哲学に於いて生活とはそのすべての思索の根拠である。言い換えると哲学は、生きる行為、生活の場が前提になって成立する一つの思惟の形態であり、哲学は生きるための方法であり、道具であり、戦略であり、理念であると言える。また、哲学の入り口は生活点検作業である。何故なら、日常生活では無神経さや自己欺瞞は自然発生的に生まれるため、日常性と呼ばれる思惟の惰性形態に対して、反省と呼ばれる遡行作業を哲学は提供する。方法的懐疑や現象学的還元も、日常性へ埋没した惰性的自我を点検する方法である。生活の場から哲学を考え、哲学から生活の改善を求める運動を、ここでは生活運動と思想運動の相互関係と呼ぶ。そして、他者と共感しない哲学は意味を持たない。そこで、私の哲学を点検するためにこのブログを書くことにした。 2011年1月5日 三石博行 (MITSUISHI Hiroyuki)
2009年9月17日木曜日
提案 「高速道路の無料化と地球温暖化対策」
高速道路の無料化と地球温暖化対策は可能か
鳩山総理の地球温暖化対策に対する具体的な方針は世界に日本の政治的リーダーシップを示すすばらしいものでした。現在の人々の生活と100年後の世界を考えるのが政治の姿勢であると確信しています。
1、高速道路の無料化の意味は大きいと思います。
現在、週末高速道路が値下がりしたでけでも、ETCの利用者は増え、週末家族で都会から地方へと遊びに行く人々は増えました。その経済効果はあると思います。その意味で、高速道路の無料化の方向は決して間違いではないとおもいます。しかし、この政策が一番民主党のマニフェストの中で不人気ではないでしょうか。なぜか、それは、利益を受ける国民ですら、高速道路が混雑すること、また、それによって二酸化炭素を多量に排出する現在の自動車社会が継続することを懸念しているのではないでしょうか。
2、エコカーに対する高速道路料金の値下げ
そこで、高速道路料金をエコカーに対して、もしくは環境基準を守っている車に対して、下げるということは出来ませんか。例えば、ジーゼルエンジンのトラックですが、発がん性物質である浮遊粉塵の対策をしていない車は、高速料金を無料にしてはいけません。逆に、ハイブリッド車や電気自動車などは優遇すべきだと思います。エコ対策を進めることと、高速道路無料化を一本化すると、おそらく、企業も民間もその対策を取るでしょう。その経済効果も大きいと思います。そして、高速道路周辺で起こる公害問題に対しても、説明がつくと思います。
3、高速道路無料化に対する専門委員会を開いて、幅広い人々の意見を聞きながら、マニフェストを実行してください。
昨夜の諸大臣の所信表明演説を聞きました。すばらしいに一言。これまでになかったことが起こると確信をしました。しかし、明治以来続いてきた、しかも戦後もそのまま引き継がれた官僚主導の国家運営を改革することは大変だと思います。日本の近代化に貢献してきた官僚制度だけに、それが今日、まったく機能せず、また弊害を起こしていても、伝統の強さは恐ろしいものがあると思います。そのことに挑戦できるのは民主党だけです。がんばってください。
問題は、いかに多くの専門家を集め、豊かな知識と多様な意見を取り入れて政策に活かすかということです。過去の貧しい日本社会では民間に多くの専門家が居なかったため、官僚がそれを支えていたのだと思います。科学技術文明社会では、大学、研究機関、企業、NPO,NGOに多くの専門家がいます。それらの人々(国民)を活用することが、多分、官僚主導型の国家運営から国民主導型の国家への変換を生み出すと思えます。
この高速道路無料化でも、多くの専門家を集めて議論してください。これまでは官僚が自分の意見を通すために、言いなりになるような人々を集めて、専門委員会を作りました。それではだめです。民主党は、政策を検討する時に、幅広い専門家を集めてください。高速道路無料化に対しても、交通工学、流通経済、環境問題、地域経済、観光開発、家庭経済等々の専門家の参加が必要でしょう。そして、すべての専門委員会のメンバーの業績を公開してください。その上で、高速道路無料化と意中温暖化防止が両立できる政策、法案、システム改革を提案作成してください。
最後に
何事も成果しか見ない社会になっています。確かに、成果も大切です。しかし、ものごとを成し遂げるまでの、また失敗したとしても、その過程を理解し共有することも大切です。つまり、どのようにして高速道路無料化と地球温暖化防止を両立するための政策が検討されたか、その努力がどのようにして払われてきたのかの過程を大切にすることが必要です。マニフェストは実現しなければなりません。そしてその成果を国民に示めさなければなりません。その上で、その努力の過程、手段、方法も示すことが大切です。何故なら、必ずしも100パーセント成功しないからです。しかも、その不成功に学ぶことが多くあり、それを国民と共有することだと思います。それが国民による国民のための国民の政治であり、そして、それしか官僚主導型国家運営から脱却することが出来ないと思います。その理念、つまり国家の改革に参画することを国民に訴え続けてください。
その民主主義の理念が日本の文化とするときに、鳩山首相のいう「友愛」が日本の伝統文化になると信じます。
2009年9月1日火曜日
東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
At the 50th anniversary commemorative lecture for the establishment of the European Coal and Steel Association of Japan and France held in Nara October 12, 2003, Dr. Johannes Preisinger, then Consul general of Federal Republic of Germany, said that the EU looked to Japan as the one country in East Asia that could lead an East Asia alliance endeavor for peace and coexistence similar to the one developed by EU.
However, when viewed against the long history behind the establishment of the EU, the present conditions vis-a-vis Japan's insufficient postwar neighbourhood community building activities and mutual understanding efforts throughout East Asia make it currently seem impossible for Japan to play any such key role in the region involving federation building initiatives among its East Asian neighbours.
We therefore wonder that a trial of association be possible if working alongside the EU to establish such a community committed to these idealistic and lofty goals। One that would similarly promote protection for the myriad indigenous community and country cultures, whilst developing the new federation concept. This could be one step on the path to realizing the suggestion of Dr. J. Preisinge.
EUに学ぶとは日本が「東アジアの平和と共存のための連合」を目指すこと
プライジンガー博士は、EUと日本との未来の関係について壮大な構想をお話された。つまり、博士はEUが日本に望むことは日本が東アジアでEUと同じような平和と共存のための連合、例えば「東アジア連合」を創ることであると述べたのである。
困難な東アジアの平和と共存のための連合国家形成の現実
EUは長い歴史を経て形成された。中世以来の戦争の歴史が前提になっている。例えば、ヨーロッパでの戦争は、13世紀から15世紀に2回、16世紀に3回、17世紀に4回、18世紀に6回、19世紀に12回、20世紀に27回と増加の一途を辿り、20世紀には二つの世界大戦が勃発、7000万人以上の犠牲者を出した。
その反省に立ってヨーロッパ統合(チャーチルの欧州合衆国構想)の考えが生まれ、1946年5月のロンドン条約によって欧州評議会が10ヶ国の加盟で発足した。欧州評議会は、17世紀以来、ヨーロッパから始まる民主主義国家の基本理念(人権、民主主義、法の支配)を普及するために活動し、現在47ヵ国が参加している。欧州評議会の活動をバックに、ヨーロッパ経済共同体(EEC)からヨーロッパ共同体(EC)を経ながら、EUは、ヨーロッパがより国際社会で政治的影響力を持ち豊かな経済圏を維持するために1993年に発足した。現在27ヶ国が加盟しているEUは、欧州憲法、司法、政治、経済、行政、通貨、治安警察、軍隊等々の統一機構の形成に取り組んでいる。
このEU建国の長い歴史を顧みるなら、EUと同質の東アジアの平和と共存を目指す連合の構築はそう簡単でないことが分かる。東アジアの国々では、これまでの長い紛争の歴史は勿論のこと、先の戦争の歴史事実も共有されていない。日本の戦争責任に対する国民的な取り組み 隣国で起こる反日運動、多くの課題が解決されないまま残されている。東アジア諸国がEUのように平和と共存を課題にして国家間の枠に囚われない連合を創り出すまでには非常に長い時間が必要であると思われる。
EU協会でなければ出来ない21世紀の国際交流
日本が東アジアの国々との平和と共存のための連合形成に努力することが、EUが日本に望むこと、そして日本がEUに学ぶことであると言うプライジンガー博士の提案を、我々のEU協会は受け止めたい。何故なら、EU協会活動の基調として、EUの建国の理念、つまり一つの国民国家の利益を超えて平和と共存のために広域共通文化圏の平和的共存が述べられているからである。その意味で、EU協会は今までの二国間の国際交流活動と明らかに異なる課題を我々に問いかけている。
また、欧州評議会の目的の一つである「欧州文化アイデンティティ保護と文化多様性の推進」は、そのままEUに引き継がれている。日本のEU協会でも、それぞれの地域社会文化に即した活動を尊重した運動が行われ、国内での交流が起こるだろう。そして、同じ地平で、 東アジアの国々、ロシア極東地域や北朝鮮も含むかもしれないが、韓国、中国や台湾の地域でのEU協会活動との連携や交流も可能になるだろう。我々は、まず地域文化多様性を認め合った国内、東アジアのEU協会相互の交流もEU協会の活動に入れたい。そこから、プライジンガー博士の提案にむけた地道な努力を積み重ねたいと思う。
KNEU-No3 京都・奈良EU協会 会報No3 記載
6-1、生活運動としての国際交流運動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html
6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html
6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html
6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html
6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html
6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html
6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html
6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html
6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
2009年8月4日火曜日
プログラム科学論の研究課題
プログラム科学論と人間社会学基礎論の課題
A, 問題提起としてプログラム科学論の展開のための研究課題
1、 自己組織系の情報科学とその情報概念に対自している実在概念の展開の必要性
2、 情報性と実在性の一般概念を、人間社会学のレベルに落とすと、「知識」と「資源」の概念にならないか。
3、 自己組織系の情報科学に含まれる「狭義の情報概念」としての「知識」から、知識社会学を位置付けなおす必要はないか。
4、 狭義の資源概念としての社会や生活資源はマルクスのいう資本の概念と同義語であるなら、資源論は資本論の上位概念として展開できるのではないか
5、 人間社会学のレベルでの自己組織系の情報―資源科学は、知識社会学と社会文化生活資源論の二つの相補的学問領域として展開されないか。
6、 それらの自己組織系の情報-資源科学の科学哲学として、プログラム科学論が位置するのではないだろうか。
B.人工物プログラム科学論の課題
1、 人工物プログラム科学論の領域内に含まれる学問分野として人間社会学が挙げられる。その学問分野での中心課題は、人間社会情報と人間社会資源である。
2、 人間社会情報の現象(意識)形態を知識と呼ぶことにする。すべての人間社会情報はその了解過程では言語形態の情報、言い換えると知識として現れる。
3、 それらの言語形態の情報・知識は生活主体とその環境に対する指示情報を持つ。つまり、生活世界における知識とは、その生活世界の現実を理解するだけでなく、それに作用し、それを変えるものである。
4、 また、生活世界の知識(生活情報)は、どの社会的環境に対しても共通に成立する生活主体の社会的生存条件を確立するための一次生活情報の形態がある。
5、 さらに、生活主体の社会文化的環境に対して適用し、その社会文化的機能を担うための二次生活情報の形態がある。それは当然、その社会文化環境の改善を前提にしていると同時に、それはその特殊な社会文化的条件の生活情報、知識であるといえる。
6、 当然、生活世界(生活空間)の中には、それぞれの個別の特徴ある社会文化空間性が存在し、そして、その中で生活主体は、生活空間の豊かさを直接の目的にしない生活行動を取る場合がある。それらの行為の目的は、生活者自身の内的現実(主観的現実)を満足されるためにのみに生活行為が遂行される。それを三次生活行為といい。また、そのために必要とされた社会生活情報、知識を三次生活情報と考える。
7、 社会生活情報の主観的にも客観的にもその実在的、つまり物質的背景を資源、資本と考えるなら、社会・生活世界の科学は、社会・生活世界の情報(知識)とその資源に関する科学であると謂える。社会・生活世界の情報-資源の科学、これは人間社会学として分類されてきた科学領域、の科学哲学として、人工物プログラム科学論が位置する。
C.人工物プログラムに関する分析課題1 外在化過程
1、 現象学の古典的テーゼ、「内的世界の外在化と外的世界の内在化」。この主観的現実と客観的現実の弁証法的運動として認識、意識形成過程、生活世界の現象形態を理解してきた。
2、 言語過程、生活行為過程、労働過程、生産過程はともに内的世界の外在化過程である。この内的世界の外在化過程(言語活動、社会生活行為)によって社会生活資源が作り出される。それらの社会生活資源の匿名状態過程を物象化といい、それらの物象化された生活資源によって社会生活環境が作り出される。
3、 その形成過程は、社会生活主体のもつ社会的機能に対する意識、社会的役割に対する自覚とそれを実現する行為によって生み出される。それらの行為は、社会制度として外在化している情報(知識)によって制約され、決定される。
4、 つまり、外在化過程には生活主体の行為を決定するプログラムとその行為の条件を決定するプログラムがある。生活主体の行為を決定するプログラムは様式とよばれた。つまり、生活主体がその自我の構造として、生活の知恵、科学的知識、技能として持ち、自我を構成する情報の一部として所有する行為を決定する知識、プログラムである。
5、 また、それらの生活主体の行為は、それを取り巻く社会生活環境によって制約されている。この制約条件と呼ばれる情報、社会的現実として与えられた環境が、行為主体の洋式を制約、規定する。その意味で、制約条件(決まり、習慣、法律)の情報とその情報が発生する社会機能と構造を形成するプログラムがある。
6、 社会生活行為を生み出すプログラムとは社会的役割に即した行為を選択遂行する自我の構造と機能を意味する。自我の行為条件を決定する社会生活環境のプログラムとは社会的制度の内容を意味する。その制度は社会的経済的分業、社会的経済的コミュニケーション、社会的経済的生産過程に関する制度を意味する。
7、 この研究は、言語学、発達心理学から社会学や経済学までの研究成果を前提にしながら進むものと思われる。
D।人工物プログラムに関する分析課題2
内在化過程
1、 最も、神秘的なプロセス、人は何故、言語を習得したのか、社会的文化的アイデンティティを確立したのかという疑問がこの課題に付随する。
2、 この研究では、身体化の過程を問題にしなければならない。つまり、外的世界の情報、その世界での個人の特殊な社会的役割の了解作業が、その個人の自我の形成過程と密接な関係にあることは言うまでもないが、その情報は身体化され、つまり、脳神経生理的な物質的土台に入力されなければならない。その入力の過程の脳神経的、精神内科的、精神分析的、心理的作用、それを決定する機能が問題となる。それらを、内在化過程のプログラムと呼ぶことはできないか。
3、 今まで、このプログラムに関しては、絶対に相容れない二つの(もしくはいくつかの)理論があり、それによって、このプログラムに関して語ることが非常に困難であった。一つは脳神経学、もう一つは精神分析学である。現在は、脳神経学が優位に立ち、「脳科学」という用法で、行為過程の説明を試みている。しかし、それに対して、精神分析は、その説明では個人とよばれるある特定の社会的文化的存在者の言語活動の具体的内容まで立ち入って説明できないことを主張するだろう。
4、 客観的現実、社会的実在、生活環境や生活資源の物質的要素が決定する主観的世界形成過程は社会的様式(社会規範、習慣、社会制度や分業)が内的世界の行動規範にプログラム化されることである。そのプログラム化は内的世界、つまり生活主体を作る身体にそのプログラムを入力し、脳神経生理的物質化すること、その行動様式を生みだす身体運動を支える筋肉から反射運動までの肉体を構築することである。
5、 また、それらの運動を生み出す自我、意識、言語活動の身体的土台を作ることである。
あとがき
1、 プログラム科学論を展開するために、人間社会学の研究課題に引き付けて、その公理の一つ一つを検証しなければならない。今、資源論の著作作業の最中です。この課題までは行き着きませんが、作業の中で、不断に検討する必要がある。
参考
三石博行のホームページ 「哲学」「プログラム科学論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_01_03.html
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プログラム科学論・自己組織性の設計科学に関する文書はブログ文書集を見てください。
ブログ文書集「プログラム科学論・自己組織性の設計科学」目次と文書リンク
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_3891.html
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2009年7月17日金曜日
我々はEUに何を学ぶのか
三石博行
Peace and coexistence≫ as an EU cultural identity as demanded by theEuropean citizen.
In our globalization society, a nation comprising of various races,cultures and languages forming its social milue is going to be bornand not in the form of a country supported by a pre-existing national identity। This is the magnificent experiment started by the EU.
When European citizens first began to call the two World Wars "our two Civil Wars", it was in order to relate them directly to thehistory of the formation of the United States of America by recalling the American civil war between its northern and southern armies almost150 years ago.
Thus it is necessary to agree via multiferious talks, not war, to evolve and develop the 《European United States》((United States of Europe)) as the formation of the European
citizen's cultural identity must be based in peace and thecoexistence.
Hiroyuki Mitsuishi
我々日本人は、1000年前からこの日本では日本語(少しは変化したが)が話されてきたし、これから1000年後も同じように日本語が話されるだろうと信じて疑わないだろう。しかし、この確信をいったい世界中のどれくらいの人々が持っているだろうか。
ヨーロッパから来た友人は、先祖、祖父の代ではフランス語でなくドイツ系の言葉を喋っていたといっている。彼の苗字もドイツ系だ。しかし、彼はドイツ系の言葉を日常的に喋ることはない。ドイツ語とフランス語は日本語の方言とちがい文法や単語も非常に異なっている。ゲルマン系の言葉からラテン系の言葉に同じ家族が3代で変わってしまう。こうした言語文化現象をわれわれ日本人は理解できないと思う。
国民国家の定義は、18-19世紀ヨーロッパで市民革命を経て成立した国家、フランス人とかドイツ人と呼ばれる同一文化と言語を持つ人々から成る国家を意味する。多様な言語文化が近代国家の国民教育政策で一つの言語文化に集約されていく。長い歴史の流れの中では、こうした地域の言語文化圏の変遷過程は珍しいものではない。
また、国際化社会では、多くの人々が海外で生活をする。日本人も外国に住み、そこで子供たちが成長する。もしくは、その地に永住してします。幸運にしてその国の国籍を貰えた人々の家族では、日本語を話す環境はそう長く続かない。アメリカでも日本語をまったく喋れない日系アメリカ人三世も多い。日本でも、ハングル語を喋れない在日韓国人三世や四世もいる。
主観的世界、自分の意識を中心とした世界から観れば言葉は非常に重要なものである。日本で生まれ、日本の学校教育を受け、日本語しか話せない在日韓国人にとって、自分が日本国籍を持っていないことが不思議であると思うだろう。
国際化時代では、同一言語文化を国や民族のアイデンティティーとして考えるこが困難になっているのだろうか。ヨーロッパ連合に参加する異なる言語文化圏の人々が、EUという新しい国家を目指すとき、何がそのアイデンティティーになるのでろうか。例えば、旧古代ローマ帝国の領地とかキリスト教文化圏ということがEU国民のアイデンティティーになるだろうか。EUが一つの合衆国として成立する過程で必要なEUアイデンティティーの基本が何かということは興味深い課題である。
ヨーロッパ評議会やヨーロッパ連合の形成の原動力となった二つの戦争を、今まで「世界大戦」と呼んでいたヨーロッパの人々が「市民戦争」と呼ぶようになった。それはアメリカの南北戦争を現在アメリカでは市民戦争とよんでいる歴史と重なる。あの戦争も、合州国家から合衆国家への変移を意味する。そう考えると、ヨーロッパ連合は連合国家から合衆国家の成立過程の一こまという仮説も成り立つ。EUは多言語を国語とするまったく新しい合衆国家を創る実験舞台にみえる。一言語文化をEU合衆国家の文化的アイデンティティーとしないなら、何がその合衆のアイデンティティーとなるのか。そこで二つの戦争を市民戦争として位置づけている考え方にヒントが与えられている。
つまり、それは平和と共存ではないだろうか。もし、この平和と共存が国家成立のアイデンティティーであると言えるなら、イギリスやフランスの市民革命が、その後世界史に大きな影響を与えたように、EU連合からEU合衆国家の成立も同じぐらい大きな影響を与えるだろう。それは過去の血と武器による革命運動でなく、話し合いと相互理解によって成立していく新しい平和共存の社会思想を我々に示すことになるだろ。
6-1、生活運動としての国際交流運動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html
6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html
6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html
6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html
6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html
6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html
6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html
6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html
6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から
2009年7月2日木曜日
生活科学基礎論1
家政学・生活科学と生活学の形成史から観る「生活改善の科学技術」の学問形態
三石博行
アメリカ家政学の誕生から科学主義的生活科学へ
▽ 生活改善の科学技術としての「生活の科学」は、19世紀末のアメリカでは人間生態学( Human ecology)、家政学(Home economics )から始まり、発展してきた。アメリカ家政学の創設者であるエレン・リチャーズはマサチューセッツ工科大学(MIT)で化学を学び、女子教育の促進を課題にしながらMITに設置された女子実験室から家庭生活の改善のための科学教育を目指し、『調理と洗濯の化学』と『食品材料とその粗悪品』の二冊の小冊子を出版した。この学問は、その創設の段階から、生活改善のために自然科学の発達で得た専門的知識や技術を活用し援用してきたのである。
▽ 古い社会風習を打ち破り人間の平等と自由の生き方や考え方の上に新しい社会を形成することが、生活改善の科学技術の目的と合致していたのである。19世紀後半から20世紀前半にかけて人間生態学や家政学は封建的観念に支えられた古い家族制度を変革し、その中で女性の人間的自由を確保し人権を擁護するための知識であり技術であった。合理的精神の発達によって、女性の人権を認めない封建的観念を批判し変革する民主主義社会の条件を導くものであると信じられていた。科学的合理主義に基づく家政学教育が、そこで展開して行くのである。同時に、科学的な方法論、特に自然科学的方法論を家政学に取り入れることが、家政学の発展の方向を決定することになる。
▽ 家政学に、必然的に自然科学的研究成果やその研究方法が取り入られる。その意味で、生活改善の科学技術の形成には「科学主義」の思想があったといえる。そして、食生活の改善を目指す家政学が、食物学、食物栄養学、栄養生理学、分子栄養学と食物や栄養に関する学問として進化し発展してきたのである。科学的方法や知識を取り入れ発達してきた家政学、生活科学が今日の「生活改善の科学技術」の主流であることは疑いない事実である。
日本生活学の誕生から人間社会学としての生活学へ
▽ アメリカ家政学の形成と発展の歴史に対して、日本で形成される生活改善の科学技術の発展の経過は少し異なる。日本では1910年代に柳田國男から民俗学を学んだ今和次郎によって生活学(Lifeology)が提案された。今和次郎は前近代的生活風習や生活環境によってもたらされる生活の貧困性・生活病理を解決することが生活学の学問的課題であると考えた。彼の生活学の方法論として考現学を提案した。考現学とは生活環境を構成している要素である物的材料、生活道具、生活資材、生活素材などを調査の対象に限定し、まるで昆虫採集のようにそれらを採集し、それらのデータを統計的に分析する方法である。その考現学的方法を用いて生活病理の社会環境の要因(外科的生活病理)や生活習慣から来る要因(内科的生活病理)を分析した。つまり、現状の生活環境に適した適正な生活改善対策を提案するためには、生活環境の客観的現実を正確に認識することが必要である。そこで、生活現場(フィールド)を構成している物的根拠、生活道具や生活環境の物質的要素を集める。その物質的要素に基づいて分析や解釈をおこなうのである。考現学が今和次郎の生活学の調査方法を支える考え方となっている。その方法に基づいてフィールドから調査データが集められ、生活病理の状況が理解されることになる。その意味で、今和次郎の生活学は実証主義の立場にたって社会文化現象を分析する研究姿勢を取った。
▽ さらに日本で生まれたもう一つの生活学の流れを紹介する。それは、戦中1940年代軍国主義の嵐の中、勤労者の健康を守るために医学者である篭山京によって提案された「生活構造論」である。医者である篭山京は生理学的立場から人間生活の回復や消耗疲弊の過程をモデル化して、勤労者の生命や生活力の擁護のために生活構造論を展開した。生活する人々の肉体的条件、生理的条件、経済的条件を前提に、それらの人々の生きている現実、生命、言い換えると生活人の肉体的経済的素材性を擁護するための理論であった。その意味で医師、生理学者篭山京は、軍国主義の最中にあって、今和次郎の文化人類学、民俗学的視点に立った生活学と異なり、経済学的立場に立ち、現在の生活科学の中に含まれる生活経営的立場を取って、勤労者の生活や健康状態の改善を課題に生活学を提案した。篭山京も、生理学的視点を労働経済の中に持ち込み、つまり科学的合理精神に立って生活改善の科学技術を確立しようとした。
▽ そして戦後1950年代以降、欧米の民主主義社会をモデルとして始まった生活改善の科学技術もその影響を直接受けた。アメリカ家政学が民主主義社会での大学女子教育に取り入れ、経営学に基づく合理的な家庭管理、自然科学の知識を活用した衣食住生活の改善、医学的知識に基づいた健康管理や生活衛生管理や予防医学などアメリカ家政学の発展の中で形成した科学的知識が普及した。
▽ さらに、経済的生活の改善を目指して研究がなされた。1950年代では、篭山京の経済生理学的な生活構造論は、アメリカの社会機能主義や社会システム論やマルクス経済学の影響を受けながら、青井和夫、松原治郎と副田義也によって1950年代に生活システム論へと展開した。また、今和次郎の民俗学的生活学は、日本独自の生活文化論へと発展していった。
▽ これら日本に生まれ発展していった生活改善の科学技術の流れは、人間社会学を基盤とする生活学の形成と発展に繋がっていくのである。
生活改善の学問の方法論・プラグマチィズム的役割分担をもつ学際的知識群
▽ そのため、生活改善のための学問(生活の科学技術)の領域は広い。人間の生活環境と生活行為に関する科学であるため、自然科学系の学問(生物学、物理学、化学)とその応用科学(医学、工学、農学)や社会経済学系の学問(経済学、経営学、社会学)、そして人間学系の学問(発達心理学、文化人類学、教育学)がある。また最近では情報処理工学や国際経済学、国際文化学なども生活改善のための学問領域に取り入れられている。
▽ つまり、他の学問領域の知識が生活改善のために利用できるなら、そこに「生活の科学技術」に関する新たな研究領域が提案されている。そのため、生活改善の学問は時代や社会の生活要求に支えられ、それらの要求を満たすために、他の分野の知識と技術を援用活用して、新しい「生活の科学技術」の課題を提案しながら、発展し続けていくのである。
▽ 言い換えると、「生活の科学技術」は、学問的知識の体系の完成や一貫した科学方法論の確立を目的にした知の探求は行われない。そして、その学問の目的は、唯一、生活改善のための実践的な技術と知識の探求に収束される。そのために、知識や技術を生活改善の目的に向かってプラグマチィズム的に実用的知識と技術が採択され、生活改善のために活用されるのである。
▽ 例えば、食生活の改善のために、食物栄養学、栄養生理学、分子栄養学などの分野で食物の栄養成分やその体内での消化や代謝過程に関する知識、またそれらの消化や代謝過程に関連する生体内の分子生物学的な知識などが役立つ。それらの知識は物理、化学や生物学から成り立ち、その技術的応用に関するものである。食物に含まれている栄養成分の物理的、化学的、そして生理的特性を理解することで、人々の健康管理を科学的に実行することができる。
▽ 食生活の改善は生活科学の一つの分野である食物栄養学、栄養生理学や分子栄養学の知識によって完全に保証される訳ではない。それ以外に、それらの栄養成分を含む食材の栄養成分を活かした調理技術、美味しい料理方法、楽しい食卓の飾り付けや料理の並べ方、テーブルマナーなど生活技術や行為などのスキル改善も課題となる。
▽ 食生活の改善のために、自然科学の専門的知識を駆使した生活技術の開発のために生活科学の研究が取り組まれる。また、同様に生活文化の向上や生活行為のスキル改善を研究開発する生活学の課題も取り上げられる。食生活環境の改善や食生活運営を行う生活者のスキル向上に関するあらゆる課題に取り組むことで食生活の改善という「生活の科学技術」の目指す方向が実現されてゆくのである。
▽ 自然科学やその応用技術と人間社会や文化に関する学問とその応用学の知識や技術、方法論が生活改善のための科学技術を作り出す。それらの学問は、それぞれにその知識と技術が有効に活用される範囲に対して「生活改善の科学技術」の知としての役割を担うことになるともいえる。それらの知識や技術は「生活改善の科学技術」のための有効な知の一部として配列されることになる。それらの知識における知識の配列の順番や上下関係は、「生活改善の科学技術」を構成する多くの学問分野の中では問題にされない。それらの知識は、生活改善のために取り出される有効な知の集まりとして「生活改善の科学技術」の中に位置づけられるだろう。
▽ この生活改善の目的を果たす役割として集められた知、つまりプラグマチィズム的役割分担をもつ学際的知識群が「生活改善の科学技術」であり、自然科学的方法論に立つ生活科学と人間社会学的方法論に立つ生活学であるといえる。
2009年6月29日月曜日
新しい国際交流活動のあり方を模索して
京都・奈良EU協会副理事長 三石博行
大衆化し日常化した国際化社会のなかでの国際交流運動の課題
国際化社会は資本主義経済の進歩によって成立した。19世紀以降、鉄道、海運や航空等の交通機関の発達によって国際的な経済活動が発展し、20世紀後半以降、インターネットの発達によって、高度情報化社会が確立していった。情報伝達は早大量の生産物が国境や海洋を越えて流通し、国際化社会は急速に進んだ。
豊かな社会は、市民は国際観光を楽しみ、簡単に海外を旅行することができるようになった。また大衆化した大学でも海外との学術交流や学生留学が取り組まれ、日本の大学で学びながら外国の大学の講義を受けることもできるようになった。日常的に美術館には海外の美術館の有名作品が展示され、海外の芸術作品が、展示会場、ギャラリー、喫茶店などで頻繁に紹介されている。市民センターやコンサートホールでは海外の音楽が紹介され、海外へ行かなくとも海外の伝統文化、音楽や美術に触れることができる。
テレビから海外のニュースが流れ、珍しい海外の事情を知るためにはインターネットやテレビ番組を自宅で十分検索することができる。スーパーや商店にも海外から輸入された商品が並んでいる。また、各市町村の自治体では国際文化交流事業が取り組まれ、海外の市や町と姉妹都市を結び、全国津々浦々まで広がったわが国の国際交流活動は国民の日常生活に溶け込み、お茶の間の、そして街角の課題になっている。
今までの国際交流団体の活動では、珍しい海外の文化を市民に紹介する役割があった。しかし、大衆化し日常化した国際化社会では、その伝統的な国際交流活動の役割の占める意味が希薄になろうとしている。言い換えると、海外の珍しい文化の紹介という非日常的なニュアンスで語られていた国際交流は意味を失いかけている。国際化社会での国際交流活動には、海外の生活文化との交流である以上、非日常的な世界への興味ある交流活動というニュアンスが付属していることは否定できない。
しかし、大衆的で日常的になった国際化社会では、国際交流活動の果たす社会的機能や役割について考え直す必要があった。日本の近代化過程、戦後民主主義社会化過程での伝統的な国際交流スタイル、特に欧米先進国との国際交流活動では、少数エリートの海外留学経験者・文化人を中心とした文化活動が中心となり、大衆社会からすれば非日常的な海外先進国の文化を紹介することを主な目的とした国際交流の社会的役割があった。その社会的必要性が、今、大衆化し日常化している国際化社会・現代日本社会では失われようとしている。
生活世界の日常的な活動の一部となった国際交流活動が、伝統的な国際交流、つまり非日常的な海外の文化を学ぶ活動のスタイルの存在理由とその社会的必要性、新たな国際文化交流のあり方を問いかけようとしている。我々は、以上のべた状況の中で、京都・奈良EU協会を発足することになった。この協会の在り方を提案するために、国際化社会での国際交流の存在理由を明確に示さなければならなかった。
「地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の交流
海外を旅した人々は、世界のどこであろうと旅先で会う人々、言い換えれば、世界の一部である国や地域に住む人々が、その生活空間や地域社会が世界の中心に位置づけられていることに気づく。世界のへき地と思われた所でも、そこで生活する人々にとってはそこが世界の中心として位置づけられているのである。
地球が丸い球である限り、「地域という世界の一部」は地球の中心であり、そこから世界のすべての他の地域に地理的にも空間的にも広がりが出来ているのである。つまり、地域という世界の一部は、そこに定住する人々にとっては、つねに世界の中心に位置するのである。この感覚は地理的にも合点がいく。言い換えれば、旅先を世界のへき地であると感じたのは、旅人が住んでいた町や国を世界の中心と思っていた主観的な解釈によるものであることに過ぎない。地域という世界の一部で生活する人々は、その人々にとっては常に地球の中心なのである。
世界のへき地と世界の中心の主観的判断理由こそ、私たちの意識を作り出している文化や社会の姿である。この自己中心的な世界観に、自己の外にあり自我を規定する文化や社会の基本的な姿を見ることができる。この基本的な姿を一般に哲学者や社会学者は「共同主観」と呼ぶ。
また人々の意識・観念形態もその共同主観的な判断様式(社会常識)に由来している。いずれにしても、世界のへき地や世界の中心に関する主観的な判断は、旅人や定住者のそれぞれに固定し定着し、不可避的にそれらの人々の価値観、ものの見方、判断基準、行動パターン、言語活動を規定する文化や社会的意識であるといえる。
つまり、その不可避的な文化・社会的意識、観念形態によって、それに規定される人々の生活世界の認知基準、解釈基準、判断基準、行動形態が作られる。その二つの立場が相互に交差することがない限り、他の世界の地域をへき地と決め、自分の地域を世界の中心と思い込むことを対自化、つまり自分の外に置いて観察することはできない。その意味で、旅が反省の行動様式をもつといわれるのである。
そして、世界という他の地域との交流は、旅人のこれまでの世界を地域という世界の一部に相対化する作業として、意味をなす。つまり、旅によって、他の文化や社会の共同主観的空間を理解することによって、無意識的に絶対的に固定されている己の共同主観的空間を相対化する機会が与えられる。そのことが、生活や文化交流と呼ばれる旅の意味となる。
もし、無意識的に絶対的に固定されている共同主観性(自己の所属する文化)を相対化することのない場合、他者の住む世界のへき地と自分の住む世界の中心の主観的判断理由を問いかける機会はない。そして、その非反省的な日常生活、文化や社会の観念形態を固定した視点、文化的社会的常識を無条件に前提とした意識から、「絶対的ナショナリズムや民族主義」が自然発生的に生み出される。
「絶対的ナショナリズムや民族主義」は非反省的な社会文化観念形態・共同主観の極端な結末である。世界の中心から世界のへき地へ一方的に取り結ばれる国際的関係、支配する国と支配される国、優勢に立つ地域と劣勢に置かれた地域、中心と周辺、経済や政治的優越度の差異がそのまま文化的、生活世界的優越度として判断され、植民地国家への偏見と差別意識が絶対化されるのである。
欧米植民地主義に対抗し、豊かな生産力を獲得し、強い国家を目指す我が国の近代化政策の歴史の中では、欧米諸国との友好関係を推進する市民運動の場合にも、両者の経済的政治的優越の差異を無くし、国家的優勢と劣勢の位置関係を改善するために、文化交流活動が機能していたことは否定できないだろう。それゆえに、我々は「学ぶ側」であり続け、彼らは「伝える側」であり続けた。
「差異」や「差別化」は文化や社会意識に基本的に存在する。我々が文化的社会的存在であると規定されるなら、我々の意識は、その文化や社会の共同主観性から切り離され、歴史的社会的要素と無縁に、またそれらの要素から超越して存在することはない。一般にある固有の歴史性と社会性、文化性の名詞を前提にしない「共同主観」という概念はない。それらは具体的で現実的な社会文化のそしてその伝統的な共同主観の産物であり、それゆえにある共同主観性は他の共同主観性に対して常に不可避的に「差異」や「差別化」を前提として存在する意識形態であるといえる。
「いま、ここに」という地理的時間的限定のない自我はない。すべての自己は具体的な今と具体的なここを前提にして成立していたし、している。自我を創り出している文化的社会的に固定された観念形態や生活世界の意識(常識)は、絶対的な自己中心性を前提として成立している。共同主観的確信、言い換えると常識的判断は、一般にその生活者の住んでいる世界、共同体の内部から批判的に観察することは不可能である。そのために、その生活者の無条件に成立していた生活世界から離れ、他の人々、異なる文化や社会制度で生きる人々の中にさまよいこむことによって、それらの人々の文化や社会に対する「驚き」や「違和感」という感覚を通じて、意識的に対象化される。
そして、他の生活文化世界への「差異」や「差別化」は、絶対的に中心化されている自己の生活文化意識、自己意識の外に置かれた世界に過ぎない。無条件に設定されている「差異」や「差別化」の社会文化意識を対自化することなしには、自分の文化や社会を地域という世界の一部として理解することも、他国の文化や社会を自国のそれと共通の世界の地域として解釈することもできないことに気づくのである。
他国の生活世界と自分の生活世界の差異を他国の生活世界の中で理解することは、他国の生活世界への差異感として始まる。それを我々は、「カルチャーショック」と呼んでいる。自分の常識や社会観念を根底から否定される経験を通じて、無条件に絶対的に世界の中心の置かれている自己の生活文化意識の文化的な相対化が可能になる。
大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換が常に前提となる。我々は旅人として世界の他の地域の人々に会い、彼らの日常生活の中に交わり、彼らとの交流を通じて、ひとつの地域という世界の一部としての自分の所属している社会文化を自覚できる。と同様に世界の他の地域から来た友人と、自分たちの生活世界の中で交流する。彼らの立場を、旅人であった自分の姿に投影することによって、彼らの社会での彼らの立場や感覚を、共同主観性を無条件に前提としている現実の自分の今を反省的に理解することができる。
このように、「一つの地域という世界の一部」と「世界という他の地域」の二つの立場の相互交換を可能にすることで、一つの地域である自分の住む世界が、無条件に他の人々の住む地域からみて中心に位置すると思う感覚のおかしさを自覚的に理解する機会を与えることになる。こうした反省的な文化社会共同主観中心主義への観察が、結果的に「絶対的ナショナリズムや民族主義」を反省的に理解する契機を与える。
つまり、大衆化し日常化された国際化社会での国際交流活動は、「一つの地域という世界の一部」の人々ともう「一つの地域という世界の一部」の人々との交流からはじまる。それは二つの文化的に異なる生活世界の人々の交流である。そして、それぞれの生活世界の固定化された文化や社会観念形態の相対化を意味する。二つのもしくは多様な地域・世界の一部の人々の相互訪問活動や協同事業活動によって、地理的文化的な立場の相互交換を生み出しながら、それらの新しい時代の国際交流活動は可能になる。
生活の場からはじまる国際交流
京都・奈良EU協会を始めるために、国際化に伴う生活環境を前提として、多文化共生社会での生活様式を見つけ出すための活動について議論し検討してきた。その現在の具体的な提案は「生活の場からはじまる国際交流活動」であった。二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は、一つの地域の人々がもう一つの地域の人々との相互交流すること、世界の二つの異なる地域に生活基盤を持つ人々が協同で生活生産活動を行うことを意味する。
自分の文化の特殊性を他の文化群(多くの文化)の中で相対的に理解すること、言い換えると自分たちの社会文化の姿を世界の一部の地域の文化を他の世界の地域の文化群の中で理解することが地理的な差異を超えて相互交流することになる。地理的差異を超えて二つの文化が交流するためには、相互に文化的社会的な差異を自覚しなければならなかった。
自分達の文化と他国の文化の違いと共通点を理解し合うことで、二つの生活の場の相互訪問活動や協同事業活動は可能になる。すなわち相互生活生産活動を行うことは、相互に自らの地域的基盤を前提とすることが要求される。他国の人々の文化との関係(違いや共通点の理解)で自分達の文化を理解することによって、自分たちの文化を対自化することが可能になる。
生活の場からはじまる国際交流活動は自分達の文化を他の文化との関係で理解することによって二つの文化の差異(違い)を理解していく契機を与えてくれる。何故なら、生活の場は地域社会の伝統的な我々の生活文化を前提にしている。そしてそこからはじまる国際交流活動は、他の地域社会の伝統的な生活文化への理解が文化交流活動の課題になる。このような国際交流活動のスタイルを、「相互交流型の国際交流活動」と呼ぶことにしよう。
相互交流型の国際交流活動は、海外の文化を地域社会に紹介するだけでなく、自分たちの地域社会の文化を他の海外の地域社会に発信することになる。つまり、この協会活動は、ヨーロッパ社会の文化を私たちの地域社会に紹介するだけでなく、京都や奈良の文化をヨーロッパ諸国の地域社会に発信する活動を課題にする。
生活の場からの相互交流型の国際交流活動は、文化、経済活動を含むすべての生活活動を意味する。従って、これまでの国際交流活動が文化交流活動に限定されていた枠を超える可能性が生まれる。その意味で、これからの国際交流活動は、文化交流が余暇活動や教育活動に限定されず、経済活動や社会活動に発展する可能性を持つ。生活の場から創出されたあらゆる形態、多様な活動のスタイルが、相互交流型の国際交流のあり方になる。生活の場という多種多様な人々の特殊性と共通性から生み出される文化活動の可能性がそこで展開されることになる。
京都・奈良EU協会を発足するにあたって、以下の3つの国際交流活動の課題を考えた。
1 、生活の場から始まる文化事業
2 、地域社会に根ざした国際交流活動
3 、自己実現型の文化交流事業
持続可能な参加型国際文化事業
地域社会(地域という世界の一部の)に根ざした文化事業が世界という文化的に異なる他の地域と交流することは、それぞれ異なる生活文化の場をもつ人間達が、地理的距離を越えて行き交い、また文化的差異を超えて理解し合うことを意味する。交流の主体は地域社会の住民である。従って、この組織は京都、奈良などの関西地方の人々である。関西地方の文化、社会の特殊性を前提にして、EU諸国やその周辺国の地域社会の人々との交流が京都・奈良EU協会の活動の目的である。
また、この組織はEU諸国やその周辺諸国の地域社会の文化を京都、奈良などの関西地方の人々に紹介し、また自分達の文化をEU諸国やその周辺諸国の地域社会に紹介する組織である。この文化交流は、京都・奈良を中心とする関西地域の人々が主体となる。それらの協会会員の主体的な文化事業に参画することは、それらの人々がその事業を起こすこと運営することである。活動の参画や運営する人々の多様な活動の過程によって、協会の組織や運営形態が形成される。従って、協会は会員の活動の過程を重視することが求められる。
そして、会員が創る文化交流事業である以上、参加者の事業への主体的な参画度(企画、参加の程度)によって、この協会の活性が保障される。協会の事業構築過程を通じて、その事業に参画した人々の自己実現を可能にしようという活動が、この協会の原動力となる。この協会は、明確に「会員による会員のための組織」であることを強調する必要がある。協会の活力は、会員の積極的な参加と多様な活動の創造にありことを明確にし、それらの人々によって運営される組織であるように制度化しておく必要がある。京都・奈良EU協会は、以上の活動の基本を保証するための会則を準備した。
そして、現代社会では、自己の生きがいを求めることも社会的要求となっている。この社会的要求を満たすことには、自己実現を可能にする活動が求められていることを意味する。その自己実現を可能にする運動を課題にすることが、この協会に問われるのである。そのため、協会は、若者の自由で多様な活動の場を保証することを、活動の課題に挙げてきた。
また、国際文化交流事業を、地域社会の人々の生活経済を豊かにし、生活環境を快適にするものとして位置づけ、自分達の生活文化を豊かにする社会文化機能として活用することが求められている。その意味で、この協会の役割は、諸外国の社会文化に関する知識や情報の提供だけでなく、参加者の生活の場からの諸外国の社会への知識や情報の発信や生活の場からの生産物や創造物の発送への協力も、その中に含まれるのである。
国際化した社会では、企業が企業の論理の上でこれまで国際文化の交流に貢献してきた。世界中の素晴らしい商品や文化が、レストラン、スーパーマッケットや商店の軒先に溢れ、人々は日常的に食卓で、ファッションで、住居の装飾で、国際経済文化の交流の成果に潤されている。この日常化する国際化社会の中で、京都・奈良EU協会は、国際化社会に対応しようとする地域の人々、商店やレストラン、企業家などの経済活動を支援できる文化事業を模索する。この新たな試みを実現するために、京都・奈良EU協会をNPO、非営利社会法人にした。
新たな国際交流活動としての地域社会での国際文化事業
以上の視点から、協会はこれまで奈良を中心に多くの事業を起こしてきた。そして、今後も精力的に以下に示す事業を企画したい。
1、新しい文化経済事業を起こし、経済生活の場、事業の創造を目指す人々をサポートする活動。
2 、豊かな経験やスキルを持つ人々が、若い世代の文化経済活動を支援し援助する人材バンクとしての活動。
3、学生のインターンシップを受け入れ、大学では経験できない社会活動、文化マネージメントを体験してもらい、その経験を、これからの自分の生活形成に役立てる活動。
4 、関西地域に居住するEU諸国やその周辺の人々との文化交流を通じ、それらの人々(留学生)の支援。
5 、EU諸国とその周辺国の地域社会文化を学ぶ関西地方の学生や社会人が参加する研修の企画。
6 、市民が生活の場で日常的に接し理解し合える国際文化交流活動。
6-1、生活運動としての国際交流運動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html
6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html
6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html
6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html
6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html
6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html
6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html
6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html
6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から
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2009年3月4日水曜日
哲学的、科学的、生活技術的な知の相互関係
まるで、数学の証明問題を解くように哲学での論理実証作業は行わなければならないだろう。
まるで、物理学の実証実験をしているように科学作業は公理の証明とそれの基づく現象の予測をおこなわなければならないだろう。
まるで、技術開発を行うように現実の生活世界の改革は有効な知識と技術を集め、具体的な政策を立てながら進められなければならないだろう。
哲学的であることで、科学性の点検が可能になる。
科学的であることで技術的開発力の柔軟さを身に付けることができるだろう。
生活世界で実践的に知を活用することで、哲学的思惟の根拠を得るだろう。
これらの三つの柱、哲学的、科学的、生活実践的な知のあり方は相互に補足し合っている。
哲学的であるためには、科学的分析力や生活実践的な技能力が必要である。
科学的であるためには、科学的固定概念を振り返るために哲学的反省力と生活世界を豊かにする技術開発力を身に付けなければならない。
生活世界での実践力を身に付けるためには、生活技術を導く豊かな科学的知識が役に立ち、生活感覚を磨き上げる深く繊細な人間的観察力が役に立つ。
日常生活では、常に、哲学、科学と生活技術の三つの知識を磨き上げるための生活時間の配分が必要である。
2008年11月20日木曜日
ホームページをはじめます
ブログを書きながら、ブログでは表現できないものをホームページを使って表現してみようと思います。
ホームページの名前 「日常性と思想性の相補運動」にするか考えている採集です。取り合えず、進めてみます。
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/index.html
2008年11月19日水曜日
ブログをはじめた原点に戻って
今までの研究してきた課題、これは主観的には一貫した流れを持っていると信じていた。いや信じていたから色々な課題に飛び火しながら、その時その時のテーマに没頭していた。
しかし、時間が経って、それらの課題が今更ながら「何のために、そのテーマを問題にしていたのか」と自問するとき、今まで一貫していると信じていた課題に亀裂が生じ、その主観性を懐疑の坩堝の中に放り込まなければならないのである。
そうしたときに、今まで取り組んできた複数の課題にそって、ファイルを作りなおし、書いてきた論文や文章(未発表文章も含めて)を配列しなおした。これらの狭い研究室行った作業は、それでも、その懐疑の坩堝から完全に何かを抽出するためのラジカル反応を生み出したとは言えなかった。
そこで、そもそも幻想でしかない確信とやらを真面目に取り戻す作業に取り掛からなければならないのである。それらの主観的な確信は、私という人間が現実の世界に対する感覚や感性を前提にして成立している何らかの満足感にすぎないのではないか。真面目に私が取り組む課題が時代的課題だと言えるのか。
そうした主観的思い込みが、しかし、他者の主観的思い込みと共通し、その共通総数が多いなら、真面目に私は、主観的に思い込んだはずの課題を時代的課題と錯覚してもいいのだろう。そう考えるのは共同主観性ということばを知っている人の共通のテラを含んだ言い分なのである。
つまり、その主観的確信の不足とは、共同主化されていない私の課題の自覚に過ぎない。私はこの主観的に納得してきた「時代的問題性の解明のために」という確信と呼ばれる感情一種の幻想を共同幻想化する方法を知らないのだと思えた。
主観的確信を共同主観的確信へと発展させることは、自分を自分で納得させていた行為目的、つまり自分の行為を正当化し続けてきたある大儀を、社会的に検証し、他者の批判の北風と共感の日照りに十分に晒(さら)すことが前提となる。
もし、冷たい他者や暖かい他者との出会いを避けるなら、考えや主張は主観の空間に留まり、彼個人の生活を支え、彼個人の生き方に方向を示したとしても、いつのまにか彼個人の主観的な世界の中で拡大し、そしていつしかその個人の生物的生命現象の消滅と同時にそれも消滅するだろう。
主観的世界を共同主観化することが「生活運動から思想運動」への作業に過ぎない。その作業は、私の主観的確信を発信することによって、まず始まるのである。
そう気付いたとき、今までの私はの哲学作業が問われた。これまで十数年間、参加している学会での発表以外に、自分の考え方を社会に発信したことはなかった。つまり、私は自分のために思想を食べ続けてきた哲学消費者であった。そして私に素晴らしい哲学という生きるための糧を提供した哲学生産者になる努力、そうでなければならないという志向性を真面目に問いかけてはいなかった。
そう思い、昨年の12月にこのブログ、『生活運動から思想運動へ』をはじめてみた。 このブログをはじめた原点に戻り、このブログを継続する意味を再度理解したいと思った。
学ぶとは胸に誠を刻むこと
久しぶりに自分のブログを開いてみると、未公開の文章があることに気付きました。この文章は匿名の投稿者さんからものです。長いことほっといてごめんなさいね。
とても、素晴らしい文章ですので、記載します。
匿名の投稿文
初めまして。
「直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。」医学にも歴史学にも、数学にも、学び、問うていく長い道のりすべてに、先生のおっしゃることが通じると思います。
そして、学ぶとは知識をあつめて自分の周りに要塞をつくり自分を守ることではなく、アラゴンのうたのように「学ぶとは胸に誠を刻むこと」学び、問うていくことに、みずみずしい直感を保てるように、自分を整えていたいです。
知識を集めて気が済むよりも、それはとても難しいことですが。
2008年2月17日
2008年11月18日火曜日
長い休みを明けて
2008年1月31日木曜日
科学技術文明社会での生活学の課題
はじめに
科学技術文明社会の中で生活学の教育が問われている。伝統的な教育のあり方や生活学の歴史を振り返りながら、現代社会の課題にコミットする教育の方向について考察する。この論文は、2006年9月7日、フランス、ストラスブール、フランス文部省仏日大学館にて、ルイ・パストゥール大学と高等教育研究会等の共催で開催された日仏共同シンポジューム「大学とその社会機能」で仏語で発表した原稿の一部を日本語訳して記載したものである。
1-1. 実学(問題解決学)
問題解決力のある知識と技術を探求する学問を「実学」( la science pratique)と呼ぶ。実学の代表的なものとして、工学、農学、医学、経営学、政策学等がある。家政学・生活学も、現実の生活空間で生じている課題を解決するための知識と技術であるので、実学と呼ばれている。
実学は生産現場で、より良い商品やより有効な技術の開発と結びつく学問である。生活関連産業の生産活動で開発される消費者に歓迎される商品の開発研究、生活支援活動や生活改善運動で提案される技術や知識によって、家政学・生活学は発展して来た。
1-2. 社会文化歴史依存性
実学である生活学の知識や技術では、どの時代を通じ、またどの文化や社会を通じて、普遍的に成立する内容を追及することを目的にしていない。つまり、現実の問題をプラグマチィズム的に解決する知識や技能は問題になる。
その意味で、家政学・生活学は時代や社会文化に規定された生活資源を対象とする学問で、その知識と技術は時代的に社会文化的に有効であると言う条件が、この学問の成立条件に存在している。ある特定の時代や社会文化の条件で成立している課題の解明が常にこの学問活動の目的となっている。
例えば、先進国で研究されている食生活改善に関する家政学・生活学の知識や技術が、必ずしも発展途上国で必要とされているものであるとは限らない。その点から考えると、実学の中で家政学・生活学の研究は社会文化や歴史の条件に非常に規定された学問であるといえる。
工学や医学など、他の実学では、先端の知識や技術は先進国や発展途上国に限定されないで、社会文化的な制約に規定されないで、同時代的にどこでも共通する課題が存在している。勿論、工学や医学も生活の現場により近づくことによって、家政学・生活学と同じように、同時代であれ、その学問も社会文化的に異なる課題が問われることになる。
家政学・生活学が、時代や社会文化の違いによって、異なる問題に関心を持つことは、その学問の基本的な成立条件と関係する。つまり、家政学・生活学は、生活資源の時代的、文化的、そして社会的な制約や状況の中で、その資源の改善を課題にして成立している学問である。そのため、その研究は、必然的にある特定の時代性や社会文化性に依拠することになる。
家政学・生活学の知識や技術の社会文化歴史的な依存性は、その学問のあり方に必然的に付随したものである。その学問の成立条件であると言える。
1-3. 考現学 Modaneology
考現学とは今和次郎が命名した生活学の方法論を意味する。考現学は、同時代の生活文化現象を、生活素材を中心に分析する方法である。つまり、考現学は研究者の生きた時代、研究した時代に限定して、それから過去にも未来にも対象を拡張しないことを前提にして成立している学問である。
その意味で、考現学は、厳密に家政学・生活学の科学性を特徴付けている。つまり、同時代の生活空間への関心は、その目的が極めて直接的に同時代の生活空間の改善に向けられていたからである。
この今和次郎の提案した考現学としての生活学の方法論は、さらにもう一つの科学性について理解を深める機会を与える。つまり、生活学の研究主体は、その研究対象である生活環境の同時代のしかも同質の社会文化観念形態によって形成されているということと、さらに研究対象が、同時代の同質の社会文化観念形態である研究主体によって分析されているという、限定条件をそのまま受け入れて、生活学の科学性が成立しているのである。この生活主体と研究対象を構成する観念形態の同時性の認識が、考現学の科学性のあり方を理解する基本となる。
二つの疑問から、考現学の科学認識論は展開する。
過去の考現学について見ると、その時代の生活学を理解すると同時に、その考現学の研究者の姿も理解できないだろうか。
また、生活学に、厳密に同時代性の限定を与える意味はどこにあるのだろうか。
他の人文社会学において必ずしも、研究対象とその分析主体の時代、社会文化構造は同一であるという条件が成立しているとは限らない。例えば歴史学は現時代の研究主体が、過去の事象を対象にする。それは現在からの過去の事象や出来事への解釈学である。また、民族学や文化人類学や比較社会学や比較文化論でも、ある文化に属する研究主体が他の文化や文明に所属する社会文化を対象とする研究である。そこでも文化的位相の異なる二つの世界の差異によって成立する分析や解釈を前提としている。
家政学・生活学は今和次郎が用いた科学方法論である「考現学」によって成立している学問である。考現学でない家政学・生活学は存在しない。異なる文化での生活の比較研究や家政や生活の歴史研究は、現実の生活改善の課題を取り上げているという家政学・生活学の課題から外れており、家政学・生活学ではない。
家政学・生活学では、生活主体を構築している観念構造、つまり時代的社会的文化的な精神構造によって生み出された対象を研究している科学であると言える。その意味で、対象化されている構造の中に、実際は対象化している世界の観念構造が存在しているともいえるのである。そのため、家政学・生活学では研究主体を対自化するための手がかりがまったく存在しない。
つまり、家政学・生活学と哲学や科学認識論は対極にあると言える。つまり一方は、生活主体は対自化されることはない。つねに問題にされることは生活環境の改善に対して解決力のある知識や技術である。その解決力が家政学・生活学の知識の評価になる。そして他方は、生活主体の生き方や考え方が問題になる。生活環境の改善の前に生活主体の変革が課題になる。そのため生活主体の生活世界の認識のあり方が問われるのである。
同時代性を科学の厳密な成立条件にする考現学としての生活学は、その逆説を観単に導くことを許す。つまり、この科学は認識論や哲学的な介入口を一切、科学方法論的に拒否するが故に、この科学性の分析は、この科学、つまり考現学としての生活学の領域以外のところに行くしかないことを示している。この生活学の領域から徹底的に離れることが、つまり考現学的方法から離れ、反考現学、反省学の領域に考現学に関する科学認識の次元を作り上げない限り、考現学の科学認識は不可のであることに気付くのである。
2. 家政学・生活学研究教育の歴史と現代の課題
2-1। 近代国家形成と科学的家事教育の形成
近代国家の形成を目指した明治政府は、19世紀後半、初等教育の義務教育制度を確立し、工業生産を支える労働力を育成した。初等教育で裁縫を中心にした家事教育も導入された。また良妻賢母教育を進めるための中等教育の教員養成が東京高等女子師範学校(現在の御茶ノ水女子大学)と奈良高等女子師範学校(現在の奈良女子高等師範学校)の設立で進んだ。
良妻賢母教育は富国強兵政策を進める明治政府の利益と一致する。つまり、健康な男子を軍隊は必要し、健康な労働力を産業は必要とし、また健康な新生児を産む健康な母体を国家は必要としている。家事労働の質の向上によって、軍隊や産業の必要な健康な男子、女子の養成が可能になる。近代日本を支える健康な勤労者国民を生産する技術が良妻賢母である。
家事技能の科学的な研究は、近代国家の発展とって重要な課題である。家事技能を向上させることによって、工業社会の生産力を担う健康な労働力を再生産することが可能になる。高等教育での家事科の設置によって、裁縫、育児、栄養、休養に関する技能の研究をより科学的に探求する活動が始まった。
つまり、近代化は国家の政策であるが、資本主義社会の充実は、豊か二次生活資源の存在とその増殖機能の確立である。欧米の社会と異なり、19世紀後半期から始まる日本の近代化や資本主義社会の発展過程は、市民社会の形成とその経済活動、つまり二次生活資源の蓄積によって生じた結果ではない。むしろ欧米の列強に植民地主義から国土を守るため国家の富国強兵政策によって推し進められたものである。その結果として国家指導の資本主義は発展する。そして同時にその結果として豊かな生活を形成し発展するための二次生活資源が生み出される。
この時代では、国家の利益に一致する限りにおいて生活改善の研究、家政学の成立条件が存在し、また家事教育が可能になったと言える。
2-2. 生活環境改善のための生活学・家政学の専門化
A.生活病理(貧困) の解明と生活学の形成
20世紀のはじめに、国家指導の近代化政策や資本主義化によって、資本主義経済を始動するために必要な二次生活資源の蓄積(本源的蓄積)は進み、市民の経済活動を中心として資本主義化が進む。資本主義社会では、まず二次生活資源の増殖機能を作り出す工業生産を中心とした二次産業が興る。同時に工場労働者や都市人口の増加によって二次生活資源の重要は増加する。新興産業の発展と都市の人口増加によって社会の二次生活資源は豊富になる。.
今和次郎は、1911年の関東大震災の罹災者の生活復旧支援活動に取り組んだ。この活動を通じて考現学は形成する。また、その後、生活学は生活病理の解明とその対策の学問として展開される。当時の生活病理の生活構造論の要因は貧困であった。今和次郎は、生活の貧困の現状を生活素材の調査によって示す。科学的に解決するために登場する。戦中、篭山京は、貧しい勤労者を救済するために、生活構造論を提案する。戦後、貧困から生活者を守るために、生活構造論、生活システム論が展開された。
20世紀前半の二次生活資源が豊富になる日本社会で日本の生活学が生まれ発展する。豊かな生活環境をつくり出すために必要とされた生活学の教育は二次生活資源に属する。また、生活学史を生活資源史観の視点で解釈するなら、二次生活資源を必要としる社会が登場することによって、生活学が形成したと言えるのである。
B.戦後民主主義教育と家政学教育
戦後民主主義教育の中で、アメリカで形成され発展したHome Economicsが日本の女子教育の中心的な課題として取り入れられる。家政学教育は、家事をより合理的で科学的な視点から理解し、改善し、より豊かな内容に変えることを目的にして取り組まれる。
戦後、1958年、日本の中学校で「技術・家庭」が導入された。技術は男子に対して「工業技術を中心とした生産技術の基礎を学習する」ことが、また家庭は女子に対して「家庭生活技術を中心として学習する」ことが教育課題になった。
1989年の高等学校での学習指導要綱に即して、1994年から家庭一般、生活一般と生活技術の科目が高等学校の家庭科の教育が導入された。生活技術では、生活一般の教育内容に加えて、「家庭生活と情報」「家庭生活と電気や機械」「家庭園芸」の教科内容が組み込まれている。
C.家政学・生活学の専門化
1970年代、高度経済成長も終わり、豊かな消費生活が始まる時代に、生活科学研究所が作られ、消費者論が生活学の課題になる。生活経営学が登場し、生活の科学的な管理を課題にする。また、公害問題など工業生産や消費生活によって作り出された産業廃棄物や生活廃棄物による生態環境の破壊、課題にした生活と環境問題が取り上げられる。また、生態環境の破壊を防ぐための生活スタイルや家庭経営のあり方を考えるリサイクル論が科目として登場した。
生活環境も科学技術文明社会の中で大きく変化する。生活道具の機械化、電化や自動化が進む。家電機器によって、家事労働は短縮され、社会で女性が働くことや余暇を過すことを可能にした。
この時代では、新しい市民社会の利益、家族的な利益に一致する限りにおいて生活改善の研究、家政学の探求が進み、科学的な家政学、つまり生活科学が形成し、その合理的知識に基づいて、家事教育がなされる。
20世紀の後半から、今日先進国と呼ばれている経済的に豊かな社会では、二次生活資源を消費する市民社会が登場する。この社会では、科学技術の進歩により、生産システムの自動機械化、生産管理の情報化、生産部門の高度な専門化や分業化が進み、極度に豊かな二次生活資源の生産を可能になる。
この時代の到来を、トフラーは「生産し消費する人々」の社会の形成と呼んでいる。資本主義社会では搾取される運命にあった労働者階級は、過去の存在となり、所謂日本で言われた「一億総中流」と呼ばれた市民社会が到来している。)
ゆたかな生産力を持つ社会の到来によって、勤労者一人あたりの社会的必要労働時間数は減少していく。その分、余暇時間が増えことにより、三次生活資源を需要が急速に増大する。余暇活動のあり方が課題になり、さらに三次生活資源が要求される。人々は生活をより楽しむための知識を求め、余暇時間の活用のし方が生活の関心の中心になる。
そして、電気通信工学や技術の発達によって作り出されている映像メヂアの世界。テレビから伝わる世界のニュース、文化、映画、音楽、スポーツ。日常的に生活空間には他文化の情報が流れてくる。
さらに、情報工学、情報通信技術インターネットによる世界の人々が情報発信者になれる。家から世界に情報を発信できる社会が登場した。現代の生活者は、不特定な世界の人々に対して自らの情報を発信でくるのである。それだけに、その情報に責任を持つことが求められている。
新たな生活学の課題は、科学技術文明社会の豊かな生産力に支えられた生活空間の分析とその改善に向けられる。生活学教育はこうした生活空間の変化し、多様な生活者の要求の変化を受け止める教育課題を提供する。消費生活論、生活情報論、国際生活論、生き方やライフスタイル論、福祉論、生涯教育論、余暇論等の教育科目が登場する。
この時代では、一次生活資源を確保するための社会的必要労働時間は極めて短縮され、二次生活資源(豊かな生活空間を作り出すために必要な生活資源)の確保も簡単になる。二次生活資源の閉める割合は非常に増加し、その生産力も人類史上まれにみる高いレベルを示す。その結果は、三次生活資のニーズが今までになく発生し、その生産は増加する。
究極の豊かな生活資源とは、個人的な要求を満たす二次生活資源である。個人のニーズを尊重したオーダーメイド商品が多く生まれ多様な商品が生まれる。つまり、高度な二次生活資源が登場する。
人々の関心は、経済的に豊かな生活を作るというだけではなく、精神的に満足の行く生活や自己満足的な欲望を満たす生活を求める。そのため、社会には多様な要求が発生し、個人的な欲望を満たすための商品が開発、生産される。つまり、多様な要求によって、さらに社会には多様な労働が成立する。そうした意味で第三次産業が経済活動の大きな割合を占めることになる。)
この時代では、個人の利益や関心が、生活の中心課題として登場し、自分らしいライフスタイルを確立するための研究が、生活学・家政学の課題になる。個性的な生き方として生活学を学ぶことが生活学教育の中で取り上げられ、これまでの体系的な生活学教育ではなく、必要に応じた生活知識の習得や他の分野を取り入れた生活学の学習に関心が集まる。
B.先進国での新たな生活病理に対する生活学の課題
生活の経済的な貧困や古い制度からくる貧困を課題にして発展してきた伝統的な生活学の科学パラダイムはこの新たに生じている生活病理に対して有効な知識や技術を提供することができない。
伝統的生活学が実学としての有効性を失うとき、生活学の科学性を分析する科学認識論の作業が必要となる。そして、有効な理論の形成に向けてメタレベルの生活学基礎理論の展開が試みられる。日本での生活学基礎論の学説史、つまり生活構造論、生活システム論と生活空間論等の理論を歴史的に検討し、現実の生活学の抱えている課題に有効なメタレベルの理論、生活学基礎論の構築を目指すべきである。
しかし、現実の生活学の展開の方向は、基礎理論の点検には向いていない。例えば生活工学のように、むしろ、より有効な知識を取り入れる方向で発展している。有効な実学を構築することで、現在の生活病理への課題を解明しようとする方向は間違いではない。その中で、実際は、生活学のメタレベルの点検がなされるのである。
この論旨で示す生活学基礎論としての生活資源論から現在の生活病理の構造を分析するなら、現代社会の生活病理の構造は、個人の欲望や理念を満たす生活行為に付随して生じている現象である。つまり、この生活行為とそれを満たすための三次生活資源のあり方が問題になる。自己の欲望を満たそうとする生活行為全体ではなく、個々にその一つひとつを点検しなければならないが、それらの具体的な行為の中で、明らかに、これまでの社会的観念や規範から受け入れられないものが発生している。例えば、麻薬、援助交際等々。同時に、その行為を満たすために発生している三次生活資源が、これまでの社会倫理の埒内で認められていたものに反する場合が生じている。例えば、インターネットで流されるポルノや残酷な映像(未成年にも簡単にアクセス可能)。報道の自由というこの社会の基本原則によって、それらを規制する方法を見つけ出すことができない。多くの課題が、この多様にしかも多量に生み出される三次生活資源に発生している。その問題が生活空間への影響を生み出していることは間違いがない。
非人間的で有害な情報への規制は政治や法律の問題である。しかし、他者との共存、安全や平和が生活学の最終目的であり、生活空間を破壊するそれらの有害な三次生活資源の過剰な発生に対して、生活学は何らかの問題解決を提供する必要はないだろうか。
表現の自由という我々の社会理念の大原則に触れる情報規制の考え方を、法律や政治に任すことは危険ではないだろうか。むしろ、他者との共存や安全や平和を課題にする人間社会学の点検の課かで取り上げることが正しいのではないだろうか。
個人の理想や欲望を充足さす生活行為に必要とされる生活資源を三次生活資源と呼んだ。つまり、三次生活資源の増加とは、社会や生活共同体全体に共通する生活資源ではなく、個人の生活活動に依拠した生活資源である。三次生活資源は必ずしも一次生活資源や二次生活資源のように、生産、消費、再生産の経済過程を前提にしない、消耗品である場合が多い。
言い換えると、三次生活資源の増加は、社会システムの中に非生産的な要因が発生し、その要因が他の要因との関係で生産性に転化する機能を形成しない限り、三次生活資源の増加によって、社会経済の生産力は減退することを意味する。
例えば、余暇は休養と違い、直接的に労働力の再生産過程に組み込まれない。余暇はむしろ体力を消耗する場合があり、労働の疲れを取るとは限らない。この考え方の中には、生産活動を中心にした生活観が残存している。つまり、
労働の疲労を肉体的な次元に留めて考える限り、余暇は労働力の再生産過程に組み込まれえ
都市人口の異常なまでの増加、高齢化と人口減少によって経済的に疲弊する地域社会、都市と地方の格差の広がり、子育てや家族から発生する問題、初等教育の現場での子どものいじめ、フリーター、ニートの発生核家族化、都市の離婚、し共同体の個人的な
そして、現代の生活学の課題は、その新たに生成する生活病理の分析と、その解決のための知識や技能の探求や検討に移るのである。言い換えると、どの時代においても生活学は存在する。何故なら、生きることはよりよい生存環境の構築過程を意味する以上、そして全ての個人の具体的な存在の事実として、生活がある以上、生活改善の探求は、つねにどの時代や社会でも、存在しつづけているからである。生活様式や生活素材の改善は、生きた生活空間の姿に過ぎない。)
३. 現代生活学教育の課題
3-1. 学部学科名称の商品化の批判(学問的基盤を保証しない学科名称)
例えば、教育改革によって、学部や学科の名称が変更することがある。この名称変更は、今まで文部省によって厳しく審査されてきた。つまり、新設されたカリキュラムとそれを構成する科目群、そして科目内容、科目担当者の資格等が厳しい審査を受けていた。新しい学部や学科の教育内容を満たしているかが、その部門の専門家で構成される文部省の専門委員会で検討された。
市場原理を取り入れて大学改革を進める現在の文部科学省は、大学が行う改革の中身を規制する基準を緩和した。市場が大学を選択する。つまり、大学は市場によって評価され、その存続を決定される。現在の日本の大学は志願者数の増減という現実から実際厳しく評価を受けている。
その文部科学省の大学行政によって、プラスの面とマイナスの面が生じている。
プラスの面は、すべての資本主義社会の経営組織と同じように、大学教育が市場原理によって社会的評価を受ける。その意味で社会的需要が評価の基準となるため、全ての大学に対して公平な視点から評価が行われる。つまり、社会的需要に対して応える努力をしていく大学が結果的に生き残ることになる。
しかし、そのプラスの面がマイナスの面の原因となる場合がある。その一つが、学部学科の名称変更とその教育内容の一致を巡る問題である。つまり、一言で言うと、新しく付けられた名称が、ともすれと、教育の内容の基本的な変革を伴わないで単に市場受けする名称になる場合が生じる。つまり、学部学科名称の商品価値が、その教育内容を抜きに検討されることになる。
この問題を解決するためには、提案される新しい教育内容(科目群の構成)は、その分野の学問的な理念と学問的な体系によって説明されること、また教育論的な視点から、教育方法が説明されることが必要となる。
新しい名称が、つまり伝統的な生活学系の教育の形態は変化し、生活文化学、生活工学、生活情報学、人間生活学、色々な学科名称が登場する。その大きな理由は、大学内部の改組によるもので、命名された学科名称に相当する学問が確立し、その学問の内容によって提案された教育課題が必ずしも存在していないのが多くの場合の現実である。
3-2. 資格取得教育の点検 (知識の即時的活用の重視と体系的知識教育)
家政学教育の改革の具体的課題として、資格取得を目的にした教育が導入されてきた。単に、生活に役立つ知識や技術に関する単位取得では、学生は満足しない。大学卒業資格という商品価値が低下することによって、高い授業料を払って大学で学ぶ学生にとって、大学教育で得られる別の商品価値を探すことは当然の行為である。
しかし、大学で資格試験の対策を中心として教育が行われるなら、本来資格試験のための教育を中心としてカリキュラムを提供してきた専門学校と同じ教育内容を提供することになる。
家政学系の大学教育が専門学校の教育に近づくことが、実学教育市場の需要に答え、実学教育を進める大学の教育改革の解決策であると言えない。家政学の教育で必要とされる知識のあり方を以下に示す。
1 ,実際の生活に役立つ専門知識(実学的知識)
2 ,資格取得に必要な専門知識
3 ,実学を支えている学問的知識
3-3. 科目群の自由選択制度の点検 (情報化した知識と大学教育の基本)
短期大学の学科や大学の学部教育の知識は、科学技術文明社会の基礎となる。つまり、それらの大学で学ぶ知識は、社会で活用されている専門的な知識を理解するための基礎となる。大学の学部教育で学んだ知識が、生産現場の先端知識に即役立つ訳ではない。このことが、大学教育の社会的評価を意味している。
こうした大学教育の位置づけの変化に合わして、大学教育のカリキュラムが変化して来た。つまり、資格取得科目を中心にしたカリキュラムの提供とは逆に、即時的に役立つ科目の提供でなく、学生が興味を持つ科目を自由に選択できる制度が導入されてきた。その場合、資格取得の科目の集まり(科目群)を一つのユニットとして提供することで、自由選択と資格教育を両立するカリキュラムが提供されている。
この科目群の自由選択制度(ユニット制)は実際に学生に高い評価を受けている。しかし、自由に選択するという目新しく刺激的な教育方法の否定的面を理解する必要もある。それは、現在の日本の子供たちに蔓延しようとしている生活習慣病と同じように「好きなものだけ食べる」ことが、子供の健康に悪いという現象と類似する。好きな学習だけをすることが、果たして将来の知的活動にとって約に立つのかと考えなければならない。
学問的知識も情報であるが、それは体系化された公理系の中に整然として分類整理可能な情報である。したがって、知識の内容としての情報を伝えると共に、その知識がどの分類箱に所属しするかという情報も提供しなければならない。そのことは、自分で情報を生産するために役立つのである。
数学を学ぶように、一般に知識の公理系のフレームを教えることは、つまり学問としての知識を教えることは、一定の忍耐が必要である。大学教育であるから、その忍耐を要求することが出来る。言い換えると、卒業資格や単位取得という教育の大原則があることで、学ぶ忍耐を教育できるのである。もし、学ぶ忍耐の教育を必要としないなら、趣味としての学習、生涯学習で十分である。教育である以上、学ぶことに一定の強制が付きまとうのである。
科目の自由選択制度という社会の多様性に対応する教育の利点を保証するためにも、その制度のなかで、知識の体系を理解する学習が可能になるカリキュラムが必要とされる。
3-4. 教材作成企業との連携
大学での教材は学生の理解を助けるために、ますます統計、画像、映像資料を教材として活用しつつある。しかも、それらの教材の殆どは専門機関の提供する統計資料、NHKなどメヂィアが提供する映像資料、さらに専門雑誌なの提供する画像資料である。また、今日、教材資料を専門的に販売する企業が登場している。その産業は当然大学の研究活動と結びつき、専門的な研究から導かれる情報をまとめて教材商品を作成する。
言い換えると、大学教育の材料は大学の中で自己生産することが出来ない。家政学や生活学教育では、生活関連産業、生活科学研究機関、メヂア産業のアーカイブスやデータベース、教材作成企業、自治体の生活福祉部門、NPOなどの生活支援組織などの協力や資源を活用して充実した教育内容を作ることになる。または大学教材作成産業から教材を購入する。
大学が独自にその資源の中で、大学教育の材料(教材)を作成できない大学教育の意味することは、以下のことである。
1 ,大学の教育は大学内で自己生産できない
2 ,大学の研究は教育産業に教材作成の材料を提供する。
३-5 . 社会の専門家、生活関連企業との連携
高度の知識社会、科学技術文明社会では、大学教育は、必然的に社会の専門家の参加を必要とする。大学は他の社会の知的生産機能(企業、研究所、市民運動組織)と同格の一つ知的生産機能である。大学教育では、必然的に、社会の他の知的生産機能の資源を活用することになる。このことが、科学技術文明社会、高度な知的生産社会での大学での実学教育の基本を決定している。
言い換えると、実学系の大学教育の改革は、社会の知的生産機能との協同作業が必要となる。単にそれらの専門分野の機能を活用するだけではなく、その専門機関で働く人々と共に、高等教育の改革を共有することが問われている。
具体的には、現在までに、特に実学教育においては、以下の二つの課題を展開し、一定の成果を作り出してきた。
1 ,社会の専門家を大学教育の中に取り入れる。
2,学生を社会の専門分野で教育する。
つまり、社会の専門家を大学教育の中に取り入れる方法について、生活関連企業や生活支援運動や自治体活動の専門家と提携して、それらの人々を大学教育に積極的に活用している教育がなされている。大学によっては企業と契約し、例えば経営学のコースでは大手の商社や企業から専門家を呼んで講座を開いているケースもある。また企業も、積極的に大学に専門家を派遣し大学の授業を担当することがなされている。それは企業の社会貢献との一つとして評価されている。さらに、学生も企業への研修やインターンシップを行い。ある一定期間の間、専門的な仕事を学習するコースもある。
実際、実学系の生活学の教育は大学内部の教育資源で十分に教育活動を完結することは不可能である。そのため、大学教育に社会の専門家を活用し授業を行うことや、また社会の専門分野を大学教育の場として活用し、学生がその場で実習を行いまた、講義を受ける場を作ることが教育内容の充実につながった。
この方法を高等教育に採用するためには、大学と社会との間にある専門的な知的生産の関係について、特に大学の教員として理解しておかなければならい課題が含まれている。その課題を以下に示す。
1、大学を社会の中にある多くの知的生産機能の一つと位置付ける。
2、大学の教員は、社会的に生産される実学的な知識のメタレベルの研究者となる
3、大学の教員は、社会の知的生産機能を担う研究者との共同研究者となる
4、大学教育は、社会的の専門的な知識生産に必要な基礎的知識教育を担う
3-6. 社会の専門機関での経験を大学が評価する。
この制度は現在フランスで実施されているVAEの制度で、日本では存在しない。大学教育の内容は、大まかに社会経験の知識と内容と同一のものであるという前提条件をもって、この制度は成立している。例えば、理論的に高度な専門分野の学習を前提にして成り立つ社会的な経験は、多分に先端科学技術を開発する企業や公共団体の研究機関となる。その人々は、多くの場合、すでに高学歴の所有者であり、理工系では博士号の学位を得るために、多くの場合、大学に形式的に所属しながら、これまでの研究成果を論文にして、共同研究している大学教員を指導教官として提出する。
参考資料
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三石博行「科学技術哲学と社会システム論」in 『社会システム論』新田俊三編 日本評論社、1990.3 pp57-83
三石博行「マルクス経済学批判と科学技術論」 in 『龍谷大学経済学論集』 第34卷1号、1994.6、pp45-63
日常性を維持する力
- 生存するために人類が身につけた精神構造 -
常識の意識構造
日常生活の中では、常識、慣習や決まりに従いながら判断を行う。それらの判断は、生きて生活するという行為にとって必要な選択の基準や方向を決めるためのものである。日常生活の判断基準をフロイトの精神分析学では現実則と呼ぶようだ。
現実則とは、現実の自我、生活している自分を生かすために用意された判断、行為選択の基準、決まりや規則である。もっとも代表的なものが常識である。常識は生活習慣を取り決めた決まりである。生活人にとって常識に反するという表現は厳しい非難になり、共同社会から排除される理由として使われる。
その意味で常識は明確に意識化された生活行為の抑制と刺激の方法であり、それをここでは現実則と呼んでいる。常識は、その意味で生活者個人の意識や生活行為の次元で理解される共同体の規則、意識構造を意味する。
慣習の意識構造
共同社会を維持するための社会の慣わし、習慣や慣習がある。これらの習慣や慣習は常識と同じように日常生活の生活様式を決定付けている。しかし、「人によって習慣が違う」とか「家族によって慣習が異なる」と言うように、常識ほど厳しくある一つの生活様式の概念に規格されていない。
しかし、習慣や慣習の異なる人々を生活文化の異なる人々と呼ぶ。それらの人々はお互いに異なる社会常識を持ち、お互いに日常的に交流することはない。つまり、習慣や慣習が異なると言うことが、生活文化に対する価値概念が異なることを意味する。
その意味で習慣や慣習はさほど明確に意識化されていない生活活動の抑制や刺激の方法であり、文化や生活環境の次元で理解される共同体の規則、文化を意味する。
タブーの意識構造
共同社会を維持するために社会的な価値観がある。否定的な価値観をタブーと呼び、肯定的価値観を崇拝と呼ぶ。人々はタブーを犯すことで社会から排除される。人々は崇拝を勝ち取ることで社会から歓迎される。その二つの社会的価値によって、生活は方向付けれれる。
多くの生活者が、否定的価値観に反せずに生きることも出来ず、また肯定的価値観に則して生きることも出来ない。つまり、それらはある理想の生活様式を意味する。現実の生活では、タブーも崇拝も神棚にしまい込まれた偶像のようなものであるが、その偶像を無くすことによって、生活習慣や常識は失われる。
その意味で、タブーや崇拝は無意識的な生活活動の抑制や刺激の方法であり、その方法を快感原則と呼んでいる。タブーや崇拝は、その意味で感覚や感性の次元で理解される共同体の規則、規範を意味する。
日常性を維持する精神機能
日常生活の意識構造、常識、習慣、慣習、タブーや崇拝は、ある個人が勝手に決めたものでない。それは言語のようにいつの間に、自分を作り、自分はそれによって創られているのである。それらによって生きることの出来る根拠は、それらの規則が、自分の身の回りにいる自分以外の人々によって日常的に信じられ、執り行われ、解釈了解されているという現実からである。
これらのすでに与えられている判断基準に従うことによって、簡単に生存することが出来るのである。それらの判断基準に則して、周りの人々と同じように認知し、解釈し、指示を出すことが出来る。そのことは共同行動が可能になったことを意味している。その判断基準の則して行動する限りに於いて、他人とのトラブルは頻繁に生じない。
トラブルを生じさせないという精神構造は共同体にとって、最も効率良い機能である。行為の目的を効率良く果たすために、目的の行為を行う以外に出来る限りエネルギーを消費しないように、全ての生命力を共同体維持のために使い切るための方法として常識や習慣などの日常生活の判断基準、現実則が必要とされるのである。
その意味で、常識は共同生活の歴史の中で生み出された生命や生活を守るための知識であり技術である。言い換えると、人類は長い間、厳しい自然の中で、食物を集め、狩をし、敵と戦い、子孫を残すために、共に支えあって生きてきた。その常識がなければ、人々は生き延びることは出来なかっただろう。
生命を維持するための手段
日常生活とは具体的な個人の生活を意味する。日常生活はある具体的な生活行動や生活空間で成立している。つまり、人々の生活は、常にある具体的な場所(空間)に限定される。人々の行動は、今という現在(時間)を越えて存在しようがない。日常生活は生きている現在に於いてのみ成立する具体的なある固有の人格の生活行為である。
言い換えると、日常生活にとってその連続は、それを構成する空間と時間の生存条件が存在し続けることを意味している。一時間の間、生存の場所を失うことで、日常生活は成立しなくなる。例えば、津波がある村を襲い、その村が波に飲み込まれ、一時間の間水浸しになったとすると、多分、多くの人の生命が奪われ、殆どの人の生活基盤が失われるであろう。
人は生存するために日常生活を維持しているのである。しかし、その日常性の条件を失うことで人は生存することが出来ない。人の生存は維持された日常性によって成立しているのである。例えば、食事をする、衛生的な生活環境を保持する、生命の危険から身を守る等々、命を守るために必要な環境を作り出し、その作り出された環境によって、生命を維持しているのである。
現実生活の社会秩序を守ることが常識の機能であると言うことは、それによって生存の条件を作りだそうとする人類の知恵であることに気付くのである。現実則は、他者との共存、社会的分業への参加、社会的機能の分担、共同生活等、それらの社会的行為を可能にするために身につけた方法、手段であり精神機能である。
2008年1月30日水曜日
生活世界の哲学
- 生活運動と思想運動の相互点検活動 -
直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。
しかし、生活世界では、ことばは「いま、ここに」という限定から飛び立つことは出来ない。生活世界で見つける素晴らしいことばは、視界の届く所に、足の赴くところにまで届く。
しかし、見知らぬ人々と遠い世界までは届かない。ただそのことばは生き生きと現在の世界に飛び交うのである。
生活で語られることばは、生きた人間の温もりと脈動が伝わる。
「今、ここに生きる」脈動から、新しい生命が生み出され、新しい関係が創られ、新しい感性が生まれる。生活で語られることばは、今、すぐそこにある明日に向って語られる。生活で語られることばは、そこ、すぐそこにいる人々に向って語られる。
生活はそれゆえにその前向きの生命を支える固定概念、共同体の常識と欲望を肯定するための立場、身近な利益集団の立場、個人が所属する経営体の立場、それらの利害を前提にして成立する。
その生活の利害は、今、ここに生きることを保障するための利害である。それは近未来に対して共同体の観念(常識)や制度を自己保存するための利害である。
しかし、生活の利害は、国家や社会の未来を保障するとは限らないのである。
生活の利害のままに人々の行動が流されては国家も社会も成立しない。生活の将来は保障されない。
その自然発生的な生活運動の渦巻きを、ある社会の形態に方向づける必要があった。
思想はそのために必要とされた。思想によって、個々の生活空間の利害を超えて、ある民族や国家と呼ばれる共同体の利害に立つことが出来たのである。
思想は、生活世界で語られた素晴らしいことばを明日よりさらに未来に、近よりさらに遠い社会にまで届けようとする。思想はなき生活は、未来のない生活である。
生活活動を思想活動にまで高めることによって、現在は未来に続く時間を獲得できるのである。
しかし、生活のない思想は人の香りを失ったことばである。
思想のない哲学は、困難に立ち向かう力と人々の共存を願う愛を失ったことばである。
哲学なき思想は、時として我々を危険に導く。
独裁政治、国家社会主義、国粋主義、原理主義、愛国心、民族主義、多くの思想は生まれ、激しく燃え盛り、どれだけ多くの人々を戦火の犠牲にしただろうか。
哲学は、思想に生活世界の香りを届け、人の悲しみと温もりを与える。哲学を失った思想は生活世界の直感を失ったことばに過ぎない。
そこで哲学は、同時代的精神の主張、社会思想として語られたことばを未来と過去の時間を越えて、文化と社会の国境を越えて、人間という抽象的空間に届けようとする。
何故なら、哲学のない思想は、同時代性に固守した偏見を捨て去ることも、省みることもできないからである。そして、時として、それらの危険性は、生活世界を破壊する。
哲学の役割は、同時代的精神をそれらの精神の歴史(思想史や哲学史)の中で、見つめさせることである。
哲学は、同時代的精神活動、思想に生活世界の直感を所有することを要求する。
その哲学の要求によって、支配者の時代的偏見や多数者の社会的固定概念を自然発生的に所有する時代的精神、思想を点検批判し、その思想によって多くの人々が危険に晒されることを防ごうとするのである。
哲学は、無条件な楽観論、肯定的思考を点検批判し、ある時は否定し、それらの思想の前提条件を懐疑し、それらの時代性や文化性に付随する共同主観的世界の様相を反省的に理解させようと努める。
しかし、哲学は思想、時代精神を介して生活世界に入り込むことはできない。
何故なら、哲学は否定の学であり、肯定のベクトルで形成される生活運動にそのまま参加することは困難である。
前向きに生命と欲望をもって成り立つ生活世界の力は、時代性と文化性の時間的空間的方向性を与える思想、時代精神によって方向付けられる。
哲学はその逞しさを持っていない。哲学が生活運動と結びつくことを望むとき、懐疑や点検の学としての哲学の本来のあり方を中止し、哲学の思惟から生まれる、つまり「否定の否定」によって帰結された世界を思想運動に渡さなければならないのである。
哲学は、その時、生活世界の再生、再生産、新たな生活思想の起爆作用を導くのである。
哲学は、その根拠として、生活理念の思想や生活実践の科学を必要とする。
哲学が、生きる場の哲学の成立条件として、生活運動から思想運動への課題を要求している。
つまり、哲学はつねに反哲学を必要とし、反哲学を哲学に内蔵することで、哲学はその存在理由を見つけるのである。
そこに哲学と呼ばれる特殊な学問が成立する。
我々は、終わりなき生の模索と終わりなき理念の追求を限りある時間と空間で試みる。
哲学は、その個人の限界とそれらを繋ぎとめる人間の偉大さを教える。
そして哲学は、その具体的人間生活に溶け込みながら、それを導いた哲学を否定し、反哲学に変貌し、解体し、また新たな哲学を求め続けるのである。
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2008年1月28日月曜日
前向きな悲観論
-自分の弱点と共存する生き方-
三石博行
失敗と決意の終わりなき連鎖・一秒の人生
▽ 今、私の職場は試験期間である。私自身、自分の学生時代の試験の内容に関する記憶は殆どない。何が出たのか、さっぱり思い出さない。思い出すことは、一日多くて3、4科目の試験の準備で、徹夜をしたことなどである。そして、一夜漬けで試験に臨みながら「次回は、こんな一夜漬けの試験勉強は止めよう」と決意したことである。
▽ しかし、その決意も、次の学期が始まると完全に忘れ去り、試験期間には、また前と同じように一夜漬けを繰り返しことになる。しかも、まったく前回と同じように「次回は、こんな一夜漬けの試験勉強は止めよう」と決意するのである。その決意の不履行と再決意を繰り返しながら学生時代は終わった。
▽ 学校を卒業して、仕事をしながら、まだ同じことを繰り返している。仕事の期限ぎりぎりまで、なかなか仕事が終わらない。予め立てた計画も、一日分の仕事完成率の点検も、まだ時間があると思えがすぐに甘くなる。
▽ 期限を切られなければ仕事が終わらない。期限ぎりぎりになって、「こんなことをしていてはいけない。もっと計画的に仕事をこなす必要がある」と決意するのであるが、この決意も次の仕事を始めた時には忘れさられ、次も同じように期限ぎりぎりになってやり始める。そしてまったく以前と同じように、「こんなことをしていてはいけない。もっと計画的に仕事をこなす必要がある」と再決意するのである。そして、そうこうしている内に、年を取って、仕事も出来なくなり、あの世からお迎えがくるかもしれない。
▽ これまで、常に「毎日、確りと計画を持って生きる」ということを考えたし、その為に、中学や高校時代には、日記や生活記録を書いた。大学時代でも生活時間を記録する日記や手帳を書いた。社会に出てからはシステムノートを書いてきた。しっかりと予測される近未来の情況を分析し、現在の生活時間の配分を計算し、こつこつと仕事をこなす態度を身につけようと、長年、努力してきたのであるが、しかし、結果は、こうした几帳面で計画性をもった生活設計が出来るようにはならなかった。
▽ 多分、こうして同じ課題を持ち続けながら時間が過ぎ、いつの間にか人生を50年過ごし、60年過ごし、そして若い人々から見ればと自分を高齢者として位置づけなければならない年齢に達するのであるが、それでも、同じ失敗と同じ問題を抱え、同じ決意と同じ努力を繰り返す生活を続ける。
大人的と子供的な観方、生き方・二つの異文化現象
▽ 子供のころは、大人が偉く見えた。また、子供のころは、大人は分かって生きていると思っていた。そして、子供のころは、大人になるときっと解決できると信じていた。
▽ しかし、大人になると、子供と自分との距離がそうないことに気付く。また、大人になると、子供のころから抱え込んだ問題が解決していないことに気付く。そして、大人になると、子供から今までの時間が余りにも短いと感じる。
▽ 子供は大人を経験してないので大人を知らない。大人は子供を経験しているので子供を知っている。それが大人と子供の違いはである。つまり、子供より大人が長く生きた分だけ多くのことを経験してきた。そして、経験の少ない分、子供は大人より自分の可能性を信じている。他者の死との出会いを多く経験してきた分、大人は未来という時間が無いことを理解している。それが少ないだけに、子供はまだまだ未来があると信じている。
▽ 言換すれば、子供が自分の可能性を信じているのは、まだ人生の時間があるという根拠のみである。しかし大人が諦め(あきらめ)を抱くのは、人生の時間がもうないという根拠なのみである。その両者の根拠を説明できるものは何もない。主観と統計的な推測、つまりそう思ったということと平均的にそうなっているという説明以外になにもない。
▽ 未来を信じられる子供たちは、無謀であり、大胆であり、鈍感であり、そして前向きである。そして、子供たちは、幻想にとりつかれ、無我夢の中に、冒険とロマンを追い求める。つまり、子供たちは、真理や愛を語るドラマの中で、自らの利益や命を顧みず、主役を演技し続ける。彼らは生命の塊で、命の凄さを放し続ける。
▽ だが、大人たちは、現実的で、臆病で、後ろ向きである。何故なら、彼らは世界の中で己の小ささを知り、己の能力に幻滅し、己の力に絶望しながらも、それでも生きなければならないことを知っているからである。 彼らの言い分は自己弁護的で、後ろ向きで、遠慮ばかりしている。彼らは、つまらない映画の脇役である。
▽ 未来への悲観は大人への入り口で与えられ、人生への悲観は大人へ成長の証である。そして、自分への悲観は大人としての優しさや繊細な人の香りを与えるのだろう。
▽ しかし、子供は将来と呼ばれる不在の根拠へ向かう無謀な楽観性を持っている。幻想と呼ばれる未来へ立ち向かう勇気を持っている。無知ゆえに強靭な楽観的感性と未経験ゆえ描く未来への幻想に向かって進む生命力を持っている。
▽ 繊細で「後ろ向きの大人」と鈍感で「前向きな子供」の二つの文化。私はその二つのどれを自分の生きる方法として選び、どれを他人の行き方として評価するだろうか。
怠け癖を治すことは出来ないが、しかし、追い詰めることはできる
▽ 私の試験を落とした学生がやって来た。暗い顔をして、失敗した色々な理由を私に話した。彼と私との隔たりは、社会的には、「採点した私」と「採点され彼」の違いによって生み出されている。私は教師という社会的役割を果し、学生である彼を不可にした。教師と学生いう立場を成立させている学校において存在している関係に過ぎない。
▽ つまり、私という個人は、試験勉強を一夜漬けで行うという点では、その学生と同じ人間であることは間違いない。
▽ 試験勉強は一夜漬けであった若いころから、私は怠け者だった。その怠けものは大人になっても治らなかった。そのため、学位(博士)論文を終えるのも長い年数が掛かった。単著の本すら出版してない。書きかけの論文原稿の山に囲まれている。
▽ 書けないのは怠け者であるだけでなく、勇気がないからであった。つまり、書いて出す自信がなかった。色々書きながら、不十分な文書を世の中に出すことは、自分の名誉を傷つけることであると思った。発表することで恥ずかしい思いをすることに耐える勇気がなかった。
▽ 未完成の論文原稿が記憶媒体の中にどんどん溜まる。文書は、書いてもまた書いても、みんなしまい込まれ、誰の点検からも批判からも隔離され、記憶媒体という閉鎖空間の中に、誰も侵入できない安全地帯の中にしまい込まれていた。しかし、それらの文章は、その安全地帯の中では世界的な論文であるかのように大切に扱われていた。
▽ ある日、不十分な状態であったが発表することを先に決めてしまったことがあった。研究発表までに終わらなければならない。不十分である箇所を出来るだけ少なくするために他の論文や本を読む。そして、不十分なまま発表した。結果は明らかであった。つまり、恥ずかしい思いしか残らなかった。
▽ 記憶媒体の安全地帯の中で、あたかもいい論文であると自負していた私は惨めな自己の現実を知らされ、その未熟な身体を晒(さら)された恥ずかしさと悔しさに打ちのめされていた。
▽ それでも、また、不十分なまま発表することを先に決めて、研究発表するために研究した。研究成果があったから研究発表するのではなく、研究発表を決めたから、研究する作業が続いた。「僕は怠けものなのだよ」という理由によって選択した行動であった。
▽ 今でも、この怠けものは治らない。小学校の時に夏休みの宿題を一夜漬けでやったあの日から続いているこの怠け者を治すことは出来ない。それで、この怠け者を追い詰めることにした。それ以外に、今のところ私が気付いた方法はないようだ。
▽ その追い詰め方として、実に大胆で無責任な手段を取った。まだ、論文は書けていない、まだ研究成果を明確に言えない、だが発表すると学会事務教に宣言するのだ。画家がまだ書いてない絵について画商と交渉するようなものだ。研究者としてこれほど無謀な行動があるだろうか。しかし、この無謀さをもってはじめて怠け者の私は焦るのである。
▽ 大人になっても子供のころと同じ性格は変わらない。大人は、ただ自己変革の可能性を信じない悲観論者なのだ。そしてその悲観論者である自分を認め。自分が自分で変えられないことを知るしかない。自分は自分によって変革することのできる存在であるなら、不可能な試みをする必要はない。もし、自分の怠け者を変えるためにもう一度生まれ変わるしかない。しかし、それは不可能な希望である。
▽ 結果的に、私が選んだ道は、みっともないと言われるかもしれないが、怠け者である自分を変えなくてもいいということであった。今後も怠け者として生きるしかないということであった。つまり、怠け者である自分を認めることだった。そして、同時に、この怠け者の自分が怠けておれないようにしてしまう。怠け者の自分を追い込むことが、私の選んだ方法であった。
▽ 勿論(もちろん)今でも、これ以外の色々な怠け者対策を調べる。そして、よち有効な方法があれば、それを取り入れることにしている。しかし、怠け者の自分を追い込むという方法が、現在の私が考えた最も有効な対策である。
前向きな悲観論者の煩悩
▽ 自分の意志の強さに自信を持つ人なら、自分の弱点を人の力を借りて治す方法を取らずにすんだかも知れない。しかし、自分に自信のない人なら、自分の力で自分の弱点を克復する方法は取らないだろう。何故なら、その方法は意志の弱い自分にはハードルの高い難しいやり方であるからだ。
▽ 自分の能力に自信のある人なら、自分の力を信じて自分の考えを中心に仕事をするだろう。しかし、自分の能力に自信を持たない人なら、他者の考えや方法を聴き、自分を点検するだろう。
▽ 本当に必要な能力は、精々、自分の弱点を理解する能力である。その弱点を克服するための方法を見つけ出す知性と技能が、最も実践力のある能力である。だが、予め自信をもつ人々は、その実践的な能力を身につけるための条件を失っていると言える。
▽ 真摯に生きること、その条件として自分の弱点を認めることが挙げられる。その生き方は、前向きに自信を持って生きる楽観主義を捨て、前向きに自分への自信や確信を疑う悲観的な立場を取ることではないだろうか。
▽ 子供の柔らかい精神と大人の強かな(したたかな)技法を共存させることは出来ないものかと思った瞬間に、希望という幻想に囚われ楽観主義が生まれようとしている。そして、この子供じみた幻想から前向きな根拠なき自信や確信が生まれようとしている。これは、何ということだ。
2008年1月25日金曜日
いじめるという行為
三石博行
いじめるという行為の文化性
いじめるということに鈍感である日本社会で、いじめるという行為がこれ程までに問題にされた歴史はないかもしれない。その意味で、いじめを問題にしたことは、ある古い文化が問題にされ、ある新しい文化が台頭しようとしていると理解していい。
では、どのような文化が批判されようとしているのだろうか。そして、どのような文化によって批判されているのだろうか。そのことを問題にしてみよう。
いじめとは暴力のあり方を示した表現である。いじめるという行為が他者を傷つけるという行為であることを日常的ないじめという行為で表現しているのであるが、それは肉体的な暴力と言われないのは、その行為が明らかに暴力でありながら、顕著な肉体的暴力の形態をとらない状態も含めているからである。
つまり、ことばによる暴力、態度での暴力、まなざしによる暴力等々、極めて顕著に、しかも、分かりやすく第三者に理解される暴力の形態を取っていないことが多いのである。「嫁をいじめる」とか「新入社員をいじめる」とかいじめは、いびること、陰湿に振舞われる暴力のニュアンスがある。
その意味で、ある文化的価値観(男らしさのモラル)から見れば恥ずかしい行為でもある。
しかし、もしその価値観から見ても恥ずかしくない態度でいじめが横行したなら、つまり、今のいじめも、軍国主義の時代のように新兵を暴力的に古参兵がいじめるように、陰湿なことばのいびりでなく、激しい暴力であれば、その行為によってつくられたあざや傷、怪我などで、その暴力は明らかに顕在化するだろう。そうなると、「男らしく」いじめた人はすぐにその暴力が発覚し、その結果、その行為は刑事的に問題にされ、結果的に刑務所か損害賠償金を取れれることになるだろう。
しかし、いじめる人間は、そこまでのリスクを掛けていじめる対象に「真剣に」向かい合っているわけではない。彼らは(我々は)社会的に問題にされるぎりぎりの境界線で振るわれる暴力の形を選択しながら、いじめるのである。この行為こそ、実に、現代社会のある精神構造、つまり今の日本の文化のあり方を示すもんではないだろうか。
いじめという行為の蔓延が現代日本の文化構造を意味するなら、その文化構造とは自我のあり方を意味すると謂える。つまり、その構造は私を作る精神世界の姿だと言うことになる。
いじめを語る我々は、弱いものをいじめる人は正しいことの好きな自分とは無縁の人であると思うだろう。そして、いじめをするひとを隔離し、どこか正しい空間から離し、間違った空間に閉じ込めてしまうのである。
もっと極端に言えば、いじめる人々、いじめっ子を捕まえて、それに厳しい制裁を加えることがいじめをなくする最も手っ取り早い解決策であると信じている大人、偉い教育者たちがいるのである。この意識構造こそ、いじめの基本的な精神構造、文化ではないかと思うのであるが、まじめに、教育者と呼ばれる人々がいじめっ子をいじめる対策を考える姿を見るとき、そこに今の日本の文化としてのいじめをみるのである。
いじめるという行為を対自化することが求められている文化(自我)である。そして、いじめるという行為を無自覚のまま放置できた文化(自我)が、今、問われているのかもしれない。
いじめるという行為、自我のあり方
入学して来た学生達に、「いじめられたことがあるか」というアンケートを取ると、殆どの学生が「ある」と答える。その逆の「いじめたことがあるか」という質問に「ある」と答える学生は少ない。そこで、いじめたことがないということばを「人を傷つけたことがあるか」と問いかけると「ある」という答えになる。「いじめる」と「ひとを傷つける」とは、そのニュアンスの違いは、暴力の程度なのか、それとも自己の行為への罪悪感なのか。
多くの人々が、ひとを傷つけてしまったという罪悪感(良心)を持っている。特に自分の愛する人に対してこの感情を持つ。この感情が愛なのだろう。ひどいいじめを受けてトラムウマになっている人に「あなたも誰かを傷つけたでしょう」と言うと、殆どの人が(学生が)自分の母だと言う。それは、その学生が母への愛という哀しみを持つからだろう。
学生に向って、パスカルが言てるんだけど、「人間には二種類の人間がいて、一人は自分を罪人だという善人と、もう一人は善人だという罪人」らしい。。。と話してから、このパルカルのことばから「自分を善人とも悪人とも」断定できない人間の姿が観えると話す。
何故なら、断定は必ず、その確信の逆の意味へ自分を導くからである。これほど、よく、人間の自己規定の姿を的確に表現したものはないだろう。また、これほと、反省の困難な姿を明快な一言で言い表した表現はないだろう。
人が生きること、よくよく考えなくても、お弁当にはいている肉は、ついこの前まで、豚小屋でかわいらしく歩いていた子豚であった。海の中を颯爽と泳いでいた魚であった。それをこうして食うことになる。
捕鯨反対の動物愛護、鯨を守る人々が、日本の捕鯨船に乱入したという話で、評論家達がテレビで議論していた。殆どが、経済の課題になる。しかし、あの乱入した人は、鯨を食わないことは理解できたのだが、牛を食っているのかなと疑問に思った。一回、彼に何を食っているのか聞いてみたかった。きっと、彼は菜食主義者かもしれない。それなら、よく分かる。きっと、そうに違いないと信じたい。
私は、菜食主義者ではない。昔、トサツ所で殺される子豚達を見たことがあった。あの悲鳴が今でも耳に残るが、それでも豚肉を食べている。それが私という人間である。
学生たちに「私は昔、番長みたいなことをいてね。ずいぶん人をいじめたと思うよ」と語る。すると、いじめられている学生のうつむいた目からは激しい敵意や嫌悪の靄(もや)が立ち込める。
「いまでも悔やんでいることがあってね。藤坂君という好きだった友達にひどいことを言ったんだ。それを今でも悔やんでいるのだよ。あれは中学一年生だったから、もう45年も経つんだけどね。いじめた奴も、こうしてそのことを一生悔やんだり、恥ずかしがったりしているんじゃやないか」と言うと、その靄(もや)のような嫌悪や敵意が引いていくのを感じた。
「いや、これは居直りでない。しかし、事実なのだ。人は弱いから人をいじめるのだ。なぜなら、いじめたいという欲望は最も人間的な欲望で、人と違う、自分が人より偉い、人に自分の優越性を見せ付けたい、等々。
普通の人は、自然にそう思うんだ。その証拠に、皆話し始めたら、自分の自慢話、子供の自慢話、兄弟の自慢、友達の自慢、恋人の自慢、になるだろう。」と言う。自慢話ほど聞いていられない話はないが、その聞きたくない人の話と同じことを本当は人にしたいと思っているのが我々である。
ここで、飛躍をしないように、まず、以下のことを理解しておきたい。つまり、一点目は、いじめるという概念を「人を傷つける」から「ひとにいやな思いをさせる」と拡張するなら、この聴いていられない自慢話もいじめの精神構造と少し類似することになる。
その上で、何が、問題かということである。問題は、それは自分と関係のない人々の慣わしであると思うか、自分の最も基本的な精神構造にその慣わしが住み着いていると思うかの違いになる。
したがって、いじめるという行為は、自己を中心としてみているしかない人間にとって、自然に、殆ど無意識的に、行われる行為のように思える。
いじめないという行為へ
「いじめない」ということを考えるとき、中学2年だったころの思い出が浮かぶ。それは、白石三郎先生のことばだった。中学の周りに生えていた松の木が春になると、すっと細長い小枝を伸ばす。その小枝は柔らかく、棒で叩くと、まるで刀にすっぱりと切られた枝のように簡単に折れる。その快感を味わいながら、パクパクとようやく待ち望んだ春に力いっぱい伸びる松の枝を切っていた。担任の白石先生が「君、その枝はまっすぐと伸びようとしているではないか。何故、そんな可哀そうなことをするのだ」と私に注意した。
その時、はじめて松が必死になって生きようとしている生命であることに気付いた。想像力のなさ。子供であるということを一言でいうと、想像力のなさだろう。そして無邪気な残酷さだろう。
いじめとはその無邪気な残酷さ、想像力のない子供じみた行為のように思える。いじめないということは、その無邪気で残酷な子供らしさから抜け出て、大人になること、想像力を持つこと、によって獲得される人間性ではないだろうか。
他者への共感は、自己にある他者という共通する存在を自覚した経験を前提にして生まれる。もっと高く伸びたかった白石先生には、まっすぐと高く伸びようとする松の若芽が美しく見えたのだ。その伸びようとする生命を残酷に切り落とす私の行為を見過ごすことは出来なかったのだろう。
いじめないという行為の困難さを教える。否、共に自覚しあうことが、いじめに対して大人が子供に語らなければならない作業かもしれない。
今は、あの白石三郎先生のように、諭す大人や教師がいないのだろうか。それとも、大人もこともと同じくらい陰湿ないじめにあっているのだろうか。
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メタ科学としてのプログラム科学論
2004年の科学基礎論学会で、「プログラム科学論の科学性」に関して研究発表を行った。 http://phsc.jp/dat/rsm/2004.1b03.pdf
この分析の問題点
1、「プログラム科学論」と「プログラム科学」との違いが明確になっていなかった。つまり、プログラム科学論はメタ科学であり、科学ではない。その意味 で、プログラム科学論の研究対象は科学認識構造、科学論理構造、科学存在構造、科学分析方法や科学研究方法である。つまり、この研究はメタレベルで科学 的に言及された存在論を課題にしていると謂える。
2、したがって、その科学対象を科学する作業をしているのでなく、その科学対象をメタレベルで点検する作業をしているのである。
3、その意味で、2004年科学基礎論学会で発表した三石博行の「プログラム科学論の科学性」http://phsc.jp/dat/rsm/ 2004।1b03।pdf での吉田民人のプログラム科学論への批判は正しいとは言えないのである。
2008年1月18日金曜日
サイバー研究会としてのプログラム科学論研究活動
プログラム科学論研究会 会員 三石博行
情報ネットワーク上での研究活動の意味
プログラム科学論研究会は、昨年2007年12月に、槇和男氏と三石博行の二人によって呼びかけられ、結成されました。この研究会は、インターネット上に存在し、参加は自由、議論もオープン、会費は無料、これまでの研究会とは違う。つまり、勝手にやっている研究会である。その意味で、これまでの大学研究者を中心とした学術学会とは違い、学術研究会としての権威も資格もない。
吉田民人先生の提案されたプログラム科学論は、科学技術文明社会で生活し生産する人々の世界認識と世界改革の哲学、科学哲学である。この研究会は、新たに形成されようとする文明社会、科学技術文明社会の社会観念形態の基本構造に関係する社会思想を問題にしている。科学技術文明社会の生活世界で活動する人々が、この思想形成の主体である。
したがって、研究メンバーは大学の研究所に限定されない、科学技術文明社会の課題を受け止め、それを何とか解説したいと思うことが、この研究会への参加資格である。参加する人々の学歴、職歴、国籍、年齢、性別などは入会の条件とはならない。参加したいから参加するということで、この研究会の参加資格は成立するのである。
研究活動の目的
プログラム科学論は科学技術文明時代を生きるための知である。科学技術が生活世界の基本要素であり、社会文化環境の中心構造である以上、人間存在の志向性を決定する知としての科学哲学が求められている。これが、プログラム科学論は課題なのである。
Post工業社会、科学技術文明社会の彼方に、我々が目指さなければならない社会と文明のあり方を巡って、このプログラム科学論は新たな科学の基礎理論を提起する。
そして、新たな科学哲学としてのプログラム科学論の構築は、確実にしかも深刻に迫りつつある科学技術文明社会の限界、それ以上に我々の哲学の貧困に立ち向かうために、取り組まれる作業である。
つまり、我々の研究会は、現実の問題を解決するための活動として位置づけたい。何故なら、問題解決に有効なプログラムを正確なプログラム構築と評価できるからである。近代科学の伝統を引き継ぐ「理論的整合性を持つことは、実践的合理性を持つことである」というテーゼは、同様にプログラム科学論の公理でもある。
我々の研究活動の内容と現実
多くの人々がこの理念やプログラム科学論という新しい科学哲学に賛同してくれると、我々は決して期待しない。事実、現在、我々の研究会の会員は現在非常に少数である。しかし、少数であっても、我々には、現実の問題を受け止め、それを解決するために、日々、思索と実験を繰り返す生真面目な姿勢がある。今、我々が唯一、確信をもって言えることは、この生真面目な姿勢を貫き通す態度が、我々にあるということだけである。
情報化社会では、多くの人々が情報を入手することが出来る。この研究会は、情報を公開し、研究活動を公開し、議論を公開する。すべての同時代の人々に、我々の問題提起を述べ、それを展開するための理論を提起し、プログラム科学論を進化させる活動を提案する。
我々の直感が、そして真面目な問題提起が、必ずや多くの人々に共感されることを信じたい。
今後の課題
今、我々にはやらなければならない多くの作業がある。
1、プログラム科学論研究会のホームページの作成。これは、プログラム科学論の議論を体系化するために必要である。
2、吉田民人先生の論文のダウンロードファイル
3、すでに個人のホームページで語られているプログラム科学論に関する文書を紹介する。
2008年1月17日木曜日
科学主義を超えられるか
-プログラム科学論における存在論の課題-
三石博行
はじめに
啓蒙主義運動は科学主義によって生み出された思想運動である。今日の科学技術文明社会はこの思想運動から形成され、社会常識として科学主義が普及している。地球環境化防止の対策にしろ科学技術の開発研究によって取り組まれている。この歴史的流れを批判することは出来ない。しかし、現代巨大科学技術進化の方向に、地球環境を考える科学や技術、また国際化の中で地域社会が持続共存できる経済や政治政策が形成されるのか疑問を抱く人々は多い。この難問に挑戦することは、即科学主義に関する課題を考えることに直結するのである。その道は遠いし困難である。ここでは、歴史的に科学哲学の課題が欠落した存在論の問題に触れながら、その解決の糸口をプログラム科学論に展開に託す理由を述べるの留まる。
現代科学哲学の必修課題・科学主義研究
「知は世界認識、生きるための力である」である信じた近代合理主義を背景に近代科学の代表者、ニュートンの力学は成立する。その力学の成立は、その後の哲学や社会思想に大きな影響を与えた。フランス啓蒙主義はニュートン力学を構築している科学性を全ての知の基本理念とすることを提案した。何故なら、その知は世界の認識によって世界を変えることが出来たからである。知ることは力であり、認識することは変革することであるという近代合理主義精神はニュートン力学の成立をもって実証された。
しかし、近代合理主義の科学哲学が物理神学的使命を持ち続け、「世界への認知を通じて行われる神の存在証明のための科学行為」を人間社会の豊かさのために存在する科学行為として位置付けるのである。そこに近代合理主義と科学主義の哲学的分岐点(パラダイム転換)が行われる事になる。近代合理主義の科学の目的は神の存在証明、つまり絶対的真理の追究であった。短絡した表現を用いれば、科学主義の目的は、人類世界の豊かさを齎す(もたらす)科学的真理の追究であった。
パスカルなど17世紀フランスのサロンでの科学論議の社会的風景から、近代合理主義思想とその科学は新興貴族の知的興味や哲学的関心に基づいて行われた行為であったと理解できる。それに対して、ディドロなど18世紀フランスでの科学主義に基づく啓蒙活動は、豊かな生産活動や市民社会制度の構築を目的にしていたと解釈できる。こうした歴史的な背景を考えれば、現代社会の科学的合理主義は近代合理主義思想から生まれたが、実践的世界変革の知、資本主義生産様式を支え近代工業社会を推進してきた社会思想は科学主義によって形成されていると謂えるのである。
つまり、今日の科学技術文明社会を問題にする場合、科学主義の哲学、現代社会を規定している科学哲学を語らなければならない。科学主義の分析と批判的点検は現代科学哲学研究にとって避けられない必修課題であると謂える。
近代国家形成と啓蒙主義思想と科学主義
科学主義と啓蒙主義は表裏一体の思想である。科学主義は啓蒙主義を生み、系も主義は科学主義の思想的意思を実現し、科学主義世界観を普及するのである。世界の変革の武器として科学的知を理解した科学主義が必然的にその思想目的を達成する手段が啓蒙活動なのである。
科学主義は振興階級であるブルジョワ階級の社会的自我を代表する思想である。科学、合理的世界観と実践的知は生活世界の豊かさを導くための武器であり道具である、つまり、この科学思想によって、合理的な生活行為や生産行為の様式や素材が生み出され、それらの新しい技術や道具によって豊かな生活世界が実現すると科学主義から謂える。科学を広めること、科学を活用すること、科学的な合理主義が社会の常識となること、科学的な方法が人々の行動の指針となること、科学主義が社会観念の基本となることによって、国家、社会、人々の生活は豊かになると科学主義は主張したのである。
実際、科学主義に基づく、科学の産業生産への応用、軍事への応用、国家制度の確立への応用は、資本主義生産様式、市民社会、民主主義制度を生み出し、今日の社会を形成した。科学主義と啓蒙主義がなければ今日の資本主義、科学技術文明社会は成立していないのである。
「知は国家、社会と産業の力である」という科学啓蒙主義の主張から、知的資源を国家がより多く所有すること、教育が強い国家の機能を果たす。つまり、教育とは知的資源を国家が豊かに持つための政策である。国家は、知的資源を生産するために教育制度を作りだす。豊かな知的資源に支えられ、近代化政策は推進され、近代工業生産は可能になる。近代国家形成の使命を担い国民教育制度、義務教育制度や高等教育制度が形成されてきた。
18世紀から19世紀のフランスでは、ナポレオンによって中世以来の伝統を引き継ぐ旧来の大学制度から、現在のフランス国家の官僚を生み出している新しい大学校制度が導入され、同時代のドイツでも大学制度が改革された。日本でも明治以来、欧米の教育制度が導入され、教育改革が国家近代化政策の重要な役割を果たしている。
近代化政策として導入された教育制度改革は、富国強兵政策、工業化政策のために有効な役割を果たす。つまり、近代的教育制度は近代国家の装置であった。国民教育制度と呼ばれる近代化の社会装置の構築が必要であった。そして、その社会装置を動かすエネルギーが啓蒙思想と科学主義であったのである。
科学技術文明社会を形成した科学哲学・科学主義
人類社会の進歩と科学技術の進歩が同義語概念として、今日の社会では使われている。つまり、科学主義は社会常識化したのである。この科学主義の常識化した社会を科学技術文明社会と呼ぶことが出来る。
例えば、1960年代から70年代の日本での公害反対運動では、公害を引き起こす資本主義社会への批判と同様に、その道具として機能する科学技術への批判があった。反公害運動を通じて、多くの大学の理工系研究者が地域社会、農村漁村社会へ行き、そこで生活活動を行った。大学での科学研究を辞め、科学技術の進歩の被害者である地域社会の人々と生活することが、彼らの科学批判であり加害者としての科学技術者を拒否するモラルや生活思想であった。
しかし、1980年代になると、公害国日本でも、公害防止法などを制定しながら、公害対策が行われる。何故なら、1970年代の淀川の水質調査からも、河川の水質汚染を放置することは飲料水の確保だけでなく工業用水の確保も保証できない状態であった。国家は企業の環境汚染放置によって生じる国家経済への被害が大きいと判断したのである。公害対策を行う企業活動の負担による国家的被害を公害によって生じる国家的被害が上回る時点で、国家は公害対策をせざる得なくなたのである。公害対策も公害企業保護もマクロ経済的視点に立って、国家の利益と損失の計算によって採択された政策に違いない。
公害防止の科学技術開発研究の促進として国家による公害対策が取り組まれ、大学の衛生工学、安全工学、環境工学などの研究分野が充実していく。これらの技術は、1973年のオイルショックと重なり、公害防止と省エネルギー対策は同時的に解決可能な技術課題となってゆく。日本の省エネルギーや自然エネルギー活用の技術は、この時代から精力的に始まった。
今日の環境汚染や地球温暖化は、科学技術の進歩や工業化社会の発展が資本主義工業社会の大量生産によるものであることや、それを支えている科学技術の力が背景にあることを疑う人は少ない。しかし、同時にそれらの対策は科学技術の開発によってしか可能にならない考える人が殆どであると謂える。環境破壊と地球温暖化への対策は、それを生み出した資本主義的生産様式、市場原理の経済社会によって、立てられる以外にないのである。つまりCDMやカーボンチャンスと呼ばれる二酸化炭素の排出量の売買による環境ビジネスとして、また、技術革新や開発による二酸化炭素の排出削減の新しい環境産業の形成によって、二酸化炭素の削減を行うことしか、我々の地球温暖化への対策は考えられないのである。
この社会観念とそして精神構造こと、科学主義によって出来上がっている科学技術文明社会の文化と我々の自我を意味する。そして、好むと好まざるに拘わらす、現代の科学技術の先端的知識を駆使して、公害対策や地球温暖化対策は進むのである。つまり、科学主義批判を科学哲学者が行っていても、この現実をその批判によって変えることが出来ない限り、科学主義批判の有効性は皆無であると自覚すべきである。現実は、科学主義を批判する科学哲学者は科学主義と呼ばれる巨大な力の前に付し折れているのである。
科学主義と反科学主義の境界・存在論の位置づけ
科学技術文明社会の社会観念の基本を作る科学主義を超えることが出来るのだろうか。科学主義批判を行う科学哲学は、その批判のかなたにどのような有効あ知、科学哲学を提起するのだろうか。仮に、現代の巨大科学技術の延長線上に基本的な地球温暖化対策の技術や思想がないとすれうば、その科学思想やそれから導き出される技術とは何か。しかし、この答えを持つ科学哲学者はいない。
科学主義への批判は、メタ科学的次元での科学主義への批判は存在している。その代表者は19世紀後半から生じた、生の哲学、現象学、実存主義、ポスト構造主義、解釈学などである。こららの批判は、近代以前の社会への回帰を目指す反科学主義と癒着する傾向、つまり、科学的合理主義の形成過程で課題になった自由や平等、人権の課題までもが、喪失しかねない反動思想に援用される可能性を阻止することが出来ない。
また、科学主義は哲学の中にその支持者を歴史的に形成してきた。唯物論、実証主義、分析哲学、新実証主義、プラグマチィズム等である。これらの新しい科学哲学では、科学主義の持つ単純な科学楽観主義は存在しないが、これらの親科学主義哲学の流れは、巨大科学技術文明社会への流れを食い止める直感や感性を持ち得ないと危惧するのである。
以上のような反科学思想と新科学思想という現代哲学の分離は非常に短絡すぎて危険であるが、その境目を作る要素は、哲学史で問題となる存在論の位置付けにある。反科学思想は、自然哲学の中で語られた存在論を、科学の領域に渡し、哲学は人間存在に限定すると考える。しかし、親科学主義思想では、自然科学で課題にする存在を前提として、その方法で人間存在のあり方を課題にする。その場合も、エンゲルスの言う「自然の弁証法」のように哲学的な存在論は自然科学の課題に置き換わるのである。
科学主義を超えられるか・プログラム科学論の挑戦
存在論に対する哲学上の議論が、科学主義と反科学主義の境界領域に横たわる課題であるとすれば、現在、この課題を問題にしている哲学はプログラム科学論以外にない。哲学の主流、とりわけ科学哲学の主流は、自然科学に自然存在論を社会科学の社会存在論、そして人間科学に人間存在を委ねながら、その哲学が委ねた存在論を批判的に検証しているようには見えない。何故なら、存在論は哲学の課題ではないと考えるからだ。
もっぱら、科学認識論が科学哲学の主な課題になっている。例えば、科学理論を文化的歴史的解釈として理解する解釈哲学や、科学認識の構造を合理主義や現実則の形成過程におおて理解する精神分析主義や発達心理主義ことや、科学認識を社会文化的な観念形態の中で理解する相対主義などがある。それらの全ては、科学哲学の課題として科学認識を問題にした。
吉田民人のプログラム科学論、科学哲学を支える進化論的存在論がある。この存在論は科学が対象とする生物や遺伝子ではない。それらの存在はメタ科学として位置付ける。つまり、生物存在を語る権利は生物科学だけではない。その科学理論のメタ構造を課題にする科学哲学者にも同じようにその権限がある。
科学哲学者吉田民人が課題にするのは生命、生物、社会などの個別世界の存在形態でない。それらに共通するある形態、メタレベルに存在する自己組織性の存在形態である。科学者が自然存在を語るように、科学哲学者は、科学認識された個別存在世界のメタレベルの世界について語る権利を持つ。それは権利の問題であり、語ることが良いか悪いかの問題でない。つまり、科学者がその職務として具体的対象世界を語るように、科学哲学者もその職務として、具体的存在形態のメタレベルのあり方を語るのである。
ここでは、科学主義を乗り越えるために、また科学主義を超えていく思想としてプログラム科学論が存在していると帰結しているのではない。しかし、存在論を課題にしなくなった現代哲学の流れ、それらの哲学から、新たな科学を構築しながら現在の科学主義を乗り越える視点が生まれるのだろうかという問題提起をするの留める。その問題提起からプログラム科学論の進化論的存在論の意味と位置付けを、簡単に述べるに留める。
2008年1月15日火曜日
日本の近代化と科学の大衆化
La vulgrisation scientifique dans le processus de la modernisation sociale au Japon
三石博行
はじめに
日本の近代化過程では、地域社会、農村社会で科学啓蒙教育が起こる。この活動も科学の大衆化と呼ばれる社会文化現象である。それらの活動を推進する人々は大学研究者であった。何故、大学が地域社会の科学の大衆化に寄与しなければならなかったか、近代化過程で生じる古い社会観念形態と科学主義のそれとの葛藤に焦点をあてながら議論する。
「プロレタリア科学」・「大衆的科学」の形成としての「科学の大衆化」
「科学の大衆化」という用語は、我が国では戸坂潤によって、はじめて用いられた。彼は説明によると、市民社会になったとしても、科学はそれ以前の少数の封建支配者と同様、少数のブルジョワ階級に占有されている。そこで、科学をより多くの人民、無産者の知識とすることが科学の大衆化であると彼は述べている。
戸坂は科学の大衆化を科学の通俗(popular)化を分別する。何故なら、科学の通俗化によって科学を多数者の平均水準に下げるのでなく、多数者をこの科学のレベルに近づけることが科学の大衆化であると、彼は考えていた。
また、科学の大衆化は科学の啓蒙化ではないと戸坂潤は述べている。啓蒙とは、彼の解釈では「蒙を啓く」こと、つまり大衆の愚かな知識(蒙)を正しい方向に啓である。しかし、「科学の大衆化」は、啓蒙のような「支配者による被支配者の教育を意味するのではない」。つまり、彼は科学の啓蒙と「科学の大衆化」を峻別したのである。
そして、大衆化は「多衆を組織する」であると考える彼は、「多衆」によって、または「多衆」のために、科学を組織すること、「科学が大衆みずからのものとなる」なることが「科学の大衆化」であると考えた。大衆自らが創造する科学が戸坂潤の解釈した「科学の大衆化」であった。
そして、科学が真に大衆のものとなるには、「大衆的科学」、「プロレタリア科学」の成立が無ければならないと帰結するのである。戸坂潤によって、定義された「科学の大衆化」とは、科学を分かりやすく市民に理解させるための科学報道や科学の啓蒙活動でもなく、大衆の科学の成立、「プロレタリア科学」の成立を意味するのであった。
科学啓蒙教育活動としての「科学の大衆化」
戸坂潤の「大衆の科学・プロレタリア科学」の思想は、終戦直後1946年に、マルクス主義者によって結成された民主主義科学者協会の活動に引き継がれる。そして、その後、左翼科学者運動に受け継がれながら、日本科学者会議の活動として展開していく。彼の継承者によって、今でも「科学の大衆化」の用語は使われている。しかし、彼の継承者達の用語と彼が使った用語には、基本的な意味の食い違いが生じている。
例えば、民主主義科学者協会や日本か学者会議の中で語られた「科学の大衆化」は、科学的合理主義精神や科学知識の大衆への啓蒙伝達を意味していた。何故なら、非合理的封建制度の風習や習慣に地域社会、取り分け農村生活者が支配され、搾取されることを防ぐために、科学的知識とその合理的精神を学ぶ必要がある。また、科学的知識の権力者の独占と乱用を防ぎために、市民が科学を正しく理解する必要があると考えた。
明治以来、近代化を進める日本社会で、もっとも封建的制度が残存したのは地主制度を持つ農村社会であった。地域農村改善運動によって、農家での古い仕来りや生活習慣の改善や農村社会の近代化によって、豊かな生産活動や生活が導かれると「進歩的知識人」は考えた。
戸坂の主張する「大衆の科学・プロレタリア科学」の形成以前に、大衆が科学的合理主義精神や科学的知識を持たなければならない。当然、学識や近代合理主義精神文化のない農村社会で、戸坂の謂う科学の大衆化は実現しそうもない高い理想であった。その高い理想、戸坂の謂うプロレタリア科学の創造を目指すにしても、最初に取り組まなければならない課題は、地域社会の教養教育普及運動としての啓蒙活動であった。地域農村改善運動を進めるためには、農村地域社会での科学教養教育普及活動、科学啓蒙教育活動であり、その活動を担う民主科学運動を推進する研究者の民間教育研究であった。
理論家、哲学者の戸坂が科学の大衆化を科学教育の啓蒙化と峻別したが、現実の地域社会、農村社会での科学の大衆化の活動は科学啓蒙教育活動から出発するのである。そして、戸坂の科学の大衆化の用語は、民主主義科学者協会や日本科学者会議の科学の運動の中では、市民がより豊かな生活社会環境が創りだすために、科学的合理主義の精神や科学的知識を普及するための啓蒙教育活動として理解されているのである。
専門研究者による「科学の大衆化」
専門分野の知識を一般市民が理解できるように伝える手段は市民向けに公開講座だけではない。専門知識を市民、大衆が理解できるように解説する著作活動もその一つである。例えばアインシュタインの著書「物理学はいかにして創られたか」は、最先端の物理学の知識を困難な数式を使わないで一般市民に分かりやすく説明している。
専門家が専門分野の知識を分かりやすく解説する書物は、科学の大衆化の手段である。岩波新書、講談社ブルーバックス、中央新書等々、わが国では多くの専門家による大衆向けの科学解説書が出版されている。これらの著作活動も、科学者による啓蒙教育活動としての科学の大衆化の一つである。
科学啓蒙教育活動を推進する社会機能の一つとして高等教育機関がある。大学の学部学科の専門教育では、教育方法は制度として、つまり専門教養教育、専門入門教育、専門課程教育の段階的な教育課程の内容を成り立っている。そこで、大学が取り組む科学啓蒙教育活動では、地域社会の生産者や市民が理解できるように、講義内容をより一般的により易しく理解可能な方法で提供できるように、その制度や教育方法を活用しながら市民への啓蒙教育活動に活かすことになる。
戦前の戸坂潤、戦後の小倉金之助や現代の神田嘉延氏らの科学の大衆化、プロレタリア科学創造から地域社会の教養教育普及運動や民間教育研究運動に共通する点は、科学啓蒙活動が商業的ジャーナリズムでなく大学など高等教育機関等の専門家が科学教育活動の担い手になるという見解である。
戸坂潤は科学の通俗化と科学の大衆化を峻別する基準として、科学的説明とジャーナリズム的説明を分けている。戸坂の謂うジャーナリズム的説明とは正確な科学知識の説明ではなく、分かり易さを優先した比喩的な説明が用いられることを意味している。大衆的理解を第一の目的にした科学知識のジャーナリズム的説明を科学の通俗化であると述べている。科学の通俗的説明は、科学的知識を曲解し説明伝達することで、大衆の中に似非科学と科学の混乱が生じるからであると考えた。
戸坂に限らず、科学は純粋に世界を認識するための思考や論理であり、学問は真理探究の行為であると理解している人々にとって、その正確厳密な科学的説明を歪めて伝達することは許されない。したがって、科学真理探究の行為が、ある個人の利益、一部の支配者階級、資本家や国家権力の利益追求の道具になってはならない。科学者の倫理問題として、科学伝達の厳密なあり方を主張しているのである。
つまり、20世紀の科学啓蒙教育活動では、科学知識は正確に知る専門家がそれを伝える権利を持つと解釈されている。例えば、相対性理論に関する解説書を書く権利は、相対性理論の専門家以外の人々が持つことは許されないのである。科学の大衆化を行うことの出来る人々はその分野の専門研究者のみであり、専門家になって初めて普及本を書く権利が与えられたのである。
近代化過程での科学の大衆化
今日の科学知識の普及に科学ジャーナリズムの果たす役割の大きさを知る我々にとっては、前記した科学の大衆化を担う人々の資格を問題にする風潮やジャーナリズムの科学報道へ無理解が時代錯誤であると言えるのである。
勿論、科学を良く知るものがその知識をより分かりやすく説明することが出来るという理由から専門的知識の紹介は専門家に限るという考え方もある。しかし、素晴らしい研究者が必ずしも素晴らしい教育者ではないという実態もある。また、日経新聞で報道される先端科学技術の知識の量と内容を提供できる大学の先端科学技術情報サービス機関は日本に存在しない。NHKの科学普及番組を制作できる情報系やデザイン系の学部をもつ大学も存在しない。また、専門研究者がその分野の知の社会普及活動の中心に必ずしなっていない。そして、大学の研究機関や生涯学習センターが先端の科学の大衆化の資材を作る拠点になっている訳でもない。
明らかに、わが国の20世紀の科学の大衆化機能と21世紀のそれは異なる社会文化現象を引き起こしている。その社会機能の変化は、科学の大衆化の資格を専門研究者に限定した20世紀の日本社会と現代のそれと異なる社会的背景を前提にしながら分析しなければならない。
科学的合理主義を大衆的に普及する活動は、地域農村社会の民主化運動や民主主義科学者協会の活動だけでなく、近代国家、資本主義工業社会の建設を推進する活動にとっても必要であった。近代国家を支える生産活動は近代科学技術の知識を基盤にして形成されている。科学や技術教育は国家の生産能力に直接的に関係してくる重要な課題であった。理工系教育を重視した明治以来の大学教育によって日本の近代工業化は推進したと謂える。
近代化を支える文化的基盤を欧米から取り入れ、伝統文化に支配されている生活文化を欧米化することは、近代化を支える社会基盤を創る事であった。そのため、欧米式の学校教育制度を導入し科学教育を普及した。更に、封建的な文化土壌を欧米化する社会変革が近代化政策として取り組まれ、都市生活は欧米式の生活文化が取り入れられた。しかし、古い地主制度を維持した農村社会では、欧米式の生活文化化の浸透は遅く、封建的伝統文化や生活様式が根強く残存した。農村社会で維持されている伝統文化の古い仕来りは、日本の近代化を進める社会制度に対立し、近代化を阻害する機能として働くのである。
農村社会での伝統文化や生活習慣は近代化政策の障害物として登場する。今和次郎の「生活病理」の概念は、貧困の原因である農村社会の古い伝統文化の生活様式や生活環境の構造を意味した。そして生活病理に対する対策が生活改善運動であった。封建的な生活習慣を生み出す生活文化の近代化が、農村社会での生活改善運動に結びつくことになる。
18世紀の啓蒙活動はニュートンの力学の有効性、知は力であり科学は世界を変革する道具であり、それを普及することが世界を変えることであると信じた科学主義から生み出される。つまり、科学の発展によって社会は進歩すると信じる科学主義は、必然的に科学主義の啓蒙活動を前提として社会に登場するのである。
現代科学の知識を普及することは、それ以前の世界観を駆逐することであり、科学の発展によって社会が進歩するという社会思想、政策、社会制度を構築することである。当然、古い社会観念形態によって支えられている伝統文化や社会制度は、この科学と対立する。対立を持ち込まれた社会観念は、科学主義を拒否するか、もしくは科学主義に駆逐されるか、その思想生命を掛けた闘争を行うことになる。
つまり、科学啓蒙教育によって持ち込まれた科学主義によって二つの異なるパラダイムを持つ文化の葛藤が引き起こされる。科学啓蒙教育は、農村社会での封建的な生活文化の様式や環境を支える社会観念を解体するために仕組まれた文化活動である。そして、その科学教育啓蒙活動によって生み出された人々の観念と彼らの観念に支えられた新たな生産活動や生活運動が、次の闘争の幕を開くのである。
この闘争を進めるために、新しい社会思想はより正確な自然科学の知識を提供しなければならない。何故なら、科学の知をより正確に知ることで、より有効な力を発揮することが出来るからである。近代合理主義の基盤に「知は力なり」という17世紀のベーコンの思想を例にとるまでもなく、西洋近代哲学に一貫して流れる知の実践的形態に関する思想は、18世紀から19世紀のヘーゲルの「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という考えから、20世紀のサルトルの有名なことば「知ることは変わることである」まで、現代に脈々と引き継がれている。
正確な科学的知によってより実践的知が導かれる。社会変革に必要な科学教育の啓蒙活動は、より有効なその成果を求めるためにも、曖昧な科学的理解でなく、より正確な科学的理解を要求することになる。日本の近代化過程で取り組まれた科学教育啓蒙活動は、18世紀フランスのサロンで話題になる目新しい科学への教養的関心や興味を刺激する啓蒙活動ではなく、農業の合理化や科学的農業を営むために必要な科学的知識や技術に関する知識を学ぶ活動であった。そのため、地域農村社会での啓蒙活動では生産活動に関連する教育が行われるのである。そして、その啓蒙活動をするために必要とされた人々は、広く科学情報を知る科学ジャーナリストではなく、専門分野の詳しい知識をもつ大学研究者であった。また、その教育活動の方法を教育学的立場から研究開発できる教育学部の研究者であった。
参考資料
戸坂潤 「戸坂潤全集 第一巻」
広重徹 科学と歴史 みすず書房 1965年
小倉金之助 小倉金之助著作集 勁草書房
神田嘉延 地方大学と生涯学習 鹿児島大学教学部紀要 2003年投稿論文
今和次郎 「生活学 今和次郎集」