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2022年11月12日土曜日

セクトに利用されない日本の選挙制度のための変革案

民主主義を醸成する選挙文化を構築するために




三石博行




どのように選挙制度を変革すれば、旧統一教会のようなセクトによって日本の政治家や政党が利用されないようになるだろうか。幾つか、今、私が思いつく点を書いてみた。もちろん、それだけでないと思う。今後、日本の民主主義を守る、もしくは醸成するために選挙制度の改革に関する議論と制度設計を行う必要がある。


1、小選挙区制と比例制のバランスを考える



現在、小選挙区制が課題になっている。確かに、この制度では多くの票が死票となる。そのため、小選挙区制を導入する場合、全国区で政党比例投票を行う必要がある。小選挙区で当選する議員数と比例で当選する議員数を同数にする。つまり、比例を半分にし、小選挙区の区割りを変えて当選者数を半分にすることで、小選挙区制での死票数を減らすことができる。

しかし、他方で問題も起こる。何故なら、人口減少の地方の区割りが今までのように県単位では出来ないかも知れない。とは言え、人口減少は日本全体の課題でもある。人口減少に合わせて衆議院は議員数を少なくしなければならない。今後、衆議院は人口の少ない地方では、二つ自治体に一人の小選挙区が出来ても不思議ではない。その上で、全国レベルの比例制を取り入れる。この比例制で政党政治が優位な立場を得ることになる。それは、マニフェストを選挙の基本におくことを推進するのなら、それなりの貢献をするだろう。

参議院は、各都道府県から一人の小選挙区制と全国レベルの比例制にするのはどうだろうか。参議院では人口減少した各自治体にもそれなりの発言権を持たすとよいのではないか。そうなると、一票の格差が問題になるかも知れない。それが日本国憲法に違反するとなれば、参議院でも上記した衆議院選挙の制度が良い。


2、立候補者の社会的身分保障



地方議会、知事選、衆参の国政選挙、全ての選挙で、立候補する場合、元の職場を辞めなくてもよく、また、落選した場合も、任期や自分から辞退した場合も、もとの職場に復帰できるように、議員の社会的身分を保障する制度が必要である。そうでないと、議員の世襲制が続くことになる。もしくは、確りした政党の立候補者のみが、落選のリスクを保障され、選挙に出馬できることになる。


3、マニフェスト、およびその点検に関する報告義務 



立候補者は選挙公約(マニフェスト)を必ず示さなければならない。なた、現職及び前職の立候補者は過去の選挙公約に対する自己点検及び第三者からの点検を示さなければならない。その点検で課題になったことを選挙活動中に報告、説明をしなければならない。それらの報告や説明を、口頭、文書、SNS等のあらゆる手段を使い出来る限り多くの選挙民に対して行う努力をしなければならない。


4 、立候補資格制度



地方議会、知事選、衆参の国政選挙の立候補者は、それぞれの選挙制度に付随する立候補資格を前提としなければならない。つまり、まったく一人で突然選挙に立候補することは出来ず、少なくともある人数、もしくはある政党や団体の推薦を前提に立候補しなければならない。

何故なら、選挙とはある政治公約や政治理念をもつ個人(立候補者)が、それに共感する市民から委託を受けるために行われる社会的行事である。それらの公約は、選挙以前に、すでに多くの市民と共に検討されていることが前提になる。選挙の時に、突然、ある個人が彼の政治理念や政策を訴える場ではない。多額の税金を使い行う社会的行事である以上、立候補者は立候補の条件を充たし、立候補すべきである。


5、選挙結果に対する全立候補者の報告義務



選挙は、多くの立候補者の中から、わずかの票数の違いも含めて、当選か落選かの二者択一の結果をもたらす。その意味で、ある立候補者にとっては不本意な結果と言えるし、またある立候補者にとっては当然の結果と思うだろう。いずれにしても、当選者や落選者のすべての立候補者が、その結果に関して、選挙が終わってから1週間以内に義務として選挙結果にたいする意見を述べることを義務化しなければならない。

何故なら、選挙は巨額の税金を使って行われる行事であり、その結果は当選であろうと落選であろうと、共にその経費に対する義務を持つ。その社会的義務を果たさない立候補者が次回、立候補することは出来ない。


皆さんはどう思いますか。また、皆さんとともに、「旧統一教会のようなセクトに利用されない日本の選挙制度」を構築するための議論や提案を行なえることを希望します。



フェイスブック記載 2022年11月12日

2022年11月9日水曜日

旧統一教会の戦略にはまる日本の選挙文化の構造的課題

- 国民との選挙公約 (マニフェスト)を基本とする選挙制度の構築 – 




三石博行




1、旧統一教会の選挙支援を受ける背景



なぜ旧統一教会が政党(特に自民党)に影響を与えられたのか。旧統一教会のエバの国日本はアダムの国韓国に無条件に貢ぎ続けなければならないとい教義は、駄々でさえ戦前の朝鮮半島の植民地政策を反省することのない国家主義を信奉する多くの自民党議員には到底受け入れられるものではないと思われる。だが、その統一教会と政策協定まで結ぶのだから、どうなっているのか不思議な話だ。

もし、国粋主義に命をかけた三島由紀夫がこのことを知ったら、統一教会に選挙協力を得ている自民党の議員たちを「似非民族主義者」として激しく糾弾してるただろう。だから、政策協定を結んだ自民党議員や旧統一教会やその関連団体で挨拶をしたり、教祖と記念写真を撮ったりした議員たちは、きっと三島が生きてなくてホットしているかもしれない。しかし、それでも日本会議の幹部は居るのだから、国粋主義の幹部からクレームをつけられたり、場合によっては、脅迫されたりはしないだろうか。それもないなら、この国の右翼も国粋主義もとどのつまり、極めて実利的プラグマティストだと言われるかもしれない。

しかし、自民党議員(自民党議員でなくても)が何故旧統一教会に政策協定書まで書かされたのか、その本当の理由を明らかにしなければならない。思うに、大半の理由は、候補者が「選挙に勝ちたい」からだと言えるだろう。それも人情としては理解できる話である。真面目に、彼らといえども、「エバの国日本とアダムの国韓国」の関係を信じてはないだろうし、また、「政策協定」も半分が真面目に読みもしないで、結んだものだろう。確かに、その中の多くが、自民党の政策と同じである以上、例えば「日韓トンネルの成功」などという馬鹿げた構想があったとしても、それは無視したのかもしれない。ただ、選挙に負けると議員という食い口を失うことになる。それは、誰でも理解できる「失業」という恐ろしい生活が待っているのだ。


2、問われる日本の選挙文化



この現実から、言えることは、むしろ、旧統一教会は日本の選挙文化の現実をよく理解していて、その上で、候補者の要求にそった選挙協力をしたのではないかと言える。つまり、候補者の弱みを理解し、どの政党の候補者がその弱みに耐えられないか、また、選挙協力した後に、一番利用できる候補者であるかを、この団体は極めて冷酷に理解していたと思う。その上で、長期的視点に立って、選挙協力をしてきたのだろう。

それでも、ほとんどの国民は怒りもしないし、マスコミも「なんて国民をバカにしたうるさいウグイスの鳴き声なのか」と批判さえしない。むしろ、選挙では候補者が金を持ってきてお願いに来るものだと信じて疑わない人々もいる。真昼堂々と、お金がばら撒かれることが起こる。これはいつの時代の選挙なのかと疑う現実が、つい数年前にあったし、それへの点検も然りとなされていない。これが現実の日本の選挙文化・民主主義文化の程度でなのだろう。

つまり、選挙では何をしても「当選すれば」いいのであって、負ければ、何の意味もないのである。当然は話であって、そのことを疑う人はいない。問題は、何をしても当選すればいいのかという疑問符が、世論に付いていないことではないだろうか。選挙とは、立候補者が、これまでどんな政策活動をしたか、どのような政治的意見や考え方を持っているか、と言うことを国民が評価し、そして、自分の代表として選ぶ制度である。選ぶ行為の中身こそが、選挙活動や選挙行為の内容を決定している。もし、そうしたことが全く課題に挙がらす、「よろしくお願いします」と、自分への投票を呼びかけるなら、そうした選挙活動が常識化しているのであるなら、候補者は、当然のように、どんな手段を使っても選挙に勝てばいいと考え、勝つためには何でもすることになるだろう。こうした選挙文化こそが、旧統一教会にとって、非常に簡単に政治家や政党との関係を作る機会を得られることになるだろう。


3、選挙公約(マニフェスト)に対する点検としての選挙文化の構築



つまり、旧統一教会が巧みに政党や政治家と関係を作り上げた背景を分析し、理解しない限り、旧統一教会との関係を断ったとしても、同じような過ちを、今後も、繰り返すことになるだろう。政治家たちは旧統一教会を利用しなくなっても、また新しい団体を見つけ出し、それを利用して、「勝つためには何をしてもいい」選挙運動を続けるだろう。従って、もう一度、選挙を政党や政治家のマニフェストとその点検活動を前提とした国民・市民の政治参加活動にしない限り、この問題は基本的に解決することはないだろう。

言い換えると、この問題で問われているのは、旧統一教会やそれを使った政治家や政党だけはない。政党が約束した政策の点検活動として選挙を行なえない私たち日本の国民・市民の民主主義文化のレベルの問題だとも思える。

しかし、今までマニフェストを基本にした選挙活動が課題になった歴史がある。2005年9月11日に行われた衆議院議員の総選挙では、各政党がマニフェストを公表し、それをもとに選挙戦が戦われました。しかし、 もっとも真剣にマニフェスト選挙を訴えた旧民主党が、そのマニフェスト選挙を破壊した歴史もあった。2012年、野田政権は選挙公約したはずの消費税の公約を破棄した。何故なら、当時、社会保険に関する財政基盤が深刻な課題となっていたため、その課題を解決すべく、消費税増額を決めた。確かに、確かな財政基盤を作り上げることもなく、政策を提案するのは間違いである。その意味で、野田政権の言うことも理解できる。しかし、問題は、選挙公約を破棄してまで、消費税を上げるということが、議会制民主主義の中で、問題にならないかという疑問である。野田政権は、まるで、自分だけが日本を救うために、どんな反対があっても「消費税を上げる」と言い出した。そして、自民党と共に消費税を上げた。そのことによって、マニフェスト選挙は消滅した。

民主主義とは、意思決定の過程を重視する制度や文化によって成立している。政党がマニフェストで国民と政策を約束し、国民から委託(1票を投票された)のであれば、その約束(マニフェスト)は、次の選挙まで守らなければならない。それが議会制民主主義の原則である。選挙によって選ばれた経過を無視し、まったくマニフェストに反することをするのであれば、それは、議会制民主主義を無視した行為であると言える。この国は「国民主権」の国であって、「議員主権」の国ではない。だから、選挙を通じて選ばれてた政治家は、日本憲法に謳われている民主主義の基本「国民主権」を簡単に反故にすることは出来ない。それは、約束違反、言い換えると詐欺行為である。

もう一度、マニフェスト選挙の文化、その制度を充実させる色々な仕組み作りを真剣に取り組まなければならない。そうでない限り、政治家はいつまでたっても選挙が来たら、票田の稲穂をどれだけ集めるかということだけに心を奪われ、選挙はでは選挙に勝ことが唯一の目的となり、これまで取り組んできた政策の報告、また、新しい政策への提案を訴える場としての選挙文化は育つことはないだろう。それは、取りも直さず民主主義文化を醸成する制度を失った社会・日本に対して、何もしないことを意味する。今、旧統一教会と政党の関係を問いかける時、単に、関係をもった議員たちを糾弾するだけでなく、それを生んだ構造を問題にし、それを基本的に改革するための努力をしなければ、これからの日本社会の未来はないと思う。


フェイスブック記載 2022年11月2日

2019年3月2日土曜日

日本学のすすめ(2)  

三石博行

市民参画型民主主義社会形成のために―


2、ホスト国家指導型政治体制を目指す課題・わが国の課題


2-1. 終焉する官僚指導型国家・現代日本の政治現象


1980年代に入り、日本の高度経済成長は終わった。そしてその後失われた20年と謂われる右肩上がりの経済成長のない、平成時代から始まる。この時代になって、これまで日本経済を牽引してきた国家指導型経済政策(官僚指導型経済政策)が有効な力を発揮できなくなるのである。しかし、この時代的な変化への対応が遅れた。何故なら、これまでの経済政策の基本的構造が破綻したことを、その牽引役を果たした官僚たちが認めることは困難であった。しかも、経済活動の主体が民間企業に移りゆく時代であったのだが、そのために国家が行わなければならない変革は、官僚指導型制度・経済規制制度の見直しや、その制度見直しの主体の変更が求められていのである。かくて、明治維新を成功させたように、革命の主体であった武士たちがその利権や経済的存立基盤を自ら放棄し、国家の発展のために犠牲になるという奇跡は霞が関では起こらなかった。

すでに、自由主義経済文化の発達した欧米、取り分け、英国やアメリカでは、巨大な民間企業が資本主義経済の推進主体となり、世界経済を席巻する力を持っている。日本の企業がその国際競争力を問われ、その力を自ら開発、形成、展開しなければならない時代に入った。現在の日本の資本主義経済を担っている企業は、海外市場でも活躍をしている国際競争力を持った企業である。

この時代の経済政策の指導者は官僚ではなく、民間企業やシンクタンク、またNOPの人々になって行く。勿論、官僚のサポートが全く必要ないと言うのではなく、これまでの果たしてきた官僚の役割が変化する理解すべきである。官僚指導型の終焉は、適格な経済政策への関与の欠落のみでなく、それらの制度や人材の劣化によっても生じている。例えば、年金問題での不祥事、森友、加計学園問題で明るみになった公文書の偽造は国民全体の利益を無視した「政権への忖度」、そして現在進行中の労働統計の不祥事問題、これらの現象は官僚指導型社会の終焉を意味する。

2-2. ホスト官僚指導型政策決定国家を目指す課題


最も急がなければならない課題は、この不祥事の追求に明け暮れるだけではなく、新たな時代、つまりホスト国家指導型資本主義経済体制のための制度設計の構築である。例えば、日本の企業がより強力なグローバル企業へと発展するための制度設計、先端技術制度を導入した社会インフラの構築に必要なすばやい科学技術・産業政策、さらには人口減少の進む社会での人的資源の有効活用、市民参画型社会構築、相互扶助型社会、女性の社会経済活動への参加推進政策、海外からの優秀な人材受け入れ制度、労働力資源の再教育・再活用強化、格差社会の是正、再生可能エネルギー資源社会の形成と発展、地方分権による日本国全体の経済活性化、等々が挙げられう。

現在の日本経済政策を考える時、アベノミクスに代表される「成長型経済政策」を再度点検しなければならない。何故なら、右肩上がりの高度成長経済現象は後発型資本主義社会の経済現象に見られる経済現象である。すでに高度経済成長が終わり、成熟型経済状態にある日本の経済戦略を考える必要がある。まず、それまでの高度経済成長を促した経済構造から、新たな産業構造に変革に何が必要であるかを考えなければならない。

その点で、2000年代に日本の経済政策は適格ではなかったと言える。大きな躓きは、2011年の原発事故のあとで民主党政権がエネルギー政策の変換を行おうとしたが、その後、自民党政権になれ、原発中心のエネルギー政策が復活し将来のエネルギー政策を大きく変更し、後退してしまったことである。また、高度情報化社会に向けて、インフラ整備を民間に任せておいたことによって、近隣国、韓国に比べて情報産業の育成が非常に遅れた。新たな産業を育成さるためには、国家が新産振興政策として指導する必要がある。また、新自由主義経済政策を取り入れ、過度の民営化政策が高等教育や人材派遣等、人的資源の育成と管理の事業に取り入れられ、大学教育への予算削減や派遣労働による若年労働者の質の低下を招いた。その他等々、成長型経済を前提にして続けられている多くの経済政策を点検する必要がある。

昨年以来、国会では政府自民党・安倍政権に対する批判が続いている。それらの批判の根本的問題は、現実の日本社会の問題解決力を持たない官僚指導型の政策決定機構にある。その解決は、大臣の首を切るだけでは済まないし、公文書を公然と破棄、もしくは改竄する官僚に重い刑罰を与えるための法改正だけでも基本的な問題解決策にはならない。勿論、やらないよりやった方が良いのであるが、しかし、先ず、これらの構造的問題は何かを考える必要がある。

2-3. 問われる行政・立法機能の改革と無力な利益集団・政党と官僚


日本社会の政治変革の構造的な問題は、すでに前節で述べたように、日本経済は高度成長期を終え、成熟型経済状態にあるということを理解すること、そして、その問題解決のための中長期の経済戦略を立てること、勿論、国民生活の細かいサポートを行うために目の前の現実的な経済政策を執り行っていくこと、である。問題はそれらの政策実現のために、官僚が中心になるやり方ではなく、より多くの民間の力を活用し、寧ろ民間が中心となりより多様な問題解決力を磨き上げていく体制作りを行うことである。そのために、官僚機構は、コージェネレーション機能として自らを改革し、問題解決のために、国全体の力、経済界、学術界、市民層、地方自治体等々の力を集めためのスキルを高め、システムを構築することである。

勿論、官僚機構の改革だけでなく、政治機構の改革も必要となる。政策提案や政策討議をしない国家とは、国民に対して無責任な集団であると言っても過言でない。つまり、議員は、自ら政策提案を出来る能力を持たなければならない。そのために、それぞれの政党は、その政党の政策理念を明確に国民に示す義務がある。そして、その理念に対して、すべての政治政策を提案しなければならない。ましては政府から提案提出される政策に対して、対案を出す義務がある。単に反対と批判を述べるだけでは政党として無責任であると言わざるを得ない。

しかし、現在の政党や政治家に政策提言を要求することは不可能かもしれない。何故なら、政権与党は各省庁に所属する専門家(官僚・役人)に政策提案や法律条文を書いて貰うことが出来た。また、野党は官僚の協力を全く得ることが出来ないために、自分たちの力で政策提言、それに必要な法律、条文や制度設計案を提案することが出来ない。そのため、野党は与党の提案に反対するか賛同するかの選択を迫られることになっている。これではホスト国家指導型政治体制を目指すことは出来ない。現在日本の深刻なす課題、官僚指導型国家を脱却するためには、野党が十分に政策提言を行える政治環境を整えるべきである。

勿論、与党も官僚達も、この考えには賛成することはないだろう。何故なら、野党は、反対ばかりして政策を出せない無能な集団であると国民に理解させた方が、与党にとって有利となるからである。また、官僚にしても、政策を決定する権利をわざわざ他の集団に明け渡すことで自分たちの利権を失いたくもないからである。この国や国民のことを優先して問題解決を行う姿勢の欠如、つまり、所属集団の利益を最優先し、現状に適用しない国家指導型政治体制を放置し、変革しないことである。国滅びて官僚あり、国民貧困化し政党あり、この国はもう一度、大変革を起こさなければならないのだろうか。

つづき


2017年10月11日水曜日

主権者としての社会的責任の自覚と理性 

私たちは主権者としての社会的責任を自覚し、政治に冷静な理性を求めます

 日本は「日本国憲法」によって、国のカタチを定め、国会で定める法律によって“法治”する立憲民主国です。思想信条の自由を人権として位置づけ、多元価値・多様性を尊重し合って主権在民の理念で成立しています。
 しかし、現実はどうでしょうか。安倍政権の5年間を冷静に吟味してみる必要があります。大臣を安倍首相の“お友達”で構成し、政治が私物化されているのではないでしょうか。安倍首相への「忖度」によって森友・加計疑惑は国税の使途としては不明のままです。国会で虚偽答弁の疑いのある財務省局長があろうことか国税庁長官に栄転しています。秘密保護法、戦争法、共謀罪などの国会審議においても、大臣達の答弁に混乱や虚偽が重なったにもかかわらず、オトガメなしで、審議不十分なままに強行採決されました。国民の信託を受け、国権の最高機関である国会、つまり主権者国民に対する侮辱です。
 今般の解散総選挙は政治の恥ずかしい実態を背景に混迷を極めています。「逃げ切り解散」と世間で言われているように、森友・加計問題で安倍首相は「誠実で丁寧な説明」する臨時国会を回避するためなのでしょうか、憲法の規定に沿った野党の臨時国会請求を先延ばしただけでなく、所信表明演説もしない冒頭解散という理不尽でした。ここにも憲法無視の「ご都合」が見られます。憲法の精神が踏みにじられて来たのです。
 このような恥ずかしい政治の現実の中で、アベノミクスは破綻が明白となってきました。ゼロ金利で財布のヒモはかたいままです。先行き不安が深刻だからです。笑っているのは輸出関連の大企業だけであり、中小零細企業は四苦八苦です。貧富格差は拡大し、庶民に希望はありません。社会的・経済的な閉塞感はやがて全体主義を引き寄せ、破局的未来につながりかねません。すでに安倍一強体制によって「忖度独裁」は進んでいます。憲法無視の「力の政治」は全体主義的です。希望の党も小池独裁で、その危険性を露出しています。
 時代の閉塞感は庶民の中に不安・不満と苛立を呼び、分かりやすい政策を独裁に求める危険があります。この危険のもたらす全体主義は壊滅的戦争への流れを強めることでしょう。すでに安倍首相はアメリカのトランプ大統領のお先棒を担いで危機感を煽っています。そして、国連の非核条約に反対しました。広島・長崎の経験を持ち、非戦の憲法を持つ日本国ですから、世界の不信感を集めたのも当然で、悲しいことです。
 このような危機的状況の中で、政治の混乱をどう受け止めるべきなのでしょうか。熱狂と興奮は危険な世への雪崩を呼ぶでしょう。私たちは冷静で理性的にものごとを見つめ、一人一人が主体的、自立的に主権者としての自覚を大切にしたいと思います。私たちは混乱に巻き込まれ、うろたえることはもちろん、小池劇場を楽しむ傍観者となるのは無責任です。一人一人の力は小さくとも、力を合わせ社会を健全にする社会的責任を自覚し、日本国憲法が認める国民の権利を行使したいと思います。

                           2017109
               
                    政治に冷静な理性を求める京都の有志

 石田紀郎、石野はるみ、伊藤正子、岩本真一、大津定美、大津典子、大見哲巨、岡田直紀、小川光、荻野晃也、小椋純一、落合祥尭川那部綾子、川那部浩哉、北川政幸、楠瀬佳子、黒田末壽駒込武、白井聡、新谷英治、住友剛、田平正子、槌田劭、中尾ハジメ、浜 矩子、平松幸三、藤原 辰史、細川弘明、松久寛、松良俊明、三木草子、三石博行、宮本正興、文殊幹夫、山田國廣、山田耕作、吉竹幸則、和田喜彦      


       連絡先:槌田劭(0774-32-6786)石田紀郎(090-1968-8004
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2017年1月9日月曜日

21世紀社会では人的資源が最も大切な社会資源となる

- 激動するグローバリゼーションの歴史の流れでの急がなければならない政策課題 -



三石博行





1、独裁型国家から民主主義国家への移行原因(資源論から見る)


21世紀社会のこれからの課題を考えるために、17世紀からはじまった近代合理主義、啓蒙主義、そして民主主義や資本主義の意味を、これまでの社会経済史の進化過程の中で、理解しなければならない。


そもそも、生物の世界では、種の保存が個体保存よりも強くはたらく。しかし、人間は、その逆だ。つまり、種の保存よりも個体保存を優先してしまう。そのため、私たちは社会規則、慣習、習慣、文化、社会制度という人工的な環境を創りだし、個体保存(利己主義)を抑えるシステムを構築してきた。


その意味で、封建社会までが、最も人類にとって種族保存には都合の良い、素晴らしい環境であった。しかし、近代主義、個人の自由や社会的平等が社会観念の本流を形成していった時代、確かに、自由という欲望の力によって資本主義経済が発展し、私たちは巨大な富を獲得したのだが、同時に、この自由の制御システムを摸索することになった。


最初の試みは、社会契約という考え方であった。つまり、「自己のエゴを認めてもらうために、他者のエゴを認める。それらのエゴの利害関係を前提にした社会制度・法を形成し、その法の支配を前提にした社会、つまり民主主義社会を形成する」という考え方である。


確かに、封建時代は、強力な暴力装置とそれを独占しる王権、独裁者によって、社会は運営されていた。意思決定は早いし、面倒くさい選挙や国民投票など不要で、王様や権力者の一言で、国が一つになって動いていた。その意味で、この社会制度は、意思決定機能に必要なコストを最低限に抑え、その分、国家の経済力を軍事力やその他に配分できた。勿論、権力者達がそれを支配し、その配分方法を決めていたわけだ。その視点から、見るなら、民主国家は、封建主義・独裁主義国家に比べて、恐ろしく非効率な制度を前提にしていると言われるだろう。


しかし、封建主義国家では、国家運営に活用できる人的資源を獲得できるストックは支配者階級を支える階層(貴族階層、武士階層)と限られている。勿論、封建社会の政権運営には、それで十分であったとも言える。しかし、より高度の政治経済機能を前提にして成立している近代国家では、一部の支配階層の人的資源では、国家運営を担うことが出来ない。国民国家として、国民すべての人的資源を活用することで、近代国家は成立する。国民への義務教育、徴兵制度、納税制度等々、それらは、近代国家の運営の一つを物語る。


封建・独裁国家が持つ意思決定の速さ、その経済効率を、民主主義国家では豊かな人的資源の活用によって、より高度の生産性と経済効率の良さを獲得する方向で進化してきた。もし、この進化の方向を予測するなら、未来の社会経済システムは、より広範囲の人的資源ソースを獲得し、そしてそれからより質の高い人的資源をより多く活用することが出来る社会制度になると思われれる。


2、21世紀型の社会経済システムへの進化プローセスのデザインとは何か 


それを実証するように、ソビエト連邦が崩壊した。また、文化大革命によってより強固な社会主義体制の確立への政治路線を修正し「国家資本主義化」の道を選んだ中国ように、社会主義経済は実質、崩壊した。崩壊していない国がるとすれば、朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)だけである。しかし、それも、多分、今後、大きく政治路線を修正し、中国型国家資本主義を目指すことになるだろう。


未だに、欧米型民主主義国家が一般的民主主義社会の典型として世界化しないのは、富国政策の要である近代化政策に、それぞれのやり方があることを、世界、特に欧米日本を中心とする経済先進国は理解しなければならない。


今更説明するまでもないことだが、中国型の一党独裁型国家資本主義経済制度と国家支援の国有企業経済が、意思決定の速さ(経済効率)と大衆化した共産党を土台とするより豊かな人的資源の活用によって、急速な経済発展を可能にしようとしている。事実、社会主義を名乗る中国は一党独裁型国家資本主義制度の中で、急速な近代化、工業化、資本主義化、市場経済化、国際経済力を付けて来た。こうした新しい近代化政策やそれを支える政治制度を、旧来の社会主義対資本主義という古い視点で見る限り、その基本的構造を理解することは出来ない。


近代化の遅れたアジア(ロシアを含む)では、近代化は、かくてイギリスやフランスが成し遂げた市民革命、西欧民主主義制度を類似して進行することはない。そのことは日本の明治維新、そして明治・大正・昭和初期の天皇制日本帝国の歴史を振り返ることでも理解できるだろう。 いずれにしても、今後、社会経済システムの進化は、資本主義経済を生み出した民主主義国家の基本的な路線を踏襲しながら、それらの民族国家の歴史や伝統、資源状態を前提にして進むだろうと思われる。


321世紀社会の重要課題、人的資源の育成、確保、維持


その意味で、21世紀型の社会経済システムを構築するためには、大きく二つの課題が問われる。一つは、その国の伝統や文化という言葉に凝縮された過去の資源形態、そして、もう一つは、現在の社会経済システムを稼働している現在の資源形態である。その二つの課題から、まず、第一の課題、伝統や文化という言葉に凝縮された過去の資源形態を活かし、これからの社会経済システムの進化プローセスを設計(デザイン)することが問われる。そして、第二の課題では、グローバリゼーションの流れの中で存続可能な社会と人々の在り方を課題にする社会制度設計が問われる。


第一の課題では、以下のテーマが問われる。

1、伝統文化、生態文化を重んじ、また他国、異文化理解、多様性を受け入れる豊かな教育文化と教育制度の確立を行う。

2、伝統産業と先端産業の融合による、文化と人的資源の開発・イノベーションを進めるための研究開発を促進する制度や教育を充実させる。

3、グローバリゼーションの流れの中で持続可能な多様性を基調とした地域社会の在り方を摸索する。


また、第二のっ課題では、以下のテーマが課題となる。

1、より広く人的資源ソースを獲得する社会制度の構築、豊かな教育文化と教育制度の確立を行う。つまり、教育環境、教育内容、国民皆教育制度(教育の無料化)の充実が大切な課題となる。

2、また、より素早く社会変革に適応する人材形成の制度構築、豊かな再教育制度。つまり、新しい産業構造に順応し、またそれを担う人々を育成する制度が必要である。そのためには、既存の学校制度(大学や専門学校)をそのために活用すべきである。そして、すべての人々が、多様な、しかも自主的・主体的な再教育制度を受けられるように改革を進めるべきである。

3、教育を重要な社会インフラとして位置づけること。つまり、より多くの人々が、その教育社会インフラの向上や維持に参加できる制度の構築が必要である。教育インフラを社会全体、市民全員でサポートする制度を形成すべきである。


421世紀社会の重要課題、政策決定過程への市民参画型社会の形成


グローバリゼーションが更に進行する21世紀の社会経済システムを構築するために、参画型市民社会の形成、多様性を受け入れる力をもつ社会文化の形成、変化する産業構造に対して新しい産業構造を構築できる人材育成と再教育制度、研究開発機構、必然的に進行する格差社会に対する社会政策、社会福祉保障、教育政策、等々、敗者復活戦を可能にする社会、意欲ある人々に挑戦の機会を与える社会、つまり人的資源の確保や維持を重要な課題としえ取り上げる社会の仕組みが必要となる。


これらの課題を解決しようとする社会が、21世紀型社会経済、つまり、社会経済のグローバリゼーションの流れの中で生き延びることが出来る社会となるだろう。一言でその進化の方向とは、民主主義文化の徹底化であると言える。しかし、現在、世界のあらゆる国々の政策や政治の在り方を見る限り、必ずしも、そうはなっていない。逆に、民主主義を抑制し、国家的統制を強化し、国民から政治参画の機会を奪い、また国家の情報を安全保障に関わるとして隠蔽し、強引な国家運営を行う傾向にある。そうした傾向を推し進める政治家の言い分は、「意思決定の速さ」と「国家安全保障」のためと言うことだ。


例えば、最も典型的な国家として日本、わが国のエネルギー政策をその例に挙げることが出来る。1973年の第一次石油ショック、1979年の第二次石油ショックを受け、エネルギーの海外依存を続けてきたわが国のエネルギー安全保障の見直しが進む中、原子力エネルギー政策が大きく歩み出した。資源・エネルギー・食料の自給は国家安全保障上、極めて重要な課題であることは言うまでもない。当時は、再生可能エネルギーは化石燃料よりも高価であった訳で、原子力発電をベースにしたエネルギー政策を立てたのは、日本だけではなかった。しかし、原子力発電の安全性は極めて問題であった以上、その政策決定を、検証する必要がある。化石燃料に依存しないエネルギー政策を、当時、原子力以外に摸索することが出来たのかという反論もあるだろう。その意味で、当時のエネルギー政策を、現時点から評価することは、難しいのであるが、安全性の課題を、隠蔽し、原子力発電を建設し続けたことは、大きな誤りであったと考える。


もし、このエネルギー政策を、民主主義社会の進化を推進する条件を取り入れて、展開したとすれば、政策過程に、これまでの歴史的経過と、どのような違いが生じたいたか、その違いを仮定してみよう。


1、原子力発電の仕組み、管理体制、その安全性に関する徹底的な情報公開を行い、誘致する地域、及び、原発事故を想定して、被害が及ぶと仮定される近隣地域の市民を含めて、枯渇する化石燃料(海外の)に依存する日本のエネルギー政策・安全保障に関する議論を行う。

2、原子力発電の危険性や安全性を訴える科学技術者、その有用性、必要性を訴える経済人、政府、地方行政等々の専門家の意見を社会的に公開し、市民のコンセンサスを得る活動を行う。


以上のような、情報公開、市民参画のエネルギー政策を進めることができるなら、原発建設を同意し、建設されたにしろ、また、その逆に建設が中止されたにしても、エネルギー問題を国民的課題として考える機会を得ただろう。そのことで、国民間では、どのようなエネルギー安全保障に関する意識が高まっただろうか。例えば、省エネルギー国民運動が起こらなかったか。また、市民共同での小水力発電、風力発電、太陽光発電、太陽熱利用、等々の再生可能エネルギー政策を支援し、推進する国民運動が起こらなかっただろうか。これが、ここで、簡単に仮定できた海外に依存し、かつ枯渇し続ける化石燃料に依存しない日本のエネルギー政策に対する国民的な参画、サポート、支援活動ではなかったかと思われる。


しかし、今述べてことは夢物語と一笑されても仕方のない話である。つまり、歴史的現実は、まったく、それとは反対の流れを作り、そして、50基を超える原発が建設され、それらの燃料を自給するための核燃料サイクル、高速増殖炉よって原発で生産された劣化ウラン(ウラン238)がプルトニウム239に変化し、それを更に核燃料として再利用するいうストーリーで現実は進んだ。その結果は、今更、ここで言うまでもないだろう。


問題は、国家の最も重要な政策に関する情報が国民・市民に公開されず、また、政策決定過程が闇に包まれ、一部の与党政治家、官僚、専門家と原子力関連産業の幹部によって、政策が決定されてきたことである。この意思決定の構造は、前記した封建時代や独裁国家の意思決定の手法と類似している。原子力発電所建設をめぐる多くのステークホルダーの意見を取り入れていたら、建設は不可能であると理解した上で、民主主義社会では考えられない独裁的な決定方法を選んだ。その結果が、福島原発事故であり、そのために国民が受けた被害とさらに100年以上も掛かる事故処理や巨額の税金、国民負担である。


この失敗を再び繰り返さないためには、市民参画型のエネルギー政策を行うしかないのである。しかし、まだ、日本国民と政治はそのことを理解していないようである。となると、もう一度、福島原発事故に近い、災害を繰り返す可能性があると考えるべきである。



2016年11月23日水曜日

よく状況を理解するしかない現実


アメリカではポピュラリズム扇動したトランプ氏が大統領選挙を制した。その状況を巡って、日本では色々な意見が出されている。反安倍政権の側でも彼に期待する人々がいる。彼だと、米軍が沖縄から撤退するだろう、TPPから撤退するだろう、シリアから軍を引き上げるだろう、ロシアと上手に外交するだろう等々。私は分からないので何も言えない。

彼の人事を観る限りそうでもなさそうだともいえる。しかし、明らかにこれまでオバマ大統領が行ってきた国内外の政策を変更することには違いない。

私の懸念は、ただ一つ、トランプ氏を支持した格差社会にあえぐ白人労働者たちが、結局、トランプ氏の政策では救済されず、その怒りを、更に過激な主張に吸収されることである。こうして、ナチも生まれた。イギリスを含むヨーロッパで巻き起こる極右運動は、いずれにしても国際平和維持にとって大きな支障となるだろう。

それは、アメリカのイラク戦争、その後の国家の壊滅、貧困、そして紛争の連鎖の中で苦しむ中東、そこから生まれたIS、それによって引き起こされている新たな戦争への道と類似するように思える。

何が正しいのか、何を選択すべきなのか、何を支持し、誰と共に行動するのか、実に、見えにくくなっている。だからこそ、常に、原点に立ち戻り、歴史の流れを理解し、よくよく考えながら行動する生き方を選ぶしかないと思う。

2016年11月11月22日 Blog記載

2016年8月22日月曜日

官僚の力に敗北した民主党政権の歴史

政治活動の基本としての政策点検と政治思想点検(1)


2009年7月、民主党政権が成立した。多くの人々が政権交代に期待した。また、民主党政権成立は、同時に、マニフェスト選挙という新しい民主主義政治文化の形成も意味していた。21世紀の成熟した民主主義文化の社会・日本の始まりと、民主党政権の成立は、重なり合って、国民に大きな期待を与えたようにも思えた。

しかし、民主党政権は、その始発から熾烈な官僚体制との死闘を繰り広げ、官僚のボイコットが起こり、行政機能はマヒしていた。まさしく、民主党政権の本当の敵は自民党ではなく、霞が関の官僚達であったと言っても過言ではなかった。

陰険で狡猾、そして高度な策略と直接的に政権運営の機能性を左右する行政力を持つ官僚制度、それこそ、明治以来、日本の近代化を成功させ、戦後の復興に起用した日本で最も有能な集団、それが官僚組織であった。その強烈な集団を敵にして戦えるほど民主党は強くもなければ、有能でもない。だから、その勝負はあまりにも、明らかだった。

例えば、最も典型的な事例は、小沢一郎という政治家の社会現象である。それこそ、民主党政権を語る政治指導型権力と官僚とのし烈な闘争劇であったとも言えるだろう。

そして同時に、その闘争は、菅直人という政治家現象とも言える、原発事故をめぐる官僚と政府との駆け引きが闘争として展開しながら、ついには民主党政権が官僚に敗北しその強烈な官僚軍団に平伏した。それが野田政権という政治現象と言えるだろう。

つまり、民主党は自民党に負けたのではなく、官僚に徹底的に負けた。そして、政治権力を失った。
もはや官僚のいう事を聴くために、彼らはマニフェスト選挙運動の在り方までも破棄した。そして、国民との選挙公約を軽々しく破棄し、消費税を上げた。消費税を上げることが悪いのでなく、マニフェスト選挙という間接民主主義制度の中で、国民主権を強烈に推進する政治手法を破壊したことが、最も民主党政権の犯した大きな間違いで会ったことにする気付かなかった。

そのことが、彼らが民進党と改名したとしても、今日の国民の民主党政権を担った政治家への不信となっていることに気付くべきだと思う。

そして、我々は、民主党政権を根底から解体した力を持ち、また、今日の自民党政権を実務的に支える強烈な軍団·官僚制度に対して、より正確に理解することを求められている。

つまり、彼らを超える、政策と行政の専門家集団を国民自ら準備することが出来るのかという課題に実践的に取り組まなければならないのである

2015年1月22日木曜日

「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」

 目次

三石博行



はじめに 「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回」は可能か
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_68.html


1章 成長経済主義を超える社会経済思想の形成にために(仮称)

1-1、新自由主義経済思想批判と生活経済主義の成立に向けて(仮称)

「成長経済の終焉はどのように可能か 」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post.html

「金融資本主義、新自由主義的経済から脱却できる経済システムは可能か、脱資本主義社会経済システムは実現可能か 」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_20.html

「経済活動の自由と公共性の両立を目指すために」(仮称)

「資本主義経済思想の何が問題なのか」(仮称)


1-2、生活資源論から解釈される成熟循環型経済社会論

「生態・社会資源の限界と国家の形態」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/11/blog-post_5.html

「生活資源論から解釈される成長経済主義の限界」(仮称)

「生活資源論から解釈される循環型経済の合理性」(仮称)


1-3、巨大科学技術文明批判と市民参加型科学技術文明の創出に向けて(仮称)

「巨大科学技術文明社会のアンチテーゼから社会改革の理論と政策提案へ」 
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_16.html

「成熟循環型経済社会の形成に向けて近代科学技術思想の何が課題なのか」(仮称)

「成熟循環型経済社会に向けて近代社会経済思想の何が問題か」(仮称)

「近代社会経済思想の課題の一例 (死体とうんこ)
http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_10.html



2章 成長経済主義を超える社会経済運動の形成にために(仮称)

2-1、社会参画型市民活動と生活運動・生活思想の形成(仮称)

「市民民主主義社会発展のための政策研究集団としての縮小社会研究会活動」 
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/08/blog-post_3059.html

「槌田氏の使い捨てを考える会の活動について思うこと」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/06/blog-post_15.html

「エネルギー資源、食糧の地産地消運動を支える社会活動」(仮称)

「社会・政治参画型生活運動の形成と民主主義文化の原則」(仮称)

「新しい経済社会活動形態・プロシュマー(生産し消費する市民)とは」(仮称)

「資源・エネルギーの地消地産活動を目指す生活経済活動とは何か」(仮称)


2-2、再生可能エネルギー社会の形成に向けて(仮称)

2-2a 太陽エネルギー利用の課題

「太陽光発電システムは未来社会のエネルギー生産を担えるか」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/10/blog-post.html

「未来社会からみた太陽光発電システムの課題」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/10/4-1-20-gepgdpgnp-gdpgep.html

「太陽熱エネルギー利用の課題」(仮称)


2-2b 風力エネルギー利用の課題(仮称)


2-2c 地熱エネルギー利用の課題(仮称)


2-2d 海洋エネルギー利用の課題(仮称)


2-2e バイオマスエネルギー利用の課題(仮称)


2-2f 省エネルギー技術開発とその課題(仮称)


2-2g 再利用可能エネルギー技術開発とその課題(仮称)



2-3、成熟循環型経済社会を実現するための社会文化設計について(仮称)

「成熟循環型経済社会を可能にする生活スタイルの設計」(仮称)

「成熟循環型経済社会を可能にする都市計画の設計」(仮称)

「成熟循環型経済社会を可能にする地方社会の設計」(仮称)

「成熟循環型経済社会を可能にする地域社会文化の設計」(仮称)

「成熟循環型経済社会を可能にする教育文化の設計」(仮称)


2-4、成熟循環型経済社会を可能にする国際政治の課題(仮称)

「地域国際共同体(東アジア共同体)の形成と国防政策の経済的意味」(仮称)

「成熟循環型経済社会を目指す地域国際共同体・政治体制の形成の意味」(仮称)

「成熟循環型経済社会を目指す教育コンソーシアム形成の意味」(仮称)

「成熟循環型経済社会を目指す市民活動の交流形成の意味」(仮称)



3章 成長経済主義を超える思想運動の形成にために(仮称)


これは、私の取り組まなければならない主な課題であるが、常に、哲学や思想がすべての社会活動や生活運動の前に来て、議論される傾向を否定し、敢えて、それらの思想的言及を、最後の章にした。何故なら、思想とは、実際の社会経験や生活経験を経ながら検証され、確立するものであると思うからだ。

2014年12月28日日曜日

選挙権を放棄することは国民主権を放棄すること

民主主義の危機(1)



三石博行




よく、政治家が悪いから良い国にならないと言ってしまう。しかし、そう言ってしまっていいのだろうかと思っている。何故なら、この発言には選挙権を持っている私の立場や責任は一切問われていないからだ。

問われることのない有権者の責任をよく現しているのが、選挙運動の時に流される候補者のメッセージである。選挙の時、「宜しくお願いします」「力を貸してください」と選挙カーからのあいさつが聞こえる。


簡単に言うと「一票を入れて欲しい」というお願いなのだが、お願いする人々のお願いを聞いて私は一票を入れるのだろうかと考えなければならない。つまり、これは誰のための選挙なのか。立候補者のための選挙なら、彼らのお願いを聞いてやって一票を投じることになる。

私たち有権者の意識がその程度である限り、「政治家が悪いので、政治が悪いので、国が良くならない」と言ってはならない。何故なら、すでに、その時点で、社会や国を少しでも良くために選挙に参加していないからだ。ましては投票にも行かないのだから、政治の責任を政治家のせいにするのは間違いなのだ。

国の運営は国民が行うと言うのが憲法で謳われている「国民主権」である。その代理人として我々は議員を選んでいる。それを間接民主主義と呼んでいた。若いころ、その間接民主主義がおかしいと言い出し、直接民主主義を主張したこともあった。しかし、国民全員を入れる議会場を造ることは不可能だ。そうだとすれば、より国民の総意を活かす間接民主主義の運営の仕方が必要だということになる。

まず、選挙に行くことだ。そして自分の意志で立候補者を選ぶことだ。もし、選ぶための資料がなければならない。そのために、立候補者のマニフェストを読むことになる。しかし、良いことばかり言って、やることはいつも別のこと、まったくマニフェストを実行しない、もしくはマニフェストと逆のことを平然と行う政党や政治家もいた。それで、私たちは、政党や立候補者がこれまで何をしてきたかを知る必要がある。よく言う自己評価や他者評価である。真面目な政治家や政党は自己評価を行っている。

しかし、殆どはそうでない。少なくとも、自己評価のない政治家には入れない方が良い。また、もっと積極的に政治的中立のNPOなどの評価があれば、それは大いに参考となる。その資料を参考にしながら、どの立候補者に自分の一票を投じればいいかを決めるとよい。これが間接民主主義で行うより国民主権の活かされている選挙だと思う。

そうした選挙であれば、国民は選挙で多数を占めた政党の政策を尊重するかもしれない。何故なら、それが日本国民の過半数の意見だからである。自分と異なる立場や意見が過半数を超えているという現実を真摯に受け止めることが出来るだろう。

しかし、それだからと言って何も自分の意見を変える必要はない。それでも納得いかない点を指摘し、それに対する批判をし、またそれに対する改善策を提案すればよい。次の選挙まで、多数派の政党の政策に反対する政党や団体と共に、政治活動を続ければいいのである。

それでも、既成政党が信頼できないなら、同じ意見を持つ人々をソーシャルメディアを駆使して組織し、積極的に政策提案活動や議員評価活動を起こすことも出来る。自分なりの政治への参加活動を始めることも国民主権では保証されているのである。

これらの全ての活動があって、民主主義は守られ、発展していく。今、日本で問題になっている「民主主義の危機」の問題は、安倍さんのやり方にあると言うよりも国民の政治意識の問題にあると言わなければならない。つまり、一言で言えば、「国民主権者」としての日本国民としての自分の責任を果たすことが求められている。そこから始めなければならない。

勿論、政治への参加とは、色々な参加の仕方があり、色々な意見があり、色々な提案があり、それらがすべて国民主権と呼ばれる異なる色彩空間にばら撒かれた色々な色の点として自分自身を自覚し、また隣の人を理解することから始めなければならないだろうと思う。

全国の有権者の半数近い人々が投票しない私たちの国で、当然、選ばれた人々は、そのことを緊急課題として解決しなければならない。国民が政治に責任を取る国にするための制度作りを急がなければならない。もちろん、政治家に任しては、この問題は解決しない。そのためには、自分たちの身近な人々、家族、友人、地域社会の人々と政治を語る生活文化を育てなければならない。そして、何よりも、小学校から国民主権と選挙をする国民の義務を教えなければならないだろう。

そのために、政党や政治家の政治活動に関する評価が社会に公開され、それを常に監視する社会文化を育てなければならないだろう。国民主権を守り、民主主義の社会文化を育てるためには、非常に多くのことをしなければならないことに気付くのである。


12月26日 フェイスブック記載文書







2013年12月17日火曜日

現在、我国で問われている政治改革の課題

国民主権の政治改革を目指す


三石博行


はじめに 問われている国民の政治参加に関する責任

今、日本の政治文化は危機に瀕していると言える。その大きな原因は国民の政治に対する無責任さにある。例えば、国政や地方議会や首長選挙には行かない。政党の無責任はマニフェスト違反を簡単に見過ごしそれに対して批判をしない。政党への不満を口に出すだけで、そうした政治文化になっている自分たちの政治参画を自己批判しない。それらの無責任な我々の政治に対する姿勢を正さなければ、今後我々は未来に大きな禍根を残すだろう。現在、我々が問われている政治改革の課題、特に我国の現在の小選挙区制度での議会制民主主義の成熟に関する課題を分析してみる。


1、小選挙区制度は現在の日本社会の政治文化に適しているか

http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html


2、国民主体の政治改革の基本課題としての「市民の議員活動監視システムと情報公開制度の形成」

2A、 始まった野党連合形成への動き

2B、 市民の政党監視機能をシステムの必要性

http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/12/blog-post_17.html


何が二大政党政治文化の成立条件とその基準となるか

3A、 二大政党政治の成立基準とは何か

3B、 旧来の二大政党政治時代の終焉の意味、 階級社会から市民社会への変化

3C、 二大政党政治の成立する政治文化の条件

http://mitsuishi.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5459.html



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何が二大政党政治文化の成立条件とその基準となるか

問われる政治改革の課題(3)


三石博行


二大政党政治の成立基準とは何か

国民主権の社会を形成維持して行くために、市民の政治運営に関する監視機能システムを作ることが早急にできない現状で、まず、我々市民国民は地方から国政にわたるすべての選挙に対してどう行動すべきなのだろうか。つまり、どのような段階を経て、国民主権主義の社会、民主主義社会を発展させることができるのかという具体的な市民民主主義社会化の政策を考える必要がある。

政策の具体的提案である政策提案(マニフェスト)とは、政党の政治理念を前提に提案されたものである。その意味で政党の政治理念がまずそれらの政党行動の基本となる。現在の日本の政党はそれぞれの政治的理念を持っている。その理念に共感する多様な市民が存在することで政党の存在理由が生まれている。

各個人は色々な生き方や社会に関する価値観を持っている。それらの価値概念によって、政治的側面が政党の理念を理解し、評価し、批判している。私個人のその価値概念を前提にしないで、それらの多様な価値概念のすべて述べることは幾分困難である。がしかし、できる限りそれらの多様な価値概念の全てを理解する主観的な努力をしなければならない。何故なら、それが民主主義文化を認め発展さそうとする基本的な姿勢であるからだ。

世間一般に言われる政治的立場の大きな分類用語として「保守」と「革新」という用語がある。一般的な保守や革新の概念はない。伝統的な社会制度を維持することを保守と呼び、それを変革することを革新と呼ぶなら、憲法改正は革新となり護憲は保守と言うことになる。またこれまでのエネルギー政策を維持することは保守であり、それを変革することが革新となる。保守と革新ということはイデオロギー的にも同じことが言える。中国では社会主義思想とその体制を維持する勢力は保守勢力であり、資本主義化や自由主義を持ち込もうとする勢力は革新勢力と言われる。つまり、保守と革新という用語では政治的立場を相対的に比較することは出来ても、政策に関する評価を行うことは出来ない。

良い例が、安倍政権がいう「積極的平和主義」という政策用語である。積極的と消極的という二つの対立概念を用いるなら、軍事力を背景にして力による国際平和を維持する政策は積極的平和主義であり、軍縮によって軍事力を削減縮小しながら平和共存を求める政策は消極的平和主義と言えるだろう。核武装による核戦争の可能性や危険性を高めることによる危機感を逆手に取って、その核戦争の可能性を封じ込めることは、核武装をしないで核戦争の可能性を防ぐことに対して、積極的平和主義と呼ぶこともできる。つまり、軍事力を持つことで平和を維持することが「積極的平和主義」の考え方である。

政策を保守や革新または消極的や積極的という抽象的な用語によって表現しようとするのは政策の本質を暈(ぼか)したい意図があるからである。政策とは市民国民がその具体的な課題や方法をよく理解できるものとして存在している。何故なら、それらは生活に直結する政治的方針であり政策であるからだ。従って、政党の政治理念も同じように抽象的でな用語でなく、具体的に市民が理解できる概念で表現されるべきだと思う。


旧来の二大政党政治時代の終焉の意味、 階級社会から市民社会への変化

政治思想の立場から考えると、市民民主主義社会の成熟と国家主義社会の形成の二つを挙げることにする。北朝鮮を代表とする一党独裁の社会主義思想や戦前の天皇制社会は国家主義的思想であり、欧米型資本主義社会は市民民主主義思想を代表する。その意味で、日本の戦前戦中の社会は国家主義社会思想を基本とし、戦後社会は市民民主主義社会を目指していたと言える。その視点に立って、日本の政党を観ると、自由民主党をはじめ他の全ての政党に於いても、それらの政党の理念が市民民主主義社会思想と国家主義社会思想に分かれている訳ではない。自民党の中にも、二つの社会思想を持つ党員や議員が存在している。また他の政党にしても、例えば日本共産党の中にも古い社会主義国家を理想としている国家主義思想の持ち主がいるだろう。

その意味で現在の日本の政党は実に分かりにくい。分かりやすい政党は自民党と共産党の二つである。それ以外の政党は、伝統主義(保守)と社会革新主義、国際主義と国粋主義、アジア重視型か欧米重視型、護憲と改憲、原発推進と脱原発、軍拡と軍縮、資本主義と社会主義という概念からも分類し難い。もし、二大政党化を目指すなら、国民が理解できるわかりやすい政党政策の棲み分け分離が必要だ。政策の違いで政党が成立するなら、高度に発達した社会では多様な政治的課題が多くなり、それの伴い異なる政党が多く存在することになる。以上述べて二つの対立概念のそれぞれの組み合わせで異なる政党ができるなら、主要政策数の二乗倍の勢いで政党ができることになるのである。

この政党の多極化は、これまでの政党政治の概念が高度に発達した科学技術文明・市民民主主義社会では通用しないと言うことなのだろうか。そうだとすると、二大政党政治を前提として導入されている現在の小選挙区制度を変える必要がある。しかし、小選挙区制度を廃止する選挙改革がすぐに可能でないなら、二大政党化に向けた対自民党を掲げる政党連合が必要である。しかし、そのための何らかの視点が必要となる。その視点は反自民という立場だけでは成立不可能である。

現在の自民党政権に対して、つまり1、伝統主義(保守)の自民党主流派と政治改革や行政改革等の社会革新を目指す潮流、2、国家主義に対する国民主権主義、3、アメリカ重視主義に対する東アジア重視主義、4、改憲に対する護憲、4、原発推進政策に対する脱原発・再生エネルギー重視政策、5、軍拡主義に対する軍縮志向、6、官僚指導型社会に対する民間指導型社会、7、中央集権型社会に対する地方分権型社会化等々の具体的な政策によって現在の野党政党勢力群の分離と連合を進める必要がある。

その視点に立てば、みんなの党が分裂したように日本維新の会は東西に分裂することになる。民主党でも原発推進派の仙石氏や野田氏、また親米主義の前原氏と脱原発派の管氏の分裂は避けられないだろう。自民党を中心とする野党の親自民党人脈が集まり、またその逆に自民党と上記した7つの主な政治路線を巡る判断基準を基にした政党再編が必要となるだろう。これらの視点から二つの政治勢力が形成される。

しかし、この二つの政治勢力に組み込まれない政治勢力が存在している。それらの勢力は左派を称する政治勢力で、元々政権与党を目指して活動していない政党である。そのため政策提案活動を政治活動の中心に据えない。もっぱら批判政党として機能している。例えば、共産党や社民党がその代表例である。そして日本緑の党もその中に含まれるだろう。これらの左翼反対派政党は、それなりに反対派少数者の支持を得て存続し続ける。

これまでの言及を簡単にまとめるなら、日本では欧米型の二大政党政治は成立し難いと言える。その主な理由は、国民主権主義文化の発達していない日本の民主主義社会文化の未熟さにある。現在の日本社会では、政党活動が古い階級社会思想を土台にていた形態から脱却できていない。つまり、労働組合、農協、医師会、商工会議所等々の利益団体に支えられた政治活動が主流で、多様な利害関係が複雑に入り組んだ現代社会の市民を前提にした政治活動の文化が形成されていない。そのために選挙活動となると既得権益を守る人々の活動が活発化してしまうのである。


二大政党政治の成立する政治文化の条件

その意味で、我々の社会は21世紀型市民社会の様相にあった新しい政治文化の在り方を模索しているとも言える。新しい市民社会に適した市民政党文化は成熟していない。その中で、既成政党活動の限界が民主党政権が生まれる前の自民党の分裂、民主党政権の成立であり、また同時に第一次民主党政権の限界と破綻でもあった。

つまり、第一次民主党政権の破綻(失敗)を真摯に学ぶことによってしか第二次民主党政権(反自民政権)の形成の可能性はない。しかし残念なことに現在の民主党政権はそのことに気づいていない。何故、議会制民主主義の基本であるマニフェスト選挙を確立しながら、それを裏切ったのかということを真摯に反省すらしていない民主党現執行部から、これから進む反自民政治勢力を担う力量もまた信頼も生まれないことは確かである。その真剣な反省を受け止めない限り民主党は今後影響力を持つ政党になることはない。

つまり、言い換えると政治思想なくして二大政党政治は実現しない。二大政党とは二つの政治勢力の形成によって生み出されるのではない。また異なる政策のぶつかり合いによって形成されるのでもない。その前に、二つの政策提案勢力が豊かな国民生活を形成するために必要であるという政治思想を持って成立するのである。この二大政党の在り方を巡る政治的立場について、以下、四つの課題を簡単に述べる。

1、政権交代を前提にした政策政党であり、政党を豊かな社会や国民生活の実現の道具(機関)として位置づけ、その社会的機能を充実することに特化すること。

2、つまり、政党とは政策提案集団である。変革を進める有効な政策は一つの政治行動の選択によって生み出される。その意味で必然的にその政策実現によって、それを補完すべき他の政策が必要となる。しかし、その補完的政策をすべて準備することは不可能となる。それを可能にするのが政権交代である。何故なら多様な市民社会ではすべての市民の利益を同時に満たすことは不可能である。そのためにある政策決定によって生じる社会矛盾を緩和する補完的な政策を他方に準備するだけでなく、まったく異なる利害関係から新しい政策を提案する必要がある。それが可能になるのは政権交代による政策提案のみである。

3、二大政党政治の基本に、反対政党の持つ国民生活を豊かにするための役割の理解がある。それは自らの政党の政策に対する過信を歴史的に反省する力、政治思想が必要となる。反対政党の存在によって活かされる自らの政党の政策効力を理解しなければならない。それは自らの政党のもつ政策限界を俯瞰的に歴史的に理解する知性や思想が必要となる。

4、自らの政党の政策を批判し補完する勢力として反対政党を位置づけるなら、政権確立のために民主党や自民党が行った政局闘争、つまり政権を取るために国会の機能不全を顧みず、国民生活に必要な政策決定を犠牲にして、単に反対のための反対や国会運営妨害活動を行うことは避けなければならない。


二大政党政治を支えるのは政治思想である

つまり、二大政党政治を実現するためには、政権交代の意味を権力闘争として理解するのではなく、国民生活の向上のための政権代謝活動として位置づける政治思想が問われる。そして、野党化することの政治的意義を自党の立場から観るのだけでなく、国民全体の立場(俯瞰的視点)、または歴史的立場(時間的視点)から理解する政治思想を持たなければならない。言い換えると、政権交代によって野党化することを一つの好機として理解できて初めて二大政党を支える政治勢力を構成する政治思想が生まれるのである。

その上で、二大政党を構成する立場は、反対政党が示す政策と自党の政策のそれぞれの有効性を前提にして国民生活全体が豊かになること、つまり多様な利害関係を前提にして成立している市民社会のそれぞれの異なる利害的な立場の全てを同時に満たすことができない限り、それらのバランスを形成するために取られる政治的新陳代謝、多様な利害的な政策実現として政権交代を理解することである。政権交代はある意味で利害的立場の役割交代に過ぎない。それらの交代がスムースに行くことによって多様な利害関係にある高度に発達した市民社会に取って必要なシステムであると理解すべきである。

政権交代を政局闘争として理解することは古い階級社会から残存してきた政治思想である。新しい市民社会では政権交代は異なる政策政党によって補完される社会的機能として理解されることになる。そうした政治思想が形成されることによって細かく分裂している政党から主な異なる政策集団化が可能になる。何故なら豊かな社会や国民生活の形成には、一つの政策実現を補完する他の政策実現が必要とされているからである。しかも、それらの政策群は相互に矛盾し、その意味で補完可能であるからだ。それをすべて一つの政党が担うようりも異なる政党に任すことが政策実現上の効率や合理性が担保されるために、政策提案を分担する集団として二つの主な政党が相互成立する。それが二大政党政治の成立条件となる。この成立条件の社会思想を理解しない限り、二大政党政治は日本社会に根付くことはない。

その意味で民主党政権の失敗は二大政党政治を成立させるためにも大きな政治的実践史の財産なのだ。その意味を自民党の現政権や自民党政権から分裂した政治家たちが理解し、自覚しなければならないのである。


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国民主体の政治改革の基本課題としての「市民の議員活動監視システムと情報公開制度の形成」

問われる政治改革の課題(2) 


三石博行


始まった野党連合形成への動き

自民党に対抗しうる野党勢力を結集し、野党連合を視野に入れた政党再編のために、みんなの党の江田憲司前幹事長をはじめ15名のみんなの党の議員が今月初め(2013年12月)に離党届を提出した。そして、日本維新の会の東国原英夫衆院議員(比例近畿)も離党した。みんなの党と日本維新の会で起こっている事態が同じ政治的目的に因るものでないにしろ、このことは野党勢力の大きな再編が始まったと理解すべきである。

与党国会議員数の力で強制採決された「特定秘密保護法」とそれに対する野党の対応に対して、党内からの批判が生じた。昨年12月の衆議院選挙から1年を経て、みんなの党の江田憲司前幹事長はこの政治の危機的状況を打開するために、みんなの党を離党したのである。

しかし、同時に、離党したみんなの党の13名の議員が比例区で選出されたことは問題となった。つまり、比例区での選出はその議員の個人票ではなく、政党名で投じられた票を基に議席を得ている、つまり政党が獲得した票によって選ばれた議員である。その意味で、彼らは議員を辞職し、みんなの党が比例区で推薦していた他の立候補者に議席を返すべきだという渡辺喜美代表の意見は間違いではない。

一方、近畿比例区で当選した東国原氏は離党と同時に議員辞職を行った。多分、猪瀬氏の辞職後に行われる東京都知事選挙へ立候補するために東国原氏は議員辞職を行いきれいに日本維新の会を辞めたのだろう。

いずれにしろ、与党の数の力による国会運営、比例区で選出された議員の議席保持の離党、東京都知事選挙へ立候補するため離党と議員辞職、マニフェスト違反等々、現在の国会では国民不在の議会政治が横行している。そして、マスコミも国民も国会劇場で繰り広げられる国会議員の一人芝居を観て「演技が良いとか、悪いとか」言っているに過ぎない。

つまり、我国の政治(間接民主主義政治)では、国民の代理人としての議員達が代理人の意味をはき違えてはいないだろうか。勿論、彼らも選挙の時は、国民の代理人であると言ったのであるが、当選後は、議員の資格は個人のものであると思っているのではないだろか。

とは言え、自民党に対抗しうる政治勢力を形成するために江田憲司氏を中心にして立ち上がった15名の前みんなの党の議員達の政治的活動の機会を奪うことは、大きな視点から考えると得策でないことは確かである。その意味で、彼らの議員辞職を迫る論理が自民党やその周辺を旋回する保守衛星諸党を利する政治的意図によって形成されていることは確かである。正論を言いながらその隠された意図を見抜けないことも危険である。


市民の政党監視機能をシステムの必要性

では、この事態に対して私たちはどうすべきなのだろうか。その回答は議会制民主主義が正しく運営されるために、市民とその代理人(議員)が相互に行うべき国や社会を運営するために必要な社会的責任の在り方を明記しなければならない。以下、簡単に、四つの課題を述べる。

1、現在の議会制民主主義社会では、選挙が唯一の国民の政治参加の機会である。その意味で、国民が投票する権利を破棄しないための国民による国民自身の自覚と選挙活動が問われる。そのためには、生活の場、地域社会で投票権(同時に社会的責任)を明確にする市民憲章を創り、お互いに選挙に参加したかを自己点検する社会文化を形成すべきである。選挙活動はどの政党を支持したかだけでなく、投票したか、社会運営に関する責任を果たしたかを点検する活動でもあると相互に市民が自覚し点検する活動を行うべきだはないだろうか。

2、もし、市民(国民)が、地域社会で投票権(同時に社会的責任)を明確にする市民憲章の形成を行うなら、市民の代表者としての政党や立候補者は、市民への選挙時の契約(マニフェスト)が必要となる。何故なら、その契約に即して市民は立候補者を選択(投票)するからである。もし、選挙時の政策提案(マニフェスト)を提案しない立候補者がいるなら、それらの立候補者は立候補権を持たないと社会や市民は判断すべきである。その意味で選挙公約(マニフェスト)は選挙活動に於いて極めて重要な市民との契約条件である。

3、当選した議員は、選挙時の政策提案(マニフェスト)に対して、毎年、市民に対して自己点検を義務としなければならない。どの政策提案が何パーセント実現したかしなかったか。また、その理由は何であるかを、公開しなければならいだろう。全く、その自己点検の公開義務を怠る議員に対して社会は契約違反のクレームを出すべきだろう。

4、国民・市民は議員の政治活動の評価を行い、その情報をインターネット上で公開する活動を行う必要がある。そのために、政党の利害を超えたマニフェスト評価を行う第三者機関(NPO)を形成する必要がある。勿論、その評価を正しく行うために、議員から業績申告を受け、それらも公開する必要がある。議員が市民国民と取り結んだ契約に関して、日常的に評価点検する市民活動が存在することで代理人に対して国民主権の民主主義運営を理解させることができるのである。

市民の政治運営に関する監視機能をシステムを作る以外に、議会制民主主義での国民主権の立場に立った政党運営や議員活動を期待することはできないのである。つまり、すべてのこれまでの政党や議員の身勝手は我々国民の政治参画文化の未熟さによって生じているのであると国民市民が自覚しなければならない。

その自覚と努力によって、小選挙区制度によって生まれた政権は国民の政治的意思を前提にした議会運営(立法活動)を行うことになる。この課題を考え解決することが最も根本的である。その中で、日本の政治文化に対して小選挙区制度が良いのかどうかを検討すべきであり、選挙制度改革や政治改革はおのずと前進することになるだろう。 




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2013年12月16日月曜日

小選挙区制度は現在の日本社会の政治文化に適しているか

問われる政治改革の課題(1) 


三石博行


投票者の半数の意見が破棄される可能性はないか

昨年12月(2012年12月)の衆議院選挙で自民党は圧勝した。しかし、有権者の30%以下が自民党に投票した。つまり、国民の圧倒的支持があってできた政権ではない。議席数の上で自民党が圧勝できたのは、小選挙区制と分裂した野党勢力の二つの条件が整っていたからである。もし、野党と与党の二大政党政治下での選挙であれば自民党は過半数の議席を取ることはできなかった。このことは2009年の民主党が圧勝した衆議院選挙でも同じことが言えた。つまり、小選挙制度では最悪の場合、半数以下の投票が活かされない結果を生むのである。

2009年と2012年の衆議院選挙で圧勝した民主党政権も自民党政権も現在の小選挙区制度を変更することは「政治改革」の課題に挙がっていない。その理由は二つある。一つは小選挙区制度の狙いである二大政党政治を実現するためにこの制度を続けると言うもの、もう一つはこの制度によって圧勝できたことで、次回の選挙でも同じく圧勝できるという期待があること。いずれにしても、この小選挙区制度の見直しを呼びかける与党はいない。

この選挙区制度を変革しないという前提に立って考えるなら、二大政党政治の実現を課題にする以外に国民主権の政治運営は不可能である。そこで、昨年の選挙の後、野党勢力を纏める努力を野党間で真剣に議論されて来た。今回の「みんなの党」の内部で起こった分裂、江田前幹事長を含め15名の国会議員の離党問題はその結果であると言えるだろう。有権者の半数近い政治的立場が完全に国政に反映されてない主な責任を野党になった議員が真剣に問い掛けることは当然のことである。

つまり、投票した有権者の半数の政治的立場が無視され、また国民の半数が投票しないことに対しする現在の政党政治の責任を受け止めるなら、野党間の連立や二大政党政治を実現するための努力が、少なくとも(小選挙区制度を変えないというなら)、野党の有志ではなく、野党全体で取り組むべき課題であったと言える。



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2013年11月25日月曜日

市民参画型の社会インフラとしての第四次産業の発展

フェイスブックに記載した文章
 
三石博行

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知的産業(第四次産業)の発展と市民社会での高度な専門集団の形成

 
現代社会の特徴の一つとして第四次産業の発展を挙げることができます。第四次産業とは、研究開発を前提にして成立している産業です。これらの産業はこれまでの一次、二次と三次産業と別にあるのでなく、それらの三つの産業とリンクし、それらの産業の在り方を変える、つまり研究開発部門を抜くにして存続できない産業構造にしている。つまり、第四次産業の形成とは、科学技術文明社会の形成を意味します。
 

この社会(科学技術文明社会)の特徴の一つに細分化した(分業化した)専門家(専門的知識や技能を持つ市民)が豊かに形成していくことです。また、現代の科学技術という意味は、決して自然科学中心でなく、すべての分野、人間社会科学を含みます。ですから、法学、社会学、経営学、経済学、文化人類学、心理学、教育学、生活学、美学、情報文化、国際文化、等々、その領域はこれまでの学問分野の分類範囲をはるかに超え、学際化し、また融合化し、さまざまな新分野を提案し、巷に、多様な専門家が生まれ、成熟した知識社会を形成して行きます。
 

この社会(成熟した知識社会)を支える資源、それは高度な教育を受けた、また受け続けることのできる人的資源です。その資源を生みだす豊かな教育産業(制度)、文化産業、公共社会資源(社会公共施設、図書館やミュージアム等)、家族環境(家族資源)、地域社会資源(地域社会の文化施設や町内会施設)等々です。
 

 成熟した資本主義社会(先進国)では、この成熟した知識社会が形成されています。これを別の見方で、成熟した民主主義社会と呼ぶこともできます。この成熟した民主主義社会でこそ、市民は政策提案を行う社会環境を持つことが可能なのです。
 

つまり、その可能性は、インターネット、図書館、寄り合い場という物理的環境のみでなく、議論のルール、他の専門性への理解、強大な専門的知識と技術によって営まれている社会への俯瞰的な了解等々の社会認識を成熟した民主主義社会の市民は持つからだと思います。その意味で、この「市民参加の政策提案活動」を考え、イメージしたいと思います。

 



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2012年11月22日木曜日

脱原発、地方分権と東アジア平和外交を選挙の争点としよう

国民的政策提案運動の形成(1)

三石博行


緑の党の選挙協力に関する協定案

「緑の党」および「緑の党と連携するみどり関西ネットワーク」の友人たちが、今、脱原発を訴える政党や議員に対して選挙協力のための「協定案」を作ろうとしている。結成したばかりの緑の党は今回の選挙で「第三極」と呼ばれる勢力には成長していない。しかし、脱原発を国民的政治イベントである選挙で訴えなければならない。

そこで全国組織である緑の党では、脱原発を掲げた政党、例えば共産党や社民党、緑の風、生活が第一等々と、政策協定を結ぶことを前提に選挙支援を行うことが話し合われている。この動きは「政策を無視して大同団結」を訴えている「日本維新の会」とまったく逆の政治行動である。

「緑の党」および「緑の党と連携するみどり関西ネットワーク」では最重要政策として脱原発と自然再生可能エネルギー政策を挙げた。つまり、脱原発を掲げた政党や立候補者に対して、緑の党の最重要政策・「いのちと子どもの未来を奪う原発は今すぐゼロへ向かう政策を実施すること-フクシマの悲劇を繰り返さず! 自然エネルギーへシフトする」に賛同する場合にのみ、選挙協力をする。

また、個別政策として、消費増税廃止、TPP交渉に不参加と非暴力・平和>憲法9条の堅持の三つの政策同意が得られる条件が、緑の党が他の政党や議員と選挙協力の協定を結ぶ副次条件となっている。

市民運動の中から、社会を変えるためには多くの限界にぶつかる。そのため、市民運動は政治運動と関係を持つことになる。市民運動は生活に根ざした運度であり、草の根の民主主義を求める活動である。そのため社会土着型の運動スタイルを取る。その意味で市民運動はある地域に限定され、その地域独特の運動スタイルを持つことになる。

福島原発事故は日本と世界を震撼させる大惨事であった。そのため、原発批判の運動は全国規模で起こり、各地の脱原発を訴える市民運動がその地域性を越えて全国的なネットワークを作った。市民運動のネットワーク化は社会や国家を変革する運動となり、脱原発市民運動が政治的な力を必要とした。こうした状況の中で「緑の党」は形成された。

しかし、生まれたばかりの緑の党が、衆議院選挙を迎えている。各地域の緑の党の組織では、立候補者を立てて、選挙戦に挑む力量はない。だからと言って、選挙に取り組まない訳にはいかない。何故なら、選挙は国民的な政治イベントである。選挙で「脱原発」を国民に訴える機会がある。そのため、緑の党では、脱原発と再生可能エネルギー社会という選挙スローガンを緑の党の最重要政策と位置づけ、それに賛同する政党や立候補者と選挙協力に関する協定を結ぼうとしているのである。



政党選挙公約不信から選挙公約確認へ

民主党政権は国民に選挙公約が意味を持たないことを教えた。つまり、これから国民は政党の選挙公約を信じることはできない。このことは、議会制民主主義の存立条件を危うくしているのであるが、だからと言って、今、議会制民主主義を否定することも、また直接民主主義制度を性急に要求することも、現実的には不可能である。今、置かれている現実から考えると、選挙という手段、それは間接民主主義社会で位置づけられている弱い国民の政治的権利ではあるが、この手段を最大限に活用しながら、日本の社会を変革する以外に道は残されていないのである。

また、国民が政党に政治改革を求める限り、この国の政治は変革しないことも、次第に明らかになっている。21世紀社会の日本を作るために、まず、私たち国民が、政治改革の主体であることを理解しなければならない。その政治改革を行う力を持つ国民が、その代表者として議会で仕事をする国民の代理人(議員)になってこそ、行政改革は可能になるのである。国を変えるために、私たちが、まず変わらなければならない。そして、私たちに与えられている唯一の政治的意見の表現手段である選挙に前向きに取り組むべきだと思う。

前向きに取り組まなかった今までの私たちの姿勢、つまり選挙に行かないこと、誰を選んでも同じだとあきらめること、それを変えなければならない。選挙によって選ばれた議員たちが国の法律を決める役割を担っている、これが現実の私たちの民主主義社会のルールである。そのルールに則り、まず、選挙に対する積極的な私たちの意見や活動を行う必要がある。



提案1、脱原発と再生可能エネルギー社会構築

まず、今回の選挙では、殆どの国民は政党が示す莫大な項目の選挙公約に対して見向きもしないだろう。そこで、政党の様々な選挙公約の羅列を無視し、この国の今後10年間の政治的課題で最も重要だと思われる項目を取り上げなければならない。

その一つが、エネルギー政策と脱原発である。この課題で、これまで政府が推進してきた原子力エネルギーを維持しようとしている政党とそうでない政党を峻別しなければならない。つまり、脱原発の政策を明示しているかどうか。これが政治公約の確認となる。もし、明示していないなら、脱原発を約束していないと理解すべきである。それらの政党に投票することは、福島原発事故を再び繰り返す社会に戻ることを意味する。

脱原発を進めるために、これまでの化石燃料に依存する政策を出す政党は、地球温暖化や日本のエネルギー自給率の向上に関する政策を持っていないと理解すべきである。エネルギーと食料の自給率を同時に上げるための政策を持たなければならないだろう。

例えば、国土の7割を占める森林を活用した木材の自給率の向上とバイオマスや自然災害防止、農産物食料や資源生産、観光開発、つまり新しい雇用創出がひとつの政策として展開できる。それ以外に、わが国は豊富な温泉地帯、豊かな海洋エネルギーや太陽熱や太陽光エネルギーがある。これらの自然エネルギー活用を総合的な視点で理解し、政策化する政党でなければならない。



提案2、地方分権化と選挙制度改革

現在の日本は人口の10分の1が東京都に住み、半分近くが政令指定都市と言われる大都市に集中している。その反面、地方の人口は年々減り、過疎化が急速に進んでいる。地方はますます経済的に疲弊している。この現状を何とかしなければならないだろう。そのためには、地方分権化を進めることである。その方法に関しては色々と具体的な意見の違いがあるが、しかし、少なくとも地方分権化の一歩として、道州制の導入が取り上げられる。

地方分権化社会の成立によって、大きな変化が生まれる。例えば、国会の役割が変る。衆議院の役割と参議院の役割が変化する。少なくとも参議院に関しては地方分権化された州を構成する自治体の首長が参議院議員を兼任できるようにすれば、議員定数を削減しながら、地方分権政府と中央政府の政策上の交流が可能になる。中央政府の役人は地方政府の首長の意見を聞く義務が生じるし、中央政府の内閣と地方政府の共同の政策が検討されることになる。



提案3、東北・東南アジア諸国との平和的共存関係の強化と北太平洋の安全と平和を形成する日米関係のあり方を検討する

今回、中国の海洋資源確保をめぐる政治的意図を消し去ることはできないにしても、石原前東京都知事の挑発的な行為(尖閣諸島を東京都が購入する)とそれに対する野田民主党政権の尖閣諸島をあの時期に国有化するという誤った外交によって日中関係は悪化した。その経済的打撃は、大きい。そして、今後も、さらに経済的に負の要因が展開することが予測される。

今、世界は大きく変化しようとしている。その代表例がEUである。欧州連合の成立は、20世紀の二つの世界戦争の激戦地ヨーロッパの国々や人々の念願であった。EUの形成によって地域国際的な平和的共存が可能になった。現在、その平和的共存のための政治経済制度の課題をめぐり、EUはさらに実験を進めようとしている。

このEUを代表する国際地域的な平和的共存関係の形成は、同じ形式ではないにしろ、今、東南アジアでも起ころうとしている。例えば、ASEANは、東南アジア経済共同体の形成に向けて動き出している。単に、経済的関係だけでなく、教育や技術開発も相互の資源を活用しながら発展させようとしている。文化的に共通する他民族国家が国際地域的な連合を形成し国家という枠に限定されている生態文化、社会産業資源を共有しながら、国際地域的な経済文化共同体を構築しようとしている。この国際地域連携が21世紀社会で起ころうとしているグローバリゼーションの流れであるといえる。

その意味で、日本の国際政治政策は前世紀、東西冷戦時代の古い考え方を踏襲しているといえる。今大切なことは、北太平洋地域の諸国の平和的関係の形成と経済的関係の強化であり、取り分け、アジア諸国との日本の平和的共存関係の形成である。これが、今後の日本の繁栄を導くのである。

そのためには、これまでのように、日米関係のみを重視する外交路線を変更し、日韓関係や東アジア諸国との関係は当然だが、日中関係をはじめ、日露関係の改善を行う必要がある。そして、インドをはじめ、中東諸国や豪州との外交関係を強化し、アジア外交をさらに盛り上げる必要がある。日本独自のアジア外交を前提として、日米関係の新しいあり方を提起すべきである。

アメリカは、これから中国やロシアを仮想敵国にしながらアジア外交を続けることは不可能である。寧ろ、中国やロシアとの友好な関係を構築し、北太平洋の安全を維持すべきである。そのためには、日本のアジア外交力が大きく貢献することは言うまでもないだろう。国際平和共存を憲法の基本としたわが国のこれまでの国際政治の実績を活かし、さらに積極的にアジア・北太平洋地帯の平和的共存のための外交を展開するべきではないだろうか。



参考資料

1、ブログ文書集「国民運動としての政治改革」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/11/blog-post_20.html

2、「緑」の京都・準備会
http://greens-kyoto.jimdo.com/

3、脱原発選挙
http://miraisenkyo.wordpress.com/

脱原発議員総覧
August 23, 2012 • by kaerunja
http://miraisenkyo.wordpress.com/2012/08/23/%E8%AA%B0%E3%81%AB%E6%8A%95%E7%A5%A8%E3%81%99%E3%82%8B%EF%BC%9F/


環境エネルギー政策研究所(ISEP:Institute for Sustainable Energy Policies)
「国会エネルギー調査会」設置に向けた 「国会エネルギー調査会準備会」(第14回)の開催について
http://www.isep.or.jp/news/3595/

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