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2019年3月15日金曜日

人間社会科学の成立条件(7)

近代科学の形成 

中世的世界観・偏見や先入観への「懐疑」


近代科学は、一切の偏見や先入観を排斥し、明晰判明な思考を獲得するために「疑う」という精神を前提にして成立している。この精神は、ペストへの集団的ヒステリーとも言える西洋社会で起こった「魔女狩り裁判」への思想的批判に基づいている。魔女狩り裁判と称する殺戮は、中世的世界観によって引き起こされた悲惨な事件であった。中世的世界観を点検するためにミシェル・ド・モンテーニュ(1533-1592、フランス)は懐疑論を展開した。

イギリスのフランシス・ベーコン(15611626)はイドラ(偏見や先入観)を列挙した。一つ目は、「種族のイドラ」と呼ばれるもので、人が生まれながらにして持ち込んでいる観念形態(社会文化的偏見)、例えば民族や種族、社会文化や風土に付随している風習、習慣、常識等である。二つ目は「洞窟のイドラ」と呼ばれるので、個人的な経験によって身につけている私たちの先入観である。三つ目は、「市場のイドラ」と呼ばれるもので、人々が社会的生活をおくる中で受け入れている常識(社会的偏見・共同主観)である。それによって悲惨な事件、例えば1923年関東大震災時に起こった在日朝鮮・中国人の虐殺事件、1994年アフリカのウワンダでフツ族過激派によるツチ族の虐殺事件を起こすこともある。四つ目は「劇場のイドラ」と呼ばれるもので、人々は自分の考えを他者や正論と称される考え方を信じることで受け入れている誤った考えである。

ベーコンは四つのイドラを示すことで、中世社会の観念形態(常識、信条、理論)を疑うことを提案し近代科学の方法・「帰納法」や経験哲学を提唱した。かれは、個々の実験や観察結果を整理し集計しながら規則性(法則性)を見出す帰納法の考え方、実験科学によって成立する帰納的方法と、それによって成立した理論を実際に実現する「知は力なり」と言う実践的証明・実証性を持つ近代科学の精神を確立した。

他方、フランスのルネ・デカルト(15961650)は、モンテニューの懐疑論を「方法的懐疑」と呼ばれる近代合理主義を形成する方法論として提唱した。デカルトはガリレオの地動説を擁護したために、フランスを追われ、先進国オランダで、1637年、「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法」『方法序説』の中で、「方法的懐疑」について書くのでる。彼は、方法序説第2部で、「探求した方法の主たる規則の発見」ために必要な四つの規則を述べた。その一番目の規則が物事を徹底的に疑う「明証性の規則」である。

デカルトの「探求した方法の主たる規則の発見」を行うための四つの規則とは、一つは物事を徹底的に疑い「明証性の規則」、二つ目は物事を構成している要素を分析的に分ける「分析の規則」、三つ目は、最も細かく分析された単純な要素によってより複雑な世界を構成する「総合の規則」、そして最後の四つ目は、分析された要素によって総合された結論を検証・再検討する「列挙の規則」である。

デカルトは方法序説の第4部で、感覚・論証・精神に入りこんでるすべてを虚偽と考えて、それに対してそれ以上疑問を続けることができないまで、徹底的に(方法的に)疑うこと必要性を述べている。この方法的懐疑によって、はじめて、「疑い続けている私を、私は疑うことは出来ない」という論理、つまり「我思う、ゆえに我あり」の命題に辿り着く。これを第一命題として、明晰判明な論理が演繹的に構成される。明晰判明な概念として確立されている公理や定義を基にして複雑な世界を証明する数学の方法が演繹的な近代科学の代表となる。

デカルトの演繹法(近代合理主義)やベーコンの帰納法(経験哲学)は、共に、真理を発見するための方法(考え方・哲学)として近代科学を構成する方法論の基本となる。それらの方法の成立は「疑う」行為が前提となっている。実験という科学的方法により疑う行為が帰納的に展開される。数学的、論理的な証明作業によって疑う行為が演繹的に確認される。その後、近代科学は、疑い、実験し、検証し、実証する精神によって成立し発展することになる。


自然神学、自然哲学からニュートン力学へ


ガリレオ・ガリレイ(1564-1642、イタリア)は「宇宙は数学という言語で書かれている」と信じていた。彼は物体の落下実験結果を集計し、帰納的方法を用いて数式化した。数学的に表現された落下運動(数式)に即して、全ての落下運動も演繹的に予測計算される。ガリレオが立てた落下運動則の実証が行われる。つまり、落下運動は、地理的、時間的に異なる場所に関係なく、同じ測定結果を示し、落下運動の法則、落下運動に関する数式の正しさが証明されなければならない。こうして、落下運動の統一した実験方法や測定方法、実験結果集計方法が確立し、落下運動の法則が証明(実証)される。この実験や観測方法、データ集計方法、数式による説明方法の確立によって、近代科学として自然学が成立した。ガリレオによって近代科学の基本的な方法論が成立した。

アイザック・ニュートン(1642-1727、イギリス)は、1617世紀の天文学や物理学(自然哲学)の業績、例えばガリレオの落体運動の法則やヨハネス・ケプラー(1571-1630、ドイツ)の惑星周回運動の法則を、統一的、体系的な力学の運動法則として説明した。著書『自然哲学の数学的諸原理』(プリンキピア)の中で、ニュートンは、絶対的な時間と空間を前提にし、慣性の法則(第一法則)、物体の加速度を力と質量の関係で示した運動法則(第二法則)、作用・反作用の法則(第三法則)と万有引力の法則(ケプラーの法則)等、広範な力学的現象を数学的、演繹的、統一的(体系的)に示した。

ニュートンによって、中世の自然神学的世界観に代わる、宇宙(神)の証明を近代科学の方法、演繹と帰納法、経験(実験)や実証(数式による証明)によって、解明する手段を与えた。そして、その手段(ニュートン力学)によって宇宙の運動(自然の現象)を統一的、体系的に説明した。このニュートン力学の歴史的業績によって、これまでのキリスト教的世界観を新たな科学的世界観へと転回していった。キリスト神学的(神の法則による)自然学が物理的運動法則による近代科学としてのニュートン力学へと変換された。

ニュートン力学は新たな世界解釈の方法の確立(科学革命)をもたらした。ニュートン力学の成立によって、近代社会の考え方、観念形態が形成し始める。帰納法や経験哲学は実験科学、経験主義として近代科学の方法や思想の基本を形成した。観測結果の数式による表現は、その数式化された法則を基にして自然現象を予測計量する演繹的方法、計算科学、論理実証主義へと発展していくのである。

世界を統一的に、力学的に説明する科学思想は、中世の自然神学を終焉させた。それだけではない。近代から現代への時代精神の構築に寄与した。すべての物理的世界は、ニュートン力学の法則を基に展開される。他の物理現象、振動、熱、電気、電磁気、光、化学反応、無機、有機、生物物性が、力学的に解釈され、新たな力学的法則が発見され、新たな物理学が生まれる。そして、自然は物理的現象として解明できるという思想、物理主義が生まれることになる。


参考

三石博行 「中世的世界観の終焉 デカルトの方法的懐疑とその役割」

三石博行「中世社会の人々の意識 感覚中心主義と魔女の存在」

三石博行「中世社会の世界観の崩壊 ケプラーの地動説の影響」

三石博行「魔女狩り裁判を引き起こす世界観」

三石博行「人間的な感性、思い込みから生まれた歴史の悲劇とその精神構造」

三石博行「魔女狩りは中世社会だけでない現代社会でもある」



修正作業190318



2013年1月23日水曜日

プログラム科学・自己組織性の設計科学としての政治社会学

東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題(1)
Problems about Functional Promotion for Possibility of East Asia Community

三石博行


調査研究活動目的、 問題解決型科学としての政治社会科学を目指すために

「東アジア共同体の可能性を巡る機能的推進の課題」を調査分析する課題は、私たちが所属する「東アジア」として国際的に分類されている地域、つまり少なくとも近隣諸国(台湾、中国、韓国、北朝鮮とロシアや米国(アラスカ)の諸国との平和的共存関係の在り方や方法を検討し、その関係が成立する政治的条件や経済文化的環境を分析することである。

これらの課題を取り上げた目的は、近年日韓や日中の間で紛糾している領有権問題を巡って、今、日本外交の在り方が深刻に問われている。

しかし、この危機的な外交環境は、別の見かたをすれば、漸く日本は近隣諸国と真正面に外交関係を検討しなければならない時代に入ったと解釈した上で、日本の所属する「東アジア」地域の平和的共存の在り方を模索するための第一歩が始まったと理解することもできる。その為に、この調査課題を取り上げる。そして、この作業の目標は、あくまでも現実の「東アジア」地域の平和的共存を目指す政治経済文化活動に役立つことである。


方法の問題、自己組織性の設計科学としての政治社会科学の方法を課題にする

この調査分析方法をプログラム科学論に即して展開する。そして、同時に、この研究活動を通じて人間社会科学の方法論としてのプログラム科学論の有効性を検証する。その方法論を確立するための課題を、以下列挙する。

1、 調査研究課題の目的と目標が明確に位置付けられているか。つまり、何を何のために、どの問題をどのように解決するために、研究調査活動を行っているか。つまり、指示プログラムの課題を理解しておくこと。

2、 政治社会学の課題や研究方法には、予め政治的立場を持つ場合が避けられない。つまり、何らかの結論や予測が無意識的にも予定されている。その為に、研究方法に不十分さが生まれる。しかし、この研究の宿命である研究者の「予め希望する政治的立場」を白紙化することは出来ないだろう。それが政治社会科学の科学性に関わる問題となる。従って、少なくとも、自らの無意識にあるその立場を暴露し露出させる自覚的な作業が問われる。それは科学哲学の課題を常に政治社会の調査研究の方法の問題としてリンクさせ続けることになる。つまり、指示プログラムの基本構造を問題にし続けること。

3、 2に上記した課題の解決方法として、調査研究課題に関する統計的なデータ(調査主体を明確にし、その調査方法も検討しながら)を集め、そのデータを基にしながら、基本的な分析材料を作成する。つまり、認知と解釈評価プログラムの多様性を明確にしておくこと。

4、 また、問題解決の現場に赴き、そこで問題現場の現実を観ること。そして、その問題現場で取り組まれている問題解決のための活動を理解し、それに携わる人々を知ること。つまり、認知と評価プログラムの原則、現場主義の立場を明確にしておくこと。

5、 さらに、その課題を検討する論文や文献資料を集め、それらの資料から窺える(うかがえる)研究目的や方法、さらには解決の方向や政治的立場を理解し、出来るだけ、多面的に、それらの立場の異なる資料を採集する。つまり、認知と評価プログラムの多様性を相対化する作業を意識的に課題にすること。

6、 上記した5の課題から、自らの研究目的は目標の主観的立場性(政治的立場)を相対化し、その自らの立場を含めて批判的検討を行う作業を政治社会科学研究は用意する必要がある。つまり、相対化された認知、評価プログラムの集合体の中で、自らの認知と評価プログラムの立場を相対化する作業を試みること。研究主体の持つ指示プログラムの有効性を求めるために、この研究主体の指示プログラムの相対化は欠かせない作業となる。

7、 上記した方法の問題は、具体的調査研究活動と同時並行的に進行し、点検される。つまり、予め完成されてはいない。科学方法が科学実践の先にあるのでなく、それらの二つの関係、つまり方法の問題と調査研究内容の蓄積は同時に進む。その意味で、段階的に成果発表を行い続けることになる。つまり、プログラム科学論は、問題解決を目標とする具体的研究課題とリンクしながら形成発展する。これはプログラム科学論自体が自己組織性の設計科学の一部であることを意味する。


問題解決学としての政治社会科学の成立の一つの条件、政治社会哲学

問題解決型の研究活動では、一般に研究調査課題や対象選択、調査方法、採集資料の整理分析方法、評価分析に至るまで、研究者のそれらの方法や解釈に関する選択が存在する。その選択は科学的方法に於ける立場選択と言えるだろう。その意味で、政治社会学に於いてある科学的方法が選択されると言える。その選択の基準や判断を決定するものが、問題解決を進めるために研究主体が決定している立場である。

つまり、政治社会に関する調査研究には必然的に政治的立場が介在してくる。その介在を取り除くことは不可能に近いと思われる。そのために自己の政治的立場という固定観念を相対化するための方法論が、特に、政治社会研究では問題となった。しかし、主体の相対化は、研究主体の調査研究行為進行中で可能になるだろうか。何故なら、鏡を持たない人が現実の自分の姿、鏡に映る自分の姿を客観的に認知出来ないのと同じ認識作用の構造を持ちこむからである。

視点を変えて述べるなら、政治的立場のない政治社会研究はないと言える。政治的に客観的な立場をもった政治社会調査研究活動はない。問題となるのは、その視点の中身である。その中身を対自化するためには、「何のために、この課題を取り上げるのか」という疑問を自らに問い掛ける必要がある。

自己認識を可能にする知性の道具、鏡とは、「何のためにその課題を探究するのか」と自問する哲学的問い掛けを意味する。つまり、問題解決型の学問は、具体的に問題の解決を続けられる限り、その学問の方法論やその学問の深化に必要な認識の在り方を問い掛けることはない。つまり、科学的思惟は反省学(哲学的知識)を必要としているのである。


今回の課題発表の成立条件

私の専門は科学哲学と人間社会学基礎論である。これまでの研究分野は、科学技術論、精神分析論、科学認識論、言語学、生活情報論、生活資源論である。ブログ等での評論活動として、再生可能エネルギー論、高等教育論、政治社会改革に関する記述を行っている。また、国際交流や太陽光発電所ネットワーク等のNPO活動に参加している。

その意味で、「東アジア共同体構想」に関する専門的な議論は、謂わば、「領空侵犯」である。そのことを前提にしながら、今回の発表を行う。そのため、この発表は、専門家が長年掛けて、現場調査、データ解析、研究交流活動の蓄積を前提にしていないことを前提にしている。その意味で、「東アジア共同体構想を議論する」には専門的な知的蓄積の極めて不足したものであると言える。

上記した報告者の課題提供能力や専門的知識に関する限定的資格条件を明らかにした上で、今回の議論の焦点を二つ挙げる。
1、 政策提案や問題解決を目指す政治社会学の科学性に関する課題
2、 東アジア共同体構想を展開するための課題

一つ目は、この節で述べた。二つ目は、第一節と第二節で述べる。第一節では、20世紀前半までの帝国主義の時代の反省に立った新しいグローバリゼーションを求めて進められている(現在進行形)地域連合であるEUの成立過程やその機能を理解し、21世紀型の国際地域での平和共と経済文化発展のための事例として「EUモデル」の要素を分析解釈してみる。第二節では、第一節で述べた「EUモデル」が東アジア共同体構想のモデルと成り得るかについて議論する。

今回の発表の機会を与えてくれたのは、政治社会学会の理念である。この学会は、荒木義修会長の提案によって政治社会学を問題解決型の政策設計学として位置付けたてきた。つまり、政治社会学会は「現社会が抱える様々な問題解決のためには、異分野、異業種の有識者との活発な対話」を通じて、「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会」を目指す活動を行ってきた。21世紀型の社会問題と向き合う組織としての学会の理念、そしてその理念を実現するために、社会政治学会が取った一つの学会活動のスタイル、それが、今回、東京外国語大学で開催された、この第一回「アジア共生」ジョイント・コンファレンスであったと理解できる。21世紀の大学や専門機関の研究者の活動として、研究活動の横断的交流を行い、より総合的視点から具体的で実践的な問題解決の提案を社会に示すことが要請されている。そのため、政治社会学会は多くの専門機関や市民団体を集め、多様な立場の意見を基にし、議論の場の設定、企画、組織するコーディネータとして機能してきたのである。この21世紀型の学会活動の基調を前提として、私の今回の「領空侵犯」的な、言い換えると、横断化を狙う研究発表の可能性とその資格に関する条件が成立していると考える。


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2011年1月18日火曜日

日記的記述法(ブログ)から物語的記述法(ホームページ)へ

三石博行

編集作業としてのホームページ

ブログでの文章作成の作業では思惟の通時的経過を理解することが出来る。しかし、ブログで書き続けたとしても、思惟に方向を与えることは出来ない。つまり、それらの文章は、日記の延長に過ぎない。それらの文章に構造を与えるためには、時間軸に配列された文書集合を課題別に配列しなおし、しかも、その配列過程で気づく論理的不備を訂正する作業が求められる。

体系的に思惟をまとめるために文章集合を課題別に配列する作業を進めるには、もはやブログ形式での文章化作業では不可能となる。そこで、一次元の文書配列をもうひとつ次元数を増やす作業に変更する必要がある。

ホームページ作成に措いては、通時的に文書を書き続ける作業ではなく、課題別に文章群を集め、それを課題展開の物語性に即して配列整理する作業、いわゆる編集作業を行うことが要求されるのである。その意味で、この作業はホームページ作成で行う課題ページのサイドマップ化作業と類似している。

文書を体系化するにはサイドマップ化(関連性)と文書群の論理的関係が問われる。つまり、文書集合が、論理的流れと課題的関連の二つの軸に配列されること、つまり二次元に配列されることで、文章集合に含まれていた文書は構造化されるのである。ここで謂う構造化とは「物語り性を得る」ことを意味する。文書群が物語性を獲得するためには、文書群間の論理整合性と、そこで出来上がった文書群の部分集合間に課題関連性が必要である。

しかし、それらの論理性と関係性が主観的である限り、物語は私を超えて他者へ広がることはできない。そのために、その論理性(用いている解釈モデル・アブダクション)が、先行研究を踏まえてその有効性が検証されているか、言い換えると文献学批判がなされているか、また、やその展開課題が同時代の社会文化的問題意識にリンクしコミットしようとしているか、つまり、「物語る主体の問題提起」が社会的必要性を前提にしているかが問われる。

もともと、書く行為は、明らかに存在している他者(社会的存在者達)と問題を共有することを前提に始まっている。その意味でブログやホームページは、書く行為の条件を満たすものであるために、多くの人々が書くという行為を目的にして、ブログやホームページを作るのである。書く行為に含まれた共感するという贈り物(贈与)への期待によって、インターネット文化は形成される。その意味で、インターネット文化もこれまでの社会的コミュニケーションの枠内から出ていることはないのである。

編集作業は、社会的コミュニケーションを得ようとするための技能である。ブログやホームページは、そのための現代的な道具であるといえる。


日常性と思想性の相補性を求めて
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/index.html

2011年1月19日 文書変更


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2010年12月2日木曜日

新しい日本社会・民主主義と個人主義時代の責任の取り方

責任を取る行為・考え方の転回期を迎えた現代日本社会


三石博行



失敗したら切腹、美しい国日本の文化

切腹という異常なまでの責任の取り方をもつ武士の文化、それを精神文化の基本としていた日本人が、全く、責任を取らない日本人と、国内の企業や組織の中は勿論のこと、アジアや国外からも言われるようになったのは、いつごろからだろうか。

そして、何故、我々の日本文化から責任を取らないという習慣が生まれたのだろうか。また、責任を取るという個人の態度やモラルは、いつごろから喪失したのだろうか。

そこで、つい最近までの、日本人の中にあった失敗の取り方の習慣を考えてみる。つい最近まで、少なくとも1990年代までは、失敗の責任を取る仕来りがあった。それは辞めることであった。つまり、辞表する。失敗の程度によるが、会社に損失を与えた場合、役員であれば会社を辞表する。職員であれば減給にする。組織の長や執行部の失敗は、その程度によりけりで、組織を去る、職務を辞める、減給する等々である。しかし、最も立派とされる失敗の責任の取り方は辞表であった。

どのような立場の人も、もし失敗を認めれば辞職しなければならないと言う極端な結論は、ある意味で、日本的なものではないか言える。何故なら、間違いを犯した場合武士は切腹、やくざは指をつめるという習慣(失敗の取り方の作法)のように、自らの死(辞表)をもって、失敗の責任を取らなければならないからである。

この失敗したら会社を辞めるという考え方はつい最近まであった。今もやはりある社会では確りと残っている。

日本式責任の取りか方の消滅の理由、終身雇用制度の崩壊

考え方を換えて観れば、今の日本人は、失敗を取らなくなったのでなく、今までのような失敗の責任の取り方をしなくなったと理解すべきではないか。

それも失敗の程度によるが、企業に甚大な被害を及ぼすような失敗でなく、事業計画などが失敗したことで企業にある程度の損害が生じしても、以前のように切腹まではしなくて済むようになった。精々、役職を辞めればいいのである。

そして、今の日本では、新しい責任の取り方が見つかっていない状態にある。それが、失敗と取らない日本人の姿として観えるのではないだろうか。

失敗の責任の取り方には、あるモラル、行為の美学や作法に関する美意識が内在している。

桜の花が散るように、武市は見事に腹を切った。
桜の花が散るように、健さんは見事に弟分の責任を取って、指をつめた。
そこには、日本的美談、潔い行き方への憧れがある。

年功序列、終身雇用制度があった時代には、こうした美談に憧れる余裕があったかもしれないが、いつでもリストラされる社会で生きる人々には、その余裕もないのが現実である。

武士の社会文化も終身雇用制の終焉とともに、この日本から消滅使用としているのかもしれない。つまり、企業戦士(侍)は、明日は浪人になる立場に立っている。企業のために命を掛けた戦士も、その企業から簡単にリストラされる時代に直面している。今までのように、命を無駄にしていたら、何回も腹を切ることになり、終には、万年浪人の生活がまっており、ホームレスで終わる可能性もある。

日本的責任の取り方が消滅したのは、日本的な雇用制度、終身雇用制がなくなったのと無縁ではなさそうである。

そのため、今までのように、武士は潔く腹を切ることを辞めた。今までのように、日本式の責任の取り方をしなくなったといえる。


今、失敗に対する対応が問われている

しかし、一方で、責任を取らないという、新しいサラリーマン文化がもたらす社会的問題が生じている。そして、日本では、誰も責任を取らない体質が企業や組織で蔓延していると言われているようになった。

例えば、ある企画を行った人々が、その結果に対して責任を取らないために、組織では、生じた課題を基本的に解決することが出来ない。そのため、同じような失敗を繰り返す結果となる。最も代表的な例は、ブログ「畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』第一章「失敗学の基礎知識」のテキスト批評」
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_6897.html
で示した、雪印食品や動燃の失敗例である。

同じ失敗を繰り返すことで、その組織や企業は、社会的信頼を決定的に失うことになる。つまり、組織の失敗を、組織内部で点検、修正する力がなければ、また同様に、組織内部で失敗に対する処理を間違えば、その結果は、いずれ、その組織の外部評価の損失、社会的信頼を失い、その組織が存続することは不可能となる。

つい最近、例えば三菱自動車や雪印食品のように、それに近い状況で、企業が危機に瀕し、倒産した事件があった。失敗に対する対応の失敗に結果で、企業は倒産する時代が来ていることも確かである。

つまり、日本伝統の責任の取り方の文化が消滅しながらも、新しい責任の取り方の社会文化や組織運営のあり方が見つからないために、結果的には、社会全体が大きな損失を蒙っていると言えるのではないだろうか。

失敗学から導かれる行為責任論

この答えを導くために、畑村洋太郎氏が提案してきた『失敗学』は大いに参考となる。畑村氏の失敗の概念は、成功の反対概念ではなく、行為の目標値(期待値)に対する負のズレである。そのため、失敗は個人個人の目標に対して、計量的に(程度としても)測定可能になる。

また、失敗という目に見える現象を生み出すもの、つまり失敗の原因と呼ばれているものを、畑村洋太郎氏は、「からくり」と「要因」に区分した。「からくり」とは、行為の主体者、個人や組織の性質、体質、技能、考え方、方法論などである。つまり、行為を導き出す作法や様式に近い概念である。「要因」は、その行為主体を取り巻く環境や条件である。

要因は色々と考えられるのであるが、からくりを見つけることが一番大変なことである。
何故なら、自分の癖は自分では分からないからだ。組織の体質も組織内部にどっぷりつかった人々には見えない。日本社会の習慣も日本から出たことのない人々には理解できない。

この失敗学から導かれる失敗の責任の取り方のヒントは
1、 ある部署で、失敗を起こしたら、その部署の人々で、まず、そのからくりや要因を見つけ出す。
2、 しかし、そこで導かれた「からくり」つまり失敗の原因と考えられる組織や個人の考え方、体質、方法、技能等に関しては、外部から人を入れて、再度点検する必要がある。
3、 それらの失敗から学んだこと、教訓を出来るだけ情報公開して、さらに他の失敗例との関係を求め、普遍化する必要がある。


仕事のスタイルとしての責任の取り方を見つけ出す必要性

新しい時代、つまり、個人主義は日本社会の中に確りと根付き、今までの古い雇用制度でなく、能力評価を得ながら、その個人の力の評価を基にして、雇用関係が成立する時代に向かった、失敗の取り方一つにしても、社会は真摯に考え、そして解答を見つけ出さなければならないだろう。

日本人は責任を取らなくなったのではなく、新しい責任の取り方を見つけ出せない状態にあると言える。そのことを理解した上で、失敗学から導かれる責任論をさらに展開する必要がある。

新しい時代での、失敗に対する責任の取り方を見つけ出すことによって、企業が存続するあり方や、日本という社会が国際社会の進展から取り残されない方法を、見つけ出すことが出来ると思う。


参考文献


畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、 





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2011年6月28日 大幅に修正の予定

企業経営の危機から何を学ぶのか、逆境に学ぶ力

三石博行

危機をチャンするために必要な備えとは


つねに危機的状況は存在する

社会や組織を取り巻く状況が悪くなると言う事は、それに関わる、またはそこで生きている人々にとって、労働条件、生活条件や社会環境が悪化することを意味する。その意味で、状況の悪化は危機である。

企業の経営が苦しくなる。すると、リストラが生じる。多くの人々がリストラされる。失業することになる。失業によって生活の糧を失う。

しかし、その会社の経営が行き詰ることに対して、企業で働く人々は、意見を持ち、また改善策を検討してきたと思われる。その上の結果であれば、その責任の一部を引き受けることも出来る。

また、社長や経営陣の度重なる失敗の結果、会社経営が悪化したとする。それに対して、意見しても、聞く耳を持たない経営者の下にいては、将来の見通しは暗い。それなら、割り増し退職金が出るうちに辞めるほうが得策だと思う。

何故なら、その会社の再建は、これまでの企業の体質を根本的に変えなければ不可能であるし、会社の執行部でもない自分ひとりだけでは、会社の変革は不可能である。


辞めるまえにすること

辞めるにあったて、

1、 何故この会社の経営が破綻したかを徹底的に調査する
2、 この会社の執行部の体質を調べ、何故、会社の再建が不可能かを調べる。

これだけの現実のデータを集め、これまでの会社での出来事やそれに関する会社や自分の対応をデータ化して置くだけで、非常に大切なものを獲得したと思える。

言い換えると、ここまでやったときに、危機的な状況から学ぶことが可能になり、その結果が、次の行動に生かされる。もし、この調査のデータを勤務している会社が活用しなかったとしても、自分も味わった(経験した)企業の失敗例からの学習は、どこかで活かされるだろう。


逆境に学ぶ力

よく、危機的状況は、観かたによればチャンスであるということばがある。このことばの裏には、危機的状況に学ぶ、そしてその状況から立ち上がる具体的計画や実行力を前提にして語られている。

多くの場合、危機的状況はネガティブにしか作用しない。しかし、それをポジティブに転回するのは、そのネガティブファクターを掴み出し、それを改善することを理解した場合に限られるのである。

危機的状況を経験し、その状況から理解(分析、解釈した)経営不振を導いた原因(失敗学の用語では、からくりと要因)を理解することが、危機はチャンスという状況の転回を導く力を与えるだろう。






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2010年4月1日木曜日

人的資源の確保と育成のために

三石博行

はじめに

何故、組織はその運営において人を育てなければならないのだろうか。それは組織とは人によって作られ、人によって運営され、人を形成するからである。人は組織にとって人的資源である。資源という表現によって人が物化するように思われるだろう。しかし、資源ということばによって、人という労働の質が具体的な企業経営の要素となる。人を活用し、また育てることの出来る組織のリーダのあり方について述べてみる。


人が資源でることを理解している人をリーダと呼ぶ

組織にとって人的資源は最も大切である。人材を集め、人材を活用し、人材を育てることの出来ない限り組織は発展しないだろう。何故なら、価値を生み出す力は人の働きにあるからだ。能力のある人が集まり、その能力が発揮され、また人の能力を育てる企業が経営的にうまくいっているといえるだろう。

その意味で、組織運営を行う人々は、組織の資源である人材について知らなければならない。もし、経営者が雇用している人々の能力に関する資料を持っていないなら、その経営者達は会社の資産管理のデータを持っていないのに等しい。

あるベンチャー企業の話であるが、一般にベンチャーといえば知的生産の拠点を意味する。知的生産力が高いことがその企業の命なのである。しかし、その企業の社長は、そこに勤務する職員の履歴を管理していない。そのため、折角雇っていても、部署に配属された状態の職員の姿しか見えない。

多くの人々がそうであるように、年齢を経ることに人々は色々なキャリア経験を重ねてきている。しかし、仮に企業の管理者が、職員の業績を管理していないなら、資産管理をやらない経営陣に等しい行為をすることになる。新しい事業企画を立ち上げるために必要な企業内の人材の活用は出来ないだろう。その度ごとに、新しい人を採用しなければならない。結果的に経費の無駄遣いをすることになる。

また、組織の人的資源を管理することによって、職員の適材適所の配置、能力開発、企業教育やバランスある人的資源日常的活用が可能になる。

よく企業で中間管理職になった職員が途方もない残業をしていたり、いつまでも派遣やパートで仕事をしている非常勤の職員が職場の大多数を占めていたりする場合がある。安く労働力を確保することで、質の高い労働力を確保すること機会を失っている場合もある。

このような事態は、多くの場合、企業の執行部が、人が組織の財産であるとう企業思想を持ってないことによって発生している。

人をうまく使うということは、人の積極性や能力を引き出すことであって、人を機会の一部のように消耗品として使い尽くすということではない。例え単純な作業であっても、仕事にはその仕事の質、言い換えると労働のスキル、顧客を大切にするサービス精神、仕事への思い(こころの入った仕事と呼ばれる)ものがある。それは、企業の執行部が働くひとを尊重することから生まれるだろう。

そのことがよく理解できた人をリーダと呼ぶ。それが理解できていない執行部は、多分、仕事の能率を上げることも、仕事の質を上げることも、仕事のなかで人を育てることも出来ないだろう。これは組織を運営する人々が身につけなければならない最低限の考え方だと思う。


人を育てる評価制度が職場を変える 

人的資源を管理するために必要な手段として評価がある。職員の仕事ぶりと仕事内容を評価する基準を持たない限り、職場での人材育成、質の高い労働力の管理は不可のである。

労働の評価ということばは常に否定的な意味で使われてきた。勤務評定がその一例である。職員が納得でないし、それどころか反対している評価の仕方や評価内容を持ち込むことで、評価という集団はむしろ職場の労働の質を悪くする材料になってしまう。

長年、小学生から大学生まで、テストで苦しめられたトラウマが評機構の存在意味、つまり評価する作業の社会的機能を正しく理解することができないようにしている。そのため、評価とかテストと聞いただけで嫌な気持ちになる。これは仕方がないことだ。

人の能力開発に役立つテストのやり方を纏めると以下のようになる。

1、評価の目的を明確にすること。評価は問題解決のための一つの手段と考え、評価されることのメリットを常に考えること。

2、評価の基準を明確にしておくこと。レッスン1の英語を理解したかという目標に対して、レッスン1に関するテストが準備されているように、評価とは何かある目標に向かって努力したことへの評価である。従って、評価の基準や評価内容を具体的にし、公開すること。そのことによって、評価を受ける側が、その評価を受ける行為を通じて獲得したい目標を明らかにすることが出来る。

3、評価とは評価を受ける人々にとって「自分の能力開発にとって必要な方法」として理解される形式や内容を検討すること。

4、例えば、テストをより理解を深めるための作業である。その考えに基づいているテスト形式が公文式のテストである。自分の理解度を自分が試し、評価し、能力開発の計画を自分で立てることが出来る形式を公文式のテストは与えている。公文式テストが最も理想的なスタイルをしているといえる。

5、評価する方とされる方が常に入れ替わること、つまり相互評価をする。


評価の仕方を考えることで、職員自ら、積極的に職場の仕事質や職員のスキルを向上させることが出来るだろう。


仕事を前に進めるための名言発案者

名言というものがある。ブログ村の哲学ブログの仲間が書いている「悩んだときには名言を」というブログがある。
http://ootanmax.blog45.fc2.com/


そのブログで選ばれ記載されている名言を読むと、なるほどと思う。名言とは、ものごとの本質を短い言葉で言い表し、現実の世界の姿や真摯な生き方、前を向いて生きようとするこころ、何かを希望する力や生命力を励ますことが出来直感的なことばである。


リーダとは現場の困難に立ち向かい、自分を向上させ続ける職員を勇気付けるために、職場に必要な名言を言い続ける人々である。名言集を暗記しているから名言が言えるのではないだろう。気持ちに響くことばを言うことは、具体的な現実とその中で働く人々の感性と解決したい問題の本質を理解しなければならないだろう。


職場のリーダはそうした仕事に立ち向かう人々のこころ、その内面性を理解しなければならないだろう。

参考
同ブログ文章 「労働に質を高めることの意味」 
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/03/blog-post_9095.html


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2010年3月31日水曜日

統計的分析方法による生活世界の解釈方法

三石博行

人間社会学的仮説証明方法と生活世界の解釈方法 


方法的懐疑の成立背景と近代合理主義

夢や幻覚も含めて生活世界の中で登場する知覚的に認知される世界は、明らかに認知している主体にとって知覚や感覚を伴う意識として存在する世界である。しかし、この意識として存在する(感覚・知覚される)世界が疑いようもなく、現実に存在していることを確認する作業が、近代合理主義精神を確立する上で必要とさていた。

その作業を「方法的懐疑」と呼んでいる。

何故なら、デカルトが個々まで懐疑という方法論をもちいて現実に知覚されている世界を疑わなければならなかった理由は、中世世界では「あの人は魔女だ」とある人が言った(告白)したら、その言動が現実としてその人を魔女にしてしまった世界の仕組みを解体することであった。

つまり、魔女狩り裁判によって生じる悲劇、例えば中世ヨーロッパを震撼させたペストの原因が魔女による仕業(例えば魔女が井戸水に毒を混ぜたとか)であり、その魔女へのヒステリックな排除としての魔女狩り裁判が行われ、多くの女性が謂われもない不条理な裁判によって殺害された悲劇を繰り返さないために、尊敬するモンテーニュが示す懐疑論と呼ばれる批判精神をデカルトは受け継いだのである。

疑いえる全ての意識世界を疑うことによって、疑っている自分の存在を疑い得ないという論理的なトートロジー(同義反復)にたどり着く、そして疑い得ない事実は疑う自分が存在していることであるという帰結に達する。

しかし、よく考えてなくても、疑う行為を成立させているのは実際に疑っている人にとって見えている、聞こえている、感じている世界であるからで、疑っている自分と疑っている対象は同時に存在しているのである。

疑っている自分が疑えない事実であるように、疑っている対象も疑う対象として存在している以上、その事実は否定できない。その意味で、このデカルト的な懐疑は意識的に、無理をしてまでと言ったほうがいいかもしれないが、疑う行為を行っていることになる。この行為を哲学の世界では方法論的懐疑と言った。

それには前記したような歴史的事件を背景にした理由、訳があった。中世社会を形成している思想を変革していくために、モンテーニュが提案し、デカルトが確立したように懐疑(疑う作業)を徹底的に定式化しなければならなかった。つまり、生活世界の意識の存在背景を、知覚や感覚の認識風景の存在背景の在り様を否定する試練(意図した企て)を企画し、自己意識と対象意識を明確に分離する作業を行い、対象世界から独立した自我、主体的に対象世界に立ち向かっていく自我を形成しなければならなかった。

こうして、徹底的に自己の主観的感覚から分離して存在している対象に対する認識を得るために、「疑う自己は疑えない」という徹底して明確に確信できる自己意識を拾い出したのである。

その疑う行為をもってしか成立しない主体を前提にして、はじめて明晰判明な世界が成立することになる。近代合理主義思想はこうして生まれたのである。


実験による理論形成と論理実証主義

方法的懐疑から生まれた明晰判明な事実、疑う行為によって成立している主体確認、疑う行為によって否定される感覚的対象世界、その個人の知覚的現象世界でなく、あらゆる人々に共通に現れる世界(例えば天体や物理運動の世界)の統一的(数学的)表現可能な世界こそ、明らかに疑えない世界の一部となる。

全ての人々が経験可能な世界と同様に、全ての人々に数学的(絶対的に共通する表現様式で登場する)世界こそ、疑う余地のない世界の一つである。

二つの疑う余地のない世界、疑っている自分と数学的に表現され、個々人の経験を超越して存在している世界、もしくは全ての人々に平等に経験可能な世界を認めることによって、そこに明晰判明な主体と対象の基本世界を確立した。その後、物理学の形成から始まる科学的世界観は、その二つの世界の成立条件を前提にして展開する。

そして、物理学を中心とする科学では、仮説(理論)の証明は再現可能な実験によってしか認められていない。つまり、自然科学における提起された理論を証明する唯一の手段は、その理論(仮説)によって説明される再現可能な現象が存在しなければならないのである。

その理論から導かれる自然現象の再現可能性とは、時代、文化や社会の違いを超えて、個人的な生活経験を超えて、すべての人々が平等に経験することの出来る現実であるいえる。その現実をもって、近代合理主義精神の成立以来、確実に存在する世界として認められる条件を満たすことになる。

以上述べたように、再現可能な実験を通じ、自然科学における理論は、その理論的仮説の証明問題が極めて明確な基準をもって形成され続けてきた。また、その二つの関係、再現可能な実験による理論の証明作業によって、強固な科学的経験主義と科学的合理主義の考え方が形成されてきたのである。

そして、物理学に見られるように、すでに確立した理論体系(公理系)の中では、理論から理論への説明が可能になる。それに助けられて発展した数学(数理論理学)のように、公理系内での定義と定義の間に成立する証明問題を通じて、論理実証性が確立して行き、法則式や公理から演繹しながら別の法則式や公理を証明することが可能になる。

そして、ある仮説が論理的に証明される限り、その仮説が正しいということが、論理体系内で成立することになる。演繹的な方法論は、物理学を中心とする実験的に再現可能な仮説から成立した理論的体系の形成を通じ、その理論的体系内で成立している理論的に説明可能な仮説の成立を許す条件を確立するのである。


複雑系での科学的方法、帰納法と統計的方法

物理や化学の自然現象の解明には、物理的要素や化学的要素を抽出にしながら複雑に絡む現象を分析的に解明する作業が前提になっている。つまり、分析的と呼ばれる手段によって、自然現象を構成している無数の物理量や化学成分の中から、ある成分が抽出される。それが一般に科学的方法と呼ばれているのである。

しかし、人間社会科学が対象とする世界は、物理学や化学の機器分析装置の中に入れて、実験することは出来ない。それらは現実にある世界、人間社会現象を直接調査しなければならない。つまり、観測された人間社会的な現象は実験から抽出された系と異なり複雑な要素からなる状態、多分、それらが幾つの要素とそれらの関係によって成立しているか不明な状態としてある。

それらの状態は、我々が日常生活の中で接している世界そのものを意味する。理論的に選択可能な世界でなく、生活世界の中で接し、観察している世界現象が、人間社会科学の対象とする現象である。

こうした世界の分析には統計学が用いられる。

統計学は、まず事象の発生確率が均等にあることを前提にして成立している現象から理論的(数学的)に、分析可能なモデルを仮定する。

実際の人間社会現象では、ある選ばれた事象の発生確率が等しいという理想的な系は存在していない。そこで、測定された現象を、出きり限り理論的に分析しやすいように、数学的にオーソライズあらた分布状態に修正する。すでに確立している統計的方法で分析する作業が選ばれることになる。この作業を標準化と呼んでいる。

標準化されたデータから導かれ仮説(作業仮説)を証明するために、その仮説が間違いであるとする仮説を立てる。それを帰無仮説と呼んでいる。この帰無仮説が否定されないかぎり作業仮説は成立し続けることになる。

再現可能な実験を通じて仮説を証明する可能性のない世界では、作業仮説の証明ではなく、その破棄が成立しなければ、作業仮説は存続すると考える。仮説の証明でなく、仮説の破棄が出来ないことによって、現象している複雑系のあり方を理論的に物語る手段を与えないという考え方なのである。

論理的に証明できない世界では、結果から原因を推察する方法、その推察方法は仮定された理論(仮説)を証明するのでなく、その仮説が成立しないと証明されない限りその仮説は存続し続けると考える方法を取るのである。言い換えると、複雑な系での帰納的推察する方法では、仮説を維持すること、疑い続ける作業を前提にしながら、現象の解明を続けることが要求されているのである。

もし、帰無仮説を否定できない以上作業仮説が成立し続けるというのであれば、その仮説(疑いている行為)を中止することは出来ないという意味になる。つまり、人間社会現象の分析では、間違いであるという仮説を否定できない以上、間違いであるとはいえないという論理が成立しているのである。


実生活での帰無仮説の破棄による思考方法

現実の生活の中で、将来の行動を予測するために推察をしたり仮定を立てたりして生活している。その判断によって、間違いをしてしまうことがしばしば起こる。

例えば、ある事態から次の事態を予測しなければならない場合に、自然に第一番目の事態が生じた原因に関する推察(仮説)を行っている。その推察を検証する作業が必要であるが、現実の生活では、物理や化学の実験のように、仮説を証明するための実験装置は用意されていない。現実生活の中で次から次にと登場する事態を一つ一つ分析しながら、はじめの推察が正しいか否かを検証しなければならない。

つまり、現実生活では常に移り行く事態を観察することが求められているのであるが、その事態からさらに推察される仮定された現実の処理能力や方法が問われているのである。

もし、社会統計の達人であれば、最初に事態(事象)から予測(仮定)されるその事態の説明(理論的説明)を否定する仮説(帰無仮説)を設定することになる。このことは、言い方を変えると、予測される説明(仮説)を疑い続けるということに他ならない。

さらに生じた別の事態(事象)を受けて、はじめに立てた仮説を否定するか肯定するかという作業を常に繰り返している。その中で、最終的結論が作業仮説の選択か破棄の行為となる。しかし、その仮定は、前進的方法で作業仮説を採用するのでなく、逆説的に帰無仮説を破棄することで作業仮説の成立を認めるという方法を取るのである。

この方法に大切な意味が隠されている。それは、帰無仮説を破棄する作業の意味である。その破棄が行われるということは「作業仮説が成立しないことを証明することはできない」という意味である以上、帰無仮説が破棄されても、完全に作業仮説の成立が確立したのでなく、その作業仮説が成立しないことが証明できないということになったに過ぎないのである。

言い方を換えると、絶対的に作業仮説が成立したと断言できたのでなく、ある確率(一般に95パーセント以上の確率)で成立している状態にあると言っているのである。

そうだとすれば、最初の事態(事象)から次の事象を経て、はじめの事態から仮定される何らかの説明(ここでは作業仮説)は、次の事態、その次の事態を経ながら、95パーセントの確率で説明可能であると表現されることになる。その5パーセントの証明が間違いではないかという可能性をつねに持ち続けていることになる。

これが生活世界の現実である。そしてその現実への対応とは、そこで生じる事象の原因の解明作業において、つねに、白か黒かの判断が出来ないという事実を示されていることになる。そのため、我々は仮に5パーセントの疑いのある仮説を維持し続けなければ成らないのである。

生活世界での科学的な判断とは、その5パーセントの帰無仮説の成立条件を前提にした、帰無仮説の否定条件の成立の現実を理解しておくことになる。

ある意見を固定的に断定してしまうことが、生活世界の科学的な合理的な方法でないことが、以上、科学的仮説の成立の歴史的過程の分析から理解できるだろう。


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2010年3月25日木曜日

日常性の点検としてのブログ活動-

三石博行

日常生活の点検活動としての意味

書かざるを得ないがために書く(日記の原点)

私は12歳の時から日記を書き始めた。高校時代や大学時代は日記を書くことが日常生活の大切な一部となっており、日記にタイトルを付けていた。「日常性から思想性」へというのがそのころ日記に付けていたタイトルだった。

生活行為がすべての思想的根拠をものがたるものであり、生活行為を通じて思想的点検や確認が可能になるというのが、その時代の哲学や思想に対する視点であった。生活行為を通じて自らの思想を検証する作業として日記があった。

しかし、その時代の日記はつねに同じ問題をめぐり同じこと(同じ文章)を繰り返し書き続けていた。言い換えると、その時代は、自分を書かなければ生きていけなかった。書くために書いていた。

書くことで自己の生を見出し、その意味付けを自らに要求していた。ただ書かなければならないから書いていた。

思索のために、論理を纏めるために書くよりも、書くことでどうしようもない自分を吐き出し、書かなければ身がもたないから書いていた。苦しむこころを癒すために書いていた。

明日を生きるために、今を苦しむ心にその激しい行き場のないはけ口を、書くという行為に見つけ出し、ただ我武者羅(がむしゃら)に、気持ちを筆に握り締め、文字として吐き出していたのだった。

だから、そこには自分の為に書く、書かざるを得ない自分のために書くという行為以外に、書くことの意味は存在していなかった。


日常的に発生し続ける課題分析のために書く(自己の思想性の点検作業の入り口)

少年時代からの夢であった理論化学の研究をあきらめた私は、20代の後半を勤労者の職場環境の安全衛生問題や公害問題等の社会運動に費やした。

その時代、労働災害職業病を企業や行政に認めさせるために、労働安全や職場改善に関する専門的な知識を活かして、活動していた。職場調査や労働省やその下部組織の労働基準監督署への労災職業病認定のための工学・医学的意見書を専門家と一緒に書いていた。そして、労働基準法、労働衛生法に即した救済措置の法律的根拠を法律家と一緒に書いていた。

当然、社会活動という仕事を成し遂げるために、日記は書かれていくことになる。仕事としての社会運動を思想的に点検する道具として日記は活用されていた。自分の内面を分析する作業ではなく、社会情勢と自分の社会活動との関係やあり方の分析に多くの書く時間が必要とされていた。

そして次第に、20代のように自分の内面を赤裸々に記述する作業から生み出される文字から、社会情勢分析や運動論のような自分の内面の課題とは関係しない文字に日記は埋め尽くされた。「日常性から思想性へ」というタイトルも日記から消えた。

その結末は傲慢で思い込みの激しい生活行為を自己点検できない状態、それを正当化する自分の姿であった。そして共に社会改革を誓い、すべての生活を掛けて社会活動を共にしてきた仲間からの不信、彼らの気持ちを理解できない傲慢な自分と破壊的行為であった。

多くの友を失い傷つけたことが私の社会正義のための運動の結末であった。その基本的原因は、生活活動を日々内面性に向け、自己化し、内省する力を失った私の生き方から生じる生活行為にあった。社会正義のために、労災職業病に苦しむ勤労者を救済するために、貧困を生み出す社会を改革するために、私は何をしても許されるのだと思っていた。

「核戦争(戦争)も結果的に革命のために役立つなら、それは良いことだ」とか「暴力も権力を倒すために必要なのだ」という論理がそのまま登場し、かくてその矛盾(スターリン主義と呼んでいた)を批判したはずの以前の自分が無視され、無し崩しの思想的転向を受入れ、非人道主義、暴力や人権無視を、まことしなやかに受け入れていた。

人々や自分の「痛み」から始まった社会正義への感性はいつのまにか、その痛みを与え、それを正当化する側に立っていた。その矛盾に気付く時、思想的に転向した自分への点検活動を抜きには、今後、生きられない状態になっていた。

20代中期から後期にかけて、生活の全てを賭けて取り組んだ社会運動をやめた。それは当時の私にとって問われた課題を見つめるために残された一つの選択であった。

そして、私は家族を置いてインドへ逃げるようにして旅立った。そこで観たものは貧困が人間にとって最悪の環境であるということだった。その貧困の中で生涯を終える何億の民のために私に何が出来るのか、私の信じていた社会改革の理論で何ができるのかという問いかけであった。その巨大な問題の前に、私はあまりにも無力であった。

私の哲学はそれらの現実から逃げるために選んだ居場所であったのかと問いかけながら、フランスで哲学を始めた。その時、私は30代のはじめであった。

私には、主観的には哲学を研究する意味があった。しかし、それは哲学を研究する理由を自分に言い聞かすことで成立していたその時の自分の姿であったとも言える。固定概念化の意識過程を明らかにすることが私の哲学問題であった。

何故、自分はその前に否定し批判した筈の権力と同質の思想になったのかを理解しなければならなかった。「怪物と戦う者よ、君がその怪物になっていないか注意したまえ」とニーチェは書いている。私はニーチェを読みながら、何一つその意味を理解していなかったのだろうか?

そして、自ら命を断った長瀬君が私に書き送った手紙を何遍となく読み返しながら、「君に答える力を与えてくれ」と思う日々が続いた。そして私の中の怪物(ドグマ)の起源を探す作業が、デカルトの研究を媒介にしながら始まり、フロイトやポスト構造主義にたどり着いた。


思考実験の方法として書く

科学技術文明社会での哲学の意味とは反省的思惟の維持機能であろうと思った。何故なら、西洋哲学の歴史的流れの中で、自然哲学は自然科学に、存在論は存在一般論から意識主体の存在のあり方に限定され、認識論は認識一般論から科学認識の点検へと限定されていた。

哲学の存在意味は、自らの落とし子である近代合理主義や科学啓蒙思想として絶対的に肯定された自然科学や社会科学への点検活動、さらにはそれらの科学技術によって形成された現代社会の社会文化観念形態(イデオロギー)の点検活動に限定されようとしている。

反省学としての哲学の成立の試みはカント以後の西洋哲学の流れのように思える。そのために問われたのが近代合理主義以来成立し君臨してきた主観と客観の二元論的世界観であった。

何故なら、中世世界を支配した物質的存在を語る「質料」に対する情報的存在形態を語る「形相」は、あるがままの一つの世界の姿であって、質料に従属する世界ではなかった。しかし、主観性は客観性と同義語化していく科学的(より真理に近い)見方に対して従属的世界に転落し続けるのである。

その転落を防ぐために、主に新しい人間社会科学の展開とそれを支える哲学、現象学の間主観性や共同主観性の考え方、精神現象学、生の哲学、実存主義、解釈学、構造主義やポスト構造主義が登場してきた。

近代合理主義の形成が果たした大きな役割、問題解決力を持ち、実験的経験則に基づく論理的合理性、つまり未来の現象を予測可能にする力(知識)しか合理的と呼ばれる称号を得られない知の成立条件の厳しさを知的活動に与えたことである。

「経験から知識へ」や「実験から理論へ」という経験論的な考え方は近代合理主義精神の形成の基本である。そして、現実から理論への経験主義思想の延長線に、ここで述べられる「日常性から思想性へ」というキャッチフレーズが登場したに過ぎない。このまったく目新しくもない考え方は、科学技術を駆使しながら社会発展を形成してきた現代人であれば誰でも理解できる目標である。

日常生活で経験したことで何が最も大切な記述事項となるだろうかと考えたとき、予定したこと、企画や計画と実行とのずれ、または予測したことが現実からかけ離れていた事実、失敗経験、反省すべきこと等々が思い浮かぶ。記録する作業は、一種の分析作業である。もしくは、認識と評価作業である。

そのため、問題を抱え、書かなければならない課題を抱え、書きたくて書いている作業である。しかし、その作業にも、技術(知的生産の技術)が必要となる。

また、哲学博士の学位論文に選んだ課題「フロイトのメタ心理学の脱構築と最構築 -システム認識論試論-」を書き進めながら、フロイトの理論の自己組織性のシステム論的解釈展開の論拠となる仮説を検証するために、思考実験を行った。フランス語で書く前に、日本語で何遍となく思考実験を行い、その矛盾点を発見する作業を続けた。

学位論文を終えるまで、1000字詰めのB4形式のノート、数百ページに書かれた思考実験によって、論理的矛盾点を点検する作業を行った。


記述行為を通じての問題分析過程

1、クロッキー

経験した世界を語ることが出来るなら、その経験はすでに身体的な直感から切り離され、外化され非反省的に生きている生身の自我と対自する他者化された(社会化された)経験、つまり共同主観化された経験になっているだろう。

経験されている世界は、殆ど対自化することが出来ないほど自我の根底(無意識的存在形態)に留まっている。
その無意識的存在形態、自我の根底に沈積している非反省的経験、日常性を形作る無反省な行為主体の姿を言語化するためには、その非自覚的行為を意識的行為へと変換しなければならない。
それが当たり前の事実に対してある日襲われる「ショック」の経験である。その「ショック」とは、その経験が、今までの自我を危機に導くものであるに違いない。

言い換えると、自己に日常的に経験され続けている世界を自己として感じる限り、その経験された世界と自己意識を分離することは困難である。その分離をもたらすものが疎外である。
それは自己対するもの「対自化」された世界である。対自化された世界とは、非反省的自己意識としての世界でなく、自己意識の中で登場する他者である。
つまり、疎外やショックとして登場した他者に関する意識である。

人が日常性を「書かざるを得ない対象」と考えるのは、無意識的な経験世界からはみ出る疎外された世界として日常性が存在しているからである。

日常性から思想性へということは、その日常性の中に渦巻く疎外形態を何とか解決しなければ生きていけない思いを前提にして語られていることばである。

疎外形態をもって現れた日常性に対する意識は、感性という非反省的世界存在が反省的世界存在に変遷する過程の精神活動を経ながら、経験した生活や社会としての自己意識へと変化する。
感じること、その感じている世界がことば化すること、ことば化した世界を再度受け止めなおすこと、非反省的経験活動(生命活動)はこのようにして対自化され、意識的経験活動へと変化するのである。

感性的にうごめく世界をことばにするとき、その輪郭を描く作業が必要となる。文章化以前のことばを、表象形態化以前の形を求めて、描く作業が「クロッキー」である。

その意味で、日常性から思想性への作業の第一段階にクロッキーは必要となる。クロッキーノートを持ち、自由に思い描く言葉を形に描く作業が「知的生産の活動」の技術として必要となる。



2、スッケッチ

直感的に吐き出したことばや形によって、不安定な自我は少しだけ安定化する。クロッキーに描いた自己の姿とは「気持ち的に納得している自分の姿」に過ぎない。

つまり、思っていること感じていることを表現したと思っている状態がクロッキーとして描かれた世界であり自己である。

文法的構成を持たない表現や全体的な形象を前提にして成立していないイメージ(心象)について理解しておかなければならない。

文法的構成を持たない表現は論理的構造を持たない表現であり、また同様に全体的な形象の部分として成立していない形は、構造的関係を持たない要素表現であると言ってもいいのである。

その意味で、クロッキーの後に一瞬生まれる「解った」「書けた」と思う気持ちは、疎外感から抜け出た安堵感に過ぎない。試しに、クロッキーしたものをスッケッチするとその現実が、何も分かっていない自分の現実が理解できるのである。

スケッチとは直感的に了解した世界を(非反省的経験を)前反省的経験に移行し、さらに反省的経験に導く作業である。

文章化とは文法に即して言語化することであり、それ自体、非反省的意識が社会的規則性(文法)を通じて、社会化する過程を意味している。
その過程を「内的世界の外化」と呼んでいる。非反省的に存在している無意識の体験された世界、自己と他者(対象世界)の区分が生まれる前の外的世界の内化された世界は、再び、それを外化することで、その世界(経験)が対自化され、意識化されるのだろう。
その過程には、ことばや文字が必要なのである。何故なら、それらは自我を作った社会的規則であり社会的形態であるからだ。

クロッキーからスケッチを通じて、ようやく、経験が生まれる。ようやく、他者化された自己意識(対象化された自己存在への理解)が生じる。そして、その経験も同時に対象化され、社会化されるのである。

経験とは社会化された体験であり、言語化された行動であり、共同化された行為である。そのためには、表現、つまり文法的に整理された言語化の過程(スッケッチ)が必要である。

スケッチすることで、経験された事象を整理し問題点や課題を理解することが出来る。つまり、スッケッチは日常生活を描く(スッケッチ)する作業である。その作業の中で、問題点や課題が浮び上がるのである。


3、思考実験

問題を抽出する作業としてのスッケッチから、問題を構成する要素を分析する作業が求められる。その時、クロッキーからスケッチの作業過程だけでは、問題分析は出来ない。問題分析作業では、スッケッチで明らかになった問題点、整理された課題を分析し、その課題や問題を引き起こす要素を取り出さなければならない。

言い換えると、問題分析作業では、スッケッチ過程で生じてきた色々な疑惑(仮説)を一つ一つ拾い出し、それらを外化(文章化)しなければならない。この仮説を設定する作業がスケッチから思考実験への最初の課題となる。

問題の原因、その理由について述べる。その仮定された要素が本当に問題を生み出しているであるかどうかを検証する作業が必要となる。この作業を「思考実験」と呼んでいる。

つまり、問題の原因であると仮定された要素から問題として観測された現象が再現するのかを思考実験するのである。仮定した条件や要素から思考過程(文書化によって)結果を導く作業が思考実験となる。つまり、この思考実験を経ない限り、理論構築作業は不可能である。

統計学は数学的言語における思考実験であるといえる。人間社会学は伝統的に言語活動によって、直感や生活経験と呼ばれる質的経験値の実証や検証を文章化という「思考実験」で行ってきたのである。

それに対して、経済学や経営学では量的データ(数字化された言語)があるために、この思考実験は、さらに厳密に方法論化された。それが統計学である。その背景は事象が生じる確率という数学的現象を前提にして、その統計学的思考実験の論理性が成立、確立しているのである。



4、自分のために表現する実験的表現

クロッキー、スケッチや思考実験の記録は様式の違いあるものの、記述する作業である。記述する作業は思惟を展開する作業にとっては必要である。必要と言うより記述を通じて思惟活動が成立していると言った方がよい。記述は口頭表現に比べると、表現したい気持ちが先行するのを論理的表現の足枷(あしかせ)を着けることで表現活動から主観的な感情的要素に制御を加える。

記述することで、先に述べた経験の文章化(文法に即して言語化する作業)をさらに論理的文章化へと導くことが可能となる。

しかし、記述する作業は多様な形態(表現形態)がある。例えば、研究成果をアブストラクト、報告書、論文等にまとめる。研究者であればだれでも行う記述行為である。
しかし、厳密な表現方法である文献資料、統計分析や論理的展開表現を要請される科学論文以外にも、内省過程を記述するエッセイや評論等もあるし、散文、詩や小説という表現もある。

どの様な形態であれ表現することは、思惟する人々にとって大切な行為である。

また、表現することは対象への表現行為である。例えば、一人で書く日記にしろ、ブログで書く公開日記にしろ、また友人への手紙にしろ、必ず誰かに(自分も誰かの一人である)表現したいと思って生まれた行為であるのだ。

私はこのブログ「生活運動から思想運動へ」を書くのは、気の向くままに、思いつきの考えをまとめ、それを誰でも見られる、つまり不特定多数の傍観者の前で発表しているのである。見られる可能性のある場で、見られることを期待しないで自分の考えを述べているのである。

このブログへの評価、例えば、私の文章が難かしとか、考えが甘いとか、間違っているというような私の文章への評価をまったく気にしないで、思うままに書いてきたのが、このブログである。その意味で、つまりは自分のために書いた文章であると言える。

クロッキー、スケッチ、思考実験の後に、実験的表現作業を必要としている。その実験を積み重ねるとき、できればこの実験を横で見ていて、いろいろと言ってくれる人がいたらいい。しかし、ほとんどの人は自分のことで忙しいので、自分のために書いているものまで見てくれることを頼むことはできないだろうと思う。

そうした期待をもって、誰が見ているか分からないネット上で、不特定多数の人々に文章を公開する。そのブログ文書は、公開された途端に、それは他の人々の世界に一人歩きする。そのことを前提にして書く。それがブログを書く行為なのである。

この作業は、書くことが楽しみであり、書く行為自体が目的化される。こうした楽しみをひとつぐらい持つことで、生活は少し豊かになるかもしれない。



社会的行為としての表現

社会的に必要とされている課題に対する行為を労働(仕事)と呼んでいる。仕事は自分の主観的満足を得るためでなく、社会(具体的には家族や他人)が必要としている行為を請負うことである。その意味で、書く行為は自分のために書くことから、社会的に必要とされている形式や表現で書くということになる。

仕事で書く報告書、教材で配布する資料、学会の論文誌に記載する論文、大衆雑誌に記載する記事、新聞記事等々、他人に読ませるために、仕事として書く文章がある。これらの文章はそれぞれの社会集団の必要に応じて、そのスタイルや様式が決定されている。そのため、文章はその様式を無視することはできない。

現代社会、情報化社会や科学技術社会では、あらゆる仕事にそれなりの仕事としての記述表現様式が存在している。つまり、それらの社会的要請に即した文章(仕事としての記述表現)を身につけることで社会人として資格を得るのである。



ブログを書くという行為

ブログに書いた文章は、学会や紀要等の研究雑誌に記載した論文ではない。それでも、私のブログ文章が論文的になるのは、私の文書の書き方の癖であり、この癖はあまりブログの書き方では評価できない。
ブログの書き方、文体を工夫しなければならない。それが今の問題である。

一般にブログの文章は、思ったことをそのまま書くために、極めて主観的で、言われていることの検証もなく、また書き方も厳密な論証を欠く場合が多い。それでも書くのは、心象をスッケッチし、また論理が成立するか思考実験を行うためである。

また、自分だけで書く日記と違い、ブログは書いた内容が不特定多数の人々に公開される。その文章が誰に読まれているか、また読まれないか、書いた私は知らない。そのことを気にもしない。ただ、読まれることを前提にしながら書いている。

うるさい反論や批判に答える時間はないが、反論や批判を含めて不特定多数の人々からの反応があることを期待していることは確かである。しかし、それだからと言って、人々に解ってもらえるように、書く気はないようだ。

思うまま、難しいと言われながらも、その文体を変える努力を中心に据えていない。書くこと、書く行為が重視される。それは、日記と同じように自分のためである。書きたくて書き、こころの安定を求めて書く、書くことを楽しんで書く、書くために書く、つまり、自分のために書いている。それがブログである。

その意味でブログは中途半端な他者へのメッセージという社会的行為である。

しかし、この公開思考実験を通じて、社会的行為(論文や著作活動)に繋げたいのである。


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