三石博行
第1章 テキストの出典
畑村洋太郎著『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、文春文庫、2005年6月10日第1刷、258p、第一章「失敗学の基礎知識」pp17-63
テキストの文献記号は、(HATAyo05A )とする。
著者畑村洋太郎は1941年生まれ、東京出身、東京大学名誉教授、工学博士、創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学を研究。最近では、工学分野に留まらず、経営分野における失敗学などの研究を行っている。
畑村氏は、失敗学に関して、「失敗学のすすめ」「回復力 失敗からの復活」、「危険不可視社会」、「失敗学(図解雑学)」、「危機の経営」、「だから失敗が起こる」、「失敗を生かす仕事術」、「失敗学実践講義 だから失敗は繰り返される」等々、多くの著書を出版している。
第2章「失敗学の基礎知識」pp17-63の要約
2-0、「失敗学」における失敗の定義
著者は失敗学における失敗の定義を「人間が関わったひとつの行為の結果が、望ましくない、あるいは期待しないものとなる」(HATAyo05A p14)と述べている。つまり、失敗とは、ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している。
2-1、「逆演算」で失敗の《からくり》がわかる
著者は、「初めて失敗学に触れる人たちのことを考え、第一章では、失敗学の基本的な考え方を」述べる。
「逆演算」で失敗の《からくり》がわかる
著者は「失敗を生かすための第一段階は」、失敗のからくりを理解することであると述べている。つまり、「どんな原因がどんな結果(失敗)をもたらしたか」を正しく理解することである。
失敗が起きたときに目に見えるものは、失敗したと評価されている「結果」の部分である。問題は、何故失敗したか、その原因は何かということであるが、「原因」は目に見えない。その目に見えない失敗の原因を辿っていくことを「失敗学では「逆演算」と呼」ぶ。(p19)「HATAta05Aを省略してページ数のみを表示する」
「失敗学では失敗の構造をより正確に把握するために、「原因」を《要因》と《からくり》の二つに分けて」(p19)考える。「つまり、失敗の構造を《要因》《からくり》《結果》の三要素から構成されていると考える」(p19)。そして、失敗学では、見える結果から見えない失敗の要因やからくりに逆に辿っていく手法が取られる。この手法(方法)を「失敗学における逆演算」と呼ぶ。つまり失敗の《結果》(目に見える状態)から「《要因》と《からくり》という見えない二つのものを逆に辿(たど)って探していく」(p20)のである。
雪印食品での失敗例
雪印食品の牛肉偽装・詐欺事件(2002年1月)は、単純に原因は「狂牛病問題のせい」で、結果は「詐欺事件が起きた」ことになる。つまり、雪印食品は狂牛病問題で困っていて、その結果、牛肉偽装の詐欺事件を起こしたという説明が成立する。
「しかし、狂牛病問題のせいで困っていた会社は雪印食品以外にもあり、それらの会社がすべて牛肉偽装・詐欺を働いたわけでは」(p20)ない。つまり、上記した原因(狂牛病問題)があっても、必ずしも結果(牛肉偽装)という結びつきは起こらない。
そこで、この雪印食品の失敗《結果》を《要因》と《からくり》に分けて分析する。すると《からくり》にはいんちきをしてでも、儲けたいという「雪印の企業体質」が挙げられる。つまり《狂牛病=要因》を、《雪印食品の企業体質=からくり》の中に入力したからこそ、《牛肉偽装・詐欺事件=結果》が出力されたのである。(p20)
この雪印食品の例から分かるように、《からくり》の正体を明らかにすることで、「本当の失敗の原因を究明できる」(p20)のである。
この例から、失敗を引き起こす《要因》は、社会問題や過去の事件(企業経営に関する)、個人の場合には失敗行動を起こす「動機」であったりする。また、失敗を引き起こす《からくり》は組織や個人の「特性」、つまり企業体質や理念、個人の考え方、行動規範や性質などが考えられる。(p21)
売れる営業マンと売れない営業マンの例
私たちが実際に失敗に遭遇した場合に、逆演算の方法を使って具体的に問題を解決していく例として、自動車販売会社の二人の社員、売れない営業マンAさんと売れる営業マンBさんの例をとって、逆演算のやり方の説明を行う。
第一段階 失敗の原因を知るために《要因》《からくり》を知る必要性がある。
売れない営業マンAさんから見えてくる現状は「自動車が売れない」という結果である。その結果からAさんは「不景気だから」とかAさんがたまたま運悪く、財布のひもの固い人々の多い車の売れない地域の担当になったからだと考える。(p21)
しかし、同僚のBさんは同じ条件下でも売り上げを伸ばしている。売れる営業マンBさんがいる以上、Aさんの考えた売れない原因は正しくないことになる。(p22)
そこで、Aさんは、失敗学の逆演算の方法を使って、売れないという《結果》に至る《要因》と《からくり》の二つの要素を探る必要が生じた。失敗の《結果》からその《要因》と《からくり》を探る必要性を感じるというのが失敗の原因を知るための第一段階である。
第二段階 《からくり》の正体を探す
第二段階は、失敗の《結果》を導く《からくり》の正体を探すことである。
そこでAさんは、同僚のBさんのセールスの方法と自分のそれとの違いを検討することになる。つまり、車が売れない《からくり》はセールスの方法の違いであると仮設(仮説)した。その仮説から車が売れないという《結果》を逆算した。(p22)
Aさんの車が売れないという《結果》に共通する部分は「Aさんが価格を安くしてセールスをしている」(p22)ことで、この共通部分に失敗の《からくり》の基本構造が隠されている。言い換えるとAさんは車を売るセールス方法は「安く売るやり方」だと考えていたことが理解できた。安ければ顧客は車を買うという考えがAさんのセールスを決めていたことになる。
第三段階《からくり》に架空の《要因》を入れてみる
第二段階で《からくり》の正体が明らかになったら、つぎにさまざまな《要因》を想定して、《からくり》の中に入れてみる。そして、それから導かれる架空の《結果》を推測する。
一つの架空の結果の推測として、例えば、お金があるので「乗り心地がよくて飽きのこない車がほしい」という架空の《要因》を入れて、Aさんのセールス方法の《からくり》である「価格が安ければ売れるだろう」から、「高くてもいいから、性能、デザインともに、もっと質の高い車がほしいから買わない」という《結果》が出てくる。
もう一つの架空の結果の推測として、例えば、「自動車にかけられる予算があまりないので、できるだけ長持ちする車がほしい」(p24)という《要因》にAさんの《からくり》を入れれば、安いが、すぐ故障する車は買わないという《結果》が導ける。(p24)
このように、可能な限り色々な《要因》を仮設して、見つけ出した失敗の《からくり》に入れてみる。そこから導かれる色々な《結果》を取り出す(計算する)。
第四段階 《要因》《からくり》《結果》の関係を一般化し、予測・類推につなげる
第三段階で思考実験した《要因》群と《結果》群から、《要因》《からくり》《結果》の関係が浮かび上がってくる。(p25)Aさんの場合、もし「値段以外のことを重視する客(要因)が来」たら、Aさんの安ければ売れるという方法(からくり)では、この客には車を売れないという《結果》が生じる。(p25)
つまり、Aさんのセールスの方法《からくり》が一つしかない場合、色々な顧客の要求(要因)に対応して車を売ることができないという《結果》が生まれる。そこで、Aさんは、セールスの方法(からくり)を見直し、顧客のニーズにあったセールス方法を見つけ出す必要が生じていることに気付く。
Aさんの車が売れない《からくり》を見つけ出し、その《からくり》を変更しない限り、つまり顧客のニーズに合わせてセールスの方法を変える《からくり》にしない限り、いつまでも車が売れない《結果》になることが予測できるのである。
うまいラーメン屋の逆演算とは
失敗の本当の原因を理解することは、失敗を克服するためである。そこで、失敗を克服する方法について考える。それは状況に合わせて対策を講じるというやり方である。そこで人気のある東京のあるラーメン屋の例を取って説明を行う。
ラーメン屋の主人は開業以来、百回を超える味変えをしている。なぜなら、人は最初はおいしいと思った味もじきに飽きるとこの店の主人は考え、「味をよくする努力を怠ってはいけない」し、また一年に一回から二回の割りであらゆる角度から味を見直す、よい味にする試作を重ねる。そして客の反応を見ながら、客がどんな味を欲しいのかを観察し続けている。(p26-28)
これは、よくはやっているラーメン屋という《結果》である。この結果を導く《要因》や《からくり》を理解するために、失敗学の逆演算を活用してみる。
すると、繁盛しているラーメン屋《結果》は、ただ味がうまいからではなく、…お客が求めているものを提供するという営業理念《からくり》がある。(p28)繁盛するラーメン屋になるためには、色々な《要因》を《からくり》入れて、その《結果》を演算するとよい。そして、最も大切なことは自分でうまいラーメン屋の主人となるための《からくり》を見つけ出すことである。(p28-29)
2-2、「失敗の脈絡」分析で失敗を予測せよ
異なる《要因》でも、同じ《からくり》から同じような失敗《結果》が予測される
「逆演算によって一般化した失敗の《要因》《からくり》《結果》の関係のことを、失敗学では「失敗の脈絡」と呼」ぶ。(p30)この失敗の脈絡を使った、失敗の《要因》と《からくり》を類推すれば、…どんな失敗がどういう経緯で起こるかを、予測できる」(p30)のである。
狂牛病騒動が日本で起こる三ヶ月前に新聞にEUが「狂牛病の拡大を防ぐために、EUの欧州委員会はもちろん、それ以外の国についても危険度の調査を行い警告を発してきた。日本について…感染リスクが高い国と評価される可能性があったのに、日本は調査を中止するように申し入れた」(p30-31)経過があった。
日本で起きた狂牛病騒動・農水省の失敗《結果》に関連する《要因》と《からくり》の関連、つまり失敗の脈絡は、まったく薬剤エイズ事件・厚生省(現在の厚生労働省)失敗の脈絡と同じである。(p31)
「厚生省はアメリカから非加熱製剤は危険だという情報を得ながら無視」したことが《要因》となり、官僚、お役所体質である事なかれ主義や特定の人物や業者との癒着しやすい体質《からくり》によって、薬剤エイズ事件の失敗《結果》が起こる。(p31)
つまり、狂牛病の場合にも、農水省は欧州委員会の調査で狂牛病の危険を知りながらも無視した事実が《要因》となり、お役所の事なかれ主義体質が《からくり》として働き、その《結果》が、狂牛病の感染が日本で見つかるということになった。(p31)
二つの失敗は、同じ《からくり》つまりお役所の事なかれ主義の体質によって引き起こされていることが理解できる。(p31)つまり、すでに、一つの失敗の脈絡を理解すれば、同じ《からくり》を見出すことで、別の失敗を予測することができるのである。
安全宣言は危険宣言
農水省は狂牛病の発見から「感染牛は一頭だけなので、牛肉を食べても安全」と早々と安全宣言を行った。しかし、著者(畑村洋太郎氏)は、その安全宣言を疑った。何故なら、それ以前に同じようなことがJR西日本山陽新幹線のトンネル内コンクリート剥落事故でもあったからだ。つまり、JR西日本は事故後詳しい調査もしないで応急処置をしただけで安全宣言を出した。その後二ヶ月でまた同じようなトンネル内のコンクリート剥落事故が発生した。
JR西日本のコンクリート剥落事故後の安全宣言と農水省の狂牛病発見後の安全宣言は、まったく別の分野の事故への対応(安全宣言)であるが、失敗の脈絡からみると、同じ《からくり》つまり原因究明の前に安全宣言を出すという企業・組織の体質を持っている以上、同じ結果が生じる。その意味で、JR西日本の事故への対応の失敗が、農水省の事故への対応に対する結果の予測が可能となるのである。(p32)
他の失敗から学ぶ、失敗の脈絡を理解する力
「失敗の脈絡」を理解するなら、「ある分野の「失敗の脈絡」を、別の分野に当てはめて失敗の各要素を類推すれば、失敗はかなり的確に予測すること」(p33)が可能になるし、「失敗を未然に防ぐことができる」。(p33) つまり、他の分野で起きた他人の「失敗の脈絡」を、自分、自分の所属する組織に当てはめて、失敗の各要素を類推し、結果を予測し、失敗につながらないような対策を講じることができる。(p33)
失敗学では、つねに身の回りで起こるさまざまな事象(失敗につながるような)に対して、その要因とからくりを考える習慣を身につける心がけを大切にしている。(p33)
2-3、失敗は確率現象である
ハインリッヒの法則と大失敗を防ぐ対処法
労働災害の発生確率に関する法則に1941年にアメリカのH.W.ハインリッヒが事故や災害の調査結果から導き出した結論、つまり1件の重大災害の裏には29件の軽微な災害があり、さらにその後ろにはヒヤリ、ハッとする事例が300件潜んでいるという「ハインリッヒの法則」がある。(p34)
そこで、少しでもヒヤリ、ハッとした経験をした場合には、その背景になる職場環境の要因が重大事故につながるという認識を持ち、十分な対策を行えば、重大災害を未然に防ぐことができる。(p34)
失敗ついて、ハインリッヒの法則が当てはまる。新聞沙汰になる大きな失敗があるなら、その背後に必ず顧客からのクレームなどの軽度の失敗が29件ほどある。そしてその背後に失敗とはいわないが、何らかのヒヤリ、ハッとする経験が300件ぐらいある。(p34)致命的な大失敗が起こる確率は300分の1(厳密には330分の1)である。
つまり、大きな失敗(重大災害)は常に300分の1で起こる確率として存在しているといえる。(p35)言い換えると失敗とは確率現象だといえる。(p36)「どんな小さなことでも「ヒヤリ」としたら失敗の予兆だと受け止めて、それを構成している要因をきちんとつきとめて、それがどういう危険性を持っているかを考え、適切な対処をすれば致命的な大失敗は必ず防げる」(p36)のである。
雪印乳業は三百倍以上のツケを払った
重大事故の前には何らかの予兆が必ずある。それに気づいたときに適切な対応をしていれば、事故は防げるのである。(p37)
2000年3月に発生した営団地下鉄日比谷線の脱線事故も、同様な事故が1992年12月にも起きていた。また、2000年6月に発生した雪印乳業の集団中毒事件も、同じ事故(集団中毒事件)が30年前にも同じ工場で起きていた。重大な失敗が起こる前兆は以前からあったが、それを見逃し、きちんと対処しなかったために、致命的な失敗を引き起こすことになった。(p37)
日頃起きている些細な事故や失敗を無視せず、それらの一つひとつの問題を日常的に解決していく真摯な姿勢が致命的な失敗を防ぐのである。(p37)
もし、そうした姿勢を失い重大事故や失敗を起こしてしまえば、その損害は甚大なものになり、一般にその被害は「三百倍のツケを払わなければならない」と言われている。(p39)
2-4、失敗は拡大再生産される
失敗の拡大再生産とは 動燃のビデオ隠しの例
失敗の《要因》と《からくり》を解明し、その失敗につながる《要因》《からくり》を変える対策を打たなければ、同じ《要因》が同じ《からくり》を通して、同じ失敗の《結果》が起こる。つまり、同じ「失敗の脈絡」で失敗が繰り返されることになる。そんを「失敗の拡大再生産」と呼ぶ。(p40)
この「失敗の拡大再生産」の典型的な例として、1995年5月10日に起きた高速増殖炉「もんじゅ」の事故での動燃(動力炉・核燃料開発事業団)の「ビデオ隠し事件」がある。事故翌日に事故現場のビデオを報道陣に公開した。その時、動燃は「撮影はカメラ1台で行い、これ以外の映像はない」と説明した。ところが、その後すぐに(2日後)県と市の原子力安全対策課が現場調査したところ、公開されたビデオにはない事故の悲惨さを目の当たりにした。それで、動燃の意図的なビデオ編集(事故を小さく見せようとした)が発覚した。動燃自身の調査によってビデオの意図的編集(「もんじゅ」の幹部が「刺激が強すぎるのでカットしたほうがよい」と指示したこと)が発覚した。(p40-41)
動燃は、一回目の報告を訂正して、ビデオ撮影は事故直後、二台のカメラで行ったと二回目の報告を行う。しかし、科学技術庁(現在の文部科学省)の調査で、この訂正報告にもウソがあったことがさらに発覚した。つまり、訂正した時間よりも早く、別のビデオを撮影していたことが判明した。このビデオでは、現場に白煙が立ち込め、配管から漏洩した多量のナトリウム化合物が下に堆積していた。(p41)
この情報隠しに関する調査は、社会調査を担当していた総務部次長の投身自殺で幕を閉じた。しかし、多くの国民はこの事件以来、動燃を信頼できないと感じている。
動燃の失敗の拡大再生産の《からくり》と失敗を防ぐ対策
動燃がビデオ隠しを繰り返し行った、つまり失敗の拡大再生産の《からくり》が動燃の「世の中には原子力に対する強い不信感がある。少しでもネガティブな印象を持たれたら『もんじゅ』は終わりだ」(p42)という強迫観念である。この思い《からくり》が3回のビデオ隠し(失敗の拡大再生産)を生み出したことになる。(p42)
この強迫観念《からくり》をぬぐい去って《からくり》を変えれば、同じ手口のごまかしという失敗の拡大再生産を途中でストップすることが可能だったかもしれない。(p42)
動燃の取るべき対応は「事故を起こした時点で、危険度はどれくらいなのか、今後、同様の事故が起こる可能性はあるのか否かなど事故の情報を正確に伝えること」(p43)であった。事故を起こした失敗を厳しく責められても、ウソ(情報を隠して)をついて「国民の信頼を決定的に失う」(p43)というもっと重大な失敗をすることは避けられた筈である。
「失敗から目を背け、隠そうと」(p43)することで同じ失敗を繰り返すか、また別の新しい失敗を生んでしまう。冷静に失敗の結果から失敗の要因とからくりを逆演算しながら見つけ出し、失敗の脈絡をつかむことが同じ失敗を繰り返さない対策となる。(p43)
2-5、千三つの法則
未知の分野への挑戦には失敗はつきもの
未知な分野に挑戦すると「99.7%は失敗」すると著者は述べている。(p45)つまり、新しいことをする場合に物事がうまくいく確率は「0.3%」である。そして、「日本では昔から“千三つ”(せんみつ・本来、千に三つしか真実はない常習的な嘘つきの意味)とうい言葉があって、現在では「何か賭けをしたとき、うまくいくのは千に三つぐらいしかない」という意味で使われている。新しい挑戦で成功する確率も、この“千三つ”(せんみつ)であると言える。(p45)
未知の分野に挑戦して成功する確率が千に三つぐらい低い状態、成功率の低さを考えて、新しいことに挑戦することをやめるなら、失敗学は始まらない。失敗学は失敗しないで安全で安らかな生活を求めるためにあるのではなく、成功確率の低さを十分に認識し、失敗に真正面から取り組む覚悟を持つこと、つまり失敗の多い未知な分野に挑戦し、そこで経験する失敗を生かすためにある。(p45)
新しい事業をゼロから起こす場合、その事業を立ち上げて運営展開するために少なくとも十個ぐらいの要素が必要である。例えば、「企画内容、技術、事業を興す本人の資質、設備、場所、人材、流行、社会の経済状況、人脈」(p45)である。これらの10の要因の一つひとつに関して「うまくいくか否か」の二分の一の成功確率を単純に掛け合わせていくと、1020分の1の確率で事業が成功するということが示される。これが客観的に示されるベンチャー企業等の新しい試みを行う事業の成功確率である。(p45-46)
つまり、新たな事業を興して成功する確率は、約千に一つである。そして、千三つ(せんみつ)の法則よりも厳しいといえる。(p46)
新しい事業に成功する確率を上げる方法・他者の失敗に学ぶ
どんな事業でも生き方でも新しいことに挑戦しなければならない。その場合の成功率は千分の一である。つまり、ほとんどの試みが失敗する可能性が大きい。それで、成功の確率を高める努力や知識が必要となる。(pp46-47)
著者は、「他の誰かがその分野で成功しているかもしれない。いや、失敗をしているかもしれない」と考え、そのことを調査し知ることは「もうけもの」であると提案している。今までの他人の失敗を手本とした「逆演算」と「類推」をすることで、失敗の道筋を学ぶことができる。(p47)
2-6、「課題設定」がすべての始まり
課題設定の習慣が失敗に直面したときの判断力を鍛える
「無駄な失敗を防ぎ、新しい創造の種を生み出すために」は「自分自身の中に課題(問題意識)を持つこと」である。「自分がいま何をすべきか」という行動を起す時の「課題設定」が、失敗に直面したときの判断力や新しいチャレンジへの企画力を鍛える。(p48)
それらの判断力と企画力を鍛えるには、まず、課題設定をして、それの解決方法や手段の提案力を鍛えること(pp48-49)
課題設定の訓練
自動車事故の例から、課題設定をする。例えば自動車が塀にぶつかって、前方がぐちゃぐちゃに潰れたという交通事故を仮定する。そして、この事故を防ぐためにはどのようにすればいいかという問題を立てる。(p48)
この問題提起、つまり問題に関する課題設定に対して、二つの回答が考えられる。つまり、一つは、「塀にぶつかっても人的被害が少ないようにする」と言うもの、事故は避けられないので、その事故が起こった後、人的被害をなるべく少なくするという考え方である。もう一つは、「自動車を塀にぶつからないようにする」と言うもので、衝突事故自体を起こさせないようにするという考え方である。(pp48-49)
前者の課題設定から、例えば「ぶつかった際に飛び出すエアバックなどの安全装置を自動車に取り付ける」(p49)という問題解決案が出され、さらにエアバックの出るタイミングや膨らみ方、さらにはエアバックの欠点やその改良案等々、前者の課題設定を展開する解決案が出される。
後者の問題設定から、例えば「塀にぶつかりそうになったら自動的に警告音が鳴るようなシステムを作る」(p49)とか「運転手の覚醒を促す音楽や匂いを流す…」(p49)という問題解決案が出され、同様に事故自体を起こさないための上記の提案を具体化するための案が検討され続けることになる。
共通の課題を持つ人を観察する
課題設定をする訓練によって、同じ課題を持つ他のケースの観察によって、他者の経験に学ぶことが可能になる。つまり、同じ課題を持つ人が、その課題を解決するために経験したこと、それが失敗であれ成功であれ、その試みに学ぶことが出来る。例えば、失敗ならその対処法や予防策を考えることができる。成功ならその道筋を学ぶことができる。
例えば、設計ミスから生じた事故が多発している自動車会社(三菱自動車のような)のリコール隠しを例に取り、設計部のAさんとBさんの対応例の違いを示す。
Aさんは会社のリコールを見過ごすように指示している上司や会社の不正を告発する。そのことによって、Aさんは社内で居場所を失い、退職した。
BさんはAさんの行動の結果、つまり正義感によって会社の不正を告発したが会社を辞めなければならなくなった結果(失敗)を観察し、その失敗に学ぶことで、「この会社は見込みがないから、希望退職を募集して、割増金をもらって辞める道を選択した。(pp50-51)
会社(三菱自動車)は、その後のリコール隠しの不正が社会に暴露され、関係者が逮捕され、マスコミや消費者から厳しい批判に遭い、結局、経営が危機的状況となり、外資系の自動車会社に売却された。
2-7、「仮想演習」がすべてを決める
共通の課題を持つ人を観察する
課題設定が済めば、その後に必要なものは「仮想演習」である。課題設定をいかに解決すればいいかを思考実験することを仮想演習と呼ぶ。この仮想演習・頭の中で失敗の状況を予測し、それに対する対策を検討する作業は失敗学においてはかなり重要な意味を持っている。(p52)
仮想演習は、起こりうる失敗を予想し、その対策を検討するばかりでなく、こうした状況の中で(自分の)上司は何をすべきかを想像する演習にも活用できる。つまり、ある失敗が起こった場合、自分のすぐ上の上司の行動を観察し、「もし自分が彼(上司)ならどう判断し、どう行動するか」を考える作業になる。(pp52-53)
この仮想演習によって自分の実際の経験の範囲を超えて(仮想状態ではあるが)経験できる範囲を広げることが可能になる。現実に自分が所属している部署以外に、他の部署にもこの仮想演習を適用することによって、自分の関心の守備範囲を広げることが出来るだろう。(p53)
仮想演習をしたベンチャー起業家の例と新しく起業するための条件
「仮想演習は人を五倍に成長させる」という考えの説明。(pp54-56)
しかし、人は歳を取るたびに能力が衰える。つまり、新しいことを吸収する力は5年ごとに半減する。すると、仮想演習をして人の5倍成長する能力をもっていても、その能力が5年ごとに半減するなら、その二つの関係から、新たに転職してベンチャーを起業する場合の年齢制限が予測できるだろうと著者は述べている。(pp56-57)
第3章「失敗学の基礎知識」に関する批評(批判的評価)
3-1、失敗は確率的に存在するという意味の理解
失敗とは期待値(目標)に達しないズレの値
著者は失敗学における失敗の定義を、「ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している」と述べた。著者は、失敗という概念を希望していた結果に達しない割合が大きいか小さいかの量的判断を伴って表現したことになる。
言い換えると、畑村洋太郎氏の定義した失敗は期待値に達しないズレを意味する。そして失敗は、ただ単に失敗しなかったと失敗したという二つに区分された一方の概念でなく、目標への到達率が何%なのかという表現として語られる。つまり、目標をすべて達成した100%の成功率(0パーセントの失敗率)と目標をまったく達成できなかった0%の成功率(100%の失敗率)の間に、現実の失敗とよばれる結果は存在していることになる。
失敗を量的に判断(測定)することの意味
著者の失敗の概念を用いると、失敗(行為の結果)を反省するということは、結果がよかったかとか間違っていたかという点検をするのでなく、行為を起こすときに目標とした課題に、行為の結果がどれくらい達成したかを点検することになる。つまり、失敗学では、行為の結果の良し悪しの評価を問題にしているのではなく、また、完全に目標を達成できたかできないかでなく、行為の結果によって達成された課題を定量的に評価することになる。
そのことによって、あらゆる行為が、ある程度目標に近づくことを可能にしているので、その程度、つまりよく目標に近づくことが出来たか、あまり目標に近づけなかったか、とい評価の程度を示す基準(量的判断基準の一つ)を設けて、行為の結果を検証することになる。
失敗学であるので、あまり目標を達成することが出来なかったとまったく目標を達成できなかったという行為の結果に関しての分析が始まることになる。
失敗の評価基準は個人的(主観的)な判断によって決まる
もし、失敗を「ある行為の結果がその目標であった状態に対して望ましくない結果や期待はずれの状態も含むことを意味している」と定義づけた場合、「望ましくない結果や期待」とは個人的な(もしくはある集団での)判断基準を基にして、評価されたものであると解釈できる。
つまり、著者畑村氏の失敗の定義は、主観的(共同主観的)な評価基準を前提にして成立している概念であると言えるだろう。そのため、失敗の程度を定量的に測定することも、一般的な基準を設定して可能になる訳ではなく、個人的な評価基準によって(もしくはある集団の評価基準によって)行われるということを意味する。
日常的に行為を点検する場合、その行為の評価が個人によってかなり異なる場合が生じても不思議ではない。例えば、目標を高く持つ人は、一般的に言って、その高い目標に達することができない場合が多く生じる。その人(目標の高い人)は、失敗の確率が上がることになる。しかし、目標を小さく抑えれば、同じ行為の結果も失敗の確率が低くなる。
目標値(期待値)への達成度(達成確率)を、失敗として考える場合、失敗を少なくするためには、目標値を下げるという行為が働くことになる。
すると、誰も、失敗を恐れない、目標値の高い行動を計画することはないだろう。つまり、失敗確率を低く抑えるために、予め(あらかじめ)、難しい企画や行動目標を立てないということにならないだろうか。
著者は以上の疑問に答えるために、「失敗が確率現象である」という節を設けた。これに関しては、後で批評する。
3-2、失敗の構造、「結果」「要因」「からくり」と失敗の脈絡(三つの要素の構造的関係)
失敗の様式的原因要素(からくり)と環境的原因要素(要因)
著者は、「失敗(結果)は原因(失敗の)を持っている」という一般的な表現を、「失敗(結果)はその失敗を起こす要因とからくりからなる」と表現し直した。つまり、失敗の原因という表現は、失敗を分析する上であまり役に立たない表現であることを指摘し、失敗の原因という意味を「失敗を生み出す要因とからくり」という二つの分析可能で観察可能な概念に変換したのである。
著者の定義する「失敗のからくり」とは、失敗行為を行ってしまった人や組織(集団)の失敗行為を生み出す原因を意味する。つまり、それらの人々(個人)の考え方、技能、態度や、組織(集団、会社、社会や国家)の規則(決まり)、制度、習慣(文化)等々である。著者は失敗の「からくり」という表現を用いて、失敗行為主体の内的な原因を表現した。
また、著者が定義する「失敗の要因」とは、失敗(結果)を引き起こす外的な環境や条件として位置づけている。例えば、雪印食品が引き起こした牛肉偽造(失敗の結果)は、狂牛病(要因)や経営的な危機(要因)が会社の体質(からくり)に入力されて生じた現象であると考えた。食品会社を襲った狂牛病と会社が当時経営的不振になっていた二つの条件が、会社の消費者をごまかし儲け主義に走る体質(経営陣の考え方)に入力されて、食品偽装(詐欺)という結果が生まれたと、著者は説明した。言い換えると、著者が定義した失敗の要因とは、会社(個人)を取り巻く外的な環境や条件を意味している。
つまり、原因は、「からくり」と呼ばれる失敗を引き起こす様式的原因要素と、「要因」と呼ばれる環境的原因要素に分類される。
「逆演算」で失敗のからくり(行為決定の様式要素)を見つけるために問われる問題
失敗とはある行為の具体的な結果(目標であった状態に対して望ましくない結果)である。その期待はずれの結果が現れることで、失敗したことを理解するのである。その行為の結果や期待はずれの状態から、失敗の原因、ここではからくりと要因を見つけ出す作業が始まる。
つまり、失敗学はつねに失敗という明らかな結果を分析し、その原因である失敗の要因と失敗を引き起こしたからくりは目に見えない状態にある。その目に見えない失敗の原因(要因とからくり)を辿っていくことを失敗学では「逆演算」と呼のである。失敗の二つの原因である内的な要因(からくり)と外的な要因(条件や環境)を探り当てる逆演算の作業を通じてしか、失敗の原因究明は出来ないのである。
「逆演算」という方法を用いて、失敗の要因とからくりを発見(推定し、その推定を検証確認)する方法を著者は四つの段階を設定して述べる。まず、第一段階では、失敗の原因《要因》《からくり》を知る作業、その次の第二段階では、《からくり》の正体を探す作業、三つめの段階では探し当てた《からくり》に架空の《要因》を入れて、どのような結果が推定されるか仮想実験をしながら結果を導き出す。そして、最後の段階では、《要因》《からくり》《結果》の関係を一般化し、これららの失敗(結果)の予測や類推に活用する。つまり、からくりが正しく設定されると、色々な要因をそこに入れることで、現実の失敗結果はもちろんのことこれから起こる失敗も推測できる。
この逆演算は失敗学にとって大切な方法論である。失敗学が成立するためには、この逆演算が失敗事例に対して実際に行えるようにしなければならないだろう。その場合、要因を探り当てることはさほど困難ではない。つまり、個人や組織の失敗の条件となる生活や社会環境や状況が要因として仮定される。
しかし、失敗の「からくり」を見つけ出すことは失敗の要因(原因)追求の中で最も困難な作業であると言える。何故なら、失敗を引き起こす企業の体質や個人の性格、考え方や技能内容などは、失敗をしている当人や組織の姿である以上、その人々や組織が自分の欠点を自分で見つけ出す作業の困難さが付きまとう。言わば、自分では自分の姿が見えないという困難な立場に立っての作業を必要とされていることを意味する。
つまり、失敗の要因である「からくり」は、個人、集団や組織など行為主体がもつその行為決定に関連する要素である。つまり、からくりは行為を決める基準であり、行為決定に関係するなんらかの決まりであると言える。
そのために、著者の失敗のからくりを見つけるための「逆演算」は、単なる失敗発見の方法というよりも、つまり失敗経験を点検するための技術的な理解と共に、自らの方法や考え方を点検する方法が求められているのである。
失敗の脈略を活用した失敗の予測実験
失敗(結果)には、必ず、要因つまり外的な失敗の原因要素とからくりつまり内的な失敗の原因要素がある。これを失敗の脈絡と呼んだ。著者は結果から要因とからくりを逆演算して見つけ出し、その相互関連、失敗の脈略を見つけ出す。これが失敗学の失敗原因の探求の過程である。
それから、失敗学は、見つけ出したからくりに、仮定できる色々な要因を入力し、その結果生じる状況(失敗の)を思考実験する。つまり、まず、仮定した「からくり」が正しいかを検証し、その「からくり」が正しいなら、次に、色々な予測できる「要因」を「からくり」に入力することで、これから予測できる結果(失敗の)を示して行く。
これが、将来起こる失敗の予測となる。失敗学の目的は、将来の失敗を予測し、失敗の確率を出来るだけ小さく押さえることに結びつくのである。
3-3、失敗学は失敗の確率を下げるための技術論である
ハインリッヒの法則から、失敗を防ぐ方法としての職場の取り組みとは
労働災害の発生確率を調査研究から割り出したハインリッヒの法則は、そのまま失敗学でも活用できる。つまり、1件の重大事故には29件の軽微の事故が潜み、300のヒヤリとする出来事が潜んでいる。逆に辿れば、1件のヒヤリとする出来事の約30分の1の割合で軽微の事故が潜み、また300分の1の割合で重大事故が潜んでいる。さらに1件の軽微の事故には、30分の1の重大事故が潜んでいるということになる。
重大事故を防ぐには、ヒヤリとした出来事を日々に点検する「ヒヤリハット」の手法が取り入れられている。特に生命に直接関わる職場、医療や食品関係の職場では、ヒヤリハットは日々の作業の中で行われている。
この考え方は、失敗は人間の行為に付随した必然的な現象であり、ある確率で生じる現象であるという考え方にたっている。つまり、決意やがんばりでは失敗を避けることが出来ないため、失敗を避けるための技術が必要となる。それが失敗学であり、ヒヤリハットである。
問題は、職場で失敗を防ぐために、どのような教育や訓練がなされ、また日常的に業務の中で失敗を防ぐ手段や方法が検討されているかが最も大きな課題となる。
失敗学が教える失敗を恐れない仕事の仕方、失敗は成功の母
ハインリッヒの法則は、失敗は確率現象であると説明している。つまり、どのような行為にも失敗は生じる。そして人が何かをすることと失敗は不可分の関係にある。つまり、失敗を避けては何事も出来ないことを意味する。
失敗を恐れ、失敗しないように慎重に物事を行うことは必要であるが、失敗を恐れ、新しいことに挑戦することを止めてしまえば、新しい事業も発見も生まれないだろう。
失敗学は失敗を避けるためにある学問ではあるが、失敗を避けるために、新しい挑戦まで控えることを勧める理論ではない。むしろ逆で、失敗が多く発生するベンチャー起業で、出来るだけ成功率をあげるための技術を研究し教えるのが失敗学の課題である。
失敗の確率を下げるための努力、まず失敗をしたら、その経験を活かし、失敗の要因とからくりを見つける。そして、見つけ出したからくりが正しいかどうか、仮定できる要因をからくに入れて結果を導く、思考実験を繰り返す。
失敗学・他人の失敗に学ぶ技術
さらに、他人の失敗の例を研究し、同じように、それらの失敗事例から、その失敗のからくりを予測し、仮定できる限り多くの要因をそのからくりに入力して、結果を計算する。もし、その計算で、予測した要因から生じた失敗事例が出力できるなら、そのからくりは正しい、言い換えるとからくりの仮説は有効であると判断できる。
こうして、考えられる限りの色々な要因をからくりに入力し、何回となく計算結果を取り出し、特に今後の予測可能な結果を推察する。つまり、失敗学は、将来起こるだろう失敗の可能性を少なくするための方法となる。
3-4、失敗学を学ぶことの意味
人生という失敗だらけの航海のために
生きている以上、つねに新しいことに出会う。そして新しきことに挑戦しなければならない。大学を卒業し、社会に出る。就職して仕事をする。結婚して、家庭を持つ。子供を育てる。自治会など地域社会の活動に参加する。インターネット等で新しい友達を作る。起業する。海外に出張する。放送大学に登録して新しい分野の勉強に挑戦する等々。人生とは、限りなく新しい生き方の局面を乗り越える航海のようなものである。今までの経験しなかった局面を乗り越えて生きていかなければならない。
その中で、新しいことを始める時、また新しい局面で生きていく場合、失敗学は役に立つ知識とこころを教えるだろう。
つまり、失敗学が教える人生という失敗だらけの航海に必要な考え方「強く生きるからくり」を見つけ出すことである。これが、失敗学が提起する「失敗を恐れない」、「失敗に学ぶ」、そして「他人の失敗にも学ぶ」たくましい生き方の方法・倫理ではないだろうか。
参考
三石博行 「東電原発事故 国は徹底した情報開示と対策を取るべきである ‐畑村洋太郎 失敗学の基礎知識に学ぶ-」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/03/blog-post_16.html
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