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2022年11月9日水曜日

旧統一教会の戦略にはまる日本の選挙文化の構造的課題

- 国民との選挙公約 (マニフェスト)を基本とする選挙制度の構築 – 




三石博行




1、旧統一教会の選挙支援を受ける背景



なぜ旧統一教会が政党(特に自民党)に影響を与えられたのか。旧統一教会のエバの国日本はアダムの国韓国に無条件に貢ぎ続けなければならないとい教義は、駄々でさえ戦前の朝鮮半島の植民地政策を反省することのない国家主義を信奉する多くの自民党議員には到底受け入れられるものではないと思われる。だが、その統一教会と政策協定まで結ぶのだから、どうなっているのか不思議な話だ。

もし、国粋主義に命をかけた三島由紀夫がこのことを知ったら、統一教会に選挙協力を得ている自民党の議員たちを「似非民族主義者」として激しく糾弾してるただろう。だから、政策協定を結んだ自民党議員や旧統一教会やその関連団体で挨拶をしたり、教祖と記念写真を撮ったりした議員たちは、きっと三島が生きてなくてホットしているかもしれない。しかし、それでも日本会議の幹部は居るのだから、国粋主義の幹部からクレームをつけられたり、場合によっては、脅迫されたりはしないだろうか。それもないなら、この国の右翼も国粋主義もとどのつまり、極めて実利的プラグマティストだと言われるかもしれない。

しかし、自民党議員(自民党議員でなくても)が何故旧統一教会に政策協定書まで書かされたのか、その本当の理由を明らかにしなければならない。思うに、大半の理由は、候補者が「選挙に勝ちたい」からだと言えるだろう。それも人情としては理解できる話である。真面目に、彼らといえども、「エバの国日本とアダムの国韓国」の関係を信じてはないだろうし、また、「政策協定」も半分が真面目に読みもしないで、結んだものだろう。確かに、その中の多くが、自民党の政策と同じである以上、例えば「日韓トンネルの成功」などという馬鹿げた構想があったとしても、それは無視したのかもしれない。ただ、選挙に負けると議員という食い口を失うことになる。それは、誰でも理解できる「失業」という恐ろしい生活が待っているのだ。


2、問われる日本の選挙文化



この現実から、言えることは、むしろ、旧統一教会は日本の選挙文化の現実をよく理解していて、その上で、候補者の要求にそった選挙協力をしたのではないかと言える。つまり、候補者の弱みを理解し、どの政党の候補者がその弱みに耐えられないか、また、選挙協力した後に、一番利用できる候補者であるかを、この団体は極めて冷酷に理解していたと思う。その上で、長期的視点に立って、選挙協力をしてきたのだろう。

それでも、ほとんどの国民は怒りもしないし、マスコミも「なんて国民をバカにしたうるさいウグイスの鳴き声なのか」と批判さえしない。むしろ、選挙では候補者が金を持ってきてお願いに来るものだと信じて疑わない人々もいる。真昼堂々と、お金がばら撒かれることが起こる。これはいつの時代の選挙なのかと疑う現実が、つい数年前にあったし、それへの点検も然りとなされていない。これが現実の日本の選挙文化・民主主義文化の程度でなのだろう。

つまり、選挙では何をしても「当選すれば」いいのであって、負ければ、何の意味もないのである。当然は話であって、そのことを疑う人はいない。問題は、何をしても当選すればいいのかという疑問符が、世論に付いていないことではないだろうか。選挙とは、立候補者が、これまでどんな政策活動をしたか、どのような政治的意見や考え方を持っているか、と言うことを国民が評価し、そして、自分の代表として選ぶ制度である。選ぶ行為の中身こそが、選挙活動や選挙行為の内容を決定している。もし、そうしたことが全く課題に挙がらす、「よろしくお願いします」と、自分への投票を呼びかけるなら、そうした選挙活動が常識化しているのであるなら、候補者は、当然のように、どんな手段を使っても選挙に勝てばいいと考え、勝つためには何でもすることになるだろう。こうした選挙文化こそが、旧統一教会にとって、非常に簡単に政治家や政党との関係を作る機会を得られることになるだろう。


3、選挙公約(マニフェスト)に対する点検としての選挙文化の構築



つまり、旧統一教会が巧みに政党や政治家と関係を作り上げた背景を分析し、理解しない限り、旧統一教会との関係を断ったとしても、同じような過ちを、今後も、繰り返すことになるだろう。政治家たちは旧統一教会を利用しなくなっても、また新しい団体を見つけ出し、それを利用して、「勝つためには何をしてもいい」選挙運動を続けるだろう。従って、もう一度、選挙を政党や政治家のマニフェストとその点検活動を前提とした国民・市民の政治参加活動にしない限り、この問題は基本的に解決することはないだろう。

言い換えると、この問題で問われているのは、旧統一教会やそれを使った政治家や政党だけはない。政党が約束した政策の点検活動として選挙を行なえない私たち日本の国民・市民の民主主義文化のレベルの問題だとも思える。

しかし、今までマニフェストを基本にした選挙活動が課題になった歴史がある。2005年9月11日に行われた衆議院議員の総選挙では、各政党がマニフェストを公表し、それをもとに選挙戦が戦われました。しかし、 もっとも真剣にマニフェスト選挙を訴えた旧民主党が、そのマニフェスト選挙を破壊した歴史もあった。2012年、野田政権は選挙公約したはずの消費税の公約を破棄した。何故なら、当時、社会保険に関する財政基盤が深刻な課題となっていたため、その課題を解決すべく、消費税増額を決めた。確かに、確かな財政基盤を作り上げることもなく、政策を提案するのは間違いである。その意味で、野田政権の言うことも理解できる。しかし、問題は、選挙公約を破棄してまで、消費税を上げるということが、議会制民主主義の中で、問題にならないかという疑問である。野田政権は、まるで、自分だけが日本を救うために、どんな反対があっても「消費税を上げる」と言い出した。そして、自民党と共に消費税を上げた。そのことによって、マニフェスト選挙は消滅した。

民主主義とは、意思決定の過程を重視する制度や文化によって成立している。政党がマニフェストで国民と政策を約束し、国民から委託(1票を投票された)のであれば、その約束(マニフェスト)は、次の選挙まで守らなければならない。それが議会制民主主義の原則である。選挙によって選ばれた経過を無視し、まったくマニフェストに反することをするのであれば、それは、議会制民主主義を無視した行為であると言える。この国は「国民主権」の国であって、「議員主権」の国ではない。だから、選挙を通じて選ばれてた政治家は、日本憲法に謳われている民主主義の基本「国民主権」を簡単に反故にすることは出来ない。それは、約束違反、言い換えると詐欺行為である。

もう一度、マニフェスト選挙の文化、その制度を充実させる色々な仕組み作りを真剣に取り組まなければならない。そうでない限り、政治家はいつまでたっても選挙が来たら、票田の稲穂をどれだけ集めるかということだけに心を奪われ、選挙はでは選挙に勝ことが唯一の目的となり、これまで取り組んできた政策の報告、また、新しい政策への提案を訴える場としての選挙文化は育つことはないだろう。それは、取りも直さず民主主義文化を醸成する制度を失った社会・日本に対して、何もしないことを意味する。今、旧統一教会と政党の関係を問いかける時、単に、関係をもった議員たちを糾弾するだけでなく、それを生んだ構造を問題にし、それを基本的に改革するための努力をしなければ、これからの日本社会の未来はないと思う。


フェイスブック記載 2022年11月2日

2022年8月8日月曜日

安倍襲撃事件と民主主義の危機

テロを生み出した政治




三石博行




テロ、重大な民主主義への挑戦



今年7月の参議院選挙の最中に安倍晋三元総理が選挙演説中に山上徹也に暗殺された。この選挙活動を抹殺する行為は民主主義への重大な挑戦であると報道された。

また、一方で、山上徹也(以後、山上と呼ぶ)は安倍晋三元総理の政治理念等に関して反対するためにテロを行ったのではない。山上は、一方的に安倍氏が世界平和統一家庭連合(元統一教会)(以後、統一教会と呼ぶ)に深くかかわっていると信じていた。彼は、統一教会の信者となった母親が多額の寄付を教会にしたことで自分の家族が破産したことを怨み、安倍氏の殺害を決意したこと等が報道された。

しかし、どのような理由があったとしても選挙活動をしている政治家を暗殺するというテロ行為は許されることはない。その意味で、このテロは重大な民主主義への挑戦であると言える。 テロによる安倍氏の死は国内外に大きなショックを与えた。そして、世界中の国々のリーダーから襲撃を非難する声明や哀悼のメッセージが送られて来た。多くの人々がテロの現場や安倍氏の自宅へ弔問に訪れ、長蛇の列を作った。改めて、海外や国内社会での安倍氏の政治的影響力の大きさを私たちは垣間見た。岸田内閣は、7月22日に安倍氏の国葬を9月27日に行うことを閣議決定した。


テロによって明らかになった現実、統一教会と保守系政治団体・政治家の関係



他方で、奈良県警で殺人の意図を語った山上の発言内容が問題となった。彼が言った統一教会の反社会的行為に対して、多くの被害者が存在していることの事実が明るみになった。統一教会被害者家族の会の活動などが報道された。統一教会による被害を調査して来た専門家、弁護士がニュースや報道番組に登場し、被害の現実を述べた。

この報道の中で日本の政党、政治家に深く食い込んできた統一教会の歴史や関連団体の活動が紹介された。統一教会は1954年、韓国で「世界基督教統一神霊協会」として設立し、1958年に日本で活動を始めている。笹川良一氏らと共に反共活動を行い、1960年代には日本の大学に「原理研究会」を組織し、1963年に「世界基督教統一神霊協会有志財団」として文部省文化観光部宗教課に登録されている。1964年に宗教法人(初代会長久保木修己氏)が認められた。1968年に自民党 の元首相岸信介、笹川良一、児玉誉士夫らが発起人となり、国際勝共連合が結成された。国際勝共連合の初代会長は久保木修己統一教会会長になり、名誉会長に笹川良一氏が就任した。統一教会は戦後の冷戦時代に反共をスローガンにして世界や日本の政治勢力と深い関係を築き上げて来た。その意味で、今日、保守系政党(自民党等)の政治家が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と深い関係をもった背景が理解できる。

統一教会の母体は日本の植民地時代の朝鮮で起こった宗教であり、反日思想を持っている団体である。経典には、日本は「サタン(悪魔)の国」であるとの反日教義が書かれ、教祖の文鮮明は日本民族や天皇への侮辱的・差別的な発言をしている。例えば、文鮮明ははイエス・キリストの「再臨論」も説き、韓国はイエスが再臨する『東の国』であり、その「韓国のキリスト教を過酷に迫害した」「天照大神を崇拝してきた全体主義国家」と日本を批判している。また、「日本支部会長扮する天皇陛下が文教祖一家にひざまずく儀式を行っている」という日本の右翼としては絶対に許されない演出をしている。

また、アダムの国、韓国に対してエバ(イブ)の日本は奉仕しなければならないとして日本の信者が多額の献金をすることを説いた。1980年代には、朝鮮人参茶、高麗大理石壺等を韓国から輸入販売し、また先祖の罪を償なわなければ地獄に行くという霊感商法を行い、日本の信者から巨額の出費をさせ家庭崩壊等の社会問題をおこした。「1987年に全国霊感商法対策弁護士連絡会が結成され、これまで商品の返還交渉や損害賠償請求の提訴が行われてきた。同会の調査によれば、全国の消費者センターや弁護士会に寄せられた2007年までの累積被害総額は1024億4720万425円に達する」と言われている。

冷戦が終わると、文鮮明は北朝鮮に行き金日成と会い、多額の献金をし兄弟の契りを結び、朝鮮統一の夢を分かち合ったと言われている。つまり、彼にとって反共も反日もそして朝鮮統一もすべて統一教会の財源や勢力拡大の道具ではなかったのか。

むしろ問題なのは、こうした歴史的事実がありながら、日本の多くの保守党議員たちが統一教会との関係を続け、詐欺まがいの霊感商法の被害にあった国民を前にして、統一教会への便宜をはかり、また、選挙協力を受けいれ、彼らが主催するイベントや集会に祝電を送り、また会場に行って彼らを祝福し、講演し、集会の実行委員長にまでなる癒着を続けて来たいことである。

現在も、世界平和統一家庭連合(元統一教会)の被害、半強制的な合同結婚式、詐欺まがいの献金等々の被害に苦しむ人々をサポートする活動がなされている。また、社会的批判を隠蔽するかのように、2015年、下村博文氏が大臣時代に長年破棄してきた統一教会の団体名変更を受理した。統一教会は、新しい名前。世界平和統一家庭連合となり、現在でも同じような活動を続け、日本国民への被害を与えている。

残念なことに、この現実は、山上の安倍元総理の襲撃によって明るみに出た。それまで、マスコミも世界平和統一家庭連合が同じように起こしている国民への被害を報道することはなかった。言い換えると、このテロがなければ、日本の保守系政党・政治家と統一教会の関係も、また統一教会の反日的な宗教思想も、そして現在まで続いている詐欺まがいの行為も明るみに出ることはなかったと言る。


テロを評価する考えが芽生える危険



危険なことは、反日的宗教思想でこれまで多くの日本人から巨額の財産を奪ったと思う人々が持つ統一教会へ反発が、山上のテロを肯定するのではないかと言うことである。そうなる時、日本は深刻な民主主義の危機を迎えることになる。

また、同じように危険なことは、現在の政権が山上を精神異常者にし、彼が被害妄想を起こし、安倍襲撃を行ったとして、カルトと政党の癒着の現実に蓋をし、ひたすら保守政権の護身のために事実を覆い隠すことだ。

日本を軍国主義に導いた5.15事件や2.26事件の歴史が思い浮かばれれる。不況、貧困に苦しむ国民、それとは無関心の腐敗した政党政治、正義感に燃えた青年将校、そして日本を維新するために決起(軍事クーデター)とテロ(政府要人の殺害)、それらのテロ行為が国民の支持を得ていた時代的状況、マスコミの役割、等々。あの時代に近づく多くの共通点を見出すとき、この安倍襲撃事件は、日本の民主主義を破壊する大きな流れにならないかと私は心配している。

それだからこそ、安倍襲撃事件の背景、保守党政党、政治家と統一教会の癒着を徹底的に明らかにしなければならないだろう。しかし、森友・加計問題、そしてサクラをみる会等々、多くの不正を正すことのできなかった日本社会、日本国民が、果たしてこの課題を正しく解決することが出来るだろうかと悲観的な気持ちになっている。


民主主義の危機を救えるか



まず、安倍襲撃のようなテロによってしか社会的問題を告白する手段だと思う人々が生まれないように、テロの起こる社会構造を理解しなければならない。

そのために、日本の社会が安倍襲撃事件の背景、それをつくってきた歴史について確りと報道し、議論し、確認し合うこと(反対でも賛成でもその意見を出し合って何が問題かを理解し合うこと)を行はない限り、日本社会は、テロが最も有効な問題の解決手段と理解してしまうだろう。この状況を生み出すのは、日本国民が格差や貧困に苦しみ、それを解決できない政治・政治家を日常的に見続け、絶望し、最後は、政治不信と政治への怒りとなる段階になった時だと思う。

その時、人びとはテロに走るだろう。テロが有効な手段だと山上が教えたと歴史は言うだろう。そして、日本は深刻な民主主義の危機に瀕するだろう。今、それを避けるために、テロが起こる社会状況に関する分析や議論が必要である。その具体的な一つが、今問題になっている保守系政党、政治家と統一教会の癒着の構造を明らかにすべきである。

第二、第三の山上をうみださないために、今、真剣に、統一教会と政治家との癒着の歴史、宗教(カルト)が政治に介入する構造の理解、それを阻止する制度や法整備を行わなければならない。

もし、今まで自民党が森加計、桜をみる会の政治スキャンダル隠しように、統一教会との癒着問題を隠蔽し続けるなら、統一教会と政党や政治家の関係を明らかにし、それを根本から正そうとしないなら、必ず重大な民主主義の危機を生み出すことになるだろう。いつか、絶望した若者たちが5.15事件や2.26事件と同じようなテロを起こし、それを弾圧する強大な国家権力を頼りにすることで、日本を全体主義国家に引きずり落としていくだろう。私たちは自国の歴史にその誤りを刻んできたのではなかったか。も一度、現実を見る力を持つべきだと思う。

参考資料


Wikipedia
世界基督教統一神霊協会の年表
統一教会関連の企業と団体
世界平和統一家庭連合

【基礎から分かる】統一教会はどのように生まれ、何を教えているのか 安倍元総理暗殺事件で注目

《内部文書入手》 「統一教会」関連団体幹部が名称変更当時の下村博文文科相に陳情、パーティ券購入

全国統一教会(協会)被害者家族の会


facebook 記載 2022年7月31日