2019年9月14日土曜日

関係としての祈り

-日韓関係を改善するために問われる課題―

三石博行


平和主義や人権主義を基調にしながら日韓交流を行い続ける人々の祈り 


韓国でも日本でも、反日や嫌韓を扇動する排他的民族主義者や報道機関、そして政治家たちは、これからも大声で日韓関係の破壊を叫び続け、両国の市民の友好活動を攻撃し排除し続けるだろう。

しかし、その中でも、過去の苦い戦争や侵略の歴史を繰り返してはならないという人々は必ずいる。それらの人々こそが、私たちの希望である。何故なら、それらの人々が、諦めず、自分のできる範囲で、平和と人権を守るための、生活と未来を守るための活動をし続けるだろうと信じることが出来るからだ。

平和や人権を守りたいという願いは祈りに近い、それは現実の大きな世界の流れの中で、何もできない弱い自分であることを知りながらも、しかし、それでも、その願いを一歩を前にすすめるための、勇気をもって生きようとするからだ。

光州市で市民が9月から11月まで、市民自由大学を開催しているらしい。日韓の専門家を呼んで、「ノウジャパン」、「No JapanでなくKnow Japanらしい」を開催することになっている。素晴らしい企画だと思う。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「光州市の市民自由大学」 https://blog.goo.ne.jp/micchan_oohashi/e/f76fee7a1966010e7954fd31e4f5b686?fbclid=IwAR1Jz76XNx2pP4EJRoSdl2RqYmyENZwc7U4UHm7bPdPZil2UMDWJwwdNDHY


人々の人権を守るために生きてきた人々への祈り


日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代に韓国の人々に寄り添って生きた日本人はいた。その数は少なかったにしろ、そしてその行為は日々の細やかなものであったにしろ、また社会的な事業であったにしろ、それらの人々の記憶を忘れたくはない。何故なら、それらの人々の存在こそ、今、私たちに希望を与えてくれるからである。

ブログ「ほこぽこ日和」で紹介されていた「全羅南道(チョルラナムド)木浦(モッポ)市にある「木浦共生園」への旅の記録を読んだ。この施設は1928年に、尹致浩(윤치호:ユン・チホ、1909-1951)、および妻・高知県出身の田内千鶴子(たうち ちづこ)、結婚後 尹鶴子(윤학차:ユン・ハクチャ、1912-1968)の二人が身寄りのない子どもたちを家に連れてきて共同生活を始める活動から生まれた。1945年の日本の敗戦(日本植民地からの解放)や朝鮮戦争の激動の中、尹致浩・尹鶴子夫婦が、地域の人々の援助によって「木浦共生園」を守り続けた記録が書かれてあった。

過去にも、そして今でも、些細ながらも、自分のできる範囲ではあるが誠意をこめて、海外で生きている日本人がいたししいる。これらの人々の名前はない。しかし、これらの人々に触れた人々の記憶が残る。それは空気のようにいつの間にか歴史のどこかに流れ去っていくだろう。それは空気のようにあることが当然のように透明な存在であるだろう。しかし、この存在こそが、友情や共感の文化の源であり、そこに異なる文化の人々の和が形成されると信じる。

彼らはその信念や願いが困難な時代や社会の壁に閉ざされようとした時、また、無知ゆえに邪悪な人々の妨害に会った時、祈ったであろう。必ず、その願いが通じることを祈ったに違いない。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「木浦の旅[201902_01] - 孤児のために生涯を捧げた韓日夫婦を称え記憶継承する「木浦共生園 尹致浩尹鶴子記念館」」
http://gashin-shoutan.hatenablog.com/


自由と民主主義を守るために犠牲になった人々への祈り


2016年2月に光州に行った。1993年の光州事件(5.18民主化運動)は私の記憶にはっきりと残っていた。一回は光州に行きたいと思っていた。光州の大学に勤務する友人の車に乗せてもらい、光州事件が起こった公園広場、銃撃戦の舞台となった旧市役所(今は記念会館になっている)、犠牲者を祭る墓地や記念碑を巡った。しかし、残念ながら、光州蜂起の切掛けとなった学生運動の根拠地・全南大学校には訪問できなかった。

現在の韓国の市民や若者にとって光州事件は現在の韓国の民主主義社会の原点の一つになっているだろう。何故なら、自らの血をもって軍事政権の圧政に立ち向かった市民の歴史がそこにあるからだ。現在も続くろうそく運動の原点も、これらの民主化運動にある。その意味でこれらの運動が現在の韓国市民社会のアイデンティティを形成していると言っても過言ではない。

日本でも幕末の社会を変革した人々がいた。それらの人々の志や犠牲が明治維新や日本の近代化の原動力となった。しかし、その流れは日本の軍国主義に飲み込まれ、彼らは日本民族主義者として神格化され利用された。その延長線上に敗戦があった。軍国主義と闘った人々がいた。共産党から自由民主主義者まで非国民として投獄された。その中に獄中で非業の死を遂げた三木清もいた。日本が世界に誇る哲学者を日本軍国主義は虐殺した。

日本の戦後民主主義の形成史は、当然、韓国とは違う。だから、日本には光州事件のような名誉ある民主主義運動のモニュメントはない。しかし、私の記憶には60年安保闘争、65年日韓条約反対運動、67年ベトナム反戦運動と70年安保闘争、そして水俣をはじめ全国の反公害運動、安全食品を求めた消費者運動、使い捨てを考えたリサイクル運動、命と健康、雇用や生活を守るための労働運動、数々の市民の闘いが記憶にある。それらは現在の日本の民主主義文化の土となり、そこに私たちの今の市民社会の樹が成長し続けている。しかし、こうした無名の活動家のモニュメントはない。そのことを歴史に刻み、今いる若い人々、後世の人々に伝えるための公共の施設・社会装置を持っていない。しかし、それらの人々の記憶は書籍となり、残されている。もし、いつか人々がそれを掘り起こしたくなったとき、それはきっと大樹の根として地表に現れるだろうと、願うしかない。

民主主義とは文化である。人という社会を生きる人々の人格でありその生活スタイルや生活文化である。もちろん、それを守るための政治社会制度や法律や司法制度がなければならないし、それを支える政策、国や自治体の行政機能、企業や民間の運営機能がなければならない。それらの全てを支え維持するものが人であり、その人の人権や平和への考えや願いである。それらの考え方や願いを醸成するために、私たちは教育の在り方や地域社会での文化活動や色々なモニュメント、記念館等々の社会文化装置を形成し用意している。

すべての現在の文化はそれを育できた伝統文化や歴史の上に成立している。栄光や失敗の過去の歴史を引き継ぐことによって、未来は準備される。今現在の実利的な社会機能にのみ人々の関心が向かい世界は危険である。何故なら、それは過去の人々、未来のために生きた人々の祈りを忘れているからだ。そして、もっとも自覚しなければならないことは、その忘却は、今ある私たちが未来への祈りを忘れたときから始まるのだという現実である。


フェイスブック 2019年9月14日記載

「光州の旅[201705_08] - 5.18民主化運動の出発点「全南大学校」、そして全史跡踏破へ」 http://gashin-shoutan.hatenablog.com/entry/2017/09/30/230000


一人の勇気ある青年・桑原功一さんの行為


日韓関係の情報を検索しているとき、国際情報誌「ハフィントンポスト」に記載されていた 「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」の記事を読んだ。「韓国・光化門広場で8月24日に開かれた安倍政権への抗議を示すデモ集会で、日韓関係改善を求めてフリーハグをした桑原功一さん」のことが書いてあった。そしてその動画も記載されていたのでそれも観た。

私はこの勇気ある青年・桑原功一さんに拍手を送りたい。桑原さんが言うように、日韓関係の改善は私たち市民が責任を持って努力し積み上げていくしかない。まさに、彼はそれを実践した。彼は、政府や行政が企画するイベントに日韓関係の改善を期待するのでなく、ソウル市内の光化門広場で行われていた市民の集会に出かけ、デモに参加している人が日本人を嫌いで集まっているのでないと韓国の市民に呼びかけ、それを示すために集まった人々にフリーハグを求めたのである。

記載された動画では、多くの市民が彼にフリーハグをしていた。勿論、全員ではないが、反日を掲げた集会の横で、あえて日韓関係改善を求めてフリーハグを求める桑原功一さんに答えるのは難しいだろう。何故なら、彼に賛同していたとしてもフリーハグという習慣が韓国の市民には馴染めないだろう。同じことが日本でも言えると思う。韓国の青年が韓国政府を批判する日本の市民の集まりの横で「あなた方は韓国政府を批判しているのであって、韓国人が嫌いだとは言いってないのです。それを示すために、私にフリーハグをして下さいと言ったとすると、果たして何人の市民がこたえられるだろうか。

動画では多くの老若男女や子供連れの母親まで子供と一緒にハグをしていた。こうした光景を観るとき、何よりも私たちは韓国の市民が決して日本の報道が一方的に扇動しているように日本人全体を嫌う反日運動をしているのではないと理解できるだろう。その意味で桑原功一さんの行動は称賛に値する。そして、彼は私たちに、良好な日韓関係の構築とは市民が市民の生活の場から、市民のやり方で、自由に日常的に、小さくてもいいから行い続けることの大切さを示したと思う。

私は彼に多くのことを学んだ。彼の行動はある種の祈りに近い。その祈りとは、一人ひとりが日韓関係を構築する主体であることへの願いであり、また、何年かかっても続けなければあらない課題であることの自覚でもあるように思えた。また、その祈りは、多くの人々に、ただ自分のできることを自分のやり方でやることで、日韓両市民の友情が育っていくという未来を信じるものの思いに聴こえた。

フェイスブック 2019年9月13日記載


国際情報誌「ハフィントンポスト」 https://www.huffingtonpost.jp/news/ 


「韓国の反日本政府デモで、フリーハグを求めた日本人に反響「彼らは日本人を嫌いなわけじゃない」  https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d64e284e4b008b1fd204d6b?ncid=other_facebook_eucluwzme5k&utm_campaign=share_facebook&fbclid=IwAR0D2DwQhD6JzHuS9TKX8DfGKjPqCtvAcfex8Ll49ZqjxPaf9uiZtQxF4ug


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