2012年3月22日木曜日

沖縄の現実を直視できない我々日本人とは何か

山崎豊子著「運命の人」TBSドラマの課題(1)


三石博行


ドラマ「運命の人」が問いかけるもの

TBSで10回にわたって放映された日曜劇場ドラマ「運命の人」。このドラマの原作は山崎豊子著「運命の人」である。ドラマが小説を忠実に再現したものか、この著書を読んだことがないので分からないが、山崎豊子らしい作品であると言えるだろう。

ドラマの舞台は1970年代の日本、沖縄返還を進めた当時の佐藤栄作総理の時代である。今では、当時、自民党政権が行った沖縄返還を巡る日米間の密約問題は、歴史的事実である。従ってこのドラマのテーマは、歴史的事実である密約問題を問い掛けるだけのものではないように思えた。

このドラマのテーマは、太平洋戦争で唯一地上戦の行われた国土・沖縄、その悲惨な戦禍、過酷な戦争体験、そして戦後、アメリカの支配下で軍事基地化し、その軍事基地は沖縄返還後も、現在まで続いた事実、そして、アメリカ統治下の時代はもとより本土復帰後も、沖縄では植民地のように村民の人権は踏みにじられてきた事実、事実を日本政府も、日本国民も受け止めることはなかった事実、言い換えれば、アメリカの核の傘の下で守られ、豊かな経済発展をしてきた戦後から現代までの日本社会は、この沖縄の犠牲の上に成り立っているという事実を示すことであったと思えた。最終回に集約されているこの課題がこのドラマの基本テーマだろう。


ドラマのあらすじ

正義感の強い新聞記者弓成亮太が沖縄返還に関する密約文書を外務省事務官の三木昭子から入手する。その密約を新聞に記載する。しかし、社会からの批判も政府の反応も生まれない。そこで、野党の国会議員横溝の協力を得て国会で追及する。だが、その追求に対して政府・佐橋首相は密約はないと断言する。憤慨した横溝がこともあろうに機密文書を振りかざし、政府を追求する。機密文書が漏えいしたことが政府の側に分かり、その犯人探しが始まる。

そして三木事務次官が告白し、国家機密漏洩罪で逮捕され、同じくその機密文書を横溝に渡したとして弓成も逮捕される。裁判で沖縄返還に関する密約問題として闘う姿勢を決めた新聞社と弓成であったが、検察は三木との情事問題を全面に出し、不当な取材によって機密文書を入手したとして弓成を告訴する。

三木は自らの人生を狂わす事態を引き起こしたのは弓成の自分への裏切りと理解し、激しく弓成を攻撃し、検察の意図にそって「無理やり情事を迫られ、それを脅され機密文書を渡さざるを得なかった』悲劇の主人公を演じた。第一審で、弓成は無罪となったが、三木は有罪が確定した。そのことを怒った三木は週刊誌記者にうその告白をし、またテレビにも出演し弓成の非道について語る。大衆報道によって弓成は批判の対象とされる。それに世間の流れが変わり、弓成の立場は悪くなる。そして第二審では、弓成も有罪判決を受ける。それを機会に弓成は新聞記者を辞める。

密約問題の事実を迫る弓成記者に対して「君が何を言おうが、もう勝負はついたのだ」と佐橋首相は答えた。確かに政治的勝負はついていた。弓成記者の一方的な敗北であった。世間の批判は、国家が国民に事実を隠蔽し、非核三原則を破り、沖縄に核を密かに持ち込んだ犯罪に向けられることなく、一人の男のスキャンダルに向けられ続けた。その意味で、明らかに弓成は政治的に当時の政権に打ち負かされ、社会的にも排除されたと言えるだろう。

ぼろぼろになった弓成がたどり着いた地は、沖縄だった。彼は沖縄の青い空と海に自らのすべてを投げ出し敗北への決着を付けようとしたが、思わぬ救いの手によって、さんご礁の海から再び拾い出され、生きなければならなかった。沖縄の地、そこに生きる人々、あまりにも悲惨な過去と向き合えない人々と自分とが重なり、次第に彼はその悲惨の中に息づく優しさに癒されてゆく。

そして、再び沖縄の現実に向き合うとき、新聞記者時代の正義感、機密文書のスクープ、裁判等々に対して自分が権力と闘い続けてきたその姿勢に欠如していたものに気付くのだった。それは、沖縄を本当に知らなかった自分であった。同じように傷ついいた人々、自分の痛みをその人々の痛みに共感させようとするとき、彼は再び筆を取り、沖縄の現実を書こうとするのである。沖縄新聞に弓成の投稿記事が記載される。

沖縄の現実は過去も現在も常に悲惨であった。本土決戦、集団自害、日本兵による殺戮、全土の米軍基地化、米国統治化での所有地の無条件借地、米兵による犯罪行為等々。沖縄返還後も状況は改善されなかった。日本政府は沖縄県民を守ろうとはしなかった。そして、米軍のヘリコプター墜落事故、少女暴行事件が起こる。県民の怒りが爆発し、米軍の基地に依存してきた沖縄から変わろうとする人々の闘いが始まるのである。弓成もその中にいた。しかし、今も、沖縄の現実は変わらない。だが、その闇に、いつの日にか未来に向かう人々によって、光が差し込むだろうと弓成は信じるのだった。


民主義国家の機密を守る理由と情報公開の義務

新聞は沖縄返還の機密文書の存在についてスクープした。そして野党議員も国会でその問題を追及した。しかし、政府や外務省はその事実を認めなかった。国会答弁に立った野党の議員によって機密文書の所在が明らかにされてしまう。そのことによって国会に衝撃が走る。だが、そのことは機密文書の漏洩問題に発展する。つまり、外務省内の情報提供者やそれを議員に渡した新聞記者を窮地に追いやることになる。

この事態を生み出す世論の理解について考えると、国家が国民に事実を隠蔽するとい権力の犯罪、その犯罪行為を暴くために政府機関内で機密文書を社会に公開するという公務員法に違反した犯罪の二つの犯罪の重みの理解が問題となるだろう。

この解決を導く糸口として公務員の義務という課題がある。極論すると公務員は国民の利益と政権の利益のどちらを優先するのかということになる。もしくは憲法違反を行う政権の言うままになるか、それともその政権を批判する立場を取れるかとういう課題になる。ある政党の率いる政権が国民に正しい情報を与えず、それを隠蔽するとき、公務員はこの政権の犯す犯罪行為を国民に暴露する権利があるのかという課題である。もしくは、どのような政権であろうと国民が選んだ政権であるかぎり、その政権が犯す誤りにたいして公務員は絶対に反対してはならないし、仮に国家的犯罪行為に加担するする結果となったとしても公務員は政府の方針に忠実に従う義務があるという二つの考え方である。

公務員の絶対的な守秘義務が、ドラマ「運命の人」の中で裁判所が三木事務官に下す有罪判決の根拠となっているといえる。昨年、国家の機密情報とされていた尖閣諸島で中国の漁船が海上保安庁の巡視艇に体当たりする映像を流した海上保安庁の職員がいた。国家機密漏洩罪で逮捕されたが、しかし、国民の支持や国会での野党・自民党の国会質問にあった民主党政権は、この職員を懲戒免職することはできなかった。この場合、社会は公務員が国民の利益に立つ限り国家の緘口令(かんこうれい)を破り、国家に不都合な情報を国民にしめすことは犯罪でないと判断したことになる。

もし民主主義社会を守ろうとするなら、情報公開は原則となる。例えば、政府(政権交代を行っている)が国民の利益に反する行為、国民に真実を伝えない行為、情報を隠蔽する行為を行った場合には、公務員に限らず、国民の誰でもそれを批判し、またその情報を公開する権利を持つ。

この考え方に対して、ある人々は「その情報は国家の安全にかかわる情報であるので、機密情報となっている」と説明するかも知れない。確かに、そうした情報もある。外交上、公開されてはまずい情報もあり、情報公開によって国家(国民)が結果的に損失を受ける場合もある。

それなら、アメリカのように、全ての情報は時間を置いて、例えば10年や15年後には、必ず公開されなければならないような制度を作る必要がある。そして、都合の悪い情報を隠蔽することを厳しく取り締まる必要がある。日本では、頻繁に情報が隠蔽されるだけでなく、都合の悪い情報は破棄されているようだ。

もし、そうした情報の破棄を行った場合には、厳しい罰則を科すようにしなければならないだろう。それが出来ていない限り、政府や一部の官僚に不都合な情報は常に破棄される危険性を持つことになる。


引用、参考資料

1、TBS 日曜劇場 「運命の人」
http://www.tbs.co.jp/unmeinohito/cast/

2、三石博行 「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 2012年3月22日
 

つづき

「国民文化に根ざす報道の自由の意味と報道のモラル」 


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関連文書集

1、ブログ文書集「民主主義社会の発展のための報道機能のありかた」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/12/blog-post_03.html


2012年3月23日誤字修正
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