岩本拓郎作(2014年12月1日)
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「写真と絵画」
*** 1 ***
自然の美しい造形に出会う時、それの美を取り出そうと、カメラを向ける。そして、シャッターを切る。
その美を自然から剥ぎ取り、自分の所有にしたいのだ。
シャッターが切られた瞬間、生きた世界は動きを止め、時間を失い、静寂の森に変貌する。
画像に映し出された光景は、風の音も、小枝のさえずりも消え失せて、ただ死んだ時間の中に凍結される。
だから、私は、失われた通時のリズムを取り返そうと、私は再びシャッターを切った。
だが、一度も、自然の造形から受ける感銘を、私は写真の画像にはぎ取ることは出来なかった。
時間の凍結した画像から、すべてのリズムは消え失せていた。
そこで、私はシャッターを何回となく切る。
そして、カメラの画像は増え続ける。
*** 2 ***
ハードディスクの中には数千枚に及ぶ画像が溜まっている。しかも、それらの画像は限りなく多く増え続ける。
ただ、あの造形の奇跡をはぎ取りたいがために重ねる努力。そのおもいに集められて同じような画像の集合が出来る。この集合体は、あの美の瞬間を切り取りたいとシャッターを切り続けた痕跡なのだ。この集合体は、カメラを向ける人々に共通する美への欲望と切り取られた画像への失望の歴史である。
しかし、芸術家はそのカメラの映像の裏に隠された美の本質を描くことができる。それは私にとっては奇跡に近い能力に思える。
つまり、岩肌を滴る繊細な水の流れに芸術家は少女の身体を映し出すことが出来るのだ。描かれ解釈された造形の自然から私は私の深層の欲望を見透かされる。
そこに芸術家の作品の面白さがある。彼は、写真スケッチを敢えて彼の絵画の横に置く。それは我々に再び、絵の中から飛び出してくる解釈とその原風景の差異に感じる感性を試しているようにも思える。
*** 2 ***
芸術家はその固定観念の裏に潜む真実を観たいと思う。そして、そのために色々な技法を見つけ出そうと努力してきた。それを美術史と呼んでいる。
抽象的な技法もその歴史の流れの中で、美術の使命を引き継いだとも謂える。観えるもの、それは表現しようとした作家の意図を超えるもともある。
そこに作品の持つもう一つの意味、つまり、それはもはや生きて歩き出した一つの芸術という文化的生命体の在り方ではないだろうか。
*** 3 ***
芸術家にとって表現形式とは、芸術活動と呼ばれるその芸術家の生き方そのものであるとも謂える。
あまりにも多くの過去があるがゆえに、多くを学び、また同時に新しき自分を見つけることの困難さにぶつかる。
なんとも言えない自分を見つけ出そうとする壮絶な闘いにに観えて仕方がない。
その意味で、拓郎さんは何かつかんだのだなという気持ちを、貴方の絵を観ながら感じます。それも、私も同じように苦労しているからかもしれません。
その意味で、哲学や思想を仕事とする人々も同類だと思います
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