2011年1月31日月曜日

生理的感覚空間の形成から社会的関係空間の形成の前哨段階へ 欲望の形成

精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(3)


三石博行


生理的感覚空間から場所的配置空間の変移

前節で、寝返りを打てない状態からようやく二足歩行をはじめた乳児期(生まれて1年以内・フロイト精神分析学で言う口唇期)の他者性(非自己)の形成過程についての仮説的説明の可能性を述べた。(1)

まず、制御不可能な自らの身体をはじめて非自己として乳児は認める。この自己の身体を他者性(非自己)として認知する段階を、他者性(非自己)の形成第一段階と考えた。(2)

その後、乳児は寝返り運動などの制御可能な身体を獲得する時期を迎える。制御可能な身体を得ることで、非自己化された身体は自己化することになる。その自己化した身体によって、身体の外に生理的に感覚される世界が形成される。さらに、ハイハイをすることで、生理的に感覚された世界は広がる、つまり「非自己的身体(しんたい)から個体としての身体・身体(からだ)への進化によって、「ここ」と「ここでない」二つの位置関係(空間的関係)が生じるである。身体の外に生理的感覚された空間の形成を第二段階の他者性(非自己)が形成される。」(3)

そして、二足歩行運動によって、ハイハイの運動する身体から見えて「生理的要求対象」と「生理的要求」との視覚平面内(平面的視野)での直線的関係から、立体的視野へと変化することになる。すると、乳児の視覚には、生理的要求対象とそれ以外の対象物とが同時に見える。言い方を変えると生理的要求対象はそれ以外のものにと混在することになる。乳児は、それ以外の対象物を避けて、生理的要求対象への運動を選択する運動が可能となると考えられる。

つまり、平面的視野の世界では、生理的要求対象は「ある」か「ないか」の二つに一つであった。しかし、立体的視野から確認できる生理的対象は「どこにある」という場所を持つことになると考えられる。乳児は「生理的感覚としての空間」から「生理的感覚対象の場所的位置」へと「空間」は広がるのではないかと仮定できる。


生理的身体運動の秩序 快感原則で動く身体運動

この場所的位置の登場は、生理的対象物が「ある」か「ないか」という次元から「場所的に配列されている」次元、つまり「場所的秩序」をもつ次元への変化であると解釈できないだろうか。されに飛躍すれば「生理的要求対象が感覚的空間において場所的秩序」をもっていることを乳児が理解する仮定できるのではないだろうか。

つまり、乳児は制御可能な身体運動の秩序、つまり生理的要求に即して動く身体機能を得る。この身体運動の秩序は、すべての動物が持つ「生理的要求に従う身体運動の秩序」であるといえる。

秩序化された生理的身体運動から、その身体運動を活用し、つまり生理的反応で動く身体を使って、さらに乳児の生理的要求を満たすために、寝返りをし、ハイハイをし、二足歩行を行って、その要求の対象に身体を動かす。その生理的行動を通じて、生理的感覚空間における場所的秩序を理解する。

つまり、より経済的な生理的行動、合理的な身体運動は乳児から生理的要求対象への最短距離を見つけること、さらにその最短距離内にある障害物を避けること、生理的感覚空間の外的世界に登場した最初の区分作業の基準となる。つまり、「ある」か、もしくは「ない」かという生理的感覚空間では、対象が「ある」場合には、同時にそれへの直線的行動が可能となる。そうでない場合には、つまり対象は存在しない(見えない)ため生理的感覚空間はない。

しかし、二足歩行を可能にした乳児には、生理的対象は、色々なものの中に混在して「ある」。つまり、そのとき、空間は対象が「ある」と「ない」の二つによって構成されず、対象はいろいろなものの中に「ある」ことになる。そのため、乳児はその対象に対して、直線的な動きでなく、生理的要求以外のものを避けながら、生理的要求に近づかなければならない。

つまり、このとき乳児は、避けるという行動を起こすことになる。生理的要求に近づくために、それ以外のものを避ける行動が取られる。この避ける行動、ここでは生理的に避けるという意味であるが、避けながら近づく、近づくために避けるという行動運動のプラスとマイナスを組合し、生理的要求対象に接近する運動規則(秩序)を身につけることになる。生理的対象が「ある」場合、そこに生理的対象への空間が存在し、そして生理的行動は生まれる。それが「ない」場合には、生理的対象への空間はなく、生理的行動も生じない。

つまり、ハイハイを行っている段階の乳児の世界は、要求する対象とは接近できる対象を意味する。対象が「ある」ということは、それに対して接近が可能な空間的対象を意味する。見方を変えれば、生理的要求対象が「ある」という「感覚」が、その対象物を得る条件で成立することになる。この成立条件は快感原則と類似する。

つまり、すべての生理的要求対象とはすべての獲得可能な対象であると言える。それは、獲得可能な対象しか「ある」と感覚されない乳児の世界の姿であり、生理的要求対象が「ない」世界とは乳児の感覚の外を意味する。つまり、あるものは得られるものである。これを得られるものから見ればすべての世界が彼には得られる対象であることになる。この世界を快感原則に基づく一次ナルシズム的世界と呼ぶことが出来るだろう。


生理的身体運動の秩序から場所的運動の秩序へ

二足歩行を行うようになった乳児が、生理的感覚対象が場所的空間に配列する過程で、生理的感覚世界に場所的秩序が持ち込まれることになる。つまり、乳児はその場所的秩序を理解することで、最も経済的な運動を選択し、生理的に要求する対象へ接近することが出来るようになるのである。

これらの、生理的身体の秩序化から生理的感覚対象の場所的秩序化の乳児における学習過程の延長上に、所謂、社会秩序の受け入れが準備されるのではないだろうか。つまり、一次ナルシズム的世界から二次ナルシズム世界への移行過程には、つまり、二次ナルシズム的精神現象を誘発する精神経済則・現実則(社会文化的規則を基にして機能する精神経済法則)までに、幾つかの段階が仮定される。その仮定は、生理的運動空間が場所的運動空間へ移行する時に生じる場所的身体運動を獲得する過程から想定されるのである。

また、この説明仮説には、ある意味で、上記した仮設的説明は、フロイトが常に引き合いに出す「個体発生は系統発生を繰り返す」という考えを想定している。

つまり、原始的動物も生理的要求対象にたいして反応する個体を持つ、それらの反応は単純な反応から、次第にそれらが高等な動物に進化することによって、生理的要求対象を得るための一次元的な行動から次元数を増やす行動バターンを獲得する。そして、もっとも合理的に身体を動かすことによって獲物を獲得する運動を獲る段階にまで発達するのである。その合理性とは、身体運動を規定する規則を活用し、最小の身体エネルギーで最高の運動効率を上げることを意味しているのである。

さらも、乳児はこれまでの動物が獲得した生理的運動の合理性を得る身体内運動(筋肉運動)の規則性を獲得することから場所的空間運動の合理性を得る身体外運動(場所的空間認識)の規則を見出すのである。

言い換えると、快感原則から現実則を得る過程は、個体が生理的要求対象を場所的に感覚し、その対象に対して接近するための生理的方法、つまり、最小エネルギーによる最大効果を得る身体運動の獲得によって、可能となる。その過程は、場所的空間運動の合理的運動能力の獲得をもって表現される。この合理的な場所的移動や運動の法則(秩序)を現実則の前哨段階と考えることも可能である。

このようにその合理的な身体の運動能力を得ること、つまり場所的配置空間で身体の運動の規則性(障害物を避け、生理的対象を最小エネルギーの力で獲得するための身体の動かし方)を理解するのである。この規則性の理解によって、個体保存のための能力は磨かれ、個体は与えられた環境に順応するという表現で生存することが出来るのである。この合理的な場所的移動や運動の法則を理解することによって、現実則を身につける身体的ど土台が出来上がっていることになる。


生理的要求対象から言語的意味対象へ (欲望の発生)

乳児が二足歩行を始めることで、フロイトの説明仮説である口唇期(一次ナルシズム的世界、快感原則で機能する自我)は終焉に向かう。

生理的要求対象が場所的空間運動によってそれ以外の障害物と混在しはじめ、その混在はますます広がる。つまり、乳児は二足歩行によってより多くの生理的要求対象以外のものを見る。視覚的能力が向上することによって、その混在はますますひどくなるだろう。もはや、自分欲しいもの(オッパイ)は、それ以外のものの中に隠れてします。

乳児は、色々なものを口にし、それが生理的要求物(オッパイ)でないことを確認し続けることになる。そして、ますます大きくなる生理的要求を求めて、色々なものを口にし、それを一つ一つ確かめなければならない。

それらの生理的要求物意外のものを口から吐き出すことで、それらは明確に非身体であり、身体の外に置かれることになる。乳児が口にするもの、それらが生理的要求以外のものの初めての出会いを意味し、それらが身体の外に生まれる初めての世界である。生理的要求物でない「もの」を吐き出すことで世界は外に広がる。(4)

それらの身体の外に吐き出され、生理的要求の対象物でないもので覆い尽くされながら、非自己の空間的世界が生まれる。それらの空間を占めるものは、まず、生理的要求の対象物への障害物となる。生理的要求の対象物を得るためには、それらの障害物を理解しなければならない。それを避けるために、それを生理的要求の対象物と誤解しないために、乳児は、それと生理的要求の対象物を区別するために、まず、その対象物を区別する手段を手に入れようとする。

「マンマ」という呼び名が生理的要求の対象物に命名される。それはその対象物を持つ母であり、母のオッパイである。そして、「マンマ」ということ対象物がそれ以外の他ものと区別される。つまり、乳児の音声から生じた「マンマ」は「オッパイ」を意味するもの(記号)であり、乳児の頭には「オッパイ」の視覚的表象が指示物として存在し、その視覚的に指示するものと「マンマ」という音声によって指示するものが、その「マンマ」の記号によって意味されるものと連動する。そこに「マンマ」(音記号)と「オッパイ」(視覚的表象)と「マンマ・オッパイ」(意味)が形成するのである。(5)(6)

生理的要求の対象とは視覚的な対象である。その視覚的対象が言語化されることによって、生理的反応から言語活動的反応にと変化することになる。つまり、生理的要求の対象であった「オッパイ」は母の身体の一部である。しかし、言語化された「マンマ」は、その身体から切り離された「対象」となる。ある具体的な他者の身体性を捨象することで、意味としての独立した「マンマ」が存在することになる。乳児は、母の身体性から抽象的な「マンマ」・オッパイを要求する。つまり、この抽象的なオッパイ、言語化されたオッパイ「マンマ」は、もはや乳児の生理的要求の具体的に対象物でなく、意味化した要求物に抽象化されることになるのである。この抽象的な要求を「欲望」と呼んでいる。

欲望は生理的要求を土台にしている。その意味で欲望は身体的作用がその背景となるように思われるが、明らかにそれは言語活動によって生じたものである。つまり、乳児が生理的要求対象を言語化しなければ、「欲望」は形成されないのである。


参考資料

(1)NHKアインシュタインの眼「赤ちゃんの奇跡」2011年1月23日放映
司会 古田敦也  ゲスト:堀ちえみ、小西行郎(日本赤ちゃん学会理事長) 
番組 「赤ちゃん 運動発達の神秘」
http://www.nhk.or.jp/einstein/archive/index.html

(2)「非自己としての身体性の発見 一次ナルシシズム的世界の亀裂現象」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1_27.html

(3)「非自己としての生理的空間の発見と場所的空間の形成」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/2_27.html

(4)岸田秀氏が「ものぐた精神分析」で語る肛門期での空間の成立過程を参考

(5)ソシュールの言語学を基にした考え方を参考

(6)三石博行 システム言語学研究
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_02_04.html

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/pdf/kenkyu_02_04/cMITShir00j.pdf



(7)Hiroyuki Mitsuishi DECONSTRUCTION ET RECONSTRUCTION DE LA METAPSYCHOLOGIE FREUDIENNE - ESSAI D'EPISTEMOLOGIE SYSTEMIQUE - 邦訳 フロイトメタ心理学の解体と再構築-システム認識論の試み- Atelier national de reproduction des these France、584p 1993年10月 単著
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05_02.html

http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/kenkyu_05.html





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