2011年1月27日木曜日

非自己としての空間の発見と場所的空間の形成

精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(2)


三石博行


身体性の自己化による生理的空間の発見

前節では、寝返り運動の出来ない乳児の身体運動に関する研究報告を活用しながら、非自己状態の身体性の出現、つまり「第一次の非自己化過程」について語った。その中で、この第一次の非自己化過程・一次ナルシシズム世界での亀裂出現期での、生理的空間や生理的時間の概念についても触れた。つまり、その時期での空間や時間概念は、我々が知る空間や時間概念では想像することの出来ない世界であると謂える。この段階を前期口唇期と呼ぶことにする。

さて、この節では、寝返り運動が可能になった乳児を例にとりながら、非自己化している身体が自己化する過程について考える。つまり、一次ナルシシズム的世界に生じた亀裂過程では、非自己は自己の要求に従って運動しない身体・制御不可能な身体であった。換言すると、この身体が自己の要求に従って運動する身体・制御可能な身体である。この段階は前期口唇期が終焉しようとしている段階であると考えることにする。

この段階で、乳児は制御可能な身体を持つことで寝返りを打ち、生理的要求対象を獲得するための身体運動の飛躍的一歩を踏み出すことができるようになった。その意味で、第一次の非自己化過程で登場した非自己としての身体性は自己化され始める。つまり、生理的反応に即して身体運動を可能にすることで、非自己的身体性は消滅し、自己化した身体が形成される。

しかし、この場合の自己とは、自らの生理的要求を獲得するために自らの身体を動かすことのできる条件を意味する。自己化とは、つまり、生理的要求内容と制御可能な身体運動内容に一対一関係が成立したことを単に意味しているに過ぎない。その意味で、自己の身体性に非自己性という要素が消滅することを意味する。そして、ここから後期口唇期が始まると考える。



感覚的空間の発見 身体運動量による生理的感覚空間

寝返り運動を可能にした乳児は、さらに生理的要求に対して動く身体を次第に獲得して行く。寝返り、ハイハイと乳児の行動半径は広がる。つまりそのハイハイによって生まれる新しい空間は、行動半径の広がり、前節でのべた、寝返りを打てない赤ちゃんの生理的反応から生じる空間感覚、つまり、「つかめる対象・ここ」か「つかめない対象・ここでない」の関係が絶対的に成立している二つの対象理解に付随する差異から生じる感覚ではない。

ハイハイをすることで、赤ちゃんは、「つかめた」と「つかめない」の二つの生理的反応結果を自らの身体運動で可能にし得る。言い換えると、生理的要求を満たす対象物が「つかめないもの・ここでない」であったとしても、それを寝返りやハイハイ運動によって「つかめるもの・ここ」へと変化さすことが可能になる。

この二つの空間関係は身体運動によって能動的に創られる。「ここ」と「ここでない」の関係をつなぐのは運動する身体(自己化した身体)である。言い換えると、「ここ」と「ここでない」の感覚的空間的関係が生じるのは、「つかめない」ものを「つかめる」ように変えうる身体運動を獲得した身体(からだ)によるものである。その非自己的身体(しんたい)から個体としての身体・身体(からだ)への進化によって、「ここ」と「ここでない」二つの位置関係(空間的関係)が生じるである。

感覚的空間は、自己化した身体と自己化していない世界との関係によって生じたのでなく、自己化した身体の運動によって獲得した生理的要求の結果獲得されるのである。つまり、もし、それが欲しいという生理的要求がなければ、そしてその要求を叶えるための身体運動、寝返りやハイハイはない、すると身体運動に結果としての感覚的空間は登場しえないのである。

要求が増えるごとに、その要求を叶える身体運動が必要となる。手や足の指の筋肉を使って効率のよい前進運動を工夫される。そして、ハイハイのスピードが変化し、「ここ」と「ここでない」二つの地点は狭まる。ハイハイの段階では、赤ちゃんの平面的な視覚からは生理的要求物への距離とは、我々の理解している立体的な距離、二つの間にある物理的な距離感覚はないと理解できないか。

生理的感覚で理解される距離とは、「ここ」から「ここでない」までの到達に必要な生理的エネルギー量(消費エネルギー量)によって理解される。つまり、我々の眼から見える赤ちゃんの身体運動速度が、獲得しやすいもの(近いもの)と獲得しにくいもの(遠いもの)の感覚を生み出すことになる。その意味で、生理的感覚空間は生理的運動時間と不可分の関係になると謂える。


二足歩行運動から得られる場所的空間の形成

さらに乳児の生理的要求が大きくなることで、生理的感覚空間は広がり続ける。そして同時に、生理的要求の対象を手に入れるための身体運動は鍛えられ、身体運動効率を上げる。そのことで、生理的感覚空間は相対的に縮まると思われる。

しかし、乳児の生理的要求対象はますます増え続ける。それはハイハイによる身体移動では可能にすることが出来ない。そのために、ハイハイから二足歩行へと身体運動は変化することで、乳児は効率の高い身体運動を獲得しようとするのである。しかし、必ずしも、ハイハイから二足歩行が移動効率の高い運動であったいうより、赤ちゃんの足や手の胴体とのバランスの変化、成長にともなう身体的変化によって、二足歩行へと移行するのではないかた考えられている。

二足歩行をするようになって、乳児の視覚世界を大きく変えることになる。今まで、平面的視野から生理的要求の対象物を見ていた世界が、立体的視野へと変化する。そのことで、身体運動量として理解されていた対象物への距離感を支配していた生理的空間は生滅し、対象物が配列されている空間が登場することになる。つまり、対象物に間にあった「ここ」と「ここでない」空間から、対象物が自分の身体の位置「ここ」から、色々な「ここでない」位置、「そこ」に配列されていることになるのではないだろうか。

「ここ」と「ここでない」一次元的な距離概念の関係は、「ここ」と「そこ」という二つのまったく異なる場所の関係や位置関係へと変化することになる。そのことは、象徴的表現を借りるなら「ここ・自己」と「ここでない・自己でない」同一空間的関係に存在している自己と自己でない世界の未分化状態を意味している世界が「ここ・自己」と「そこ・他者」という二つのまったく異なる存在関係へと変化することになる。

こうして、生理的要求の対象がから空間的配列された対象へと変化する。これは生理的空間が場所的空間へと匿名化される過程、つまり、直接的な欲望対象から間接的な視覚の世界を構成するものへの変遷を意味する。この変遷こそ、超自我が欲望の対象への精神エネルギーの直接投資を禁止する過程(一次ナルシズム世界の終焉・快感原則による精神エネルギーの投資形態の変化)によるものであると理解される。

生理的空間感覚は消滅し、つまり生理的要求に一次元的に了解されていた世界、それゆえに対象に対する直接的な投資形態が可能であった世界から脱却し、場所的(視覚的)空間に配列されて登場している生理的要求対象に対して直線的でないアクセスの仕方を理解する。それは、障害物を避けるための方法の生理的理解であり、間接的に近づく方法の取得でもある。つまり、この生理的空間が場所的空間に変化する段階で、後期口唇期が終焉する。一次ナルシシズムによって機能していた自我はすべて抑制されることになり、口唇期の精神現象は消滅する。


参考資料

「精神分析学的説明仮説から推論できる他者性の形成過程に関する哲学的議論(1)」
http://mitsuishi.blogspot.com/2011/01/1_27.html


訂正
2011年1月27日 誤字訂正
2011年1月29日 誤字訂正






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