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2012年8月20日月曜日

OurPlanet-TV(市民メディア)がJCJ賞を受賞する

『民主主義文化としての報道機能について』
3章、コミュニティメディアと市民参加の報道機能の確立


三石博行


放送ウーマン賞とJCJ賞に輝くOurPlanet-TV (白石草氏)

  昨年12月に、OurPlanet-TVの代表 白石草(はじめ)さんが放送ウーマン賞を受賞した。そして、今年8月に、OurPlanet-TVは8月11日に再び、優れたジャーナリズム活動贈られる「JCJ賞」を受賞した。

日本ジャーナリスト会議(JCJ)は、1958年以来、年間の優れたジャーナリズム活動・作品を選定して、「JCJ賞」を贈り、顕彰してきました。今年は55回である。

JCJ受賞の対象となったOurPlanet-TV番組は今年6月4日に報道された「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?」である。その受賞理由は、「非営利のインターネット放送局OurPlanet-TVは、「3.11」以後、原発災害問題の取材を強化し、子どもの被曝問題などで積極的な取材と情報発信を展開している。4月には「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか」を放送し、大手テレビの原発報道を市民目線で初めて検証した。こうした一連の活動は、大手メディアによる独占的な情報発信だけでなく、市民の立場からの新たな情報回路を創出しようとする画期的な取り組みであり、高く評価したい。」(1) と日本ジャーナリスト会議は発表している。

以下、2012年8月17日 OurPlanet-TV事務局発信メールの引用を記載する。

「福島原発事故から1年が経った。政府の事故調査委員会や民間事故調、国会事故調と、3つの調査委員会によって、事故直後の東電や政府の対応が徐々に明らかになってきている。では、その当時、果たしてテレビはどのような役割を果たしていたのか?311直後のテレビを見続け、分析してきた研究者やジャーナリストらが徹底検証する。

ゲスト:伊藤守(早稲田大学メディアシティズンシップ研究所所長)
    小田桐誠(放送批評懇談会/ジャーナリスト)
     広河隆一(フォトジャーナリスト/DAYS JAPAN編集長)
司 会:白石草(OurPlanetTV)」(2012年8月17日 OurPlanet-TV事務局発信メールの引用)

視聴URL
 http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1341 」

徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?

Part1 緊急事態をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1343

Part2 避難指示をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1344

Part3 1号機爆発をどう伝えたか?
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1345

Part4 被曝リスクをどう伝えたか?(前編) 
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1347

Part5 被曝リスクをどう伝えたか?(後編)
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1346

(2012年8月17日 OurPlanet-TV事務局発信メールの引用)


福島原発事故の正しい情報を伝えられなかった公共放送とマスコミ

この二回の受賞は、日本の市民メディアにとって大きな意味を持っている。これまで、報道は公共放送やマスコミによって独占されてきた。昨年の3.11東日本大震災・福島原発事故以後、市民はNHKの報道に絶望した。3.11以後の報道を観ると、当時のNHKは政府の原発推進のエネルギー政策を国民の安全に関する情報提供よりも優先させたと言える。

またそれまで原発問題を語ることを「政治的議論」としてタブー視してきたマスコミにたいする国民的批判もあった。何故なら、マスコミは大口のスポンサーである電力会社から年間巨額の広告宣伝費を受け取っていた。そのために原発に関する報道を抑制してきたのである。マスコミが企業経営上の利益を公正な社会報道に優先させてきた。

3.11以後、公共放送やマスコミへの市民の信頼性は大きく失墜した。そして市民に正確な情報を伝えた報道のあり方が、国家の安全対策の課題となった。


東日本大震災・福島原発事故はインターネット市民メディアの存在を国民が知る機会を与えた


原発事故は、ジャーナリズムにとっても、日本の報道機関の社会的機能と民主主義の課題を真剣に問い掛けることになった。市民メディアによる原発事故、放射能汚染、被曝者の現実に関する報道がインターネット上から報道される。

また、東日本大震災の救援活動、支援物資情報や必要なボランティア情報はインターネットと通じて伝わってくる。情報発信のためのソフト開発ボランティア、情報入力ボランティア情報もインターネット上で行なわれた。東日本大震災はインターネットが今まで以上に救援活動の情報機能として活躍した。

さらに、インターネット上では原子力発電所構造からその問題点や危険性、さらには供給電力を失った後の問題、問題を正しく指摘できる専門家(原子力ムラに属する自称専門家でない人々)の解説が流された。これらの情報へのアクセス回数は一日で十数万件を超えたと言われている。

また、テレビや他の報道と異なり市民が見たいとき知りたいときに情報にアクセスできるインターネット上での情報発信方法は報道番組の時間帯という縛りを情報発信は受けない。そのため、ブログやソーシャルメディアで伝わった情報によって、市民メディアが発信した情報へのアクセスはその影響力が大きくなるほど増える傾向にあった。

東日本大震災・福島原発事故はインターネットによる市民メデァイの役割の社会的評価を高める結果と導いた。それは、公共放送やマスコミの報道機能が国家の危機管理や安全管理に対して対応仕切れていなかった現実によって生じた社会現象であった。この災害によってわが国の報道のあり方が根本から問い直われることになったと理解できるだろう。


引用、参考資料

(1) 日本ジャーナリスト会議(JCJ)「2012年度JCJ賞発表について」
http://jcj-daily.sakura.ne.jp/jcjsho12.htm

三石博行 ブログ文書集『民主主義文化としての報道機能について』

「民主主義文化としての報道機能について」の目次 http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/12/blog-post_03.html
はじめに(何故、報道機能の改革が課題となるのか)
1.スコミの現実
2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するための改革
3、コミュニティメディアと市民参加の報道機能の確立
4、報道の自由とモラル


2012年8月22日 誤字修正
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2012年5月2日水曜日

福島原発事故放射能汚染の現実を受け止める必要はないか

ドイツZDF報道番組「原発ハンター」からのメッセージ


三石博行


みどり京都の代表杉山廣行氏から、ドイツのZDFの報道番組「原発ハンター」のYouTube動画が送ってきた。日本では福島の原発事故による放射能汚染の現実はどこまで正確に報道されているのだろうか。今でも、除染可能とか、帰宅可能とかいう政府のことばに原発近辺の住民は翻弄されつづけているのではないのか。 そろそろ本当のことを言うべきではないか。その現実を確りと見つめ、そこから現実的な対策を見つけ出すべきではないのか。厳しいけど、本当のことからしか、正しい方針、最も現実的な政策は生まれないと思う。 このドイツZDF報道番組が日本の友人達に伝えたいメッセージを確りと聞いてみたい。

ドイツZDF「放射能ハンター」

みなさまへ 私(杉山廣行氏)の知人Yさんからのメールです。 ご覧になった方もおられるかもしれませんが 下記のURLからご覧ください。

杉山廣行

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久々の原発関連のお知らせです。以前に、ドイツ在住の日本の方から教えていただいていたのですが、ドイツ語だったので内容を想像する域でした。 日本語に翻訳してあったのを見つけたので。  それにしても、日本の現実を海外の報道でしか知ることができないというのは・・

http://www.youtube.com/watch?v=PtorYF4j9SY&feature=player_embedded

ドイツZDF「放射能ハンター」 YouTube公開

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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」

三石博行 ブログ文書集「福島原発事故から立ちあがる市民」

三石博行 ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

三石博行 ブログ文書集「東日本大震災からの復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」

三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」

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2012年4月16日月曜日

ポスト311時代のメディアとしての市民メデァイの社会的機能

何故 報道機能の改革が必要なのか(2)


三石博行


「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」

OurPlanetから「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」が配信されてきた。

OurPlanet制作番組「ポスト311時代のメディアとは~公共的なメディアを取り戻す作戦会議 」



メディアの公共性を育てるために

この番組は東京でOurPlanet-TVの代表理事の白石草さんが2011年の放送ウーマン賞を受賞されたのを記念に東京で開催されたイベントである。OurPlanet-TVらしく白石さんの受賞を祝うイベントというものでなくゲストを呼んで、3.11以後問われたメディアの公共性を課題にして意見を述べ合うパネルトーク会議を行った。

この「会議」は野中ともよ氏の司会で、公共放送NHKやマスコミの福島原発事故報道に関する意見交換が行われた。参加した人は、白石草氏、NHKアナウンサーの堀潤氏、東京新聞特報部デスクの野呂法夫氏、アイリーン・スミス氏、朝日新聞社の元信一氏、鎌仲ひとみ氏、上野千鶴子氏である。

それぞれの参加者が、素晴らしい考え方とジャーナリズムに対する意見を持っていた。


そんなに簡単にNHKを辞めると言いなさんな、堀潤さん

HKアナウンサーの堀潤氏は2年前から公共放送のあり方を問いかける意見をTwitterで発信し続けてきた国民が公共放送の中で働いて欲しいと最も願う人物である。そんなに簡単に辞表を出したり、また、NHKが自分の意見を聴かなかったら辞めるなどと、青臭いことは言わないで欲しいし、この番組で宣言したことも取り消して欲しいと思った。

NHKはこうした堀氏のような人物を入社させてことを自慢すべきであるし、入社試験で堂々と戦中のNHK・公共放送のあり方を批判し、国民のための公共放送を訴えた堀氏を採用した当時の理事会を私は高く評価したい。その意味で、NHKに堀氏と同じような考え方を持つジャーナリストが多く居て欲しいと願う。

だから、そんなに簡単に辞めると言ってはいけないですよ。堀さん。


公正な報道を支える人々の群れ

東京新聞が今回の福島原発事故報道を続けた背景に、先日、他界した清水美和氏の影響を見ることができた(1)。彼は、学生時代から正義感の強い人だった。当時(1972年)、京都大学の医、薬、農、理、工系の研究室や実験教室からは重金属を含む溶液が下水にそのまま流されていた。それは京都大学だけでなく、全ての大学、高校、そして企業研究所からも流されていた。

水俣病やイタイイタイ病の公害が社会問題になっている最中に、学問の府である大学が公害物質を垂れ流ししていたのである。当時の学生は、こうした大学の社会的責任を問題にしていた。その先頭に立っていた一人が清水君だった。

彼は、きっと、最後まであのときの正義感を貫いて生きたのだと思った。それが東京新聞への評価の一部となって結晶したのだろう。こうした人物が一人、ジャーナリズムの世界から消えたことは残念だ。しかし、彼と共に働いてきた人々がまた、彼の意思(意志)を継ぐだろう。


成熟した社会になろうとする今だからこそ報道が問われる

今、報道が問われている。この問いかけを行っている人々、国民は今までのように受身ではない。OurPlanet-TVのように自分達で情報を発信する人々が生まれ、コミュニティメディアの文化が少しずつではあるが着実に日本社会に浸透しつつあるからだ。だから、マスコミやNHKは、今までのように国民の情報操作を続けることは不可能なのだ。

福島原発事故の問題で、原発に関する報道機関の関わり方、原発事故報道を抑制してきた歴史、福島原発事故報道が検証されようとしている。この検証作業も先日のNHKのように形式的なものになる可能性は大きい。しかし、それらの検証作業に対して、国民はさらに厳しい意見を述べるだろう。

この番組で、朝日新聞社の隈元信一氏は、報道の公共性を報道機関のみでなくジャーナリストも自己検証をすべきであると話していた。多くの場合、報道機関は他の報道機関(他社)の原発報道に関する取材を行い、原発報道のあり方を検証する作業を行う傾向にあるが、むしろ、自分達(自社)を取材してはどうかと隈元氏は述べていた。

しかし、果たして、自社を検証する力を今の報道機関が持ち合わせているだろうか。それは無理かもしれない。むしろ、OurPlanet-TVのような市民の運営する報道機関の報道を積極的に紹介する方が現実的だと思う。OurPlanet-TVが制作した「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(前半)」 とその後半の報道番組(YouTube)を積極的に報道する方がいいと思う。


公共放送料金の5%をコミュニティメディアの払うべき

この番組で、白石氏はドイツのパブリックアクセスについて説明を行った。1980年代に民間放送が開設され、それまで国営放送が使用していた公共の電波を民間放送(企業)が使うことになった。民間企業が公共物(電波)を使用するなら市民も使用する権利があるとして出来たのがパブリックアクセスという制度らしい。そして、公共放送のために支払っている受信料の一部、2-3パーセントを、このパブリックアクセスに使う制度ができた。つまり、コミュニティメディアの活動に公共放送料金の一部が使われているのである。

公共放送やマスコミが正しく国民のために情報を流す社会的機能を維持していくためには、コミュニティメディアの役割を理解しなければならない。つまり、公共放送は国策に左右される宿命にあり、また、マスコミは経営体としての報道機能から逃れることはできない。その意味で公共放送やマスコミに国民のための報道を期待することの限界を知るべきだと思う。

つまり、それらの限界を公共放送自体が自覚し、またマスコミも同じく自らの経営体として運営される報道機能を自覚する必要がある。言い換えると、マスコミは公共報道機関に宿命的に存在し続ける報道の制限を受けないコミュニティメディアの存在意義を他方で理解する必要がある。そして、それらの市民メディアと共存する手段を考えなければならない。

自らの限界を知ることによって、逆にその限界の外枠に存在する市民メディアの存在意義が理解できるのである。つまり、民主主義社会(資本主義社会と先進国指導社会)の限界を自覚的に補助する報道機能を、自らの限界の外枠に創ることの意味を理解するのである。

そのためには、社会を挙げて、コミュニティメディア文化を育てることである。そのために、公共放送の5%をコミュニティメディアの支払う法律を作りるべきではないだろうか。そして、企業の広告宣伝費で成立する民間放送局も同様に市民メディアを育てるための報道、つまり無料の市民メディアの宣伝を行うことを義務化する法律を作るべきではないだろうか。


引用、参考資料

(1) 三石博行 「友の死を悼む」2012年4月14日 
httsuip://mitshi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4565.html

(2) 三石博行 「HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか 」2012年4月13日 
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/hkk.html

(3)  OurPlanet-TV

(4) 伊藤 守著 『テレビは原発事故をどう伝えたのか』 (平凡社新書)2012.1


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

三石博行 ブログ文書集「わが国の民主主義文化を発展させるための課題について」

三石博行 ブログ文書集「市民運動論」

三石博行 ブログ文書集「人権学試論」


2012年4月16日、一部文書訂正
(120416a)
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2012年4月13日金曜日

HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか

国民のための国民の公共放送が民主主義の成熟に繋がる


三石博行


民主主義の成熟を担う公共放送の社会的機能のために

国民主権、民主主義社会日本でのNHK・公共放送の社会的機能は大きい。正しく国民のための報道を行い。そして国民に支援され、国民が参画する運営を行うことで、公共放送は国民主権国家の大切な情報報道機能となると信じている。その意味で、小泉政権時代に行政改革の課題で取り上げられた公共放送の廃止・民営化の提案に反対だ。

しかし、今回のNHKの原発事故の初期の報道には大きな疑問を感じた。そして、インターネットにNHKの報道に関する多くの批判が流れた。このことをNHKの運営委員会(執行部)や報道編集責任者は重く受け止めたと思う。その後、NHKは原発事故に関して素晴らしい報道を続けた。その報道の内容は世界的にも評価されるものであるし、今後もその報道番組が世界中の原発問題で引用されることになると思う。

しかし、今回、NHKが作成した、NHKの原発事故報道に関する検証に関する番組を見た時、原発事故直後に報道した番組から受けた不信感を思い出させた。この不信感は長年、国民がNHKの官僚的な体質や政府批判を恐れ国民に正しくない報道をしてきたのではないかという感情に根ざすように思われた。

そこで、民主主義社会の大切な機能としての公共放送の在り方を考えなければならないと思った。つまり、国民主権国家では国民のための国民による国民の報道機能・公共放送が絶対に必要である。その機能を担うのがNHKである。公共放送を廃止することは、民主主義の成熟を妨害する政策である。その意味で、NHKは、今回の原発事故に関する検証の在り方を、再度、根本的に見直し、点検しなければならないと思う。


間違いだらけの原発事故報道とお粗末な原発事故報道の検証番組

先日、NHKの原発事故報道の検証作業を行った番組(NHK)を見た。3月11日、東日本大震災の直後、大津波に飲み込まれる東北の町の悲惨な映像に完全に滅入っていた時、東京電力福島第一原子力発電所で冷却装置の電源喪失が伝えられた。始め、電源の一部が喪失しているという情報であったが、次第に、全電源喪失の事態であると伝えら始めた。

3月11日(金曜日)の夕刻から3月13日まで、テレビ画面から離れられない状態で、地震や津波被害に関する情報と原発事故の情報を追いかけていた。NHKが原発事故の解説に起用したのが東大教授の関村直人氏であった。彼は、一貫して原発事故の重大性を否定し続けた。そして水素爆発が生じる筈がないと断言したその二、三時間後に一号機が爆発した。しかし、彼は爆発で飛び散る建屋、灰色の煙を画面で見ながら「安全のために放射性物質を放出している」爆発的開弁作業の光景であると説明した。しかも、格納容器が壊れていないために、多量の放射性物質が放出されることはないとまで言った。

こうしたテレビ場面を見ながら激しい怒りがこみ上げ、ブログに書いた。国民の命を守ろうとしないNHKの報道姿勢と大学教員(専門家)の態度。この映像が残る限り、NHKは当時の原発報道への責任を永久に(歴史的に)逃れることはできないのである。

それが、今回のNHKの原発事故報道の検証番組では、何一つとして語られなかった。それどころか、NHKの原発事故報道が評価されていた。一体、NHKの誰がこの検証番組をつくったのか、これこそ、NHKが今後、またその公共放送の責任を歴史的に問われる材料となるだろう。そして、高度な情報化社会では、NHKの流した番組を歴史的に葬ることはできない。この番組はNHKの汚点となるだろう。

報道の検証作業を報道機関に任せてはならない

こうした中で、唯一、原発事故の報道への公正な検証作業が進んでいる。それを行っているのは、民放ではない。市民の手によって市民の報道機能を構築しようとしているNPOである。OurPlanet-TV(代表理事白石草氏)が行った「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?」(前半)(後半)を是非とも見てほしい。

報道が事実を伝えなければ民主主義社会は形成されない。特に公共放送はその社会的責任をもっている。NHKは、国民の税金(強制的に徴収する受信料)によって運営され、国民の選んだ国会に於いて経営委員が選出承認されている公共報道機関である。その意味においても、今回の原発報道で誤った情報を流し、またそのために多くの人々が被曝したこと、一体、公共放送は何を守ろうとしたのか、そう問われた。その答えは明らかである。

つまり、あの時点で(今は違うが)NHKが守ろうとしたのは国民ではなく、東電や原子力ムラではなかったか。そう極論されても仕方がない。その証拠が、今回の検証番組であった。NHKは当時の原発報道の事実を隠そうとした。NHKの作成したこの番組は原発事故報道をした3.11の時点にNHKの評価を落としてしまったようだ。こんなみっともないことをしていたら、世界の報道機関に、そして未来の人々に笑われるだろう。

NHkへの受信料不払い運動が起っても当然だろう。NHKは、今、国民のための報道機関として姿勢を厳しく問われている。そして、その検証作業を彼らに任せてはならないことが、今回の番組、NHKの原発事故報道の自己点検(検証)作業で明らかになった。


原発事故報道を徹底的に検証しよう

OurPlanet-TV(代表理事白石草氏)が作成した「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?」(前半)(後半)を紹介します。この番組から、私達は災害報道の在り方や報道機関の取るべき態度について考える機会を得ることが出来ると思う。

OurPlanet-TV制作「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(前半)」


OurPlanet-TV制作「徹底検証!テレビは原発事故をどう伝えたか?(後半)」




参考資料

OurPlanet-TV

伊藤 守著 『テレビは原発事故をどう伝えたのか』 (平凡社新書)2012.1


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関連ブログ文書集

三石博行 ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」

三石博行 ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

三石博行 ブログ文書集「市民運動論」


2012年4月14日、文書加筆 
2012年4月16日、誤字修正
(120413a)
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2012年3月24日土曜日

沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として

山崎豊子著「運命の人」・TBSドラマの課題(3) 


三石博行


密約提携の背景としての敗戦国日本の宿命

TBS日曜劇場ドラマ山崎豊子原作「運命の人」の中で、沖縄返還密約問題を巡って織りなされた人々の行動。もし、このドラマが密約問題を悪としそれとに闘う新聞記者を善とした構図でストーリーを展開されたなら、もっと分かりやすい単純な話となり、また同時に複雑な人間的な葛藤は消滅し、文学的な価値が失われるかもしれない。

このドラマの魅力は、それぞれの人々の行動が一見政治的な立場に立たされながらも、そこにそれぞれの人々が選択せざるを得なかった行動の背景が描かれていることであった。著書を読まないで、このような評価をすることは間違いかもしれないが、このドラマに登場した俳優たちの演技の中から、その課題を理解することが出来た。

このドラマが私を引きつけたのは、ドラマに登場した人々の行動が大きくは政治的な意図に利用され、またその政治的意図によって抹殺されながらも、異なる政治的立場から行動したと解釈されるそれぞれの登場人物たちの本心に共通する人間らしさを感じさせていたことであった。そして、このドラマが政治的事実への善悪を求める前に、その現実を生み出さざるを得なかった時代や社会的背景、敗戦国家として戦後日本の復興に立ちあがった社会の宿命を感じさせたからであった。


権力と闘うこと闘えないことの根拠(存在理由)

新聞記者弓成は、本来望んでいなかった状況、権力との正面対決、権力に一人で立ち向わざるを得ない立場に立たされることになる。この弓成の周りに多くの支援者が集まる。その支援者たちは共通する課題を持っていた。その課題とは当時の政府が進めた沖縄返還にまつわる密約協定(核の持ち込みや日本政府の400万ドルの支払い)に対する批判的意見であった。

しかし、その批判的見解が全く同じ内容であったかどうかは分からない。あるものは、米軍の沖縄基地の存続に反対し、あるものは国民を裏切る密約を結んだことに批判をし、あるものは政府が400万ドルを払ったことに憤慨していたかもしれない。いずれにしても、政府の沖縄返還のやり方に対して不審や批判を持っている人々であることには違いない。

政府は、密約はないという立場を国民に対しては取り、同時に機密文書が漏洩した事実を認め外務省では犯人探しを行った。弓成記者に情報を渡した三木事務官は、余りにも大きな社会的衝撃(密約と機密文書漏洩のスキャンダル)に対して耐えることは出来なかった。何故なら、彼女は政府の密約協定への批判や沖縄問題に関心があった訳ではなく、弓成記者への個人的感情によって、機密文書の情報を弓成記者に渡したからであった。

一人で権力と闘うことになる彼へのその社会的正義感や考え方に共鳴したのではない、その意味で彼を取り巻く支援者とは予め共通する立場を持っていない人物であることは確かだろう。その意味で、この事件は彼女にとっては悲劇の始まりであった。まず、弓成に利用されたこと、そして弱い一人の事務官が恐ろしい犯罪者となったこと、彼女に予定されていた公務員としての生活も未来もすべて粉々に粉砕された瓦礫となったのである。

個人的感情によって機密情報を流した事務官と社会的正義感によってそれを暴露(スクープ)した記者と、まったく異なる動機によって、一つの共通した行為を選択してしまったのである。このことを例えるなら、この二人は共に同じ場所にボタンを掛けたと思えたのが、その場所は全くことなる位置になっていた。「機密情報の暴露」という行為から見れば二人の行動は同じなのだが、その二人の行動の動機は全く異なっていた。

そのため国家機密漏洩罪で逮捕された三木事務官と弓成記者の間には、逮捕という現実を受け止める共通項は存在していなかった。三木事務官にとってこの事件は不慮の災害であった。彼女は弓成記者を信頼し、機密文書を渡した。その結果、弓成に裏切られた。弓成記者は、密約を糾弾する一人の新聞記者としての立場を持っていた。

そのため、この二人は国家権力の強烈な弾圧に対して異なる自己防衛の在り方を選択することになる。つまり、弓成記者にとって、この事件は沖縄返還に関する密約問題とその事実隠蔽のための国家権力の弾圧であった。彼はそれに対して闘うしか道は残されていなかった。しかし、三木事務官は、自分を守ってくれなかった弓成への憎しみ、自分が受けて同じ苦痛を弓成にも味合せたいと思った。彼を自分と同じ犯罪者とすることであった。

密約問題以上に弓成への憎悪が彼女の問題であった。その憎悪を権力によって利用され、密約問題が隠蔽されることに対して、彼女は政治的判断をする基盤を持たなかったし、また政治的判断によって密約の機密文書を弓成に渡したのではない以上、彼女の取る弓成への憎悪以外に彼女に別の行動を望めただろうか。

彼女の嘘の告白行為は、言い換えると積極的な国家機密漏洩事件という外務省側の現実への対応の姿であったと理解できないだろうか。彼女は逃げたのではない。彼女は闘ったのである。その相手は、弓成が相手にせざるを得なかった国家権力でなく、自分を裏切った一人の男であった。しかし、その闘いも、弓成と同じように望んでいたものでなく、受けざるを得ない闘いであったに違いない。


沖縄島民の犠牲を前提とした敗戦処理(国民の暗黙の了解)

こうした人間的な感情によって生み出される人々の行為を越えて、その行為をすべて飲み込み、大きな時代の流れを生み出す力を持つものを権力と呼んでいる。一人の人間の気持ちなど、この大きな流れに乗った者から見れば、流れに巻き込まれた小さな木片のようなものである。どれほど流れに抵抗しようと、また抵抗していると思っていようが、結果的には、大きな流れに飲み込まれていくことは明らかなのだ。

その大きな流れとは何か。それは敗戦国家として戦後日本の社会が始まったこと。悲惨な戦禍、焦土化した日本の国土、このどん底から這い上がるために、ありとあらゆる努力を重ねた戦後社会、その中で国民は平和な社会、経済の復興や豊かな生活を望んだ。勝戦国アメリカの支援を受け、その核の傘の下で守られ、強固な政治経済的共同体日米同盟を形成し、敗戦の焦土から現実的に立ち上がり、復興の道筋を作ること以外に、他の手段や政策(道)があったとは思われないのである。

その意味で、密約問題は当時の社会では政権交代を国民が迫る程の重大な課題ではなかったと言える。これが当時の状況であった。その状況を暗黙の裡に許していたのは、沖縄島民に課せられた日本国民が敗戦国日本の負うべき義務であった。つまり、この大きな流れを作っているのは、敗戦国家日本の宿命とその負担を沖縄島民に押し付けた我々本土日本国民の暗黙の了解ではなかったか。

こうした視点から見ると、弓成記者と三木事務官、そして佐橋首相や検事たちまでもが、一つの集団として括られ、その対立項が限りなく収束しながら、そしてその収束した点と別の対立項、つまり最終章で登場した沖縄の人々が現れてくるのである。そして異なる意見を持つ沖縄島民も一つに収束していく。沖縄問題にあまりにも鈍感な本土の人々、すべての戦後処理の犠牲を沖縄に強いて、豊かな反映を追い求める沖縄を省いている日本、その現実を知らされる時、反戦地主もまた基地使用を容認している地主も同じ沖縄の島民としての立場に収束されて行くのである。

最終章から飛び出してくる「本当に沖縄の痛みが分かるのか」という問いかけの中で、私が理解したのは敗戦処理を担った日本国民ではなく、本土の日本人の沖縄島民の二つの置かれた立場であった。その立場から見れば、私は明らかに弓成記者と同じ意見であり、そして同時に佐橋首相の政治的(外交的)対応によって擁護されている側にいることは確かだという事実であった。


鳩山由紀夫元首相の挫折の意味する課題

民主党政権が成立したとき、当時の鳩山由紀夫首相は沖縄問題に取り組んだ。沖縄問題の解決なくして戦後日本は終わっていないと政治家鳩山氏は考えていたのかもしれない。その意味で、鳩山由紀夫氏は沖縄にもっとも心を砕いた政治家の一人である。しかも、宜野湾市のど真ん中にある普天間基地ではこれまで航空機事後が多発し続けていた。

例えば、「復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める[16]。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。」(Wikipedia 普天間基地)

ドラマのなかでも2004年8月13日 に 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落した事件「沖国大米軍ヘリ墜落事件」と1995年9月4日にアメリカ兵3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁した「沖縄米兵少女暴行事件」と思われる場面が登場していた。米軍基地があることによって沖縄県民が日常的に被害にあい続けている現実は本土の新聞には殆ど取り上げられることはなかった。

普天間基地の沖縄県外移転という人間鳩山由紀夫氏の沖縄問題に対する姿勢は評価できる。しかし、政治家として鳩山氏は沖縄問題の困難さを理解していなかったともいえる。首相発言で混乱するアメリカと日本、そして結局は、鳩山氏は沖縄以外の所に普天間基地を移転させることが不可能であることに気付くのである。

沖縄県民は鳩山首相の発言を切っ掛けに今まで抑えられ続けた課題の解決の糸口の見つけたとお思った。鳩山氏の発言で沖縄の負担を少しでも少なくすることが出来るのではと県民は希望を持った。しかし、その希望もすぐに打ちのめされることになる。鳩山氏はアメリカの核の傘で守られている現実を正確に受け止めていなかった。さらに台頭する中国の軍事的脅威と国防問題も理解していなかったのだろう。結局は、外務省、与党は勿論のこと野党からの批判、そして何より世論(本土の)の批判に出会い、かっけなく発言を取り消すことになった。この鳩山首相(当時)の発言の責任問題を野党が見逃すことはなかった。その結果、鳩山内閣は総辞職し鳩山氏も首相を辞任することになった。民主党の評価は落ちた。希望をもった沖縄県人は再び諦めの谷間に突き落とされた。

自民党は勿論、日本の報道機関はことごとく鳩山由紀夫元首相の発言を批判した。その発言が混乱のすべての元凶であると報じた。つまり鳩山氏の間違いとは沖縄県民は混乱を持ち込こまれて迷惑を受けている。沖縄で集会が開かれのはその混乱に対する抗議の意味も含まれているというニュアンスが本土の報道から感じられた。

鳩山発言を沖縄県民の側から見たらどうだったのか。鳩山発言を支持し、沖縄から一つでも米軍の基地がなくなり、また軍事基地に依存しない沖縄経済を作りたいと願っていたのではないだろうか。そして、鳩山発言を批判する世論や政党に対して「沖縄は今まで通り、アメリカの北太平洋防衛戦力のために、犠牲になって貰う」というメッセージを感じていたのではないか。そうした世論や野党自民党の痛烈な批判に態度を変えた鳩山首相には絶望するしかなかったと思える。

現在、日本(本土)の世論では、沖縄問題がうまくいかないすべての責任は鳩山にあると言われているようである。しかし、本当にそうなのだろうか。私たち本土の日本人は戦後処理を沖縄の人々に一方的に押し付けている。その負担の構造を破壊し乱すものは決して許されないし少女暴行事件を起こす米兵が本土に多数来てもらってはこまるし、ましては自分たちの町に米軍ヘリが落ちるのは絶対に嫌だというのが本土日本人の本音ではないだろうか。

この大多数の日本人(本土の人々)の気持ちに押されて、今日も鳩山氏は批判され続けているようだ。しかし、この構図を沖縄から見たらどう見えるだろうか。


引用、参考資料

1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/

2、Wikipedia 沖国大米軍ヘリ墜落事件

3、Wikipedia 普天間基地

4、Wikipedia 沖縄米兵少女暴行事件

5、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日

6、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日


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関連ブログ文書集


ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html

2012年3月26日 誤字修正
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2012年3月22日木曜日

国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル

山崎豊子著「運命の人」・TBSドラマの課題(2) 


三石博行


二つの報道の自由の主張

このドラマが問いかけた課題として報道の自由と報道のモラルの問題があった。二つの報道の自由、一つは弓成記者が主張した報道の自由、もう一つは弓成記者のスキャンダルを追いかけた二人の週刊誌聞記者鳥井と松中の主張した報道の自由である。

政府の密約を報道する大手新聞記者弓成の報道の自由は、国民を欺く国家に対して社会正義を背景に主張されたものであった。それに対して週刊誌記者鳥井の報道の自由は情報という商品を自由に国民に売ることを前提とした報道の自由であった。さらに同じく週刊誌記者松中も鳥井と同じ立場にあるが隠されている事実を報道しようという姿勢をもって商品としての情報を提供する自由であった。

この三人を通じて理解される報道の自由の意味の中には二つの立場が存在している。その二つの立場に共通するものは企業体、新聞社と週刊雑誌社という情報商品を売買する企業であることだ。そしてその二つの違いは、双方の記者にある主観的な情報提供の意味である。ひとつは、社会に正しい情報を伝えるという立場、もう一つは社会の必要としている情報を伝えるという立場である。新聞記者はジャーナリストの精神、つまり正しい社会報道に対する責任を持つことを自覚的に理解しようとしている。もう一つの週刊誌記者は市民の興味、欲望を満たそうとする社会報道に対して報道の焦点を当てることになる。


商業活動としての報道

つまり、週刊誌記者にとって週刊誌が売れることが記事の評価となる以上、大衆の要求を満たす記事を書くことになる。市民にとって、男と女の情事やスキャンダルが沖縄返還にまつわる密約問題よりも興味深いテーマなら、週刊誌記者の報道活動は、密約問題ではなく、弓成と三木がどのホテルで密会していたかという課題となる。

記事とう商品が売れなければ週刊誌社の企業活動は成立しないために、週刊誌は大衆の知りたい情報、知りたい課題、欲望にもっとも敏感に反応し続けることになる。これが週刊誌社の情報商業活動としての宿命である。そこに、ジャーナリズムのモラルという空論は存在していない。「書いて何ぼのもん」という算盤がつねに動く世界で記事を作る(造る)ことになる。

さすがに、大手新聞社の記者には、この手の泥臭いそして企業利益を最優先する週刊誌社の記者のような図太さはない。やはりジャーナリストの使命という建前が彼らの報道活動の視点やあり方を決定している。しかし、大手新聞社も究極のところでは、情報商品を生産する企業体であることには変わりはない。その限り、弓成の所属していた毎朝新聞社も弓成を解雇(形式的には辞職)することになる。つまり、弓成を解雇しない限り、弓成が三木事務官への性的関係を口実にした情報強要の手口、新聞記者としてあったはならない反社会的行為(週刊誌が書き立てた記事による)を認めることになるという論理(口実)が成立していた。実際、毎朝新聞社は不買運動によって倒産の危機に追いやられるのである。


幻想としての報道の自由や報道のモラル

民主主義を守るためには報道の自由が前提であるというのは、弓成の主観的な信念であったのだろうか。民主主義の主人公である国民は、沖縄返還に伴う密約問題、核の持込よりも、弓成記者と三木事務官の情事に、そして弓成がどのようにして三木事務官から情報を入手したかということに関心を持っていたのではないだろうか。

言い換えると、弓成が思い描いていた民主主義の基本原則、報道の自由は当時1970年代の日本国民の大半にとってはどうでもいいことであり、それよりも、男と女の話しを面白く、しかも興味深く書く週刊誌の記事の方が大切であったのではないだろうか。報道の自由は弓成の幻想だったのだろうか。そして、その打ち破られた幻想の果てに、今の原発事故や官僚たちの不正行為、被災者をそっちのけで政局を論じる国会議員たちが存続できる国の姿となっているのではないだろうか。

沖縄での米兵による少女暴行事件にしても、「本土の記者・報道機関」は少女の家に押しかけ、また過去の事件を調査し、被害者たちの身元を調べ、実名入りで記事を書く。なぜなら、国民はその少女の名前を知りたがっているからだ。その少女の家族、住所を知りたがっているからだと記者たちは信じて疑わないのである。しかし、弓成は現地沖縄の新聞社、新聞記者たちの少女の人権に配慮した取材や記事を知った。そして、報道人、ジャーナリストのモラルとは何かを問いかけた。

人権を考えれば、読者の欲望を満たす刺激的な記事は書けない。少女が男たちに強姦され、どんな姿になっていたか。少女は今どうしているか。少女の人権という言葉に阻止されて、少女の年齢は、容貌は、親は、家族は、学校は、住所は、家柄は等々、尽きない読者の欲望を掻き立てる記事は生まれないのである。経営的にみればこの人権は企業にとっては大きな損失を生み出す要因以外の何者でもないということだ。


国民文化としての報道の自由とモラル


2011年11月の行われた大阪市長選挙で、大阪府知事から大阪市長に立候補した橋下徹氏に対して週刊誌の誹謗中傷の記事が連日記載された。親がヤクザだったとか、部落出身者であるとか、親戚に犯罪者が居るとか、これでもかこれでもかと書き連ねた。

しかし、橋下氏はそうした記事に動揺することなく、大阪都市構想や経済復興の政策案を出し、相手の候補を誹謗することなく、選挙戦を戦った。大阪市民の反応は、むしろそうした橋下氏への支持に大きく傾いていった。「家族がそんな状況でも、彼は早稲田に入学して学生時代に司法試験に合格し、立派に家族を守っているではないか」と人々は橋下氏の健闘を祝福した。そして、彼は見事に市長選挙に勝った。

つまり、大阪市民は、1970年代の日本国民のように週刊誌の書くスキャンダル記事に動揺することは一切なかった。そして、大阪の町を繁栄させるためには橋下氏の主張が正しいと判断した。多分、殆どの大阪市民は週刊誌の記事の内容を知っていただろう。しかし、その内容に対して、大多数の人々が批判的に受けとめたとしても、大切なことは立候補者の政策ビジョンであることを理解していた。これが、橋下氏が当選したという結果を超えて、大阪市民の選挙に対する姿勢という民主主義風土の勝利であったと言えないだろうか。

この大阪市長選挙と沖縄返還密約文書(弓成スキャンダル事件)の二つの時代を通じて、日本の民主主義文化が成長したことを理解できると思う。つまり、週刊誌が橋下氏を誹謗しようと、弓成氏の情事をスキャンダルラスに描こうと、それを報道の自由と呼ぼうと、市民はそれが週刊誌社の商品であり、それを面白がる人々へのサービスとして理解し、どんな企業でも消費者のニーズにあわせて商品を提供するように、週刊誌社も橋下氏の悪口を読みたい人の需要にあった商品(記事)を書いて、商売をしているぐらいに理解したのだろう。

橋下氏は、ロス疑惑でありとあらゆることを週刊誌に書きたてられた故三浦和義氏とは違って週刊誌を名誉毀損で告訴したとは聞いていない。だからと言って、週刊誌が書きたてた誹謗を認めた訳でもない。それはすでに市民が選挙を通じて判断を示したと理解しているのではないだろうか。

もし、週刊誌社や新聞社の記者にジャーナリストとしてのモラルがあるなら、この大阪市長選挙での週刊誌報道と市長選挙での市民の反応を自らの職業精神に基づき検証する必要があるかもしれない。そして、民主主義文化が成長した社会で市民が必要とする情報、情報ニーズをもっと正しく理解する契機になるかもしれない。これが報道機能機能のモラルに対して問題提起する唯一の手段ではないだろうか。


つづき

三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」


引用、参考資料

1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/

2、Wikipedia ロス疑惑事件

3、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日


つづき

三石博行 「沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として 」



2012年3月23日誤字修正
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関連文書集

1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html



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沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か

山崎豊子著「運命の人」TBSドラマの課題(1)


三石博行


ドラマ「運命の人」が問いかけるもの

TBSで10回にわたって放映された日曜劇場ドラマ「運命の人」。このドラマの原作は山崎豊子著「運命の人」である。ドラマが小説を忠実に再現したものか、この著書を読んだことがないので分からないが、山崎豊子らしい作品であると言えるだろう。

ドラマの舞台は1970年代の日本、沖縄返還を進めた当時の佐藤栄作総理の時代である。今では、当時、自民党政権が行った沖縄返還を巡る日米間の密約問題は、歴史的事実である。従ってこのドラマのテーマは、歴史的事実である密約問題を問い掛けるだけのものではないように思えた。

このドラマのテーマは、太平洋戦争で唯一地上戦の行われた国土・沖縄、その悲惨な戦禍、過酷な戦争体験、そして戦後、アメリカの支配下で軍事基地化し、その軍事基地は沖縄返還後も、現在まで続いた事実、そして、アメリカ統治下の時代はもとより本土復帰後も、沖縄では植民地のように村民の人権は踏みにじられてきた事実、事実を日本政府も、日本国民も受け止めることはなかった事実、言い換えれば、アメリカの核の傘の下で守られ、豊かな経済発展をしてきた戦後から現代までの日本社会は、この沖縄の犠牲の上に成り立っているという事実を示すことであったと思えた。最終回に集約されているこの課題がこのドラマの基本テーマだろう。


ドラマのあらすじ

正義感の強い新聞記者弓成亮太が沖縄返還に関する密約文書を外務省事務官の三木昭子から入手する。その密約を新聞に記載する。しかし、社会からの批判も政府の反応も生まれない。そこで、野党の国会議員横溝の協力を得て国会で追及する。だが、その追求に対して政府・佐橋首相は密約はないと断言する。憤慨した横溝がこともあろうに機密文書を振りかざし、政府を追求する。機密文書が漏えいしたことが政府の側に分かり、その犯人探しが始まる。

そして三木事務次官が告白し、国家機密漏洩罪で逮捕され、同じくその機密文書を横溝に渡したとして弓成も逮捕される。裁判で沖縄返還に関する密約問題として闘う姿勢を決めた新聞社と弓成であったが、検察は三木との情事問題を全面に出し、不当な取材によって機密文書を入手したとして弓成を告訴する。

三木は自らの人生を狂わす事態を引き起こしたのは弓成の自分への裏切りと理解し、激しく弓成を攻撃し、検察の意図にそって「無理やり情事を迫られ、それを脅され機密文書を渡さざるを得なかった』悲劇の主人公を演じた。第一審で、弓成は無罪となったが、三木は有罪が確定した。そのことを怒った三木は週刊誌記者にうその告白をし、またテレビにも出演し弓成の非道について語る。大衆報道によって弓成は批判の対象とされる。それに世間の流れが変わり、弓成の立場は悪くなる。そして第二審では、弓成も有罪判決を受ける。それを機会に弓成は新聞記者を辞める。

密約問題の事実を迫る弓成記者に対して「君が何を言おうが、もう勝負はついたのだ」と佐橋首相は答えた。確かに政治的勝負はついていた。弓成記者の一方的な敗北であった。世間の批判は、国家が国民に事実を隠蔽し、非核三原則を破り、沖縄に核を密かに持ち込んだ犯罪に向けられることなく、一人の男のスキャンダルに向けられ続けた。その意味で、明らかに弓成は政治的に当時の政権に打ち負かされ、社会的にも排除されたと言えるだろう。

ぼろぼろになった弓成がたどり着いた地は、沖縄だった。彼は沖縄の青い空と海に自らのすべてを投げ出し敗北への決着を付けようとしたが、思わぬ救いの手によって、さんご礁の海から再び拾い出され、生きなければならなかった。沖縄の地、そこに生きる人々、あまりにも悲惨な過去と向き合えない人々と自分とが重なり、次第に彼はその悲惨の中に息づく優しさに癒されてゆく。

そして、再び沖縄の現実に向き合うとき、新聞記者時代の正義感、機密文書のスクープ、裁判等々に対して自分が権力と闘い続けてきたその姿勢に欠如していたものに気付くのだった。それは、沖縄を本当に知らなかった自分であった。同じように傷ついいた人々、自分の痛みをその人々の痛みに共感させようとするとき、彼は再び筆を取り、沖縄の現実を書こうとするのである。沖縄新聞に弓成の投稿記事が記載される。

沖縄の現実は過去も現在も常に悲惨であった。本土決戦、集団自害、日本兵による殺戮、全土の米軍基地化、米国統治化での所有地の無条件借地、米兵による犯罪行為等々。沖縄返還後も状況は改善されなかった。日本政府は沖縄県民を守ろうとはしなかった。そして、米軍のヘリコプター墜落事故、少女暴行事件が起こる。県民の怒りが爆発し、米軍の基地に依存してきた沖縄から変わろうとする人々の闘いが始まるのである。弓成もその中にいた。しかし、今も、沖縄の現実は変わらない。だが、その闇に、いつの日にか未来に向かう人々によって、光が差し込むだろうと弓成は信じるのだった。


民主義国家の機密を守る理由と情報公開の義務

新聞は沖縄返還の機密文書の存在についてスクープした。そして野党議員も国会でその問題を追及した。しかし、政府や外務省はその事実を認めなかった。国会答弁に立った野党の議員によって機密文書の所在が明らかにされてしまう。そのことによって国会に衝撃が走る。だが、そのことは機密文書の漏洩問題に発展する。つまり、外務省内の情報提供者やそれを議員に渡した新聞記者を窮地に追いやることになる。

この事態を生み出す世論の理解について考えると、国家が国民に事実を隠蔽するとい権力の犯罪、その犯罪行為を暴くために政府機関内で機密文書を社会に公開するという公務員法に違反した犯罪の二つの犯罪の重みの理解が問題となるだろう。

この解決を導く糸口として公務員の義務という課題がある。極論すると公務員は国民の利益と政権の利益のどちらを優先するのかということになる。もしくは憲法違反を行う政権の言うままになるか、それともその政権を批判する立場を取れるかとういう課題になる。ある政党の率いる政権が国民に正しい情報を与えず、それを隠蔽するとき、公務員はこの政権の犯す犯罪行為を国民に暴露する権利があるのかという課題である。もしくは、どのような政権であろうと国民が選んだ政権であるかぎり、その政権が犯す誤りにたいして公務員は絶対に反対してはならないし、仮に国家的犯罪行為に加担するする結果となったとしても公務員は政府の方針に忠実に従う義務があるという二つの考え方である。

公務員の絶対的な守秘義務が、ドラマ「運命の人」の中で裁判所が三木事務官に下す有罪判決の根拠となっているといえる。昨年、国家の機密情報とされていた尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりする映像を流した海上保安庁の職員がいた。国家機密漏洩罪で逮捕されたが、しかし、国民の支持や国会での野党・自民党の国会質問にあった民主党政権は、この職員を懲戒免職することはできなかった。この場合、社会は公務員が国民の利益に立つ限り国家の緘口令(かんこうれい)を破り、国家に不都合な情報を国民にしめすことは犯罪でないと判断したことになる。

もし民主主義社会を守ろうとするなら、情報公開は原則となる。例えば、政府(政権交代を行っている)が国民の利益に反する行為、国民に真実を伝えない行為、情報を隠蔽する行為を行った場合には、公務員に限らず、国民の誰でもそれを批判し、またその情報を公開する権利を持つ。

この考え方に対して、ある人々は「その情報は国家の安全にかかわる情報であるので、機密情報となっている」と説明するかも知れない。確かに、そうした情報もある。外交上、公開されてはまずい情報もあり、情報公開によって国家(国民)が結果的に損失を受ける場合もある。

それなら、アメリカのように、全ての情報は時間を置いて、例えば10年や15年後には、必ず公開されなければならないような制度を作る必要がある。そして、都合の悪い情報を隠蔽することを厳しく取り締まる必要がある。日本では、頻繁に情報が隠蔽されるだけでなく、都合の悪い情報は破棄されているようだ。

もし、そうした情報の破棄を行った場合には、厳しい罰則を科すようにしなければならないだろう。それが出来ていない限り、政府や一部の官僚に不都合な情報は常に破棄される危険性を持つことになる。


引用、参考資料

1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/

2、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
 

つづき

「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 


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関連文書集

1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html


2012年3月23日誤字修正
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2011年12月3日土曜日

ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

「民主主義文化としての報道機能について」の目次

三石博行


0、はじめに(何故、報道機能の改革が課題となるのか)

0-1、HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか

0-2、ポスト311時代のメディアとしての市民メデァイの社会的機能


1.スコミの現実

1-1、マスコミの本音と報道の自由
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html


2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するための改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html

2-2、公共報道機能の独立権の成立条件とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_5219.html

2-3、国民負担による公共放送の意味を理解するために 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_6015.html

2-4、国民参画の公共放送を目指す課題
未完成


3、コミュニティメディアと市民参加の報道機能の確立

3-1、高度情報化社会での報道機能の革命
未完成

3-2、コミュニティメディアの役割
未完成

3-3、コミュニティメディアを支える土台、知識社会と民主主義文化
未完成


4、報道の自由とモラル

4-1、国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_4500.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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2011年12月2日金曜日

国民負担による公共放送の意味を理解するために

民主主義と報道機能(6)

三石博行


国民主権による公共放送の社会情報機能を確立するためには、多くの課題を検討しなければならない。その一つが財政問題である。つまり、国民による国民のための報道機能であるなら、国民がその経営責任を持たなければならない。しかし、現実はどうなのだろうか。

NHKは国民からの放送料金を半強制的に受取り、その受信料金で運営されている。しかし、受信料金を回収できない状態である。その主な理由の一つとして、国民にとってNHKが自分たちの(国民の)ためにあり、国民によって運営されている報道機能(公共放送)であるという意識が希薄であることが挙げられる。また、NHKは国家からの補助金(交付金)を受けている。この交付金によって、公共放送が国、取り分け官僚からの縛りを受ける可能性を否定出来ないだろう。

日本国憲法が施行され、国民主権・民主主義制度が始まったとしても、NHKの官僚的体質はその歴史に付着している脱却困難なしみのようなものである。NHK,日本放送局が国家の報道機能として発足したのである限り、その歴史的な履歴をそう簡単に消し去ることはできないだろう。しかし、その官僚的な考え方を率直に述べることは出来なくなっている。それだけに受信料を支払う国民からの厳しい監視の視線が存在していることを自覚しているのである。

しかし、そのしみついた官僚的風土はそう簡単にはなくならないだろう。そして、その官僚的体質は、NHKが国民から当然のように受信料金を回収できること、国民は義務として受信料を支払うべきと考えるところに露出しているのである。つまり、この国民の義務としての受信料観は、受信料徴収と受信料によってNHKの運営が成立していることとが分離していることを意味していることに気づかないのである。そこには、過去の遺産、官僚的体質からにじみ出る論理、つまり国家(お上)対する国民の義務として受信料の支払いが疑問の入る余地のない強制的な事項となって成立しているのである。

受信料を受信者から回収して成立している民間放送局がある。それらの放送局にとって受信者はお客様である。そこで受信者のニーズを知らなければ、その放送局は成立しない。当然、顧客の需要を理解しない民間企業が経営難になるように、受信者のニーズを理解しない民間放送局は経営に苦しい状態になるだろう。しかし、NHKは国民から受信料を取りながら、国民のニーズを大切にする姿勢を持っているだろうかという厳しい意見が出されるだろう。

何故なら、民間では顧客はその放送を見るか見ないかの選択権がある。その意味で民間には市場原理が働く、しかし、NHKは強制的に受信料を取るために、言換えるとNHKにとって国民は顧客ではなく受信料を義務として支払う人々であるた、めに、NHKの番組を見たくない人々、まったく見ない人々も、受信料を払わなければならないことになる。その分、NHKへの意見も厳しくなるのである。離れるからだ。しかし、NHKは受信料を払っている

受信者のニーズに答えず受信料金を一方的に請求する公共放送への批判が、公共報道機能を民営化し他の報道機能と競合関係を作り、市場原理に基づく報道産業化によって民意を反映させようという意見が2005年に生まれた。この民営化の意見は当時の小泉内閣によって打ち出された「聖域なき構造改革」とNHKの不祥事の発覚による受信料不払い運動が背景にあった。国民から支持されない公共放送のあり方が続けば、公共放送を廃止する極端な意見へと発展する可能性を持っている。

社会的報道機能は公共放送に独占されている訳ではないが、国民が公共放送受信料の意味、つまり公共放送存在意義を理解しない限り、公共放送を民営化する動きは、行政改革や公共施設への競争原理の導入という資本主義社会の正論を盾に登場することは避けられないのある。

公共放送の運営のために国民から受信料を取るという作業の意味することを考えることによって、公共放送の存在意義が再検討される機会を得るのである。富国強兵制度を推し進めた日本の近代化政策の重要な一つの国民政策としての公共放送機能の形成、その結果としての統一国家としての近代日本の成立に大きな役割を果たした公共放送、日本放送局の歴史、そしてそれを牽引してきた国家官僚制度の一翼を担ったNHKの基盤体が、国民主権の理念によって変換される唯一の糸口がその受信料問題に端を発する国民的反発の感性の深層に存在しているからである。

参考資料

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html

2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するために必要な改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html

2-2、公共報道機能の独立権の成立条件とは 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_5219.html

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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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公共報道機能の独立権の成立条件とは

民主主義と報道機能(5)


三石博行


言い換えると、逆説に聞こえるかもしれないが、日本放送協会が太平洋戦争で行った戦争協力行為を、むしろNHKで大いに取り上げ、NHKの在り方を国民に理解してもらう必要がある。その国民的な公共放送の理解を前提にして公共放送を擁護し、その必要性を求める国民的な支持が生まれるのだと思う。

しかし、この課題は民主主義社会を形成するために非常に重要な課題であることを理解しておく必要がある。報道の自由とは、何にたいして自由なのかと問いかけなければならない。明らかに真実を報道することが擁護される意味において、その権利を保障するために報道の自由が主張されているのである。

公共放送が国民主権の立場にたち公平、自由な報道を行うためには、公共報道に対して国家権力の監視や介入があってはならないということは理想論である。公共放送は国家の利益を守るための社会的機能(情報機能)である。しかし、その国家の理念が民主主義であり人権擁護であるなら、公共放送は大きくそれらの理念を擁護する立場での報道を確保することができるだろう。

そして、同時に、逆説的に、公共放送の政治的機能を理解しその影響力を歴史的事実から知ることによって、民主主義制度の原則として三権分離(司法、行政と立法機能の独立を保障すること)が社会常識であるように、報道権の独立を保障することが、さらに民主主義を豊かにすることだと国民は理解するだろう。国民の知る権利を保障するための公共放送が報道の独立機能を確立することで、国民による国民のための報道機能運営が保障されなけるだろうと考える。


参考資料

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html


2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するために必要な改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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国益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命

民主主義と報道機能(4)

三石博行

ジャーナリズムの社会機能について分析する社会学的な立場から言えば、報道の社会的機能が問題となっており、それらの報道に社会的公正さが存在するのかということは問題にされないだろう。民間報道機関であればその経営体の意思が反映され、公共報道機関であればその所有者である国家の意思が反映されるだろう。

報道機能の運営母体の利益と報道機能が発信する(生産する)情報とは直接的な関係がないにしろ、究極的にはそれらの相関関係を打ち消すことは不可能であると結論付けられるだろう。その視点にたって、公共放送の在り方を考えることで、より正しい公共放送の改革が提案できるのではないだろうか。

公共放送が国家の利益を代表する社会的機能であることの理解が必要である。その意味で、戦中の公共放送(日本放送協会)が行った戦争協力は、公共放送の宿命であると言える。その政治体制がファシズムであろうと民主主義であろうろ、公共放送が国家の利益に反する報道をすることは考えられない。その宿命を理解するなら、国民主権国家での公共放送が国民主権(国家の理念)を前提にして運営されることも理解できるだろう。

つまり、戦中の日本、それ以外の米国にしても戦争協力者としての役割を果たした公共放送に、その戦争責任を問い掛けることは、責任の本当の所在を誤らせる結果となる。つまり、戦争犯罪行為を指令した上官の責任を問うことなく、命令に従った兵士を戦犯として裁くことに等しい行為であると理解すべきである。

最近の例ではアラブの春と呼ばれた北アフリカの市民革命運動の中で、市民は国家権力のプロパガンダの役を果たしてきた国営放送を批判した。比較的民主化されているエジプトでも、公営放送は国民に事実を何も伝えてこなかった。長い、支配の中で、国民は公共放送に絶望し何も期待していなかった。その公共放送に取って替わったのが社会メディアであった。市民から送られる情報が大きな市民の運動を作った。もし、北アフリカの国々でも民主的政権が確立し、国民主権の憲法、国家の理念が形成されるなら、これらの国々での公共放送は変わるだろう。

過去の公共放送が果たした役割を歴史的に伝えることは、そして国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命を国民に理解されることは、今後、日本の公共放送が健全な形で存続するために必要な作業であると言える。

参考資料

ブログ文書集「民主主義と報道機能のありかたへの提言」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html

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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性

民主主義と報道機能(3)


三石博行


報道の自由とその報道への市民監視機構の必要性

マスコミ産業の私企業としての宿命を前提にするなら、マスコミに報道の社会的公正さを要求することの限界を理解しておかなければならない。すると、社会的公正をマスコミに要求することが間違いなのかという疑問が生じる。

もしそうなら、報道会社の商品(社会情報)が公共空間を活用することに関する国民的な監視機能があっていいのではないだろうかと考えた。つまり、あまりにもひどい情報、たとえば人権侵害情報、デマや風評被害情報を出す報道会社に対して、監視機関はクレームを掛けることが出来る。この監視機能はオンブスマンと同様に情報会社の公共性を点検する社会的機能である。そのため、その機能を維持する機構の検討が必要となる。オンブスマンのように、公的機能を持つことによって、この機能がより有効に働くと思われる。しかし、報道の自由は保障されるべきであり、その機能が報道の自由を圧迫するようになってはならない。

勿論、クレームを受けた報道会社は、そのクレームへの即時的な対応が法的に強制されていないなら、報道した会社の立場(報道の自由の)を守ることが出来る。このように法的な縛りがないのであれば、そのクレームにたいして、報道会社が同意するとは限らない場合が生じる。それも一応認めるべきである。報道の自由の視点から、報道会社の立場は尊重されるべきだと思える。

しかし、同時にクレーム情報も尊重されるべきである。そこで、市民の社会情報への監視機関が発するクレーム情報の公開を法的に擁護しておく必要がある。つまり、クレームを受けた報道会社はそのクレーム情報を公開する義務を課すべきである。また同時にその会社の主張も付け加えることで、報道会社の公共空間を使った社会情報の暴走を監視することが出来る。民間報道機能の報道の自由とその報道への市民監視機構の必要性を満たす社会情報システムの制度改革を進めることで、民主主義社会での報道の自由と責任体制を確立し、より豊かな情報社会を形成することが可能になるだろう。


参考資料

ブログ文書集「民主主義と報道機能のありかたへの提言」
1、国民主権の公共放送のあり方
1-1、 「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html


12月7日、誤字修正
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2011年10月22日土曜日

私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権

民主主義と報道機能(2)


三石博行


マスコミ報道は二つの要素を宿命として持っている。一つは、現状の政治権力の擁護機能である。もう一つは企業としての利益維持である。つまり、企業運営の成立しない報道(生産)活動はしない。その意味で、報道(情報生産)活動は市場原理に即して行われる。政治権力と真っ向から対立することは、経営上得策ではない。宣伝広告を出す企業を名指しで批判することは営業上不味い。一方市場(国民)のニーズを無視して紙面を編集することは顧客を失うため注意しなければならない。

こうした企業組織としてのマスコミについて理解をしておくことによって、国家のエネルギー戦略、つまり国策の原発設置の推進や巨額の広告費用を払う電力会社が推進する原発設置に対してマスコミがこれまで何遍となく繰り返された原発事故に対して根本的な批判を避けてきたのは当然の行為であると理解できるのである。また、日本の戦中のマスコミの果たした役割こそが、マスコミ報道機能の真の姿であることも納得できるのである。

また、東電福島第一原発事故によって、国民的な批判が盛り上がる中で、もし、マスコミが「原発推進」を言い続けるなら、多分、そのマスコミに対する国民的な批判が生じるだろう。そのことは顧客の喪失を意味する。そのリスクを冒してまで、いままでの主張(原発推進の主張)を言い続けることは得策ではないと判断するだろう。おまけに、原発事故処理で東電は今までのようにマスコミに広告を出すことは出来ない。もし、東電が広告を出すなら、その代金を被害者救済に回すべきだと国民から批判されるだろう。その意味で、マスコミが東電を批判することによる不利益は消えたことになる。そして、今まで、原発推進を言い続けたトーク番組が、原発批判をするようになるのである。金の切れ目が縁の切れ目であることは資本主義社会の道理であるが、マスコミの報道(情報生産)活動は端的にそして直接的にそのことを物語っている。

マスコミ活動に政治的志向性や社会的理念を求めることが間違いなのである。それらの報道(情報生産活動)は資本の論理で行われている以上、首尾一貫しない、また事実を報道しない、そして積極的に真実を隠蔽するマスコミをまじめに批判することが実は滑稽なのだろう。そして、こうした私企業としてのマスコミの情報生産活動の到着地点をアメリカのマスコミ報道に見ることが出来る。世界で何が起こっているか、マスコミの報道から聞こえてこない。ゲームはトーク、スポーツ、娯楽番組が殆どである。

そして、これらの私企業活動のマスコミの究極の姿を見るとき、公共性を持たない(持ち得ない)私企業の営業活動で、公共空間の電波伝達という資源を独占している彼らに対する対策が必要となることを痛感するのである。この空間は国民のものである。つまり、その電波を伝える空間を所有しているのは私企業ではない。彼らは、自分たちの企業利益のために、国民の所有する電波伝達空間を利用しているのである。


参考資料

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」


1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html


2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するために必要な改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html

2-2、公共報道機能の独立権の成立条件とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_5219.html 

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東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html


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2011年11月1日、誤字修正

2011年9月5日月曜日

マスコミの本音と報道の自由

民主主義と報道機能(1)


三石博行


野田政権が成立して、突然、多くの政府支持率や民主党支持率を獲得する状況をどう理解すべきだろうか。つまり、この支持率の変化は、野田民主党政権への評価と言うより、野田政権への期待であると言える。つまり、これまでの管政権への不満、政治への不信が、野田内閣が出来ることで、まるですべて解決したかのように思いたい国民の切ない気持ちだと思う。

現実の世界では、野田政権はまだ何もしていない。だから、本当は、国民は野田政権へプラスにもマイナスにも評価など下せるはずもない。ましては、つい昨日まで民主党政権を不支持であった国民が、政権を支持する筈もない。

つまり、このアンケート自体に何の意味もない。意味のないアンケートを新聞やマスコミは大々的に報道する。その意味のなさに関する説明は全くない。実は、ここにこそ、管政権の最悪のアンケート結果を書き続け、アンケート結果をまるで神様の声、世の中の正論として報道し続けてきた、マスコミの姿がある。

社会はその時その時のマスコミの報道に踊らされる。昨日まで原発推進だったマスコミが、こんどは原発反対を言い出す。昨日まで戦争に国民を借り出していたマスコミが、終戦と同時に民主主義を語り出す。マスコミと呼ばれる怪物に踊らされ、操作され、彼らの意図で世の中が動き出す、そうした間違った情報操作主義をマスコミに与えている原因は何か。

そろそろ、我々は、批判精神をもって世の中の動きを見るべきだろう。そろそろ、東電の支払う巨額の宣伝費に依存してきた私企業としてのマスコミの経営至上主義を見抜くべきだろう。そして、それがマスコミという企業の自然な姿である以上、そしてそれが企業マンとしてのジャーナリストである以上、いつまでも今までのようにマスコミ批判やジャーナリズム批判していて、基本的に民主主義社会の必要十分条件としての報道の自由と事実を報道するジャーナリズムの社会的機能(役割)の必要性を満たすことは出来ない。この問題解決には、マスコミという経営組織が必然的に持つ、企業としての定め・宿命を理解してあげなければならない。

つまり、マスコミ批判から自立した報道機能の形成へと課題を展開しなければならない。つまり、安全な食品を手に入れるように、利益追求型の食品企業にたよるのでなく、自分たちで安全な食べ物を作る運動を起こしたように、そろそろ、我々の自分の意見を発信する報道機能を持つべきだろう。持たなければ、我々の民主主義社会は作れない。

そのうち、もっとインターネット上で情報を発信する人々がウンカのように発生するだろう。そして、北アフリカや中東のように、その力を無視できない日が、この巨大マスコミ国家・情報管理国家・自主情報発信の後進国にも登場するだろう。

つまり、企業化した情報発信と社会や生活運動としての情報発信の在り方の違いについて市民が理解する日が遠くないような気がするのだ。

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東日本大震災関連ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html


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2011年10月4日誤字修正