2011年12月3日土曜日

新しい社会政策の模索の時代、問われている21世紀社会の姿と理念

成熟した社会・民主主義社会を発展させるたに(1)

三石博行


2011年3月11日、東日本大震災と東電福島第一原子力発電所事故(以後、福島原発事故と呼ぶ)が発生したその日から、日本の社会は大きな課題に直面した。大震災や大原発事故への対応に現れた政治、行政、経済、社会や文化のシステム上の問題としてその大きな課題は現象化した。しかし、それらの現象はすでにこれまで1990年代の日本経済を襲った経済問題(バブル経済の破綻)やその後の社会経済力の低迷、そして相次ぐ冤罪問題等々これまでの新聞紙面に大々的に報道された社会現象(事件)のかたちを取って現れ続けていた。

敏感な人々はこの問題の本質を見抜いていた。それは一言で言うなら、これらの問題は、日本が成熟した社会・民主主義文化を持つ社会への発展の過程で問われていた社会的構造・機能に関わる課題から生じていると言えた。この国のかたちと呼ばれた社会の基本的構造・機能に関して、これらの問題が示唆していることは、これまでの政治、社会経済文化等の政策が限界に来ているということであった。その解決策には多くの見解が存在している。

それらの見解はすべて国民は政党政治の埒内で検討吟味し続けてきた。例えば、反自民党政権で成立した1993年の細川連立政権(細川内閣の取り組んだ政治改革・公職選挙法改正や政党資金規正法と生徒助成法等)、自民党を打っ潰す(ぶっつぶす)と呼び掛けて圧倒的に選挙選で勝ち抜いて成立した2002年小泉政権(小泉内閣の市場原理主義の導入と小さな政府化・行政改革や規制緩和)、そして今年の橋下徹氏の大阪でのダブル選挙(知事選と市長選)もその流れの一端であると理解できる。

これまでの問題解決策として出された見解は、経済成長論、市場原理による競争原理の導入等々、今までの社会経済政策を成功に導いた実績の評価を前提にして提案されたものであった。それらの考え方で改革はある程度進んできたとも言える。しかし、それらの考え方の中で全く有効性を発揮できなかった政策(例えば公共投資による経済成長政策)がある。すでに、その問題点は指摘されているのであるが、政党の壁を越えて今、これまで1990年代から政府が行った政策を点検しなければならない。

具体的な政策課題の点検の前に、明確にしなければならないのはこの国の基本的なかたちに関する社会像であり、社会理念や社会思想である。そのことが明確でない以上、具体的な施策の提案を羅列したとしても、それらの提言の賞味期限は極めて短い。21世紀の日本社会の構想を出し、そのために問われる社会思想や社会理念について議論しなければならない。


引用、参考資料

1、国民の社会改革への参画こそ民主主義文化展開の唯一の方法である  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post.html

2、現在問われている社会改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_01.html


つづき

国民の社会改革への参画こそ民主主義文化展開の唯一の方法である 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post.html


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ブログ文書集「民主主義文化としての報道機能について」

「民主主義文化としての報道機能について」の目次

三石博行


0、はじめに(何故、報道機能の改革が課題となるのか)

0-1、HKK・公共放送は誰のために「原発事故報道の検証」作業を行ったのか

0-2、ポスト311時代のメディアとしての市民メデァイの社会的機能


1.スコミの現実

1-1、マスコミの本音と報道の自由
http://mitsuishi.blogspot.jp/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html


2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するための改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html

2-2、公共報道機能の独立権の成立条件とは
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_5219.html

2-3、国民負担による公共放送の意味を理解するために 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_6015.html

2-4、国民参画の公共放送を目指す課題
未完成


3、コミュニティメディアと市民参加の報道機能の確立

3-1、高度情報化社会での報道機能の革命
未完成

3-2、コミュニティメディアの役割
未完成

3-3、コミュニティメディアを支える土台、知識社会と民主主義文化
未完成


4、報道の自由とモラル

4-1、国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル
http://mitsuishi.blogspot.jp/2012/03/blog-post_4500.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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2011年12月2日金曜日

国民負担による公共放送の意味を理解するために

民主主義と報道機能(6)

三石博行


国民主権による公共放送の社会情報機能を確立するためには、多くの課題を検討しなければならない。その一つが財政問題である。つまり、国民による国民のための報道機能であるなら、国民がその経営責任を持たなければならない。しかし、現実はどうなのだろうか。

NHKは国民からの放送料金を半強制的に受取り、その受信料金で運営されている。しかし、受信料金を回収できない状態である。その主な理由の一つとして、国民にとってNHKが自分たちの(国民の)ためにあり、国民によって運営されている報道機能(公共放送)であるという意識が希薄であることが挙げられる。また、NHKは国家からの補助金(交付金)を受けている。この交付金によって、公共放送が国、取り分け官僚からの縛りを受ける可能性を否定出来ないだろう。

日本国憲法が施行され、国民主権・民主主義制度が始まったとしても、NHKの官僚的体質はその歴史に付着している脱却困難なしみのようなものである。NHK,日本放送局が国家の報道機能として発足したのである限り、その歴史的な履歴をそう簡単に消し去ることはできないだろう。しかし、その官僚的な考え方を率直に述べることは出来なくなっている。それだけに受信料を支払う国民からの厳しい監視の視線が存在していることを自覚しているのである。

しかし、そのしみついた官僚的風土はそう簡単にはなくならないだろう。そして、その官僚的体質は、NHKが国民から当然のように受信料金を回収できること、国民は義務として受信料を支払うべきと考えるところに露出しているのである。つまり、この国民の義務としての受信料観は、受信料徴収と受信料によってNHKの運営が成立していることとが分離していることを意味していることに気づかないのである。そこには、過去の遺産、官僚的体質からにじみ出る論理、つまり国家(お上)対する国民の義務として受信料の支払いが疑問の入る余地のない強制的な事項となって成立しているのである。

受信料を受信者から回収して成立している民間放送局がある。それらの放送局にとって受信者はお客様である。そこで受信者のニーズを知らなければ、その放送局は成立しない。当然、顧客の需要を理解しない民間企業が経営難になるように、受信者のニーズを理解しない民間放送局は経営に苦しい状態になるだろう。しかし、NHKは国民から受信料を取りながら、国民のニーズを大切にする姿勢を持っているだろうかという厳しい意見が出されるだろう。

何故なら、民間では顧客はその放送を見るか見ないかの選択権がある。その意味で民間には市場原理が働く、しかし、NHKは強制的に受信料を取るために、言換えるとNHKにとって国民は顧客ではなく受信料を義務として支払う人々であるた、めに、NHKの番組を見たくない人々、まったく見ない人々も、受信料を払わなければならないことになる。その分、NHKへの意見も厳しくなるのである。離れるからだ。しかし、NHKは受信料を払っている

受信者のニーズに答えず受信料金を一方的に請求する公共放送への批判が、公共報道機能を民営化し他の報道機能と競合関係を作り、市場原理に基づく報道産業化によって民意を反映させようという意見が2005年に生まれた。この民営化の意見は当時の小泉内閣によって打ち出された「聖域なき構造改革」とNHKの不祥事の発覚による受信料不払い運動が背景にあった。国民から支持されない公共放送のあり方が続けば、公共放送を廃止する極端な意見へと発展する可能性を持っている。

社会的報道機能は公共放送に独占されている訳ではないが、国民が公共放送受信料の意味、つまり公共放送存在意義を理解しない限り、公共放送を民営化する動きは、行政改革や公共施設への競争原理の導入という資本主義社会の正論を盾に登場することは避けられないのある。

公共放送の運営のために国民から受信料を取るという作業の意味することを考えることによって、公共放送の存在意義が再検討される機会を得るのである。富国強兵制度を推し進めた日本の近代化政策の重要な一つの国民政策としての公共放送機能の形成、その結果としての統一国家としての近代日本の成立に大きな役割を果たした公共放送、日本放送局の歴史、そしてそれを牽引してきた国家官僚制度の一翼を担ったNHKの基盤体が、国民主権の理念によって変換される唯一の糸口がその受信料問題に端を発する国民的反発の感性の深層に存在しているからである。

参考資料

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html

2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するために必要な改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html

2-2、公共報道機能の独立権の成立条件とは 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_5219.html

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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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公共報道機能の独立権の成立条件とは

民主主義と報道機能(5)


三石博行


言い換えると、逆説に聞こえるかもしれないが、日本放送協会が太平洋戦争で行った戦争協力行為を、むしろNHKで大いに取り上げ、NHKの在り方を国民に理解してもらう必要がある。その国民的な公共放送の理解を前提にして公共放送を擁護し、その必要性を求める国民的な支持が生まれるのだと思う。

しかし、この課題は民主主義社会を形成するために非常に重要な課題であることを理解しておく必要がある。報道の自由とは、何にたいして自由なのかと問いかけなければならない。明らかに真実を報道することが擁護される意味において、その権利を保障するために報道の自由が主張されているのである。

公共放送が国民主権の立場にたち公平、自由な報道を行うためには、公共報道に対して国家権力の監視や介入があってはならないということは理想論である。公共放送は国家の利益を守るための社会的機能(情報機能)である。しかし、その国家の理念が民主主義であり人権擁護であるなら、公共放送は大きくそれらの理念を擁護する立場での報道を確保することができるだろう。

そして、同時に、逆説的に、公共放送の政治的機能を理解しその影響力を歴史的事実から知ることによって、民主主義制度の原則として三権分離(司法、行政と立法機能の独立を保障すること)が社会常識であるように、報道権の独立を保障することが、さらに民主主義を豊かにすることだと国民は理解するだろう。国民の知る権利を保障するための公共放送が報道の独立機能を確立することで、国民による国民のための報道機能運営が保障されなけるだろうと考える。


参考資料

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html


2、公共報道機関の必要性とその独自性を擁護するために必要な改革

2-1、国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命 
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_527.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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国益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命

民主主義と報道機能(4)

三石博行

ジャーナリズムの社会機能について分析する社会学的な立場から言えば、報道の社会的機能が問題となっており、それらの報道に社会的公正さが存在するのかということは問題にされないだろう。民間報道機関であればその経営体の意思が反映され、公共報道機関であればその所有者である国家の意思が反映されるだろう。

報道機能の運営母体の利益と報道機能が発信する(生産する)情報とは直接的な関係がないにしろ、究極的にはそれらの相関関係を打ち消すことは不可能であると結論付けられるだろう。その視点にたって、公共放送の在り方を考えることで、より正しい公共放送の改革が提案できるのではないだろうか。

公共放送が国家の利益を代表する社会的機能であることの理解が必要である。その意味で、戦中の公共放送(日本放送協会)が行った戦争協力は、公共放送の宿命であると言える。その政治体制がファシズムであろうと民主主義であろうろ、公共放送が国家の利益に反する報道をすることは考えられない。その宿命を理解するなら、国民主権国家での公共放送が国民主権(国家の理念)を前提にして運営されることも理解できるだろう。

つまり、戦中の日本、それ以外の米国にしても戦争協力者としての役割を果たした公共放送に、その戦争責任を問い掛けることは、責任の本当の所在を誤らせる結果となる。つまり、戦争犯罪行為を指令した上官の責任を問うことなく、命令に従った兵士を戦犯として裁くことに等しい行為であると理解すべきである。

最近の例ではアラブの春と呼ばれた北アフリカの市民革命運動の中で、市民は国家権力のプロパガンダの役を果たしてきた国営放送を批判した。比較的民主化されているエジプトでも、公営放送は国民に事実を何も伝えてこなかった。長い、支配の中で、国民は公共放送に絶望し何も期待していなかった。その公共放送に取って替わったのが社会メディアであった。市民から送られる情報が大きな市民の運動を作った。もし、北アフリカの国々でも民主的政権が確立し、国民主権の憲法、国家の理念が形成されるなら、これらの国々での公共放送は変わるだろう。

過去の公共放送が果たした役割を歴史的に伝えることは、そして国家の利益を擁護する情報機能としての公共報道の宿命を国民に理解されることは、今後、日本の公共放送が健全な形で存続するために必要な作業であると言える。

参考資料

ブログ文書集「民主主義と報道機能のありかたへの提言」

1、民間報道機関の公共性と報道の自由の確立に必要な改革

1-1、「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html

1-3、「民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_02.html

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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html

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民間報道の報道の自由とその国民的監視機能の必要性

民主主義と報道機能(3)


三石博行


報道の自由とその報道への市民監視機構の必要性

マスコミ産業の私企業としての宿命を前提にするなら、マスコミに報道の社会的公正さを要求することの限界を理解しておかなければならない。すると、社会的公正をマスコミに要求することが間違いなのかという疑問が生じる。

もしそうなら、報道会社の商品(社会情報)が公共空間を活用することに関する国民的な監視機能があっていいのではないだろうかと考えた。つまり、あまりにもひどい情報、たとえば人権侵害情報、デマや風評被害情報を出す報道会社に対して、監視機関はクレームを掛けることが出来る。この監視機能はオンブスマンと同様に情報会社の公共性を点検する社会的機能である。そのため、その機能を維持する機構の検討が必要となる。オンブスマンのように、公的機能を持つことによって、この機能がより有効に働くと思われる。しかし、報道の自由は保障されるべきであり、その機能が報道の自由を圧迫するようになってはならない。

勿論、クレームを受けた報道会社は、そのクレームへの即時的な対応が法的に強制されていないなら、報道した会社の立場(報道の自由の)を守ることが出来る。このように法的な縛りがないのであれば、そのクレームにたいして、報道会社が同意するとは限らない場合が生じる。それも一応認めるべきである。報道の自由の視点から、報道会社の立場は尊重されるべきだと思える。

しかし、同時にクレーム情報も尊重されるべきである。そこで、市民の社会情報への監視機関が発するクレーム情報の公開を法的に擁護しておく必要がある。つまり、クレームを受けた報道会社はそのクレーム情報を公開する義務を課すべきである。また同時にその会社の主張も付け加えることで、報道会社の公共空間を使った社会情報の暴走を監視することが出来る。民間報道機能の報道の自由とその報道への市民監視機構の必要性を満たす社会情報システムの制度改革を進めることで、民主主義社会での報道の自由と責任体制を確立し、より豊かな情報社会を形成することが可能になるだろう。


参考資料

ブログ文書集「民主主義と報道機能のありかたへの提言」
1、国民主権の公共放送のあり方
1-1、 「報道企業マスコミの本音と報道の自由」 2011年9月5日
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html

1-2、「私企業としての報道活動と電波伝達空間の所有権」  
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/04/blog-post_6795.html

6、ブログ文書集「持続可能なエネルギー生産社会を目指すために」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/11/blog-post_2842.html


12月7日、誤字修正
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2011年12月1日木曜日

現在問われている社会改革の課題

成熟した社会・民主主義社会を発展させるために(3)

三石博行


主な社会改革課題について

現在問われている課題を分類しておく必要がある。これらの課題とは、大きく分けると政治制度改革、司法制度改革、行政制度改革、産業経済構造改革、教育文化改革、社会保険と福祉制度改革の6つの課題が挙げられる。緊急を要する財政問題、長期的視点に立ったエネルギー資源問題、歴史的経過を尊重しつつも新しい東アジアを中心とする外交問題等はそれらの6つの課題の複合領域の課題であると言える。

政治改革の課題

政治権力を取ること、政局問題が東日本大震災や福島原発事故で苦しむ国民の救済よりも先行する現在の既成政党の政治行動は政治家の政治理念の喪失によるものであるが、その政治理念を持たなくても政治家として活動できる状況がそれを生み出しているのである。そのためには政治家の活動に対して厳しい社会点検の制度が必要である。そして何よりも国民が社会改革を国民が議員達に任せるのでは、この社会改革は成功しないことを自覚しなければならない。

例えば、簡単に以下の制度改革が提案できる。
1、 選挙制度を巡る問題で、議員のマニフェスト達成率に関する情報公開義務、立候補者の実績とマニフェストの公開義務制度を国民参加で創る。つまり、選挙公約点検オンブスマン制度を創り、参加したい市民によって議員の政治活動評価を行い、それを公開する。
2、 街宣車で白い手袋を振って「宜しくお願いします」としか言わない選挙、そのために巨額の選挙資金を必要とす選挙運動の在り方を考える。政治家の政治活動を日常的に公共放送を活用して公開する制度。これは上記の課題とリンクする。議員の政治活動評価機関による評価の公開を公共放送のデータ通信機能やインターネットで公開することで、選挙期間に限定された選挙活動でなく、恒常的な議員評価システムを使った制度を前提とした選挙制度に改革する。
3、 国会議員定数の削減、小選挙区制の見直し、選挙区の見直し(これは道州制導入を前提として行う)
4、 都道府県議会議員の給与体系の見直し、ボランティア市民による地方自治の意思決定機能を創り、家業化している議員職を出来るだけ無くするような制度を創る。

司法制度改革の課題

クローズアップ現代(No3127)「証拠は誰のものか」で最近また問題となった冤罪事件が取り上げられた。この番組では、1986年3月に福井市の市営住宅で起きた女子中学生殺害事件の容疑者として前川彰司さんが逮捕され懲役7年の実刑を受けた冤罪事件が発生した背景が報道された。警察や検察官は不利な証拠を裁判に提出しない。また、証人証言をでっち上げている。殆ど、犯罪に近い行為が検察官によって行われ、そのことへの罪悪感はまったくなく、「不利な証拠は出さないのは当然」という発言を検察官が行っていた。

こうした検察官の考え方は、足利事件や凛の会事件の冤罪が大きく社会問題になった昨年以来、警察や検察に対して厳しく問われたにも拘わらず、検察にはその反省が微塵もない。犯罪と呼ばれる人権侵害を厳しく裁く検察が逆に人権侵害を犯し、しかもその犯罪への自覚すら持ち合わせていない。このことは本来その役割である民主主義国家を守る機能を果してはいないのである。そして、こうした冤罪問題はなぜ発生し続けるのか。また、検察に不利な証拠を隠すことが正当化されるなら、国民参加の司法制度を構築するために行われている裁判員制度自体が崩壊する危険を孕んでいると言えるのではないだろうか。

国民主権による司法制度を確立するためには、裁判員制度や検察審査会の制度をさらに検討し改革しなければならない。そして、その制度のためにも、検察の取り調べ室の記録情報、調査資料(証拠資料)の裁判員と弁護士への公開が法的に義務化される必要がある。

多くの課題の中で代表的な司法制度改革課題を以下に示す。
1、 冤罪の防止のための制度(警察の取り調べのやり方を抜本的に検討すること、そして検察の全資料を公開すること等々)
2、 最高裁判官の業績公開と国民審査制度、
3、 裁判員制度の充実
4、 検察審査会の在り方の再検討(小沢裁判に見られるように政治権力の介入や政治的利用の可能性を防ぐための課題分析と制度点検)


行政改革

行政改革の目的は行政機能の効率向上にある。効率のよい制度運営を行うことによって公共サービス商品の生産力を向上させることが出来る。具体的には、規制緩和、競争原理を活用した民間への業務委託、市民参画型運営、NPOやボランティア活動の活用等々が挙げられる。国民の総生産力が向上することが行政改革の評価となる。今、最も必要とされている行政改革を以下に示す。

行政改革のために現在、国民的な点検活動、例えばオンブスマンの設置を法定化し、「行政機関を外部から監視し、行政機関による国民の権利・利益の侵害に対する調査及び救済の勧告を図る」社会的な機能を構築すべきである。このオンブスマン(法的に行政機関を監視する公的制度)を、例えば市民の参加した委員会を設け、委員会の活動や調査結果の情報を公開する必要がある。


1、 地方分権制度。
2、 行政官採用試験制度、現在の国家公務員試験制度の見直し
3、 民間人、地方公務員と国家公務員の人的交流制度
4、 市民参画型地方行政


産業経済構造改革

産業経済政策は国も重要な課題の一つである。例えば、未来、持続可能な社会を形成するために、解決しなければならない課題として資源やエネルギー問題がある。福島原発事故以来、原発依存のエネルギー基本計画が見直され、新しいエネルギーとして再生可能エネルギーが取り上げられているが、そのエネルギー資源で十分なのか等々の課題がすでに問われている。

また、発展途上国や新興先進国が経済力、生産力を持つことで、これまでの国際産業地図は変化し続けるだろう。国内の多くの産業が新たに参入してくる新興国の産業に敗北しつづけるのも、歴史の流れであると言える。先進国日本は新しい産業を創造し、これまでの産業構造を変革し続けなければならないのである。

産業経済構造改革のために、国や地方自治体で専門家を入れ、また市民の参加を得た「産業経済構造改革委員会」を設け、国であれば経済産業省の専門官、大学、シンクタンク、企業、民間人を入れて各分野で委員会を設定して課題の検討と提案を行う委員会が必要となる。地方自治体でも、独自に自治体職員(専門官)、その地域社会の大学やシンクタンク、そして企業、民間人が参加した委員会を各課題別に設定して検討会議を行う必要がある。

高度知識社会・日本では、どの地方自治体でもこうした専門的な委員会を地域の人的資源を活用して形成することが出来る。それらの人的資源の活用とその成果の情報公開が、さらに市民の参加の産業経済構造改革を進めることが可能になる。

以下、産業経済構造とその制度改革の課題を示す。
1、 省エネ産業の育成と発展
2、 再生可能エネルギー産業の育成と発展
3、 高生産効率の生産、流通、商品管理システム改革
4、 人的資源の育成(技術技能伝達、再教育制度)
5、 出産、育児支援による女子労働の保護と確保の制度改革
6、 高齢者熟練労働力の活用


引用・参考資料

Wikipedia 「オンブスマン」


つづき


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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_23.html

3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
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4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
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12月7日、誤字修正
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国民の社会改革への参画こそ民主主義文化展開の唯一の方法である

成熟した社会・民主主義社会を発展させるために(2)


三石博行


  
国の曲がり角・問われる国民主権の社会制度

この国は今、大きな曲がり角に来ている。今までの社会思想や社会経済システムが立ち行かなくなっている。基本的な変革を社会が求めている。しかし、それが何であるのか、そのために何をなすべきなのか、どの課題から着手すべきなのか、問題解決への具体的な対策は社会的に明らかにされていない。しかし、多くの人々が、それぞれの立場からこれらの問題を指摘し、またその解決のための提案を行っている。そして、連日、それらの問題から生じる事件や出来事と呼ばれる社会現象が報道されている。

これらの問題の基底には、「国民主権」、「人権尊重」と「生活重視」の社会思想に基づく社会経済システムの検討が課題になっている。言い換えると、この国の大きな曲がり角の根本課題とは成熟した社会・日本の国のかたちを巡る議論であると言える。ここで謂う成熟した社会とは国民主権で運営される社会・民主主義社会であり、生活経済を重視する社会であるのだが、この社会理念は、すでに1947年に日本国憲法が施行された時に成立していると考えるだろう。しかし、現実は、この素晴らしい憲法に謳われた国民主権や人権尊重も、戦後そして現代まで十分に社会に浸透していたとは言えないだろう。

その理由は、明治以来、欧米列強の植民地化から国を守るために、天皇を中心とした統一国家の形成、国家主導の近代化(工業化)を行ってきた我が国の民主主義過程の歴史によるものである。その結果発展した国家資本主義経済、軍事大国化によって、この国のありかたは日中戦争、太平洋戦争へ突き進み、結果的に敗戦という旧体制の崩壊によって終焉するのである。これを一次資本主義過程と考えるなら、戦後は国民主権による二次資本主義過程が始まったと言える。

その代表的な変革が1947年のGHQによる農地改革であった。この改革は江戸時代から続く地主制度、つまり小作人と地主の関係によって成立している農業社会(アジア的封建主義制度の温床である社会)に資本主義化をもたらした。この農地改革によって伝統的な封建的農業社会が解体され、戦後民主義社会が出発したと言える。


民主主義とは民主主義文化の上に成立する生活文化と生活主体によって成り立つ

しかし、国民主権を謳った日本国憲法の施行と封建的土地所有制度の改革・農地改革が行われたその時から、日本の社会文化は民主化された訳ではない。民主主義の制度は自由、平等と博愛の社会思想を前提とした社会制度を持つことは当然の条件となるが、その制度を運営する社会機能がなければならない。制度が成立する必要十分条件として、その制度を担う人々の社会的労働(活動)が必要である。

一般的に制度が成立し運営されるのは、その制度を担う人々の社会的活動が存在するからである。国民主権を前提にした社会活動を行う人々はその意味、意義や任務を理解していることが前提となる。つまり国民主権の社会思想を実現するための社会的役割を自覚した人々によって民主主義は成立するのである。

国民主権や人権尊重を実現するための社会政治制度(社会形態)はそれを支える人的資源によって運営されるのである。社会的役割とよばれる社会労働力によって国民主権(社会機能)が確立しつづけるのである。つまり、国民主権とは社会機能状態であり、それは国民主権を維持する社会的労働(役割)によって維持されている社会運営の姿であると言える。1947年に施行した国民主権の理念は、その社会思想を生活文化として営む国民によって実現されるのである。その意味で、日本国憲法はその憲法の基本理念を日常生活の常識とする人々、国民文化の形成によって尊守されると言える。

以上のことから、この国の曲がり角で問われている社会的課題の解決力を持つ人々とは、民主主義思想を持ち生活文化を運営している人々であることが理解できるだろう。それは、一般の市民であり、日常生活を大切にする人々の群れである。これらの人々が政治、司法、行政、経済、環境、教育、外交、安全、福祉等々のすべての国家的課題に参画する制度を見出すことによって、その糸口、その手段や在り方を見つけ出すだろうと楽観していいのだと思う。



参考資料

Peter Ludwig Berger,Thomas Luckmann The Social Construction of Reality: A Treatise in the Sociology of Knowledge,Doubleday, 1966
山口節郎訳『日常世界の構成――アイデンティティと社会の弁証法』(新曜社, 1977年) 改訳新版『現実の社会的構成――知識社会学論考』(新曜社, 2003年)

つづき

現在問われている社会改革の課題
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_01.html

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ブログ文書集

1、ブログ文書集「原発事故が日本社会に問いかけている課題」目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_3562.html

2、ブログ文書集「東日本大震災の復旧・復興のために 震災に強い社会建設を目指して」の目次
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3、ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
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4、ブログ文書集「21世紀日本社会のための大学教育改革の提案」
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12月7日 誤字修正
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