三石博行
A テキスト批評の書き方
第1章は、テキスト批評に使う資料の出典を書くこと
つまり、テキスト批評するのはどの本の、またどの資料のどの部分に関するものかを書く。
出典に関する情報を明確に示すことが大切で、何に関して解釈、批評や分析をしているかが不明瞭であれば、文献や資料分析の記録資料として意味をなさないからである。
例えば、今回のテキスト批評で活用している資料、つまり、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』、集英社文庫、2008年1月、254p、「プロローグ」pp11-21を第1章に書く。
第2章は、テキストの文章を使いながら、テキストの要点をまとめる
資料、つまり姜尚中著『在日』の「プロローグ」を読みながら、自分が大切なところと思った箇所に鉛筆で線を入れる。入れた順番に番号を書く。これで、テキスト批評の第2章を書くための材料が完成する。
その材料を使いながら、テキストの番号のついた線の文章を簡単に要約する。その場合、本文(線の入った箇所の文章)を活用しながら箇条書きに要点を書く。
これらの箇条書きの要約文章をつなぎながら、「プロローグ」pp11-21に関するテキスト要約をまとめる。テキスト要約がテキスト批評の第2章を構成することになる。
テキスト批評の第2章はテキストには「何が書かれてあったか」という内容になる。
第3章は、第2章のテキスト要約文に関する自分の意見を書くこと
テキスト批評のために必要な資料(要点が箇条書きにした文書)を基にしながら、その内容を批評する。つまり、自分の批判や評価を書く。
テキスト批評の第2章「この文章の要約」に即して、自分の解釈、評価や批判等を書く。それがテキスト批評の第3章となる。
参考資料を書くこと
姜尚中著『在日』、「プロローグ」のテキスト批評を行う際に、インターネットや図書館で調べた論文、資料や本などを書いておく。
B、テキスト批評の例 姜尚中著『在日』「プロローグ」
第1章 テキストの出典
姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』、集英社文庫、2008年1月、254p 「プロローグ」pp11-21
第2章 「プロローグ」pp11-21の要約
在日コンプレックスとしての「精神的な脆弱さと不逞の精神の分裂質的性格」
姜尚中氏(著者)は「自分の写真をみるのがきらい」(p11)であった。そのため、彼は「高校生のとき、…一度も写真を撮ってもらった記憶」(p12)はない。その理由について「自分が、「在日」であり、いかにも「在日韓国・朝鮮系」をしていると思い込み、」…「自分の顔を避けたい気持ちにつながり、いつしか(自分の顔が)写真に撮られることを忌み嫌うようになった」(p12)と彼は述べている。
彼(姜尚中さん)の在日コンプレックスは、他者(日本人)の眼差しを避ける気持ち、在日であることを隠すことによって、それはますます、増幅される。そして、彼の「精神的な脆弱さの原因となっていた」(p12)。しかし、「内にこもるナイーブな性格とは裏腹に…どこか大胆で、ふてぶてしいような図太さ…物事の仔細にこだわらない鈍感…不逞の精神」が二重に存在している」(p13)ことを彼は感じていた。
その二つの性格の「どちらが本当の姿なのか、(彼自身)にもよくわからなかった」。「このような分裂質的な…性格が、父母と(彼)を取り巻く「在日」の環境から何らかの影響を受けていると」(p13)考えた。
また、自分の原点にあった母(オムニ)にも、「あふれるような母性愛と繊細さ」(p13)、そして突然爆発する癇癪(かんしゃく)の、自分と同じような分裂質的な性格があった。母がそうなったのは、先天的な要因というよりも、やはり「在日」という境遇の影響が大きい」(p13)と彼は考えた。
母に性格に具現化した在日の厳しい境遇の歴史
母の生涯、祖母に大事に育てられた時代、「幼いころの母は…疑うことを知らない無垢な少女」であった。「住み慣れた故郷から海を越えて日本に渡り、そこで想像を絶するような艱難辛苦(かんなんしんく)の日々を(父とともに)生き抜いていかざるをえなかった」。(p14)過酷で悪意に満ちた日本社会での在日の置かれた生活環境の中で、母が朝鮮民族の誇りや伝統文化や精神など内に秘めた自分の世界を守り続けるために、激しい'性格の人へと脱皮してきた。
しかも、母は「在日」であると同時に文盲(もんもう)(日本語が読めなかったのではないか)でもあった。
著者の母はかたくなに旧暦(韓国の伝統の暦)に拘(こだわ)り続けていた。彼女を支配していた身体的な時間は、土俗的(韓国の)習俗(しゅうぞく)の循環によって維持されていたと姜尚中氏は顧(かえり)みる。どんなときでも、すべての先祖崇拝や土俗的な祭儀(さいぎ)や法事(ほうじ)をやってのけた。彼女は日本の常識からすれば迷信のような儀式や習俗を守り続けた。
彼は、「母の神経症的といもいえる故郷の風俗や祭儀(さいぎ)への執着が…あまりにも不合理に思えて仕方がなかった。」(p15)「先祖崇拝と土俗的なシャーマニズムの世界は、…迷信以外のなにものでもなかった」し、「その世界が「在日」であることの不名誉のしるしのように思えてならなかった。」(p14)
しかし彼は、その彼の考えの浅さに気づくことになる。母は幼くして亡くなった長男「晴男」の法事を数十年も続け、そのとき準備した赤ん坊の下着を焼きながら、その死児の歳をずっと数えながら生きていた。そのあふれるような母性愛こそ「母が必死に守り続けてきた世界」であった。
「戦争の時代、そして戦後の時代、そのすざましい変化にもかかわらず、母は、異国の地で根こそぎもぎとられた記憶に生命を吹き込むことで、かろうじて自分がだれであるかを確かめながら生きていたのである。」つまり「近代とでも呼びたくなるような時間…の習俗を守り続けることで、母は無意識のうちに日本の中にどっぷりとつかることのない異質な時間を見つけ出していた」のである。(p16)
日本と朝鮮半島の歴史、その歴史に翻弄(ほんろう)されてきた在日の人生。日本によってもたらされた朝鮮半島への強引な近代化、その近代化へのささやかの抵抗としての、旧暦への拘(こだわ)りが彼女の生活時間の習慣を作っていた。
文盲であった母にとっては、日本社会での「言語という回路が途絶(とぜつ)していたのである」。しかし、その閉塞感や孤立感はどれほど想像を超えたものであろうと、生きるために零細な家業の担い手として、その孤独な世界に閉じこもっていることなどが許されなかった。「文盲のハンディで何度も騙(だま)されたり、見下げられたりし」母のプライドはずたずたにされていたが、生活のために絶えず外の世界と交渉をもたなければならなかった。その差し迫った強制のはざまで、「母はいつしか神経症的な性格を形作っていったのではないか」(p18)と著者は述べている。
そんな「母もまた、メランコリーの中に打ち沈んでいるときが多かった。」そして「ため息のように漏れる母の涙声の歌は、…心悲しい哀愁に満ちていた。」(p18)しかし、その静かな時にも、「しばしば激しい「動」の時間とコントラストをなしえいた」し、癇癪(かんしゃく)が爆発したときはだれも手がつけられなかった。
「名前すら書けないわが身の無知を、母はどんなに恨んだことだろうか。文字を知らない不幸をこぼす母の口調にはくやしさとやるせなさの感情がにじんでいた。」(p18)
私はその(在日たちの生きた世界の)記憶をとどめていきたい
その母も喜寿(きじゅ)を過ぎ、激しい「動・癇癪の爆発」の時間とメランコリーの中に打ち沈んだ時間のコントラストも亡くなり、往時(おうじ 過ぎ去った昔)を懐かしむようになった。恩讐(おんしゅう)を忘れ、自分だけの世界にまどろんでいるように見えた。
著者が還暦(60歳)を迎えたとき、母はこの世を去った。それは、在日1世の殆どがこの日本社会から逝く時代、つまり在日にとって戦後という時代が終わりを意味することでもあった。その時代の終わりに、これからの新しい時代に、在日1世たちの生きていた歴史的事実を残さなければならないと思った。それは「文盲」であった母から文字を知っている彼(姜尚中さん)へ課せられた儀式のようにも思えた。
姜尚中氏は、彼が若い時代に、「悲壮な決意で「永野鉄男」から「姜尚中」に変わった頃のことが遠いむかしのように」なつかしく思えた。そして、彼は在日の遠い記憶を呼び寄せ、それを現代日本の社会の記憶に留めようとしたい気持ちになった。それは、単なる懐旧(かいきゅう)でなく、戦中・戦後を生きた在日の人々の記憶を残すための在日二世である自分たちに課せられた大切な儀式のように思えるし、文字を知らない世界で生きていた在日一世たちから文字(日本語)を知っている在日二世に託された遺言のように思えた。
遠い記憶を呼び寄せ、その記憶の中に書き込んでおけば、いつかみんなでその記憶を分かちあえる時がくるに違いないと著者は書いている。そして、過去に向かって前進すれば、きっと文字をしらなかった在日一世の人々に会えるのだからと著者は述べている。
第3章 「プロローグ」に関する批評
プロローグの文章を私は大きく三つに分けたが、姜尚中(著者)のテーマは一つであった。
つまり、このプロローグは姜尚中(著者)がこの本『在日』を書かなければならなかった彼のこれまでの「在日韓国人」としての生い立ち、その生い立ちに深く関係した人々、特に著者の母の姿を通して、1910年8月から1945年8月(終戦)まで続く朝鮮合併(日韓合併)、つまり大日本帝国が大韓帝国を合併するという朝鮮植民地の時代から戦後、現代まで続く在日韓国人の歴史の中に存在した現実、それらの人々の生きていた姿を記録することであった。
例えば政治的事件に関する資料、経済的動向の資料等々、歴史的事実と呼ばれる社会経済の動向から、その当時の時代や社会のマクロな姿は理解できるだろう。しかし、歴史を学ぶことは、その社会に生きていた人々の姿を、生活を理解し、彼らの行動を彼らのもつ精神構造やそれを作り出している彼らの時代や社会文化環境を理解することからはじめなければならない。
姜尚中(著者)は、マックスウエーバーの社会学を学んできた研究者であるために、個人の心象や行動に発現する精神現象、つまり社会文化の現象を、在日の個人史的な記述から堀探ろうとしているように思える。
プロローグは、その彼の社会学的方法論を叙述的に記載したかのようである。
確かに、単純に日本人であった私にとって、姜尚中氏の突きつけた課題は重い。何故なら、同じ現代の日本という時代と社会に姜尚中(著者)と共に生きていた私は、在日の何ものも理解しえる土台も知識も気持ちもなかったのである。
在日朝鮮人や中国人と我々の国、日本と隣接した韓国朝鮮の歴史を教科書で、また書物で呼んだとしても、彼の個人史からにじみ出た在日の姿のように、ありありと彼らのコンプレックスや悲惨で悲哀に満ちた生活、楽観的でお人よしの生活、臆病で強かな(したたかな)生き方を読み取ることは出来なかっただろう。
このプロローグは、日本社会で日本人になりすましていた永野鉄男が本当の自分、つまり在日韓国人としての姜尚中になる闘いの記録の序文であり、また同時に、姜尚中として在日としての自分を強調しながら自らの存在認識を成し遂げた彼方から、自己確信の認識(自信をもって生きている自分への認識)を終えた姜尚中が、やはりその姜尚中の一部であった永野鉄男を懐かしく思うという課題に展開していくことを、長く異国の地日本で生活をし、そしてそこで生涯を終えようとする母の最後の姿に重ねながら予告しているように思えた。
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ブログ文書集「国際社会の中の日本 -国際化する日本の社会文化-」
5. 日韓関係
5-1、NHK ETV特集「日本と朝鮮半島」 イムジンウェラン 文禄・慶長の役のテキスト批評
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5-2、NHK 朝鮮半島と日本 「倭寇(わこう)の実像を探る 東シナ海の光と影」のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_2310.html
5-3、NHK EV特集 「元寇蒙古襲来 三別抄と鎌倉幕府」の映像資料のテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/07/blog-post_6943.html
5-4、姜尚中(カン・サンジュン)著『在日』プロローグのテキスト批評
http://mitsuishi.blogspot.com/2010/11/blog-post_29.html
5-5、東アジア共同体構想の展開を進める日韓関係の強化
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