2013年11月25日月曜日

官僚指導型国家から市民参画型国家への変革は可能か

フェッスブックに記載した文書

三石博行

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  保守の基本構造 官僚による国家運営とその支配構造



自民党政権になって国民の中にある「保守性」が顕在化しようとしている。この保守性は、官僚支配の構造を打破しようとして勢力、小沢さん、民主党の一部の力量不足への国民的評価によって支えられているように観える。現在の日本、近代国家として成立した経過から考えても、その基本構造(保守性の骨格)を維持しているのが官僚制度である。この構造を合理的に変革することがこれからの日本の政治課題となる。国家公務員法の改革はその一つである。官僚が官僚の人事権を掌握している現在の制度を変える力量は自民党にしろ民主党にしろない。この体制を変革するのは、丁度、江戸時代の幕藩体制の崩壊、幕末に相当する大改革だと思う。多分、その時、中国や韓国を入れた東アジアの台頭という黒舟が来るだろう。もうちらほら来ているのだが。


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エネルギー資源の持続可能な社会の経済社会構造が必要とする社会思想



問われている多くの課題、例えば、エネルギー問題、人口問題、労働問題、教育問題、地方社会の過疎化、農業食糧問題、少子化問題等々。これらの全ての問題は「民主主義社会文化の発展」という社会思想の貧困から生じている。社会運営で最も大切なものは人的資源である。社会文化や生活運営のスキルを高めることで経済や社会は発展する。人的資源育成や保存を疎かにする社会は必ずは疲弊していくだろう。


その一歩が市民参画型の社会である。代理主義から抜け出すには市民が社会運営に責任を持つ必要が生まれる。その意味で次の社会運営には市民一人ひとりの力量が問われる。企業から地域社会の運営まで市民参画型の運営方法を見つけ出して行かなければならない。その小さな一歩を創り出すことが問われている。まず、小さくてもいい社会参画型の市民活動の交流を始めよではないか。



例えば、公共放送から市民放送、巨大発電所から地域小規模発電所、巨大流通システムから地産地消型流通、教育活動への市民参加、点数採点主義から記述論文評価方式、長時間労働からワークシェアリング、地域全体の子育て支援と高齢者支援、教育機関の合理化と効率化、多種多様なベンチャー育成、NPOや市民活動の支援と地域活性化、地域医療体制と脱病院資本主義化等々。巨大化し分業化した社会での政治的課題は無限に近い。それだけにその分野の専門家(市民)がいる。その力を活用することが、この社会をより効率化・経済化する道であ。



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官僚主義の弱点  俯瞰性と地域性の統合



官僚主義を超える力、それは現場主義であり、また俯瞰的視点である。現場主義は現実の生活、生産、社会運営の場で働く人々が持っている。俯瞰的視点は大学や研究機関で働く研究者と生活人がもっている。それらの力、つまり、高度な教育と社会文化をもつ日本の国民の力を集めれば、その力(人的資源)を活用すれば、現在の問題の解決は可能だろう。しかし、問題はそのために必要なインフラである。そのインフラは人脈やコネで動く官僚機能と全く反対の、オープンな情報公開を前提にして動く、このインターネットではないだろうか。そのことはすでにエジプトでもソーシャルメディアの力によって証明されている。我々の必要なインフラは建物でもかければ組織でもない。誰もが手にしている携帯端末かもしれない。


官僚主義を超える。それは官僚を敵に回すことではない。彼らは最も有能な専門家であることは揺らぎない事実である。彼らに問いかけること。誰のための行政であり、誰のための公務なのかと。そして彼らと共にこの国を少しでもよくしていく方法を提案できること。多くの官僚の人々がそれに共感すると思う。今、彼らの中にこれまでと同じ原発行政を進めることに同意している人は少なくなっていると思う。国の全ての力を集めてこそ、この国は変われる。事実、明治維新を指導したのは何も薩長土肥の志士だけではない。有能な幕臣達もその功労者であったことを忘れてはならない。


150年前以上前、日本には小さな国があった。そして戊申戦争や西南戦争もあった。100年前から70年弱前まで、日清、日露、日韓併合(朝鮮植民地化)、日中戦争と東アジアでは国々が争った。これからの日本を考えるとき、東アジアの国々と共同して国づくりを行うことが前提になる。それは何もアメリカと縁を切ることではない。ロシアと仲良くすることがアメリカと距離を置くことだという外交官はもう一人も外務省にはいないだろう。同じように中国と仲良くすればアメリカと距離を置くことになると考える経済人も一人もいないだろう。


世界の中で日本を見つめることが日本の中で地域社会の発展を考えることと矛盾することはない。地域社会の発展こそが国際地域社会での生き残りの政策である。それは東京駅でよく売られる地方色豊かな駅弁を見れば分かることだと思うのだが。




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