2010年11月4日木曜日

多様化する国際社会での問われる人権問題

三石博行


グローバリゼーションによって生じている社会、政治、経済、文化的に異なる環境(社会)間の相互関係(経済的政治的関係)が、さらに現代の人権問題の理解と解決の複雑さや困難さを生み出している。今、人権問題を語るとき、その問題が抱えている現状を理解する必要がある。

人権擁護には、人権思想(民主主義思想)をもつ社会文化の土壌がなければならない。そして、その思想を具現化する制度、つまり立法(法律)と行政(社会制度)が必要である。人権思想は、民主主義思想の基本である。人権思想は伝統的にもヨーロッパ社会の歴史的発展と不可分な関係にある。そのため、人権思想や人権擁護の活動が、欧米社会制度化を前提として語られることになる。この前提は現状では否定できないし、事実、欧米の社会制度が最も進んだ人権擁護を行っている。

しかし、多様な伝統文化を持つ社会が近代化過程(経済的には資本主義、社会制度的には民主主義という制度改革過程)で起こしている事件やその事件への解決(それが先進国からは人権問題と呼ばれる場合がある)の課題。この場合、民主主義社会化の過程が多様化していることを理解しなければならない。

つまり、西洋民主主義社会の歴史モデルでは語れない色々な民主化過程が存在していることを理解する必要がある。民主主義化の過程は、それまでのあった制度からの近代化の過程である。

それまでにあった制度(伝統文化や社会システム)が引き継がれ、その制度に残存する西洋人道主義に反する行為、例えばイスラム国家での石投げによる公開死刑など非常に野蛮な行為もその国では伝統として続いたものである。それを中止するには、イスラム国家の存立を問われる課題も含まれるだろう。

自由経済、民主主義、人権制度のグローバリゼーションの中で多様化する人権擁護のあり方を一つの国の、もしくは欧米型の尺度で判断することは困難になる。

その典型が、イラク戦争でアメリカが使った口実、つまりイラクには民主主義も人権もないので、そこに民主主義と人権を伝えるために、独裁者フセインを倒す。もちろん、この口実は、大量破壊兵器をもっているという最初の口実を失ったために、その後にアメリカが継ぎ足した口実であったのだが、まことしなやかにアメリカでは(アメリカ兵も)その口実の正統性を信じられたのだ。そして、アメリカを中心とした連合国は、巨大な軍事力で一国の政権を倒した。

結果は、市民生活の崩壊という悲惨な人権侵害であった。つまり、これから、ある人権擁護の考え方やある視点からの人権理念が、結果的に人権蹂躙を引き起こすことになる。このカラクリを理解しなければ、人権問題に取り組む活動は、つねに受身の、つまり、被害を受けた後の活動になる。

近代化を進めている国々の、経済の開発に協力すること、教育や文化の発展に協力すること、それが人権擁護運動であることは確かである。積極的な人権擁護、つまり、生活を豊かにする活動として、人権問題を展開したいのである。

そのためには、人権問題の課題の一つとして、イラク戦争やアフガニスタン戦争でのアメリカや連合国の、テロ対策や独裁者国家の打倒政策を検討しなければならないだろう。





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