日本の報道から流れる大きな誤解情報、それは日本のPCR検査陽性者を「感染者」として、その数を「感染者数」とし、他の国々の「感染者数」と絶対比較していることである。PCR検査を制限し、その制限された検査数によって陽性になった感染(確認者)者の数を、徹底して検査を行っている世界の国々の感染(確認者)数と絶対比較しているのである。この比較は、そもそもその母数(検査件数)とその母数を導く検査条件が異なることによって、不可能であるという科学的理解すら日本の感染対策を担う専門家には、不思議なことに、ないのである。
ある集団の感染者数という概念は仮定の数を意味する。何故ならその集団の全ての人々の感染状態を調査した上ではじき出された数を意味するからである。保健所の判断基準にしろ、医師の判断基準にしろ、そこからPCR検査を行って検出された感染者は「感染確認者「」であり、その感染者数は「感染確認者数」と呼ぶことが正確な呼び方・概念になる。
では、何故、公衆衛生のプロ中のプロ、WHOで活躍した専門家、そうした人々が「厳しく制限されたPCR検査によって陽性と判断された日本の感染者の数と、徹底してPCR検査をおこなっている国々の感染者数とを、絶対比較するという科学者らしからぬことを平然と行っているのだろうか。不思議な話である。それにはもっと深い理由があるのではと思われる。
その理由とは何か、それがむしろ重大な問題に見えてくる。世界的に評価されてきた日本の公衆衛生や感染病や感染対策の専門家に対して、彼らの科学的合理性に問題があると言い切れる人はそう多くないだろう。また殆どの科学者がそう言わないだろうと思う。しかし、私は、どう自分の論理を疑っても、PCR検査を積極的に行わない専門家の判断に対しては、腑に落ちないのである。
何が彼らの判断の基準なのか。これほど不可解なことはない。
2020年5月4日、フェイスブックに記載
三石博行 ブログ文書集「パンデミック対策にむけて」
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