2011年2月8日火曜日

拡大するネット交流の彼方 個人情報交換方法の革命的変化の到来

淘汰が始まる二つの機能 仮面の討論mixiと素顔の討論FaceBook

三石博行


謝肉祭の社会的意味

ヨーロッパでは中世からキリスト教の春先に行われるお祭りで、カーナバル・謝肉祭(1)がある。カーニバルでは人々は仮装し街をパレードする行事が行われる。

キリスト教の厳密な教義に従って運営されている中世社会で、年に一回、すべてが許されるお祭りがこの謝肉祭であった。人々は仮面や衣装で仮装しているために、その素性を隠し、日常性から断絶したお祭り(狂気の世界)で自分の欲望を満たすことが出来た。祭りが日常性から隔絶した空間を作る俗と聖が交わる世界を作ると言う意味では、謝肉祭ほどお祭りの意味を我々に教える行事はないだろう。

つまり、抑圧された狂気(生命力)が爆発し、その生命力の爆発によって、それまで長い冬の空を覆っていた秩序を破壊し、春の世界への、つまり新しい世界への再出発を祝うのである。

欲望を日々満たすことのできる現代の自称民主主義社会では、カーニバルは必要ない。何故なら、人々は日常的に狂気を爆発発散させる機会を持っているからである。現代社会で中世から続く祭りはその存在意味を変えない限り存続しえないだろう。つまり、現在のヨーロッパでの謝肉祭は、宗教的意味を失い商業的意味を持つことで、存続していると言える。


現代社会での出会い系サイトの必要性

ネット社会では、出会い系サイトなどで、連日、謝肉祭が営まれている。参加者は、偽名という仮面を被り、名前、住所、職業、性別、年齢まで仮装されている。ただ、その仮面の口から出てくる言葉(文章)のみで、参加者同士のコミュニケーションは成立している。

参加者は殆ど、自分の話している相手が何者か知らない。つまり、何者であってもいいのである。つまり、この会話は自分のためになされている会話であり、相手がその手段に過ぎないといってもおかしくないだろう。

一般にこの出会い系サイト風の、仮面交流会が成立している人々の心情とは

1、 自分の欲望を満たしたいが、満たしたいと思う自分を知られたくない。

2、 殆どが、現実の人間関係よりも、サイト上の仮面交流会の方が人とコミュニケーションしやすい。

これまで、多くの人々が出会い系サイトを活用し、多くの人々が現実の人間関係を結ぶまでサイト上で交流し、またそのサイトによって詐欺に合い、事件に巻き込まれ、最悪のケースとしては財産を奪われ、命を落とす事件に巻き込まれたこともあった。

出会い系サイトで知り合った男に殺されたニュースがテレビで流されてから数年が経過したが、しかし、出会い系サイトに参加する人々が減少した報告はない。つまり、事件への危険性を孕みながらも、そのサイトで欲望を満たされることを望む人々が多くいる。それは否定的な側面でなく、人々が出会いを望み、現実の職場や地域社会では、望む出会いを達成できないが故に出会い系サイトに集まるのである。

民主主義が進み個々人が自分の個性を持ち、自分なりの生き方や自由な生活を送ることが当然と言われる社会で、それを相互に認め合う人々を見つける確率は少なくなるだろう。つまり、多様な個性の数だけ、気に入る出会い可能性は低くなる。当然の現象である。

この民主主義社会、自由が生き方の基本となった社会で、人間達が求める自分に合ったコミュニケーションの場や相手は、もはやネットなしには見つけることは出来ないのかもしれない。


仮面を被ったまじめな議論会 Mixi

2004年2月から始まったmixi は「日本では最も早い時期からサービスを展開しているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の1つである。」(Wikipedia) 最も日本で普及しているコミュニケーションサイトである。言い方を変えれば、まじめな出会い系サイトを提供している。

Wikipediaによると、mixiの「ユーザー数は2009年9月30日現在、約1,792万人。月間ページビュー(PV)はPC版約45.2億PV、モバイル版約114.4億PV、合計159.6億PVである。また、2006年時点での平均利用時間は3時間29分で日本ドメインでは2位となっている。また、ミクシィの調査によると、男女比率は男性が52.2%、女性が47.8%。年齢層で最も多いのは20~24歳の33.8%、次いで25~29歳が28.4%、30~34歳が17.6%。最終ログインが3日以内のアクティブユーザーの割合は、かつては全ユーザー数の70%を占めていたが、アクティブユーザー率は少しずつ下がり、2007年5月現在は64%である」と言われている。


そして、2010年4月14日現在で2000万人の有効ID数に達している。ネット上で同じテーマを持つ人と出会う場コミュニティの数は、2009年11月29日現在で360万を超えており、「その中で最も多いメンバーを抱えているコミュニティのメンバー数は約45万人である」(Wikipedia)と言われている。

つまり、日本の若者の多くが、mixiで「マイミック」と呼ばれる気に入った相手とのおしゃべりや「コミュニティ」と呼ばれる課題別のグループで、参加者が自由に立ち上げる課題「スレッド」のテーマに自由に参加して議論をすることが出来る。そして、人々は自分の関心ある課題を、一人で自分の家で机に向かいながら、不特定多数の人々と意見交換できる。

mixiの特徴は、参加者が実名を名乗らない、これまでの出会い系サイトの文化、つまり仮面討論会を継承する。そのことによって生じるプラスとマイナスがある。

マイナス面は

1、 実名でないために、相手を個人的に攻撃したり、中傷したりすることが出来る。

2、 コミュニティのスレッドでの議論で、実名でないために、無責任な発言や根拠のない虚偽の発言が簡単に可能になる。

プラス面は

1、 話しをしているのが誰であるかが問題でなく、話された内容のもが、スレッド上で課題となるため、相手の肩書きや年齢に関係なく、スレッドで議論でき、例えば、大学学生が大学教員と対等に話しを進めることが出来る。

2、 つまり、若い人々に思い切った発言を可能にする。

以上、プラスとマイナスの両面から、参加者は議論ではニックネームを使いながらも、プロフィールに自分の実名を記載する人々も多くいる。しかし、実名を記載することは、mixiでは義務ではない。


素顔での出会いと討論の場 FaceBook

FaceBookも2004年にアメリカで、学生向けのサービスを目的にしてハーバード大学で出来たSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。「2006年9月26日以降は一般にも開放された。日本語版は2008年に公開。13歳以上であれば無料で参加できる」(Wikipedia)ようになった。「公開後、急速にユーザー数を増やし、2010年にサイトのアクセス数がgoogleを抜いたとして話題になった。2011年現在、世界中に5億人を超えるユーザーを持つ世界最大のSNSになった。そのうち日本国内のユーザー数は約180万人」(Wikipedia)と言われている。

FaceBookでは、実名と写真が公開され、友人の友人がオープンに友人間で紹介され、紹介を受け友人同士がコミュニケーションを行う。また、議題を提案し、議論する場もある。その点ではmixiのサービスの殆どをFaceBookもユーザーに提供している。

FaceBookでは、実名が使われている。そして写真も提供されている。つまり、利用者は素顔で登場する。その点が、mixiと異なる。その違いは、恥ずかしがりやの日本で生まれたか、それとも自分の意見を述べることも、恋人を公募することも別に恥ずかしいとも思わないアメリカで生まれたかの違いなのだろうか。


ネット上での意見交換の時代

mixiやFaceBookの爆発的広がりが意味することは、次の時代のコミュニケーション文化の姿である。つまり、情報化社会が成熟していく21世紀では、多くの人々が、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を活用して、益々日常的に、そして大衆的に同じ興味を持つ人々との出会いや議論した課題でのオープンは意見交換を可能にする。この流れを阻止することは出来ない。

この情報化社会の大衆文化が作り出す社会文化的様相を予測するなら、以下のことが言えるだろう。

1、 選挙は政治的課題について、大衆的な意見交換が可能になる。例えば、今回の北アフリカのチュニジアやエジプトでのデモの呼びかけのような政治的不満に対する大衆的行動が生まれる。

2、 昨年の「ウィキリークス」が行たように、政府の秘密情報が大衆的に暴露され、また日本政府が非公開にした尖閣諸島での中国漁船の衝突事故の映像が放映されるなど、政府は機密情報の隠蔽が技術的に不可能な状態になる。

3、 大学教育の教材がネットで公開されることにより、高等教育情報が大衆的に広がり、多くの人々が知的情報を無料で簡単に入手できる社会が到来する。

4、 学会や専門機関が専門的な学術研究情報をサイト上で公開することで、専門分野に関心を持つ多くの素人が豊富な専門的知識を得る機会が生まれ、科学の大衆化が益々広がる。その結果、専門的分野の研究討論サイトが生まれ、逆に専門家たちがそれに参加してゆく傾向が生じる。そして、学術研究の専門性の壁が次第に取り除かれ、他の分野の専門的な研究情報を簡単に入手できるようになる。


以上、高度情報化社会の大衆化による現象の一部であるが、今後、このような情報文化の形成が急速に進むだろうと思われる。

そして、これらの近未来の具体的な課題に対して、仮面を被った参加者によって進むコミュニケーションと討論の場Mixiと、素顔でそれに挑むFaceBookの二つの異なる文化のどちらが最も適しているか、二つの異なる文化を持つSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の淘汰を掛けた激戦、サービスと社会的機能の進化が生じるだろう。

そのとき、中世の謝肉祭が現代に引き継がれた社会的ニーズに関する要因分析は役に立たないだろうか。


参考資料

(1)謝肉祭 Wikipedia
「カーニバルの語源は、一つにラテン語のカルネ・ウァレ(carne vale、肉よ、さらば)に由来するといわれる。ファストナハトなどは「断食の前夜」の意で、四旬節の断食(大斎)の前に行われる祭りであることを意味する。」 Wikipedia
「謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来し、キリスト教の中に入って、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったという[要出典]。カーニバルの語源は、この農耕祭で船を仮装した山車carrus navalis(車・船の意)を由来とする説もある。」 Wikipedia
しかし「現在はその起源である宗教的な姿を留めず単なる年中行事や観光行事になっている地域も多い。」 Wikipedia






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