2016年8月22日月曜日

官僚の力に敗北した民主党政権の歴史

政治活動の基本としての政策点検と政治思想点検(1)


2009年7月、民主党政権が成立した。多くの人々が政権交代に期待した。また、民主党政権成立は、同時に、マニフェスト選挙という新しい民主主義政治文化の形成も意味していた。21世紀の成熟した民主主義文化の社会・日本の始まりと、民主党政権の成立は、重なり合って、国民に大きな期待を与えたようにも思えた。

しかし、民主党政権は、その始発から熾烈な官僚体制との死闘を繰り広げ、官僚のボイコットが起こり、行政機能はマヒしていた。まさしく、民主党政権の本当の敵は自民党ではなく、霞が関の官僚達であったと言っても過言ではなかった。

陰険で狡猾、そして高度な策略と直接的に政権運営の機能性を左右する行政力を持つ官僚制度、それこそ、明治以来、日本の近代化を成功させ、戦後の復興に起用した日本で最も有能な集団、それが官僚組織であった。その強烈な集団を敵にして戦えるほど民主党は強くもなければ、有能でもない。だから、その勝負はあまりにも、明らかだった。

例えば、最も典型的な事例は、小沢一郎という政治家の社会現象である。それこそ、民主党政権を語る政治指導型権力と官僚とのし烈な闘争劇であったとも言えるだろう。

そして同時に、その闘争は、菅直人という政治家現象とも言える、原発事故をめぐる官僚と政府との駆け引きが闘争として展開しながら、ついには民主党政権が官僚に敗北しその強烈な官僚軍団に平伏した。それが野田政権という政治現象と言えるだろう。

つまり、民主党は自民党に負けたのではなく、官僚に徹底的に負けた。そして、政治権力を失った。
もはや官僚のいう事を聴くために、彼らはマニフェスト選挙運動の在り方までも破棄した。そして、国民との選挙公約を軽々しく破棄し、消費税を上げた。消費税を上げることが悪いのでなく、マニフェスト選挙という間接民主主義制度の中で、国民主権を強烈に推進する政治手法を破壊したことが、最も民主党政権の犯した大きな間違いで会ったことにする気付かなかった。

そのことが、彼らが民進党と改名したとしても、今日の国民の民主党政権を担った政治家への不信となっていることに気付くべきだと思う。

そして、我々は、民主党政権を根底から解体した力を持ち、また、今日の自民党政権を実務的に支える強烈な軍団·官僚制度に対して、より正確に理解することを求められている。

つまり、彼らを超える、政策と行政の専門家集団を国民自ら準備することが出来るのかという課題に実践的に取り組まなければならないのである

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