2007年12月1日 日本現象学・社会科学学会 研究発表資料
対象的世界認識の知の体系からの脱却 世界との関係を理解する知としての哲学運動へ、
-プログラム科学論の課題1-
千里金蘭大学短期大学部准教授 (ストラスブール人間科学大学哲学博士)
世界解釈の領域の変化としての近代哲学史観
哲学とは何かと問われたとき、その答えは、時代と文化によって多様であると思われる。例えば、中世ヨーロッパでは、哲学は学問の中心であり、諸学の基礎であった。この考え方は、19世紀の終わりまで、哲学者と呼ばれる人々の大半が信じていた。しかし、そうした哲学中心主義は次第にその主張を変えなければならなくなったと言える。
皮肉にも、中世の世界観を変更するための哲学、近代合理主義思想によって発展した物理学を中心とする自然科学が、それまで哲学の領域であった自然学を征服し、自然学に貫かれている存在論を伝統的な哲学の領域から、新たな自然科学の領域へ位置付けなおした。そして、18世紀以来、自然を認識する知の道具は、哲学ではなく物理学や化学、そしてそれらの方法論や論理を応用した考え方、科学、つまり、経験主義や数学的論証と呼ばれる近代合理的精神を身につけた方法であった。18世紀中期から、近代合理主義の合理性の考え方は物理主義を中心とした考え方、つまり、科学主義や実証主義に置き換わった。
20世紀の初頭から、哲学はその解釈領域を自然世界から撤退した。勿論、ニコライ=ハルトマンもいたが、自然存在は哲学の領域で議論することではなく、自然科学の領域に移った。その後、フッサールの現象学の提案として、哲学は意識、世界了解の論理や意識のあり方を語る研究、学問として自己規定した。そして、さらに、哲学は人間存在のみを語る学問として全ての学問領域に侵入し領域逸脱をおこすことを自戒することになる。ハイデッガーを代表とするように哲学が問題とする存在論は人間存在のみであるという考えが生まれる。
こうした西洋哲学の流れを観たとしても、哲学は時代や文化によって異なることが理解できる。
現代科学技術文明社会の基本パラダイム、科学主義思想
現代の思惟の代表者は自然科学を発展させて物理学と数学の思想である。その考え方は、人間社会学に於いても、計量や統計の方法として導入され、日常生活で生活の合理化や設計の基盤となる生活経営の方法としても活用されている。
この合理性に裏づけされて、我々は、快適で豊かな生活を送ることができている。現在、我々の生活世界の運営が最も依拠する思想と方法が、自然科学の発展の中で形成した思想、科学的経験論、物理学的論理方法論(計量的方法論)など、科学主義や論理実証主義である。これらの現代文明の基本パラダイムが、日常生活の運営の確固たる論拠として生活するライフスタイルと意識構造に基盤を構築しているのである。
現代文明の基盤としての科学的思惟
例えば、対象分析は、その対象に対する観測者の意識を前提にして成り立っているのであるが、科学分析は対象をその科学活動の主体から分離しなければ成り立たない。例えば、物理対象を、その物理対象を観測する主体の問題として理解するなら、物理学は成立しない。科学的思惟のあり方は、仮に観測問題に触れる物理学法則、不確定性原理や相対性理論にしろ、観測者は観測している現実の自分とか主体でなく、あくまでも対象化され物理系に存在している観測者である。つまり観測者も物理現象として対象化されているのである。その意味で、観測問題が物理学の課題になり得る。今、ここに居る自分とか、主体という意識を持ち込んでは、科学的思惟は成立しない。
この分離に成功したが故に、近代科学が成立し、ここまでの発展を導いたのである。この分離を成功させたのも哲学者(と言っても哲学と科学が分離していた時代ではなかったので、デカルトを現代の我々は「哲学者」として分類しているだけである)であった。そして、この近代合理主義(哲学)に裏付けられて、物理学は発展した。
17世紀の近代合理主義思想や18世紀の科学主義思想は、その後創出され形成された人間社会学に対して大きな影響を与えた。例えば、近代社会科学は、形態学や進化論の影響を受け、また実証的方法論などの影響を受けて発展してきた。その場合、社会現象も物理現象と同じように対象化されて、科学的思惟の範疇に収まることになる。
しかし、19世紀になって、人間社会学に於いて、主体の問題を社会や文化の産物として位置づけるようになってから、(例えば、19世紀に登場した史的唯物論とそれに裏付けられたマルクス経済学であるが)人間社会学では、物理学のように、社会観測者とその観測者が観ている社会現象を分離することが、科学認識的には出来なくなるのである。しかし、そのマルクス経済学においても、歴史の最終段階として位置付けられた共産主義社会の経済学ではなかった筈の資本論(資本主義社会の経済学)が、政治的権力のバイブルとして、超時代的超社会的な理論になった瞬間に、近代経済学の持っていた対象認識の科学性をも失うことになるのである。そのことから、科学のイデオロギー性を問いかけた筈の課題も風化することを経験したのである。そこで、科学であり続けるためには、主観的世界を徹底的には以上するしかないと結論されるのは一つの回答に違いない。そうでなけば、主観的世界に潜む「欲望」という怪物に、科学的論理や方法は食いつぶされることになるからである。
徹底的な客観主義を貫くことで、人間社会学の科学性は成立するだろうかという疑問が生じるのであるが、観測問題を課題にした現代物理学は勿論のことであるが、現代の人間社会学は、近代合理主義以後の自然科学で確立した科学的方法論によって、成立していると言っても差し支えないだろう。つまり、ある条件で反復可能な現象を、明白な事実として位置付けて、その現象に関する分析、それも、過去からの科学的理論に基づいて説明する、その説明の論理的推理も反復可能であることが条件づけられている。科学的経験主義や論理実証主義は、歴然としてその有効性を主張し続けている。また、統計学的な考え方で進められる科学的研究では、仮説を否定できる確率を論じることで論証問題を考える、論理実証主義の反証可能性の科学思想を前提にして成立している。言うまでもないが、計量経済学や社会学においては、物理学の手段である社会経済現象を量化計量する方法で、その規則性を語るのである。そして、心理学では、脳神経生理現象を観測することで、感覚、知覚、意識が脳の活動によって生み出されていること実証するのである。こうした流れは、人間社会学の主流を作り、科学的であることの別名として、計量化されて語られる事になる。人間社会学の対象も、より計量的に分析されることが、学問的には厳密とされることになる。この流れは、批判されたにしても、今まで有効であった科学方法論の延長に用意されたものである以上、そう簡単には、これまでの近代科学の進化方向を変更するわけには行かないだろう。そしてこれまでに、産業革命を成功させ、戦争に勝ち、経済効果を挙げ、商品開発に貢献し、社会改革に活用され、民主主義社会の建設に力を発揮してきた、近代合理主義や科学主義、物理主義と呼ばれながらも有効な科学的思惟を否定することはないだろう。仮に批判したとしても、その批判も結局は、科学の進歩の恩恵を受けながら、発せられた反発に過ぎないと言われるかもしれない。現代文明の基盤を作り、現実の生活や生産活動の基盤となっているのは、科学的思惟であることは疑えない
危機意識から生じた科学的世界了解のあり方の点検活動・現象学運動
こうした科学への危機を問題にしてきたのは、科学研究や生産活動の中からではない。寧ろ、その生活世界への結果からである。つまり、科学技術の生産したものによって直接的に受けた生活者の被害や犠牲、例えば戦争、公害、労災職業病、災害事故、等である。こうした被害の原因が、単に政治経済システムによって生じているだけでなく、科学技術のあり方によっても加速され増幅されていることを理解したとき、そしてまた、それらの被害の解決が、技術的な改良や政治的解決によって可能になるという手段や方法を失ったとき、その被害の原因、もしくはその要因としての科学や技術の在り方が批判され、そしてその科学技術を支える思想が問題にされることになるのである。
こうした科学の進歩に対する危機意識(生活世界からの)と同時に20世紀初頭には、現代の人間社会学の基礎を作り出す理論が生み出された。これらの理論の根底には、近代合理主義や科学主義の延長線にある人間社会科学の進化の方向を問いかける問題意識やデカルト的図式への批判的点検を意味するものがあった。例えば、ソシュールの言語学、フロイトの精神分析等。フッサールの現象学は、そうした新たな人間学の形成と同時的に形成された。そして、現象学こそが、近代科学やその技術によって進化した文明や時代精神への基本的批判者であり点検者として登場したと言えるのである。現象学の基本的な課題は、デカルト的図式(主観と客観の二項図式)への点検活動であり、いつの間にか物理空間で数式化された科学する意識主体を、生きた生活している意識主体へと取り戻そうとする哲学的な闘争でもあったと言える。
この現象学的点検活動を科学論の中で位置づけるために、哲学の科学批判という課題から、歴史的に生じる混乱を整理しなければならない。この点検よって、20世紀初頭に形成された新たな人間社会学思想の形成の今後の展開の方向に関する検討が可能になると思われる。混乱を避けるために、ここに二つの課題を提案する。一つは、科学批判のあり方を巡る我々の評価である。つまり、科学批判にも反科学と反科学主義があったという科学への批判の歴史的な流れを理解しておく必要がある。ここで問題にしたいのは、反科学主義の思想である。それらは、デカルト的図式(主観と客観の二項図式)から生産・再生産されてきた19世紀から20世紀を経て現代までの中心的な時代的精神を、中世的世界観に戻るのでなく、新たに何ものか問題を乗り越える科学思想と哲学を模索しながら、点検することを要請したからである。
もう一つは、20世紀初頭から始まる哲学非難を巡る課題である。この要請の中には、哲学の意味も含まれている。つまり、哲学が全ての学の基本であるという中世以来確立してきた確固たる哲学の位置を、例えば自然哲学を自然科学に明け渡たしてきたように、縮小限定することが現実的な哲学への要請であった。哲学者が、伝統的な哲学の優位性を信じたところで、そこからは、分子の軌道も銀河の進化も説明できないのである。哲学とは何か。何故我々は哲学を必要としているのかという原点に戻らなければならない。そして、現象学は、哲学を明白な世界観として信じられている科学的な世界了解に対する、つまり不問に帰されている日常化し惰性化した経験への自問作業、つまり経験の惰性態構造に対する点検作業として、出発するのである。
歴史的に、哲学は文明や社会の危機と隣りあわせで形成されてきた。古代民主主義社会の危機とアリストテレスやプラトンの哲学、中世的世界観の危機とデカルトやベーコンの近代合理主義や経験主義思想の形成、そして、科学主義社会の危機とフッサールの現象学の形成は、哲学のあり方を物語る。それは、ぎりぎりの自問と点検を課題にしなければ生きられない人々の自我の叫びである。それは、新たな時代的精神を孕み産み出す苦悩の闘いでもある。
科学的思惟の点検活動としての現象学方法論
デカルトのコギト、方法論的懐疑とその終結である、疑う自分は疑えないというトトロジーの成立。それに対して、全ての判断を中断するという過激な対応をフッサールは提起する。このエポケーと呼ばれる判断中止を、そのまま真面目に受け入れらるだろうか。つまり、判断中止したとしても、判断している自分が存在するはずである。そうでなければ生きては行けない筈だ。
つまり、フッサールは、固定観念の意識を見抜き、それを暴露し、その意識の所在を自覚するために、意識が自然に行う判断という心理作用を中断すべきと言っているのである。言い換えると、この意識の自然的な形態を意図的に意識的に中断しなければならない。意識は意識するもの(主体)が意識したもの(対象)としてのあり方、志向性(意識作用のありあた)を持つ。したがって、その意識への点検はその志向性を見抜こうとする作業である。自然な(志向的な)自己意識を、暴露するのも、また自己意識である。その意識が哲学的活動であり、現象学的還元(反省)であると言える。その反省は、志向的自然形態の意識にたいして、それを超越する意識運動として位置付けられる。
では、こうした意識運動は何故必要なのだろうか。科学的思惟は、科学する主体の志向性を問うことはない。古い言い方をすれば、その主体の時代性や社会性(文化性)を問いかけることは科学の作業ではない。仮に認知科学をしても、主体を含める認知作用のその科学の対象とされておいるのである。認知科学を行う認知作用をものとして位置付け、その上で、認知科学者の作業は成立している。それはものであり、主体ではない。また、言語科学で、今、言語科学をする自分や主体を課題にすることはない。そうなれば、言語科学の方法論が成立しないからである。しかし、「言語の哲学とは、言語をどうしてもひとつの物のように扱わざるを得ぬ言語科学に対立して、現に語りつつある主体を再発見する」ことであるとメルロ=ポンティは述べるように、明らかに哲学的立場と科学的立場の違いが生じるのである。現象学は、全ての科学に対して哲学的立場での点検を要求しているのである。その要求こそ、フッサールが言う現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業である。
さて、この全ての判断を中断するという過激な対応をフッサールは提起が成立する条件とは、自然的(志向的)判断をし、それに基づいて生活し、科学している我々に日常性の存在出会うる。そして同時に、そのために被る被害や、愛する人々の犠牲である。生活や生命の苦痛は抽象的なものでなく、極めて具体的な生活条件として現れる。例えば、戦争により生活や生命を失う人々、公害や労災職業病によって思わぬ病に苦しみ、そして死んでいく人々、薬害など不慮の災害や事故に合い命を落とし、また病気で苦しむ人々、こうした人々が、その悲しみや怒りを、その原因である社会や政治、経済の制度に、また、その直接的加害物である技術や科学に対して向けるとき、そこで問われる課題が、日常を支配していた観念形態(イデオロギー)であり、その観念形態の基盤となる科学思想や社会思想の点検の社会的基盤となる。
科学する主体と科学されたものとが分離する世界、疎外の形態、は科学する主体が科学する活動の中で生き生きとして位置づけられ、また、その科学する意識を点検する活動が科学する活動にとって必要であると理解されていないから生じるのである。科学活動の現場で、科学批判をするとき、我々は、科学することをやめるしかなかったのだった。しかし、一人の良心的科学研究者が、良心の痛みで科学者をやめても、この世の中では、何の意味も成さない。それは、ある一人の研究者の転職に過ぎない。
哲学、現象学運動は、この問いかけにこたえるために用意されたものである。フッサールが願い、現象学運動が目指したものは、生活の場で生活を点検すること、科学活動の中で科学を点検すること、政治活動の中で政治を点検すること、企業の経営活動の中で、企業活動を点検することではなかったか。その意味で現象学は生活活動、科学活動、経済活動ために必要な道具であり、武器であるはずだと言える。言い換えると、現象学的反省は、我々の生活世界のあり方、自然な(志向的)意識のあり方、その結果である必然的に不可避な固定概念の世界存在を前提にして、その中でよりよく生きるために、現実をみつめるために、必要とされるのであると言える。つまり、常に生じる共同幻想のもやの中を、目の前の障害物にぶつからないように、また道を失わないように、見えているものと確りと確認点検する作業として現象学的還元はその存在理由を持つのである。
伝統的科学論からプログラム科学論へ、その科学史的意味
伝統的な科学論では、純粋な理論を研究する科学とその理論の応用する学問(技術)とは分類され、また自然物を対象にした自然科学と社会現象を対象とした社会科学や人間の心理、言語、精神現象、生活を対象とした人間科学とに分類されている。これらの分類が、20世紀後半から説得性を持たない状況になっていることは、現代の科学論研究者でも自明の事実である。つまり、理論研究とその応用開発は融合しつつある。
その背景は、科学的知が産業生産に直結する生産様式が生産力や経済的価値を生み出すという社会経済の変化によるものである。例えば、電磁気学の原理を発見から電話や蓄音機への応用までの時間と免疫反応を解明しその医学的応用までの時間を比較した例で説明すればよく理解できるのだが、科学理論の発見とその応用までの時間間隔が前世紀初期と現代21世紀初期では格段の差がある。今日、科学研究とその産業への応用は、殆ど同時に進行している。つまり、研究開発産業(第四次産業)が現代の産業構造を基幹産業となり、この第四次産業が第一次産業、第二次産業や第三次産業とリンク、それらの伝統的な三つの産業構造を変革しながら、現代の産業構造は第四次産業によって再編再構築されつつある。20世紀の末に政府が打ち出した科学技術立国の建設の政策は、この新たな産業構造と生産様式(知的生産が価値を生み出すという生産様式)を理解し、先取りしようとしていたものであった。新たな産業革命の時代に入ったと言ってもいいのである。生産や政策の技術革新や改良が社会経済の原動力となることは経済学の理論としても展開されている。情報科学と情報処理工学、生命科学と医学、薬学や農学、計量経済学と経営学や経営工学、大脳生理学や認知科学とロボット工学等々、前世紀後半から自然科学の多分分野や人間社会学を含めた学際的、横断的研究が盛んになり、あらたな研究分野が学問領域を形成してきた。
余談ではあるが、現代のわれわれの職場(高等教育の現場)も、この第四次産業による新たな産業革命の中で、これまで知の生産機能を独占していた大学の社会的機能が問いかけられ、新たな時代に対応した社会的機能を要求されている。その課題への解決方法、つまり、新たな産業構造での大学の社会的機能の構築を目指す大学のみが、21世紀社会で生き残ることが出来るのである。
また、われわれの社会(地域社会)も、この産業構造の変化によって、進行している経済や文化の国際化の影響を直接に受けているのである。商店には、中国やアジアの工場や農場で生産された商品が並び、日常生活用品の多くが世界各国の地域から送られてくる。と同時に、アメリカへ行ってもアフリカに行っても、日本製品を見かける。隣の町の自動車工場で作られた車が世界上を走っている。地域社会の改革に国際性の理解が必然となり、国際化が地域性の理解を前提としなければ成立しない時代が到来している。この地域社会の変化も第四次産業の発展、インターネット(通信工学や情報工学)の発展によるものであり、また、その中で生き残る地域産業も研究開発を企業活動に導入しなければならないのである。
大きな社会変化を導いた研究開発産業の形成は、伝統的な科学論をゴミ箱に放り込んでしまっているのである。伝統的な科学論の分類学も、その理論も現代の新たな産業革命を説明することも、また将来の課題を展望することも、そして、新たに生じる社会問題を解決することも出来ない状態なのである。欧米では、1970年代から、日本では1990年代後期から科学と技術と社会の課題が問われ、あらたな科学社会学の研究活動が始まっている。
さて、この科学技術や知的労働を中心とした産業構造の時代的変化を前提にしながら、吉田民人の提案したプログラム科学論の歴史的意味について考えることにする。
プログラム科学論における科学の分類では、科学は法則科学(物理学や化学)と秩序科学(生物学、情報学、社会科学、人間科学)と呼ばれる二つの科学分野に大きく分類されている。この分類を決定しているのは自己組織性に関する概念である。プログラム科学が対象とする世界では、自己組織性をもつプログラム、つまり、プログラム自体がプログラムによって変化する。しかし、法則科学の対象とする世界では、普遍な形態をとる法則が前提にあり、その法則によって法則が変化することはない。仮にその法則に基づいた自己組織性の現象が生じていたとしても、その自己組織性とプログラム科学が問題にする自己組織性は、基本的に(科学性として)異質なものである。プログラムの自己組織性をもつ世界の科学か、それと法則によって構築されている世界の科学かの二つの科学のあり方、科学性の分類が前提になって、プログラム科学論は形成されている。
また、プログラム科学論では、はじめから科学と応用科学の分類はない。科学もその応用科学も問題解決を前提にした知であり、そのために対象世界のプログラムを解明(分析)し、それらのプログラムを改良、応用(構築、再構築)が課題になる。科学理論とは、自然物や人工物のプログラムに関する解釈であり、その応用(利用)に必要な(適した)プログラムであるといえる。
また、吉田民人は、このプログラム科学論が前提としたプログラム性をもつ世界の科学と法則性を持つ世界の科学の分岐点を科学革命として科学史の中に位置づけた。これまでの、科学史の解釈では、近代合理主義と力学の形成が中世の科学観と現代に繋がる科学観の分岐点として(パラダイム変化として)解釈されていた。その大文字の第一次科学革命に対して、形態学や進化論を前提としていた古典的生物学がプログラム(DNA)によって解釈される現代生物学に移行する科学パラダイムの変化を 第二次の大文字の科学革命であると解釈した。この解釈は、科学が法則科学とプログラム科学によって分類できることを科学史の中で解釈するために必要なプログラム科学論の科学史観である。
現実に、現代の新たな科学研究の進化、つまり、自然科学と人間社会科学の融合的研究、横断的研究分野の形成は、プログラム科学論の科学史観によって、その必然性と今後の進化の方向が理解されるのである。吉田民人の言葉を借りるなら、第四次産業構造は、大文字の第二次科学革命によって、導かれた知の構築、つまりプログラムの存在とその解明、そしてその応用や改良を課題にした科学、プログラム科学の形成によって、導かれたものであると癒えるのである。
プログラム存在のメタ理論としてのプログラム科学論
吉田民人は、現代の知の構造を解明するために、プログラム科学論を提案した。ここでは、そのプログラム科学論の全てを解釈することは出来ないが、そのプログラム科学論の哲学的課題について語る。
プログラム科学論は科学的思惟やその論理構造、さらには科学的経験の構造がプログラム性を所有しているという仮定をもって始まっている。プログラム性とは何かというと、それは生物のDNAから存在する、コード(記号)の配列を持っているもので、そのプログラムによって、生命は個体保存と種族保存の目的をもって、あらゆる情報の入力と出力に関する作業、つまり認識、評価、判断の情報処理が行われている。それらのコード(記号)の変化が、生物の進化を生み出し、また、言語、意識を生み出したと解釈した。それを記号進化論と呼び、またそのプログラム存在の進化のあり方を進化論的存在論と呼んだ。
進化論的存在論は、哲学史の中で展開された存在論の歴史的流れを前提にし、歴史的に課題にあれた質料世界の存在形態と形相世界の存在形態の不可分の存在形態を、吉田民人は存在論的構築主義と呼んだ。存在論は、大きく三つの段階をもって展開してきた。第一段階は、「質料」的存在から世界を解釈した形而上学的存在論、中世哲学における自然学や現代の物理学を中止とした科学的世界観もその伝統を引き継ぐものである。第二段階は、人間存在を哲学の中心課題として現象学によって提案された存在論(現象学的存在論)である。哲学を人間学の基礎理論とするために、経験や認識も課題を、まず経験する認識する主体の意識問題として理解し提案された存在論である。言い換えると「形相」的存在に関する考察であるといえる。意識から世界を解釈した存在論である。
プログラムは、それを構成するコードの素材(質料)とそのコードが意味する情報(形相)を持つ。それらの素材性と情報性は不可分の関係にある。存在形態は構築され構築することで可能になっている。素材(質料)もそれを構築する形相の産物であり、情報(形相)もそれを構築する素材の産物である。それらは、階層的に、つまり、ある階層の素材は、その前段階の様式(情報)の産物であり、またある階層の情報や、次の段階の階層の素材の原料となるように、相互に関連した世界によって構築される。こうした多重で多様な、しかも、すべての質料(素材)と形相(情報と様式)のシステムの構造によって、そのシステムの機能によって起動し終結する存在、自己組織性のプログラム存在のあり方を説明するために、存在論的構築主義と進化論的存在論がプログラム科学論に準備されたのである。
プログラム科学論は、生物学から社会科学、精神科学、政策学、人間科学、言語学、宗教学等々、自然素材によるプログラムや人工物によるプログラムを含めたすべてのプログラムに関する理論科学や応用科学のメタ理論として準備された。言い換えると、科学のメタ理論であるプログラム科学論は、それらのプログラム科学群の科学理論の中で共通する課題、つまり、汎プログラム性に関する、メタレベルの解釈が求められることになる。そのメタレベルの解釈、モデル理論に取り組むことが、プログラム科学論群のメタ理論としてのプログラム科学論の進化を方向付ける。
例えば、プログラム性の理解、その機能、構造、要素の関係、システムのあり方、要素やその関数的集合体としてのシステム間の相互作用、システムやその要素の進化、それによって生み出される系やシステムの自己(系)保存や種(系の増殖)の保存、それらの自己組織性、系の運動を決定付けるシステムの共時性運動、その進化は変化を司る通時性運動、安定した内部エネルギーや情報処理状態を維持するためのシステムの機能と情報処理に関するフィードバック機能、そしてこれらのすべてをおこなっている情報処理(認知、評価、判断)のあり方、その情報処理の連鎖的構築によって出来ているシステムのあり方、それらの結果として、またそれらの原因として存在している発生と消滅の情報処理と情報処理機能の構築、闘争と共存、自己と他の認知機能、等々。メタレベルでの、つまり、すべてのプログラム科学の解釈の理論的で思想的な基盤となる思想や公理系の構築が科学のメタ理論としてのプログラム科学論の課題になるだろう。
プログラム科学論への点検作業としての現象学的還元の課題
プログラム科学論は、プログラム科学、つまりプログラム構造を持つ世界にプログラム構造を持つ主体が関係し、そのプログラム構造の解明と改良を課題にする知的作業に対して、その作業を推進するために準備されたメタ理論、言い換えると、プログラム科学相互の異なる学問分野の領域を超えて、それぞれの理論を一般的理論に抽象化する作業を自らの学問の権利として主張し、それを遂行する作業であるといえる。
とすれば、プログラム科学論はプログラム科学群の了解なくして、メタ理論の解釈をする意味を失う。なぜなら、それらのプログラム科学群が日常的に取り組む解決しなければならない問題群に対して、メタレベルの理論、プログラム科学論の提案する解釈や一般モデルが、有効であると評価されることが前提になる。そうすると、プログラム科学論の研究は、具体的なプログラム科学群の現場、研究者と緊密な関係を要求されるだろう。それらの研究成果を学び、それらの研究と共同研究しながら、プログラム科学論は進化していくことになる。
この新たな科学哲学は、科学解釈学や科学批判学を前提にし、科学と哲学の領域を分離して成立していた科学哲学ではないことを宣言しているのである。
第二の大文字科学革命と第四次産業による産業革命がもたらす新たな社会の課題、それはもっとも深刻で性急な回答を求められている環境問題に代表される課題に対して、科学哲学が有効な知として機能しているかを問われる現実に直面している時代に、準備された新たな科学哲学であると言わなければならない。もし、その課題に対して、プログラム科学論が、哲学的な、メタレベルの科学理論として、問題解決に機能しないならば、その存在理由を、その科学論自らの理論において、失うことになるのである。
では、こうした現実の問題解決を進めるプログラム科学に対して、プログラム科学論は、何をなすべきなのだろうか。科学的作業に埋没するなら、科学哲学としての意味を失う。しかし、具体的な社会や人間の問題群を避けて純粋な科学哲学理論を追求するこれまでの哲学研究の伝統にしがみつくなら、プログラム科学のメタ理論としての自らの位置づけを失うことになるだろう。
古いサルトルの用語を援用するなら、科学哲学としてのプログラム科学論は、プログラム科学群の前進的作業(世界の解釈と改良の作業)に対して、それらの作業のあり方を点検し批判する機能する遡行的作業をしなければならない。それが、プログラム科学郡のメタ理論として存立するための第一条件である。この第一条件は、20世紀初頭に科学の進歩、科学主義の勝利、デカルト的図式の完成に対して、哲学を経験構造の批判学、反省学として位置づけようとしたフッサール現象学の提案と共通しているのである。
ここで再び、フッサールのいう現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を、プログラム科学論の作業の第一命題におく。しかし、この命題は、具体的な社会や人間の問題群を科学哲学が受け止めて成立するという第二命題に補佐されている。主体を問う哲学と対象を分析する科学は、その方法において異なる。その二つを混同することは出来ない。一方は、経験や認識に対する点検、遡行的作業である。他方は、問題解決を前提とした解釈と構築の思惟活動、前進的作業である。
つまり、プログラム科学論(科学哲学)から、現象学は前進的作業を保障しない限り、哲学としての有効性を問われているのだと理解されなければならない。大学の哲学研究室で産出された理論の有効性を点検するフィールドを求めるのは、哲学研究者の健全な志向性であると理解される。知の有効性を理性として位置づけた近代合理主義の精神に戻り、現代社会の課題に対して、哲学の有効性を問いかけること。それは、まずは自らの依拠する世界、生活世界、社会的常識や科学的論拠に対して、現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を課すことである。
1、プログラム的存在、プログラム科学群とよばれる具体的世界との関係を作ること、そのことは、固定概念を所有している自分を創ること、ある場所とある時代的存在者として、その中に埋没することを前提とすること。
2、その上で、提起された問題群に対して実際無能である自分を前提にする作業、つまり、プログラム科学群や生活世界(プログラム的存在)に埋没した自己意識や経験の構造を点検する作業、現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業を行うこと
3、その現象学的還元やエポケーと呼ばれる作業の結果を、プログラム科学群の共同体や生活世界(プログラム的存在)に還す作業を行うこと。多分、その結果は悲惨ではないだろうか。しかし、勇気をもって提案し、批判されなければならないのだ。
4、そして、この作業を際限なく続ける(志向性)意志が、単純に問われるのである。
2007年12月1日 日本現象学・社会科学学会 研究発表
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