2011年1月18日火曜日

京都奈良EU協会・日欧学術教育文化交流委員会の今後の課題

東アジア共同体を目指すためにEUに学ぶものがある

三石博行


連合国家・EUの歴史に何故、そして何を学ぶか

EUの形成は、人類史上画期的な試みである。何故なら、この連合国家は、強大な権力による他の国家の支配と服従を前提にした領土拡大や政治機構の統一ではなく、それぞれの国家や民族の多様性を前提にした新しい連合国家の形成を目指しているからである。

また、国際連盟や国際連合のように、国家集団の協議や調整の機能でもない。国としての、つまり、異なる民族や文化の国々が、その上部構造として連合国家としての機能を創り、国家理念とそれを具現化する憲法を制定し、司法、立法と行政の機能を持ち、連合国家としての外交と軍事(国防)機能を発揮しようとしているからである。

こうした国家の形成は人類の歴史にはなかった。その殆ど不可能に近い政治的目標や政治体制の構築に向かって、現実的に連合国家の形成のための制度や法律を作らなければならないのである。そのため、多くの社会科学者がこの構想が成功するとは考えていない。何故なら、これまで民族や文化の多様性を維持するという非効率的な政治体制を前提にしながら、統一した社会経済政治システムを構築することは歴史的にも存在しなかったし、また現実不可能であると思われているからである。

過去の二つの戦争への反省から、多様な言語や文化を持ちながらも、汎ヨーロッパ市民として共存するためにヨーロッパ連合を構築しようと考えたのであった。しかし、すでに、国際平和を維持するために、国際的な国家集団による協議の場を形成してきた。例えば、第一次世界大戦の教訓から1920年に国際連盟(League of Nations)が結成された。しかし、この国際連盟は第二次世界大戦の勃発を防ぐことが出来なかった。その反省に立って、1945年に新しく国際連合(United Nations)が結成された。

しかし、ヨーロッパ連合が国連との違うのは、国連が国家集団の協議の場として機能しているのに対して、EUは一つの国として連合国家形成を行おうとしていることである。つまり、EUは国連のヨーロッパ地域版ではない。EUは、まったく新しい国家形態を作ろうとしている実験国家であると癒えるだろう。

その基本となるのは、1948年にチャーチル首相が呼びかけた欧州評議会の理念となるヨーロッパ宣言である。ヨーロッパ宣言は、ヨーロッパ政治経済の共同体、ヨーロッパ議会、統一ドイツ、人権憲章、最高裁判所、子供、青年や文化に関するヨーロッパセンターの必要性を述べた。長年のヨーロッパ評議会の活動、ヨーロッパ共同体の形成、そしてヨーロッパ共同体からヨーロッパ連合は形成されていくのである。

国際平和を形成するために、戦後の二つの試み、つまり国連とヨーロッパ評議会・ヨーロッパ共同体・ヨーロッパ連合の試みがある。EUは民主主義と人権擁護を連合国家間の政治的基本理念として形成し続けている。

東アジア共同体を形成しようとするとき、このEU形成の歴史を学び、またEU形成に至るまでのヨーロッパ評議会やヨーロッパ共同体の機能に関する理解を深めなければならない。現在の東アジアは、当時のヨーロッパと異なる状況にある。そのことを前提にしながら、東アジア共同体を作る前の、東アジア経済共同体や東アジア評議会を検討し、東アジアの平和(治安維持)と経済発展のための協同機能を着実に構築し続けなければならないのである。


なぜ日欧学術教育文化交流が必要なのか

EU日本本部やEU大使館が精力的に支援する全国のEU協会運動に連携し、京都・奈良EU協会を2009年12月に立ち上げた。しかし、この我々のEU協会はEU協会本部の承認すら頂いていない「勝手にEU協会運動をしている」会である。しかし、そうであったとしても、我々はEU(ヨーロッパ連合)と日本との友好運動の組織であり、また、同時に東アジア共同体を形成するためにEUに学ぼうとする組織である。

京都・奈良EU協会の活動としえ、日欧学術教育文化交流活動を位置づけたい。その活動の目的は、上記したように、EUの歴史やEU機能、例えばEUでの環境政策、教育政策、文化政策、人権政策、金融政策、議会、行政機能、司法機能、等々のEUの政策とそれを実現するための政府や政治の機能、またEU国内、例えばドイツでの環境対策、フランスでの都市計画、イギリスでの教育改革等々、具体的なEU国内、地方都市や市民レベルでの活動について、学ぶことである。

それらの学びは、即、東アジアでの諸問題、例えば、東シナ海の環境汚染や大気汚染対策を考えるための参考となる。また、東アジアでの大学コンソーシアム、大学間協定や学生交流のための参考となる。

今後、東アジア諸国が共同でこの地域を発展さすために、EUの歴史や現実を学ぶことが必要となるだろう。そのために、京都・奈良EU協会として、具体的な学習プログラムを作る組織として日欧学術教育文化交流委員会を位置づけたい。

故岸田綱太郎博士の呼びかけで始まった日欧学術教育文化交流

すでに以前のブログで紹介しましたが、日欧学術教育文化交流委員会は、ドイツ連邦共和国とフランスの間で提携された仏独友好・協力条約(エリゼ条約 1963年1月2日)から40年目を記念する2003年10月のイベントを機会に、当時、進展していたEUと日本との関係、取り分け教育や文化交流を行うために企画されました。

2003年10月に、故岸田綱太郎京都日仏協会会長の働きかけで、京都日仏協会と奈良日仏協会が共同で開催しました。このイベントに、フランスのアルザス地方で1980年代から、日本の企業誘致や日本の社会文化、教育研究の発展に貢献されたAndres Kleinさん(欧州アルザス日本学研究所長、元アルザス州開発公団総裁、元フランス・ライン河下流県助役)を招待しました。

1980年代から、現在欧州アルザス日本学研究所所長であるクライン氏は、長年、アルザス(ヨーロッパ)と日本との経済や文化交流を行ってこられた。アルザス成城学園の設置は勿論のこと、その跡地の有効活用するために奮闘されてきた。言わば、アルザス(欧州)と日本の交流を発展させた功労者である。

クラン所長からの提案もあり、欧州アルザス日本学研究所と関西の大学との学術、教育や文化交流をさらに活発化させる活動が企画された。それが2004年から始まった日欧学術教育文化交流ための準備活動であった。この活動を通じながら、ヨーロッパと日本での、参加型の国際交流活動を考え、故岸田綱太郎先生を囲み、河村能夫龍谷大学教授(元副学長)、廣田崇夫前国際交流基金京都支部長の三人が中心となり、日欧学術教育文化交流委員会の準備活動が始まった。

2004年4月に、クライン欧州アルザス日本学研究所長の日欧間の学術教育文化交流活動への呼びかけもあり、5月に故岸田綱太郎先生が呼びかけ人代表者となり、梅棹忠夫先生(元国立民族博物館館長)、山折哲雄先生(元国際日本文化研究センター館長)、小倉和雄先生(国際交流基金理事長)、谷岡武雄先生(元立命館大学総長、元京都日仏協会会長)が呼びかけ人に参加され、この委員会は発足しました。その後、八田英二先生(大学コンソーシアム京都理事長、同志社大学学長)がオブザーバーとして参加されました。


日欧間の教育文化交流の活動計画の現状 委員会の再出発に向けて

2006年9月に岸田綱太郎先生を失い、委員会活動は大きく後退しました。さらに2010年7月に 梅棹忠夫先生が亡くなられ、今後の課題について相談できる人を失いました。 

現在、京都・奈良EU協会の協力を得て、委員会の活動を維持しています。これまでの委員会のこれまでの活動をまとめ、報告しながら、再度、今後の課題を検討したいと思います。

日欧学術教育文化交流活動委員会の情報に関しましては、
三石博行のホームページ の 「社会活動」「国際交流活動」の中の「日欧学術教育文化交流活動委員会」のページで紹介しますので、そのページの情報を見てください。

新しいアドレス
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/syakai_01_03.html


参考資料

「日欧学術教育文化交流委員会ニュース配信」2007年12月20日
http://mitsuishi.blogspot.com/2007/12/blog-post_8507.html

三石博行、Eddy Van Drom  作成 「欧州評議会の歴史とその政治的機能」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe1.files/frame.htm

三石博行、Eddy Van Drom  作成 「欧州連合成立史」
http://hiroyukimitsuishi.web.fc2.com/tensou/Europe2.files/frame.htm



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