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2017年1月9日月曜日

21世紀社会では人的資源が最も大切な社会資源となる

- 激動するグローバリゼーションの歴史の流れでの急がなければならない政策課題 -



三石博行





1、独裁型国家から民主主義国家への移行原因(資源論から見る)


21世紀社会のこれからの課題を考えるために、17世紀からはじまった近代合理主義、啓蒙主義、そして民主主義や資本主義の意味を、これまでの社会経済史の進化過程の中で、理解しなければならない。


そもそも、生物の世界では、種の保存が個体保存よりも強くはたらく。しかし、人間は、その逆だ。つまり、種の保存よりも個体保存を優先してしまう。そのため、私たちは社会規則、慣習、習慣、文化、社会制度という人工的な環境を創りだし、個体保存(利己主義)を抑えるシステムを構築してきた。


その意味で、封建社会までが、最も人類にとって種族保存には都合の良い、素晴らしい環境であった。しかし、近代主義、個人の自由や社会的平等が社会観念の本流を形成していった時代、確かに、自由という欲望の力によって資本主義経済が発展し、私たちは巨大な富を獲得したのだが、同時に、この自由の制御システムを摸索することになった。


最初の試みは、社会契約という考え方であった。つまり、「自己のエゴを認めてもらうために、他者のエゴを認める。それらのエゴの利害関係を前提にした社会制度・法を形成し、その法の支配を前提にした社会、つまり民主主義社会を形成する」という考え方である。


確かに、封建時代は、強力な暴力装置とそれを独占しる王権、独裁者によって、社会は運営されていた。意思決定は早いし、面倒くさい選挙や国民投票など不要で、王様や権力者の一言で、国が一つになって動いていた。その意味で、この社会制度は、意思決定機能に必要なコストを最低限に抑え、その分、国家の経済力を軍事力やその他に配分できた。勿論、権力者達がそれを支配し、その配分方法を決めていたわけだ。その視点から、見るなら、民主国家は、封建主義・独裁主義国家に比べて、恐ろしく非効率な制度を前提にしていると言われるだろう。


しかし、封建主義国家では、国家運営に活用できる人的資源を獲得できるストックは支配者階級を支える階層(貴族階層、武士階層)と限られている。勿論、封建社会の政権運営には、それで十分であったとも言える。しかし、より高度の政治経済機能を前提にして成立している近代国家では、一部の支配階層の人的資源では、国家運営を担うことが出来ない。国民国家として、国民すべての人的資源を活用することで、近代国家は成立する。国民への義務教育、徴兵制度、納税制度等々、それらは、近代国家の運営の一つを物語る。


封建・独裁国家が持つ意思決定の速さ、その経済効率を、民主主義国家では豊かな人的資源の活用によって、より高度の生産性と経済効率の良さを獲得する方向で進化してきた。もし、この進化の方向を予測するなら、未来の社会経済システムは、より広範囲の人的資源ソースを獲得し、そしてそれからより質の高い人的資源をより多く活用することが出来る社会制度になると思われれる。


2、21世紀型の社会経済システムへの進化プローセスのデザインとは何か 


それを実証するように、ソビエト連邦が崩壊した。また、文化大革命によってより強固な社会主義体制の確立への政治路線を修正し「国家資本主義化」の道を選んだ中国ように、社会主義経済は実質、崩壊した。崩壊していない国がるとすれば、朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)だけである。しかし、それも、多分、今後、大きく政治路線を修正し、中国型国家資本主義を目指すことになるだろう。


未だに、欧米型民主主義国家が一般的民主主義社会の典型として世界化しないのは、富国政策の要である近代化政策に、それぞれのやり方があることを、世界、特に欧米日本を中心とする経済先進国は理解しなければならない。


今更説明するまでもないことだが、中国型の一党独裁型国家資本主義経済制度と国家支援の国有企業経済が、意思決定の速さ(経済効率)と大衆化した共産党を土台とするより豊かな人的資源の活用によって、急速な経済発展を可能にしようとしている。事実、社会主義を名乗る中国は一党独裁型国家資本主義制度の中で、急速な近代化、工業化、資本主義化、市場経済化、国際経済力を付けて来た。こうした新しい近代化政策やそれを支える政治制度を、旧来の社会主義対資本主義という古い視点で見る限り、その基本的構造を理解することは出来ない。


近代化の遅れたアジア(ロシアを含む)では、近代化は、かくてイギリスやフランスが成し遂げた市民革命、西欧民主主義制度を類似して進行することはない。そのことは日本の明治維新、そして明治・大正・昭和初期の天皇制日本帝国の歴史を振り返ることでも理解できるだろう。 いずれにしても、今後、社会経済システムの進化は、資本主義経済を生み出した民主主義国家の基本的な路線を踏襲しながら、それらの民族国家の歴史や伝統、資源状態を前提にして進むだろうと思われる。


321世紀社会の重要課題、人的資源の育成、確保、維持


その意味で、21世紀型の社会経済システムを構築するためには、大きく二つの課題が問われる。一つは、その国の伝統や文化という言葉に凝縮された過去の資源形態、そして、もう一つは、現在の社会経済システムを稼働している現在の資源形態である。その二つの課題から、まず、第一の課題、伝統や文化という言葉に凝縮された過去の資源形態を活かし、これからの社会経済システムの進化プローセスを設計(デザイン)することが問われる。そして、第二の課題では、グローバリゼーションの流れの中で存続可能な社会と人々の在り方を課題にする社会制度設計が問われる。


第一の課題では、以下のテーマが問われる。

1、伝統文化、生態文化を重んじ、また他国、異文化理解、多様性を受け入れる豊かな教育文化と教育制度の確立を行う。

2、伝統産業と先端産業の融合による、文化と人的資源の開発・イノベーションを進めるための研究開発を促進する制度や教育を充実させる。

3、グローバリゼーションの流れの中で持続可能な多様性を基調とした地域社会の在り方を摸索する。


また、第二のっ課題では、以下のテーマが課題となる。

1、より広く人的資源ソースを獲得する社会制度の構築、豊かな教育文化と教育制度の確立を行う。つまり、教育環境、教育内容、国民皆教育制度(教育の無料化)の充実が大切な課題となる。

2、また、より素早く社会変革に適応する人材形成の制度構築、豊かな再教育制度。つまり、新しい産業構造に順応し、またそれを担う人々を育成する制度が必要である。そのためには、既存の学校制度(大学や専門学校)をそのために活用すべきである。そして、すべての人々が、多様な、しかも自主的・主体的な再教育制度を受けられるように改革を進めるべきである。

3、教育を重要な社会インフラとして位置づけること。つまり、より多くの人々が、その教育社会インフラの向上や維持に参加できる制度の構築が必要である。教育インフラを社会全体、市民全員でサポートする制度を形成すべきである。


421世紀社会の重要課題、政策決定過程への市民参画型社会の形成


グローバリゼーションが更に進行する21世紀の社会経済システムを構築するために、参画型市民社会の形成、多様性を受け入れる力をもつ社会文化の形成、変化する産業構造に対して新しい産業構造を構築できる人材育成と再教育制度、研究開発機構、必然的に進行する格差社会に対する社会政策、社会福祉保障、教育政策、等々、敗者復活戦を可能にする社会、意欲ある人々に挑戦の機会を与える社会、つまり人的資源の確保や維持を重要な課題としえ取り上げる社会の仕組みが必要となる。


これらの課題を解決しようとする社会が、21世紀型社会経済、つまり、社会経済のグローバリゼーションの流れの中で生き延びることが出来る社会となるだろう。一言でその進化の方向とは、民主主義文化の徹底化であると言える。しかし、現在、世界のあらゆる国々の政策や政治の在り方を見る限り、必ずしも、そうはなっていない。逆に、民主主義を抑制し、国家的統制を強化し、国民から政治参画の機会を奪い、また国家の情報を安全保障に関わるとして隠蔽し、強引な国家運営を行う傾向にある。そうした傾向を推し進める政治家の言い分は、「意思決定の速さ」と「国家安全保障」のためと言うことだ。


例えば、最も典型的な国家として日本、わが国のエネルギー政策をその例に挙げることが出来る。1973年の第一次石油ショック、1979年の第二次石油ショックを受け、エネルギーの海外依存を続けてきたわが国のエネルギー安全保障の見直しが進む中、原子力エネルギー政策が大きく歩み出した。資源・エネルギー・食料の自給は国家安全保障上、極めて重要な課題であることは言うまでもない。当時は、再生可能エネルギーは化石燃料よりも高価であった訳で、原子力発電をベースにしたエネルギー政策を立てたのは、日本だけではなかった。しかし、原子力発電の安全性は極めて問題であった以上、その政策決定を、検証する必要がある。化石燃料に依存しないエネルギー政策を、当時、原子力以外に摸索することが出来たのかという反論もあるだろう。その意味で、当時のエネルギー政策を、現時点から評価することは、難しいのであるが、安全性の課題を、隠蔽し、原子力発電を建設し続けたことは、大きな誤りであったと考える。


もし、このエネルギー政策を、民主主義社会の進化を推進する条件を取り入れて、展開したとすれば、政策過程に、これまでの歴史的経過と、どのような違いが生じたいたか、その違いを仮定してみよう。


1、原子力発電の仕組み、管理体制、その安全性に関する徹底的な情報公開を行い、誘致する地域、及び、原発事故を想定して、被害が及ぶと仮定される近隣地域の市民を含めて、枯渇する化石燃料(海外の)に依存する日本のエネルギー政策・安全保障に関する議論を行う。

2、原子力発電の危険性や安全性を訴える科学技術者、その有用性、必要性を訴える経済人、政府、地方行政等々の専門家の意見を社会的に公開し、市民のコンセンサスを得る活動を行う。


以上のような、情報公開、市民参画のエネルギー政策を進めることができるなら、原発建設を同意し、建設されたにしろ、また、その逆に建設が中止されたにしても、エネルギー問題を国民的課題として考える機会を得ただろう。そのことで、国民間では、どのようなエネルギー安全保障に関する意識が高まっただろうか。例えば、省エネルギー国民運動が起こらなかったか。また、市民共同での小水力発電、風力発電、太陽光発電、太陽熱利用、等々の再生可能エネルギー政策を支援し、推進する国民運動が起こらなかっただろうか。これが、ここで、簡単に仮定できた海外に依存し、かつ枯渇し続ける化石燃料に依存しない日本のエネルギー政策に対する国民的な参画、サポート、支援活動ではなかったかと思われる。


しかし、今述べてことは夢物語と一笑されても仕方のない話である。つまり、歴史的現実は、まったく、それとは反対の流れを作り、そして、50基を超える原発が建設され、それらの燃料を自給するための核燃料サイクル、高速増殖炉よって原発で生産された劣化ウラン(ウラン238)がプルトニウム239に変化し、それを更に核燃料として再利用するいうストーリーで現実は進んだ。その結果は、今更、ここで言うまでもないだろう。


問題は、国家の最も重要な政策に関する情報が国民・市民に公開されず、また、政策決定過程が闇に包まれ、一部の与党政治家、官僚、専門家と原子力関連産業の幹部によって、政策が決定されてきたことである。この意思決定の構造は、前記した封建時代や独裁国家の意思決定の手法と類似している。原子力発電所建設をめぐる多くのステークホルダーの意見を取り入れていたら、建設は不可能であると理解した上で、民主主義社会では考えられない独裁的な決定方法を選んだ。その結果が、福島原発事故であり、そのために国民が受けた被害とさらに100年以上も掛かる事故処理や巨額の税金、国民負担である。


この失敗を再び繰り返さないためには、市民参画型のエネルギー政策を行うしかないのである。しかし、まだ、日本国民と政治はそのことを理解していないようである。となると、もう一度、福島原発事故に近い、災害を繰り返す可能性があると考えるべきである。



2016年11月23日水曜日

地域社会を分断する「原発賄賂」の構造 柏崎市長選挙が示す日本社会の民主主義度とは   


今年10月16日に柏崎刈羽原発の再稼働に反対する新潟知事が誕生し、11月20日、その再稼働を支持する柏崎市長が誕生した。そして、今日11月22日に福島沖で震度5(マグニチュード7)の地震が起こり、約1mの津波が発生した。誰しも、福島第一原発事故現場の安全を気にしたに違いない。そして、同時に、こんな日本に原発建設などという無謀なエネルギー政策が続くことを不安に思ったに違いない。

しかし、現実はどうだろう。原発を抱えた県民が反対する中で、原発を抱える町が原発再稼働を支持するのは、柏崎に限らず、鹿児島の川内でも同じである。つまり、原発を抱える町は、直接に電力会社から利益を受ける。町は電力会社からの資金援助で潤う。この構造が、なんともいびつな世界を作っている。これが否定しようのない現実の日本社会の姿である。

この構造は、言い換えると一種の「賄賂」と同じ仕組みになっている。つまり、施設が引き起こされる地域社会の安全性が問われる全ての地域が、その施設の公共性と安全性を点検する社会的機能を与えられていない。そして、その一角である一つの町、つまり経済的援助を受ける町のみが、広域災害の可能性を無視して、原発の再稼働に対する同意の大きな役割を果たす。言い換えると、ある一部の人々に特別にお金を渡し、他の同じ立場の人々との格差を作ることで、利権を獲得する構造である。この仕組みを国や電力会社が作った。それは、少ないお金で、電力会社が利益を得ることが出来るからである。その意味で、これは、確かに、政治的に仕組まれた「賄賂」の構造であると言える。

例えば、東電が柏崎市のみでなく、新潟県、いや原発事故が発生した場合に被害を受ける可能性のある半径80キロに及ぶすべての地域に柏崎と同じくらいの援助をするなら、それは賄賂ではなく、正当な東電の対応となる。しかし、それでは東電が経営的に破綻する。そこで、原発立地の市町村に限って、安全を脅かす対価を払うことにしたのである。金を払うから黙ってくれと言ったのである。それも、ごく一部の人々のみに限定して。だから、これは一種の賄賂に観える。

そして、この賄賂を貰って恥ずかしくないかと市長選挙で原発再稼働を支持した川内や柏崎の市民にに言いたくもなる。その気持ちが同じ被害を受けるだろう隣町の住民から聞こえても不思議ではない。この賄賂によって、そんな悲しい分断が生まれているのである。

だから、この賄賂的な資金援助の構造を変えて、すべての被害を受ける可能性のある市民への資金援助しなければならないと法律を変えるべきだとい主張することも納得できる。そうすれば、柏崎や川内の市民に対してもこんな気持ち・「外から言うしかない」という気持ちを持たずにすむかも知れない。そして、電力会社に対して半径80キロに及ぶすべての地域の人々への公平な安全保障費用の支出を求めるだけで、電力会社は原発建設や再稼働をあきらめるだろう。何故なら、それぐらい原発の安全管理の金額は高いのである。

電力会社が賄賂的な援助を行うことは、明らかに民主主義社会への冒涜だと思う。その冒涜を食い止めるためには、原発誘致地域の人々も納得できる被災可能な地域全体の市民が総出で電力会社への公平な安全管理費用の支払いを要求する法律を求めてもいいのではないだろうか。福島原発事故は、その根拠を十分に私たちに与えていると思う。

2016年11月22日 Blog記載

小泉元首相「生きているうちに原発ゼロを」講演会に参加して


11月8日、小泉純一郎元首相が京都市の「ひと・まち交流館京都」で講演を行った。講演会の主催団体は「市民環境研究所」(代表 石田紀郎元京都大学教授)である。
小泉氏の話す課題はすでに知っていることなのだが、彼の人間的魅力が、原発反対をめぐる話の中で滲み出ていた。約1時間と15分の講演の最中で自然に沸き起こる聴衆の拍手は、その彼の人間力から発せられることばに引きずられ私たちが何時も間にか起こしていた行動であった。
私を含め多くの人々が、原発反対の話を聴きにきたと言うよりも、小泉さんが話す原発反対の話を聴きにきたのだ。このことは、今後、原発のみでなく、別の社会に訴えなければならない課題を取り上げるときに、大切な要因として理解しておくべきことだと思った。
実に、面白い講演会であった。
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京都新聞
「 「原発ゼロ」の即時実施を主張している小泉純一郎元首相が8日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で講演した。「生きているうちに原発ゼロを実現したい。原発に頼らず、自然を大事にしながら生活を発展させる方がはるかにいい」と原発政策の転換を訴えた。
 小泉氏は、東日本大震災での救援活動「トモダチ作戦」に参加した米兵らが放射性物質の影響で病気に苦しんでいるとして支援基金を設立した。講演で「救援活動をしてくれた兵士が放射能汚染に苦しみ除隊せざるをえない。病が重い兵士がいるのに、米国防総省は被ばくによる健康被害と断定できないと言う。東京電力と同じだ」と断じ、既に基金が1億円を超えたと報告した。
 福島第1原発事故を受けた賠償や廃炉作業で政府に巨額の支援を要請する東京電力について「コストが安いと言うのはうそだった。金まみれの産業が原発だ」と批判した。「事故後、原発はゼロか1、2基しか動いていないが、(大規模な計画)停電は起きていない」とし、自然エネルギーへの転換を呼び掛けた。
 講演は、原発のない社会づくりを訴えるNPO法人「市民環境研究所」(左京区)が主催し、市民ら約350人が参加した。」
京都新聞より

2016年11月10日 Blog記載 

2013年11月25日月曜日

小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと

フェイスブックに記載した文章

三石博行
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小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと



自民党をぶっ潰すと言って、自民党を選挙で勝利させて小泉元総理、その政治家としての感性は天才と言うべきだろう。彼が今原発ゼロを言うのは、その天才的な政治感覚によるものだと思う。今、日本国民の世論を問い掛けるまでもなく、未来の日本の在り方を考えるなら、誰でも小泉氏の考えに賛同すると思う。この問題に右も左もない。自民党も共産党もない、日本人も中国人もない。これは人類の未来、地球の未来の問題だ。


脱原発を主張しながら、もし小泉氏を批判したかったら、小泉氏以上の政治力を持つべきだろう。問題は未来への我々の責任問題のみだ。未来から見れば、自民党支持者もその反対者も同じ2013年に生きていた人間に過ぎない。今我々が、100年前の日本を見ているように。その視点から、現在の小さな政治的見解の違いを超えることはできないか。もし、彼に騙されたとしても、その大半責任は私の力量にある。それよりも、今、息を吹き返そうとしている原子力村(原子力官僚と原子力独占企業たち)への対策を考えることだ。


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本当に国民は再稼働を認めているのだろうか



日本国中どこへ行っても、「核燃料廃棄物を埋めていいですよ」という町はない。それほど日本国民は核燃料が危ないこと、また我が国の国土がそれを10万年も安全に保管できないことを知っている。しかし、不思議なことに、原発をゼロにするという考えに賛成しているのは国民の半数だといわれている。すると、国民の半数近くの原発再稼働に賛成な人たちは、核廃棄物を自分の家の下に埋めてもいいと思っていることになる。もしそうでなければ、自分の町でなく遠くの町に埋めればいいと思っているのかも知れない。しかし、それを公言する勇気があるだろうか。「いや、私の地域はだめですが、あの地域なら大丈夫でしょう。人口も少ないし、大した産業もなさそうだし等々」と言えるだろうか。そう考えると、このアンケート結果は実に本当に不思議である。みなさんはどう思いますか。


日本では核燃料の再利用は絶対に可能になるといわれ続けてきた。それにも関らずその技術は完成していない。そればかりか核廃棄物はどんどん溜まり続けている。行き場をなくした廃棄物を原子炉の上に置いてあった。それのことが、福島原発事故時に二次災害を引き起こし可能性につながった。また、原発事故の後にも、廃棄物を安全に取り出すために3年近くの時間が必要だった。


その間に大地震が来ると、今回の事故以上の放射能被害が起こる可能性があった。そのリスクはまだ残っている。それが日本での現実の核燃料をめぐる現状である。それでも、核燃料は必ず再利用できるのだと言い切る人々がいる。その発言への責任を未来取っていただけるため、何かを担保にしておく必要がある。もし、災害が起こった場合には、彼らは自らの決断や発言への刑事的責任を取る覚悟を、今、聞いていた方がいいかもしれない。しかし、彼らは、そんな覚悟はない。起こったら起こったでしかたがなかったと言うだろう。今回の事故のように。何ということだろうか。しかし、これが現実なのだ。


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原子力ムラの巻き返しとマスコミの茶番劇



福島原発事故の直後には、マスコミやジャーナリスト、そしてテレビのトーク番組にに出演している人々の口から「再稼働すべき」とか「原発廃棄物処理は問題ない」とか「すべてのエネルギー利用によってバランスのよい電力供給体制を作る必要があり、原発をゼロにするのは得策ではない」とか言う発言はなかった。

しかし、今、テレビの画面では、そうした発言が主流を占めようとしている。電力会社が言っているのではない。専門家と、ジャーナリストや番組出演者が言っている。そんな中で、小泉元総理が「原発ゼロ」を訴えている。さて、こんどは、彼らはどう反応するのだろうか。小泉発言は暴言だと言うのだろうか。それとも、原発再稼働を勧める発言は控えるのか。


国民はこうした茶番といつまでも付き合う必要はない。もうテレビを消して、町にでよう。町のみんなと話しをしよう。君は大飯原発や美浜原発が再稼働されるのに賛成、それとも反対。その理由は。井戸端会議、犬の散歩中に、食事の最中に、そんな話が率直にできる社会を作りたい。本当の世論を作るために、生活の場の生活の実感から語る必要はないだろうか。


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放射能汚染水問題の解決を急がなければならない


今日(2013年8月8日)、福島原発の汚水もれ(海洋への)について二つのニュースがあった。一つは国内のニュースで、「国民の関心のある」汚水による海洋汚染防止策を東電に任すわけに行かないと安倍総理が述べた。そして政府として対応すると宣言した。国を挙げての対応を急ぐべきだと思う。二つ目は、アメリカからのニュースで、汚水によって太平洋が汚染され、米国が放射能汚染被害を受ける可能性があるという内容だった。放射能汚染水の海洋への放出は北陸の漁民、日本の国民、そして世界の人々の健康障害にかかわる問題であることを忘れてはならない。我々日本(人)はそのすべての責任を負っている。


超高度放射能汚染水の海洋への流出はメルトダウン(メルトスルー)を起こした福島原発事故から当然帰結できる結果であった。今更、東電の対応や情報公開に問題があったと言うことでは済まさらない。これは日本という国が世界に対して背負うべき責任問題なのだ。すべての国の力を総動員し、緊急に対応しなければならないだろう。この問題の解決に右も左もない。政治的意見、企業的利害、エネルギー政策上の違い(反原発派も原発マフィアも)、すべてがこの問題を解決するために力を合わさなくてはならない。本当に凍土法がいいのか。どんな方法があるのか。国全体の英知や技能をかき集め、問題解決に当たるべきだと思う。それは対策本部の役割だ。


汚染水問題は、内向きの日本の政治や社会文化の在り方を問いかけています。海洋汚染は地球の問題ですから、内向き、つまり国内や組織内部の問題で回答を見つけることは不可能だと思います。世界は常に我々の対応をウオッチしています。脱原発を主張しているから、この問題に対する責任がないのではありません。世界から観れば、脱原発者の日本人も、原子力村の日本人も、同じ地球規模の放射能汚染の問題から、避けられない立場にあるのだと思うのです。






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2013年5月15日水曜日

東日本大震災の分析と津波防波堤計画の合理的経済的な在り方とは

民主主義制度の持つ経済性

三石博行


未来の震災対策のための過去の震災パターン分析

阪神淡路大震災やその他の震災を通じて得た経験や教訓は、当然、その後の震災に役立っている。しかし、それらの教訓や経験は阪神淡路大震災の特徴を前提にして形成されたものである以上、東日本大震災では、その経験がすべて役だった訳ではない。例えば、2011年3月11日に起こった東日本大震災は、阪神淡路大震災のような都市直下型や新潟県中越地震のような局所的震災ではなかった。広大な地域が地震と津波の被害を受けた。青森から茨城までの広大な地域が罹災した。

地震と津波による広域の罹災地を抱えた東日本大震災の場合、都市直下・局地型の阪神淡路大震災と比較するなら、広域罹災地への救援活動は遅れた。特に三陸海岸地域の半島に位置する孤立した被災地への救援活動は困難を来した。また、海岸線に近接した幹線道路や鉄道が津波によって破壊されたため、救援活動はもちろんのこと、罹災地への食糧や医療などの生命維持に直結する支援が震災直後に十分に出来なかった。

近未来に発生すると予言されている東南海地震では東海、南海、四国地方にわたる広域の海岸線地帯が地震や津波被害が予測されている。この東南海地震では東日本大震災時の救援活動の経験や教訓が活かされるだろう。そのためにも、東日本大震災の震災パターンの分析とその対策の研究が必要となる。

東日本大震災の震災パターンには大きく分けて二つの課題があった(1)。一つは広域の地震と津波の被害とその救済活動、もう一つは福島原発事故を伴う被害とその救済活動であった。今回は、前者の課題に絞って、東日本大震災の震災パターンについて述べている。巨大津波・地震に原発事故が併発した震災パターンは、確かに、東南海地震の場合でも、浜岡原子力発電所が海岸に隣接している以上、そのまま当てはまると言えるだろう。

これまで、政府を中心としてすべての分野の研究機関や企業の協力を得ながら東日本大震災の震災パターンの分析が進んでいる。例えば、携帯電話やカーナビゲーションのGPSシステム情報から東日本大震災時の避難行動の軌跡データが抽出され、それらの莫大なデータベースが統計分析されている。その分析から、震災時の人々の避難行動の解明、避難行動傾向、障害が分析されている。そしてその分析によって、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、避難に必要なインフラの整備計画が立てられようとしている。こうした災害パターンとその対策がこれからの災害救済活動に必要であることは言うまでもないだろう。

今までの震災経験に基づく震災パターン分析(被災状況や救済活動の分析)は今後の震災対策の在り方や考え方、つまり安全対策、危機管理や救援システムを考えるときの重要な材料となる。


安全管理の経済論理と津波対策

震災対策とは被害を最小限に防ぐということである。巨大地震や津波によって受ける災害をゼロにすることは不可能である。言い換えると、大地震や大津波に対して災害を受けないという対策は不可能である。つまり、より現実的な震災対策とは、人命救助や最低限の生活環境の維持に必要な社会資源の安全管理や減災のための対策であると言える。

減災としての震災対策は安全管理の経済論理が働く。安全管理の経済論理では、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている(2)。地域経済活動を犠牲にしなければ完全な人命の安全を保障されないという極端な例を取っても、必ずしも完全な人命の安全が経済活動に優先するとは限らないのである。何故なら、経済活動の消滅によって、過疎化が進行すれば、その地域の人命を守る意味も全くとは言わないまでも大きく失われることになる。つまり震災パターン(被災状況や救済活動)の分析から必要とされる現実的な安全管理を決定しなければならない。

最近、三陸海岸にまるで万里の長城のような防波堤(津波対策用の)の建設計画が問題となっている。人命を守るために計画されたこの巨大な津波防波堤建設の計画に対して住民の一部から批判が出ている。その批判の根拠は、津波防波堤によって失われる生活環境の便宜性や景観である。それらよりもより人命を守ることが大切だという考え方に誰も正面から反対は出来ない。がしかし、この安全対策の背景にある震災復興資金に群がる一部利権集団の影を感じる人々に取って、この計画への疑問が沸き起こることも避けられない事実である。そのためには、この計画を住民参加と情報公開の方法で、根本から問い掛ける必要がある。

この巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題を以下3点に整理した。
1、人命の犠牲を最小限にするための対策として最も費用対効果の高い対策
2、地域社会の経済や文化を維持発展するために必要な津波災害への最も費用対効果の高い対策
3、 安全管理とは生活環境の一部を改善することによって可能になる。その安全管理システムが地域社会の生活者によって管理運営されなければ、その機能は失われる。そのためには、安全管理システムの企画、設計、建設過程に住民の参画が必要となる。


住民参画型の安全管理システム企画や構築活動の意味

巨大津波防波堤の建設問題から問いかけている課題として、その建設の企画、設計や建設過程に住民が参画する必要性について述べたのだが、その意味を理解しなければ、安全対策への住民参画も形式的なものとなる可能性がある。すでに前節で述べたが、安全管理の対策は住民の生活環境の一部として恒常的に行われることで正しく機能する。例えば、巨額の管理費用を掛けないで、防波堤や防潮堤を維持管理するためは、その管理を地域住民の参加によって行うことが必要となる。勿論、それらの管理には専門的な知識や技術が必要であるが、日常的なその安全管理システムの運用は地域住民の参加によって、より効果的に、またより低コストで行うことができる。

例えば日本社会独自の防災制度、消防団の例を取るまでもなく、住民参画型の安全管理システムは日本社会の伝統として存在している。その意味で、津波防波堤の日常的管理を地域社会やそこに住む人々に委託(アウトソーシング)することが、長期的に見れば経済的であり、合理的であり、かつより有効であると理解できる。長期的な防災・津波防波堤の維持管理を行うためには、その企画段階から地域住民や自治体の参画が必要となることは言うまでもない。

地域での災害に強い生活環境の建設事業の一環として、津波防波堤のみでなく、震災に強い街づくりを住民参加型プロジェクトで進めることが長期的視点に立ってもより現実的な、つまり地域の生活環境と文化に適してシステムが形成される可能性が大きい。勿論、自然災害、また原発事故に対する安全対策や危機管理システムの形成には専門的な知識が必要である。そのために、このプロジェクトには専門家の調査や提言を行う委員会が必要となる。それらの専門家を地域社会・自治体や住民がリクルートすることが困難な場合には、政府(官庁)や地方行政(県庁)がその委員会メンバーの推薦を行うこともできる。住民参加型で震災からの復旧や復興活動を進めることで、その後の社会運営にも大きな効果が生まれることは間違いないのである。


経済的な減災対策と民主主義

震災への安全管理の基本は減災政策であることはすでに述べた。その減災の意味は地域社会の経済環境、文化環境、生態環境、生活環境によって、それぞれ独自に決められる。例えば、非常に生産性の高い社会資本や生産地帯を持つ地域では、それらの地域を守るための投資が行われる。その減災対策費(投資金額)は安全管理の経済論理、減災対策は原則として減災対策コストと被害コストの収支計算から決定されている。また、生産能力が相対的に小さい場所では、その安全管理に巨大なコストを掛けることはしない。

こうした安全対策の現実的で現場に適用した判断を行うことは、地域社会がある限られた予算(震災地域への復興予算)の枠を決められることによって、独自に判断し、その対策を行うことがより地域の事情に合った減災対策が可能になる。勿論、地域社会での復興予算の使用に関する不透明な談合や不正を防ぐためには、予算執行までの過程、つまり、震災復興地域委員会への住民参加と情報公開を義務付けなければならないだろう。また、同時に、それらの成果、つまり予算を使った減災対策や復興活動の成果を点検する第三者を入れた評価委員会が必要となる。

地域社会での住民参画型の減災対策、復興計画、都市計画、地域社会文化計画があるなら、そしてその活動をサポートする国家の政策、地方行政の在り方、専門家集団の協力体制、さらには情報公開制度や予算の住民の仕分け活動、政策評価委員会等々の民主主義のシステムがあるなら、それらのシステムの中で、地域独自の震災パターン(被災状況や救済活動)の分析や評価から、地域に合った現実的な安全管理、減災対策の企画、決定、実行と評価点検活動が成さるだろう。


引用、参考資料

(1) 三石博行 「大震災・津波と原発事故を引き起こした東日本大震災復興活動が問いかける課題」
ブログ文書 2013年5月2日

(2) 三石博行 「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して
東日本大震災の復旧・復興、 災害に強い社会建設を目指して」 ブログ文書集
2章 現代社会での安全管理
3章 現代社会での危機管理
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

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2013年5月13日月曜日

東日本大震災復興活動が問いかける課題

未来社会に必要とされる原発事故原因解明と事故処理の経験

三石博行


今、東日本大震災の課題を問うことの意味

地震・巨大津波と原発事故・広域放射能汚染の二つの異なる災害を引き起こした東日本大震災に関して、改めてその意味を考えなければならない。このことを敢えて今更言わなくてもよいと言われるかもしれない。しかし、東日本大震災の意味を問うというこの当然の疑問の中から現代社会での自然災害の姿を改めて見直す必要に我々は立たされていることに気付くのである。

再び見え始めた経済成長の希望に沸き立つ現在の日本社会を観るとき、これほどの大災害に遭いながらも、この災害の意味する深刻な課題を忘れ去ろうとする社会の動きを感じる。そこで、東日本大震災は人類史に残る大災害であったと改めて言うことで、希望の未来・経済成長に関心を向けようとしている現在の社会の流れに対して、私はあえて警告と反省を呼びかけ、この大災害から問われている重大な社会的課題を共に考えることを提唱したい。

だからと言って、私は、現政権が進める政策や経済成長が悪いと批判しているのではない。また、災害復旧や復興と経済成長が対立すると言っているわけでもない。ただ、自然災害からの復興のためには社会経済的な力が必要であるのは当然である。だがしかし、この大災害は、単なる自然災害だけでなく、以前、経済成長のために進められたエネルギー政策、安全を無視した原発建設によって引き起こされた事故でもある。そのことを忘れてはいけないと言っているのである。

社会や国民の生命や健康に関する安全管理と経済成長は対立する概念ではない。むしろ、安全管理を無視することで社会経済的な被害を受けることになると考えるのは言うまでもないだろう。しかし、現在の社会の流れは、経済成長のためには安全を犠牲にしても仕方がないという暗黙の了解が渦巻こうとしていないだろうか。

今年になって、原発事故に対する社会的な危機意識は大きく後退した。原発事故で沈黙を守ってきた人々、長年自民党政権下で利権を得てきた原子力ムラの一部の人々が「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」というキャンペーンを始めた(1)。そして、同時に、福島原発事故の徹底的調査は中断状態に置かれ、これまでのエネルギー政策が復権しつつあるように思われるのである。


地震・巨大津波と原発事故による放射汚染災害としての東日本大震災の特徴

2011年3月11日に起こった大災害・東日本大震災は、その発生当時から二つの異なる災害の質を持っている。一つは、地震と津波に代表される自然災害であり、もう一つは原発事故に代表される社会災害である。この二つの災害要因の異なる性質を、災害発生時から正確に理解しなければならなかった(2)。

一つ目の災害因子に対しては、これまでの震災経験を活かすことが出来た。例えば、1995年1月17日の阪神淡路大震災や2004年10月23日のその後の災害救済活動の経験が活かされた。しかし、すべての過去の経験が今回の東日本大震災の対策に活用された訳ではない。東日本大震災は、都市直下型の阪神大震災やまた新潟県中越地方を局所的に襲った新潟県中越地震と異なり、東北地方から北関東地方の太平洋岸全域に被害をもたらした。東日本全体にわたる巨大な地震と津波による大災害はこれまでの災害経験を超えていたと言えるだろう。

そればかりではなく、東京電力福島第一原子力発電所の4つの原子炉が同時に事故を起こし、1号機から3号機がメルトダウンを起こした。二つの原子炉が水素爆発を起こし、高濃度の放射能が大気中に放出され、福島のみでなく関東から東北太平洋岸を含む広範囲の放射能汚染が起こった。現在でも14万人の人々が避難生活を強いられている。しかも、福島第一原子力発電所の事故現場では放射能汚染水漏れ事故が繰り返され、汚染水の貯蔵が限界に来ると言われ、また使用済み核燃料のメルトダウンとそれに伴う巨大放射能汚染の可能性も残っているのである。原発事故は終結したのではない。事故は現在も進行中であり、今後、首都圏を含む広域の放射能汚染のリスクを抱える可能性を孕んでいるのである。

東日本大震災によって、地震と津波によって破壊された罹災地と原発事故によって高濃度放射能汚染を受けた被災地が生まれた。前者の罹災地に対しては、これまでの局地型震災と災害の規模が違うと言え、これまでの震災や津波被害に対する救済活動の経験や教訓が活かされる可能性を持っている。しかし、福島第一原発の事故によって発生した放射能汚染災害は日本社会がこれまで経験していない災害である。そのため、この災害に対しては、すべて初めての災害対策や救済活動が求められることになった。

震災や津波被害と放射能汚染災害の最も大きな違いは災害期間が基本的に異なることである。前者が一過的災害であるのに対して、後者は長期的災害となる。つまり、前者は災害直後に復旧や復興計画が立つが、後者は全く立たない。東日本大震災は、地震と津波による被災と原発事故によるそれとが重なることによって、これまで日本の震災史に書き込まれていない対策を求められた初めてのケースとなったのである。

震災当初から、地震と津波によって破壊された罹災地への震災対策と原発事故対策や放射能汚染対策は分けて取り組まれている。岩手や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地対策はこれまでの震災対策を活かしながら対応ができる。しかし、福島県を中心とする原発事故による被害地への救援活動や福島第一原発の事故処理の活動は、チェルノブイリの経験と同じく、これまで世界や日本の歴史の中で人類が経験したことのない災害対策や救援活動の在り方が求められている。


これまでの震災経験の活用と、問題解決型の震災対策の分析・設計活動

福島原発事故を引き起こした東日本大震災では、阪神淡路大震災やその他の震災での経験や教訓を超えた課題が問われた。岩手県や宮城県を中心とする津波と地震による罹災地での救援活動に対しては、不十分な点はありながらも、阪神淡路大震災で学んだ多くの経験が活かされることになった。言い換えると、放射能被害を受けなかった震災地域と受けた震災地域の両方が東日本大震災を特徴づけたのである。そして 今回の福島原発事故の経験は、 自然災害の多い日本では、今後、地震によって原発事故が起こる可能性を示し、また、今回の放射能被害を受ける可能性のある罹災地の災害対策に活かされなければならないことを深刻に問い掛けている。

都市型や局所型の震災に比べ、広大な地域に広がる罹災地を抱えた東日本大震災の場合、罹災地での支援物資の供給活動は完全ではなかった。東日本大震災への対策や救援活動から得られた教訓が、その意味で、今後の震災対策の考え方、安全対策、危機管理や救援システムに活かされようとしている。インターネットや携帯電話、GPSシステムの巨大データベースが情報処理を駆使した統計処理によって分析され、震災時の人々の動きの理解を与え、それの分析資料から、災害時の避難経路の確保のための交通情報、また避難路の検討、それに必要なインフラの整備計画が復興対策の中に織り込まれようとしている。これまでの震災や津波のデータをあらゆる分野の研究成果を駆使して分析することによって、より有効な震災津波対策案が検討されることになるだろう。

震災被害を最小限に防ぐということが震災対策の最も重要な課題である。震災対策への投資コストと震災から受ける被害コストのバランスから投資の規模が算出される。これが現実的な対策が検討される基準となる。つまり、震災対策は経済上のコスト計算によって決定されている。その投資内容は、あらゆる分野の技術力や技能を投入動員したとしても、より効率よく、より経済的に、より便宜性を高めた選択枝が常に求められることになる。


福島原発事故と事故処理で生じる失敗が問いかける課題、東電や政府の責任問題 

他の震災と異なる東日本大震災が与えた教訓は原発事故である。震災や津波が原発の巨大災害を引き起こすということがこの震災を通じて世界の人々に理解された。その意味で、東日本大震災と福島原発事故は切り離して考えられない。と同時にこの悲惨な事故が我々に警告している課題を理解しなければならない。

今、世界には原子力発電が431基(2010年)ある(3)。しかも、不足するエネルギーの最も経済的で手っ取り早い解決手段として原子力発電所の建設が計画されている。今後、中国では建設中と計画中の原子炉は56基あり、現在稼働中の原発を入れると70基の原発が建設される予定となる(4)。アジアだけでも100基以上の原子炉が建設される予定である。そう考えると、第二の福島原発事故は震災や津波以外の原因でも、起こることが避けられない時代が来る。その意味で、福島原発事故の解明と現在の事故対策は、今後の課題に大きな教訓を与え、また具体的な事故対策の方法や安全管理や危機管理システムを提案することになる。

しかし、この貴重な経験に向きあう日本社会(国民)、政府、東電や原発関連専門家集団の姿勢が問われている。東電の原因追究を避ける姿勢は事故以前と変わらない。起こりうる災害の可能性や問題を正確に理解しようとせず、常に楽観的な安全神話の思惑が先行して対策やシステムが企画される。そのシステムを検証することもしない。重大な原発事故を起こしても、また事故処理で発生する放射能汚染水の地下貯蔵タンク建設でも同じような失敗を繰り返し続けているのである。つねに、問題が発生するという可能性を最小限に見積もる、また、そのシステムを活用している他の専門家の意見すら聞くことも調査することもなく、素人に近い自分たちの知識と予測で対策を企画しシステムを建設してしまうのである。この重大な失敗の繰り返しの基本にある設計思想を問い掛け、検証する感性や知性を全く失っているのである。それに対しての対策は、それらの東電専門家を総入れ替えするしか、解決の道はないだろうと大多数の人々は考えるに違いない。

こうした東電専門家・技術者の無能さを放任してきたのは政府である。一つは政府事故調査委員会の調査報告書の国会での報告や討論、そして調査委員からの勧告を受けた法的システム(法律や制度改革)を行う政治活動が行われようとしていない。政策に活かされない国会事故調査活動とは税金の無駄使いとしか言いようがない。

前記したように、経済的発展に原発建設が必要という理解は世界の殆どの国に共通するものである。それは、この21世紀では、エネルギーと食糧の問題が世界の重大な政治的危機に発展することは避けらない事態が生じることを意味する。国民の豊かな生活レベルや環境を求め、世界の多くの国々では原発建設が進む。そして、同時に、原発が危険なものであることを経験した我が国や先進国では、脱原発と再生可能エネルギーを多く活用したエネルギー政策が進むだろう。日本は、今更、前者のグループに留まることは出来ない。寧ろ、後者のグループに参加するしか道がないことを、今後の福島原発事故処理で更にはっきりするだろう。

福島原発の事故処理に必要な時間は少なくとも30年と言われている。チェルノブイリの例でも、この30年の事故処理の時間は非現実的な予測でない。つまり、原発事故現場から10から20キロ範囲の立ち入り禁止地域は半世紀の間、人が住めない地域となる。したがって、その事実が深刻に日本社会の経済や地域文化に圧し掛かってくるのである。福島はこれからどうなるか。除染作業は進むのか。除染した放射能汚染物質の保管はどうなるのか。原発事故現場に放置されている使用済み核燃料は今後起こる地震で再びメルトダウンの危機にさらされないのか。いつまでにそのリスクを解決できるのか。東日本大震災は終わることのない原発事故処理を抱えたのである。


福島原発事故の原因解明と事故処理で生まれた技術が世界を救う(東日本大震災の教訓)

事故処理から見える我々の無能さを深く理解しているのは、事故現場で具体的に事故処理に立ち向かう技術者たちである。彼らの日々の闘いに対して、東電幹部の官僚的な対応は改善されたのだろうか。放射能汚染水漏れ事故と原発事故は共通する失敗の思想を持つのであるが、どのような制度がその彼らの事故処理への姿勢を変革できるだろうか。もし変革できなければ、多分、汚染水漏れ以上の重大な失敗が起こる可能性はないだろうか。それを防ぐためには、もはや事故処理を東電に任してはならないのではないか。政府が国家と国民の安全にかけて、その対策に乗り出す以外に道はない。つまり、着実の事故処理を進められる能力を持った人々を事故現場の司令塔に派遣し、彼らの指導の下に事故処理を行うしかない。

今後の二次災害や事故を防ぐための対策、思い切った決断を行えるのはもはや東電幹部ではない。政府にしかそれは出来ない。しかし、政府がかくて東電幹部と共に進めたエネルギー政策を変更しない限り、それを政府に望むことは出来ないだろう。

この悲観的状況を一つでも改善するために、少なくとも以下の課題をまず共有することから始めたい。
1、福島原発事故は東日本大震災を特徴づける災害であり、この事故処理が終わるまで、東日本大震災からの復旧や復興はあり得ない
2、福島原発事故の原因解明と原発安全管理システムの検証作業、事故後の危機管理、事故処理で開発された技術は今後世界に普及する原発建設にとって重要であり、その役割や責任を日本社会と政府が担っていることを自覚しなければならない。
3、エネルギー資源枯渇の時代を前にして、国民へのエネルギー安定供給を確立するために必要な再生可能エネルギーの利用、省エネ技術開発を脱原発政策を平行して推進するための中長期のエネルギー政策を立てる必要がある。


引用、参考資料

(1) 特集「活断層を「創造」する原子力規制委への疑問」月刊エネルギーフォーラム 2013年3月号 http://www.energy-forum.co.jp/eccube/html/user_data/energy_forum.php

(2) 三石博行 「震災・津波被害からの復興と原発事故対策を分けて対策を立てる必要性 -震災に強い国を作る(3)B-」 http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_5265.html

(3) 「世界の原子力発電所の原子炉の数 2010年」 http://memorva.jp/ranking/world/iaea_nuclear_power_reactor_2010.php

(4) 日本原子力産業協会 「日本と世界の原子力」「2012年1月現在 の世界の原子力発電開発の現状の説明」によると、中国では稼働中の原発は14基、建設中のものが30基で計画中の原発は26基ある。 建設中と計画中の原発は56基で、現在運転中の原発を入れると将来70基の原発が稼働することになる。 http://www.jaif.or.jp/ja/nuclear_world/overseas/f0103.html

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2012年5月30日水曜日

震災ガレキ処理対策が今後の日本社会の方向を決める

震災に強い社会建設を可能にする市民主導型社会(2)




三石博行



国民の利益に立ったガレキ対策を進めるべき

すでに震災から1年と3ヵ月が経過しようとしている。復興庁も機能し始めてすでに長い時間が経過している。しかし、放射能汚染ガレキの処理方法もまた放射能汚染されていないガレキの処理の方針が国民に明確に伝っていない。このガレキ処理問題を政府は一刻も早く、明確に国民に伝えなければならない。今、ガレキ処理を巡って受入か受け入れないかと国を二分する議論がなされようとしている。この議論を本題に戻し、国民の利益を守るための政策を出すべきだと思う。


資源としてのガレキか汚染源としてのガレキか

震災ガレキ処理問題を考える上で重要なことはガレキ処理によって生じる経済的効果についてである。ここで言う経済的効果はプラス効果とマイナス効果の二つである。プラス効果については「ガレキは資源である」という視点に立っている。マイナス効果については「ガレキ処理によって放射能汚染が全国に拡散する」という視点に立っている。

つまり、2011年3月11日の東日本大震災のガレキ処理問題と1995年1月17日の阪神淡路大震災のガレキ処理問題との違いを決定づけている要因は、ガレキの量ではなく放射能汚染ガレキの混在であると言える。従って、この放射能汚染ガレキ混在問題を正面から議論しなければ、今回のガレキ処理問題の解決は見いだせないのである。

問題を整理すると、震災ガレキ処理問題の解決に対して、以下2つの視点から議論する必要がある。

1、ガレキ処理を受け入れた自治体(住民)の環境・健康被害問題からの視点(放射能汚染ガレキの混在)

2、ガレキ処理から得られる罹災地の経済復興からの視点(ガレキ資源エネルギー利用による)

つまり、国家や自治体は震災ガレキを一般化せず、資源としてのガレキなのか放射能汚染源としてのガレキなのかの基準を明確にしなければ、この震災ガレキ処理問題への正しい解決の糸口を見つけることはできない。


放射能汚染ガレキを全国に拡散させることによる経済的マイナス効果

上記した1の課題に関して、原則として放射能汚染を拡散させてはならないという立場に立たなければならない。ガレキ処理によって生じた焼却廃棄物はそのガレキ処理をしたゴミ焼却場の廃棄物に含まれる放射性物質に関する管理責任が生じるため、ガレキ処理を受け入れた自治体が結果的に長期的に被害を受けることになる。

しかも、昨年9月に高濃度放射性物質が混入した下水処理場の汚泥焼却灰の管理処理問題が未だに解決していない。そこで、(すでに2012年5月10日のブログ文書「国と自治体の被災地のガレキ焼却処理支援を進めるための課題」(1)で述べたように)以下1から3までの条件を前提にして、4でのべた条件でガレキの受入を提案した。

1、他の自治体に焼却処理のために運搬するガレキの焼却後の放射性物質の放射線量を情報公開すること

2、受入を決める自治体は市民にその自治体のゴミ焼却灰が含む放射性物質の放射線量を情報公開すること

3、これらの放射性物質の放射能測定を自治体は第三者機関、取り分け自治体内の大学研究機関に依頼し、測定機関名、測定者、測定方法の情報を公開すること。(何故なら、国民の大半は原子力関連の専門家と言うだけで詐欺師のように不信を持っている。行政が勝手に専門機関を使って分析の結果安全でしたと言っても大半の市民は信じていないのである。そのため、分析を依頼した研究機関の情報を全て市民に公開する必要がある)

  4、以上の条件で、ガレキ受入以前の焼却灰の放射性物質の濃度と受入ガレキの焼却灰の放射性物質の濃度が同量以下である場合のみ、ガレキを受け入れることができる。

福島原発事故によって関東と東日本に拡散した放射性物質を、されにガレキ処理によってそれ以外のより広範な地方に拡散させることになる。このことによって新たに生じる放射性物質の管理処理費やさらに日本全土に及ぶ水産物、畜産や農業生産物への風評被害を考えるとその経済的被害は国家経済に響くほど甚大となる。

そして、全国にガレキ処理によって放射性物質が拡散することによる経済的被害を正確に算定し、その経済的被害が生じないように放射性物質を含むガレキ処理への対策(対策方法、処理施設設置費用等の算定)を早急に検討すべきである。


資源としてのガレキ処理による経済的プラス効果

ガレキを資源として位置付けるなら、罹災地の経済復興に繋がるガレキ処理対策が検討されるだろう。つまり、ガレキ処理によって生じるエネルギーや再生資源の生産施設を早急に政府は準備すべきである。

しかし、すでに震災から1年と3ヵ月が経過しようとしている。今年2月19日にようやく復興庁が設定された。この対応の遅さに現在の日本の国のあり方が問われていると言えないだろうか。そして同時にその原因を明らかにすることによって、この国の改革すべき課題を明確に理解することが出来るだろう。

まず、ガレキ処理に関して言うなら、復興庁から放射能汚染ガレキの処理対策が国民に明確に伝わっていない。そのことが、今回のガレキ処理問題による混乱を国民に与えている。従って、資源としてガレキ処理を行う場合にも、放射性物質を含むガレキ処理に関する対策を明確にすることが条件となる。

資源として活用されやすいガレキとは放射能汚染されていないガレキを意味する。そこで、「放射性物質を多量に含まないガレキ」であることを前提条件とする。この条件なら、このガレキは当然、罹災地以外にも資源として活用される。そこで、ここでは罹災地の経済復興のためにこのガレキを活用することに課題を絞る。

1、ガレキをエネルギーや再生資源生産のために活用する施設を早急に建設すべきである。その建設費用は、ガレキを全国に運搬する費用よりコストが高いかもしれないが、地元での産業再建、雇用促進に寄与するため、罹災地復興に繋がる経済効果がある。

2、ガレキ処理によって生じる焼却灰や副生産物を活用した防災対策(防災堤防や防災用建造物)が可能になる。

3、罹災地域では地盤沈下がひどく、現状では復興計画(災害に強い町づくり)はすぐには進まない。地盤沈下対策も含めて解決しなければならない。その意味で、中長期的な復興計画が必要である。その計画遂行期間中に罹災地でのガレキ処理は可能である。ガレキ処理産業を復興計画に入れることも可能である。


放射性物質に汚染されたガレキ処理を行うことによる課題とその経済効果

放射性物質に汚染されたガレキを資源として活用することは非常に難しい。しかし、考え方を変えて、それらのガレキを処理することによって生じる副次的生産物の経済効果を考慮する必要がある。たとえば、放射性物質に汚染されたガレキ処理や管理に関する技術開発である。これらの技術は、今後、東電福島第一原発の廃棄処理で生じる莫大な汚染物質の処理管理問題に関係する。さらに今後、脱原発を目指し必要となる放射性物質の処理管理問題に欠かせない技術となる。

低濃度放射性汚染物質の管理に関して以下2つの提案をしたい。

1、福島第一原子力発電所近辺地域にすべての放射性汚染物資を処理する施設を建設し、そ こで一括処理と管理を行う技術を開発する。

2、特に放射性セシウムの管理は半減期30年を考慮し、放出された莫大な量を考えるなら、100年単位の処理保管が必要となる。それらの施設を建設し、今後、脱原発過程で生じるすべての低濃度放射性物質の管理も兼ねて、処理保管する対策を提起する。

つまり、低濃度放射性物質を全国に拡散した場合の経済的マイナス効果を、逆に福島第一原発近辺に集中管理することによって生じる経済効果として算定することが出来る。それらの放射能管理地域が生み出すその経済効果を放射性物資を保管する福島県や地元に還元することを前提にした提案をすべきはないだろうか。

福島原発近辺の地域では長期間の除染作業と莫大な予算が必要である。その予算支出を前提にして、それらの地域の自治体や住民への保障や生活再建(他の地域への移動や経済活動の再建)に活用することがより経済的であると思われる。

政府・復興庁は早急に「放射性物質に汚染されたガレキ処理」に対する方針を立て、国民にその合理性や経済性を説明し、同意を求めるべきである。


震災ガレキ処理対策が今後の日本の方向を決める

先日、5月29日午後7時から京都市へのがれき持ちこみに関する「第一回専門家委員会」が開催された。

この委員会を傍聴してきた縮小社会研究会の松久寛代表(京都大学名誉教授)は、現在の政府が進めようとしている震災ガレキ処理政策に関して「ガレキを受け入れない市民を震災復興に反対する人々として「非国民化」し、放射性物質を全国にばら撒くことで、放射能アレルギー対策を行おうとしている。つまり、国は原発事故責任をぼかし、放射能汚染に対する一億総懺悔を意図しているようだ。これは、前の戦争責任を国民総懺悔によって暈した(ぼかした)成功例があるので、きっと成功すると思っているようだ」と述べていた。

確かに、経済学の常識を逸脱しても、つまり放射能汚染ガレキを全国に拡散させることによる経済的マイナス効果が生じたとしても、放射能汚染している可能性のあるガレキの処理をを全国の自治体に強要する政府の姿勢は不合理とも理解されるだろう。 仮に国が上記したような国民の放射能アレルギー対策として、これまでの国のエネルギー政策の失敗の責任を国民総懺悔によってぼかそうとする政治的意図をもっているなら、この意図は明らかに亡国の道を開き、未来の日本国民に対して甚大な負担を負わすことになるだろう。その意味で、このガレキ処理問題はこれからの我国の社会や経済の方向を決める重大な課題に触れているとも言えるのである。


復興庁に私達の意見を述べよう

みんなでガレキ処理問題の意見を復興庁に述べませんか。
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/fukkou/ikenform.html


引用、参考資料

(1) 三石博行「国と自治体の被災地のガレキ焼却処理支援を進めるための課題」 http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/05/blog-post_10.html


2012年6月1日 誤字修正
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2012年5月10日木曜日

国と自治体の被災地のガレキ焼却処理支援を進めるための課題

震災に強い社会建設を可能にする市民主導型社会(1)

三石博行

自治体は放射性物質の付着したガレキを持ちこみ焼却処理してはならない

何故、市民がガレキの焼却処理に反対するのか。その理由は明らかである。つまり、ガレキに含まれている放射性物質へ不安を持っているからである。それに対して、国は不安を掻き立てるのみで、真剣に問題の本質を見ていない。

そして協力しない自治体や市民は震災支援の意識が無いという風潮で、この震災ガレキ処理を推し進めようとしている。何という貧弱な政治的姿勢なのだろうか。これが長い保守政権時代から政権交代した民主党政権のやることなのだろうか。

問題を整理しよう。何故なら、被災地にとってガレキ問題が復興を阻害しているなら、それを早急に解決する必要があるからだ。しかし、厄介なことはこれらのガレキに放射性物質が付着しているという危険性を持っていることであり、そのガレキを焼却処理した場合、焼却灰には高濃度の放射性物質が含まれるということである。

そこで、国や自治体はガレキの安全性を調査する必要がある。安全なガレキは即刻処理可能になる。しかし、放射性物質を持つガレキを全国で処理するとそれによって二次汚染が生じるので、これらの放射性物質の付着したガレキの焼却処理に関してはその方法が見つかるまで、福島第一原発の近辺に集め、その地域の放射性物質に汚染されたガレキと共に一時保管するしかないのではないかと考える。


もし、放射性物質を持つガレキ処理によって二次汚染が全国で広まるなら、その除染に必用なコストやその汚染によって生じる生活資源の劣化とその修復に必要なコストがどれだけ必要か正しく算出すべきである。そのコストを予測すると福島原発事故処理に必要なコストはさらに大きくなると言えるだろう。


つまり、この段階で国と自治体が行う対策は、放射性物質の付着したガレキの焼却処理によって日本全国に放射性物質の拡散が生じることを防ぐ必要がある。そして、同時に、放射性物質の付着したガレキの焼却処理の現実的な方法を見つけ出すことである。


下水処理汚泥焼却灰から検出された高濃度の放射線物質の処理は解決したか

昨年の8月から9月に掛けて、東京都や関東地域の自治体の下水処理汚泥焼却灰から高濃度の放射線物質が出てきた。その高濃度の焼却灰をどこにも動かすことが出来ず下水処理場に灰を格納する建物を建てた。こうした記憶が生々しく国民の脳裏に残っている限り、震災のガレキ焼却処理後に残る放射性物質への不安がつのるのは当然である。

事故後、こうした事態に遭遇した関東地方の多くの自治体がそれらの焼却灰の処分に困っているという現実があり、その解決も出来ないままに、ガレキ処理を全国の自治体にお願いしても、不安を掻き立てると言われるのは当然だろう。


そんな不安を無視して、国はガレキ焼却後の灰の埋め立て可能な許容量は8000bq/kgと決めた。この8000bq/kgの値の意味が説明されていない。つまり、この8000bq/kgの放射性物質は環境汚染や健康障害を引き起こす量でないことを国は説明しなければならない。また8000bq/kgの放射線量を示す焼却灰にどのような放射性物質が含有しているのか。すべて放射性セシウムなのか、それとももっと半減期の長い放射性物質はないのかを説明しなければならない。また人体に吸収されやすい放射性物質はないかも説明する必要がある。国が示す許容量8000bq/kgの基準は余りにも、国民の不安に対して理解のない表現(やり方)ではないだろうか。


三つの問題解決方法の提案

だからと言ってガレキ処理を進めない訳には行かない。そこで、各自治体はこれまで自分達のゴミ焼却灰の放射線量を測定し、その値よりも多くの放射線量を出すガレキは受け入れたくないと言う権利を持っている。それをまず、各自治体が地域市民に情報公開すべきである。

例えば、尼崎市の稲村和美市長は焼却後の灰に含まれる放射性セシウムが100bq/kg以内の場合であると述べたらしい。この場合、稲村和美市長はその根拠を説明する必要がある。つまり、現状の尼崎市のゴミ焼却灰の中に、すでに放射性セシウムが100bq/kgが存在するというなら、確かに、陸前高田のガレキを燃やして、放射性セシウムが100bq/kg以内であれば、問題ではない筈だ。

この稲村和美尼崎市長方式を問題解決の方法として導入することを提案したい。

1、他の自治体に焼却処理のために運搬するガレキの焼却後の放射性物質の放射線量を情報公開すること

2、受入を決める自治体は市民にその自治体のゴミ焼却灰が含む放射性物質の放射線量を情報公開すること

3、これらの放射性物質の放射能測定を自治体は第三者機関、取り分け自治体内の大学研究機関に依頼し、測定機関名、測定者、測定方法の情報を公開すること。(何故なら、国民の大半は原子力関連の専門家と言うだけで詐欺師のように不信を持っている。行政が勝手に専門機関を使って分析の結果安全でしたと言っても大半の市民は信じていないのである。そのため、分析を依頼した研究機関の情報を全て市民に公開する必要がある)


まず、国も自治体はこの三つの情報を公開しガレキの焼却処理を市民にお願いするべきである。


2012517日 誤字修正
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2012年5月2日水曜日

福島原発事故放射能汚染の現実を受け止める必要はないか

ドイツZDF報道番組「原発ハンター」からのメッセージ


三石博行


みどり京都の代表杉山廣行氏から、ドイツのZDFの報道番組「原発ハンター」のYouTube動画が送ってきた。日本では福島の原発事故による放射能汚染の現実はどこまで正確に報道されているのだろうか。今でも、除染可能とか、帰宅可能とかいう政府のことばに原発近辺の住民は翻弄されつづけているのではないのか。 そろそろ本当のことを言うべきではないか。その現実を確りと見つめ、そこから現実的な対策を見つけ出すべきではないのか。厳しいけど、本当のことからしか、正しい方針、最も現実的な政策は生まれないと思う。 このドイツZDF報道番組が日本の友人達に伝えたいメッセージを確りと聞いてみたい。

ドイツZDF「放射能ハンター」

みなさまへ 私(杉山廣行氏)の知人Yさんからのメールです。 ご覧になった方もおられるかもしれませんが 下記のURLからご覧ください。

杉山廣行

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久々の原発関連のお知らせです。以前に、ドイツ在住の日本の方から教えていただいていたのですが、ドイツ語だったので内容を想像する域でした。 日本語に翻訳してあったのを見つけたので。  それにしても、日本の現実を海外の報道でしか知ることができないというのは・・

http://www.youtube.com/watch?v=PtorYF4j9SY&feature=player_embedded

ドイツZDF「放射能ハンター」 YouTube公開

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2012年4月19日木曜日

関電京都支社前で大飯原発再稼働阻止のリレー座り込みが始まる

大飯原発再稼働の政府方針を問う

三石博行


政府の大飯原発再稼働は正しいのか

今日のニュースで民主党政権は大飯原発再稼働を進めることを決めたらしい。まだ、福島原発事故の原因とその対策の政府見解も出されていない。福島での原発事故に対する国民の不安は大きい。

この国民の多くは、また原発事故が起ったら福島のように、住めない場所になるのではないかという不安を持っている。もし、福井県の大飯原発を再稼働させたいのなら、その不安を取り除く努力をすべきである。

もし、大飯原発で福島と同じような事故が起るなら、その被害は京都市や大阪府にも及ぶ。しかも、近畿の水がめと言われる琵琶湖が放射性物質に汚染される。

政府や関電は、今までのように「福島のような事故は起りません」と説明しているようだが、この説明の繰り返しによって東電福島第一原発で事故が発生したことを、もうすでに忘れているようである。もし、福井で原発事故が起ると、この国は再生不可能な状態になるだろう。

その危険性が百万分の一以下であっても、危険な再稼働をしてはならないのではないか。それが、国民の生活を守る立場にある人々の取るべき態度だと思うが。

つまり、国民の生活よりも、安定した電力供給が優先されるようである。それが最も国民の生活を守るものらしい。では、福島の放射能汚染はどうだろう。あの汚染された地域が失った経済基盤は、生活の場は、その失った経済力(DNP)を真面目に計算しただろうか。


石田紀郎さんからの緊急メールが来る

「1000万人署名・京都の会の皆さん

 4月19日現在の署名集約数は42000筆です。
全国の集約数は631万筆に達したようです。1日も早く700万に。

昨日(4月18日)から、使い捨て時代を考える会が中心となって、関電京都支社前で
大飯原発再稼働阻止の座り込みが始まりました。槌田劭さんはハンストを実施中です。

5月5日までの、月曜日から金曜日まで、9時から16時まで座り込みを続けます。
10分でも1時間でも結構ですから、ぜひ一緒に座っていただけませんか。

1000万人署名活動も同時に実施しています。機材はすべてそろえていますので、
ぜひともご参加ください。

小生(石田紀郎氏)も、昨日今日と午前中だけですが一緒に座ってきました。
ぜひぜひ足を運んでください。お願いします。


追伸

座り込みは、関電の営業時間、9時から18時の間で行っています。
よろしくお願いします。

さようなら原発1000万人署名・京都の会
代表 石田紀郎 」


関電京都支社前で大飯原発再稼働阻止の座り込み

「使い捨てを考える会」や「バイバイ原発・京都」のメンバーによって、関電京都支社前で大飯原発再稼働阻止の座り込みが始まっている。「使い捨てを考える会」の代表 槌田劭さんがハンストを実施しているようである。

私も、このリレー座り込みに参加する予定である。今から、出かけることにしたい。年配なのに気持ちだけは若い槌田劭さんのことも心配だ。


YouTube情報


その他の新聞情報

京都民報Web  再稼働にハンストで抗議 関電京都支店前で「使い捨て時代を考える会」ら

京都新聞 関電京都支店前でハンストリレー座り込み始まる

朝日新聞 「再稼働NO」ハンスト 関電前

ばいばい原発京都 市民は再稼働を許さない


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2012年4月19日 誤字修正
(120419c)
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2012年4月13日金曜日

HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか

国民のための国民の公共放送が民主主義の成熟に繋がる


三石博行


民主主義の成熟を担う公共放送の社会的機能のために

国民主権、民主主義社会日本でのNHK・公共放送の社会的機能は大きい。正しく国民のための報道を行い。そして国民に支援され、国民が参画する運営を行うことで、公共放送は国民主権国家の大切な情報報道機能となると信じている。その意味で、小泉政権時代に行政改革の課題で取り上げられた公共放送の廃止・民営化の提案に反対だ。

しかし、今回のNHKの原発事故の初期の報道には大きな疑問を感じた。そして、インターネットにNHKの報道に関する多くの批判が流れた。このことをNHKの運営委員会(執行部)や報道編集責任者は重く受け止めたと思う。その後、NHKは原発事故に関して素晴らしい報道を続けた。その報道の内容は世界的にも評価されるものであるし、今後もその報道番組が世界中の原発問題で引用されることになると思う。

しかし、今回、NHKが作成した、NHKの原発事故報道に関する検証に関する番組を見た時、原発事故直後に報道した番組から受けた不信感を思い出させた。この不信感は長年、国民がNHKの官僚的な体質や政府批判を恐れ国民に正しくない報道をしてきたのではないかという感情に根ざすように思われた。

そこで、民主主義社会の大切な機能としての公共放送の在り方を考えなければならないと思った。つまり、国民主権国家では国民のための国民による国民の報道機能・公共放送が絶対に必要である。その機能を担うのがNHKである。公共放送を廃止することは、民主主義の成熟を妨害する政策である。その意味で、NHKは、今回の原発事故に関する検証の在り方を、再度、根本的に見直し、点検しなければならないと思う。


間違いだらけの原発事故報道とお粗末な原発事故報道の検証番組

先日、NHKの原発事故報道の検証作業を行った番組(NHK)を見た。3月11日、東日本大震災の直後、大津波に飲み込まれる東北の町の悲惨な映像に完全に滅入っていた時、東京電力福島第一原子力発電所で冷却装置の電源喪失が伝えられた。始め、電源の一部が喪失しているという情報であったが、次第に、全電源喪失の事態であると伝えら始めた。

3月11日(金曜日)の夕刻から3月13日まで、テレビ画面から離れられない状態で、地震や津波被害に関する情報と原発事故の情報を追いかけていた。NHKが原発事故の解説に起用したのが東大教授の関村直人氏であった。彼は、一貫して原発事故の重大性を否定し続けた。そして水素爆発が生じる筈がないと断言したその二、三時間後に一号機が爆発した。しかし、彼は爆発で飛び散る建屋、灰色の煙を画面で見ながら「安全のために放射性物質を放出している」爆発的開弁作業の光景であると説明した。しかも、格納容器が壊れていないために、多量の放射性物質が放出されることはないとまで言った。

こうしたテレビ場面を見ながら激しい怒りがこみ上げ、ブログに書いた。国民の命を守ろうとしないNHKの報道姿勢と大学教員(専門家)の態度。この映像が残る限り、NHKは当時の原発報道への責任を永久に(歴史的に)逃れることはできないのである。

それが、今回のNHKの原発事故報道の検証番組では、何一つとして語られなかった。それどころか、NHKの原発事故報道が評価されていた。一体、NHKの誰がこの検証番組をつくったのか、これこそ、NHKが今後、またその公共放送の責任を歴史的に問われる材料となるだろう。そして、高度な情報化社会では、NHKの流した番組を歴史的に葬ることはできない。この番組はNHKの汚点となるだろう。

報道の検証作業を報道機関に任せてはならない

こうした中で、唯一、原発事故の報道への公正な検証作業が進んでいる。それを行っているのは、民放ではない。市民の手によって市民の報道機能を構築しようとしているNPOである。OurPlanet-TV(代表理事白石草氏)が行った「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?」(前半)(後半)を是非とも見てほしい。

報道が事実を伝えなければ民主主義社会は形成されない。特に公共放送はその社会的責任をもっている。NHKは、国民の税金(強制的に徴収する受信料)によって運営され、国民の選んだ国会に於いて経営委員が選出承認されている公共報道機関である。その意味においても、今回の原発報道で誤った情報を流し、またそのために多くの人々が被曝したこと、一体、公共放送は何を守ろうとしたのか、そう問われた。その答えは明らかである。

つまり、あの時点で(今は違うが)NHKが守ろうとしたのは国民ではなく、東電や原子力ムラではなかったか。そう極論されても仕方がない。その証拠が、今回の検証番組であった。NHKは当時の原発報道の事実を隠そうとした。NHKの作成したこの番組は原発事故報道をした3.11の時点にNHKの評価を落としてしまったようだ。こんなみっともないことをしていたら、世界の報道機関に、そして未来の人々に笑われるだろう。

NHkへの受信料不払い運動が起っても当然だろう。NHKは、今、国民のための報道機関として姿勢を厳しく問われている。そして、その検証作業を彼らに任せてはならないことが、今回の番組、NHKの原発事故報道の自己点検(検証)作業で明らかになった。


原発事故報道を徹底的に検証しよう

OurPlanet-TV(代表理事白石草氏)が作成した「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?」(前半)(後半)を紹介します。この番組から、私達は災害報道の在り方や報道機関の取るべき態度について考える機会を得ることが出来ると思う。

OurPlanet-TV制作「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(前半)」


OurPlanet-TV制作「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(後半)」




参考資料

OurPlanet-TV

伊藤 守著 『テレビは原発事故をどう伝えたのか』 (平凡社新書)2012.1


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三石博行 ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

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2012年4月14日、文書加筆 
2012年4月16日、誤字修正
(120413a)
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2012年3月28日水曜日

「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」長尾和宏医師の講演YouTubeで公開

被曝危機や安全の極論に対して健康障害の実態を正しく理解する必要性


三石博行


生活者原発作業員の放射能被曝の実態を語る長尾医師

2011年8月16日に開催された京都奈良EU協会の京都講演会「医師・専門家からみた福島原発事故」第四回講演会に長尾和宏医師(長尾クリニック院長)をお呼びして、「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」に関してテーマで話をして頂いた。

兵庫県尼崎市で地域医療を展開する長尾和宏医師は、これまでアスベスト問題、市民の健康管理や医療相談を積極的に行ってこられた。医師の枠を超え、これまでの病院やクリニックの枠に囚われた医療活動の限界を超え、地域社会独自の健康問題、環境問題、社会問題を取り上げてきた、正しく尼崎の「赤ひげ」である。

原発作業員の健康問題も長尾医師には非常に身近な課題であった。何故なら、尼崎には原発に関連する工場があり、それらの工場から多くの作業員が原発で仕事をしているからである。その意味で、長尾医師はこれまで、原発作業員の健康管理を行ってきた専門家である。

今回の東電福島第一原発の事故は、長尾医師にとって、遠い世界の話でははく、これまで医師として原発作業員の健康管理や検診をしてきた立場から、避けて通れない、寧ろ、積極的に調査し、実態を理解することによって、今後の関西地域の原発作業員の健康管理にとって大切な経験となる事例であったと言える。

医師の立場から、被曝をどう理解しべきか。長尾医師は講演の最中にも、まるで自問するように語ってくれた。この貴重な映像を公開したいと思う。被曝のマイナス面をのみ強調し、危機感を煽りたてくことも、長尾医師は警戒すべきやり方だと述べた。生活のために作業現場に行かなければならない人々へのこころある人間医師、赤ひげ長尾先生のことばであった。


長尾和宏医師の講演YouTube公開

長尾和宏医師の講演をYouTubeで公開

長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」1/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」2/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」3/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」4/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」5/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」6/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」7/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」8/9




長尾和宏医師講演「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」9/9




参考資料

「福島原発事故から立ちあがる市民」

「原発作業員の労働衛生―放射線障害の不確実性と多様性―」長尾和宏医師の講演


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「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」

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2012年3月27日火曜日

「原発被ばく問題のこれから」西野方庸氏の講演YouTube公開

深刻化する原発作業員の被曝問題


三石博行


原発作業員の犠牲の上に成り立つ原発事故処理作業

原発は必然的に作業員の被曝問題を伴う。日常的な原発の管理に従事する作業員の被曝は避けられない。ましてや、今回の福島第一原発事故の処理は作業員の被曝を前提にして行われると言ってよい。つまり、作業員の犠牲は事故処理の作業に必然的に付随すると言える。原子力の平和利用の名の下に始まった原子力エネルギーの利用は、原子炉を維持する人々の犠牲の上に成立しているのであると言える。

関西労働者安全センターは1970年代から岩佐嘉寿幸岩氏(原発作業員)の原発作業に伴う労災職業病問題(被曝問題)に取り組んできた。当時、原発作業員の被曝問題を取り上げることは、タブーに近い行為であった。福井県敦賀市のある敦賀労働基準監督署で岩佐さんの労災申請をした。そして、労基署との交渉を行った。その時も、労基署の周りには私服警官が労災認定の申請と話し合いに来た岩佐さん、支援者を取り巻いた。

1970年代から反原発はイデオロギー問題であり、原発に反対する人々は日本みら社会制度を否定する人々であり、原発作業員の労災認定を求める人々も同様に非国民的存在であるとレッテルを張られ続けてきた。その結果、多くの原発作業員の被曝問題は隠蔽されてきたのである。

そして、今回の事故で、多くの原発作業員の被曝を前提にした事故処理が行われている中で、被曝し続ける作業員への健康管理に関する対策(労働安全衛生上の)が明確に保障されないのは、これまでの政府や電力会社の対応の結果であるとしか言えないのである。

いずれにしても、今後、福島第一原発の事故現場に多くの作業員が駆り出されることは確かである。多くの作業員の力なくして事故処理が進まないことは自明である。つまり、それらの人々の放射線被曝を前提にして事故処理が進むことになる。しかし、どれだけの人々がどれだけの被曝を受け続けるのか、その放射線被曝の全貌はつかめない。

メルトダウンした炉心を取り出す作業までに、どれだけの作業が必要か。その作業環境の放射線を下げるための対策や作業工程は具体化できるのか、それすらも明確にされていない。そして、この果てしない被曝地獄の中で黙々と働く人々を必要としている事実だけが残る。つまり、福島第一原発を廃炉にするまでに、途方もない事故処理作業と多くの作業員の犠牲があることだけは確かである。


西野方庸氏の講演YouTube公開

2011年7月16日京都奈良EU協会第三回講演会YouTube公開

西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」1/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」2/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」3/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」4/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」5/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」6/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」7/8



西野方庸氏講演「原発被ばく問題のこれから」8/8



引用、参考資料

「原発被ばく問題のこれから」西野方庸氏(関西労働者安全センター事務局長)の講演
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/06/blog-post_23.html

『原発と闘う-岩佐原発被曝裁判の記録-』「岩佐裁判の記録」編集委員会・編/八月書館1988年


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2012年4月3日 誤字修正
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