三石博行
策略としての政治
策略として理解されている政治の意味を見事に示した例が、今回の選挙であった。
選挙戦に入る前に、管直人氏は見事に自民党の「消費税を上げなければ健全な財政を確保できない」という正論の策略に乗った。
その結果、みごとに選挙前の国民の評価を落とした。
管直人氏の言動にさぞかし小沢一郎氏は苛立ったことだろう。そして、その挑発にまんまとはまった管直人氏の子供じみた対応に小沢氏はなす術もない自分にも残念がったことだろう。
何しろ小沢一郎氏は選挙前に、民主党を勝利させようと、自ら身を引いたのだから。
しかし、これは私の憶測である。
策略を政治とすれば、民主党の若手や市民運動上がりの政治家など、自民党のたたき上げ、百戦錬磨の政治家の足元にも及ばないだろう
真面目すぎた管直人氏、確かに国債漬けの日本のこれからを考えるなら、彼の言い分は正しいのだ。
むしろ、この問題を避けて、選挙に臨みながら、選挙後に消費税値上げを既成事実のように語る自民党政治家などは、実に、見事に国民感情を逆なですることなく、目的を果たそうとしているのだから、卑怯なやり方といえるだろう。
しかし、その卑怯さは、策略という視点からは見事というしかない。
その意味で、管直人氏は、自民党政治家の爪の垢を煎じて飲まなければ、政治家にはなれないと、民主党、特に自民党を良く知る、自民党を脱党した政治家は思っただろう。
まさか自分たちが自民党を支持したはずはないのだが、結果的には自民党の勝利を導いた選挙結果に国民も驚いたかもしれない。
そして、その策略に乗った自分たちよりも、もっと手厳しくその策略を見ぬけなかった民主党党首に対して、不平をこぼし、「策略に乗るようでは、大した政治家ではない」と国民も思っているだろう。
今回の選挙は、純粋な民主党を代表する管直人氏が、強かな自民党を代表する谷垣禎一氏に一本取られた。
それは自民党が遥かに民主党よりも「策略としての政治」の実力をもつことを我々に教えてくれた。
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