2007年12月14日金曜日

生活運動としての国際交流運動

生きがいを見つける生活運動としての国際交流活動とは-余暇としての活動と生活としての活動の接点を求めて-
京都奈良EU協会準備会副代表
三石博行
はじめに

現在、私たちはNPO京都奈良EU協会を始めようとしています。この国際交流運動とは何かを考えてみる

義務から生じる苦痛を受け入れて成立している生活のための仕事生活の場では、生活の糧を得るためにやらなければならない義務がある。それを仕事と呼んでいる。豊かな社会では、その仕事をしなくても生きていける状況を生み出す。そのため、苦痛の伴う仕事から逃避することが出来る。そのことは、人の自然の姿である。それが、出来ないのは食えないから、食っていかなければならないからである。仕事の上での苦痛よりも、飢餓や生活破壊の苦痛が大きいために、人々は、どんな仕事でも、生きていくために引き受けるのである。しかし、そうした苦痛がないなら、人は自然に苦痛な仕事を避けるだろう。その意味で、ニートや仕事につけない人々が生まれるのは豊かな社会の現象であるとも言える。

自己実現のための行為を求めていては、現実の生活は不可能となる
人がもっとも充実している生活を過ごすことが出来るとすれば、仕事が自己実現の手段になっている状態である。例えば、生活できない、売れない芸術家でなく、自分の作品で生活できる芸術家だとすると、どれほど幸運か想像できるだろう。芸術家のように、生活の糧を得る条件の難しい人々の例を取らなくても、自分がやりたい仕事に就けた場合には、それも幸運な人生であると言えるだろう。
しかし、このように幸運な人生を得られる人は、殆どいない。例えば、学校を卒業していく学生を例にとっても、一握りのエリート大学の学生を除いて、殆どの学生が自分の希望する職種や会社に就職できるわけではない。大方、99パーセントの学生(若い人々)が、希望と異なる仕事場に配置され、そこで働くのである。それが人生の始まり、世の中との関係の始まりである。その中で、希望と異なる苦痛に満ちた仕事を辞める人々が生まれることは、当然の帰結である。決して、不思議なことではない。そもそも、自分の希望に即した仕事があることが奇跡に近い現実なのである。
その苦痛に満ちた仕事に対して、自分の希望を変えて、その仕事の現場の価値観や世界観を受け入れて、自分を変えながら順応していく方法が、今までのやり方であった。学生運動していた仲間が、猛烈会社人間になるためには、その現実を受け止め、学生時代に否定した価値観を受け入れ、そして自分を変えて生きることが出来たからである。それが良いとか悪いという問題でなく、そうしなければ生きられない現実を知り、それを受け入れる努力をしたかどうかの問題に過ぎない。

自己実現のための行為を保証する社会機能としてのボランティア活動しかし、現実を受け入れ、なんとか生活を維持している人々も、やはり自分の抑えられた欲望や理想を満たそうとすることは人の自然の姿である。仕事の世界で満たされない自己実現の課題を、仕事以外の時間で満たそうとするのも人の自然である。
例えば、人々が、ボランティア活動に参加する目的として、生産活動では自己実現しない課題をボランティア活動の中で求めるという意識があることが一般的に語られている。ボランティアだけではなく、一見他人から見て何の意味もない遊びも、遊びに耽っている人から観ると、その遊びを通じて満たされる欲望があり、その意味で遊びは、遊んでいる人のみにその意味があると言えるだろう。
つまり、ボランティア活動の意味は、仕事という義務労働の存在が必要な社会のあり方が、それを保持するために必要とした社会的機能であると理解すべきである。全ての人々は仕事で満足するならボランティアは必要ないのである。
言い方を換えると、分業の発達した高度分業化社会、今の高度科学技術文明社会になればなるほど、ボランティア活動の必要性を社会が求める。何故なら、人々は分業という最も生産効率の良い経済システムの中で、もっとも人間として疎外される労働を味合うからである。その社会は、我々人類が、生産効率を上げるために見つけ出した最も素晴らしい経済産業システムであるにも拘わらす、人格としての労働過程を疎外する典型的な様式をもたらしていると言えるのである。

自己実現のための活動の必要条件としての具体的な運動と基本的な理念この疎外形態からの脱却を図るために人は、個人的にも社会的にも努力を払っている。そして、社会も極度な分業がかえって生産効率を下げるという事態を引き起こすことに気付き出している。この努力は、殆どが個人的な生きがいの追及として語られいるのが現状である。そこで、この課題を念頭に置きながら、社会運動として、それを解決、もしくは解決策を模索することは出来ないのかと考えた。
最も、簡単に提案できることは、趣味やボランチィア活動である。その形態は多種多様であるが、提案者である私も、同様に、自己実現のための活動として提案するのであるから、その多種多様な形態のある一つを主観的に選択することになる。それが、たまたま、国際交流活動であり、フランスに居たという理由で、ヨーロッパとの交流という限定条件をつけることになる。しかし、この限定条件は、運動の具体性を選んだということであって、運動の思想や運動の理念とは関係がない。
何故、ボランティア運動として国際交流活動、しかも、日欧友好運動をするのかという理由が個人史と関連する極めて特殊なケースの一つであると自覚することは、ボランティア運動にのめり込む前に、是非ともやっておかなければならない、思想的な点検活動であると言える。そもそも、日欧友好運動も日中友好運動もボーリング、魚釣りもあんまり変わらない趣味の違いに過ぎないと理解している方が、この運動の本来の目的を理解し、それを追求する主体を具体性の中に埋没させない精神を作り出すためにためにも必要な作業に思える。
しかし、運動を始める人々は、いつも自分の活動を相対化し、冷ややかに話しはしないだろう。熱く、精力的に動き、語り合う作業を通じて、生き生きとした活動を生み出し、充実した気持ちを得ることができるだろう。


最も分かりやすい運動スローガン
自己の意識分析を進めるには、NPO京都奈良EU協会の目的について、以下三つの課題を置いてみた。
1「、自分が育ち、人が育つ。」
つまり、この運動は自己実現を他者の自己実現の運動と共感しながら進める運動であることを理解する。
2、「活動(生活と運動)が始まる。」
もともと余暇活動と生活活動は相容れないものがある。その相容れない課題を双方理解しながら、その二つの活動を共存させ、バランスのある生活スタイルを作り出すために模索してみる。そして、その二つが統一される接点を見つけ出すための生活スタイルを目指す。
3、「楽しみと笑いが生まれる。」 運動の目的は、生活の楽しみや喜びが増幅することである。それが具体的な運動の直接的な課題となる。

最も基本的なNPO運動課題1、定職を持たないで人生を探している人が、集まり、事業を起こし、生活を見つけるNPO活動。NPO活動は、一見してボランティア的な社会活動のように理解されがちであるが、その活動は新しい事業、ベンチャー活動に発展する可能性を持っている。従って、そうした新しいベンチャー活動としての側面を重視する。
2、定年退職した人が、今までの人生経験を若い人々に伝え、共に運動と生活を作れるNPO活動。これも、社会的経験を重ね、スキルの高い高齢者は、社会の大切な資源であり、これらの人々の経験やスキルを生かす場として社会活動を考えた。
3、若い人が、経験し、失敗し、考え、手作りで事業を起こせるNPO。若い人々が自己実現の作業や経験が可能になる社会運動であること。
4、海外から来て日本で生活している人が、自分の経験を伝え、楽しい友達を作れるNPO。もちろん、国際交流活動であるから、在日外国人との交流は重要な課題となる。
5、海外へ旅立つ日本の人々が、海外での生活や旅のために役立つ人間関係は情報を提供できるNPO。
6、生活の場で日常的に接し理解し合える国際交流活動を創るNPO。

イベントに関する考え方
私の国際交流にかんする考えイベントの成功とは、イベントに参加した人の数や立派な講演や演奏イベントが出来たことだけではないと思うのです。イベントを企画し、実行していく過程で、イベントに協力した人々が、また、やりたい協力したいと思うイベントであったかどうかが、最も大切なこと、イベントの目的ではないでしょうか。協力した人々に消耗観や「つまり使われたのだ」という気持ちを持たれたならば、どんなに華やかなイベントになったとしても、それは失敗なのです。何事も過程を大切にするということは、人を大切にすることなのです。この考えや方法は、同時に、自分の生きる課題と結びつかない限り生み出せないものなのです。何故なら、自分の理解は、人を理解するという作業の上で、最も現実的に成り立っているからです。(他者としての自分の理解)。私たちのEU協会や日欧の運動の成果は、人と人との信頼や交友の関係が広がり深まることだと思います。そして、私たちの国際交流の作品は、その中で、お互いに育てあったこころだと思います。極論すると、立派な講演会や演奏会でなくてもいいのです。参加した人々が「やっておもしろかったね」と言える行事をすることが大切だと思います。そんな自分を見つけ、友を見けることのできる国際交流をしたいものだと思います。そして、そんな仲間と一緒に、私は自分の仕事の課題に結びつけ、それを変革するための材料となるように努力したいと思います。私にとって国際交流の意味は、日常性にその非日常的な社会活動の意味を還すことにあると思います。

理事や役職に関する考え方
理事や役員は、運動を作るひとです。偉い人でも、有名な人でもなく、泥の中を這いずり回る勇気のある人々が、私たちのEU協会の理事だと思います。
2007年12月14日

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6. EU関係及びEU協会運動

6-1、生活運動としての国際交流運動

http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_14.html

6-2、日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

6-3、文化経済学的視点に立った国際交流活動
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_26.html

6-4、新しい国際交流活動のあり方を模索して
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/06/blog-post.html

6-5、我々はEUに何を学ぶのか
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/07/eu.html

6-6、東アジア諸国でのEU協会運動の交流は可能か
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/09/eu.html

6-7、東アジア共同体構想と日本のEU協会運動の役割
http://mitsuishi.blogspot.com/2009/10/eu.html

6-8、欧州連合国の成功が21世紀の国際化社会の方向を決める
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/21.html

6-9、Eddy Van Drom 氏のインターネット講座 ヨーロッパ評議会の形成史
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/eddy-vandrom.html
ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」 から

1 件のコメント:

三石博行 (hiroyuki.mitsuishi) さんのコメント...

共に京都奈良EU協会の運動を作るために、運動に参画する人々と共有したい基本的な考え方について

この「生活運動としての国際交流運動」の文章は、大きく二つの課題に分かれている。
1、自己実現の活動として国際交流運動(ボランティア運動の一つ)が義務として働かなければならない仕事を前提にして成立している生活の場で果たしている役割や意味
2、仕事(生活の場)とボランティア(非生活の場)の接点を求めることは、自己実現を目指す生活運動を創りだすたことを課題にしているからである。
3、こうした思想運動は具体的な生活運動の実践の中で形成され、検証され、創造される。その意味で、EU協会という特殊な運動、国際交流活動を通じて、その運動の特殊性と個別性を超えて、自己実現のための運動として展開するために、「生活運動としての国際交流運動」の思想を提案した。
4、しかし、時代的社会的限定を持って成り立つ個人のプロジェである以上、それらの思想はその個人の個別で主観的な具体的な実践と、それを共有し点検する共同主観的で共同体的な埒内の人々との協同作業、京都奈良EU協会運動の形成の中で、獲得される。
5、思想運動は、常に具体的日常性から一般的思想性への概念作業を必要とする。生活運動は、その逆で、常に一般的理念や思想を具体的日常世界で展開、点検する作業によって形成される。この二つの点検過程の材料として京都奈良EU協会の目指す「生活運動としての国際交流運動」が展開することを希望したいのである。