三石博行
第三次開国、アジアの中の日本
2010年11月30日(日曜日)だったと記憶しているが、NHKの人気番組「爆笑学問」で、中国人の日本人観、日本人の中国人観を巡って議論がなされていた。
面白かったのは、まず、中国人の参加者は、中国人は国際スタンダードに近いと自ら自負していたこと、それに対して、日本人の参加者は、日本人は特殊な民族文化を持っているが、しかもその特殊性を自覚していないと考えていたことであった。
私は長年、海外、ヨーロッパで生活をしてきたので、むしろ、中国人のやり方が理解できる。例えば、自分を確りと主張した上で、他者との関係を作る。買い物の例が出されていた。買い手が「これは高い」と言って決裂した後に、売り手は追いかけてくる。そして再び交渉が始まる。日本であったら、そこで交渉決裂であるが、中国では、そこからが交渉の始まりである。
他人と意見の違いを明確にしない、事前に他人の意見を調べ、反対意見の人に対する対策を考え、交渉に臨む。これが基本的には日本で多くの人々が行っているやり方である。その話し合いで、交渉が決裂すれば、そこで終わりとなる。
これから日本人は、自信をもった東アジアの友人たちと付き合わなければならない。今までと話が違う。150年前に一早く、アジアで近代化政策を興し、列強の仲間入りした日本、日本人を自負している時代は終わり、日本の近代化や高度成長の何倍かのスピードで国が発展している近隣の国、シンガポール、台湾や東アジアの国、韓国や中国の人々を相手にした新しい付き合いが始まろうとしている。
中国の態度が典型的であるが、偉そうで何となく優越感をもった日本人に対して、アジアの国々の人々は、今までのように接してくれないのは明らかである。
問題は、我々、日本人がこの発展するアジアの状況に適応しなければならないだけなのだ。
言い換えると、明治の初めのように、欧米社会に自らを開いた文明開化と同じように、また、戦後民主主義社会を作った第二の開国期と同じように、今、日本では東アジア、アジアの国々に学び、国を開く第三次の開国が要請されている。
ここで再び、日本人論が問題になる。何故なら、我々日本人は、当然ながら、どの国の人々と同じように、日本的なものを大切にしたいという気持ちがある。発展するアジアの中で、生き延びるために、アジアの国際化の波に乗り遅れないために、我々の文化を知り、我々の社会と文化の国際化の方向や方法を検討しなければならないだろう。
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