2022年6月18日土曜日

COVID-19パンデミックから何を学ぶべきか

綜合的災害政策学の可能性に向けて


三石博行


目次

1、総合政策学としての災害学の必要性
1-1、災害要因としての現代社会の在り方
   科学技術文明社会
   経済文化の国際化
   地球レベルの環境汚染
   経済格差

1-2、現代社会のリスク、科学技術文明社会が大きな災害要因となる

1-3、災害対策の課題:資源の持続可能な維持

2、現代社会の災害要因
2-1、災害の三つの形態:自然要因、人工要因と自然・人工要因
2-2、自然現象による災害、自然災害
2-3、人工物 (人為的要素)による災害、人工災害
2 -4、自然現象と社会的要因による災害、ハイブリッド型災害

3、二つの基本的災害対策:安全管理と危機管理
3-1、安全管理と危機管理の違い
3-2、安全管理の経営学
3-3、安全管理への公共事業費算出の基準
3-4、「危機管理」の社会科学的意味
3-5、安全管理(事故防止対策)と異なる事故対策(危機管理)
3-6,二つの事故対策課題・救済と二次災害防止
3-7、危機管理と二次災害対策(安全管理)
3-8、危機管理と安全管理の連関性

4、ハイブリッド型災害としてのパンデミック
4-1、病原菌による疾病(自然的要素)
4-2、疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)
4-3、ハイブリッド型災害への対策
4-4、二つの感染症災害対策 安全管理と危機管理
1、安全管理
2、危機管理
4-5、COVID-19パンデミック災害の構造とその予測される対策
1、三つのCOVID-19パンデミック災害対策
2、第一期 危機管理体制の中での感染症災害対策
3、第二期 感染症罹災からの復旧と復興、問われる民主主義文化
4、第三期 持続可能な人類共存社会の課題

5、日本での第1期の課題
5-1、感染拡大を防ぐ人と人との空間的隔離(ソーシャルディスタンス)の設定
  5-2、検査体制確立、経済的な感染者隔離
5-3、既存治療薬の援用
5-4、PCR検査と感染者の隔離
5-5、最もコスト高の感染症対策、 都市封鎖

6,問われている課題
6-1、感染源・感染者(差別の構造)
6-2、脱近代国家主義防疫体制
6-3、市民主体の感染症対策の可能性を醸成するための課題
6-4、問われる市民社会と研究者たち


本発表の目的


2019年11月から始まったCOVID-19パンデミック災害は、2020年12月に開発されたワクチンによって、その拡大は次第に収まり、現在、収束の方向にあると言ってもよい。そして今、改めて、COVID-19パンデミック災害への日本の対策に関する点検を行いながら、今後、問われる課題を整理する必要がある。問題を整理するために現代社会における災害学の意味に関して述べる。巨大化した人工物環境の中で発展し続ける科学技術文明社会で起こる災害について述べる。その場合の災害対策の在り方に関しても、阪神淡路大震災や東日本大震災と福島第一原子力事故に関する調査研究を基にして総合的災害政策学に関して言及する。総合的災害政策学の視点からCOVID-19パンデミックに関する分析を行う。現在、ワクチン(予防策・安全管理)接種によって、COVID-19パンデミックは収束の方向に向かっているのであるが、ワクチンや治療薬の無い段階で経験した課題を掘り起こし、何が問われているかを再度確認する必要がある。


1、総合政策学としての災害学の必要性

現代科学技術文明社会では災害対策は、総合科学的な視点に立ち、災害原因の究明と罹災者の救済のための有効な政策(技術)でなければならない。
災害要因の研究を中心に行って来た災害学、例えば自然災害学(地震学、火山学、津波研究、異常気象研究等々)が取り組んできた科学的研究によって合理的で経済的な災害対策が検討される。
さらに、防災対策は災害要因に対する対応ばかりでなく、罹災した社会や市民を救済するための課題を含む。災害後に生き残った人々、生活基盤を失った人々、それらの人々が罹災後の劣悪な環境の中で更に被害を受けないために救済対策が必要となる。
災害によって引き起こされる生活環境の破壊、余儀なくされる避難生活、支援物質や支援金の支給体制、避難所環境改善、必要な生活情報の伝達、等々多くの課題が震災後に付随して生じる。
そして、一亥も早く、社会経済活動を復旧しなければならない。そのために、必要な対策が急がれる。その意味で、総合的災害政策学の形成が問われている。 これらの総合課題を解決するために、災害社会学や災害情報学などの研究や研究組織(学会や研究会、研究機構)が形成され、活動してきた。


1-1、災害要因としての現代社会の在り方

現代社会の災害の特徴を理解するために、現代社会の姿、そしてそこに生きている私たちの生活様式を理解しておかなければならない。そこで、現代社会を代表する四つの特徴を以下に述べる。今世紀の四半世紀をむかえ21世紀の社会の姿が顕在化しようとしている。それらの代表的な三つの特徴に関して以下に述べる。災害学の視点から観るなら、この特徴こそが罹災対象や罹災状況の拡大を生み出す大きな要因であると思われる。

科学技術文明社会
21世紀の社会文化の特徴を簡単に述べるなら、まず、前世紀に確立した近代科学技術を土台にして、科学技術文明社会の展開へと向かっていることである。最先端科学技術によって発見される新素材、技術革新を土台にして、新しい産業、また既存の産業でのイノベーションが起こり、新し商品開発、高度な生産効率が行われる。まさに、こうしたプラスの側面が罹災した場合に、それらの技術や生産手段に依存している社会は大きな被害を受けることになる。

経済文化の国際化
巨大な生産システムの形成や生産、高度な交通機能による流通機能の発展や情報工学技術の進歩と情報通信網の世界レベルの設置によって形成され続ける経済文化が形成されようとしている。 それらの巨大な生産力や社会機能によって拡大した経済文化活動によって世界中の国々が相互に交流し国際化社会を形成し続けている。

地球レベルの環境汚染
巨大な社会経済活動は多くの資源やエネルギーを消費し続けることになる。その結果、豊かな生活文化の形成の片方で多くの廃棄物が生活活動によって生じている。それらの廃棄物は、結果手的に地球規模の生態環境破壊や地球温暖化を引き起こし、異常気象や人工物・化学物質による生態系の破壊を引き起こしている。

経済格差
19世紀以来、近代化、産業革命と経済発展し続けて来た欧米列強や日本、また20世紀になって工業化に成功した韓国、南ア、中国、ブラジル、ロシア等の発展途上国は国力をつけ、豊かな社会を形成している。しかしながら、近代化や工業化の進まない国々、また長年内戦や政治的困難に苦しむ国々では経済状態は改善せず、人々は貧しい生活に苦しんでいる。今世紀の四半世紀を過ぎて今なお、先進国の50分の1にも満たない国民一人当たり所得額で生活する人々がいる。科学技術文明社会の恩恵を受ける人々と貧困に苦しむ人々の生活経済レベルの格差は益々広がろうとしている。経済的に貧困な国家の政治は不安定であり、紛争が頻発し、多くの難民が生まれ、平和な地域や国に逃げていく。それにより、自由と民主主義、人権立国で、経済的に豊かな欧米は難民問題を抱えることになる。
こうした現代社会の四つの特徴は、今世紀の四半世紀をむかえさらにその特徴を顕在化している。災害学の視点から観るなら、この特徴こそが罹災対象や罹災状況の拡大を生み出す大きな災害リスク要因になると思われる。


1-2、現代社会のリスク、科学技術文明社会が大きな災害要因となる

災害要因が自然の力、例えば地震、津波、台風や大雨であったとしても、誰一人住んでいない地域では被害は生じない。被害とは人の生命と財産への被害であり、崖が崩れようと、川が氾濫しようと、それが人や人の住む環境に被害を与えなければ災害とは言えない。 同じ自然の破壊力を受けた場合、巨大な人工物の塊である都市が山奥の村よりも大きい被害を受け、多くの人々が罹災することになる。その意味で、巨大な人工物の環境に取り巻かれた科学技術文明社会こそ、災害に弱い構造をしていると考えるべきである。
科学技術文明社会での災害学とは、その社会文明の在り方を理解し、そこに潜む災害リスクを正しく理解し、その対応を事前に準備する(安全管理対策を行う)ことを提案するものである。 こうした事前の災害対策、安全管理は安全保障という概念と同義であると言える。科学技術文明社会での災害学は市民社会、地域社会や都市機能、経済活動、エネルギー、食糧、流通・交通機能、外交・防衛機能、警察・犯罪防止機能、行政・立法・司法機能、生活福祉機能、医療機能、公衆衛生・防疫機能、教育文化機能、消費生活機能、家庭生活機能等々、すべての社会経済政治文化機能に関する安全保障であると言える。
社会経済文化機能が高度に分業化し複雑に構造化されている科学技術文明社会での災害対策はこれまでと同じ方法や体制では不可能となることは言うまでもないだろう。その意味で、今回のCOVID-19パンデミック災害は多くの課題を我々に投げかけている。そして、その課題は感染症災害の枠を超えて考えなければならないことも示唆している。


1-3、災害対策の課題:資源の持続可能な維持

視点を変えて災害対策の意味を考えるなら、災害対策とは、社会生活資源の損失を防ぐ行為である。
予測される災害状況に対して事前に災害に備える行為を安全管理と呼ぶ。また、予測を超えた災害状況に見舞われ、安全管理システムが機能しなくなった時、被害を最低限に食い止める行為を危機管理と呼ぶ。こうした安全管理や危機管理によって構成されている災害対策によって、損失する資源を最低限に食い止めることができる。
科学技術文明社会では、私たちの社会生活環境は巨大な人工物(資源)に満たされている。災害によって損失するそれらの資源を最低限に食い止めことが災害対策の基本的な課題となる。科学技術文明社会の発展によって、地球上の資源は大量に消費され、枯渇が懸念される。この課題に取り組む政策に一つとして災害対策がある。

2、現代社会の災害要因


2-1、災害の三つの形態:自然要因、人工要因と自然・人工要因

災害は、その原因や災害要因によって大きく二つのパターンに分類することができる。一つは自然現象によって引き起こされる災害パターンである。これを自然災害と呼んでいる。もう一つは人間が作り出した人工物によって引き起こされる災害パターンである。これを人工災害と呼ぶことにする。
また、この二つの要因を同時に持つ災害パターンがある。これを、ここでは自然要因と人工要因のハイブリッド型災害と呼ぶことにする。しかし、現実の災害は、純粋に自然災害や人工災害に分類されるより、自然災害であったとしても人工的要素を含むものが多い。


  2-2、自然現象による災害、自然災害

自然要因は大きく分けて四つある。
一つは気象要因で代表的な災害として台風、ハリケーン、竜巻、大雨(線状降水帯)、ヒートアイランド現象、熱波、寒波、海流の異常現象、地球温暖化現象、偏西風の蛇行による異常気象等々が挙げられている。
二つ目は地球のマントルや地殻、そしてプレート等の運動による、地殻変動、火山活動や地震などである。特に、巨大な火山噴火による地球レベルの寒冷化、火山灰による被害、地震による津波等が挙げられる。
三つ目は、細菌や有害動物等の生物要因である。例えば、過疎化する日本の山村地帯では獣害が多発している。近年、ヒアリやアルゼンチンアリなどの外来種による日本固有の生態系が脅かされている。COVID-19を始め、最近ではサル痘など未知のウイルスや病原菌によっる感染症やパンデミックも生物要因の災害の事例である。
四つ目は、地球を取り巻く太陽系の運動から来るリスクである。例えば太陽の活動、太陽風による地球磁場や大気への影響、さらには太陽系や太陽系外の小惑星の地球への衝突の可能性、そのリスクによってこれまでも地球レベルの生態系が崩壊した事実も報告されている。


  2-3、人工物 (人為的要素)による災害、人工災害

人間活動(人為的要素)とその結果(人工物的要素)引き起こされる災害を人工災害と呼ぶことにする。この人工物災害は経済活動、生活行為、政治的目的大きく分けて三つある。
人間活動の結果引き起こされる災害を人工災害と呼ぶことにする。例えば、食料生産や消費活動に付随する食品被害、移動の手段の開発、発展してきた交通手段、自動車や道路等によって生じる交通事故や交通災害、生産活動、技術の開発や発展の中で生じる労働災害や職業病、住環境の改善、建築技術、生活環境の改善によって生じる火災等、劣悪な都市衛生環境等々が例に挙げられる。
また、社会経済活動を支える巨大なエネルギー生産、電力産業によって引き起こされる環境破壊、原発事故、そして、国家防衛のための最新兵器開発や大量殺人兵器・原子爆弾等による被害、戦争災害も人工物による社会や人への被害、人工災害の一つであると言えるだろう。
人工災害は、生産活動の巨大化によってその規模を拡大してきた。18世紀から19世紀に掛けて欧米社会でおこった産業革命、20世紀の重化学工業化、巨大工業地帯や巨大都市の形成によって、自然生態系の破壊、大気汚染、ヒートアイランド現象等々、環境汚染が深刻化した。また、人工物による環境汚染(公害)は、工業化の進む発展途上国でも現在深刻な問題となっている。


  2 -4、自然現象と社会的要因による災害、ハイブリッド型災害

近年の災害の殆どが自然・人工災害、つまりハイブリッド型に分類される。例えば、大雨が洪水という災害を引き起こすが、同時に、荒れ果てた人工林の森から伐採し放置された木材が増水した河川を流れ出て、下流域の人家を破壊する洪水と廃棄木材によるハイブリッド型の水害が起こっている。
近年、このハイブリッド型の災害の事例として、人々の生活や産業活動によって排出される化学物質、例えばフッ素化合物によるオゾン層の破壊、また地球温暖化ガス(二酸化炭素やメタンガス)による地球温暖化、そしてその温暖化による異常気象、巨大台風や大雨、異常乾燥とそれによる森林火災、また海面上昇による高波や田畑の海面への沈没被害等々が報告されている。 ハイブリッド型災害に関して、以下三つの課題、多様な災害形態、総合型災害学、国際協力による解決が挙げられる。
1、ハイブリッド型災害は、21世紀社会、科学技術文明社会化、情報社会化、国際経済化、巨大都市化の形成と共に、広範で多様な形態を取りながら発生し続ける。人類がこれまでに経験したことのない未来社会の災害のパターンである。しかも、世界では多様な産業化、工業社会化があるため、この種の災害もそれぞれの国によって異なる特徴を持つ。それらの共通する形態や多様な形態を同時に理解する必要がある。
2、これまでの甚大な災害は自然災害 (大雨、洪水、地震、火山活動、台風等々)であると考えられた。従って、災害学のテーマは自然災害の研究が中心であった。しかし、この後、全世界に被害を与える地球温暖化等ハイブリッド型災害が課題となる。その対策は災害原因である自然的要素や人工的要素の分析やそれに対する文理融合型の対策が求められる。つまり、この災害科学は総合型災害学を必要としている。
3、ハイブリッド型の災害、例えば地球温暖化やパンデミックの特徴は被害の範囲が国を超え、世界の至る所で起こることである。ある特定の地域で発生した温暖化ガスは簡単に国境を越え世界に広がる。また、病原体も社会経済の国際化による人々の国際的な移動によっての世界に広がる。そのため、この災害の解決方法は国際協調によって行わなければならない。一国内で温暖化ガスを削減したとしても地球温暖化を防ぐことは出来ない。同様に、一国内で感染病の流行を抑えたとしても、国際化社会では感染は他の国々から常時侵入し続ける。自然災害では災害国内で対策が取られていたが、ハイブリッド型災害、パンデミックでは一国内での災害対策は通用しなくなる。国際協働機関と歩調を合わせながら、国際協力の基にした一国の災害対策が求められる。パイブリッド型災害の解決方法として、国際機関(WHO等)の形成と改善、感染症の調査研究、ワクチン、治療薬開発の世界的連携が求められる。


3、二つの基本的災害対策:安全管理と危機管理


3-1、安全管理と危機管理の違い

防災計画をより緻密に練り上げるためには、安全管理と危機管理の違いを明確に区別しておく必要がある。
まず、安全管理の考え方を述べる。安全管理とは、現状のシステムを災害から守るために工夫する対策である。つまり、災害で引き起こされる最悪の状況を想定し、それが生じないための対策を取ることが安全管理である。例えば、地震に対する建物の耐震強度の強化や洪水に対する堤防の強化などは体表的な例である。
それに対して危機管理とは安全管理のシステムが破壊された場合に打ち出される対策である。例えば、耐震強度を遥かに越える揺れによって建物が倒壊した場合に人命救助、二次災害の発生を防止するために取られる対策や堤防が決壊し街が浸水した場合に取られる対策であるといえる。


  3-2、安全管理の経営学

安全管理は現状のシステムを強化することで可能となる。予測される災害、例えば、今回の東日本大震災(東北・関東大震災)の場合、三陸海岸で予測された最悪の津波の高さは10メートルであったとする。すると、この10メートルの津波が押し寄せた場合の防波堤の高さ、避難所の確保、避難警告の仕方、市役所などの公共施設のデータ保存、防災機能(警察、消防等)の設定場所、小中学校の場所等々。10メートの津波を仮定して、最小限に人的・物的被害を食い止める現状のシステム作りが安全管理の課題となる。
この課題は、必ず、それを設定するコストが問題となる。つまり、10メートルの津波を仮定して、11メートルの防波堤や4階建の町役場を建てたくても、その財源がなければ、予想される災害への対策、つまり可能な限りの安全管理を行うことが出来ないのである。では、どのようにして安全管理は決定されるのだろうか。つまり、安全管理に掛けるコスト計算はどのようにして決定されるのだろうか。
企業の安全対策に掛けるコスト計算の例を用いると良く理解できる。例えば、A企業で労災事故が起こるとする。その事故でA企業が負担する補償費が200万円であるとして、その事故を防ぐために安全装置を設定する費用が年間1000万円必要になると仮定する。単純に考えて、年間5名の労災事故の補償費と安全装置の設置費は同額になる。A企業はその単純な計算に従うなら、4名から5名の労災事故が発生しても安全装置を設定しないことになる。何故なら、コスト的に労災補償費を支払っている方が安いからである。
もし、A企業が負担する一回の労災補償費が1000万円以上することになると、このA企業は安全装置を設定し、安全対策を行うだろう。何故なら、労災事故はA企業にとって、経営的損失となるからである。
安全管理のコストはこのようにして決定される。つまり、安全管理を行うために必要なコストと安全管理をしない状態で生じた場合の損失のコストのバランスによって、安全対策は決定される。企業が人道的立場から高額な安全装置を設置することはない。経営的に存続することが企業保存の大原則である以上、企業にとっての安全管理も経営的視点から決定されるのである。 但し、上に述べた仮説は、A企業が労災事故を起こすことによって生じる企業イメージ、つまり「A企業の経営者は人間を大切にする考えがないらしい」という社会的評価やイメージから来る経営的効果を全く計算していないことが前提になっている。今日、多くの企業が消費者からのイメージを大切にしている。その意味で、社会から悪いイメージ、例えば環境汚染をしているとか勤労者の健康を無視しているとかいう評判は企業にとっては命取りになる可能性があるため、その意味で企業は労災対策を行う場合も生じるのである。
つまり、安全管理に掛けるコストは、災害によって生じる企業(社会)の損失や負担費とその安全管理に掛かるコストとのバランスによって単純に決定されるのである。そのコストを決定しているのは、労働市場での労働力供給とその需要のバランスである。もし、労働者の賃金が安い、つまり労働市場で労働力の供給がその需要をはるかに上回り、低賃金で雇用可能な状態なら、労働災害に対する補償も相対的に下がることになる。そして、結果的に、安全管理は疎か(おろそか)になる。
賃金の安い国や社会では、労働現場の安全管理が悪くなるのは、労働市場で安価に労働者を雇用できる条件が成立しているからである。個別企業レベルの安全管理は、労働市場の需要と供給によって決定されている。当然、その市場経済論理の延長線上で、希少価値のある技術者の労働条件は単純労働に従事する労働者の労働条件よりも良くなることは理解できるだろう。


  3-3安全管理への公共事業費算出の基準

この安全管理を支配する市場経済の考え方をある町の津波対策に応用して考えてみる。もし、町の経済的生産力が低く、過疎化が進みつつある場合を仮定してみる。この町に、仮に10メートルの津波が来る確率が十年で70パーセントであると予測されるとしても、その津波を防ぐための防波堤の建設は行われるだろうか。まず、その決定を行う前に、行政(国土交通省や自治体)は防波堤建設コストを計算するだろう。そして、その費用とその町の経済生産力(経済的重要性)を何らかのかたちで計量的に比較することになる。
つまり、10メートルの津波発生による町の被害状況を予測し、その被害金額と復旧費用金額を計算することになる。当然、10メートルの防波堤を造る経済的意味を計算し、それによって防波堤の予算は大まかに算出されることになる。町の経済的重要性(現在の経済的価値)から、防波堤建設への予算額がはじき出される。これは当然の社会的常識と呼ばれる結論となる。言い換えれば、小さな町で大掛かりな防波堤を作る可能性は殆どないと謂える。もし、それを行えば、無駄な公共事業として批判されることになるだろう。
千年に一度と言われた大震災・東日本大震災(東北関東大震災)での大津波に対して、被害にあったすべての町のこれまでの津波対策は殆ど有効ではなかった。予想をはるかに超える大津波に町はのみ込まれた。その被害は甚大であった。
問題は、この教訓を今後の復旧活動にどのように活かすかと言う事である。安全管理の経営学やその公共事業費の算出基準の考え方からするなら、当然、これからも今回の大津波に対する防災対策は殆ど財政的に不可能であると謂える。つまり、これらの地域の社会経済的評価から、巨額の資金を出して非常に長く高い堤防を町の海岸全部に築く予算はないと結論付けられる可能性がある。


  3-4、「危機管理」の社会科学的意味

一般に、危機とは突然現れた好ましくない事象を意味する。従って、「危機感」とは観察者が主観的に感じている予測出来なかった好ましくない事象に対する感情である。好ましくない事象に対して抱く否定的感情の程度によっては、不快、不安、恐れ、恐怖という用語で説明される。
観察者を取り巻く好ましくない事象を「危機的状況」と呼ぶ。そして、観察者は好ましくない事象を言葉で表現できる場合と言葉で表現できない場合がある。例えば、好ましくない事象を言語化できる場合には危機的状況を「あるもの」として語ることが出来る。しかし、それを言語化できない状態では「なにものか」に対する不安、恐れや恐怖という感情となる。 つまり、一般に我々が語る「危機」の意味は、心理的要因から社会的要因までを含むのである。
危機管理(リスクマネージメント リスク管理)に関する社会科学的研究は、特に、環境破壊や汚染防止に関する法学や経済学的研究、企業の危機管理、災害に対する危機管理に関する経営学的研究等がある。これらの社会科学の中で危機管理の概念が述べられてきた。 社会科学系の危機管理に関する先行研究の中で定義されてきた「危機管理」の「危機」の概念は以下の二つにまとめることが出来る。
1、 予測不可能な好ましくない事象 (予測不可能 )
2、 何らかの対応策が緊急に必要となる事象(緊急性 対策不可能)
つまり、まず、好ましくない事象の緊急性とその状況への対応に関する無知の状態を危機と位置付ける。そして、その危機に関する「管理法・対策・政策」を危機管理と呼ぶ。これが、今日の社会科学で使われている危機管理の概念とされている。


  3-5、安全管理(事故防止対策)と異なる事故対策(危機管理)

上記した社会科学の中でこれまで使われてきた「危機管理」の意味から、危機管理の概念は非常に広い意味で使われている。例えば、災害予防(防災)、安全管理、災害後の対策まで危機管理として語られる。一方、安全管理の概念も同様に広い意味で使われ、危機管理と安全管理の明確な概念的区別は存在していない。
しかし、現実の災害対策では、災害に対する予防措置と災害後の対策は明確に区分されている。そこで、我々は、災害防止(防災)を目的にした対策を安全管理とし、その安全管理が破られ災害が発生した後に、罹災者の救済、二次災害防止等に関する対策を危機管理として、二つの概念を峻別した。つまり、前節では、安全管理と危機管理の違いについて述べた。
まず、安全管理の意味について述べる。安全管理とは一言で述べるなら、災害からシステムを守るための対策である。事故防止の対策を安全管理と考える。防災対策も安全管理の一例である。つまり、地震に対する建物の耐震強度の基準を法律で決めることは、震災予防対策であり安全管理の中に含まれる。また、洪水に対する堤防の強化工事は水害予防対策であり、同じようにこれも安全管理の一例であると言える。安全管理に関しては、前節「現代社会での安全管理」で述べた。
次に危機管理の意味について述べる。危機管理とは安全管理のシステムが破壊された時の対策である。事故や災害の予防対策では発生した事態に対応し解決できない状態が生じる。その場合に取らなければならない緊急処置は大きく二つある。一つは罹災者の救済であり、もう一つは二次災害の防止である。
例えば交通事故では、救急車を呼び負傷者を病院に運送し人命救済を行う。そして同時に交通事故が引き起こす二次災害(交通事故、車両火災、交通渋滞)を防止する。これが事故や災害が発生した後に取られる対策・危機管理である。つまり、事故・災害後の被災者救済と二次災害防止対策が危機管理に含まれる。


  3-6,二つの事故対策課題・救済と二次災害防止

完璧な防災システムの構築は不可能である。防災システムの崩壊は、畑村洋一郎氏が「失敗」とは期待値に至らなかったと評価された値であり、すべての行為に確率的に付随する評価であると考えるように(5)、事故や災害防止のシステムの崩壊(機能不全)はすべてのそれらのシステムの機能上、確率的に発生する事象であると考えなければならない。
言い換えると安全管理の故障や崩壊はすべての安全管理システムに組み込まれている確率的な発生事象である。予防対策を講じる場合に、同時に必要な対策としてその予防対策の前提条件を超えて生じる事故や災害の発生への対応策、つまり事故や災害の発生後の対策である。この対策を危機管理と呼んでいる。危機管理は災害や防災システムの崩壊によって生じる罹災者(負傷者)の救援や二次災害への対応策である。
例えば、洪水や津波による堤防や防波堤の決壊(防災システムの崩壊と機能不全)つまり災害による被害者救済と、浸水や洪水によって引き起こされる二次災害の防止、例えば、今回の東日本大震災で経験したように、火災、原発事故、周辺社会インフラ機能麻痺・運輸機能不全、電力や燃料不足の発生等々、避難所での疾病発生、衛生環境問題、救援物資不足等々が挙げられる。
あるシステムの安全管理の崩壊によって、そのシステムでの危機管理が起動する。その危機管理の機能は、そのシステム内で発生した被害者(負傷者)の救済や犠牲者の処理等、被害への対応策とそのシステムの崩壊によって生じるそのシステム内の別の災害発生やそのシステムの外に波及して誘発される他の災害への予防策、つまり二次災害防止対策の二つの課題を抱える。


  3-7、危機管理と二次災害対策(安全管理)

つまり、危機管理は、二次災害防止対策と呼ばれる新たな安全管理を課題にしている。危機管理を考える場合、罹災者の救済対策と二次災害防止対策を峻別して対応する方が危機管理を効率よく敏速に運営できる。
罹災者救済とは、被害を受けた人々の人命救助、健康・衛生環境維持、生活資源の確保である。これらの活動を総称して教護・救援活動と呼ぶ。
二次災害防止とは、事故や災害によって誘発される災害で、東日本大震災(東北関東大震災)時の東電福島原発事故は典型的な二次災害である。地震と津波によって生じた原発の事故とは、東電が福島第一原子力発電所(東電福島第一原発)に設定していた原発事後防止機能の崩壊と機能不全を意味する。発電機能を失う状態が東電にとって原発の事故による損失である。つまり、東電の原発事故の主な意味は福島第一原子力発電所が発電停止になったことである。
当然、地震によって発電停止になった原発は、単なる発電機能不全ではすまない。何故なら、その発電の仕組みはウランの核分裂による巨大な熱エネルギーを蒸気の力に変えて電気を作るのであるから、巨大な熱発生から生じる二次災害、つまり原子炉内の加熱状態やその周辺の影響によって生じる事故が予測される。事故によって生じた発電停止(事故)を原因として、新しい事故発生の可能性が生まれる。この新しく生じる事故への対応を二次災害対策と呼んでいる。
原発事故に限らず、すべての事故では、必ず二次災害を引き起こす可能性がある。事故とは一種の機能性と構造性の崩壊過程である以上、最終的な崩壊状態まで事故は進行し続ける。
道具の故障と原発の事故を比較すれば、システムが大きくなるに従い、事故は複雑になることが理解される。つまり、システムの機能停止状態から、次々と新しい事故が誘発され、事故はシステム機能の中断から決定的な死に至るまで進行する異なる段階と過程を持つ。丁度、軽い病気で働かなくなった身体が、次第に重い病気に罹り、そして最後は死を迎えるように。 このように、複雑で巨大な系では、軽い故障から重大な事故、そして系の崩壊とその環境への重大でネガティブな影響、その影響による環境での事故の誘発等々のように、複雑な人工物は生物と同じように、その機能不全状態が、その機能と構造が壊滅する幾つかの過程に階層化されることになる。
例えば、原子力発電所でも、発電能力を失った段階から、発電所の火災、水素爆発、建屋の崩壊、放射能汚染拡大、炉心溶融、原子炉崩壊、重大放射能汚染と事故は進化し続ける。そして、最終的には、その原子炉での活発な核反応が中止するまで事故は連鎖し続ける。 原子炉が発電機能を失った状態(事故発生)から次の事故(火災発生等)が発生することを二次災害と考える。二次災害は事故発生によって必ずしも生じる訳ではない。何故なら、原子炉停止事故に付随して生じる事故対策(安全管理)が行われていれば、二次災害は生じないからである。換言すると、二次災害防止対策でも食い止められない結果が水素爆発や火災事故という事象である。
つまり、津波や地震による原発停止(事故)に起因して生じる二次災害(火災事故等)への対策、つまり水素爆発防止や火災防止の対策が不十分であったか、もしくは二次災害防止システムが機能不全を起こしていたことを意味する。
また、同時に原発の事故よって被災者が生まれる。その被災者の救援・救護体制が二次災害での危機管理となる。そして、水素爆発や火災によって誘発される三次災害、例えばさらに炉心からの高熱の発生や、高温の金属(炉心や使用済み核燃料)が水と反応することでさらに多量の水素が発生し、そして水素が空気と触れ大爆発を起こし、建屋等が完全に崩壊する。そして、最悪の事態では、原子炉内の燃料棒の溶融が起こり、多量の放射性物質が外に漏れることが予測される。
原子力発電所のように巨大なシステムでは、災害過程は複雑となる。一次災害(地震による原子炉停止・事故)が二次災害(津波による冷却機機能不全)を起こし、それが三次災害(冷却装置の故障による原子炉のオーバーヒート)を起こす等々と、事故は次第に大きく重大になる。このようにして、事故の連鎖が進み、最終的に重大事故となる。


  3-8、危機管理と安全管理の連関性

先ず、システムを運営するためには、そのシステムの安全管理体制が造られる。大雨、地震や人的ミスがあったとしても災害や事故に繋がらない状態を安全管理が機能していると言う。しかし、そのシステムがそれらの状況によって機能しなくなる。これが事故や災害である。これらの機能不全状態はゼロと100%の中に組み込まれる。つまり、全く何もない状態から全然機能しない状態の中にある確率的事象であり、事故は被害の程度と呼ばれる量的尺度をもって評価される。
システムが機能しなくなる可能性を考え、その対策を事前に準備して置く事を危機管理と呼ぶ。つまり、危機管理とは事故発生後の対応策である。それには、被災者(負傷者)救済対策と二次災害防止対策の主に二つの対応策があると考える。言い換えれば、危機管理として、災害後のシステムの状況に合った災害防止策が検討されることを意味する。
システムの機能が失われつつある状態、つまり機能不全への移行段階で生じる新たな二次、三次と連鎖して生じる災害を予期し、その対策を検討し、それに必要な資材、補助機能、援護システムを用意しておく必要がある。多重階層的な罹災者救済対策と災害防止対策からなる危機管理の構成を図1に示す。
図1 多重階層的な罹災者救済対策と災害防止対策からなる危機管理の多重構成
---------------------------------------------------------------------------------------------------
事故→ 罹災者救済
   二次災害防止→ 事故→二次災害罹災者救済
   (一次危機管理)   三次災害防止 → 事故→ 三次災害罹災者救済
              (二次危機管理)  四次災害防止→(三次危機管理)
   -------------------------------------------------------------------------------------------------------

特に、巨大なプラントを持つ生産システムの危機管理とは、二次災害防止(二次安全管理)、三次災害防止(三次安全管理)と、システムが完全に機能不全に陥るまで、その事故の進行状況や進行段階に適応した事故防止策を準備することを意味する。図1に示したように、事故や災害進行過程に必要な、段階毎の災害防止策(多重階層的な安全管理)を準備したものが、総じて危機管理と呼ばれるものである。
つまり、それぞれの段階で取られた災害防止対策が機能しなくなった段階で、新たな事態が発生し、事故や災害の状況は変化する。その状況で生じる被害者のための救済措置が必要となる。その救済措置とさらに次の段階に災害が進行しないための災害防止策が検討される。
つまり、二次災害の状況から考えられる危機管理が生まれる。これを二次危機管理と呼ぶことにする。二次危機管理の課題は、二次災害罹災者救済対策と三次災害防止対策である。
そして、さらに三次災害防止対策で制御できない状態で事故が進行する。その事故を想定して三次危機管理が立てられる。

4、ハイブリッド型災害としてのパンデミック


4-1、病原菌による疾病(自然的要素)

疾病災害を引き起こす病原菌も地球上に存在している生命の一つであり、生態環境系の中の一つの生物に過ぎない。その意味で、病原菌による疾病は生命現象の一部である。そして、疾病は生物の進化史と共にあり、また人類の歴史と共にある。疾病は生物・人が病原体によってその生命活動を破壊される病理的現象に過ぎない。
つまり、病原体による人の感染被害は自然現象の一つであり、人の病気は人と病原体(細菌や微生物等)との生物的生存競争や共存の一形態である。また、人が病気になることによって、その病原体は彼らの生存領域を拡大し、また人を病死させることでその生存環境を失うことになる。
さらに、人が病原体に対する抵抗力や抗体を持ち病気にならないことは、人がよりよい生存条件を獲得したことを意味する。逆に、そのことによって病原体は彼らの生存領域を失うことである。そこで、病原体も進化し、人の抗体を無効化させながら種を維持しようとするだろう。また、人が治療薬を開発し病気を治癒することは、病原体にとっては生存環境を失うことを意味する。そこで病原体は治療薬に対して抗体や無毒化する代謝経路を確立してその治療薬(化学物質)から身を守る。
人も細菌も生存競争と共存の関係を繰り返しながら、生命体の進化に関係し、生命活動の持続に寄与してきた。そして、今現在も、生命現象の一部として人と病原体(微生物)の生存競争や共存は終わることなく続いている。その意味で、生命現象の一部として疾病があり、疾病とは生命活動とよばれる自然現象であるともいえる。


  4-2、疾病大流行の社会経済的被害(社会経済的要素)

パンデミックは人類が都市を建設した時代から存在している。そして、パンデミックは、古代社会より中世社会に多く発生し、また中世社会より近代社会や現代社会で、大型化していきた。パンデミックとは、病原菌による感染症であると同時に、都市化、人口増加、熱帯雨林の開発等々によって引き起こされている人工災害の側面を持つ。パンデミックの特徴を理解するために、その感染拡大の人工災害としての解明が求められる。例えば、以下の課題が挙げられる。

1、感染拡大の要因としての社会経済的要素
2、感染拡大の要因としての生活文化的要素、生活文化習慣
3、感染拡大の要因としての生態文化的要素
4、感染拡大防止対策、政策、制度等の社会政治的要因

パンデミックの人工災害的要素を理解することで、病原体の特性、その感染経路や感染媒体等の疫学調査対象を社会や生活環境に広げることが出来る。


  4-3、ハイブリッド型災害への対策

災害とは「人の生命及びその財産への被害」つまり「社会生活資源の損失」である。その要因には大きく二つある。一つは自然的要因である。もう一つが上記した人工的要因である。自然災害例えば地震や津波で受ける被害(災害)は、その直接の人の生命及びその財産への被害の原因が地震や津波によって起こる。しかし、同時に、その自然災害は、家の耐震強度、防波堤、土砂崩れの恐れのある土地の宅地化、街づくり計画、町の安全管理や危機管理等々が間接的に関係している。人工物に取り囲まれた現代社会では、人工的要素を全く持たない自然災害はない。社会経済の発達した国や地域での自然災害はその生活環境を構成しているすべての人工物の影響を受ける。これが現代社会の災害の姿である。このように、災害の被害は人工物が巨大化することによって大きくなる。こように、社会生活資源の損失である災害は「人工物の損害」と言い換えることができる。
生態系環境が著しく人工物によって影響されている状況の下で起こる災害は自然的要素と人工的要素を同時に持つハイブリッド型の災害である。現代社会のすべての災害がこのハイブリッド型災害の様相を示す。そして現代の災害対策もその災害パターであるハイブリッド性、つまり自然要素と人工物要素の両方に渉る文理融合型・総合的対策となる。科学技術の進歩によって、自然災害の要因、自然現象の科学的研究とそのための調査器機や技術開発が進み、その結果、有効な災害対策が可能になる。例えば、人工衛星による気象観察とそれに基づく気象予報のデータ、そのビックデータ解析によって気象予測の精度が高まり、大雨や台風等の自然災害の予知がより正確に可能となっている。一方、人工的要因による災害は人工物が巨大化すればするほど災害は大きくなる。そのため人工物の災害要因に関する科学的分析が必要とされる。つまり、人工災害の要因となる社会経済文化システムや要素を調査分析する科学・人間社会科学の進歩が必要となる。
高度に発展した文明社会で起こる災害対策には国際的な連携やシステムが必要である。何故なら、地球温暖化や感染症災害の要因である温暖化ガスや病原体は簡単に国境を越え世界に広がるからである。つまり、世界規模の被害が起こる。当然のこととして、その災害対策も国際的な連携によって行われる必要性が生まれる。一国の災害対策も国際機関と歩調を合わせながら進められ、また。常に状況に適合した国際機関の形成と改革が求められる。21世紀型災害の解決方法が地球温暖化対策やCOVID-19パンデミック災害で問われている。


  4-4、二つの感染症災害対策 安全管理と危機管理

21世紀型災害対策と言えども、災害社会学的な視点に立てば、全く目新しい課題を問いかけている訳ではない。感染症は古代から存在し、人類はそれに立ち向かって来た。つまり、感染症災害は人類史の中で繰り返し起こっている。そして、その対策は、これまでの災害対策の原則を前提としている。つまり、災害対策は原則として安全管理と危機管理がある。安全管理とは災害を未然に防ぐための対策をいう。危機管理とは安全対策が有効に機能しない場合に行われる対策である。

安全管理
感染症災害における安全管理は主に以下の四つである。
一つ目は検疫体制である。国内に10カ所の検疫所を設置し感染症の侵入を防ぐために体制を整えている。検疫法に基づき検疫体制を維持管理しているのは厚労省検疫所でありる。
二つ目は病原体を特定するための調査研究体制で感染症に関する医学、生物学、分子生物学等々の専門家集団の活動を常時維持している研究機関であり、厚生労働省の施設等機関である国立感染症研究所が当該研究所病原体等安全管理規程に従いその機能を担っている。
三つ目は感染症治療法や感染病の臨床学的研究を行う医療研究機関及び医療施設である。大学医学部、国立国際医療研究センター等の研究機関である。また、COVID-19流行に備え2020年2月13日に内閣官房健康・医療戦略室(文部科学省 厚生労働省 経済産業省)を設置し、診断法開発、治療法開発、ワクチン開発等の新興感染症に関する研究開発を加速させるための機能が形成されている。
四つ目は感染症の拡大を防ぐための病原体の検査と遺伝子分析を研究し検査方法を開発し、またそのワクチン開発を行う研究機関である。わが国では国立感染症研究所を中心とし、大学医学部、国立公立等の研究機関や生物工学系や医薬系の企業がこれらの機能を担っている。
言い換えると感染症災害の安全管理は高度な感染症学、感染症治療等の研究レベル、豊かな感染症治療を行う臨床設備と人材やレベル、完璧な検疫体制や法的整備によって確立している。

危機管理
感染症災害に関する防護策を持たない状態、もしくはあったとしてもそれが機能しなくなった状態の時に危機管理対策を発動しなければならない。その危機管理対策は主に以下の四つある。
一つ目は、感染症災害の被害を最小限に食い止めるための対策である。感染症を治療する薬がない場合、ウイルス感染を防ぐ可能性のある薬、感染症状を重篤化させないための薬、進行する病状や多様な症状への対処療法、医療崩壊をさせないための入院隔離設備の拡充等々が考えられる。
二つ目は、機能しなくなっている安全管理の機能を素早く修正改良するための対策である。例えば、新種病原体に対する検疫体制の改善、検疫法の修正等、また病原体調査や感染症研究や臨床体制の強化を行わなければならない。また、隔離対策の強化、例えば民間等すべての研究機関との協働体制の構築、臨時的な隔離を行うための民間病院資源やホテル等を活用し、場合によっては巨大な臨時入院設備設置も必要となる。そして、大学や研究機関へのワクチンや治療薬開発のための予算措置が挙げられる。
三つ目は、感染症災害によって生じた被害を社会インフラ全体で支える対策を取ることである。感染症災害によって起こる医療崩壊や生活経済インフラ危機に対して、病院以外の施設を臨時的に活用したり、生活困窮者への支援活動を強化したり、また、感染症災害によって副次的に生じる差別、いじめ、デマ等の対策を行うために、市民の参加や協力を組織する活動の開発等である。実際、阪神淡路大震災の時、マヒした自治体の生活情報機能をサポートしたのは、ピースボートや市民運動であった。社会が持つ危機管理能力(ポテンシャル)は豊社会文化資源の状態に関係する。
四つ目は、上記の二つ目の中に含まれる課題であるが、特に、ここでは豊かな人的資源を持つ社会がその社会が危機に瀕した時、それを打開する力を発揮するという危機管理の基本的命題を強調しておきたい。つまり、社会は事前に人を育てること、それが学校であれ、企業であれ、また地域社会であれ、人づくり活動が社会文化の中で重視されていることが危機管理に強い社会を形成する。つまり、人びとが社会活動を自主的に行い、社会運営(自治体、市民活動、NPO運動等々)に積極的に参加している文化こそが豊かな危機管理資源を持つ社会であると言える。


  4-5、COVID-19パンデミック災害の構造とその予測される対策

1、三つのCOVID-19パンデミック災害対策

未知の感染症(COVID-19)に対する対策を三つの段階(期間)に分けた。
第一段階は、COVID-19には予防するためのワクチンもなければ、また治療薬もない状態である。そため、危機管理から感染症対策が始まる。感染症の流行を防ぐために、これまの感染症への安全管理が総動員され、COVID-19の感染拡大を防ぐために有効であると思われる対処が試みられ、その中から、より感染症災害の被害を最小限に食い止めるための対策が選択されていくことになる。危機管理から始まる感染症対策の段階を第一期と呼ぶことにした( )。この第一期は感染症予防対策(安全管理)であるワクチンや治療薬の開発と普及によって終焉する。危機管理から始まるCOVID-19への対策は危機管理から始まるのである。現在の日本はこの第一期の最終段階にあると言える。
第二段階は、ワクチンや治療薬が開発され、それによって感染拡大が抑えられ、また感染症の治療が可能になる段階安全管理が可能になる。例えば、ワクチン接種が進み感染拡大を抑え込みつつあるイギリス、米国、英国は、ワクチン開発が成功し、感染予防が可能になり、感染拡大が抑え込まれている段階、つまり安全管理対策が可能になった段階を第二期と呼ぶことにした。
第三段階は、COVID-19パンデミック災害が終息したポストコロナの時代である。この時代を第三期と呼ぶことにした。COVID-19パンデミックの原因は、新しい病原体の出現だけでなく、国際化した経済文化活動の関係している。地球温暖化による永久氷土の融解、開発による熱帯雨林の消滅生、プラスチック海洋汚染等化学合成物質による態環境系の破壊等々、地球規模の環境破壊が進行しつつある21世紀の社会では、未知の病原体・ウイルスによる感染症の可能性が生まれる。つまり、COVID-19に類似する感染症災害が繰り返し起こり、また常態化する時代が来ると予測される。その時代を第三期と呼ぶことにした。
感染症災害を三つの段階(期間)に分けたのは、質的に異なるそれぞれの段階(期間)での対策が求められているからである。また、昨年以来、日本では、例えば、2020年3月2日から政府は全国の小中高校の臨時休校を要請した。その後、不十分な教育、格差等の問題が社会的に議論された時、4月9月入学が提案され、真面目に議論しようとしていた。当時の学校現場では、休校中の教育サポート、オンライン授業等の対策に追われていた。当時(現在でも)の優先事項である感染症災害から教育活動への被害を最小限食い止めるという課題ではなく、それとはまったく関係なくポストコロナの課題として9月入学が取り上げられた。この9月入学の議論は教育被害への対策に追われる文科省や学校教育の現場に混乱を持ち込む以外の何物でもなかった( )。また、第一波の感染拡大を受けて政府は、2020年4月7日に東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に、4月16日には、全国に緊急事態宣言を行った。それと同時(2020年4月7日)に、政府は「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」(事業規模108兆円)を決定し、16兆8057億円にのぼる2020年度補正予算案を閣議決定し、この内1兆6794億円がGoToキャンペーン(旅行・飲食・イベントなどの需要喚起事業)に充てられた。つまり、感染症対策を優先するのか、それとも経済対策が優先されるのか、この政策は新型コロナ対策に混乱を起こしたと言える。政策は状況判断によって決定される。そして、状況が変化することで政策も変化する。つまり、予防手段を失った感染症災害では感染拡大を防ぎ、被害を最小限に食い止めるための対策がまず優先されるべきである。そのために、三つの段階を設定した。それによって、それぞれの段階での対策の優先順位が決まることになる。

2、第一期 危機管理体制の中での感染症災害対策
第一期では、予防策のない新型感染症対策と感染症災害に付随して発生する社会文化的課題が問われる。この期間の課題は大きく二つある。一つ目のテーマは、感染症対策であり、この課題が最優先課題となる。二つ目のテーマは、感染症災害に付随する社会経済や文化の課題である。
まず、最初のテーマの課題は第一期、安全対策(ワクチンや治療薬)のない段階で最優先される感染症対策である。この第一課題は、大きく四つの対策によって構成される。
一つは感染者の確認作業である。例えば、感染者の早期発見と隔離、感染者との濃厚接触者の調査と検査、感染力の強い陽性者(クラスター)の発見とその対策である。
二つ目は、感染拡大を予防するために対策である。例えば、移動制限(不要不急の外出自粛)、三密状態の回避、検査隔離、三密状態を生み出す行動や移動の抑制(休業要請を含む)が挙げられる。
三つ目はこれまでの医療資源を総動員し治療へ活用する作業である。例えば、COVID-19感染症に対して、米国のFDA(食品医薬品局)が5月1日に使用を許可し、日本でも5月7日に厚生労働省が特別承認されたレムデシビル(製品名・ベクルリー)が治療薬として活用されている。また、重症化する前には、抗ウイルス薬のレムデシビルもNIH(米国国立衛生研究所)のガイドラインで推奨されている。つまり、治療薬のない段階では、症状に応じた対処療法を行いながら、重篤化しない治療を継続する以外にない。
四つ目は、感染者を素早く見つけ出し隔離のための検査と医療体制の確立である。検査隔離によって効率的に感染者を隔離し、その治療を行うことが出来る。
第二のテーマの課題は感染症災害によって引き起こされる社会経済や文化現象への対応に関する問題提起によって構成される。これらの現象は元々その社会に存在したもので、いわば潜在的社会文化構造である。感染症災害時という非常時にその構造が顕在化したものである。そのため、それらの課題は膨大で多岐多様にわたるものであるが、それらの課題を民主主義文化、非常事態対処、経済政策、複合災害対策の四つに分類することが出来る。
一つ目は、人権や民主主義文化の在り方をめぐる課題である。例えば人権に関する課題(感染者への差別、感染者のプライバシー保護)、社会的格差(教育格差、地域格差、ジェンダー格差等々)である。また、危機管理とは非常時体制の常態化によって行われる。そのため、国家による強権的な措置が必要となり、人権や民主主義が侵害されることが生じる。個人の自由や人権と公共の利益が相対立する状態が危機管理が優先される第一期の課題となる。
二つ目は、感染症災害への政治的課題である。例えば、民主的手段を前提とした非常事態対処(感染症災害情報の公開、非常事態関連法に関する情報公開、非常事態時の国会運営に関する国民からの評価制度等々)、第一期の感染症災害対策を実行するための法律の制定、感染症対策制度の改革等々である。また、自然災害の多いわが国では、感染症災害時に他の災害が起こる可能性が高い。複合災害への備えが問われる。感染症災害対策と他の災害対策が同時に成立するためには、事前に、色々なケースで生じる複合災害の状況を予測し、その対策を取らなければならない。
三つ目は、第一期での経済政策である。例えば、感染症拡大を防止するための研究・検査機関への予算措置、ワクチン開発への投資、感染症治療体制の確立のための予算措置、さらには休業要請を行いために経営負担を受けた事業者や失業者への資金支援、移動制限等の経済活動の低迷によって生じる経済弱者の救済等々が課題となる。
四つ目は、社会福祉、教育、育児や文化活動に対する政策である。老人ホーム、障害者福祉施設は感染拡大防止のための危機管理的対策が優先する場合には、それらの社会的機能が軽視される場合がある。それを防ぐために、それらの施設での感染対策を支援しなければならない。また、教育現場(小学校から大学まで)では三密を防ぐ名目で休校措置が取られる。しかし、それが長期化することで、教育機能がマヒしてしまう。原則として如何なる場合でも、国は国民の教育を受ける権利を奪うことはできない。もし、その機会を非常事態の名の下に制御するのであれば、それによって生じた教育格差や教育機関のダメージを保障しなければならない。
五つ目は、感染症災害はその他の災害(大雨洪水、地震、津波等々)との複合災害の状況が生まれる可能性がある。感染防止のための行動が他の災害への避難対応等によって不可能となる。実際、2020年7月3日、4日にかけて熊本県南部地方を襲った集中豪雨による「2020年球磨川水害」では、多くの犠牲者が出た。住民は避難をしなければならなかった住民にはコロナ感染症への難しい対応が求められた。複合災害への対応は、急には出来ない。
つまり、災害が発生してからその対策を検討するのでなく、常時、あらゆる災害対策の可能性を検討し、準備しておく政府機能を構築しておく必要がある。そのことによって、突然起る予測不能な災害、安全策を持たない災害に対しても、ある程度の初期対応が可能になる。日本建築学会や土木学会など58の学会が参加する「 防災学術連携体」や「新型コロナ感染症と災害避難研究会」によって感染症対策を踏まえた災害時の避難に関する検討がなされた。

3、第二期 感染症罹災からの復旧と復興、問われる民主主義文化
ワクチンや治療薬が開発され、それによる感染症災害対応が行われ、感染症の拡大が制御され、最終的には収束するまでの期間が第二期である。イスラエル、英国、日本や米国等の殆どの先進国ではワクチン接種が進み、集団免疫が確立しようとしている国が第二期を迎えようしている。
また、ワクチン接種を進めることで、第一期から第二期への移行が始まる。しかし第二期を迎えていないわが国の状況では、第二期に関する調査分析の資料はないのであるが、アメリカでの事例を参考にしながら、仮にワクチンによる集団免疫が形成されたと仮定して、そこで課題に取り上げられる感染症災害対策について考える。この場合、感染症災害対策は感染拡大予防や医療崩壊防止の受け身の対策から第一期で受けた医療、社会経済文化等のインフラや資源の受けた被害の復旧活動つまり積極的な災害対策が取られる。
ワクチン接種が進み感染症を抑制することが可能になる第二期では、大きく五つのテーマが考えられる。
一つ目は、第一期の医療、生活経済の被害に対する修復作業である。
二つ目は、これからの感染症対策に関する防疫安全保障や国際協力を検討する作業である。その中で、ワクチン開発への国際協力、またワクチン格差を防ぎ、世界にワクチン接種を普及させる国際的ルール作りなどが挙げられる。
三つ目は、感染症災害によって被害を受けたサプライチェーン等の復旧と再構築である。一国のみでなく国際社会の安全保障に関係する感染症災害から世界経済を守るために、経済安全保障と国際連携の再構築が問われる。
さらに、四つ目の課題は、感染症災害予防対策、つまり安全対策の強化である。常に感染症災害に備えた活動が求められ、例えば災害防災省構想のように災害対策の常態化が課題となる。
五つ目は、第一期で取られた有効な感染症災害対策としての緊急事態対処に関して民主主義国家の在り方が問われた。例えば、中国のように強い国家権力による国民の行動規制によって感染を効率よく食い止めることができた事例から、災害に強い国家の在り方が課題となり、感染症災害に対して民主主義国家は脆弱であるという問題提起がなされる。つまり、21世紀社会の未来では、民主主義文化が存続することが出来るかという深刻な課題が問われている。
三つ目に挙げた感染症災害によって被害を受けたサプライチェーン等の復旧と再構築に関する課題であるが、パンデミックを引き起こした原因として経済や文化活動の国際化がある。世界規模の人とモノの世界規模の流れはもう止めることができない。経済活動の国際化は、市場原理に基づく消費拠点や生産供給拠点(サプライチェーン)の国際化によって成立している。そこで、人や物の移動制限を必要とした感染症対策が国際化した経済システムを直撃し、海外のサプライチェーンに依存する国内経済は大きな打撃を受けた。そこで、第二期では、まず第一期で受けた国内経済のダメージを回復しなければならない。これまで通り、経済成長を基調とする経済政策によって経済復旧や復興が行われる。その一つに、これまでのサプライチェーンの復旧である。さらにもう一つは、これまでのサプライチェーンの在り方を見直し、経済安全保障の視点を取り入れ、海外の一カ所に集中しているサプライチェーンを多くの国に拡散させ、リスク分散型サプライチェーン体制や国内サプライチェーンの構築が検討される。
また、二つ目に挙げた課題であるが、経済文化の国際化した世界では、一国による解決は不可能で、その解決も国際社会との共存を前提にして行われることになる。そのため、国際的な感染症対策が求められる。世界のすべての国へワクチンが普及しない限り、感染症災害を抑えることは出来ない。今回のCOVID-19パンデミックは国際的な防疫安全保障体制の必要性を問いかけた。そのため、国際協力を前提とした健康安全保障体制が課題になるだろう。
そして、四つ目に挙げた民主主義国家の在り方に関する課題について最後に述べる。感染症災害対策の抱える政治的課題として、民主的手段を前提とした非常事態対処の必要性が述べられた。民主国家では、国民の協力なしには非常事態対処による感染防止策は出来ない。そのためには、国は感染症災害対策に関する情報を公開し、国民の意見が反映される対策を行う必要がある。国民総動員で感染症災害に立ち向かう制度を作り、人的資源や社会資源をそこに総動員して敏速なそして徹底した感染症災害対策が実現する。そのためには、市民参画型の災害対策の制度が求められる。

4、第三期 持続可能な人類共存社会の課題
第三期とはCOVID-19パンデミック災害が終息したポストコロナの時代のことを意味する。第二期の課題を延長展開することによって第三期の課題が決定される。つまり、その課題は大きく分けて五つある。
一つは、第二期で取り上げられた国際的な防疫安全保障体制の確立に関する課題の発展的展開である。
二つ目は、市民参画型の災害対策の制度の確立と展開である。
三つ目は感染症災害の基本原因である地球規模の環境破壊を食い止める国際的活動の展開と世界的な制度の形成である。
四つ目は、上記の課題を解決するために我々の生活様式や経済活動を根本から変革しなければならない。現在の新自由主義に基づく資本主義経済を続けることは出来ない。つまり、新しい資本主義経済、例えば公益資本主義等、新しい経済活動や生活文化の形成が求められている。 五つ目は、これらの変革を進めるためにはこれまでか巨大科学技術文明を牽引してきた思想、科学主義を超える科学技術哲学が求められている。
以上、第三期の五つ課題が提起された。同時に、これらの課題は、21世紀社会の課題であるエネルギー問題、食料問題、経済・教育・健康格差問題、人びとの生存権、持続可能な民主主義文化等々の課題と関連している。つまり、第三期の感染症災害対策では、これまでの経済、社会、生活文化の価値観が根本から問われることを前提にして展開されることになる。

5、日本での第1期の課題


5-1、感染拡大を防ぐ人と人との空間的隔離(ソーシャルディスタンス)の設定 

感染者を非感染者から隔離することが感染症学の最も初歩的な防疫の手段である。感染者を特定できない状況では人と人との間に隔離(ソーシャルディス)を設けることで感染を防ぐことができる。特に、検査方法が確立していな時代、感染を防ぐ方法としてこの隔離方法が用いられた。今回のCOVID-19感染予防にソーシャルディスが殆どの国で用いられた。
我が国でも、感染を防ぐために、例えば、国は三密(三つの密な空間)、一つが密閉空間(換気が悪い場所)、二つめが密集空間(人が集まって過ごすような場所)と三つめが密接空間(不特定多数の人が接触する可能性の高い場所)の三つの状態を自主的に避けること国民に要請した。三密状態のある交通機関等を避けるため不要不急の外出の自粛、また、休校や休業が市民に要請された。しかし、日本で取られた感染防止のための行動要請は強制力を持たないものであった。
一方で、感染爆発が起こったイタリアでは外出規制は強制された。イタリアの感染者は2020年2月21日に3人から3月2日に2036人と10日間で679倍も増えた。この感染爆発を食い止めるため、タリアでは町、市の封鎖(ロックダウン)が行われた。ロックダウンは究極的な隔離対策である。中国武漢でもロックダウンが行われ、感染を食い止めることに成功した。ロックダウンは非常に効果的な感染防止策であるのだが、他方において、ロックダウンは市民生活、経済や社会活動に大きな負担や犠牲を強いる。
感染拡大を防ぐためにソーシャルディスタンスを置くことは必要である。人と人との空間的隔離の設定には、不要不急の外出自粛、休業、移動制限、町の閉鎖による移動禁止(ロックダウン)はは必要である。特に、感染拡大を防ぐための行動規制は感染流行の状況によって変化する。最も軽いものは、外出した場合に一定の空間的距離を要請することから、最も厳しいものが完全な外出禁止やロックダウンである。


  5-2、検査体制確立、経済的な感染者隔離

また、病原体に対する精度の高い検査(PCR検査)がある場合には、検査によって感染者を判明し、それらの感染者を医療機関へ隔離し、感染拡大を防ぐ方法が有効である。今回、COVID-19感染流行を防ぐ手段としてPCR検査が活用された。日本では、2月25日に厚生労働省の中に、新型コロナウイルスクラスター対策班の設置し、COVID-19検査によって感染者を見つけ、その行動履歴を調べ、感染経路や感染集団(クラスター)の発生を調査した。
PCR検査は感染者を特定する唯一の科学的手段である。感染の爆発的拡大が起きている場合には、その方法を活用して、感染者集団を物理的に社会から隔離することができる。PCR検査による隔離方法は、感染爆発が起きている場合に、感染確認者を全員入院させなければならないため、医療機関の崩壊の原因となると言われた。しかし、PCR検査をしないで感染者を放置するなら、それが感染を拡大する原因となることは明らかである。つまり検査体制を強化することと、それによって確認できた感染者を何らかの方法で隔離することは一体化した感染対策である。
医療機関での感染患者の受け入れ体制を確立すること、そして十分なPCR検査を行うこと、それらの二つの条件を整備することによって、感染者をもれなく見つけ出し、社会から隔離することが出来る。感染者を特定の空間(医療施設)に集めることで、社会空間全体の中の感染者の隔離の効率は高くなる。高い隔離効率はより経済的効果を生み出す。何故なら非感染者の多い社会では、人々の社会経済活動への規制を強化しなくても済むからである。その意味で、科学技術の進んだ社会では、徹底的なPCR検査による感染者の隔離方法が用いられるのである。


  5-3、既存治療薬の援用

新型感染症に対する治療薬の開発は時間を要するため、すでにある治療薬を利用・活用する必要がある。例えば、COVID-19感染症に対して、米国のFDA(食品医薬品局)が5月1日に使用を許可し、日本でも5月7日に厚生労働省が特別承認されたレムデシビル(製品名・ベクルリー)が治療薬として活用されている。
また、2014年に日本で承認された抗インフルエンザウイルス薬ファビピラビルはCOVID-19感染症には正式に使用できないものの、新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスと同じRNAウイルスであるので、ウイルスの遺伝子複製酵素であるRNAポリメラーゼを阻害する効果を示す可能性があると期待されおり、臨床現場では試験的に使われている。このように、すでに治療薬として使われていたものを援用することは、安全検査はクリアーされており、もし、医療効果が確認されるなら、新薬の開発よりはコスト安となる。


  5-4、PCR検査と感染者の隔離

感染症とは病原菌が人から人へと感染して起こる病気の一般的名称である。感染症を引き起こす原因(病原体)は、寄生虫・細菌・真菌・ウイルス・異常プリオン等がある。感染を引き起こす病原体の種類によって感染症は種類は異り、その研究分野も異なることになる。例えば、微生物による感染症を研究する学問は微生物学、細菌によるそれは細菌学。ウイルス感染に関する学問はウイルス学、真菌や寄生虫による真菌学や寄生虫学も感染症学の中に分類される。
また、病原体の種類によって感染症の病名が決定される。例えば、RNAウイルスのインフルエンザウイルスがインフルエンザの病原体であり、これまでA型からC型のインフルエンザウイルス3種類が存在すると言われてきた。
今回の新型コロナウイルス感染もRNAウイルスであり、「ウイルス粒子表面のエンベロープ(膜構造)に、花弁状の長いスパイク蛋白の突起(S蛋白、約 20 nm)を持ち、外観がコロナ(太陽の光冠)に似ていることからその名が付けられた」(Wikipedia)と言われている。はじめてコロナウイルスが発見されたのは1960年代で、ニワトリの伝染性気管支炎ウイルスであったが、その後、風邪をひいたヒト患者の鼻腔からの2つのウイルスが発見された。そして、2003年にSARS-CoV、2004年にHCoV NL63、2005年にHKU1、2012年にMERS-CoV、2019年に2019新型コロナウイルス (COVID-19) が発見されている。
色々な病原体による感染が、その病原体によって生じる感染症を引き起こすのであるなら、当然ながら、感染しないように病原体との接触を避けることが、感染症対策の基本となる。
病原体の感染能力を調べることが感染症対策の基本となる。つまり、今回の新型コロナウイスは飛沫感染や接触感染が問題となっている。接触感染の場合でも素材によってCOVID-19の生存時間が分析されていた。そして、プラスチック素材が銅などの金属より、コロナウイルスの生存時間が長いことなどが判明していた。
感染予防の基本として、病原体に触れないこと、つまり感染者との接触を避けることが原則となる。そのため、まず感染者を探し出さなければならない。感染者の調査は、まず、病原体に侵された感染者がもつ病状の医学的判明がなされなければならない。医学的な診断によって感染症の疑いがなされ、それを正確に診断するために生物学的検査が行われる。今回問題となっているPCR検査は、RNAウイルスの遺伝子を検出する検査である。この方法を用いて、感染者か非感染者かを判断することが出来る。
感染症予防のための隔離とは感染者から非感染者を引き離すこと、つまり、非感染者と感染者の間に感染しない距離(物理的な)を築くことである。これが最も原始的・初歩的な感染症予防策である。当然のこととして感染者を見つけ出すことがその感染症対策の第一の課題となる。
感染者を見つけ出すために、前記したように感染者が持つ病理的特徴(症状)を細かく観察、診断する作業(診察)が必要となる。今回のCOVID-19でも、これまでの臨床データから、色々な症状が取り上げられている。そして、COVID-19の症状は、さらに多くの臨床事例から、付け加えられてきた。
問題はそれらの症状群の中の一つが充たされるなら、すべて検査の対象となると言うことになる。それが隈なく感染者を見つけ出す方法であり最善の手段となる。PCR検査による感染確認者のあぶり出しは、感染確認者から非感染者を隔離するためのもっとも有効な手段である。
しかし、今回のCOVID-19感染症が、その隔離を困難にしているのは、無症状の感染者が存在することであった。つまり、病理的特徴(症状)を確認できない感染者が存在していることがCOVID-19感染の拡大を広めている。言い換えると、COVID-19は、極めて対処しにくい病原体(敵)である。病理的特徴をもって感染可能者を判明し、検査し、感染確認を行うことが不可能となる。つまり、感染症対策としての隔離が困難になるのである。
そのため、もし、COVID-19と戦うためには、感染者が持つ病理的特徴(症状群)をさらに詳細かつ繊細に見つけ出し、それらの一つがある場合にはすべてPCR検査を行い、感染の確認を急ぐべきなのである。


  5-5、最もコスト高の感染症対策、 都市封鎖

さらに不思議なことは、日本ではPCR検査によつ感染確認者のあぶり出しを行う前に、何と小池東京都知事から、都市封鎖「ロックダウン」が持ち出された。ロックアウトは、感染者を非感染者から隔離するための最終手段とも言うべき方法である。
まず、感染者がどこに、何人いるのか不明であり、そうした状況の中で、感染爆発が生じている情況、例えば2月の中国武漢市の状況や3月の韓国テグ市のような場合に、緊急事態として取り挙げられる感染症緊急対策である。
平たく考えて、ある集団があるとする。その集団の中での感染者と非感染者の分離が極めて困難な状態があり、しかも、非感染者が急激に感染している状態の時、感染者と非感染者の物理的接触の可能性をすべて絶つというのがロックダウンのやり方であり、いわゆる家からの外出の禁止となる。
ロックダウンはすべての社会経済活動の中止を意味するため、それによる経済的打撃は非常に大きくなる。そのため、政治は出来る限りロックダウンを行わないように、まず、事前に出来る限りの対策を取るのである。それが徹底したPCR検査である。家、地域社会、町全体の閉鎖という方法でなく、病理的症状の違いによる隔離を行うこと、つまり感染確認者を症状に応じて、韓国が行ったように、生活治療センター、病院、高度医療病院に振り分けて隔離・入院させ、治療を行い、陰性になった患者(非感染化を確認した者)から退院させて行く方法が、最も経済的な方法であると言える。
最も高くつく方法は、すべての人、非感染者も感染確認者もすべて、感染者として扱い、それらの人々を物理的に隔離し、その中で、重症者を、集中治療室に入院させるという方法である。まず、すべての人々の社会・経済活動が奪われる。そのために支払われる犠牲が、想像を超えて大きいこと。さらに、軽症者の感染者が重症化するまで放置される可能性が高いことである。そして、それことは結果的に莫大な医療費負担が伴うことを意味する。
2021年になるまでもなく、韓国や台湾と日本の今後の経済状況への影響が、この事実を証明するだろう。PCR検査を行わない日本のCOVID-19感染症対策による経済的負担、社会的損失が明らかになるのは時間の問題であり、その犠牲を払うのは、私たち国民であることを忘れてはならない。

6,問われている課題


  6-1、感染源・感染者(差別の構造)

感染症とは病原体・ウイルス自体は感染要因であると同時に、ウイルスを運ぶ人も感染要因となる。それは、この感染症が「人と人との関係」を感染源となることを意味する。つまり、「人と人との関係」の構造が感染要因の在り方を決定する。感染症は保菌者によって広がる。保菌者、つまり感染症患者は非感染者にとって「感染を広げる人・感染源」である。社会にとっても感染拡大を広げる恐怖の対象として保菌者は位置付けられている。
防疫学では、感染症への対応は、感染要因を排除することから始まる。感染対策として、感染者を見つけ出し、それを隔離し、感染を広げないことが対策の基本となる。
この防疫対策が感染者の人権侵害を行うことを前提にして成立している。その論理は、社会(公共)が個人に優先し、社会の安全が個人の生命保護の絶対的条件となるという命題で成立している。その延長上に、感染者を無条件に隔離する考え方が成立している。何故なら、一分の感染症患者は大多数の非感染者にとって「感染を広げる人・感染源」であり、社会にとっても感染拡大を広げる排除すべき対象と位置付けられているからである。
COVID-19は日本社会にある人権意識や差別の構造を顕在化させた。2020年4月、COVID-19が流行し始めたこと、感染者への差別感染情報による恐怖は人々を感染者への攻撃に差し向けた。それによって、感染症と闘う医療従事者やその家族への誹謗や排除が公然と公共機関(保育所等)で行われた。そのことは、COVID-19感染症災害は、社会が構造的に所有している「人と人との関係」性を顕在化させ、人権侵害、差別や多様性の排除等、民主主義社会としての課題を浮き彫りにした。 
感染症が起こす差別の構造は、患者を感染源と考え、健全者に取っては感染を広げる立場になる。つまり、そこには加害者(感染者)と被害者(健全者)との構造が生み出され、感染拡大を防ぐために感染者を隔離・排除することが必要となる。感染拡大防止を絶対的な課題にすることで、感染者への人権侵害や差別が行われる。本来、感染症の被害者である感染患者が感染していない人々から攻撃・排除されることになる。
感染者への人権侵害を無くするための解決のために以下に示す対策が取られた。

1、感染症に関する正しい理解するための教育、啓蒙(報道)活動
2、感染情報の公開(不安への対応)
3、感染病をめぐる人権教育(ライ病の事例)
4、防疫制度の歴史、その課題に関する学習



  6-2、脱近代国家主義防疫体制

感染症によって引き起こされる差別や人権侵害の構造は、国家や社会の感染症対策の基本的な考え方によって生じたものである。近代国家の形成にとって国民は「富国強兵」の貴重な資源であった。国民の健康を守るのは、産業活動のために必要な健康な国民、その国民人口増殖に欠かせない健康な母体の確保であった。労働資源の確保のための社会保障(労働力・経済安全保障)、防疫(健康安全保障)も国家の安全保障の一つとして位置づけられていた。この近代国家の防疫制度の構造こそ、感染症患者への人権侵害や差別を生み出すものであることを理解すべきである。

経済効率のよい国家主導型対策
防疫(感染症対策)は感染要因をより効率よく排除することである。上記したように、近代国家は国の安全保障の重要な課題として、防疫制度を確立してきた。この制度は、国家権力(軍隊や警察など実力部隊)を背景にして成立していた。つまり、歴史的に感染症災害への対応は、軍や警察力を背景にしながら、国民の移動制限や隔離等を実現し、感染症の流行を防いできた。今回のCOVID-19パンデミックでも、殆どの国が国家主導型防疫対策を取った。最も、強烈な国家主導型対策を取った国が中国である。そして、その政策効果は世界一の感染拡大阻止を実現したと言っても過言ではない。つまり、現在でも、国家主導型感染対策が最も効率のよい対策であるという評価が成立している。

国家主導型対策に対し巻き起こる反発
他方で、欧米、特に米国では国の感染症対策(マスク着用やワクチン接種)に対して、従わない国民が多くいた。また、国もそれらの人々を軍隊や警察力を使って強制する場面(マスク着用違反者の取締)もあったが、ワクチン接種に関しては現在でも世論を分けた議論が起こっている。国の感染症対策に反発する人々は、国が個人の自由に踏み込み、本来個人の責任で行われるべき感染予防の行動に国のやり方を強制することへの反発であった。国民の命を守る感染症対策であると言われようとも、民主主義国家の基本原則である個人の自由を蹂躙することが許されるのかという批判が起こった。旧来の国家主導型感染対策の考え方では、起こりようもない国民の反発が、特に、先進資本主義、つまり民主主義の成熟している国々で起こった。

合理的感染症対策に反発する側の論理とは
国が強制するマスク着用やワクチン接種に対して反発する人々は、感染症に関する科学的知識が不足していると言う評価もある一方で、これらの反発は、これまで国家主導型の感染症災害対策、防疫政策が、資本主義経済、自由民主主義社会、人権重視文化では有効に働かないという現実を示したと言える。そして、同時に、人権重視型自由民主主義社会で有効に働く感染症災害対策、拡大すると災害対策、安全保障の在り方が問われていると言える。

強力な国家主導型へ回帰する日本
日本でも、一方で強制力をもった感染症対策を望む国民の要請もあったが、それらの政策は憲法違反になるという議論が国会で行われ、結果的に、強制力を持たない(罰則規定にない)感染症対策が行われている。その反面、この「生ぬるい感染症対策」への批判もあり、国家を守るために国民の人権(自由やプライバシー)を抑制する法律の必要性を主張する意見も出されている。それらの主張は、過剰な人権主義や自由主義を醸成してきた「日本憲法」を改正し、より国家が安全保障のための権限を強化する意見も出されている。このことは、感染症対策の根幹に流れる基本思想とは、国民全体の利益を最優先するために個人(患者)の人権の一部を奪うことは不可避な行為であるという国家主導型防疫対策の考え方であると言えるだろう。新型コロナ対策をめぐって、今、わが国では、国家の在り方が問われ、国家主導型社会への回帰か、それとも新しい民主主義社会への挑戦かが問題になっている。

世界の事例研究の必要性 多様な現実的対策 
国家主導型防疫体制へのアンチテーゼを示した社会は、皮肉なことに「一つの中国」論でWHOのオブザーバー参加する認められなかった台湾である。民間指導型感染者接触ソスト開発、プライバシー情報保護、情報公開、市民への徹底した説明(ガラス張りの感染症対策)が行われ、経済活動と感染症対策の背反関係を最小限に食い止める努力がなされているとも言える。こうした努力は、民主主義国家である台湾を専制国家(一党独裁国家)中国の一部に組み込まれたくないという危機感が国民の中にあるからだ。とは言え、中国は国家指導型防疫体制によって感染症拡大を抑え込んだ事例であり、唯一の成功事例であると言える。それに対して、台湾や韓国などが、唯一、民主主義国家ではCOVID-19パンデミック対策にある程度成功していると解釈できるのだが、それらの状況は、新しい変異種が次からつぎに生まれるウイルスによる感染症災害では、最終的な成功事例として評価するには至らないだろう。その意味で、今後、色々な国が試みた、感染症災害対策の事例研究を進めることは、民主主義の理念に反することのない合理的な感染症対策を検討する上で、大切であると思われる。


  6-3、市民主体の感染症対策の可能性を醸成するための課題

伝統的な社会参加活動を活かし、参画型社会を摸索する
市民参画型災害対策を醸成するためには、市民が自覚的に市民社会の運営や管理を行うために必要な活動や社会インフラを市民参加の形態で形成する社会文化が必要となる。また、伝統的な共同体社会文化の伝統を引き継ぎながら、その中で、市民が協働し形成し続けて来た事業(村の祭りや寄り合い等)の伝統を継承し、また、その中に存在する合意形成のシステムをより村民・市民参画型に改良し、日本型民主主義(相互扶助と協力を前提とした市民参画型社会)を目指すことも可能である。

市民の自主的な活動が前提
言い換えると、問われている人権や自由の課題は、西洋民主主義文化の延長線上にあるという考え方ではない。各地域社会や集団がもつ共生のための相互扶助と協働関係を維持し、その上で、人々の多様性を認め合う社会が基本的に問われている。つまり、全ての人々の社会参加を育成しながら、人びとが社会や国家を自分の責任で運営することを自覚する文化の形成の上に、新しい災害対策や安全保障が成立の可能性がある。災害対策は民主主義文化、豊かな市民活動の上に形成される危機(災害)に対する共存の考え方、技術や制度である。

必要とされる豊かで多様な人的資源
市民主体の感染症対策(災害対策)は、社会への参加責任を果たし、また社会の制度やそれを動かすソフト(法律や科学技術)に関して理解する能力を持つ市民の存在によって可能になる。COVID-19パンデミックの場合でも、分子遺伝子学、ウイルス学、感染症学、公衆衛生学、感染症医療学、PCR検査の理解に必要な生物学的知識等々、生物・医学系分野の専門的知識を市民は必要とし、また、それらの知識を啓蒙するための報道機関での専門家の解説や番組、科学の大衆化機能が必要となる。そればかりではない、感染症対策を行っている保健行政の仕組み、またそれを機能させている法律に関する知識も必要となる。COVID-19パンデミックでは市民は総合的な知識の理解を求められていた。その意味で、より市民が積極的に感染症対策に参加するためには、市民の能力を向上させるための仕組みが求められるし、また、市民も努力し、その能力を獲得する必要がある。


  6-4、問われる市民社会と研究者たち

1,感染症災害対策に必要な課題
強烈な指導力(司令塔)
科学的、経済的合理性を持つ災害対策
災害情報の一元管理と情報公開と民主的活用
国民・市民総参加の災害救援活動の形成(市民の積極的協力)


2、市民参画型災害対策に必要な課題
災害情報の公開 (災害対策進捗状態や被害状況を市民が共有する) 災害学の大衆化 (災害要因の科学的理解とその科学的対策を共有する) 日常的な市民の災害防止(安全管理)、災害対策(危機管理)活動を醸成する 民主主義社会での災害対策に関する教育や啓蒙活動を行う

3、感染症対策の研究活動に必要な課題
総合的災害政策学としてのパンデミック対策を課題にした学際的研究を目指す努力が問われる。
綜合的災害政策学の形成は科学性の問題である以前に、科学主体の問題である。つまり、何のための研究であり、何を目指す学問かを明らかにすることが研究者一人ひとりに求められている。
綜合的災害政策学の形成は、市民、自治体、行政機関を巻き込んだ研究活動が必要となる。それを担うのは研究者の主体的な組織、つまり学会や研究会である。その組織が上記した志向性を持つことが問われる。



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関連ブログ文書集

「パンデミック対策にむけて」
https://mitsuishi.blogspot.com/2020/05/blog-post.html

「東日本大震災から復旧・復興、災害に強い社会建設を目指して」
https://https://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

「原発事故が日本社会に問いかけている課題」
https://https://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html


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