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2020年7月3日金曜日

デジタル日記を書くこと



6月から、デジタル日記を書くことにした。一日の予定やその進捗状況の点検、毎日が連続しているために、今日のテーマは昨日のテーマの延長線上にある。そして、昨日の結果から今日の作業が始まる。こうした連続した毎日毎日の作業の予定や点検は、デジタル化した日記で反復される文章が簡単に記述化される。これも一種の「知的生産の技術」ということになるだろう。

ふと湧き出る詩も、その日記の中に書いている。その意味で、これまでフェイスブックに書いていたものが、日記になった。その分、自分の中の自分と会話が出来る。

本来、人にみせることを前提にしてわたしごとを書くもの、例えばエッセイ、感想、評論等々の書きものは、かなり難しい。私の姿を本音で書くためにはかかなり勇気が必要だ。多分、偉い小説家はそれが出来るのだろうが、しかし私にはそれは出来ない。

その意味で、フェイスブックに日記を書くということが出来るのは、よほどの人だけだろう。私は余りにも未熟なので、と言うか、欺瞞的な人間なので、それは出来ない。しかし他方で、それが出来るようになりたいとも思う。

哲学の意味は、現実の自分と向き合う力や方法を得るための思索活動だと思う。もし、自分の在りのままを書ける力を得るなら、もう哲学は必要ないでろうと思う。

2020年6月29日フェイスブックに投稿

2019年9月14日土曜日

自分勝手な自己分析記録(1)

思考実験としての書く行為 


三石博行

ぼんやり頭で理解していることは殆どが気持ちの上で了解された内容に留まる。これらの内容を文書化する作業は理解していると思っていることを点検する作業であり、一種の思考実験である。

書いてみると不十分な点が明らかになる。また、書いたものがあるために自分の理解や認識の不足を再度点検することが出来る。そのために書くのである。書くことは他者への表見であると同時に自己への確認でもある。

書かなければ生きていけない人々がいる。日記を書き続ける人、ブログを書き続ける人、詩、エッセイ、小説、読書日記等々、書かざる得な人は自分にあった表現を選び、文章を書き続ける。

本当に知っていることはわずかである。しかし、多くことを知っているからと言って、それが自分の納得する知性の在り方には通じないかもしれない。勿論、知識力を競うテレビ番組に参加することを目標としていれば、知識の量が問題となるだろう。しかし、自分の生きている生活空間の中で求められる知識はその生活空間に有用な知識のみであり、わずかな知識で人は生きている。

書くという行為は、自分の知識の量や豊かさを確認するためのものではない。もちろん、知っているべき知識が書く作業の中で問われる。そのため、書く作業を通じて、多くの情報を取り入れ、勉強をしなければならない。

色々な課題に関して書くと言うことは、今まで関心をもっていた世界、それは専門的な学習をしたのではないが、興味を持ち続けていた世界、何となく知っていると思っていた世界が、各行為を通じて、自分の理解していた情報の曖昧さを気付かせてくれる。

書くという行為に通じて、知らなかった世界が明らかに浮き上がってくる。それは書く行為を楽しむ一つの要素でもある。この実験作業によって、多くのことが明らかになる。それが書く行為ではないだろうか。

2019年9月14日 ファイスブック記載 

2013年11月25日月曜日

小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと

フェイスブックに記載した文章

三石博行
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小泉さんの原発ゼロ発言に思うこと



自民党をぶっ潰すと言って、自民党を選挙で勝利させて小泉元総理、その政治家としての感性は天才と言うべきだろう。彼が今原発ゼロを言うのは、その天才的な政治感覚によるものだと思う。今、日本国民の世論を問い掛けるまでもなく、未来の日本の在り方を考えるなら、誰でも小泉氏の考えに賛同すると思う。この問題に右も左もない。自民党も共産党もない、日本人も中国人もない。これは人類の未来、地球の未来の問題だ。


脱原発を主張しながら、もし小泉氏を批判したかったら、小泉氏以上の政治力を持つべきだろう。問題は未来への我々の責任問題のみだ。未来から見れば、自民党支持者もその反対者も同じ2013年に生きていた人間に過ぎない。今我々が、100年前の日本を見ているように。その視点から、現在の小さな政治的見解の違いを超えることはできないか。もし、彼に騙されたとしても、その大半責任は私の力量にある。それよりも、今、息を吹き返そうとしている原子力村(原子力官僚と原子力独占企業たち)への対策を考えることだ。


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本当に国民は再稼働を認めているのだろうか



日本国中どこへ行っても、「核燃料廃棄物を埋めていいですよ」という町はない。それほど日本国民は核燃料が危ないこと、また我が国の国土がそれを10万年も安全に保管できないことを知っている。しかし、不思議なことに、原発をゼロにするという考えに賛成しているのは国民の半数だといわれている。すると、国民の半数近くの原発再稼働に賛成な人たちは、核廃棄物を自分の家の下に埋めてもいいと思っていることになる。もしそうでなければ、自分の町でなく遠くの町に埋めればいいと思っているのかも知れない。しかし、それを公言する勇気があるだろうか。「いや、私の地域はだめですが、あの地域なら大丈夫でしょう。人口も少ないし、大した産業もなさそうだし等々」と言えるだろうか。そう考えると、このアンケート結果は実に本当に不思議である。みなさんはどう思いますか。


日本では核燃料の再利用は絶対に可能になるといわれ続けてきた。それにも関らずその技術は完成していない。そればかりか核廃棄物はどんどん溜まり続けている。行き場をなくした廃棄物を原子炉の上に置いてあった。それのことが、福島原発事故時に二次災害を引き起こし可能性につながった。また、原発事故の後にも、廃棄物を安全に取り出すために3年近くの時間が必要だった。


その間に大地震が来ると、今回の事故以上の放射能被害が起こる可能性があった。そのリスクはまだ残っている。それが日本での現実の核燃料をめぐる現状である。それでも、核燃料は必ず再利用できるのだと言い切る人々がいる。その発言への責任を未来取っていただけるため、何かを担保にしておく必要がある。もし、災害が起こった場合には、彼らは自らの決断や発言への刑事的責任を取る覚悟を、今、聞いていた方がいいかもしれない。しかし、彼らは、そんな覚悟はない。起こったら起こったでしかたがなかったと言うだろう。今回の事故のように。何ということだろうか。しかし、これが現実なのだ。


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原子力ムラの巻き返しとマスコミの茶番劇



福島原発事故の直後には、マスコミやジャーナリスト、そしてテレビのトーク番組にに出演している人々の口から「再稼働すべき」とか「原発廃棄物処理は問題ない」とか「すべてのエネルギー利用によってバランスのよい電力供給体制を作る必要があり、原発をゼロにするのは得策ではない」とか言う発言はなかった。

しかし、今、テレビの画面では、そうした発言が主流を占めようとしている。電力会社が言っているのではない。専門家と、ジャーナリストや番組出演者が言っている。そんな中で、小泉元総理が「原発ゼロ」を訴えている。さて、こんどは、彼らはどう反応するのだろうか。小泉発言は暴言だと言うのだろうか。それとも、原発再稼働を勧める発言は控えるのか。


国民はこうした茶番といつまでも付き合う必要はない。もうテレビを消して、町にでよう。町のみんなと話しをしよう。君は大飯原発や美浜原発が再稼働されるのに賛成、それとも反対。その理由は。井戸端会議、犬の散歩中に、食事の最中に、そんな話が率直にできる社会を作りたい。本当の世論を作るために、生活の場の生活の実感から語る必要はないだろうか。


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放射能汚染水問題の解決を急がなければならない


今日(2013年8月8日)、福島原発の汚水もれ(海洋への)について二つのニュースがあった。一つは国内のニュースで、「国民の関心のある」汚水による海洋汚染防止策を東電に任すわけに行かないと安倍総理が述べた。そして政府として対応すると宣言した。国を挙げての対応を急ぐべきだと思う。二つ目は、アメリカからのニュースで、汚水によって太平洋が汚染され、米国が放射能汚染被害を受ける可能性があるという内容だった。放射能汚染水の海洋への放出は北陸の漁民、日本の国民、そして世界の人々の健康障害にかかわる問題であることを忘れてはならない。我々日本(人)はそのすべての責任を負っている。


超高度放射能汚染水の海洋への流出はメルトダウン(メルトスルー)を起こした福島原発事故から当然帰結できる結果であった。今更、東電の対応や情報公開に問題があったと言うことでは済まさらない。これは日本という国が世界に対して背負うべき責任問題なのだ。すべての国の力を総動員し、緊急に対応しなければならないだろう。この問題の解決に右も左もない。政治的意見、企業的利害、エネルギー政策上の違い(反原発派も原発マフィアも)、すべてがこの問題を解決するために力を合わさなくてはならない。本当に凍土法がいいのか。どんな方法があるのか。国全体の英知や技能をかき集め、問題解決に当たるべきだと思う。それは対策本部の役割だ。


汚染水問題は、内向きの日本の政治や社会文化の在り方を問いかけています。海洋汚染は地球の問題ですから、内向き、つまり国内や組織内部の問題で回答を見つけることは不可能だと思います。世界は常に我々の対応をウオッチしています。脱原発を主張しているから、この問題に対する責任がないのではありません。世界から観れば、脱原発者の日本人も、原子力村の日本人も、同じ地球規模の放射能汚染の問題から、避けられない立場にあるのだと思うのです。






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レクイエム

多くの方から誕生日の祝いのメッセージを頂いた。
メッセージを送ってくださった友人たちへ返事を書いた。

その日の朝、音楽を聴きながら散歩した。その時の感銘を書いてみた。

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○○様

ありがとうございます。もう11月の後半ですね。

最近、モーツアルトのレクイエムを聴きながら朝焼けを見て散歩しています。

落葉もすぎて、針のように晩秋の灰色の空を刺すように天を向いた枝に、この曲がこんなに合っていたという感銘を受けながら。

この曲は、伊吹山の向こうから上がる朝日の前ぶれ、それは暗く長い夜の終わりを告げる、讃美歌のように聴こえるのです。

生への激しい情熱と死を迎える安らぎのメロディーがなんともこの冬を前にした朝焼けの光景に調和しているのです。

今まで何百回と聞いたこの曲に、まるで今出会ったかのような驚きと感銘を受けています。



2013年7月19日金曜日

詩にとって表現とは何か

画家笹井孝太氏と詩人寺田悦二氏との出会いの中で


三石博行


画家笹井孝太氏の絵

その画風は暗く、まるで後期ゴヤの作品のように思えた。一人の人間の顔面から強烈な魂が飛び出している。それは、「君は今どう生きているのだ」と問いかけているようだ。





















笹井孝太氏のホームページから
http://koutasasaiartstudio.tumblr.com/

寺田悦二氏のFacebookにこの絵がシェアされていた。
https://www.facebook.com/etuji.terada

笹井孝太氏のブログに「私は広島の宮島という島で画家をしながら、スタジオの一部を公開展示スペースにして作品をご高覧、またお求めいただいております。 スタジオは築120年ほどの古民家をお借りして、呼吸するような光のなか、極力自然光で作品をお見せしております。もし宮島へおこしになることがあれば、是非お立ち寄りください。また、お気軽に、お越しの際や、ご質問、また、このブログを通してのご相談や、作品のお求めを上記のメールにてお伝えくださればうれしいです。」(笹井孝太氏のホームページ)と自己紹介されていた。


言語にとって感性とは何か

寺田悦二氏のFacebookを通じて、笹井氏、寺田氏と私の会話が始まった。課題は、敢えてタイトルを付ければ「言語にとって感性とは何か」というテーマとなる。三人の会話をブログ調に編集しなおしてみた。

まず、会話の火ぶたを切ったのは私だった。笹井氏の絵に対して「すごい。何という迫力と問いかけだろうか。」と直感したことばを書き込んだ。

そして、私は、この凄い画家に「笹井さま、芸術や文化はもっともメッセージ力をもつメディアだと思います。言語を超えるもの、そこの人間の感性の原点があります。音楽、絵画や彫刻、演劇、映画、建築、都市、里山等々、人は美しいと感じ、また感激するものに、私たちの精神の基本的なあり方が存在していると思います。この絵を多くの人々に見せたいですね。そして彼が真剣に問いかけているものを感じさせたいですね。」とメッセージを送る。

すると笹井氏から「人間は精神です。最も精神的な媒介は言葉です。言葉には反省が伴います。反省は僕たちの神です。芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。僕たちは言葉を軽視しすぎる傾向にあります。なぜなら言葉をぼくたちは、文化だと思っているからです。言葉は決して文化ではありません。言葉は芸術そのものです。つまり人のいのちです。」とメッセージが返ってきた。

私は嬉しかった。そこで「笹井さま、いいですね。本当に共感できる感性のことばですね。」と返信した。

私は、もう一度、笹井氏の文章を読み直し、そして真面目な寺田氏に答えるために、文章の展開を企画した。その構成は三つから成り立っていた。一つは、笹井氏の問題提起である「言語にとって感性とは何か」、二つ目は、我々三人が問いかけたかった「芸術としてのことばとは何か」という課題、そして最後は寺田氏が求めていた課題「詩にとって表現とは何か」というテーマであった。

「笹井さんの「言葉には反省が伴います。反省は僕たちの神です。」という表現はいいですね。人にとって神(絶対的な存在)もコトバによって作らざるを得ないもの。つまり、我々(本能の狂った動物・神の支配を拒否した動物)は再びその存在を理解するために理性という言葉の機能(文化や精神の構造)によって再確認するしかないのでしょうか。」と私は書いてみた。

しかし、それは彼の「詩をどのようにお考えですか」という質問への入り口にすぎなかった。

つまり、笹井氏の言う「言葉が反省を伴う」という命題は、言葉がその言葉の主体に返された瞬間において成立することを意味すると考えたからだった。

笹井氏の芸術には人間存在への表現という課題があった。

そのため、彼は「芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。」(笹井)と書いたのだろう。

つまり、反省によって感性が「ことば」化するのだと笹井氏は述べている。笹井氏は、反省の意味の深さによって感性が「ことばと」して生まれ変わるのだと考えているのだろう。

そして、イメージ不可能な「感性」が人間存在そのものを問いかける「反省によって把握されるやいなや」、その感性は「ことば」を身につけ、「ことば」に化身することになる。その時、笹井氏は「言葉は芸術そのものです。つまり人のいのちです。」(笹井)という芸術(詩や文学の)表現について語ったのだろうか。


芸術としてのことばとは何か

笹井氏のコメントで直感的にすごいと思える文章は「芸術は常に道徳を超えたところにありますが、文化は道徳の範疇にとどまるか、または道徳からの堕落です。」という表現であった。

私は、笹井氏に「つまり、道徳とは正と悪を二分する論理を前提にして成立しています。しかし、人の善(前向きに生きる力)は悪(欲望に浸る生命体)の力によって生み出され、悪のない善はなく、善のない悪はない。自らの行為を善と信じることによってどれほどの極悪が繰り返されたか。芸術も哲学もそのことを訴えた。そして欲望(悪)は美として評価され、形式(善)はつまらないものとして飽きられていったのだと思います。」(三石)とコメントした。

そして、「人間の感性は言語を超えるものではなくてむしろその後退だと僕は思います。僕たちは感性をイメージすることはできません、感性が反省によって把握されるやいなや、感性はことばになります。」(笹井)という彼が敢えて逆説的に導こうとした感性とことばとの関係に対して、「笹井さんの考え方もあると思います。しかし、詩人は多分、言語(反省的表現)を超えるために、ことば(感性的表現)を駆使しているように思えます。つまり、ことばに含まれる概念よりもイメージを探し、そのイメージから出てくるコトバの力を引き出そうとしているようです。私は理性的に語られる言葉が好きです。しかし、同時に感性的なことばの力も理解できます。その二つの側面に人間的な精神構造があるように思えます。」(三石)と答えることにした。

この論理の方が、素直だと思ったのだ。

つまり、ことばは多分、人の在り方そのもので、それによって人が始まり、人が終わるようにも思える。「その意味で聖書の一節は意味深い。つまり、人という動物はその存在を維持するために自ら文化(ことば)という生態環境を作らざるを得なかったのだと思う」(三石)と述べた。しかし、この論理は非常にありきたりのものに過ぎない。


詩にとって表現とは何か

これらの前置きは、寺田氏が投げかけた「感性が反省によって把握される」場合において、「感性はことばになる」という笹井氏の考え方に対して、「詩をどのようにお考えですか」という疑問に近づくためのものである。

何故なら、詩人にとってことばは感性的表現だけでなく表現化するための作戦(戦術)でもある。そのことを詩人は知っている。そのために、単純に感性がことばとなると言いきれないのだろう。

私は詩を書くことについて、以前、「詩的に表現することとは何か 詩にとって真実とは何か」、私のブログの中で、詩を書くことの自己欺瞞を書いたことがあった。

それは、死刑囚大道寺将司氏の俳句集「棺一基」を呼んで、ぎりぎりの言葉(ことば)、自己欺瞞をすべてそぎ落としたことばに接したからだった。それについてブログに「言(ことば)が肉となった」を書いた。

寺田氏の答えは明快であった。詩を書く主体でなく、その詩を読む対象者達の感性、つまり「詩の真実とは読む人の感動だと考えます」という返答であった。詩人は自らの感性をそのままことば化する作業をしておけばいいのだ。自分は詩人であると意識する必要はない。それは意識過剰ではないかと寺田氏は言っているのだ。

寺田氏が詩を意識したのは中学生であった。「私(寺田氏)も詩人になろうとはなぜか思いませんでした。むしろ画家に憧れていました。でも結局は詩を書くことに自分の生きる糧のようなものを感じています。今も好きで勝手に書いているだけの者で、普通の会社員です。詩を書くのに特別な条件はいりません。(あなたもただ書けば)いのではないでしょうか」と詩を書きたいが書くことを禁止している私を励ましてくれた。

これまで、私は「ことばをできるだけ詩的な世界から切り離すことを仕事にしてきました。だが、やはり私は詩を書きたい。詩でしか私であり得ない世界がある」ことを知っている。詩を書くことは、詩人になる(意識過剰になる)ことではない。ただ、寺田氏のように書きたいがために書くことに過ぎない行為なのだと理解した。

私は、寺田氏や笹井氏に感謝した。彼らとの出会いで、私はまた詩を書きたいと思った。その詩のスタイルは三石流でいいのだろう。そして、これまで書いたブログの文章で詩となってしまったものに新しく「詩」というタグを作ってみた。


エピローグ

笹井氏から「画家にとって真実とは何か」という内容の文章が送られて来た。

彼は「絵は見ることと筆を動かすことしかありません。目の前に出てきたものにすがったとたん、芸術は力を失います。それはみていたものをみなくなったからです。だから手法手段はどれだけ稚拙でも、みることによって芸術に力を与えることができます。だいたい手段なんて言うものは みな、どっこいどっこいのうそです。でもそれに照応される嘘じゃないものがある。もし手段手法が真実なら、あらわれてくるものは、嘘です。」(笹井)と書いた。

「絵は見ること」によって成り立つ。もし、それをそのまま見ることでなく、それを自分の解釈(ある表現手段を前提にした見方)によって見ようとすることになるなら、絵を見る力は削がれるだろう。その意味で笹井氏は芸術を力を失うと言った。

また彼は、解釈、つまり理解や表現の手段(芸術家達が追い求める作風や流儀)は、どれもとどの詰まり、同じようなものだろうと言い切った。ここまで来ると、画家笹井氏の思想を理解することが困難に思えた。解釈なくして世界を見ることも表現することも出来ない。だが、それよりも前に画家には問われている世界がある。それは「見ること」だと言うのだ。そのままに見ること。

余りにも、技法に囚われていることによって、美は力を失う。これが画家笹井氏の結論であった。そのことは、詩的に表現することが技法でなく、現実の世界と湧きあがることばの照応現象であることによって、「詩にとって真実とは何か」が感じられると彼は、「詩的に表現することとは何か 詩に取って真実とは何か」(私のブログ)に対して答えてくれたのだった。

笹井氏は寺田氏や私が問いかけた「詩にとって表現とは何か」の答えを画家としての生活の中から語りかけてくれたのだった。


引用、参考資料

寺田悦二氏のFacebook
https://www.facebook.com/etuji.terada

笹井孝太氏のホームページ
http://koutasasaiartstudio.tumblr.com/

三石博行 「詩的に表現することとは何か 詩に取って真実とは何か」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4925.html

三石博行 「言(ことば)が肉となった」
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/04/blog-post_17.html

NHKETV特集「失われた言葉を探して」2012年4月15日 辺見庸出演
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0415.html

大道寺将著 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)
http://mmall.jp/item/170872390?aff_id=src0101&l=true


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2013年7月15日月曜日

我が家の庭にひまわりが咲きました

今年の春に、6、7年前にもらったひまわりの種を植えてみました。多分、袋に発芽は5年以内でない無理と書かれてあったのですが、せっかくもらったひまわりの種、捨てるのはもったいないと種を蒔いてみました。

すると、ほとんどすべてが発芽し、みるみる大きくなり、高いのは2.5メートルぐらいに成長しました。

そして7月になって開花しました。ちょうど、日本ではじめて「緑の党」が国政選挙に打って出た7月4日には大きく咲いていました。今日はほとんどのひまわりが咲いています。

グリーンジャパン・みどりの党共同代表者「長谷川ういこさんのポスター」(全国比例区)と一緒に写真をとりました。





















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2013年6月15日土曜日

槌田氏の使い捨てを考える会の活動について思うこと

使い捨てをしない生活は可能か


三石博行


槌田劭さんの魅力ある話

先週日曜日(5月23日)に京都大学農学部で第14回縮小社会研究会が開催された。

私の尊敬する人々の一人、槌田劭(つちだ・たかし)さんが、お話をされた。これまで何回かの槌田さんの講演会に参加したが、殆ど同じような話の内容であった。今回が4回目なので、殆どの話を覚えている。しかし、まるで好きなクラッシクの曲を聴いているように、槌田さんの話は、何回聴いても新鮮で飽きることがないのだ。そのことに、実は驚いている。

槌田さんは1968年(全共闘時代と呼んでいます)の学生運動から問われた大学や大学研究者への課題を真面目すぎるほど真面目に受け止められ、1973年に市民や学生と一緒に「使い捨てを考える会」を結成し、リヤカーを引っ張って古紙回収を始めました。その後、京都大学工学部助教授を辞めてしまいました。本当にびっくりするぐらい変わった人(真面目すぎて)と言われていました。

その後、精華短期大学で教職に就かれましたが、専門の金属工学を全く辞めて、もっぱら環境問題や資源や食糧の再生可能な社会のために運動、啓蒙活動や研究をされてきました。教育者としても非常に大きな業績(学校法人の理事長となり精華短期大学を京都精華大学にした)を持って居られますが、そのことは何一つとして皆さんの前でお話されたことはない。

槌田さんの声は、細い身体から創造も出来ないほど力強い。音量は少し小さ目だが、流暢に言葉が流れ、一つひとつの音節がしっかりと区切られ、まるで教会の牧師さんのお話のように、説得力のある事例を出しながら、みごとに説教を組立ていく。明らかに、槌田さんは、講演者と言うよりも、槌田教思想(教)の伝達者(教祖)と言うべきだろう。彼の迫力に満ちた説教、いつの間にか、その気迫と説得力に私たちはのみ込まれてしまう。



こうした話の力は、彼のことばが彼の生きている世界の中から染み出しているからだろう。つまり、生きる現実から彼は我々に話しかけているのである。

槌田さんのお話を聞くたびに、「もしかして、吉田松陰や武市半平太もこんな口調で話していたのかもしれない」と私は思う。時代の黎明期に登場する思想家のように、槌田さんはとうとうと「使い捨てを考える」生き方とは何かを語る。


今、使い捨てを考えるとはどういうことなのだろうか

現代社会に生きていて、使い捨てしないという生き方は不可能に近い。例えば、衣類などはどうだろうか。衣類は捨てにくいもので、どんなに古いものでも、捨てられずに、タンスの奥、押し入れや物置にしまい込んでしまう。そして、家の中には古い衣類がたまっていく。

その中には、亡くなった両親の衣類もあった。昔の人は、服を沢山持っていないが、良い生地の服を持っていた。捨てるのが惜しくて貰ったが、結局、一回も使わず、家の奥にしまい込んでいた。体型が変化して着られなくなったもの、流行遅れのもの、少しシミが着いたもの、それらを困った人々にあげようとため込んでいた。そこで、市民団体に連絡すると、「もうそういうものは誰も貰いません」と断わられた。1970年までの日本と2010年代の日本は違うのだと電話口から聞こえる市民運動家の声を通じて理解した。

使い捨てを考えるということは、使い捨てをせざるを得ないという現代のライフスタイルでは不可能であることを示すだけではないか。それでも、使い捨てをしないことを心がける意味はどこにあるのだろうか。

つまり、使い捨てを考えるという課題は、使い捨てをせざるを得ない社会の在り方を考えると理解していいのだろうか。なるべく使い捨てをしない。例えば、食べ物を捨てない、生ごみをコンポストに入れて肥料として再利用する、食器洗いの水やお風呂の水は再利用しる、庭には雨水を撒く、古紙をリサイクルに回す、ペットボトルやプラスチックのリサイクルに協力する、スーパーには買い物袋を持っていく、等々。

しかし、私たちは現代社会の生活環境の中で、使い捨てを考えないライフスタイルを強制され、使い捨てる便利さの上に日常生活が営まれていることは否定できないだろう。この現実が問いかけている課題、「それでも使い捨てを考えるということの意義」とは何か、使い捨てを考える会を持続したり、使い捨てを考えるという活動を続けるためには、この問い掛けに答えなければならないだろう。


使い捨てをしない社会や生活はどのように可能か

どれくらい私一人の生活が環境に負荷を与えているのか。住んでいる家、暖房や冷房、テレビやステレオ、照明、コンピュータ、その他家電(掃除機や洗濯機等々)が消費している電気、上水道や下水道。生活のすべてがエネルギー消費なくしては成立していない。それが、今の日本社会での、私たちの生活環境である。

その生活環境とは使い捨てをすることで成立しているともいえる。つまり、使い捨てをしなければ家の中は古いもの(つまり多量の電気エネルギー消費する家電等々)、使えないもの(故障しても修理出来ないもの、修理代が新品購入費より高い場合があるもの)で身動きが出来なくなる。狭い日本の住宅では、役に立たないものはサッサと捨てなければ生活が出来なくなっている。使い捨てをしながら少しでも快適な住環境を維持している。これが現実の私たちの生活なのだ。

使い捨てをせざる得ない現代の生活スタイルを少しでも使い捨てをしないようにするためには、出来る限り消費しない生活様式を取り入れなければならない。

無駄なものは買わない。例えば100円ショップで、安いという理由で無駄なもの、結局は質が劣るために、使わなくなるようなものを買い込んでいないか。また、着もしない安売りの服、美味しくもない安売りの食糧、安いから買うという生活スタイルで、家の中にごみが増えていないか。無駄な買い物をしないということが、結局、使い捨てをしないと言うことになる。つまり、使い捨てをしないためには、良いものを買う習慣が必要なのだろうか。貧乏人でなく、金持ちのライフスタイルが求められるのだろうか。

出来るだけ資源やエネルギーを節約する。例えば、水道水を庭に撒かない。そのため雨水、お風呂の水、炊事排水を利用する。太陽熱や光のエネルギーを活用する。台所や庭ででる有機物を土に返す。小さな庭があれば、野菜を植える。雨水タンク、風呂水再利用排水施設、太陽光パネル、太陽熱パネル等々、これまた贅沢な施設が必要となる。

使い捨てをしないことは不可能だが、使い捨てを少なくするために、結局、高価なものを買い、結果的には、高価なごみを作ることになる。

本当に使い捨てを考えることは難しい。今の生活レベルを1970年以前に戻すとすれば、少し、使い捨てをしない生活様式が可能になりそうだ。しかし、今よりも快適な生活環境ではないことは確かだ。平均寿命も低くなる。外国にも簡単に行けそうもない。色々な海外の食べ物も入らない。あのころはバナナが高かったし、高級品だった。

使い捨てを考えるためには、そうした時代に戻る覚悟が真剣に問われることになりそうだ。



「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html




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2013年6月10日月曜日

「死体とうんこ」

総合地球環境研究所の副所長佐藤洋一郎氏に会ったとき、彼が現代の日本社会では「死体とうんこ」を隠す文化に成っていると話していた。

死体、つまり死、そしてうんこ、つまり生命と生成物の廃棄物はある意味で生命の姿の別の一面でもある。生があるから死がり、生きるすべてが死を待っているともいえる。死体を隠すことは、ある意味で、生を隠すことにならないか。

うんこについても同じようなことが言える。

つまり、生成されたものは利用活用され、そして廃棄される。有用なものが利用され、そして最後に消費され、分子レベルまで分解される。しかし、途中で消費されず、そのまま前の形を留め、または形が破壊され、ごみと呼ばれる廃棄物となっているものがある。

それらの廃棄物は、分解可能であれば、また別の生命体の栄養となる。その繰り返しをエコサイクルとか、食物連鎖とか、生態系とか呼んでいる。しかし、人工物の中には、自然に(生物や化学反応によって)分解されないものがある。それは、厄介なことを生態(生体)環境に引き起こす。

うんこは生命活動の中で生じる廃棄物である。言わば、生命が存在してからずーと生み出された廃棄物である。その廃棄物は最近人間が化学的に造りだした廃棄物とは違う。生態系の中では、その廃棄物は他の生命の栄養となる。また、その生命もその栄養を食べて、新しい廃棄物を生み出す。

つまり、うんこは生命と生命をつなぐ物質として自然の中では活躍している。うんこを生態系の食物連鎖の中に組み入れないシステム、下水処理場は、生態資源の無駄使いをしているともいえる。

また、うんこを隠すことは、生命と生命が食物連鎖によって繋ぎ合っていることを隠すことを意味する。つまり、うんこは生命について考える一つの契機を与えているのである。

「死体とうんこ」を隠す文化は、生命について考える契機を奪い、もしくは、その現実を見つめる機会を与えないようにしているようだ。

死を考える生活スタイルの中に、本当に生きることを知る生活環境や文化が形成されるだろう。 そう考えると冗談のように聞こえる「死体とうんこ」というテーマの深い意味が理解できるかもしれない。


「成長経済主義を越えて成熟循環型経済社会への転回のために」 目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_72.html



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2012年5月10日木曜日

あれから一年、気仙沼の桜




三石博行


あれから一年が経っていた


昨年、5月の連休は、居ても立ってもおれなくて、雨靴、軍手、作業着を持って二人で東北に向かった。大阪空港から山形空港に飛行機は降りた。仙台空港は無理だった。レンタカーを借りて、被災地に行こうとしたが高速道路はデコボコだった。


もちろんホテルなどなかった。それで、北上川の盆地地帯にある観光地のホテルを探した。花巻まで行った。ホテルには自衛隊、警察、消防、復旧作業に従事する人々とボランティアの人が殺到していた。何とか、泊めてもらえた。ホテルは信じがたい安さで支援に来た人々を泊めていた。

私達は、そこから被災地を訪問した。しかし、余りにも津波の爪痕、被害の大きさに今日まで、その日のことが書けなかった。

ただ、今から考えても行って見てきて良かったと言える。何故なら、その災害の悲惨さはテレビの映像にも出てくるだろうが、しかし、現実のその姿を見て、そこに居た人々の姿を見ることによって、私の心の奥に確りと刻み込まれた。それはことばを越えたメッセージだった。


これから、そのメッセージに言葉を見つけてやらなければならないと思っている。どんなことばがその凄い世界を語ることが出来るのか。


まだ片付かないガレキ


東北に到着して二日目、2011430日だったと思う。気仙沼に着いた。花巻から自衛隊の車両が行きかう中を狭い谷間を抜けて海に出ようとしたその時、そこはガレキの山だった。すべての家は倒壊し、大型船が陸に持ちあげられ、岸壁は壊され、水没し、一面に冷凍庫の魚が山積みに置かれ腐敗し、強烈な臭いを放っていた。それにカモメが群がり、その近くで人々がその腐敗した魚を海に捨てていた。


今回、再び5月の連休に東北に行った。前のような悲壮な気持ちはなかった。また以前のようにレンタカーを借りて今回は北から南へと回った。そして、201256日に気仙沼に行った。漁港中心のガレキは撤去されていた。そして水没した漁港の水揚げ場が50センチぐらい土台を高くして復旧していた。そこでは船から水揚げされた冷凍サンマを仕分けする作業やマグロを捌く(さばく)作業が行われていた。

水揚げ場から少し離れた所に以前、燃料タンクが横たわっていた地帯は、ガレキはきれいに撤去され、しかも、木材、金属、自動車、泥と分類されていた。気仙沼はガレキ処理が進んだことで、これから町の本格的な復興作業が始まるのだと思った。

気仙沼や陸前高田のような大きな町のガレキは意外と片付いていた。しかし、それ以外の小さな町のガレキは殆どと言っていいほど片付いていなかった。ガレキは資源だ。この資源を敢えて大阪まで運ぶ必要があるのか。ここでこの町の産業としてガレキ処理はできないのか。色々と素人的な考えが浮かんだ。


今、このガレキを巡って受入を要請された全国の自治体の市民が不安を持っている。しかし、被災地に来ると、このガレキ処理が復興のキーポイントになっていることを痛感するのである。金属類の再利用、可燃性のごみや木片類を燃料とした発電装置の可能性、広範な水没地帯の埋め立て、取り組むべき課題はガレキを撤去した場所からさらに湧きあがっているようだ。

気仙沼の桜



昨年、気仙沼のガレキの中で咲いていた桜があった。多分、そこは港にあった公園の一角か桜並木の後だったのだろう。ガレキに埋もれ、ガレキを被り、桜は4月の最後の日の花を咲かせていた。


  2011年4月30日の桜 

今回、どうしてもその桜に会いたかった。生きていてほしいと思った。探してみた。ガレキは殆どと言っていいほど片付いていた。しかし、桜は死んでいた。周りの桜が美しい花を咲かせているその日に、黒いつぼみを固く閉ざして立っていた。その周りには、以前よりは少なくなったもののまだ大量のガレキが散在していた。

  2012年5月6日の桜

さぞかし残念な思いでこの世を去ったであろう桜。そして、その無念さを語るように、枝の先には固いつぼみのような膨らみがあった。

  2012年5月6日の桜の枝


2012年5月17日 誤字修正
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関連ブログ文書集






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2012年4月19日木曜日

詩的に表現することとは何か 詩に取って真実とは何か

三石博行


詩人と呼ばれる言葉の詐欺師について

本当のことばは人に言いたいから生まれるのではない。

自分に言いたいから、言わなければならないから生まれるのだ。

そもそも詩人なるものが、本当の言葉など語れるものか。

そう思った。

これは、全ての詩人への挑戦状のようなものだ。
詩など書くな。詩などで表現するな。詩などで人間の実存を語れると思うのか。

そう感じながら、そこに詩が存在した。

私は密かに思ったことがあった。それは、詩人は最も詩人のことばが嫌いなのではないかという疑惑である。

何故なら、詩に隠されたことばの陰謀を詩人であるために、良く知り尽くしているからである。

その意味で、詩人達はどうしてお互いの詩を評価し合っているのだろうか。

まるで、その事実から逃げているようだ。

詩人は、なんでもない鉄を金だと言いくるめる錬金術師に似ているのだ。

詩人は、偽札作りに長けたことばの詐欺師である。

だから、私の中から詩が、勝手に生まれることに、激しい嫌悪を感じるのだ。


詩的に表現するという闇に実存を葬る行為について



詩人は一言で世界を表現してしまう。

直観的に話される言葉の矢は、真実の的のど真ん中に、ザックリ刺さる。

それ以外に、別のことばを必要としない世界

それ以外は、沈黙の中に安住することを許される。

私は、その詩人達の恐るべき手法の裏に隠されている計算式を探そうとする。

私は、その詩人達の冷たい言葉の遊びに含まれる麻酔効果を暴こうとする。

だから、私は、詩人達のように書きたくないのだ。

この世界を。

それは、

表現するたびに、言葉の本心が消され 

表現するたびに、沈黙の世界が騒音に乱される。




詩人は巧妙に言葉の音色や色彩を選ぶ

感性的に配列された言葉の行列式、こころの奥底に沈む貝を、掘り当てる。

それ以上の、青い文脈の糸が見つかるのだろうか。

それ以上の、静かな和音の網を探し出すことができるのか。

私は、その詩人達の並はずれた言語図式を解明する計算能力を知っている。

私は、その詩人達の論理化された主観性を装った言葉の配置を感じる。

だから、私は、詩人のように、書きたくなかった。

この私の実存を。

それは

表現するたびに、表現された言葉の中にしか見えない自己

表現するたびに、解離する表現された自己と表現する私 




もう一つの詩が生まれる。

そして、その詩人はこう言うだろう。

お前は、何を、勇ましく、また巧妙に語ろうとしているのか。

今あるこの生活に、そのむなしいことばは必要なのか。

ただ、静かに注意深く今を見つめる必要はないのか。

昨日会った人々の群れのように、静かな歩きで今日を踏みしめたいとは思わないのか。

見よ。今ある本当の姿を。

降り注ぐ猛毒の汚染の中を

降り積もった猛毒の汚染の上を

歩く姿を、ただ、歩き続ける人々の群れを。




そして、私は、この歌に出会ったのだ。

「おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もつぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲み取る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ 」

中野重治も「おまえは歌うな」と歌ってみせた。

それが詩人の姿なのか。 

もう詩は書かない。二度と書かない。


2012年4月19日 誤字修正
(120419b)
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2012年4月18日水曜日

ブログ文書削除のお断り

政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)の削除とその理由


三石博行


日記形式のブログとは

我々は、言いたいことがあるから文章を書くのだ。
もし、書くべき主張がなければ、あえて書くことはない。

自分のために書く作業を日記と呼ぶ。これは、他人には絶対に見せたくないものだ。

つまり、書くという行為に意味がある。書きながらこころをまとめ、整理し、癒しているのである。だから、これは見せるために書いてはいない。

ブログで日記を公開しているが、それは本当の意味で、日記ではない。

それは、見せたいものがあり、他人に伝えたいものがあるために、書かれている文章である。
多分、毎日、書き続けるので「日記」と呼ぶことにしているのだ。

その意味で、私のブログも日記である。


論文作成作業では表現できない直感中心の文書化作業

論文を書くように、資料を収集し、それを全て分析し、自分の仮説に従って、再度、資料分析を配列しなおし、また、それを分析する。論文を書くには、当たり前のことだが、大変な労力が必要である。

私は、そうした研究作業を続けながらも、ブログのように、すでに直感的にはっきりしている結論を、出来るだけ素早く書く方法が欲しかった。それが、このブログになっている。

だから、毎日、出来るだけ書くようにしている。


調査や実証なくして論説は出来ない

しかし、場合によっては、よく調べなければ書けない課題が生じる。「裏を取る」というジャーナリストがよく使うことばと同じように、文書を書くためには、裏を取らなければならない。実証できない仮説を言うことは、意味のないことを長々と話していることになるので、読む人に迷惑な話である。そんな話は、インターネットという公共資源を使わないで、自分勝手に、日記のように書けばよいのである。

もし、インターネットを使って書くなら、それは伝えたいことなのである。つまり、社会的に役に立つと主観的に思うから、ブログで公開しているのである。自分なりの主張を持っているから長々と書いているのである。

その意味で、今回は、社会運動の形態を生活資源論から説明する課題を選んでいる最中である。この仮説が正しいかを実証する必要がある。どこかで、生活資源論で社会運動の全ての運動や組織形態は構造的に説明できると直感的(楽観的に)に感じるのである。

しかし、つねにすべての予測に付きものではあるが、直観的に導かれる結論は必ずその楽観的な帰結による落とし穴を持っている。厳密な論証では、常に「そうは問屋が卸さない」のである。

つまり、直感的な結論に執着することは論証や実証を行うために書かれる論文形式の文書では危険なことになる。それで、今、労働運動に関する分析作業が足踏み状態になっている。しかし、同時に、スランプと呼ばれる、この神様の与えてくれた思索活動の貴重な休息日を十分に満喫してもいいのだと思う。


生活資源論は社会運動を説明する理論に成り得るか

そこで、生活資源論を使って、歴史的な民衆運動(社会運動)の発生とその形態を説明してみる。生活資源論(仮説)が正しいなら、民衆運動、社会運動、市民運動と歴史的も現代社会でも呼ばれる大衆運動のすべての形態がその仮説によって説明可能である。もし、説明不可能なら、その仮説は間違いっていることになる。

例えば、中世封建社会で頻繁に生じた百姓一揆であるが、その理由は明確である。そして、それらの運動の形態、暴力性や組織性、非政治化などの運動態の属性を仮説から説明できるだろうか。また、日本の近代国家形成初期に起る労働者の反乱、そしてその後に形成される労働運動の歴史。戦前の労働運動が政治化する現象と戦後初期の労働運動と政党政治との関係、さらに現代の非政治化する労働運動の発生等々、全く異なる運動や組織の在り方を、一つの理論・生活資源論から説明できるだろうかという課題である。

この仮説の検証作業を行うのは、今日の社会運動の方向を理解するためである。この仮説から、近未来と21世紀にわたる社会運動の果たすべき役割、つまり成熟した民主主義文化と社会システムの形成に果たす市民の活動や運動について理解したいのである。それが、この仮説検証の最終的な目的であり、目標でもある。

今現在の課題は、今日の労働運動を始めとして、多様化する市民活動、ボランティア運動の社会的機能(役割)を理解し、それらの運動や組織に対しる有効な社会政策を提案することである。市民活動が社会システムを形成するための社会資源となることを理解するためには、これらの運動組織や形態に引き継がれている反体制運動の遺伝子を解明し、その社会的意味付けを与えることである。これが生活資源論から説明しよとする試みの意図である。そして、それにはさらに私の主観的な希望が潜んでいる。つまり、それによって、市民運動の原動力である体制批判性は、未来社会のために活用される豊富な社会文化資源となると信じたいのである。その意味で、この仮説には私の主観(哲学)が潜んでいて、それを排除できない。

この主観的願望に近い理論的説明の有効性を問わなければならない。これが詩人と科学者の違いである。私が詩人であるなら、この主観的願望に満ちた仮説を極限まで表現し、直観的に示された言葉の力によって、説明作業を終了できるのである。しかし、科学者としては、詩人性を徹底的に排除し、詩的表現の一片をも許すことなく、冷たく分析的な表現によって、言葉の色彩や音色を取り除かねばならない。

そのために、科学者は詩的な言葉をすべて音や色のない言葉(専門用語)や数字にして考えることにした。それは人間科学者の気持ちに反する作業であったとしても、この作業を抜きにしては美しさに潜む欺瞞に目を奪われることの恐ろしさ(被害)を知り尽くしているからである。そこで、近代科学としての社会学研究は社会調査によって社会現象の実態を理解する作業を前提にしているのである。

それと同時に、近代科学の伝統を汲む社会科学には、現象するそれらの社会実態を構造的に説明する作業も求められる。その作業を理論と呼ぶ。理論は現実を理解するための道具である。理論社会学は社会調査法、社会実態研究や社会政策に有効に活用されない以上、その意味を失うことになる。この考えを私に何遍となく説明したのは故吉田民人先生であった。彼の理論社会学(社会科学哲学)・プログラム科学論や自己組織性の設計科学の目的と、これらの理論研究の今後の在り方を言い残されたのだと理解している。

その意味で、私は吉田民人先生の理論社会学研究を継承したいと願った。その作業に一つに、生活資源論があった。阪神淡路大震災後の罹災者の生活復旧や復興活動として派生した「生活再建のその段階で必要とされた生活情報」の調査とその分析から導きだした生活情報の三つの構造、生活情報論を篭山京の「生活構造論」、青木らの「生活システム論」と吉田民人の「生活空間論」で再検討して導いたのが「生活資源論」であった。

この仮説を使って以前、「人権学試論」を展開してみた。社会運動主体の行動要因(動機)は人権を求める人間の行動要因と同じである。その意味で、人権学の基礎理論、生活資源論は社会運動論を説明するための有効な仮説となる考えた。これが、生活資源論で社会運動が説明できると直感的に感じた理由の一つである。そして、それが同時に、この労働運動に関する分析の中断(足踏み状態)の理由でもある。


文書の削除を突然します

4月16日にブログ発表した文書「政治運動化した日本の労働運動の歴史(戦前戦中から1960年代)社会運動としての労働運動 (1)」があまりにも未熟なので、今日、それを削除した。

もう一度、初めから書き直すことにする。もし、その文章を読んでいる最中の人が居たら、申し訳ないことをしている。

もう少し、お待ち下さい。納得いく文章を発表しますので。


2012年4月19日 誤字修正、文書修正
(120418c)
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2012年4月17日火曜日

言(ことば)が肉となった

三石博行


イースター(復活際)

西方教会の復活際の日2012年4月8日、友人夫婦の誘いで同志社教会に行った。

教会に行ったのはフランスに住んでいた時以来もう20年前になる。

無神論者の私は、以前から教会の雰囲気は好きだった。

キリスト教は宗教の中で、教義をもっとも分かりやすく教えている。

そして常に人々に分かりやすい言葉で書いた聖書が配布される。

また、教会によって多少の違いはあるが、お祈りのことばは、常に、今の生活世界に関する話題に触れている。

私は信者ではないので、讃美歌を歌うことも儀式に参列することもしない。

しかし、自分なりのやり方で教会のお祈りに参加している。

こうした無神論者の訪問すら、この教会の礼拝では違和感なく認められている。


ヨハネによる福音書から

この日の教会でのお話は「ヨハネによる福音書」の一節であった。

聖書を広げて、ヨハネによる福音書を読む。

「言(ことば)が肉となった」新約聖書 日本聖書協会 p163

「初めに言(ことば)がある。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
言の肉に命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しない。」


NHK ETV特集「失われた言葉を探して」2012年4月15日

偶然だった。NHKのETV特集「失われた言葉を探して」を観てしまった。

津波で跡形もなく消え去った実家、壊れた母校の姿を前にしながら、失われた言葉を探そうと苦悩する小説家辺見庸。

彼がであった「命・肉の言(ことば)」は死刑囚が独房の中で書き綴った俳句であった。
短い句に凝縮された肉の叫び。

表現の虚無化を意味することばの大量生産

余りにも簡単に言葉が流れでる仕組みを創った情報文化
余りにも多くの新語を生産し続ける高度知識社会
余りにも商品化された言葉の洪水・豊かな経済発展

辺見氏の問い掛けは、
現代文化が生産した物化した言(ことば)への問い掛けのようであった。

それは同時に生が死と分離したバーチャルな世界
それは同時に生活者と経済人が分裂しいがみ合う世界

詩人河津聖恵氏のブログに

「なぜ辺見さんは大道寺氏に句を作れと言ったのか。句集を出せと言ったのか。
それは同氏が癌に侵されているからだというだけではありません。
どんな時でも人間を救うのは言葉だからです。」

と書いてあった。


お前は語ることをやめよ

肉の言(ことば)は十字架に架けられた者の叫びから生まれる。

一人の死刑囚が永遠に負わなければならない十字架
一人の死刑囚が実存を掛けても報いきれない罪(原罪)

この死刑囚のためにイエスが現れたのだろう。
そして、この死刑囚のために、ヨハネが福音書を残したのだろう。

言(ことば)は
生に必然的に与えられた死を受け止める力
死というすべての命に与えられた不可避的自然
そのことを解し、
そのことを受け止める

我々の在り方のために
用意された言(ことば)
宿命を受け止める言(ことば)
沈黙から絞りでる血肉の言(ことば)
そして、その暗闇こそ、言の意味を教えるのだ。
暗闇は光を永遠に理解しない。

お前がその光で暗闇を照らそうとしたいなら、
もうその口調で、勇ましく暗闇を照らそうと語ることをやめよ。



引用、参考資料

辺見庸
http://yo-hemmi.net/

NHKETV特集「失われた言葉を探して」2012年4月15日 辺見庸出演
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0415.html


大道寺将著 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)
http://mmall.jp/item/170872390?aff_id=src0101&l=true


河津聖恵氏のブログ
詩空間「2012年4月16日 (月) 4月15日放送ETV特集「失われた言葉を探して」(1)」
http://reliance.blog.eonet.jp/default/

「河津聖恵(かわづ・きよえ)1961年東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。1985年第23回現代詩手帖賞受賞。詩集に『姉の筆端』、『クウカンクラーゲ』、『Iritis』、『夏の終わり』(第9回歴程新鋭賞)、『アリア、この夜の裸体のために』(第53回H氏賞)、『青の太陽』『神は外せないイヤホンを』『新鹿』『龍神』『現代詩文庫183・河津聖恵詩集』。詩論集に『ルリアンス――他者と共にある詩』。野樹かずみとの共著に『christmas mountain わたしたちの路地』『天秤 わたしたちの空』。『朝鮮学校除外反対アンソロジー』発行」(詩空間 津聖恵氏のブログから引用)


2012年4月18日 誤字修正
(120417a)
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2012年4月16日月曜日

団塊の世代の私と友へ

三石博行


今、市民運動や反原発運動に関心が高まる中で、我々が誤った70年代の新左翼運動を正当化するものは何一つないことを理解すべきである。

原発推進派の犯した誤りによって、1970年代に暴力革命や爆弾テロをこころのどこかで支持した新左翼運動が正当性される根拠は何一つない。

むしろ、命や生活の大切さを知らない思想という意味では、新左翼運動は原発推進派(原発ムラの人々)と同質であると理解すべきである。

そして、福島原発事故で被曝し故郷から追い出される人々と爆弾テロで家族を失い生活を破壊された人々が同じ政治の犠牲者として理解できるこころを持たなければならない。

過去に自分達が信じた思想は、今の原発ムラの人々の考えと同じであることを自覚しなければならない。

過去の新左翼運動への厳しい自己批判や反省を抜きして、現在の市民運動のこころを本当に理解できるのか。

しかも、よく口から出ることばを思い出すがよい。

「今の若い人々は闘わない」

その発言の根拠を正せ。そして、その発言に秘められた傲慢で自己批判なき己を恥じよ。

謙虚に時代に学び、謙虚に現在を見つめよ。

過去への厳しい自照(自省)の気持ちなしに、本当にお前は今の状況が正しく見えるのか。

問いかける力を持て。

受け止める力を持て。

こころから湧き出すものを確りと抱きしめよ。

時間がないのだ。


2012年4月16日誤字修正
(120416b)
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2012年4月14日土曜日

日常性という根拠なき世界の中で

孤独な闘いは限りなく続くと思う。

ただ、黙々と進む以外に、もう私には為すべき方法が見つからないのだ。

そして、時折、敢えて自問する。
「いったい、この作業に何の意味があるのだろうか」と

この問いに私は答えを見つけられないのだ。

そして、この問いに対して
「そう信じる以上、やるしかないのだ」と言う。

説明することの出来ない情念の世界。
その意味を説明できない根拠なき世界。

その虚無の真っただ中で、私は今日も黙々と歩く。
黙々と歩くことに意味を感じながら。

そう信じている私に力を与えよ。
そうしか生きられない私に勇気を与えよ。

ただ、ひたすらにこの根拠なき希望の世界を進むのみなのだ。

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友の死を悼む

最近、多くの友人達の逝去の知らせが入ってくる。そううい歳になったのだと自覚する。

中学時代の友人の木下重治君、、京大で毒物垂れ流し糾弾闘争をしていた清水美和君、そして伊方原発反対闘争をしていた重松君(おそ松君の愛称で呼ばれていた。彼は今から3年前にすでに他界していた)や尾崎氏の奥さん。

それらの人々の顔が想い出される。いつも間にかこの世から消えていく。これは避けがた命の在り方なのだろう。

思い出すと、今から30年近い前に京大安全センターを共に創った長瀬君が亡くなった知らせをフランスで知った時、あの懐かし声や表情を思い出し、涙がこぼれた。残念でたまらなかった。傍にいてやれなかった自分を詫びた。彼は優秀だった。そして何よりも心の優しい人だった。家族をおいて他界へ行った彼。どうしてなのか。そのわけを会って聞いてみたいと思った。彼が書いた手紙を今でも持っている。それが彼が私に残してくれたただ一つの送りものになってしまった。

こうして、多くの友人達が去っていくのだ。そして、いつか自分も、最愛の人も、去ることになるのは確かだ。

何のために生きたのか。それを問い掛けるのは、生きている現在があるからだろう。
もし、死んでしまった後に、誰が、この問い掛けをするだろうか。

何に向かって生きようとしているのか。そんな問い掛けが生まれるのは、今が十分でないからだろう。
いつまでたっても、今が十分だと思えたことのない自分に、いつか、この問い掛けが消える日があるだろうか。
その時は、今の私が消える時なのかもしれない。

多くの大切な人々が去ってゆく。榊の伯父さん、両親も、大切なことを教えてくれた父、好きだった母、尊敬していた母。そして岩松先生。世話になった義父や義母や角田の義伯父さん、もう会えない大切な人が増えてゆく。

多くの尊敬していた人が去って行った。上田等氏、黒川幸夫先生、岸田綱太郎先生、梅棹忠男先生、吉田民人先生。

これからも、多くの親しい友人達が私より先に、旅立つに違いない。

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2011年3月26日土曜日

春の大雪

2011年3月26日の庭


三石博行


今朝、起きてみると、一面銀世界であった。3月末に、こんなに雪が降るのは珍しことだ。




東日本大震災の罹災地にも雪がふっただろうか。寒かっただろうか。





水菜の花も雪で覆われてしまった。

2011年3月25日金曜日

可愛い迷惑な訪問者

2011年3月25日の庭


三石博行


毎年、冬に訪問者がやってくる。冬しか来ない。多分渡り鳥かもしれない。もしくは、山に食糧がないから人家のある所に来るのかもしれない。



彼らの好きな野菜は、ケール、キャベツと栄養分の多い肉厚の葉っぱを持った野菜だ。小松菜やホウレン草はそんなに好きではない。

今年の冬は、ビタミン菜を植えた。ビタミン菜が随分お気に入りで、毎日、葉っぱをつつきに来る。殆ど良いところは、ツガイでくるこの家族に食べられる。



真冬が終わり、寒さが和らぐ。すると野菜たちに変化が起こる。

まず、小松菜のとうが立ちだしたので、まず、小松菜を食べてから、ビタミン菜の葉っぱを食べることにした。

今週に入って、私もようやくビタミン菜を取ることが出来た。もう、鳥に葉っぱの先を突かれて、まるで破れた扇子のようになっている。

それでも、今朝も葉っぱをとった。ここは寒いから朝早くは野菜の葉っぱは凍っている。

葉っぱを集めて、雨水タンクの水で洗って、鳥に食べられてぼろぼろになった葉っぱを捨てて、食べられるところを集める。

それで野菜ジュースを作る。


確かに、この野菜は、今までの小松菜より甘い。

おいしい野菜ジュースが出来た。

彼らは、野菜のことをよく知っているのだと、改めて彼らの能力を見直したのだった。


3月25日

友人から、この迷惑者の名前は「ヒヨドリ」だろうと連絡を貰う。
早速、調べてみた。

確かに、ヒヨドリみたいだ。


参考 Yshooオンライン野鳥図鑑
http://www.yachoo.org/Book/Show/462/hiyodori/

2011年3月21日月曜日

Eric DOLPHY 

音楽について(1)

三石博行


ジャズとの出会い

私がJAZZに接する機会を作ってくれた二人の友人が居た。槇和男君と岩本晴穂君である。当時、大学の近くの農学部前の電停近くに「メルヘン」というジャズ喫茶があった。槇君は殆どそこで量子力学の勉強をしていた。量子力学の原書を章ごとに分けて、コンパクトにした本を持ち込んで朝から晩まで、ジャズを聴きながら、原書を読んで、演習問題の微分法方程式を解いていた。

そんな彼に連れられて、私もメルヘンに行った。当時はクラシック音楽を出町柳の「柳月堂」で聴くのが私の楽しみであった。よく岩本君と柳月堂に行った。私の好きな音楽はベートーベンで、当時は弦楽四重奏に魅せられていた。よく岩本君と弦楽四重奏を聴いていた。

メルヘンでの初めてのジャズは衝撃的だった。槇君が私に選んでくれたのがEric Dolphyの曲だった。余りの衝撃さに心が動顚したことを記憶している。それは音楽と謂うよりも、何か叫びのような、そして語りかけてくる音楽であった。はじめて出会った音楽であった。


Eric Dolphy in Europe

今、私は東日本大震災で苦しむ人々に何かしなければと思いながら、ここ1週間続けざまに、これまで阪神淡路大震災の生活情報調査活動や関西労働者安全センター常任事務局員の時代に学んだ災害への安全管理や危機管理に関する考え方を書き続けている。

今、無性に、Eric Dolphyの音楽が聴きたくなって、書斎にラジカセを持ち込み、「Eric Dolphy in Europe, Vol.2」を聴いている。

彼は、このヨーロッパ演奏旅行の最中に死んでしまったのだ。これは、彼の陽気で力強い鎮魂歌かもしれない。

彼らのこの音楽は、あの演奏会の一瞬にしか残らない。つまり、この音楽は偶然に録音されて残ったものだ。何ということだ。これほどのすごい音楽を、彼らは一瞬の出来事として永遠に葬り続けてきた。多分、その一部がここに残されたのだろう。


そして今もなお

彼が今から半世紀以上前に、母国アメリカから遠く離れたヨーロッパの小さなジャズ演奏会場で、仲間と共に作曲し演奏している自分たちのための「レクィエム」を、今日も私は聴く。

そして、この偶然に録音され残された小さな演奏会場での音楽に、私は限りなく感銘し続ける。

もうあれから40年が過ぎた今でも、やはりこの音楽から受ける感銘は変わらないのだ。

彼の魂の叫びは、今、苦難に立ち向かう罹災者、救済のために闘う人々に、きっと届くに違いない。


リンク資料

Eric Dolphy演奏動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=27QVenKmDBI


修正(誤字)2011年3月22日





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2011年3月20日日曜日

堆肥作り

2011年3月20日の庭


三石博行


近所の人が庭の落ち葉や芝生の葉、庭仕事で出た草花の廃棄物を我が家のガレージに置いている。庭からでるゴミはほとんど堆肥に出来る。



しかし、小枝は粉々に砕かないと肥料にならない。小枝と葉を分けて、葉だけを堆肥舎に入れる。



堆肥舎に入れる前に、小枝と葉っぱを分離する。葉っぱは堆肥舎に入れ、小枝は粉砕して再利用する。




良質の堆肥にするためには、牛糞や鶏糞を混ぜる必要がある。私は近くの市営農場から牛糞を運んで堆肥舎に入れる。毎年、2回ぐらい近所の山田さんから軽トラを借りて運ぶ。



農場の堆肥舎で藁(わら)が沢山入った牛糞は発酵がよく進み、湯気を出している。その牛糞を自慢の堆肥舎に入れる。そして、その中に近所や自分の庭から出た有機物のゴミを入れる。



雨が振り込まないように、また近所に牛糞の臭いがしないように、カバーを掛ける。牛糞に混ざった有機物は発酵し冬でも湯気を出している。



カバーを掛けて、雨が入らないようにする



今日は、昨年の11月に牛糞を入れて作った堆肥を取り出して、庭に撒いた。

トウが立ち始めた小松菜を抜いた所、これから花を咲かせる水仙、チュリップ、バラ、色々な春の草花の花壇、ラベンダ、セージ、その他のハーブ、イチジクの木、サクランボの木、レモンの木等、庭の半分くらいの面積に堆肥を撒いた。

庭はもう春を感じている。今日、貰った堆肥のご馳走に喜んでいるに違いない。

学生時代の読書会スタイルでの三つの研究活動

プログラム科学論研究会活動報告(1)


三石博行


プログラム科学論研究会は、現在、三つの研究活動を行っている。一つは槇和男氏と吉田民人著『自己組織性の情報科学』の読書会である。もう一つはEddy Van Dromさんとの研究会である。それぞれ1週間に1回の割合で行っている。もう一つは綿引宣道氏(長岡科学技術大学)との研究会である。この研究会は年に2回の計画であるが、今まで1回実施された。

吉田民人先生(以後 吉田と呼ぶ)の文章を一人で読むのは大変だ。多分、最後まで読み通せないかもしれない。それとも、読むには読んだが、殆ど一つ一つの文脈の流れを検証することなく、さらりと読んでしまう。

その理由は、抽象的で難解な文章と内容、しかも吉田用語による吉田分類学と吉田論理展開、つまり吉田理論社会学の独自の学問的領域への自己同化作業は超が付くほど困難であること、等々の理由が挙げられる。先生の下で研究していた人々も多分、私と同じ感想をもっていただろう。

そこで槇さんやEddyさんと一緒に文章の読み合わせ、解釈、批判を行うことで吉田理論社会学の勉強が可能になる。

随分昔、学生時代、化学研究会を創り大井英治君や木村隆良君ら数人と有機化学(英語の原本)、熱力学の勉強会をしたことがあった、また槇君達と一緒に量子化学研究室のゼミで量子力学(英語の原書)の読書会をやったことがあった。学生時代は、そんな風にして読書会をよくやっていた。しかも自然発生的に読書会があっちこっちで出来ていた。そんな風景は次第に歳を取るとなくなる。私は幸いいつまでも若い気持ちをもった友人に囲まれているので、吉田理論社会学の学習会を行えるのである。

吉田先生が私にしてくださった「ゼミ」も、今、私が槇さんやEddyさんとやっている読書会と殆ど同じスタイルであった。勿論、教科書はなかったが、課題別に徹底した討議を行った。私が質問する吉田先生の論文で述べている概念に関して、理解できるまでる説明された。

吉田先生も、最後の最後まで若い学生のようだった。読書会を続ける青年であった。難解で壮大な社会学理論に魅惑された私とその理論を構築し続ける吉田先生は、共に吉田理論社会学の読書会の一員であったように記憶している。

私たちのプログラム科学論研究会は吉田スタイル(学生のように読書会をする)を引き継いでいる。それは我々の青春時代にあった大学の風景であり文化であった。その文化の継承によって、難解な吉田理論社会学の解読、批判と展開作業が可能になっている。


修正(誤字) 2011年3月20日

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