2020年11月11日水曜日

私という現実 (詩)

三石博行


もういいのです

私はそう言いながら、隠し立てしていら不都合な現実を眺めていた


もういいのです

私はそう呟きながら、見たくもない事実を冷たく見つめていた


もういいのです

私はそう嘆きながら、苦々しい過去を後悔していた


それらの不都合な事実は、内攻され、私の今という意識となる

それらの隠蔽された真相は、内向し、私の今し方という欺瞞に化ける


どうすべきか

どうしなければならないか


向き合う力は残っているか

受け止めるこころはあるのか


すでに二か月になる逃避の傷咎め

もう遅いのか

それともまだ間に合うか


私に残された時間がない


2020年11月11日

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詩「私という現実」について

脊髄異形成症候群と言われ、おまけに余命3年と言われ、その現実を受け止めながらも、それを公にすることを避けて来た。家族や親しい友人、仕事上迷惑を掛けられない人々にそのことを告げた。しかし、フェイズブックでそのことを書くことを避けた。物書きもどき(プロの物書きではない、趣味でものを書く人たちという意味、私もその一人だと思う)にとって、自分が最も深刻に受け止めている現実を語らないで、ものは書けないことを理解できた。では、どう表現すべきなのか。それをもう2か月間も悩んだ。

結論として、私の現実について別に宣言することも告白することも必要ない。しかし、もし、私のことばにそれが滲み出るなら、そのことを敢えて否定し隠蔽することはないと思った。今年(2020年)7月から今日(11月11日)まで、自分の現実を受け止めるために時間が必要だったようだ。それほど、私は弱い存在であると思う。

考えると過去にあった不都合な事実から逃げまとって来たように思う。その不都合な事実について赤裸々に書きあらし、自己弁護のないことばに私が包みこまれるなら、その時、私は自己の現実により近づくことが出来るのだと思う。しかし、この困難な作業、多分、多くのもの書きたちが苦闘しつづけた課題、その課題に向き合う最後の機会だと思う。そう思いながらも、そうならない自分があるようだ。

2020年11月11日


詩集 『心象色彩の館』 目次

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