と呼ぶ。この GDP弾性値を使って、使ってエネルギー消費量と国民経済の成長の関係の推移を分析する方法が取られる。
図表15に1965年から2009年までの日本のGDP(各産業別と全体の)と一次エネルギー供給量の推移を示した。第一次石油危機(1974年)と第二次石油危機(1979年)がその期間に起こった。そのため、日本では省エネ対策を国家プロジェクトとして取り組んだ。GDPは右肩上がりを続けながらも1973年から1987年まで一次エネルギーの供給量は横ばいとなる。しかし、この間GDPは約230兆円から約380兆円へと増加している。つまり、国家プロジェクトの省エネ対策の結果、一次エネルギー供給量(消費量)の増加を抑えながらGDPを増やすことが出来たのである。
図表15 GDPと一次エネルギー供給の推移(国内 1965年から2009年)
引用 財団法人日本エネルギー研究所計量分析ユニット編『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』p7
図表16に、1890年から2009年までの日本のエネルギー消費とGDPの伸び率から計算されるGDP弾性値(式2で示した)のデータを示した。1885年から2009年までのエネルギー消費量の年間増減率とエネルギーのGNP弾性値を図表16に示した。この図表16から、エネルギーのGDP弾性値が1以下を示す期間は、1950年から1960年の間が0.83、1970年から1975年の間が0.44、1975年から1980年の間が0.60、1980年から1985年の間が0.09、1985年から1990年の間が0.70、である。
この図表からも、1970年代から1980年代の20年間、日本ではGDPは成長しながらも、エネルギーのGNP弾性値は1以下を示している。つまり、省エネと経済成長が共に進んでいることが示されている。
図表16 エネルギー消費のGNP弾性値 (日本、1890年から2009年まで)
引用 財団法人日本エネルギー研究所計量分析ユニット編『図解 エネルギー・経済データの読み方入門』p9
言い換えると、1970年代から1980年代の20年間の時代、自動車産業では省エネエンジンの開発やロボット技術を駆使した生産性の効率化が進んだ時代であった。つまり、この時代に限って言えば、産業構造の省エネ化や省エネ製品の開発によって一次エネルギー消費量を抑えながら経済成長を可能にしていたのである。
脱化石燃料・脱原発エネルギー利用と再生可能エネルギー普及を可能にする条件 現在の一次エネルギー需要量の殆どを化石燃料が占めている。省エネとは化石燃料の消費を抑えるという別名でもある。特に、100%に近い化石燃料を海外から輸入している我が国での省エネ政策とは、エネルギー資源の海外依存度を減らすということを意味し、省エネルギー政策は国防政策と関連することになる。また、高騰する原油価格は一次的な現象でなく、化石燃料埋蔵量の減少つまり資源の希少化による価格高騰の現象であり、今後も高騰し続けるだろうという意見もある。
また、化石燃料使用によって生じた廃棄物・二酸化炭素や排熱による環境負荷と気象等環境変化が引き起こす経済効果も評価(4章2節(再生可能エネルギー生産コストの相対的評価で述べるが)しなければならない。
そこで日本政府は、原子力発電所の建設を進め、一次エネルギーの自給率を高め、脱化石燃料依存率を低下させるエネルギー政策を取ってきた。しかし、その政策が福島原発事故によって根本的に見直されようとしている。現在まで最も安価な電力として評価されてきた原子力発電による電力価格は、福島原発事故で発生した全ての被害額を算定し、それらのリスクを設置された全ての原発の経費や放射性廃棄物の処分と数万年以上の管理費用を予測計算するなら、おそらく高額になるだろうと言われている。
つまり、原油の高騰や原発事故による原子力エネルギー利用による発電のリスクが存在する以上、再生可能エネルギー資源の利用を進めるべきであるという考え方と高価なエネルギー利用によって日本経済は国際競争力を失うという考え方がある。とは言え、「エネルギーは100年の計」と言われるように、長期的視点に立ってエネルギー問題は考えなければならない。
現在、確かに再生可能エネルギーの生産コストが化石燃料や原子力燃料よりも高く評価されている。しかし、今後の資源枯渇や事故のリスク等々のエネルギー価格の高騰要因を長期的視点に立って考慮しなければならない。その上で、今後、再生可能エネルギー資源価格は相対的に低くなると予測できる。しかし、これは幾つかの仮定を入れての予測に過ぎない。
現在、国家の政策として再生可能エネルギー利用が進んでいる。つまり、国民の税金を使い、高い再生可能エネルギーを無理に使っているとも言える。国家の政策に再生可能エネルギー社会の建設を依存する限り、その実現は困難である。健全な市場の力で、つまり市民の自発的な経済活動として再生可能エネルギー資源の活用を進める必要がある。
市場の判断基準とは、一言で言えば、再生可能エネルギーの生産コストが化石燃料や原子力燃料でのその生産コストよりも低い条件を意味する。再生可能エネルギーの生産コストを低くする条件や課題については既に2章で議論した。その条件を改善する環境として、技術革新や生産規模の拡大がある。そのために政府の前提的な支援政策が必要となる。
すでに第2章で議論したが、一般に再生可能エネルギー資源の利用では、初期投資及びその破棄に関する費用以外に、システム稼働に必要な燃料費は不要であると考えられている。そこで、太陽光発電システムの製造と破棄・リサイクルの経費が少なく、システムのエネルギー生産効率が高く、しかも稼働年数が長く、故障が少ないという条件が得られるなら、太陽光発電システムによるエネルギー生産コストは下がる。
以下、簡単にその条件を列挙した。
1、再生可能エネルギー生産設備の生産とリサイクルに必要なエネルギー使用量とその生産システムが生み出すエネルギー量との関係から導かれるエネルギー回収年数が短いこと。
2、システム設置と維持管理コストが一定年度間のエネルギー生産コストより低いこと。
3、エネルギーの質(時間的地理的に変動し続けるエネルギー需要の特性に対応しえる供給側のエネルギーの特性)が高いこと。
4、市民による再生可能エネルギーシステム管理が可能であり、エネルギー生産者の大衆化が進むこと。
再生可能エネルギー生産による経済成長
持続可能な社会経済システムを構築するために再生可能な自然資源を活用したエネルギー生産(創エネ)が課題となっている。この再生可能エネルギーの生産は新しい技術開発によって可能となる。言うまでもなく、省エネと創エネを組み合わせることで、積極的に一次エネルギー需要に占める化石燃料量を少なくすることが出来る。
現在、国内で消費される一次エネルギーの殆どを化石燃料と原子力燃料に依存している。再生可能エネルギーの占める割合は4%で、その殆どが水力発電である。その数字がそのまま日本のエネルギー自給率を示している。今後、太陽光発電をはじめ再生可能エネルギーの生産が増加していくことでエネルギー自給率は向上する。そのことは国内でのエネルギー生産量としてGDPを押し上げることを意味する。それと同時に、一次エネルギー資源を国外から輸入する量が減少する。
例えば、国内での一次エネルギー消費量から再生可能エネルギーによって生産された分を差し引くことによって得られる値は、海外から輸入された化石燃料や原子力燃料等と考えることが出来る。この値を非再生可能エネルギー消費量と呼ぶことにする。
(2)式を応用して、この非再生可能エネルギーの年間消費量の伸び率とGDPの伸び率の関係から、非再生可能エネルギーのGDP弾性値を仮定してみる。この関係式を(3)式に示す。
非再生可能エネルギーのGDP弾性値 = 非再生可能エネルギーの需要の伸び率 / GDPの伸び率)(式3)
この(3)式は、再生可能エネルギー生産が普及する社会、例えばその割合が10%以上になる社会の場合には、(2)式で導いたエネルギーのGDP弾性値に相当すると考えられる。従って、その値が1以下を示す社会では、化石燃料等を中心とする一次エネルギー消費量を抑制もしくは減少させながら経済成長を維持もしくは発展していると解釈できる。
再生可能エネルギー生産システム(太陽光発電システム)の普及によって国内エネルギー生産量は増加し、そのシステムが積極的に経済成長に寄与していることを意味する。また同時に、非再生可能エネルギーGDP弾性値を1以下に抑えることで化石燃料等の省エネ技術や社会システムが発展していることを意味する。再生可能エネルギー生産によって積極的に経済発展を進めながら、省エネによって再生可能エネルギーの高効率利用を更に可能にすることになる。
太陽光発電によって太陽光パネルを生産する社会・再生可能エネルギー社会
現在の再生可能エネルギー生産システムは化石燃料や原子力発電を活用して生産している。太陽光発電システムを大量に生産するためにはより多くの化石燃料や原子力エネルギーを必要とする。言わば、地球温暖化ガスを多量に排出しながら太陽光パネルを生産し、原発で生産する電気を使いながら風力発電を作るという状態が、再生可能エネルギー社会を創りだすための過渡的な段階で起る。
もし、太陽光発電システム等を作るために必要なエネルギーを、限りなく今後も、化石燃料や原子力エネルギーに依存しなければならないとすると、再生可能エネルギー社会を作るために余分なエネルギーが必要となる。それでは、再生可能エネルギー社会を目指すという目的に反した、再生可能エネルギーシステムを作るという、本末転倒の事態が生じる。つまり、再生可能エネルギーシステムの形成を行うために、いつまでも化石燃料や原子力エネルギーに依存する必要があるなら、再生エネルギー社会の建設自体がその目的と異なる間違がったエネルギー政策である。
ここで言う再生可能エネルギー社会とは一次エネルギー消費量の大半を再生可能エネルギー生産によって賄うことが出来る社会であり、再生可能エネルギーによって、再生可能エネルギー生産システムを生産することが出来ることがその成立条件となる。
例えば、太陽電池の生産によって、太陽光発電を行うことが出来る。その発電によって、さらに太陽電池の生産を可能にする。再生可能エネルギー生産システムの自己組織性が形成されて成立する社会である。自然エネルギー生産と消費による自然エネルギー生産システムの増殖過程を持つ、自己組織性の自然エネルギー生産システム社会を、再生可能エネルギー社会と呼ぶことにする。
再生可能エネルギーの生産による再生可能エネルギー施設の生産が可能になることで、太陽電池とそれによる太陽エネルギー生産は相互にループしながら、経済を発展させるのではないだろうか。この経済システムを山崎養世氏は「太陽経済」と呼んだ。そして、山崎養世氏は「太陽からのエネルギーを活用し、資源とエネルギーを節約し、水と食糧を確保して、人類は自らを救い、人間性を守ること」を課題にした太陽経済を広める活動「太陽経済の会」を行っている。
経済成長と省エネルギーが共存する条件として、省エネと創エネの技術革新が課題となっている。太陽光や太陽熱の利用技術のみでなく、他の再生可能エネルギー生産技術や省エネルギー技術の向上とその技術導入、社会経済インフラの再整備によって経済成長は保障され、同時に化石燃料依存度は確実に低下するだろう。また同時にそれらの新しい再生可能エネルギー産業の形成によって雇用が生まれることも確かである。雇用の創出によって消費は開発されるだろう。当然のことながら、新しい産業、再生可能エネルギー産業の形成によって経済活動は活発化することになる。
4-2、太陽光発電で全世界のエネルギーを賄うことが出来るか
日本の年間総発電量を賄うパネルの広さは琵琶湖の15倍(理論値)、12倍(現実値)となる
産業総合技術研究所の作田宏一氏は、日本の年間総発電量を1.000.000GWh(10億万KWh)とする場合、等価稼働時間を1時間で10%の発電効率をもつ太陽光発電システムの必要容量は1.000GW(0.1億万KW)として、約10.000 K㎡(1万平方キロメートル)の面積が必要であると報告している( )。縦横100㎞の正方形の面積である。この面積は、琵琶湖の面積が約670平方キロメートルであるから、琵琶湖の約15倍の面積が必要となる。
例えば、実際、筆者が観測し集計してきた住宅用の太陽光発電システムの発電量のデータを活用して、上記の課題、世界のすべての消費エネルギーを太陽光発電で賄う条件を計算してみる。図表17に示すように、シャープNE-132型のモジュール(発電効率10-12%)40枚(38.48平方メートル)の太陽光発電システム(2004年設置)で設置から2011年までの発電量の年間平均値は4665KWh/年となる。
図表17 シャープNE-132型のモジュール40枚の面積と価格(2004年)
筆者の太陽光システムと地理的条件が異なることをここでは無視して、この太陽光システムを使って10億万KWh/年間の発電を行うためには、0.825万平方キロメートルのパネルが必要となる。作田宏一氏が理論的に導いたパネル面積の0.825倍の面積となる。つまり、筆者の自宅のシャープNE-132型のモジュールを使って日本の年間総発電量を満たすパネル面積は琵琶湖の12倍の面積となるのである。またそのパネルを設置するために必要な資金は約750兆円に相当する。現在のパネル価格は2004年時点よりも安くなっている。現在では上記のパネル面積に相当する価格は約200万円であると言われている。仮に、価格が半分になったとしても、約325兆円の資金が必要となる。
また、2008年度の日本の一次エネルギー消費量は約58億トンTOEである。1TOEは1.1628万kwhに相当するので、年間6.74億万kwhの電力量となる。つまり、この年間の日本のエネルギー消費量を満たすために必要なパネル面積は55,660平方キロメートルで琵琶湖の約83倍、九州と四国を合わせた面積に相当する。 このことから、日本の一次エネルギー年間消費量を発電効率10-12%の多結晶太陽光発電システムで補うことは非現実的であると言えるだろう。
変換効率約10%のパネルで世界の1次エネルギー消費を賄うパネルの広さは 桑野幸徳氏は1989年に「ジェネシス計画」と称する太陽光発電による世界規模のエネルギー自給システムを提案した。2010年の世界の1次エネルギー消費は、原油換算で年間140億キロリットルとなると1989年に桑野氏は予測した。
現在では変換効率はよくなったが、当時、桑野氏は変換効率10%の太陽電池で、2010年に必要となる世界の一次エネルギー量を140億Kリットルと仮定し、そのエネルギーをエネルギー変換率10%の太陽光発電システムで生産するとして、その電気エネルギーを生産するために必要な太陽光発電システムの面積が800Km×800Km(640,000平方Km)と換算している。
つまり、東京と広島間の距離を二辺とする正方形の面積(世界の全ての砂漠の4%)で、原油140億リットルの一次エネルギーを太陽光発電で生産できると仮定した。しかも、アフリカの砂漠に巨大な太陽光発電システムを造り、その電気を直流電力融通幹線網で世界中に送電するGENESIS (Global Energy Network Equipped with Solar cells and International Superconductor grids)を桑野氏は提案している。
実際、桑野氏の予測に近い値、2010年のBP Statistical Review of World Energy の資料によると120億トン(石油換算トン)である。図表17に示すように、2010年度の世界の1次エネルギー消費量は120億TOE、つまり135.5兆KWhの電力量となる(1TOEは電気量に換算して1.1628万KWhであるので、120億TOEは139.5兆KWhとなる)。また、2035年には168.4億TOE、つまり195.8兆KWhの1次エネルギーの消費量が予測されている。25年間で増加する1次エネルギー消費量は56.3兆KWhと仮定されている。
図表18 世界の1次エネルギー消費量増加率(2035年)
例えば、筆者が実際観測し集計してきた住宅用の太陽光発電システム(シャープNE-132型のモジュール(発電効率10-12%)40枚、38.48平方メートル)の発電量の図表17に示したデータを活用して、上記した日本の年間総電力量と一次エネルギー消費量を賄うために必要な面積と金額を予測してみる。
2010年度の世界の一次エネルギー消費量を賄うために必要な太陽光パネルの面積は約115万平方キロメートとなった。シャープNE-132型のモジュール40枚38.48平方メートルを設置し屋根が299億軒数必要となる。つまり、このモジュール(発電効率10-12%)を使って世界の年間総発電量を賄うために必要な太陽光パネルの総面積は琵琶湖の1716倍の面積、日本の国土の約3倍の面積が必要となるのである。
さらに、この発電システムの設置に350万円が必要であったとすれば、115万平方キロメートルのパネルを設置するためには、これだけのパネルを設置するシステム価格は10.4京円(104,689兆円)必要となる。現在の日本の国家予算(80兆円)の約1309倍である。 2035年度の世界の1次エネルギー消費予測量は168.4億TOCであると仮定すると、2010年度の約140.3%の増加となる。すると、391.1億軒数の同じタイプの太陽光発電システム(シャープNE-132型のモジュール40枚38.48平方メートル)を載せている家が必要で、約162万平方キロのパネルが必要となる。つまり、1000Km×1620Km(1620,000平方Km)、日本の面積が約37.8万平方キロであるから、その4.3倍の広さの太陽光パネルが必要となる。
また、上記と同じ条件でそのパネル設置に必要な予算は約14.7京円となる。つまり、今後20年から25年間掛けて、世界が12京円の予算つまり(年間平均7300兆円から5800兆円)の予算を太陽光発電システムに費やすなら、2035年には、世界の1次エネルギーを太陽光発電で賄うことができる。
図表19 図表16の条件で世界の1次エネルギー量を生産するために必要な面積と財源
しかし、2010年度の世界のGDPは約629.1兆ドルで、1ドル100円として換算すれば6291兆円となる。2035年までに世界の1次エネルギーをすべて太陽光発電システムで賄うために必要となる太陽光発電システムへの年間投資金額は7300兆円から5800兆円であるから、世界のGDPに匹敵する太陽光発電システムへの投資が必要となることが理解できる。
以上の議論から、2035年までに世界のすべての1次エネルギーを太陽光発電システムで賄うことは、現状の太陽光発電システムのシステム価格、電源コスト、発電効率の状態では非常に困難であることが理解できるだろう。
また、現在のシステムの耐久性を考慮するなら、10年間で発電効率が仮に20%低下し、20年間の試用期間中に必要となるパネルの補修費用を考えると、現状の太陽光発電システムで世界の1次エネルギーを賄うことは夢のまた夢であると言える。
今後の技術革新によってどこまで太陽エネルギー利用は改良可能か 第3章3-1の図表13の「PV2030+による太陽光発電技術開発シナリオ」で示したように、発電効率はNDDOの計画に従い、2020年までにモジュール変換率20%に、2030年でモジュール変換率25%に改良され、また発電コストやシステム価格も逓減するなら、上記した条件は大きく変わることになる。単純に計算しても、1KWhの発電に必要な太陽光パネル面積は2020年には2010年の半分、2030年にはさらに少なくなる。仮に、2035年では現在の発電効率の3倍の電気を生産できると仮定するなら、図表18に示すように、2035年に必要な太陽光システムの面積は日本列島の約1.4倍の広さとなる。
図表20 図表16の3倍の条件で世界の1次エネルギー量を生産するために必要な面積と財源
2012年1月16日の環境ビジネスのニュースによると「物質・材料研究機構の深田直樹グループリーダーは、現在主流となっているシリコン太陽電池において、シリコンナノ構造体を機能的に複合化させることで、接合面積を100倍以上にできる新構造の太陽電池材料を開発した。シリコン材料の削減による低コスト化と変換効率向上を両立させる、これまでにない新しい太陽電池材料として、5年後に実用化する予定」であると報道されている。
この報道記事の通り、同一面積で現在の太陽発電量の100倍の電気を発電することが可能になり、また発電コストが非常に安くなるならば、世界のすべての1次エネルギーを太陽光発電によって賄うという計画は決して不可能だとは言えないだろう。 しかし、それらの革命的な技術を使った太陽光発電パネルの生産はまだ実現してはいない。殆どと言っていいほど現状では実現不可能に近く、その計画の可能性を楽観的には予測できないことは事実である。そして、21世紀の半ばまでに太陽光発電システムのみで人類が必要とするエネルギーを賄うことは可能であるとは言えない。
また、すべての再生可能エネルギーを活用して人類が消費する1次エネルギーの生産が可能になるとは言えない。そして、予測を上回る勢いで世界の1次エネルギー消費量が増え続ける可能性も否定できない。そう考えるなら、再生可能エネルギーによって世界のすべての1次エネルギーを賄うことは殆ど可能性のないほど困難であるとしか言えないのである。
4-3、太陽光発電システムの普及を進めるための課題
再生可能エネルギー生産コストの相対的評価
上記の議論から太陽光発電システムを使って現在の消費エネルギーを賄うことが非常に困難であることに気付くのである。しかし、このことは、即、原子力発電や化石燃料発電を維持推進することを意味するわけではない。
これまでの原子力発電による電力料金の計算方法に大きな欠陥がある。例えば研究開発費等々の政府補助金(国民の税金)や福島原発事故処理費(これも税金)は含まれていない。その上で政府試算の原発の発電原価は5.9円となっていた。
しかし、これまで初期トラブル、老朽化によるトラブル、さらに頻発する事故による停止は、今までも頻繁に起っている。その上、原発の過剰電力を捨てる「揚水発電所」の建設費、原発依存が招く過剰設備、原発立地対策費を支払っている。今回の福島原発事故処理の経費(被害者救済、放射能除染、事故処理、廃炉、高放射性物質の処理等々に必要な費用)が必要となる。その意味で、原発の経済的な再評価を行う必要性を訴える指摘を否定することはできない。
もし、これらのすべての費用を原発の発電原価に組み込むなら、予想をはるかに超える電気料金になることは避けられない。その意味で原子力エネルギーによる発電原価は、今後、再生可能エネルギーの原価より安いと言うことにはならないのである。しかし、そこには再生可能エネルギーのコストが今以上に安くなるという条件を満たすことが前提となっている。
また、化石燃料の使用による大気中の二酸化炭素の増加とそれによる地球温暖化現象が問題にされてきた。地球の温暖化現象への二酸化炭素の影響に関しては異論も出されている。しかし、現実の地球の温暖化はこの半世紀に進んだ。そして同時に大気中の二酸化炭素量も増加した。仮に、その二つの要因が温暖化に関係がないとしても、大気中の二酸化炭素量を増やすことは、これまでの地球規模の生態系にとって大きな変化があることには違いない。その生態系の変化がもたらす気象へのリスク、温暖化現象をまったく否定することは出来ないという立場も成立する。
この仮定に立って、二酸化炭素の排出の経済効果を考える。つまり、気象や生態環境の変動がもたらす災害、例えば都市のヒートランド現象等によるゲリラ豪雨、集中豪雨、雷雨、竜巻の発生による洪水、深層崩壊、土砂崩れ等の災害の発生、さらには北極、南極や高山地帯の氷河溶解による海面上昇と高潮の危険性等々の自然災害の増加による経済的被害を試算する必要がある。世界規模の自然災害の増加と大気中に排出された二酸化炭素量との関係を精密に求めることは難しい。しかし、その相関関係から導かれる二酸化炭素排出量の価格を仮定することは可能である。
その意味で、化石燃料を使ったエネルギー生産(熱や発電)は出来るだけ低く抑えるべきであるという意見が出されてきた。当然、この意見に便乗して原子力発電(原発)の建設が提案されてきた。しかし、原発の熱効率は悪く、例えば沸騰水型の原子炉では33%であると評価されている。つまり、この原子炉では三分の二の熱を捨てながら発電を行なっているのである。 以上の議論から、原子力発電コストや化石燃料発電コスト試算の中に放射能汚染や温暖化という環境破壊の被害コストを計算する必要がある。
社会資本としての太陽光発電システムの位置付け パネルの消費者かエネルギーの生産者か
2012年7月1日から固定価格買い取り制度が始まった。その2ヶ月後の9月に住宅用パネルの設置件数は100万世帯を超えた。この制度が存在する前から日本の太陽光発電の主流は住宅用パネルである。つまり、日本では高額の資金を出して太陽光発電を設置する人々が他の国々に比べて相対的に多くいるといえる。それは日本人の環境意識の高さであるとも評価できるだろう。
日経新聞によると、今年(2012年)の7月と8月の2ヶ月間で認定を受けた住宅用パネルの電力容量は30.6万kwであり、メガソーラー発電(非住宅用)は72.5万kw、風力発電は26.2万kw、等々、再生可能エネルギー全体で130万kwとなっている。政府・経済産業省は2012年度末まで、住宅用パネルの電力容量は150万kw、メガソーラー発電は50万kw、風力発電は38万kw、等々、再生可能エネルギー全体で250万kwの導入を予測していたが、その予測の半分をすでに2ヶ月間で達成した( )。 この数値が示す意味は、固定価格買い取り制度は再生可能エネルギーの普及に大きく貢献していること、また、住宅用や非住宅用(メガソーラー)の太陽光発電パネルの設置は今後も急速に進むことを意味する。
今年度の1kwhの買い取り価格は住宅用太陽光発電と非住宅用(メガソーラー)太陽光発電では42円と設定されている。この価格で住宅用太陽光発電は10年間、非住宅用(メガソーラー)太陽光発電は20年間買い取り価格を保障される。そのために、多くの市民や企業が売電による利益を目的にしてパネルを設置している。買い取り価格が高めに設定されている限り、今後もパネル設置は進む。
この固定価格買い取り制度によって再生可能エネルギーによる電力の生産が進む。つまり、原子力発電所や火力発電所のような50万kw以上の大型の発電施設に代わって、1万kwクラスのメガソーラーや10kw以下の住宅用太陽光発電所が至るところに設置される。それらの小規模発電所は電気を生産する施設である。また、原発などの大型発電所と異なりこれらの小規模発電所は電力消費地に設置されている。その意味で、送電時の電力ロスが少ないのである。
しかし、同時に、太陽光発電の普及はそのシステムが抱える幾つかの重大な問題を提起している。その一つが太陽光パネルの劣化問題である。産業技術研究所の太陽光発電工学研究センターの加藤和彦博士らが運営するボランティア団体「PVRessQ!」はこれまでの483件の住宅用パネル(10年以内の発電システム)の調査のデータを公開している。そのデータによると、運転開始からで483件中100件(全体の21%)の発電所がパワーコンディションの修理・交換を行なった。そして、483件中78件(全体の16%)が太陽電池モジュール1枚以上の交換を行なったと報告されている。
太陽電池モジュールの交換に至るパネルの故障の主な原因は、モジュールの素材である半導体の故障というよりも、モジュール間やパネル間を接合する部分の劣化による電気抵抗の発生と発熱によってモジュールが壊れるケースが多いとの報告があった。
京セラが1983年に国内で初めて、太陽光発電システムを商品化した。それからシャープが2000年から大量生産を行なった。つまり、太陽光発電システムが市場に出てから約12年の歳月しか経っていない。その意味で、このシステムの持久性を検証するデータは多くないのである。それにも拘わらず、2000年以降のパネルの保障期間は10年となっていた。また現在では20年と言われている。
2000年代当時1kwあたり80万以上した高額な設備である住宅用太陽光発電システムの10年間の保障期間中に、製造業者にはその保守点検を行なう義務はない。例えば、トヨタ自動車を初め、日本の自動車メーカーで新車を買った場合、少なくとも1、2年の間、無料の保守点検がサービスとして付いている。しかし、車と同じ位、いやそれ以上の高額な太陽光発電システムに対して、販売業者の保守点検の義務もなければ、勿論、サービスもないのである。
10年以内の太陽光発電システムの21%がパワーコンディションの修理・交換を行ない、またその16%が太陽電池モジュールの交換(一枚以上)をしたという調査結果からすれば、現在、100万世帯に普及した住宅用太陽光発電システムや非住宅用メガソーラーのシステムの故障が大きな社会問題となることは明らかである。そして、この社会問題を正しく解決することが出来なければ、太陽光発電システムの設定に投資しようとする市民や企業の数は激減することは明らかである。
パネル製造企業や政府は、太陽光発電システムの劣化、故障の問題を解決する方法を早急に見つけ出さなければならないだろう。特に、安価な中国・台湾製や韓国製が市場を席巻しようとしている。それらの20年保障を謳うパネルを設置した市民や企業が、今後、10年以内、もしくは10年後に果たして故障したパネルを無料で修理して貰えるのかが深刻に問われているともいえるだろう。
言い換えると、政府も企業も住宅用パネル設置者を高額な電気製品の消費者としてしか位置付けていないことが問われていると言える。太陽光発電システムを導入する市民は、パネル業者から観れば消費者である。しかし、同時に、社会からみれば電気の生産者である。太陽光発電の経済的で社会的な効果を評価するために、固定価格買い取り制度が作られたのである。その意味で、エネルギー生産を行なう社会資本として住宅用の太陽光発電所を位置付けるには、価格の買い取り制度のみでなく、太陽光発電所の保守と修理に関する制度が必要となると言える。
太陽光システムの危機管理と生産技術の開発
東日本大震災時に太陽光発電システムの被害状態に関する現地調査を、NPO法人太陽光発電所ネットワークは東京工業大学ソリューション研究機構 黒川浩助特任教授と共同で進めた。この調査によって東日本大震災時の住宅用パネルの被害状況が判明した。その報告書の中から、特記すべき課題を以下に述べる。
一つ目の課題は、パネルを設置することによって屋根の強度が確保され、その結果地震による屋根の被害がパネル設置家屋は相対的に少なかったという調査結果であった。
二つ目の課題は、地震によって壊れない強固なパネルによって、その後も発電を続けるために、しかも接続箱にある回線切断用設備が活用されていないので、その部分に発電によって生じた熱が発生する。その熱によって結果的に電線が燃えて、さらにその火災によって電気がショートし電線が炭化したのである。この事故を予防するためには、災害時には回線を切断しておく必要がある。そうしなければ、太陽光発電による家屋の火災が発生する可能性が起こるのである。
さらに三つ目の課題は、災害時には太陽光発電システムの自立機能を使い、停電時でも電気を供給できることも証明された。しかし、中規模の住宅用太陽光発電システムには自立運転機能がない場合もあり、パワーコンの自立分電盤機能を追加する必要が求められた。
こうした調査結果は太陽光発電システムの安全管理や危機管理機能を向上させるために評価できる。政府や業者が、今回調査を行なったNPO法人(PV-Net や再生可能エネルギー協会)と大学研究機関と協力し、太陽光発電システムの改良を進める必要がある。
4-4再生可能エネルギー生産管理システムの普及化を促進する新しい文化、社会のあり方
これまで太陽光発電システムの技術的課題に関して議論してきた。これまでの議論から、太陽光発電システムの限界もその可能性も、このシステムの技術的改良に委ねられているという結論が出てくる。しかし、「4-2、太陽光発電で全世界のエネルギーを賄うことが出来るか」で議論したように、発電効率を上げることや、生産価格を下げることなどの太陽光発電システムの生産に関する技術的な議論の限界を理解しておく必要がある。
つまり、太陽光発電システムによって世界や日本の一次エネルギー消費量の大半を生産することが不可能に近い計画であるなら、他の再生可能エネルギーを導入し、また省エネ技術を駆使して、再生可能エネルギー社会の構築という困難な課題に取り組むべきである。つまり、太陽光以外の再生可能エネルギー(太陽熱、バイオマス、風力、潮力、地熱、排熱、水力等々)の活用と電力生産や省エネルギーの技術開発を急ぐべきである。 しかし、再生可能エネルギー社会を構築するためには、技術的な課題だけでなく、社会文化や生活文化の課題が問われている。
集中型生産様式から分散型生産様式へ 再生可能エネルギー生産の特徴は、生産能力が大規模化できないことである。原子力発電や大型火力発電と違い、小規模の発電能力しかもっていない。例えば、10万kwのメガソーラー発電所を建設するには広い敷地が必要となる。固定買い取り制度を活かして、多くの企業がメガソーラー発電所の建設にビジネスチャンスを感じている。休耕作地、日照条件のよい山林、空き地等々の利用を考えている。しかし、殺到するメガソーラーの建設の需要で、こうした土地は高騰しつつある。設置場所の借地金が高騰すると発電から得られる利益は落ちることになる。つまり、経済的なメガソーラーの設置は、格安の借地でなければ、自治体が提供する公共地か自己所有地となるだろう。
広大な砂漠を活用して太陽光発電システムが出来る国々の事情と異なり、平野面積の狭く、人口の多い我が国では、狭い平野に太陽光発電や風力発電を立てることは困難である。パネルの設置場所に休耕田や家屋の屋根利用が計画されている。食糧自給率が30%以下である我が国の食料資源の自給問題を考えると、休耕田を利用することは困難になる。我が国の地理的や文化的事情に適した太陽光発電所の条件を見つけ出す必要がある。
この我が国の地理的条件や発電資源の特性から、太陽光発電に限らず、風力発電、小規模水力発電、地熱利用、潮流発電等々の再生可能エネルギー生産の規模が限定される。設置価格の安い中小規模発電所を効率よく配置連係させるネットワーク設計とその経済的環境条件を確立する技術開発が求められている。
この技術開発の課題の一つが、地域電力調整制御システムの開発である。風力や太陽光による発電は、気象や時間によって発電量が変動する。そのため、質の悪い電気と評価されている。つまり安定供給が出来ないのである。この弱点を克服するために、一つはスマートグリッド、コミュニティグリッドと呼ばれるネットワーク型のエネルギーの供給需要と制御調整機能が必要となる。このネットワーク型のエネルギー需要供給システムを、別名、エネルギーの地産地消型と呼ぶことができる。
言い換えると、再生可能エネルギー社会は、これまでの生産様式である集中型、大量生産と流通方式と異なる産業構造や社会制度の構築、つまり分散型の生産システム、分権型の社会システムが形成されることになる。この分散型社会が集中型社会よりも経済的であり、生産やコミュニケーションの効率がよいということが前提となる。
この前提を受けて社会経済システムが確立するための条件は、資源の有限性やその枯渇問題が顕在化していることにある。つまり、これまでの大量生産制度を支えていた要因の一つは、化石燃料資源を代表として天然資源は無限にあるという考え方であった。しかし、資源の枯渇問題は年々深刻化しつつあり、資源のリサイクル等による再利用によって、持続可能な資源利用リサイクルを創らなければならない。その循環型サイクルを維持するために小規模化の技術と生産システムが再評価されることになる。
資源の枯渇問題を抱えた21世紀の社会経済は、必然的に分散型社会へと変化していくことになると言える。しかし、現実は先進国の優位な経済力を背景に資源の独占化を維持しようとしている。だが、力を増す発展途上国や新興国の台頭によって、資源の独占的な支配構造もそう長くは続かないだろう。その意味で、先進国は分散型生産様式を取り入れ、いち早く持続可能な社会経済システムの構築を目指す必要があるだろう。すでにヨーロッパ社会が先行して持続可能な社会のための実験を進めている。
地産地消型エネルギー生産と地方分権化と国際地域共同化
エネルギーの安定供給化を可能にするためには、地方分権化と国際地域共同化が必要となる。地方分権化とは地域共同体の役割を重視する社会制度である。つまり、地方分権によって広域地域自治体の形成が可能になり、エネルギー生産に関連する社会資源の共同利用を可能にすることができる。 広域地域自治体(市民参加を前提にした地域社会運営)を土台とした国のかたちから逆算して考えるなら、地域国際共同体の形成が課題となる。言い換えると、地方分権化による広域地方自治体の形成によって地方の多様性が生まれる。その社会の多様性が日本社会の国際化を進めるのである。中央集権的な国家から地方文化の多様性が失われる。その分、国際化に必要な要件を失うことになるのである。
言い換えると、分散型社会の経済合理性は、ネットワーク型社会によって生まれる。つまり、分散型社会は地方分権化を要求する。そして、地方分権化は社会の多様性を生み出す。その結果、社会の多様性によって分散型社会は地域国際社会での経済文化競争力を獲得することになるのである。 同じように、分散型エネルギー社会の多様なエネルギー生産活動によって広域地域自治体の安定した経済活動が保障され、エネルギーの需要と供給のネットワークを地域国際共同体に広げることも可能となる。具体的にはEUのエネルギーネットワークを模範にしながら、東アジア共同体のエネルギーネットワークを構想することも可能となる。
市民参画社会によって発展する再生可能エネルギー社会システム
エネルギーの地産地消型によって分散型エネルギー生産システムは有効に機能する。その機能を支えるのは、単にスマートグリッドの情報処理や制御技術だけではない。分散型生産システムに必要なきめ細かい生産地と消費地のコミュニケーション力であり、そのコミュニケーション力を維持発展する力は市民参画型社会によって形成される。
生産者であり消費者である市民によって、資源の有効活用を生み出す生活文化が形成され、それをリサイクル文化と呼ぶこともできるが、大量消費生活への反省や環境保全を生活文化とするライフスタイルの形成が行なわれ、人々の豊かさの評価尺度が、消費財の価格評価から、生活の質(QOL)を重視した生活文化やライフスタイルへ移行することになる。
人権や平和、共存やコミュニケーションが社会文化の評価の基準となり、社会サービス業務への市民参加(ボランティアやNPOの役割)が国民総生産の一要因として評価され、こころを持つと呼ばれる良質の福祉環境が形成され、また生態環境が生活の豊かさの一要因となるだろう。 このように、大量消費文化を支えていた経済主義から脱却していくとき、経済の分散型社会の経済効率は向上するといえる。その意味は、これまで経済主義の評価していた資源概念が大きく変化し、産業生産に有用な資源のみでなく、家庭生活に必要なあらゆる資源(愛、思いやりや協力)を含めて経済活動として評価されることになるだろう。
市民参画社会とは、生活重視の考え方に立った人々によって創られる社会を意味する。それらの社会生産力とは、豊かで多様な生活資源の生産を意味する。その生産に有用なシステムを経済効率の高い制度として評価することになる。つまり、資源の無駄遣いから、平和や人権主義によって生み出される生活の豊かさの形成と向上を経済活動として捉える社会形成が市民参画社会の究極の課題となるのである。
例えば、欧米や日本ではエネルギー自給率の向上を目指すために固定価格買い取り制度が確立した。その制度は、ドイツの例にみられるように、市場原理を取り入れながら、システム価格の逓減に即して順次固定価格を見直す必要がある。日本では、その見直し制度が再生可能エネルギー経済や社会政策の専門家で作る委員会によって行われる。こうした再生可能エネルギー社会を発展維持する政府の活動(専門委員会の議事録や答申内容)の情報を市民に公開し、市民参加の意見聴取会を開く必要がある。
分散型エネルギー生産社会では、市民がエネルギーの生産者となる。市民参画型社会を形成しない限り分散型エネルギーシステムの経済合理性は確保されない。その経済合理性の基本要因は市民がエネルギー生産に参加することで成立している。つまり、この生産様式が成立するには、市民民主主義文化の形成発展が条件となる。
言い換えると、市民民主主義文化によってエネルギー問題のみでなく、社会福祉、健康、子育て環境、社会の危機管理や安全管理、教育や文化、環境保護、人権、国際交流、平和活動等々、今、集中型社会が抱える経済負担の大きな社会要因を市民が参画しやすい社会規模にすることによって、分散型社会でのエネルギー生産力は向上するのである。
メガソーラー発電所と家庭発電所の違いから来る課題
現在、二つの太陽光発電所スタイルがある。一つは非住宅用のメガソーラー発電所であり、もう一つは住宅用の発電所である。その二つの太陽光発電所は分散型エネルギーシステムを担い、また他の発電所とのネットワークによってより安定した電力を地域社会に提供できる。
しかし、メガソーラー型はこれまでの集中生産型により近く、現在の産業システムから最も期待される太陽光発電所である。それに比べて、家庭発電所は殆ど現代の日本の産業システムから期待されないだろう。そのため、政府が家庭用太陽光発電所を重視するというのは、殆ど、その発電機能に関する期待からでなく、パネル製造業者の需要先としての役割が主な理由となるだろう。 言い換えると、家庭用発電所ネットワークであるNPO法人太陽光発電所ネットワーク(PV-Net)の今後の社会的役割やその活動の在り方が問題となると言える。以下、その問題を検討するために、二つの課題を列挙する。
一つは、家庭用発電所の意味をエネルギー政策上、社会や政府、産業界に理解させること。二つ目は、PV-Net運動の意味を再度確認し、家庭用発電所の発展と維持のために活動の在り方を検討すること。以上の二つの課題を展開するための、議論をはじめる必要がある。
とりわけ、住宅用の太陽光発電システムの普及によって多様なサポート企業やNPOが生まれる。これらの企業や団体は太陽光発電所の管理者となった市民、もしくは管理者になろうとする市民のニーズによって発展する。
これらのニーズを満たすために、NPO的な企業が形成され、市民参画型社会の経済構造の大きな要素を作り上げてゆく。つまり社会貢献度の高さを企業活動の目標に掲げる企業文化が生まれるのである。この企業文化は分散型社会の構築に貢献するのである。
消費者・生産者(プロシュマー)の組合運動
1960年代、市民社会の発達とともに形成された日本の消費者運動、その始まりは安い商品による生活支援活動であった。1970年代になると、この消費者運動は安全な商品の提供による生活支援運動に展開した。
太陽光発電所ネットワークは、その意味で、全く新しい運動である。何故なら、環境保全や再生可能エネルギー社会に貢献するために高額の太陽光発電システムを購入した消費者であり、また同時に、そこで生産した電気を電力会社に売る生産者でもある。つまり、消費者・生産者運動(プロシュマー運動、プロシュマーとはアメリカの経済学者トフラーの用語)である。
この新しい運動の形成は21世紀の市民の在り方を意味している。20世紀後半は消費者や勤労者として市民は位置づけられていた。しかし、21世紀は、生産者としての市民の役割が大きく評価されつつある。それは、商売や中小企業の経営者という市民のみでなく、太陽光パネルを始め、他の再生可能エネルギー生産に投資する市民、また、環境保全や自然エネルギー生産のNPO活動に投資する市民としての、言い換えると、社会や経済活動に参画する市民という、概念を意味する。この新しい市民のイメージが太陽光発電所ネットワークの中で語らなければならないものである。
そこで、この運動は、以下の二つの課題が具体的に検討されなければならない。一つは、消費者運動としての在りかた。つまり、太陽光発電システム購入者の利益を擁護する活動の在り方が問われる。さらに、もう一つは生産者運動としての在り方、つまり、買電に関する利益を擁護する活動が問われる。
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論文「社会経済システムからみた太陽光発電システムの課題
-太陽光発電の将来性と問題点- 」のダウンロード
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http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_03_04/MITShir12b.pdf
「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html
2012年10月17日 誤字、文書修正
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