2015年4月14日火曜日

今再び、文理融合型政策の意味を問う

201538日 関西政治社会学会第2回研究会 (同志社大学今出川キャンパス)


政策方法としての文理融合か政策の内容としての文理融合か



三石博行(Mitsuishi Hiroyuki)


はじめに、「文理融合」型政策設計の何が問題なのか


当然のことだが、社会の時代的文化的な構造がその社会経済や文化の制度設計やガーバナンス、つまり、それらの構造や機能、運営、に関する改革や構築を進めている。そして、その制度設計やガーバナンスによって、その社会の発展(進化)の方向、経済文化的合理性、生活文化環境やそれを構成している人々の精神文化が構築・再構築される。その意味で、科学技術文明社会と呼ばれる私たちの社会での政策研究にとって、科学技術の理解、さらにはその応用、またその発展が、政策提案や改革の大きな課題となっていることは今更言うに及ばない現実である。

政治社会学会は、この時代的な要請を積極的に受け止め「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学を超え、自然科学的知見を取り上げ、現状分析に基づくプログラム設計を中心とした問題解決型の新学会を目指し201011月に発足しました。」(政治社会学科HP) つまり、政治社会学会にとって「政治学、経済学、法律学、社会学などの個別科学」の一部として政策研究をするのでなく、「文理融合」的知識を前提として現代社会の政策研究は展開すると述べたのである。

この政治社会学会の提案は至極当然のことであり、科学技術政策に限らず、現実に行われている政策提案の殆どが文理融合を前提として行われている。例えば公共図書館の建設にしても、また都市計画にしても、情報通信文化、環境、再生可能エネルギー資源問題を前提にして、企画されている。その意味で、政策設計に参加する人々が文理融合型の発想を持つこと、また、文理融合型の政策設計方法を身に着けていることが前提となっている。

つまり、総合的政策と呼ばれる文理融合型の政策設計は日常的な政策活動に成っている。また、それらの方法が学際的研究や融合型研究として、すでにそれらの方法論のみでなく教育制度にまで制度化されている。しかし、政治社会学会は、今、敢えて、この文理融合型の政策設計学の研究を提案しているのだろうか。それは、現実の文理融合型政策活動の調査研究を課題にしているのか、それとも、現在の文理融合型政策活動の抱えている問題を指摘し、その解決を提案しているのだろうか。


1、文理融合型政策設計に問われて来た歴史的経過


-1、近代国家と資本主義経済発展を促した科学技術政策 


産業革命以来、科学技術の進歩やその産業への応用が経済生産力の向上を促し来た。そのため、富国の条件として「科学技術の進歩」は欠かせない国家的な政策の一つであった。近代化推進のための人的資源を生み出す国民教育制度成立し、近代国家の教育政策では「理工系」教育が重視され、さらに、理工系専門家(技官)及び理工系専門知識を理解した官僚が政策設計に参加することになる。

先端的な科学技術の導入と応用によって生産力の向上と新しい生産物を生み出すことによって産業は発展してきた。工業社会、さらには情報社会もその一例である。企業は理工系の優秀な理工系技術者と合理的な経営方法を身に付けた社会系技術者(経営や管理専門家)を採用、育成することが、その企業の発展、存続に関わる重大な企業戦略や文化形成の課題となっている。

近代国家や資本主義経済の形成とその発展にとって、合理的精神や合理的方法を習得した専門家集団、つまり科学的方法で問題解決に従事できる人々、社会系や理工系の教育を受けた人々が必要であったことは言うまでもない。その意味で、文理融合型政策の歴史的起源は、科学技術を生産手段とした近代国家の形成、科学技術立国の発展にあると謂える。

-2、科学技術(政策)の点検史(失業、労災、職業病、公害、環境問題、原発事故)


現代社会を成立、形成、発展させている基本要素として科学技術(知識)が在ることは言うまでもないことだとすると、何故、敢えて、科学技術とは何かと問い掛けたのか。その歴史的背景は、人類の豊かさをもたらすと信じられていた科学技術への疑問から始まった。

18世紀のイギリス産業革命以来、機械的工業生産様式(マルクス)がもたらした機械化によって職を失った職人労働者たちが起こした機械ぶち壊しの運動は、機械化(最新技術の導入)に反対した最初の運動であったと言える。機械化は、労働者にとって、過酷な肉体労働からの解放だけではなく、失業をも意味した。また、機械性生産様式は安価な商品生産を可能にしただけでなく、労災事故や職業病の蔓延も導いた。これらの問題は19世紀の反科学思想を形成し、科学批判の原点の一つを形成した。

労働力を保全するためにも、企業は労働現場の安全管理や危機管理に取り組まなければならなかった。つまり、企業経営にとっても健康な労働者を確保することが必要である。また、国も、健全な国民(兵士)を確保する必要がある。そのために、20世紀になって、社会政策学、労働安全衛生政策が導入された。労働医学、安全工学、衛生学、労働法、労働安全衛生法の整備が進んだ。科学技術の力を借りて労働力保全の改善がなされた。

生産現場での労働災害や職業病とは、生産現場の劣悪な環境によって生じるのであるが、その劣悪な生産現場の環境要素を工場の外に放出することで環境破壊・公害が起こった。労災や職業病があった時代から公害もあった。さらに、生産力が向上することによって、公害問題も大きな社会問題となった。戦前の足尾の鉱毒問題、戦後の水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息、等々、我国の代表的な近代史の側面として公害問題がある。これらの問題は科学技術への批判を生み出した。その批判は、科学技術を悪用することへの批判と科学技術そのものへの批判と、主に二つの流れがあった。

公害とはある限定された企業によるある限定された環境汚染を意味した。しかし、それらが環境を広く汚染することで生じる漁業や農業への問題が食の安全問題となった。環境問題とは人間生活や産業活動によって生じる生態系破壊を言う。環境問題は現代社会の生活様式や生産様式によって引き起こされた環境破壊である。車社会、文化的生活スタイル、虫食いのない農作物、欲望を満たす消費文化、便利な交通機関、豊かな文化、豊富な商品等々。これらが、食品問題、酸性雨やヒートアイランド、地球温暖化現象等々の環境問題の原因である。そして、その最も典型的な問題として原発事故があったと言える。

-3、問われていた文理融合政策設計課題とは何か


これらの問題解決の手段として、科学技術政策が課題となる。科学技術の悪用を防ぐ課題、科学技術を駆使して問題を解決する課題、科学技術者の社会的倫理教育の課題が持ち上がった。その一つが政策設計における文理融合課題である。言い換えると、文理融合政策設計が問題になったのは、主に二つの理由からである。一つは、現在の社会経済文化政策設計にとって科学技術は不可欠の要素であり、それらの知識を抜きには政策設計が不可能であること。二つ目は、科学技術の社会経済への応用によって引き起こされる問題が、以前にもなして重大な結果を導く時代になった。そのために、科学技術の利用やその利用者、さらにはその研究開発者の人間・社会倫理的教育(教養教育)が課題となっている。

一つ目の課題(文理融合政策設計の課題)は、今まで、多くの分野で実践的に取り組まれてきている。その殆どが、学際的研究方法と呼ばれる文系と理系分野の専門家集団の共同作業として取り組まれてきた。つまり、この文理融合政策設計は、問題解決に必要と思われる分野の専門家が集まり、一つのチームとなって問題を解決する学際的プラグマティズムの立場に立っている。現在の、文理融合型政策設計の作業は、「政策の内容としての文理融合」的な手法によって進められている。

二つ目の課題は、科学技術専門家集団が、その専門的研究活動の中で、常に彼らの専門知識の社会的応用の技術的な意味ばかりでなく、人間、社会や文化への意味を考えるという事になる。この課題は、専門性に対する教養性としても表現されている。つまり、高度な分業化社会では、知識人達(理系及び人文系の専門職の技術者)は、社会的需要に十分対応できる専門性を身に付けなければならない。そして、同時に、人間社会文化的教養をも必要とされると言うのが、この課題である。

一つ目の課題は、効率の良い文理融合型政策設計の作業方法の研究によって、その解決策が模索されるだろう。つまり、より総合的な視点から問題を解決することが課題になり、より状況に適したチーム形成やチーム運営方法が議論されるだろう。また、それらの調査研究の成果のフィードバク方法、情報管理の課題も検討されることになる。この方法は学際的研究方法の課題として、文理融合型知的生産の技術開発に一貫として、展開されるだろう。

二つ目の課題は、二つのテーマに分かれる。第一のテーマは中等教育から高等育に関わる課題である。一言で言うなら「現実の問題を考え、それを解決する能力を育てる」ための教育の在り方、教育内容、教育方法の課題とである。第二のテーマは専門家が専門以外の分野、異分野への知的関心を抱き、また人権や社会的問題に対する教養を深めるための制度形成やそのサポート内容の質の向上に関する問題となる。この課題は文理融合型政策設計を可能にする人材育成をテーマにしているとも言える。その意味で、文理融合型政策設計にとって幅広い視野や人間社会への理解を深める教養知の課題が不可分な要素となっているのである。

まとめ


上記の課題分析から、文理融合型政策設計は、理と文の専門知識を持つ人々の共同作業によって形成されているということ、それらの人々が他の分野、つまり自分の専門分野の人々と共に作業することの意味を理解していること、さらに、政策設計者は単に広い見識を持つばかりでなく何のための作業なのかという共同作業の意味を理解しなければならないという課題が見えて来た。そして同時に、文理融合型研究を担う人々の育成、中等や高等教育の在り方が課題になっているとも言える。


2、文理融合型政策設計科学の前段階としての融合型学問の形成


-1、伝統的学部教育としての文理融合型の歴史と現在


自然科学の基礎的知識は物理学、化学、生物学、地学等々、理学部に構成された知識があった。また人文社会学では、伝統的な文学部を構成していた哲学、言語学、文学、心理学と社会系の経済学、法学、政治学や社会学がそれに相当する学問であると言えた。それに対して、伝統的に農学部、家政(生活)学部、工学部、医学部、薬学部、教育学部、経営学部で行われていた教育は基礎科学でなく応用科学として位置づけられてきた。そして、基礎分野は応用分野に優先する意識があった(今ではないのだが)。

しかし、工学部、医学部や薬学部では、理系科目での総合教育が行われてきた。その意味で、文理融合教育ではない。また、教育学部で文系と理系の総合教育を土台とした教育が行われてきたが、それらは教育内容に関する知識教育であり、教育学を構成する課題としての文理融合型研究が取り組まれた訳ではない。

伝統的文理融合型として農学部と生活学部の教育研究に触れる。農学部は分子生物学から生態学、そして農業経済までの分野を教え、農業という総合的な産業構造の担い手、もしくは、その分野の研究者としての教育を伝統的に行ってきた。

また、家政学部、生活学部は、生活環境、生活様式、生活機能や構造の改良を課題にした学問であり、文理融合型の教育内容を持っている。例えば、食品、栄養、衣服素材やファッション、住環境(建築デザイン工学等)、生活環境(文化・生態学)、福祉(医学は社会学)、育児(医学、心理学)、生活経営(経営学、経済学)、生活情報学(情報処理、社会情報学)、生活工学(工学)等々、理系分野と文系分野の学問で成立している。

しかし、伝統的な文理融合によって成立してきたこれらの学部は、自覚的に「文理融合型」という学際的科学を自覚的に構築するために努力して来たわけではない。そのため、理系科目に力を入れる生活科学と人間社会科学の分野に自らを入れる生活学は同じでなく、学会も異なる。そして学部教育も、文理融合型とは程遠い、文理不融合的な方向に進んでいる。代表的な例がお茶の水大学の生活工学部がそれである。生活学を応用工学と理解し、生活学を必要とする産業社会のニーズに答える大学教育を展開しているのである。同じく、農学部でも農芸化学が理学部の化学のようになり、生物学は最先端の分子生物学の研究を行っている。伝統的な農学教育は、明らかに科学系、農業工学系と農政・農経系とに分離し、発展している。

-2、新しい文理融合型の大学教育と研究 


1節で述べた、現代の科学技術文明社会のニーズから出てくる多くの課題に答えるための大学教育の改変が近年進んできた。伝統的学部教育では担えない新しい課題、例えば、先端科学技術、情報、国際、災害という課題に対して、大学教育が対応して来た。その特徴は、学部名が融合型で表現されていることである。例えば、総合情報学部、総合社会学部、総合政策学部等々、総合という名称を入れることで、学際型及び文理融合型教育を可能にしている。

例えば、科学技術、国際や情報に関する知識を前提にした経営学部の教育、さらには、情報文化学部、総合政策学部の教育が文系から理系への文理融合型教育(社会系文理融合型教育研究)として挙げられる。

デザイン工学科、認知工学、情報言語工学、ロボット工学、建築学部は、理系から文系への文理融合型教育(工学系文理融合教育研究)を代表するものである。つまり、デザインや設計、さらには人間的認知のテーマに心理学、社会学、文化人類学が持ち込まれ発展した分野である。

また、その中間として、もしくは、それらの二つの方向からのアプローチでなる、文理融合型教育研究が、防災学、災害情報学、災害政策学などの社会経済、生態環境の総合的な安全管理や危機管理を課題にした災害総合科学(政策系文理融合研究)の分野であると謂える。

-3、文理融合型研究の基礎理論の研究(科学技術論、計量科学、設計科学論)


上記した大学教育での文理融合型研究の土台となる科学や理論に関する研究を支えているのは、科学技術に関する社会学、歴史学、文化人類学、哲学の研究である。これらの研究分野は、極めて新しく、科学論や科学史研究として戦後に始まった。これらの研究を、科学技術問題をテーマにした社会科学教育と研究、つまり科学技術論系文理融合型研究と呼ぶことにする。そして、今日、科学技術論は、人間社会科学分野で大きな位置を占めている。例えば、科学技術史、科学技術社会学、科学哲学、技術哲学等々である。

しかし、科学論以前に、すでに社会学の中に、知の社会学と言う分野があった。その提案者はデュルケームである。また、社会の近代化、資本主義化や産業革命を課題にした科学(技術)社会学というテーマも、ウエーバーやマートン等々からある。そしえ歴史学の中に、20世紀になった「科学技術の社会経済史」や「科学技術史」がある。社会学は歴史学の一つの分野として「科学技術」の社会・経済・歴史現象を取り上げた研究が、文理融合型の研究の前哨段階にあったと考えることも出来る。

さらに、人文社会学系の学問に自然科学が常識としてきた計量化の方法を導入したことも方法論的には文理融合型研究の一つであるとも謂えるだろう。計量経済学の展開とその成果は、他の文系科学に大きな影響を与えた。計量社会学、計量言語学、計量文化人類学等々。さらに統計学的分析方法が人文社会学研究で一般化し、さらに情報処理機能の進歩で、それらの分析は新しい局面、データマイニングと呼ばれるビッグデータ処理とその解析方法を切り開こうとしている。これらの文理融合型研究を人文社会系計量化方法による文理融合型研究、もしくは、人文社会系数理解析方法による文理融合型研究と呼ぶことも出来る。

2000年になって、吉川弘之・吉田民人が、日本学術会議として文理融合型教育研究の課題を提唱した。この提案の基礎は、吉川氏の設計科学、吉田氏のプログラム科学である。俯瞰的視点に立つ問題解決力を持つプラグマティズムの学問であるということが、それらの設計科学やプログラム科学を特徴付けている。因みに、政治社会学会の創設者荒木義修氏が当該学会の基調として提唱した文理融合型研究は、吉川・吉田の文理融合型研究・設計科学論の立場に立っている。

まとめ


文理融合型政策科学の形成の歴史的な土台は、応用科学分野として一羽一絡げに言われた農学や生活科学の分野から始まった。そして、80年代後半から情報通信科学技術の進歩によって生まれた高度情報社会に対応すべき大学教育の変革に機を発し、文理融合型教育研究が進んだ。と同時に、文理融合型教育や研究が、単なる理系文系の知識の寄せ集めという立場から脱したとも謂える。しかし、それらの教育研究は、体系化を取って整備されてはいない。その課題は、今後、それらの研究が、科学技術論、科学哲学等の基礎研究と学際化することによって、人文系科学の計量化や社会工学系の設計科学、社会学基礎論としての自己組織性の情報科学、さらには科学哲学のプログラム科学論の発展と共に展開されるだろう。


3、文理融合型政策設計科学の形成に向けた課題


実際のところ、文理融合型政策科学の方法論も、そして、その実践的な事例も無い。しかし、この文理融合型政策科学が、吉田民人の謂う設計科学の視点に立つなら、寧ろ、その科学が実践的な研究を通じ、その検証を行うことで、つまり帰納的に成立して行くというプラグマティズムの立場に立つことが出来る。

問題を整理すると

1、具体的な政策提案活動に参画する中で、その実践を通じて、文理融合型政策科学の科学的方法は形成する。

2、文理融合型政策学の課題は、政策提案活動の組織運営、調査方法、検証方法、情報交換や情報管理の技術開発等々の具体的方法技術の研究交流となる。

3、2のテーマは、すでに多くの先行研究や実践事例がある。例えば、文化人類学者の川喜田二郎氏が行ったKJ法、梅竿忠男氏の知的生産の技術、多くはフィールドワークで開発された研究方法を、今後、文理融合型政策研究に活かすことも可能である。

4、さらに、PBLで実践された教育方法、例えば、UCSFPBLはその例となる。詳しくは、以下の資料を参考。三石博行 ブログ文書集「大学教育改革論」 最先端医学教育 UCSFJMB(Joint Medical Program)・複数専門知識修得の意味


この論文は201538日に同志社大学今出川キャンパスで開かれた関西政治社会学会第2回研究会での発表で配布した資料である。

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