2010年2月17日水曜日

吉田民人先生を偲ぶ

三石博行


「先生、天から降りてきて、この文章の意味を説明いしてよ」


吉田先生にお会いしたのは関西大学で社会経済システム学会があった時だった。そして、2000年秋の同学会全国大会が奈良女子大学で開催され、大会シンポジュームの基調報告者3名の中に吉田先生と共に報告することになったとき、学会主催者からシンポジュームのために事前に報告者の報告文章が送られて来た。そのとくはじめて、先生の「プログラム科学論」「設計科学」の概念に触れることができた。それは、驚きであった。私が追い求めていた概念が、すでに体系化されて書かれてあった。
シンポジューム報告では、自分の理論の紹介よりも、吉田先生のプログラム科学論との関係での私の「生活資源論」の概念の紹介になったことを覚えている。

それから先生に連絡を取った。第1回目の先生の無償講義は東京市谷の私学会館だった。先生は若い時代、高校時代の思い出からお話された。京大文学部哲学科に入学され、社会学を専攻されたが、近所にご住まいの先生に分析哲学の講義を受けたお話、色々な若い時代の失敗談に至るまで、お話をされた。プログラム科学論の講義を受けに来ていた私は、録音をしながら、何一つ先生のお話を聞き漏らさない意気込みであったので、先生の個人的なあまり公にできそうもない失敗談まで録音し続けていることに戸惑いを感じていたが、当の先生は、そんなことはお構いなしで、あまり面識のない私にためらいもなく、お話を続けられた。
日本社会科学界の権威であり、当時、日本学術会議副議長をされている先生が、躊躇することなく、過去の失敗を話されることに私は、ただ驚くばかりであった。

それから、何回となく先生の無償の講義が続いた。その度ごとに、先生から論文を渡された。そして、その度ごとに、私の論文をまるで学生がレポート提出をするように、先生に渡した。
次の機会に、先生は私の論文の中で、よいと思えるところを述べた。
また、私の方は、先生の理論が新しい科学哲学の提案であると理解し始めた。

関西大学での大学院の講義や国際高等研の研究会に参加される時、こんどは私の自宅で、朝から夕方までの無償の講義をお願いすることになった。しかも、先生が肝臓の病気であることは知らなかった私は、長い時間の講義を続ける先生に対して身体的な心配などしたこともなかった。何時間でも理論上の議論をされる精力的な姿からは、重い病気をもっているとは到底思えなかった。
遺伝子免疫学の話になって、隣で聞いていた妻はその研究を続けていたために、話に加わる。そして、話はますます専門的になっていった。

先生にお会いして、勉強を続ければ続けるほど、先生の理論だけでなく、先生の人格、学者精神に触れる機会に出会えた。そして、ひたすらに学問好き、真理を追い求める謙虚な姿、学生のような(子供のような)精神の柔らかさに接し、感激した。今となって、先生の学問的理論を学ぶことへの幸運さと共に、いやそれ以上に、ひたすら学問を研究する、最後の最後まで研究者として生きている人間吉田民人に出会えた幸運を感じる。

それは尊敬の念を超え、これこそが自分が死を前にして、こうあってほしいと望む、生きている理想の姿ではないかと思えた。

先生はよく私に、「死ぬことは怖くない」と言われていた。しかしひとつだけやり残している仕事があるといわれていた。それは自分の理論を世界レベルで検証することであると言うことだった。
そうした思いを語った時、先生は「第一回国際システム研究会関連世界大会」で基調報告をすることになった。先生の理論を英訳し、それが出版された。大きな反響だった。また、先生のスピーチ、発音も素晴らしかった。英語のうまさは驚きであった。そして、多くの海外の研究者から、論文の依頼があった。しかし、先生の理論を英訳する時間は先生には残されていなかった。残念である。先生の理論は、おそらく、世界の社会科学、科学哲学の最先端であり、それがいち早く世界に紹介されないのは、多くの日本の優れた人間社会科学理論と同じように、日本語のローカル性によるものだ。

私が先生に理論的な面でもっとも感謝しなければならなかたのは、私の中でかくて批判学として成立していた概念がいつの間にか固定概念として、それ以上、新しい概念を受け入れないほどに保守化している現実を知った時であった。つまり、我々の世代、物理主義への批判から来る現象学的な世界認識、素朴実在論への批判、その極論としての存在論の否定、そうした世界観がいつのまにか私の固定概念を形成していた。そのため、吉田先生の進化論的存在論を理解するためには、非常に多くの時間が必要だった。物理主義を批判しながら、なぜ、哲学が自然存在論を語る権利をここで再び主張するのだろうかと疑問を投げる。しかし、その存在論は先生の情報概念の理解を前提にしていたし、それは資源概念を前提にしていた。しかも、その存在論はプログラム性、つまり、自己組織性をもっていた。そこで進化論的存在論と命名されていた。

吉田科学論(科学哲学)の概念を正しく理解するためには多くの時間が必要だった。私は、幸運にも、直接、先生へ質問する機会を得た。しかし、何とも不十分であった。もっと時間が必要だった。

現在、Eddy Van Drom氏(大阪大学理学博士)と吉田先生の論文をフランス語にし、英語に翻訳している。困難な概念に時間を費やされるたびに、「先生、天から降りてきて、この文章の意味を説明してよ」とEddyさんが叫ぶ。私も苦笑する。 そして私は必死になって文章の意味を、色々な具体例を取り出して、説明する。フランス語日本語が行き交う。 文章の意味に関する議論、解釈、具体例を引いて演習等々、我々の吉田理論の理解に関する検証作業を経ながら、4時間で僅か半ページの文章がフランス語訳される。はじめのころは、五分の1ページ進むだけで、時間が過ぎた。

私への無償講義の最中、先生も私に、色々な具体例を取って、理論の説明された。今、私が、それをしなければならない。 具体例を引くことで、まるで昔やった物理学や化学の演習問題を解いているような思いになる。 しかも、具体例で理論の検証をすることが、プログラム科学論の精神(科学哲学的意味)を持っていることを実感できる。

一緒にプログラム科学論研究会を立ち上げた槇和男氏(京大理学博士)が、吉田先生の論文や本を読みながら「まるで、物理の本を読んでいるようだ」と言ったことを思い出す。 それは、二つの意味がある。一つは、科学論理的厳密性を問われる学習であること。もう一つは、現実の人間社会の課題や問題の認識、解釈と解決に対して理論が力を持つことで、その理論の正しは検証されるということである。理論物理化学を研究し、それを企業で実際のシステムや商品開発に応用してきた槇氏であるからこそ、吉田先生のプログラム科学論の真意が理解できるのだと思えた。

私のプログラム科学論の学習は始まったばかりである。いい友に恵まれ、そして多くの仲間の参加を願いながら、吉田民人という個人に具現化した学者精神、つまり吉田民人先生個人が望んでやまなかった理論形成、これからの科学技術文明社会における人間社会学科学の科学基礎理論の形成、またそれに向かうための真摯な科学精神を身にした一学徒精神へ、吉田民人先生のこころを学び、受け継ぐことであろう。  

問われる現実の課題に立ち向かう研究者の真摯な姿を持ち続け、研究活動を続ける日常生活の中で、私たちは、つまでも、先生とともに生きることができ、先生は、私たちの研究活動や思想活動の中に生き続けるだろう。

合掌

参考


三石博行のホームページ 「哲学」「プログラム科学論」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_01_03.html

吉田民人論文リスト
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_01_03/cYoshida_ronbunlist.pdf



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