2014年12月29日月曜日

自己認識の基本を作る他者と自分の差異、差別の構造

差別とは何か。それと向き合うこととは何か(2

三石博行

フランス人の人種差別に関する私の意地悪な実験


1980年代、フランスにいた頃、善良なフランス人をつかまえて、悪い冗談をやっていた。フランス人に「何人ですか」と聞かれた時に、「ベトナム人です」「中国人です」「韓国人です」「フイリピン人です」と答えてみた。それから、フランス人たちの反応を観て、「否、ごめんなさい。日本人です」と言った。そして彼らの反応を再び観察した。

実に、ふざけた話である。こんな冗談を言われたら腹が立つと思う。「ふざけるな」と言いたくなる。しかし、不思議なことに善良なフランス人たちは誰も「ふざけるな」とは言わなかった。

彼らにしてみれば、日本人の私がベトナム人とか中国人だと言っても、誰も私の言ったことを不思議だとは思わない。と言うのも、フランス人から見ると、東アジアや東南アジアの人々は、ほぼ同じ顔立ちをしているのだ。

逆も同じで、私たち日本人もフランス人、スペイン人、ドイツ人等々、西欧人の顔立ちから、それらの人々の国籍を正確に見分けることは出来ない。むろん、顔の細部をよく観れば、国籍に付随する共通する特徴(統計的平均値として)もある。だが、それも必ずしも、例外なく、それらの特徴が人々の国籍に完全に一致している訳ではない。

しかし、アメリカでは、世界中の民族が集まっているので、大まかな人種的区分で人々の顔の特徴は分けられる。例えば、インド系の顔をした人が日本人ですと言っても、また東アジア系の顔をした人がフランス人ですと言っても、通用しない区分が出来上がっている。だから、私がアメリカで仮に「私はイギリス人だ」と言っても、「アジア系イギリス人」だと思われる。

フランスで、東(東南)アジア系の私が「ベトナム人です」と答えたら、フランス人たちをそう思ってくれる。そして、彼らは私を「ベトナム人」として扱ってくれる。彼らのベトナム人に対する態度が示される。また、「日本人」と答えたら私を日本人として扱ってくれる。日本人に対する態度を示してくれる。私の目的は、フランス人たちの微妙な態度の変化を観察することであった。その目的は達成された。

自由、平等、博愛、人権の国フランス、そして人権教育を確りと受けた文化人としてのフランス人の本音が観える。彼らの中に奥深く潜む差別観が理解できる。旧植民地の人(実際はインドシナ戦争で負けたのだが)、世界第二の経済大国(1980年代の日本)から来た人、その二人の人への態度は明らかに違う。その違いを理解するための私の実験は成功したようだった。その目的は、人が人に無条件に行う差別意識はどこから来るのかという実験であった。

フランス人にとっては人迷惑な実験であった。善良なフランス人たちは、まんまと、私の実験の材料となってくれた。彼らには本当に気の毒なことをしてしまった。しかし、こうした実験をしなければならなかった私は、この人権の国フランスで、差別されていると、きっとどこかで思っていたのかも知れない。


差別意識の起源としての社会的文化的共同主観の形成


その実験結果を簡単に紹介すると、以下のことが言えた。つまり、人が人を観ているとき、その殆どの印象や評価はその人の国籍から始まる。当たり前のことだと言えばそれまでだが、人の評価は、その人がどの国で生まれ育ったかという事でまずは決まる。国籍が、人を判断するための第一の材料となるという事だった。もちろん、その第一評価が最後までその人の評価に付きまとうことはない。もし、付きまとうなら、それは正しい評価関係がなかったことを意味する。

例えば、自分の興味のある国から来ていると、当然ながら関心を抱く。貧しい国から来ていたら、お金に苦労しているのだと察する。旧植民地の国から来ていたら社会に根強く存在する偏見を持ち込む。これは実に当然で自然な人々の反応であると言える。

人はその人個人を理解するために非常に多くの相互コミュニケーションの時間を必要とする。そんな時間がなければ、手っ取り早く、一応、社会で評価されている基準に当てはめる。その基準からその人の評価が始まる。これは、ある意味で、便利な尺度を社会が準備してくれているとも言える。その尺度・社会的偏見を持って、人は人を手っ取り早く判断している。

忙しい人々に取って、この尺度が在ることは便利である。何故なら、本来、非常に長い時間をかけて人が人を判断しなければならない過程を、一挙に、短縮してくれるからである。

人が人を判断する便利な尺度、社会的利便性と人権問題を起こす「社会的偏見」は表裏一体のものである。便利な尺度によって、人は人を無条件にあるパターにはめ込み、ある評価を下し、安心して排除することが出来るのである。

一般に、国や民族、社会や集団を形成して生きている我々は、社会的常識を持って共存し、文化的感性をもって生活している。その社会的常識や文化的感性が「社会文化的偏見」と表裏一体のものであると言える。

人は他者への偏見を持つことから、その他者との関係を持って始まる。人は常に他の人に対して社会的常識と呼ばれる同一の社会的偏見を求め、その社会的常識が共有できなければ、その人と付き合いたいとは思わない。何故なら、非常識な人からは常に大変な目に遭わされて来た記憶を持っているからだ。

また、人は他者に文化的感性と呼ばれる同一の共同主観(文化的偏見)を要求する。そうでなければ共同生活は無理だと知っている。ことばが通じなければコミュニケーションを取ることはできない。文化的共同主観の土台は同一言語によって成立している。おなじことばを使い日常的な会話は始まる。勿論、バイリンガル(二つのことば)を公用語としている国では、その二つの言語によってコミュニケーションは成立し、保障されている。おなじことばを使っているということが文化的共同主観を共有している条件となる。その意味で、文化的偏見も共有されていると言える。

社会的常識・社会的偏見や文化的共同主観・文化的偏見を共有していることを、コミュニケーション可能、共感、協働可能とか言っているのである。これらの偏見なくしては、時代的社会的な共存の条件を揃えることは出来ないだろう。

もっと踏み込んで言うなら、社会的かつ文化的共同主観的世界の中では、そこで共有されている美的センス、社会的価値観はもとより、国語と呼ばれることば(記号)、表象、意味の同一集合体によって私たちの自己認識と呼ばれる自己意識や世界認識と呼ばれる対象認識は形成されている。

コミュニケーション可能なことばを共有することで、他者との会話が成立し、他者やそれを含む世界から自己意識や自我が形成される。意識とは他者やそれを含む言語とその意味によって構造化、つまり概念化されたものである。言語や社会生活規範の習得、つまり、国語や社会文化的価値観は、他者とのコミュニケーションを通じて形成されていく。そして、このコミュニケーションによって、民族意識、国民性、地域社会性、家族感情と呼はれる文化的共同主観性が個人の中に確りと成立して行くのである。

社会的存在である人は必然的に何らかの共同主観や社会的偏見を持って生きている。逆に、ある社会的常識、つまり社会的偏見を持たない人は、社会生活を営むことは出来ない。また、人は異なる文化的感性や社会的常識をもつ他者を排除する。それがその人が所属する社会を維持するために必要な行為となる。

社会の秩序を守るために、社会常識のない人々を排除することが必要となる。その排除の行為の前に、つねに文化的異分子を検閲するための社会意識が機能する。それを社会的偏見と呼ぶが、その社会的偏見は人が社会的存在であるために必然的に所有した差別とよばれる意識である。自然に持っている自我の防衛機能であるとも言える。逆に言うと、その社会的偏見、差別こそが、彼が持つ文化的存在者としての自己意識なのだとも言える。


自己認識を支える社会的文化的偏見


差別の問題を掘り下げていくと、自己認識の在り方にたどり着く。言語の意味の形成の仕方と類似している。あることば(の意味)に対することば(の意味)としてべつのことば(の意味)が形成されるように、自己とはある他者に対する差異的存在として自己認識が生まれる。

その意味で、差別することは自己を他者から区別し、自己が独自の存在である根拠を確立することだとも言える。人は、他者との比較によって自己を理解する。他者が居なければ自己もない。自己とは他者によって形成されたものであると理解してもよいのである。

つまり、差異を見出す意識、違いを感じる感性、他者を自己から差別する意識が、社会的存在としての人の精神構造の基底に横たわっている。この意識無くして、人は共存関係や協働作業もできない。差別・差異が存在しなければ「自己」は生まれないという事は、差別するという意識が、自我や自己意識の基本を構築するために必要な意識であるとも言える。

その意味で、社会的偏見や社会的差別の起源は、他者との差異を理解し形成される自己意識があるとも言える。人は、国や民族、生まれ育った社会や集団によって規定された意識活動(言語文化活動)によって、自分という自己意識を形成している。私という自己意識は、社会文化的環境の産物であり、その意味で、人は社会的存在であると言われるのである。

極論すれば、人種的、民族的、社会的な偏見を持たない人はいない。それらの社会文化的偏見こそが、自己意識の土台となっていて、時代的文化的に規定された自己意識の基本型を創っている。それらの社会文化的偏見と歴史的社会的存在者のもつ自己意識は裏一体のものである。

このことは、人権思想から考えると、厄介な問題を提起していることになる。言い換えると、「人は人を差別していることで、個人として自覚的に成立している」と言っている。社会的な差別は正当化され、もちろん、人種差別も人として自然に生み出されたものだと解釈される。自己認識の基底を形成している「差別」という意識構造を肯定することで、今日、人権思想が批判するあらゆる差別が肯定され、その存在理由を語ることが許されることになる。

これまで、人類の歴史の中で、差別がなかった社会や文化はあったろうか。人権剥奪を意味する人種差別や性差別から社会的偏見を意味する職業差別や学歴差別に至るまで、差別はどの社会にも存在していた。高度な民主主義文化を持つ国でもやはり差別は存在している。それが完全に社会から消滅した歴史を我々は理念の上では知っているが、現実では知らない。だから、差別を無くすることは非常に難しいという結論に至る。


だからと言って、差別を認めと言っている訳ではない。また、差別を廃絶しようとする努力が無駄だと主張している訳ではない。歴史を観れば、中世社会より現代社会が、より多くの人々の差別は無くなり、人権が確立されて来たことは疑えない。現代社会になって、多くの人々が自由や平等の権利を獲得して来た。そして今後、より人々は差別を克服するだろうと思っている。


「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_99.html


三石博行のフェイスブック

人種差別・人権侵害をしながら、それと闘ってきたアメリカという国

差別とは何か。それと向き合うこととは何か(1)


三石博行


自由主義の国家アメリカの二つの側面


アメリカと言う国は、長年、人種差別を含め人権の問題を考える人々が生活していた社会である。何故なら、この国は、宗教や思想の自由を求めてヨーロッパから逃げて来た人々が国を興し、土着民を殺戮して国を広げた。この国は、アフリカ人を鎖で縛って拉致し、奴隷として働かせ豊かになにした。奴隷解放や自由主義を口実に南北戦争を引き起こし、資本主義経済制度を基本とする国家を確立させた。メキシコの独裁政権に反対する民衆を支持しながら、北アメリカ全体に領土を広げてきた。

また、第一次世界大戦に参加しヨーロッパの専制君主制度を終わらせ、第二次世界大戦では、ドイツのファシズムや日本の軍国主義を打倒し経済合理性と統治合理性において民主主義が最も進んだ政治制度であると歴史に刻み、同時に日本に二つの原爆を落とした。戦後は、民主主義社会を守る口実で、新しい帝国主義国家アメリカを確立し国際経済を支配した。自由経済主義を守るために、一党独裁の社会主義政治思想と真正面から対決し、ベトナム戦争を行い、世界中にアメリカの軍事基地を作った。国家は東西冷戦の状態を深刻にさせながら、市民はベトナム反戦運動が起こし、公民権運動が起こし、人権や平和運動を世界に発信した。

核兵器に必要なプルトニウムを生産するために、核の平和利用という口実を設け原発を造った。化石燃料、特に石油依存社会を作りながら、再生可能エネルギーの普及を試みた。パレスチナ人を追い出すイスラエルの極右政権を支持しながら、南アフリカの人種差別制度を批判した。核兵器の拡散を阻止するとデマと飛ばしてイラク戦争を起した。テロにイスラム教の若者を追い込みながら、テロと戦いを宣言した。テロリスト容疑者を捕まえて拷問し殺しながら、それらの自国の犯罪に関する情報を大統領が率先して公開した。

世界中に便利なインターネット網を作り、世界経済を活性化する情報社会を作り、個人情報を守る制度を作り、個人情報を傍受し、ソーシャルメディアを普及させ、等々。並べれば限りがない。それらは、すべて肯定的側面と否定的側面を持っている。しかし、それがアメリカなのだ。

多民族多文化国家アメリカと差別と反差別運動の歴史


「アメリカはと何か」とか「アメリカ人とは何か」という質問に対して、「アメリカ人は差別や人権侵害と闘ってきたもっとも民主主義文化を知る人だ」と誰かが言ったとしても、「否、アメリカでは奴隷制度や黒人差別があり、原爆投下、ベトナム侵略戦争、イラン破壊戦争を行ってきた国だ」とアメリカの平和主義者や人権運動家が言うだろう。その逆も言える。「アメリカは経済や軍事力での世界覇権を行っている最悪の国だ」と言えば、「いやそれは間違いだ。アメリカは政治亡命者を20世紀初頭から受け入れて来た。アメリカの兵士の犠牲によって、ユダヤ人虐殺を食い止めた。世界中の人々が移民しアメリカ市民となり、豊かな生活を獲得した。」と大半のアメリカ市民は言うだろう。

アメリカを一つのことばで括って説明することは難しい。また、アメリカ人とは何かという疑問に答えることも簡単ではない。多様な人種、多様な考えの持ち主、もちろんファシストもいれば平和主義者もいる。多様な生活文化、南から北極圏アメリカ、アラブ、スラブ、西欧、中東、北アフリカから南アフリカまで、南から東南を経て東アジア、そして極東アジアまで、世界中から人々がやって来て、人たち民族の伝統的な生活様式を持ち込み、ここで生活をしている。文化や民族の多様性を受け入れる寛大さもアメリカである。

また、異なる人種のアメリカ人が住んでいるのもアメリカだ。言い換えると、異なる人種(アメリカ人)によって一つの国アメリカをつくっているのである。アメリカ人はとは、アングロサクソン系、アイルランド系、フランス系、ドイツ系、イタリア系、ロシア系、日系、インド系、中国系、韓国系のアメリカ人ということになる。

その意味で、この国では人種差別が国家の成立と同時に存在し、そして市民社会の確立と共に、この人種差別を乗り越える闘いが行われてきたのである。最も厳しい人種による差別があり、最も多岐にわたる生活文化に対する差別を抱えてきた国であると言える。言い換えると、未来の日本で起こる差別問題がここでは1、2世紀先に起こっている。アメリカは社会学の研究フィールドとしては最高の場所で、政策研究の先進的な課題が宝のように積まれている。

人種差別を乗り越え、新たな人種差別に悩む人々の国、アメリカ


このアメリカで最も人種差別の問題を考えている人々とは、差別されている人種に所属している人々、またそれらの人々と結婚している白人を含めて差別を受けていない人々である。例えば、黒人、アジア人種、ラテンアメリカ系の人々、中東やイラン人、つまり白人でない人々やそれらの人々間で出来ている家族、それらの人々と結婚している西欧系白人である。

多くの異なる人種や民族の移民の歴史で作り上げてきたアメリカでの異民族間の結婚は当たり前のことで、丁度、日本では異なる県の男女が結婚するようなものである。もちろん、日本でも戦前は、同郷土人同士の結婚が多かったと思われるが、戦後、次第にその傾向は少なくなっていったように、アメリカでもつい最近までは同じ人種間の結婚が多かったかもしれないが、今は、次第に、その傾向はぼやけ、異人種間のカップルが自然と多く出来ているようである。

異人種間の結婚とは、特に白人系の人々に取っては、自分たちが差別して来た人々と同じ立場に自分の子供を置くことを意味する。これは1967年の映画「Guess Who's Coming to Dinner招かざる客」の話であるが、黒人差別に反対していた新聞社のトップを務める父親が、娘が黒人と結婚することになったとき、その結婚に反対した。このように、このストーリーでの、黒人差別に反対する親の本音に潜む差別意識を表現している。父親、マット・ドレイトン氏は娘が黒人と結婚することによって受ける差別を感じ、黒人差別を批判して来た立場を返上しても、娘の結婚に反対したのだろう。

この映画はベトナム反戦運動が起ころうとしていた時代・1967年のものである。その後、2001年にはパウエル将軍がブッシュ政権時に黒人初の国務長官を務め、オバマ氏が2009年に黒人初の大統領に就任した。アフリカ系アメリカ人たちが社会的に高い地位に付くようになった。

その意味で、人種差別は無くなったと言うかもしれないが、今年の11月に警察官が銃を持たない黒人少年を殺害したり、無抵抗な黒人男性を絞殺したりしたが、控訴すらできなかったことに全米で黒人への差別に反対するデモや暴動がおこった。その中で、オバマ大統領が大統領就任前に、民主党の政治集会で、ボーイに間違えられ、同僚に「コーヒーを持ってきて」と言われたとか、笑えない話も出て来た。つまり、現実に人種差別は根強くアメリカ社会に残っているのである。

しかしながら、異人種間の結婚やカップルが益々多く生まれしている。人種の異なる両親から生まれた子供たちが益々増えつつあることは確かである。多様な文化を持つ人々が交じり合い、そして拡大する異文化生活文化や異文化地域社会文化が、移民の国アメリカの行くべき進化の方向を示しているとも言える。そのことは、同時に、新たな人種差別を生み出し、深刻化させているともいえる。

つまり、招かざる客を招いてしまって生まれた新たな社会問題が至る所に噴出しているのである。それは、人種差別を受けて来た人々との「ハーフ」と呼ばれる新しい人種の誕生と、それらの人々への新しい差別を意味するのである。そして、同時にその差別に対して、今までのアメリカ人が取り組んできたように、真剣にその問題の解決のために、社会に呼びかけ、立ち向かうことを意味するのである。

この二つの側面、人種差別をしながら大きくなったアメリカと人種差別を解決しながら豊かになったアメリカがいるのである。それは、この国の人々が、ある意味で、差別していることも、差別されていることも、隠さずに自己表現する力を持ち、またこの社会が、差別をしている現実を受け入れ、それを解決し続けようとする力を持っているからだとも言えるのである。そこに、この国の偉大さや、またこの国の若さがある。


参考資料


1、「招かれざる客の映画


2、http://movie.walkerplus.com/mv8554/黒人運動の功罪

3、「あなたならどうする?~人種差別の実験~」
https://www.youtube.com/watch?v=g7mtkAIQ78g
「あなたならどうする?~人種差別の実験~」YouToub 動画

2014年12月27日フェイスブック記載


「差別とは何か。それと向き合うこととは何か」目次
http://mitsuishi.blogspot.jp/2015/01/blog-post_99.html


2014年12月28日日曜日

LAの青い空とGospelの歌声

三石博行

12月23日、サンフランシスコのLorraine Hansberry Theater で開催されたSoulful Christmas A Gospel Holiday Concertに行ってきた。その演奏会場は、以前兵舎だった施設で、今は市民の芸術活動に提供するために改築されていた。芸術活動を行っている多くの市民団体が、この施設を活用している。

二棟ある大きな建物の一つの三階に200名ほど入る会場があった。開会間際にその会場に入った。もう会場は殆ど満員であった。その日の演奏は約3時間程度だった。余りの感銘で、自然に涙がこぼれていた。魂を揺さぶられる音楽だった。そして、奴隷として扱われた彼らの強さ、明るさ、楽天的な生き方も伝わってくる曲だった。あまり、感動したので、言葉が出てこない。

12月24日、サンフランシスコからロスアンゼルスに来た。LAの空は真っ青だ。いつも、ここにきてこの空の色に驚く。乾燥した地中海性気候のせいで、こうした青いそらに出会えるのだろう。

よく、LAに移民してきた人々が、差別などを受けて苦しんでいるときに、またアメリカのような新自由主義の社会の厳しく不当な扱いを受けながら、苦しい時、悲しい時、「それでも、ここには青いそらがある。だからいい」と言うらしいです。

そういえば、中学時代、恩師の岩松弘先生(故人)が私に教えてくれたことばがあった。「嘆かじな、青空を見ん。青空は、永久(とこしえ)の色に澄みておらんや。」と言う句だったと思う。人が、苦しい時、そして絶望している時、こうした青い空が勇気を与えてくれる。その感銘も、多分心のなかで自ら作り出したものだろう。その感銘は自ら持っている生命力によって産み出されたもんだろう。

しかし、人は本当に逞しい(たくましい)と思う。あの Gospel のコンサートで流れた曲は明るく楽しい、しかもユーモアに満ちたものがあった。我々の想像を絶する苦しみや絶望の中で、これほど明るい曲が生まれるのか。私は驚きと感銘、それを超える畏敬の念を持って聞いていた。青空に感銘する人々と通じる感性、昨日までの絶望を逞しく乗り越えて、明日に向かって生きようという生命力だと思う。


1, Lorraine Hansberry Theatre -- Soulful Christmas: A Gospel Holiday Concert
http://www.fortmason.org/events/events-details?id=3101


12月25日、フェイスブック記載文章 



日系アメリカ人の戦争被害と平和への願い

三石博行

今日、12月25日、LAの日系アメリカ人の家族と共にクリスマスパーティを楽しんだ。2世のEさんを囲んで50代の3世、そして20代から10代までの4世とEさんの家族がほぼ全員集まってきた。

2世以下になると、日系アメリカ人は殆ど日本語を話さない。その点では中国系アメリカ人たちと違う。そのことについて、以前「海外に暮らす日本人はすぐにその土地に順応する」からだと言われていた。

しかし、日本人は異国の文化にそれ程上手く順応し、自分たちの祖国、もしくは先祖の国の文化を簡単に捨てることが出来るとは思えない。LAの日系アメリカ人たちは日系社会をつくり、日本の文化を大切にしている。

殆どの2世の人々が日本語を喋れないという理由は日米戦争にある。つまり、あの過酷な日米戦争の被害者にされた彼らの記憶があることを忘れてはならない。日系アメリカ人たちが第二次世界大戦の時に、日本人であるという理由で逮捕され、資産を没収され、強制収容者に入れられていたという歴史である。そこで彼らはアメリカへの忠誠を示すために戦争に志願し、ヨーロッパ戦線で最も過酷な戦場で戦ったのである。部隊の殆どの兵士が殉死し、その死をもってアメリカへの日系アメリカ人の忠誠を示したのである。

隣の座った90歳になるEさんが私に「ねえ、ヒロさん、日本では最近、教科書で日本が戦争のときに中国や韓国でしたことを教えていないのだってね」と質問をしてきた。勿論、それは間違いで日本の教科書では一応そのことは書いてはあるのだが、それを実際に授業で教えているかどうかは疑問であった。そこで、「イエスとノーですね」と答えるしかなかった。

私も、1990年代まで、つまりアメリカの日系人の人々と出会うまで、戦争の時に日系アメリカ人がどういう生き方をしなければならなかったのかを知らなかった。そして、収容所やヨーロッパ戦線の日系部隊の話も知らなかった。

つまり、そして強制収容所に送られた日系アメリカ人、その中から生まれた日系部隊の意味することは、彼らは日米戦争の犠牲者であったという事だ。日系アメリカ人たちは日本人としてのアイデンティティを捨て去り、アメリカ市民となることを迫ら、兵隊に志願し、また日本語を話さなくなったのだという事である。

彼らが日本語を話さなくなったのは、「海外に暮らす日本人がすぐにその土地に順応する」ためではなかったのである。過酷な戦禍の中を生き延びるために、そうなったのである。

そして、それだけに彼らの中には日本への思いが強いのである。アメリカに留学した人々は知っていると思うが、彼らは常に日本人留学生、旅行者、企業人たちを助けて来た。無償の日本人へのサポートをして来た。私たち家族も助けられ、そして、今日まで家族のような関係が続いている。

最近になって、日系アメリカ人の戦争被害の話が日本でも報道されるようになった。私は、かれらから当時の新聞の記事や強制収容所の資料を貰ったことがあった。それらの資料を同じ職場の元NHKの勤めていた友人に渡した。それらの資料が活かされていることを信じたい。

もっと、戦争の時の話をすべきだ。何があったのか。真実を語るべきだと思う。本当のことを知るべきだと思う。戦争被害者は日本国民であり、アメリカ人であり、中国人であり、韓国朝鮮人であり、フィリピン人であり、等々。つまり、すべての国民なのだ。その現実を、国を超えお互いに話し合うべきだと思う。最も避けなければならないことは、簡単に戦争をする意思決定の在り方なのだ。それだけは避けなければならないし、それを避けるためにも、戦争の被害者は黙っていてはいけないのだと思う。



参考資料

1、第442連隊戦闘団 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3

2、日系二世部隊、ヨーロッパ戦線に参戦 第100大隊のイタリア戦線参戦
http://www.pacificresorts.com/webkawaraban/nikkei/050203/

3、アメリカ陸軍442連隊
https://www.youtube.com/watch?v=tbO6K_Ig7Y4


12月26日 フェイスブック記載文章



選挙権を放棄することは国民主権を放棄すること

民主主義の危機(1)



三石博行




よく、政治家が悪いから良い国にならないと言ってしまう。しかし、そう言ってしまっていいのだろうかと思っている。何故なら、この発言には選挙権を持っている私の立場や責任は一切問われていないからだ。

問われることのない有権者の責任をよく現しているのが、選挙運動の時に流される候補者のメッセージである。選挙の時、「宜しくお願いします」「力を貸してください」と選挙カーからのあいさつが聞こえる。


簡単に言うと「一票を入れて欲しい」というお願いなのだが、お願いする人々のお願いを聞いて私は一票を入れるのだろうかと考えなければならない。つまり、これは誰のための選挙なのか。立候補者のための選挙なら、彼らのお願いを聞いてやって一票を投じることになる。

私たち有権者の意識がその程度である限り、「政治家が悪いので、政治が悪いので、国が良くならない」と言ってはならない。何故なら、すでに、その時点で、社会や国を少しでも良くために選挙に参加していないからだ。ましては投票にも行かないのだから、政治の責任を政治家のせいにするのは間違いなのだ。

国の運営は国民が行うと言うのが憲法で謳われている「国民主権」である。その代理人として我々は議員を選んでいる。それを間接民主主義と呼んでいた。若いころ、その間接民主主義がおかしいと言い出し、直接民主主義を主張したこともあった。しかし、国民全員を入れる議会場を造ることは不可能だ。そうだとすれば、より国民の総意を活かす間接民主主義の運営の仕方が必要だということになる。

まず、選挙に行くことだ。そして自分の意志で立候補者を選ぶことだ。もし、選ぶための資料がなければならない。そのために、立候補者のマニフェストを読むことになる。しかし、良いことばかり言って、やることはいつも別のこと、まったくマニフェストを実行しない、もしくはマニフェストと逆のことを平然と行う政党や政治家もいた。それで、私たちは、政党や立候補者がこれまで何をしてきたかを知る必要がある。よく言う自己評価や他者評価である。真面目な政治家や政党は自己評価を行っている。

しかし、殆どはそうでない。少なくとも、自己評価のない政治家には入れない方が良い。また、もっと積極的に政治的中立のNPOなどの評価があれば、それは大いに参考となる。その資料を参考にしながら、どの立候補者に自分の一票を投じればいいかを決めるとよい。これが間接民主主義で行うより国民主権の活かされている選挙だと思う。

そうした選挙であれば、国民は選挙で多数を占めた政党の政策を尊重するかもしれない。何故なら、それが日本国民の過半数の意見だからである。自分と異なる立場や意見が過半数を超えているという現実を真摯に受け止めることが出来るだろう。

しかし、それだからと言って何も自分の意見を変える必要はない。それでも納得いかない点を指摘し、それに対する批判をし、またそれに対する改善策を提案すればよい。次の選挙まで、多数派の政党の政策に反対する政党や団体と共に、政治活動を続ければいいのである。

それでも、既成政党が信頼できないなら、同じ意見を持つ人々をソーシャルメディアを駆使して組織し、積極的に政策提案活動や議員評価活動を起こすことも出来る。自分なりの政治への参加活動を始めることも国民主権では保証されているのである。

これらの全ての活動があって、民主主義は守られ、発展していく。今、日本で問題になっている「民主主義の危機」の問題は、安倍さんのやり方にあると言うよりも国民の政治意識の問題にあると言わなければならない。つまり、一言で言えば、「国民主権者」としての日本国民としての自分の責任を果たすことが求められている。そこから始めなければならない。

勿論、政治への参加とは、色々な参加の仕方があり、色々な意見があり、色々な提案があり、それらがすべて国民主権と呼ばれる異なる色彩空間にばら撒かれた色々な色の点として自分自身を自覚し、また隣の人を理解することから始めなければならないだろうと思う。

全国の有権者の半数近い人々が投票しない私たちの国で、当然、選ばれた人々は、そのことを緊急課題として解決しなければならない。国民が政治に責任を取る国にするための制度作りを急がなければならない。もちろん、政治家に任しては、この問題は解決しない。そのためには、自分たちの身近な人々、家族、友人、地域社会の人々と政治を語る生活文化を育てなければならない。そして、何よりも、小学校から国民主権と選挙をする国民の義務を教えなければならないだろう。

そのために、政党や政治家の政治活動に関する評価が社会に公開され、それを常に監視する社会文化を育てなければならないだろう。国民主権を守り、民主主義の社会文化を育てるためには、非常に多くのことをしなければならないことに気付くのである。


12月26日 フェイスブック記載文書







2014年12月18日木曜日

写真と絵画 岩本拓郎氏の絵画と写真を観ながら

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月1日)
岩本拓郎氏のフェイスブック
https://www.facebook.com/takurou.iwamoto.73



「写真と絵画」

*** 1 ***

自然の美しい造形に出会う時、それの美を取り出そうと、カメラを向ける。そして、シャッターを切る。

その美を自然から剥ぎ取り、自分の所有にしたいのだ。

シャッターが切られた瞬間、生きた世界は動きを止め、時間を失い、静寂の森に変貌する。

画像に映し出された光景は、風の音も、小枝のさえずりも消え失せて、ただ死んだ時間の中に凍結される。

だから、私は、失われた通時のリズムを取り返そうと、私は再びシャッターを切った。

だが、一度も、自然の造形から受ける感銘を、私は写真の画像にはぎ取ることは出来なかった。
時間の凍結した画像から、すべてのリズムは消え失せていた。

そこで、私はシャッターを何回となく切る。
そして、カメラの画像は増え続ける。


*** 2 ***

ハードディスクの中には数千枚に及ぶ画像が溜まっている。しかも、それらの画像は限りなく多く増え続ける。

ただ、あの造形の奇跡をはぎ取りたいがために重ねる努力。そのおもいに集められて同じような画像の集合が出来る。この集合体は、あの美の瞬間を切り取りたいとシャッターを切り続けた痕跡なのだ。この集合体は、カメラを向ける人々に共通する美への欲望と切り取られた画像への失望の歴史である。

しかし、芸術家はそのカメラの映像の裏に隠された美の本質を描くことができる。それは私にとっては奇跡に近い能力に思える。

つまり、岩肌を滴る繊細な水の流れに芸術家は少女の身体を映し出すことが出来るのだ。描かれ解釈された造形の自然から私は私の深層の欲望を見透かされる。

そこに芸術家の作品の面白さがある。彼は、写真スケッチを敢えて彼の絵画の横に置く。それは我々に再び、絵の中から飛び出してくる解釈とその原風景の差異に感じる感性を試しているようにも思える。

*** 2 ***


現実の視覚から生まれた形象は常に固定観念のスライドを通じて観える世界で、ある意味で主体に解釈された世界であるとも言えるでしょう。

芸術家はその固定観念の裏に潜む真実を観たいと思う。そして、そのために色々な技法を見つけ出そうと努力してきた。それを美術史と呼んでいる。

抽象的な技法もその歴史の流れの中で、美術の使命を引き継いだとも謂える。観えるもの、それは表現しようとした作家の意図を超えるもともある。

そこに作品の持つもう一つの意味、つまり、それはもはや生きて歩き出した一つの芸術という文化的生命体の在り方ではないだろうか。

*** 3 ***


芸術家にとって表現形式とは、芸術活動と呼ばれるその芸術家の生き方そのものであるとも謂える。

あまりにも多くの過去があるがゆえに、多くを学び、また同時に新しき自分を見つけることの困難さにぶつかる。

なんとも言えない自分を見つけ出そうとする壮絶な闘いにに観えて仕方がない。

その意味で、拓郎さんは何かつかんだのだなという気持ちを、貴方の絵を観ながら感じます。それも、私も同じように苦労しているからかもしれません。

その意味で、哲学や思想を仕事とする人々も同類だと思います






中間補色の織りなす表現戦略 岩本拓郎氏の絵

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月16日)


岩本拓郎氏のフェイスブック
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「中間補色の織りなす表現戦略」

*** 1 ***

岩本拓郎氏の絵を観ていると、中間色の語る物語が聴こえまるようです。中間色で彩られた色彩物語を想像してしまうのです。

日本人は多彩な中間色の文化の中で生活し、会話をしているように思います。

もし、私の記憶に間違いがなければ、以前、拓郎さんは、私に「西洋風の油絵技術は日本人には使いこなせない。色を重ねる技術が油絵と日本画では異なる。」とお話していたと、記憶しています。

拓郎さんの絵は、「極端な色彩」を避けているように感じるのです。多分、その意味は、強烈な補色を用いることで、失うものを感じているのかも知らません。強烈な色彩を避けることで、多様で豊かな補色表現を引き出しているのだはないでしょか。

極端な主張を好まない日本人は、色彩も原色を使うのを避けるかも知れませんね。そこには、日本的な風土の在り方の形が存在しているのかも知れませんね。


*** 2 ***

岩本拓郎さんの芸術には、「これは私独自の創作活動なのです」というメッセージが添付されていない。

「今日は、こういう気分でした」という軽やかな挨拶めいた語りが伝わってくるようだ。

だが多分、それは私の勝手な解釈で。彼は、寝る間もなく、色彩たちの議論を聴き入っているのだと思う。

そして、色彩たちの会話に付き合いながら、夜がが明け、そして筆を取り、その断片をスケッチしてみた。

スケッチした彼らのお話を、「お早うございます」と我々友人に言うように、送っている。

「今日は、こんな面白い話をきいたのですよ」と色彩たちの会話を、 白い寒気に包まれた森のアトリエから 、私たちに紹介しているようだ。


*** 3 ***

岩本拓郎さんの描く色彩空間から飛び出してくる
造形の光に、私は常に魅せられる。

そこで、
私は、「描かれた線は偶然なのですか。それとも、何かの形として表されたものなのですか。」
と彼に聞いてみた。

形象化しようとする表現戦略に隠された文脈
中間補色の織りなす表現戦略に隠されたメッセージ

それは夢の中の表象のように、
観る者が視られる世界に登場しているのだと、
言っているようだ。

彼から電話が掛かってきた。

多分、文字にできない多くのことばを抱え
忙しいアトリエの作業を中断し

私に迸るように話したことは

私が彼の絵から受け取る
色彩空間のリズムに関する説明であった




他在する世界内自己・他者としての自己 岩本拓郎氏の絵から

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月16日)

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岩本拓郎氏の絵から聴こえる世界。それは「私に対する対象世界」・色彩表現ではなく、「対象世界に存在する私の世界」・色彩表現でした。

つまり、中間色間の織りなす補色の網目から、「それは(その世界は)私としての他者」である世界なのか、それとも「それは他者としての私」という世界なのかという課題でした。

言い換えると、我々は自己をどのように認識しているのかという疑問を常に突き付けられ、その答えを求めて生きています。

そして、自己とは、世界に対して存在していのであると結論し、自我を世界に対自しながら形成しようと考えることもできます。

また、逆に、自我を他者の存在やそれとの関係の中で位置付けようとすることもできます。つまり、対自された世界を逆に自己の世界として位置付けようとする試みです。日本的な自我はこの考え方に基づく場合が多いですね。

拓郎さんのこの絵を観ていると、無数の中間色とその補色関係が織りなす色彩世界が、後者、つまり、外的世界として観えたものに内在している自己ではないかという世界内自己の直感的な理解を感じてしまいます。

そして、沖縄でどくいりおむすびを渡した日本兵の懺悔が、戦争の悲惨さの物語に加わることを要求していると感じるのです。殺した側と殺された側に共に存在している悲劇が戦争の悲劇だと、色彩世界は言っているようです。

それによって、キリストとピエロ、サーカスと人生、この一見して結びがたい二つの共通項を見出すことが出来るのかもしれません。


詩 「ゲシュタルトの再構築」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月12日)














岩本拓郎氏のフェイスブック

「ゲシュタルトの再構築」


無色濃淡の
色彩を奪はれた記憶が
言うのだ

意識の地層の下で
変性した心象化石が
言うのだ

私たちは
色彩付くこと禁じられています
微妙な表現も許されません

ゲシュタルト崩壊の命令を受けた
形象の生贄たち

抑圧された心象構造の再結晶を
待ちわびる造形たち

ことばの奥に潜んで生きる
沈黙のエロス


すると
偶然の光が点を描き出し
色彩の踊が曲線を舞い出す

すると
真白いキャンパスにことばは散らばりはじめ
奥深く沈んだ天使の羽が羽ばたきだす

そして
エロスは多次元化し始まった
パトスは泉に湧きだした

そして
キャンパスの下から色彩たちが飛び出し
新たな形が生まれ出す


これはゲシュタルトの再構築なのだ

光と色彩の微妙な変化は心象のリズムとなり
エロスの化石は生き返り

私は誰だと踊りだす
私は誰だと歌いだす

これはゲシュタルトの再構築なのだ



三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「それって、なに」

三石博行

岩本拓郎作(2014年11月15日)














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岩本拓郎氏の絵を観ながら

「それって、なに」


これって、何。
それて、何でもないさ。

いや、それって
砂漠に映るフェニキアの摩天楼

いや、それって
珊瑚の島の鍾乳洞

いや、それって
朝焼けのバイカル湖

いや、それって
灯篭に照らされた川面

多くの印象が
引き出され
消え失せる

心象の鼓動の発現に
多様な意味
多彩なことば
は瞬時に微分される

絵画にとって美とは
詩にとって真実とは

疑問は、問いかけの意味を持たず
問いかけは、疑問を含まない

それは、何でもないさ
それは、何でもないさ

だだ、そこにあるだけ
だだ、それを描いただけ

ただ、そうしたかっただけ
ただ、そう言いたかっただけ

2014年12月5日


三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「キノコの合奏」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月1日)














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岩本拓郎氏の幻想的な絵から

「キノコの合奏」

** 1 **

世界が一瞬、千倍になった。
私が一瞬、一ミリの世界に降りた。

見渡す限り、巨大な芝生の森
見渡す限り、ごつごつの岩の山

出会ったアリに誘われて、
彼らの家に招かれて、
大きなテーブルに座り、
彼らが育てたキノコを食べた。

キノコは口の中でもぐもぐと鳴いた。
キノコは胃袋の中でびぃしゃびぃしゃと歌った。

** 2 **

そして、私はキノコの楽団の前に座っていた。

これからキノコの合奏が始まる。

キノコの楽器から、
また胞子の楽譜が飛び出し
また菌糸の旋律が流れ
私の周りで踊り狂う

美しく、恐ろしい
弦楽曲が響く

強烈で、優しい
吹奏曲が流れる

私はメロディに乗って飛び交う
音符トンボを見た。

私はトンボの恐ろしく素早かな
螺旋状運動に目を回した。

** 3 **

もう、美女のいない朝だ。
もう、欲望の宵闇の狂想曲は終った。

キノコたちは静かに楽譜を閉じた。
私は彼らの演奏会場から去った。

キノコたちは朝の光と共に消えた。
彼らの音楽を聴く人はもうこの光の中では誰もいない。

誰もいない。
誰もいない。

2014年12月3日

詩 「ミドリの唄ごえ」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月3日)
















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岩本拓郎氏の絵をみながら

ミドリの唄ごえ

深層に横たわったうすミドリの女よ
私の夢よ

もう、二度と会えない君よ
私の想いよ。

無邪気な歓声よ
私の希望よ。

重く圧し掛かる現実は
平板化した過去に彩を与え
私を支える。
私を勇気づける。

きみには素晴らしい生き方があるのだ。
きみには誇らし世界があるのだ。

そして、
それらの魔術のことばに

私は
ようやく
立ち上がった。

2014年12月3日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「記憶への落下傘」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月4日)














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岩本拓郎氏の作品を見ながら湧いてくる即興演奏


記憶への落下傘


不思議な世界。
まるで迷い込んだのだが、どこかですでに行ったような世界。

それはどこだったのか。懐かし風景のような世界。
おとぎの国のような世界。

記憶の氷河が崩れ去る極北の世界。
深海の火山から湧き上がるマグマの世界。

そこはどこだったのか。
私は迷いの落下傘に乗って記憶の森に落ちた。

そこはどこだったか。
私は安堵の滴に溶けながら記憶の水溜りに落ちた。

そして、そこには蒼い大気があった。
そしてそこには永遠の宇宙への路が広がった。

2014年12月4日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「光の中に」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月15日)















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岩本拓郎氏の絵から

光の中に


事象とは光とことばによって綴れれた世界
強烈な光は形を壊し
熱烈なことばは概念をはみ出す

美は形式を超えて
深層の形に迫る

真実は現実の向こうに
意味の再編を求める

もし、君が
本当に見たいなら

もし、君が
本当に知りたいなら

この壁を
壊せ

この一線を
超えよ

光に中に
君は取り込まれ

そして
君は消滅するだろう。

それでも
君は知りたいのか。

それでも
君は描きたいのか。

2014年12月15日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「噴煙のゆめ」

三石博行

岩本拓郎作(2014年11月30日)














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岩本拓郎氏の絵から

噴煙のゆめ


蒼ぞらの向こうに
怒りの山があるという。

大昔にある老婆がい言った
深海に沈んだ黄色の火山。

「私に何ができる」
絶望の声は期待の蒼ぞらの下で
叫ぶ。

「私に何ができる」
悲しみのつぶやきはミドリの雨雲の下で
滴り落ちる。

「私に何がでいる」
怒りの目は薄茶色の山に
降り注ぐ。

もし、君が望むら
紅い大地の動脈を切り裂いて
黒い噴煙のこぶしを挙げよ。

もし、君が行き詰ったなら
紅い大地の動脈を突き破り
黒い噴煙の叫びを挙げよ。

蒼空の向こうに
怒りの山があるという。

大昔にある老婆が言った
深海に潜む黄色の火山。

私の
苦く、懐かしい、
想いでの
深海に
沈んだ
あの人。

もう、
会う事のない
あの人。

私が
深く傷づけた
あの人。

もう、
海面に浮かび上ことのない
沈黙の懺悔。

2014年12月3日


三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「夜の森」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月1日)

















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岩本拓郎氏の絵から


夜の森


生暖かな柔肌の苔の上に
私の素足が触れる。

柔らかな乳白色の幹に
私の手が触れる。

夜の森は
紫に光る蛍光虫のダンス。

夜の森は
銀杏色に輝く夜光虫の武舞。

「ここはどこ」
少女が呟く。

「ここはどこ」
闇がこだまする。

夜の森の
竜宮城。

夜も森の
蒼珊瑚の木々。

静かに進む
狂瀾舞踏会への道。

12月3日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「砂鉄の浜」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月8日)
















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岩本拓郎氏の幻想的な絵を観ながら

「砂鉄の浜」


だから
疑問の筆箱を鞄に入れて
私は砂鉄の浜に行った
すると
鉛筆は筆箱をコトコトと敲き
筆箱は鞄をシュウシュウと奏で
砂浜は蒼い夜光虫の誘いを受けて
波の楽譜を広げ
問い掛けが砂鉄の粒に押し寄せ
仮説は石英の粒を濡らし
紅黒の飛沫が空を舞い
白蒼の渦が海に踊る

すると
群青の海面に思索の図柄が織り込まれ
暗紺の波際に観念の音符が刻まれ
月夜のコンサートがつづき
砂鉄の浜辺のオペラがはじまり
疑問は波間に落ち
理由は暗い遠洋に流れ
すべての意味や解釈は
砂鉄の浜に吸い込まれた

すると
浜辺に波跡が刻まれ消され
古代の懐疑の痕跡は瞬時にのみこまれ
砂鉄の粒たちはピアニッシモの輝きとなり
さざ波の上を滑走し
理由は問いから切り離され
月光に輝く渚コンサートは閉幕し
望んだの推論の光は
ここには届かなかった

だから
疑問の筆箱を鞄に入れて
私は砂鉄の浜を後にした

もう遅い、さあ家に帰ろう
もう夜明けだ、さあ家に帰ろう


2014年12月8日
近江『詩人学校』 2022年8月号記載

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「疑問の炎煙」

三石博行

岩本拓郎作(2014年12月8日)
















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岩本拓郎氏の幻想的な絵を観ながら

「疑問の炎煙」

それって何、疑問の蝋燭を風呂敷に包んで
森に行った

森は黄色の吐息を吐きながら
蝋燭は風呂敷に包むんじゃない
蝋燭は枯れ木の上で燃やすんだ
と答えた

森を流れる冷気に
よわよわしく
蝋燭は燃えはじめ

森の闇に
紫の炎煙
静かに流れる

すると
木々が笑い
答えなんかないさ
と言った

そして
森は再び
闇の静けさを
取り戻した

蝋燭の疑問は
か弱い光となり
うすボケた煙となり

ザラザラの闇に吸い込まれ
どこかに消えて行った

2014年12月8日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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詩 「愉快な喫茶店にどうぞ」

三石博行

岩本拓郎作(2014年11月18日)













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岩本拓郎さんとの会話を通じて思いついた芸術喫茶店論


「愉快な喫茶店にどうぞ」

*** 1 ***

絵画クッキーを口にしたら、音楽が聞こえ
生命の紅い音がし
脈動の蒼い鼓動を感じる

だから、心象響きが伝わり
光と形象にことばが共鳴し
心象スケッチの協奏が始まる

しかし、詩は絵にとって伴奏にすぎない
だから、詩は芸術家の音声を彩る楽器にすぎない

詩人が絵画を観たときに
絵画に混在した音符の粒が踊りだし
心象メロディーが生み出され
不思議な光と形象の協奏曲の始まる


*** 2 ***

言うまでもないことだが、
作品は芸術家の生命力の表現手段なのさ

生きる意味が生きている現実の中で生まれるように
作品の意味は作品活動の結果の中で不随されるのさ

存在していることの意味付けは
存在している現実の中で形成されるのさ

絵の目的や意味付けは
作品形成の結果の中で語られるのさ

絵画行為の後にしか、絵画の意味は存在しようがない
しかし、結果として生じたものが、その存在の理由を問いたがるのさ

ことばは生きている現実から生まれ
その存在理由は、ことば化された世界から始まるのさ

これは、倒錯した存在理由論

存在に必然的に付随した意味を探す
哲学者たちの逆立ち駆けっこゲームなのさ


*** 3 ***

つまり、評論解釈はすべて可能なのだ

作品の意味や評価は、自分以外の誰かによって
くっ付けられた張り紙のようなも
にわかに付けられた地名のようなものだ

不運なことに
芸術家は、作品の存在意味を問うのだ
芸術家は、活動の目的を問うだ

だから、優しい野次馬たちの
ワイワイガヤガヤ評論を騒音を聴きなるのだ

少しピントの外れた
間違いだらけの解釈の狂った音程に
芸術家は耳を澄ますのだ

しかし、不思議なことに
騒音と狂った音色は、
芸術家に休憩時間を与えるのだ

*** 4 ***

間違いでもいい
正しくてもいい

優しい彼の友人たちが立ち寄って
芸術家の作品クッキーをつまみながら
勝手にお茶を楽しんで行く

ここは愉快な「芸術喫茶店」

さあさあ、みなさま新作ケーキはどうですか
さあさあ、みなさま創作料理ができました

ワイワイガヤガヤ
ワイワイガヤガヤ

愉快で真剣なコンサートの始まり

もう、時計は真夜中1時を指している
もう、ピンぼけ哲学者は夢の中
もう、優しい野次馬たちは夜食を終えた

それでも、ピエロ服で新作ケーキを創っていた
それでも、道家姿でレシピ-を描いていた

騒がしい孤独の夜が明けて、
芸術喫茶の準備が始まる

2014年12月8日

三石博行詩集 『心象色彩の館』

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