三石博行
詩人と呼ばれる言葉の詐欺師について
本当のことばは人に言いたいから生まれるのではない。
自分に言いたいから、言わなければならないから生まれるのだ。
そもそも詩人なるものが、本当の言葉など語れるものか。
そう思った。
これは、全ての詩人への挑戦状のようなものだ。
詩など書くな。詩などで表現するな。詩などで人間の実存を語れると思うのか。
そう感じながら、そこに詩が存在した。
私は密かに思ったことがあった。それは、詩人は最も詩人のことばが嫌いなのではないかという疑惑である。
何故なら、詩に隠されたことばの陰謀を詩人であるために、良く知り尽くしているからである。
その意味で、詩人達はどうしてお互いの詩を評価し合っているのだろうか。
まるで、その事実から逃げているようだ。
詩人は、なんでもない鉄を金だと言いくるめる錬金術師に似ているのだ。
詩人は、偽札作りに長けたことばの詐欺師である。
だから、私の中から詩が、勝手に生まれることに、激しい嫌悪を感じるのだ。
詩的に表現するという闇に実存を葬る行為について
一
詩人は一言で世界を表現してしまう。
直観的に話される言葉の矢は、真実の的のど真ん中に、ザックリ刺さる。
それ以外に、別のことばを必要としない世界
それ以外は、沈黙の中に安住することを許される。
私は、その詩人達の恐るべき手法の裏に隠されている計算式を探そうとする。
私は、その詩人達の冷たい言葉の遊びに含まれる麻酔効果を暴こうとする。
だから、私は、詩人達のように書きたくないのだ。
この世界を。
それは、
表現するたびに、言葉の本心が消され
表現するたびに、沈黙の世界が騒音に乱される。
二
詩人は巧妙に言葉の音色や色彩を選ぶ
感性的に配列された言葉の行列式、こころの奥底に沈む貝を、掘り当てる。
それ以上の、青い文脈の糸が見つかるのだろうか。
それ以上の、静かな和音の網を探し出すことができるのか。
私は、その詩人達の並はずれた言語図式を解明する計算能力を知っている。
私は、その詩人達の論理化された主観性を装った言葉の配置を感じる。
だから、私は、詩人のように、書きたくなかった。
この私の実存を。
それは
表現するたびに、表現された言葉の中にしか見えない自己
表現するたびに、解離する表現された自己と表現する私
三
もう一つの詩が生まれる。
そして、その詩人はこう言うだろう。
お前は、何を、勇ましく、また巧妙に語ろうとしているのか。
今あるこの生活に、そのむなしいことばは必要なのか。
ただ、静かに注意深く今を見つめる必要はないのか。
昨日会った人々の群れのように、静かな歩きで今日を踏みしめたいとは思わないのか。
見よ。今ある本当の姿を。
降り注ぐ猛毒の汚染の中を
降り積もった猛毒の汚染の上を
歩く姿を、ただ、歩き続ける人々の群れを。
四
そして、私は、この歌に出会ったのだ。
「おまえは歌うな
おまえは赤ままの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべてのものうげなものを撥(はじ)き去れ
すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
もつぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲み取る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸廓(きようかく)にたたきこめ 」
中野重治も「おまえは歌うな」と歌ってみせた。
それが詩人の姿なのか。
もう詩は書かない。二度と書かない。
2012年4月19日 誤字修正
(120419b)
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