森一生氏の写真芸術
三石博行
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10月中旬に島根と出雲を旅行した。大雪山の麓にあった「上田正治写真美術館」に行った。上田正治の写真を観ながら、森一生氏の写真を思い出していた。
日常生活、家族、町並み、自分の生活空間にそのままある何ともないと言えば何ともない風景や情景、それらに潜む生活美を写し取る。そこには、写真家の観る眼がなければ、観えない世界があるようだと思った。
私の森一生氏の写真への感銘。それは、多分、彼の写真館に家族や自分の記念写真を取りに来る人々に共感し、シャッターを切る写真家森一生氏の姿を前提にして、はじめて、その説明にたどり着けるのだと思った。
森写真館に訪れて、家族の記念写真を撮りたいと思った人々に寄り添うように、森一生はすべての街の風景と自然に寄り添っているのだろうと思った。
森一生氏の写真の根底にはそうした生活の美に関する思想があるのかもしれない。あるがままの世界のあるがままの人々とその風景、さらにはそれらの人々を取り巻く世界を描き写しだそうとする芸術家、森一生の作品。
それは、あたかも今日の朝ごはんのように、何の気取りもなく、何のタイトルもなく、あるがままに、おもうままに、このフェイスブックに無造作に、並べられ、我々を楽しませている。
「2015年11月27日、森一生撮影」
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以前から森一生氏の写真を観ながら思っていたこと。それは、被写体がすでにその被写体でなくなった瞬間を撮った芸術作品とも言うべき「街の写真家森一生」の作品をどのようにして彼はうみだすのかという事だった。彼の写真館を見たかった。
名古屋に向かった。しかし、会ってみて、その写真館の芸術作品は、彼の写真館にあるのでなく、森一生という写真家の姿にあることを知った。彼には、つまり、被写体たちが被写体であるという自意識を喪失させる眼差しがあった。
彼の前で被写体たちは写される自分から生活している自分に帰ることが出来た。つまり、自然な日常の自分たちを、彼の写真館で、彼の写真機の前で、取り戻したのだ。それは、その写真館という空間にあるのでなく、森一生という写真家が創りだした被写体と自分との関係の空間に在ったのだと理解できた。
ふと気が付けば、私は彼の前で、自然に自分を表現していた。その瞬間、ふと、どうしたのだろうかという不思議な感性に襲われた。彼のあの写真の面白さを知るために、ここまで来たのだはなかったか。それなのに、なぜ彼に質問を浴びせることが出来ず、何故、自分の話をしてしまうのか。その不思議な彼の雰囲気と自分の場違いな行動を観察しながら、自問していた。
しかし、その瞬間、私は彼の写真芸術の技術、「被写体が被写体としての自意識を消し去り、日常の世界へと立ち戻る」ことを可能にさせる撮影技能を理解した。つまり、そこに私が聞きたいことの答えが在った。その答えは、彼の職業的人柄と人格の調和によって出来ているものであった。彼は、私の不思議な感性して、その問いに答えていたのだった。それが、彼の写真芸術の本質だと、私は理解した。
「どうして、貴方の写真の話を聴きたいのに、自分の話をしてしまうのか。」それが、彼の写真芸術の基本であったと、そう語りながら自覚した。不思議な瞬間であった。
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森さんとの名古屋の古い町並みの散歩、楽しいでした。最も、私の関心を呼んだことは、森さんが街の人々、商店、飲み屋、喫茶店、おばあちゃんから若い人まで、知り合いで、気さくに言葉を交わし、その日の出来事や、これからあるイベントの話を手短に、言い合い、そして、簡単に約束をしている姿であった。
彼は、この町の一人の住民として写真館を開き、写真を撮っているいう事でした。私が「上田正治写真美術館」で上田正治の写真を観ながら、森一生氏の写真を思い出していた世界が、名古屋の彼の生活空間に繋がっていた。
写真屋森さんの姿が、その町並みに溶け込んで、ジーパン姿で、皆さんの思い出の写真を取ってくれる写真屋のおっちゃん」であり、写真芸術家森一生は、そのおまけのような存在に映った。
最後に彼の行きつけのビルの前にへばり付いた飲み屋に行った。一杯飲み屋の狭い部屋で、常連やその連れがお互いに譲り合って、一杯引っかけて、冗談を飛び交わす。そんな庶民生活、そのものの日常風景と森さんの写真の関係の連立方程式の解が解けたようだった。
冬の薄暗い名古屋駅のビルの谷間に小さくなった空の下を潜り抜けて、新幹線の改札入口に近くなるにつれて、少し心残りがしながら、京都へ帰った。
「2014年12月6日 森一生撮影」
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