三石博行
自己制御プログラムの形成の必要性
誰でも、ある不当な扱いを受けたとき、その不当さに憤りする。人から受けた不当な扱いや暴力に対して異議を申し立て、また反撃に出るのは至って当然の行為である。その限り、人々の相互の行為は「やってはやられる」ことを繰り返し、その繰り返しを続けながら、あるときは仲良くなり、あるときは決定的な敵対関係に発展する。それが人々のコミュニケーションのあり方であり、人の生き方であり、人が人に対する考え方であり、それが人々の人生の姿となっていることは疑えない。
どんなシステムでも、そのシステムの運用を間違い、結果的に誤りを犯すことが必然的に生じる。間違いはシステムの必然的現象であるともいえる。システムと呼ばれるプログラムの運用機能が、そのプログラムの運用を必然的に間違うのである。つまり、間違いを犯すことまで、システムプログラムの組み込まれているかのようである。例えば、遺伝子のコピーの誤りから、モラル的誤り、社会秩序の混乱など、誤りはシステムの運動の中で必然的に生じる現象であると言える。システム上の問題は、それらの誤作動によって生じたバグやごみを処理する機能があるということで、誤りの結果、誤りの過程に学ぶ機能があるということだ。そして、その誤りの結果を修正する機能がなければ、システムは崩壊するので、その優秀な機能があることが最大の問題になる。
例えば、一国主義の国際外交政策でさんざん失敗を重ねてブッシュ政権の誤りを、オバマ政権が修正することが出来るのも、民主主義国家としてのアメリカの政治的機能である。アメリカの政治というシステムが過去の外交政策の誤りを修正できる機能を持つということが、アメリカへの信頼となるだろう。そして、日米同盟を考える上でも、そうした相互の国際政策の誤りや正しさを評価し修正しあえる関係こそが、政治的システムの中で求められている。日本の民主党の言う「日米間の対等な関係」とは、日米同盟が健全な姿、つまり国際平和と共生の政治的立場に共に立ちながら、お互いの政策に関して相互に点検する機能を持つことと、同時に共同で平和と共存の国際世界を構築することである。それらの考えは一国家の政治的利益を前提にしている以上、アメリカのブッシュ政権も日本の鳩山政権も同じ政策を打ち出すことはない。当然のこととして、お互いの国家的利益を前提にした政策が提案されるだろう。しかし、その違いや生じる利害、もしくは批判や受け入れ不可能な相互の立場を前提として、理念として共有した「国際社会の平和と共存」の立場に立ち戻りながら会話を続け、また共通した政策を共に実行すること以外にない。
個人的な人間関係にしろ、人々はそれぞれ意見や感性の異なるもので、相互に批判や意見の違い、感情の違いを持つものである。そのため、他者への批判や異議は当然生じるものである。大切なことは、他者へ率直な意見を言わないことでなく、言ったとしても、そして過去に批判しあった関係や敵対した関係が合ったとしても、それを修復する精神的や生活文化的機能があるということだ。
しかし、こうしたことは、簡単なようで、非常に難しいことだ。何故なら、人は他者に対して優位に立っている場合のみ、他者の批判をおおらかに受け入れることが出来るもので、もし、批判した人にたいして少なくとも何らかの劣勢な感覚を持つ場合には、その批判にたいしておおらかに、「彼の言っていることも一理あるかもしれない」などといえないものである。
批判されたことが心底こたえる場合は、それがあまりにも的を得ている場合が多いのである。その意味で、批判され批判する関係のあり方は、批判する側よりも、批判される側に、考えなければならない問題が多く存在しているように思える。
批判を不当な非難や不当な扱いとして感じる自分(批判されている側の主観的現実としての論理)を分析するために、もう一歩進んで、その不当さと判断した自分を自己分析し、不当な批判や扱いと思う自分と向き合うことの大切さ、必要性が理解できている(そうした自己制御プログラムを持っている)ことである。
しかし、理屈では分かっていることが、実際には、なかなか困難な作業である。そこで、その困難な作業をもっと分かりやすく、簡単な方法になければならない。
1、例えば、不当な行為を受けたと思う自分に対して、その理由の一端が自分の側にあるのではないかと仮説を立てってみる。なかなかそう思えないので「仮説」と立って、その理由をあれこれと探してみる。
2、過去に、自分も同じくらい彼らに不当と思われる行為をしたのではないか。そう仮説を立ってみる。
3、不当な行為の問題は、受けている場合には自覚でくるが、行っている場合には自覚し難いものであると仮説を立てる。自覚しないまま不当な行為を行っていたと仮説を立ててみる。
以上の、他者からの非難や不当な仕打ちに対する自覚のための制御プログラムが出来上がった。しかし、この制御プログラムも自然に機能することはない。それを機能させるための強い意志が必要であることは言うまでもない。
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