三石博行
モンテーニュの懐疑論
▽ 1562年から1598年まで停戦を何度かはさんで続けられたフランスのカトリックとプロテスタントの宗教戦争・ユグノー戦争(Guerres de religion)で混乱するフランス・ヨーロッパ社会に対して、フランスの16世紀ルネッサンスを代表する哲学者であるミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)は、宗教的正義を振りかざして闘う人々とその「正義」に対して懐疑の眼差しを向けた。彼の懐疑論はフランスのモラリスト(人文主義者)運動を呼び起こし、現実の人間を探求する思想を確立していった。
▽ モンテーニュの懐疑論は肯定的にも、否定的にもフランスの思想に大きな影響を与えた。懐疑主義に肯定的に影響された一人がルネ・デカルトであり、否定的に影響された一人がブレーズ・パスカルである。
デカルトの方法的懐疑とコギトの成立
▽ デカルトは感覚的世界の曖昧さを取り除く方法として「方法的懐疑」を展開する。デカルトは、まず疑えるものは疑える限り明確に確信できるものではないと考えた。そして、あらゆるものを疑った。例えば「自分が見ているものは本当に存在するのだろうか。もし、それが存在するかどうか疑うことが出来る限り、その存在を明確に確信立証できる根拠はない。」と考えた。その方法的懐疑を限りなく続けると、ほとんどものが疑う余地をもっている。全て、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、知っていたもの、理解していたこと、全てが疑う余地から逃れられない。その限りにおいて、それらのものは、全て明確に確信できるもの、明晰にして判明なものではないと考えた。
▽ ついにデカルトは「疑っている自分まで疑ってみた。」すると、疑っている限り、疑っていることを疑うことが出来ないことに達する。つまり、疑う自分は疑えないという結論に達するのである。この同義反復、疑う自分を疑う自分が疑っていることは矛盾であり、疑っている行為を疑うことは不可能であり、それ故に、疑う自分は疑えないと結論するのである。この結論「われ思う(疑う)故に、われ在り」の有名なデカルトの「ゴギト、エルゴースム」(コギト)の結論が導かれるのである。
▽ 中世の感覚中心主義の世界を否定すること、そのためには徹底的な懐疑が必要であった。それは自然な成り行きで疑うという手法でなく、徹底的に疑うために手段として疑う方法を用いることになる。これを「方法的懐疑」と呼び、デカルトは一生に一度ぐらい、こうして方法的に、徹底して疑う必要があると述べる。
▽ 疑うために疑うのは疑いの限界を見極めるためであった。そしてたどり着くのは「疑っている(考えている)自分は疑えない」という事実であった。その疑っている自分こそ明晰判明に了解(理解)していい存在であった。つまりものごとをあえて疑うことによって、思い込みの世界を意識的に破棄していく。そして明晰にして判明に存在している主観を、ただ「疑い続けている私のみが、疑うことができない」という結論に到達することになる。感覚や知覚を前提にして世界を了解している(世界があると理解している)自分のあらゆる明確でない意識をすべて否定して、それは疑える限りその感覚や意識が明確に疑いの余地もないものとして存在すると断言することはできないという論理から、唯一、疑っている私というものが、疑っている以上、それを疑うことは出来ないという結論に到達するのである。
デカルトの業績、感覚主義への批判と近代合理主義の設立
▽ 感覚主義を徹底的に退け、明確に確信できる世界は疑っている自己を疑がえない世界、1=1の世界であった。意識の最小の単位として「疑っている自己」を持込、その疑っている自己から全ての世界の認識を確立しようとした。デカルトの方法的懐疑は中世科学が根拠とする「感じている世界(形相界)は存在(質料界)している」という素朴存在論、感覚実在主義を否定することになる。明晰判明に存在していると言えることは、物事の存在を感じるか感じないかでなく、疑いもなくそれが成立していることを証明できているかであるとデカルトは主張するのである。つまり、デカルトの明晰判明な思惟の出発点がそこで成立するのである。
▽ デカルトから、「魔女狩り」の根拠である「魔女」と思う感覚は、そのうわさを信じている自分は、あまりにも不明確な物事を前提にして判断していることになる。つまり、その女が魔術をしていたと主張する人に、その見たものが本当に魔術であったかと疑いことで、それが疑える限り魔術であると断言することは出来なくなる。ましては、人のうわさをきいて、そのうわさに同感するものに対して、自分が見たこともない「その事実があるかを疑うことは最も簡単なことである」限り、まったく根拠のないうわさ話を信じることが間違いであることを説明できるのである。
▽ 天動説によると天体の運動は、地球を回っている惑星の運動、太陽の運動、恒星(星)の運動の三つがばらばらに説明されることになる。三つの異なる天体運動がそれぞれ独自に存在するなら、それらの天体運動を司る神の意思(法則)はどうなるのかという疑問が、当時の自然神学(物理神学)の中で生じる。 神はその僕である物質世界に色々な異なる決まりを作ったのだろうかという疑問から、一つの決まりで説明できる宇宙の解釈として地動説が展開されるのである。
▽ 1=1、1+1=2、故に1-1=0とするこれ以上単純化できない論理、その論理からなる体系としての数学、それは明晰にして判明なものからできあがった論理体系である。その明晰判明な論理体系を基にして世界を表現すること、神はこの明晰判明な論理体系を基にして世界を表現している。近代合理主義思想は、神の作った規則を説明できる言語として数学的表現で世界(物理運動)を説明する中で形成されるのである。
▽ 古典物理学を代表とする近代科学は、近代合理主義思想の形成を裏付けた。そして、感覚的経験から科学的経験、つまり知覚的経験主義から論理実証や科学的経験主義へと発展し、今日の科学技術思想の基礎を形成することになる。現代人の多くが「魔女」を信じないのは、その魔女の使うとされる魔術が本当に存在しているかが科学的に証明されないからである。その科学的に証明されない限り、それは確信できないことが今日の社会での世界観やものの見方、常識になっているのである。この今日、迷信を信じない現代人の考え方の第一歩を作ったのがデカルトの方法的懐疑であった。
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