2012年3月24日土曜日

沖縄と本土の二つの立場、敗戦国日本の戦後と現代に連なる課題として

山崎豊子著「運命の人」・TBSドラマの課題(3) 


三石博行


密約提携の背景としての敗戦国日本の宿命

TBS日曜劇場ドラマ山崎豊子原作「運命の人」の中で、沖縄返還密約問題を巡って織りなされた人々の行動。もし、このドラマが密約問題を悪としそれとに闘う新聞記者を善とした構図でストーリーを展開されたなら、もっと分かりやすい単純な話となり、また同時に複雑な人間的な葛藤は消滅し、文学的な価値が失われるかもしれない。

このドラマの魅力は、それぞれの人々の行動が一見政治的な立場に立たされながらも、そこにそれぞれの人々が選択せざるを得なかった行動の背景が描かれていることであった。著書を読まないで、このような評価をすることは間違いかもしれないが、このドラマに登場した俳優たちの演技の中から、その課題を理解することが出来た。

このドラマが私を引きつけたのは、ドラマに登場した人々の行動が大きくは政治的な意図に利用され、またその政治的意図によって抹殺されながらも、異なる政治的立場から行動したと解釈されるそれぞれの登場人物たちの本心に共通する人間らしさを感じさせていたことであった。そして、このドラマが政治的事実への善悪を求める前に、その現実を生み出さざるを得なかった時代や社会的背景、敗戦国家として戦後日本の復興に立ちあがった社会の宿命を感じさせたからであった。


権力と闘うこと闘えないことの根拠(存在理由)

新聞記者弓成は、本来望んでいなかった状況、権力との正面対決、権力に一人で立ち向わざるを得ない立場に立たされることになる。この弓成の周りに多くの支援者が集まる。その支援者たちは共通する課題を持っていた。その課題とは当時の政府が進めた沖縄返還にまつわる密約協定(核の持ち込みや日本政府の400万ドルの支払い)に対する批判的意見であった。

しかし、その批判的見解が全く同じ内容であったかどうかは分からない。あるものは、米軍の沖縄基地の存続に反対し、あるものは国民を裏切る密約を結んだことに批判をし、あるものは政府が400万ドルを払ったことに憤慨していたかもしれない。いずれにしても、政府の沖縄返還のやり方に対して不審や批判を持っている人々であることには違いない。

政府は、密約はないという立場を国民に対しては取り、同時に機密文書が漏洩した事実を認め外務省では犯人探しを行った。弓成記者に情報を渡した三木事務官は、余りにも大きな社会的衝撃(密約と機密文書漏洩のスキャンダル)に対して耐えることは出来なかった。何故なら、彼女は政府の密約協定への批判や沖縄問題に関心があった訳ではなく、弓成記者への個人的感情によって、機密文書の情報を弓成記者に渡したからであった。

一人で権力と闘うことになる彼へのその社会的正義感や考え方に共鳴したのではない、その意味で彼を取り巻く支援者とは予め共通する立場を持っていない人物であることは確かだろう。その意味で、この事件は彼女にとっては悲劇の始まりであった。まず、弓成に利用されたこと、そして弱い一人の事務官が恐ろしい犯罪者となったこと、彼女に予定されていた公務員としての生活も未来もすべて粉々に粉砕された瓦礫となったのである。

個人的感情によって機密情報を流した事務官と社会的正義感によってそれを暴露(スクープ)した記者と、まったく異なる動機によって、一つの共通した行為を選択してしまったのである。このことを例えるなら、この二人は共に同じ場所にボタンを掛けたと思えたのが、その場所は全くことなる位置になっていた。「機密情報の暴露」という行為から見れば二人の行動は同じなのだが、その二人の行動の動機は全く異なっていた。

そのため国家機密漏洩罪で逮捕された三木事務官と弓成記者の間には、逮捕という現実を受け止める共通項は存在していなかった。三木事務官にとってこの事件は不慮の災害であった。彼女は弓成記者を信頼し、機密文書を渡した。その結果、弓成に裏切られた。弓成記者は、密約を糾弾する一人の新聞記者としての立場を持っていた。

そのため、この二人は国家権力の強烈な弾圧に対して異なる自己防衛の在り方を選択することになる。つまり、弓成記者にとって、この事件は沖縄返還に関する密約問題とその事実隠蔽のための国家権力の弾圧であった。彼はそれに対して闘うしか道は残されていなかった。しかし、三木事務官は、自分を守ってくれなかった弓成への憎しみ、自分が受けて同じ苦痛を弓成にも味合せたいと思った。彼を自分と同じ犯罪者とすることであった。

密約問題以上に弓成への憎悪が彼女の問題であった。その憎悪を権力によって利用され、密約問題が隠蔽されることに対して、彼女は政治的判断をする基盤を持たなかったし、また政治的判断によって密約の機密文書を弓成に渡したのではない以上、彼女の取る弓成への憎悪以外に彼女に別の行動を望めただろうか。

彼女の嘘の告白行為は、言い換えると積極的な国家機密漏洩事件という外務省側の現実への対応の姿であったと理解できないだろうか。彼女は逃げたのではない。彼女は闘ったのである。その相手は、弓成が相手にせざるを得なかった国家権力でなく、自分を裏切った一人の男であった。しかし、その闘いも、弓成と同じように望んでいたものでなく、受けざるを得ない闘いであったに違いない。


沖縄島民の犠牲を前提とした敗戦処理(国民の暗黙の了解)

こうした人間的な感情によって生み出される人々の行為を越えて、その行為をすべて飲み込み、大きな時代の流れを生み出す力を持つものを権力と呼んでいる。一人の人間の気持ちなど、この大きな流れに乗った者から見れば、流れに巻き込まれた小さな木片のようなものである。どれほど流れに抵抗しようと、また抵抗していると思っていようが、結果的には、大きな流れに飲み込まれていくことは明らかなのだ。

その大きな流れとは何か。それは敗戦国家として戦後日本の社会が始まったこと。悲惨な戦禍、焦土化した日本の国土、このどん底から這い上がるために、ありとあらゆる努力を重ねた戦後社会、その中で国民は平和な社会、経済の復興や豊かな生活を望んだ。勝戦国アメリカの支援を受け、その核の傘の下で守られ、強固な政治経済的共同体日米同盟を形成し、敗戦の焦土から現実的に立ち上がり、復興の道筋を作ること以外に、他の手段や政策(道)があったとは思われないのである。

その意味で、密約問題は当時の社会では政権交代を国民が迫る程の重大な課題ではなかったと言える。これが当時の状況であった。その状況を暗黙の裡に許していたのは、沖縄島民に課せられた日本国民が敗戦国日本の負うべき義務であった。つまり、この大きな流れを作っているのは、敗戦国家日本の宿命とその負担を沖縄島民に押し付けた我々本土日本国民の暗黙の了解ではなかったか。

こうした視点から見ると、弓成記者と三木事務官、そして佐橋首相や検事たちまでもが、一つの集団として括られ、その対立項が限りなく収束しながら、そしてその収束した点と別の対立項、つまり最終章で登場した沖縄の人々が現れてくるのである。そして異なる意見を持つ沖縄島民も一つに収束していく。沖縄問題にあまりにも鈍感な本土の人々、すべての戦後処理の犠牲を沖縄に強いて、豊かな反映を追い求める沖縄を省いている日本、その現実を知らされる時、反戦地主もまた基地使用を容認している地主も同じ沖縄の島民としての立場に収束されて行くのである。

最終章から飛び出してくる「本当に沖縄の痛みが分かるのか」という問いかけの中で、私が理解したのは敗戦処理を担った日本国民ではなく、本土の日本人の沖縄島民の二つの置かれた立場であった。その立場から見れば、私は明らかに弓成記者と同じ意見であり、そして同時に佐橋首相の政治的(外交的)対応によって擁護されている側にいることは確かだという事実であった。


鳩山由紀夫元首相の挫折の意味する課題

民主党政権が成立したとき、当時の鳩山由紀夫首相は沖縄問題に取り組んだ。沖縄問題の解決なくして戦後日本は終わっていないと政治家鳩山氏は考えていたのかもしれない。その意味で、鳩山由紀夫氏は沖縄にもっとも心を砕いた政治家の一人である。しかも、宜野湾市のど真ん中にある普天間基地ではこれまで航空機事後が多発し続けていた。

例えば、「復帰以降の事故発生件数についての統計は2002年12月末時点で固定翼機8件、ヘリ69件の計77件であり、復帰後から同時点までの沖縄県内米軍航空機事故217件の内35.5%を占める[16]。この間の死亡者は全て米兵であるが、民間人の死亡者を伴うような重大な事故の危険性が指摘されてきた。」(Wikipedia 普天間基地)

ドラマのなかでも2004年8月13日 に 海兵隊所属のCH-53Dの内1機が普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内に墜落した事件「沖国大米軍ヘリ墜落事件」と1995年9月4日にアメリカ兵3名が、12歳の女子小学生を拉致した上、集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁した「沖縄米兵少女暴行事件」と思われる場面が登場していた。米軍基地があることによって沖縄県民が日常的に被害にあい続けている現実は本土の新聞には殆ど取り上げられることはなかった。

普天間基地の沖縄県外移転という人間鳩山由紀夫氏の沖縄問題に対する姿勢は評価できる。しかし、政治家として鳩山氏は沖縄問題の困難さを理解していなかったともいえる。首相発言で混乱するアメリカと日本、そして結局は、鳩山氏は沖縄以外の所に普天間基地を移転させることが不可能であることに気付くのである。

沖縄県民は鳩山首相の発言を切っ掛けに今まで抑えられ続けた課題の解決の糸口の見つけたとお思った。鳩山氏の発言で沖縄の負担を少しでも少なくすることが出来るのではと県民は希望を持った。しかし、その希望もすぐに打ちのめされることになる。鳩山氏はアメリカの核の傘で守られている現実を正確に受け止めていなかった。さらに台頭する中国の軍事的脅威と国防問題も理解していなかったのだろう。結局は、外務省、与党は勿論のこと野党からの批判、そして何より世論(本土の)の批判に出会い、かっけなく発言を取り消すことになった。この鳩山首相(当時)の発言の責任問題を野党が見逃すことはなかった。その結果、鳩山内閣は総辞職し鳩山氏も首相を辞任することになった。民主党の評価は落ちた。希望をもった沖縄県人は再び諦めの谷間に突き落とされた。

自民党は勿論、日本の報道機関はことごとく鳩山由紀夫元首相の発言を批判した。その発言が混乱のすべての元凶であると報じた。つまり鳩山氏の間違いとは沖縄県民は混乱を持ち込こまれて迷惑を受けている。沖縄で集会が開かれのはその混乱に対する抗議の意味も含まれているというニュアンスが本土の報道から感じられた。

鳩山発言を沖縄県民の側から見たらどうだったのか。鳩山発言を支持し、沖縄から一つでも米軍の基地がなくなり、また軍事基地に依存しない沖縄経済を作りたいと願っていたのではないだろうか。そして、鳩山発言を批判する世論や政党に対して「沖縄は今まで通り、アメリカの北太平洋防衛戦力のために、犠牲になって貰う」というメッセージを感じていたのではないか。そうした世論や野党自民党の痛烈な批判に態度を変えた鳩山首相には絶望するしかなかったと思える。

現在、日本(本土)の世論では、沖縄問題がうまくいかないすべての責任は鳩山にあると言われているようである。しかし、本当にそうなのだろうか。私たち本土の日本人は戦後処理を沖縄の人々に一方的に押し付けている。その負担の構造を破壊し乱すものは決して許されないし少女暴行事件を起こす米兵が本土に多数来てもらってはこまるし、ましては自分たちの町に米軍ヘリが落ちるのは絶対に嫌だというのが本土日本人の本音ではないだろうか。

この大多数の日本人(本土の人々)の気持ちに押されて、今日も鳩山氏は批判され続けているようだ。しかし、この構図を沖縄から見たらどう見えるだろうか。


引用、参考資料

1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/

2、Wikipedia 沖国大米軍ヘリ墜落事件

3、Wikipedia 普天間基地

4、Wikipedia 沖縄米兵少女暴行事件

5、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日

6、三石博行 沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か 2012年3月22日


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関連ブログ文書集


ブログ文書集「日本の政治改革への提言」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/06/blog-post_9428.html

ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」の目次
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html

2012年3月26日 誤字修正
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