2013年12月17日火曜日

何が二大政党政治文化の成立条件とその基準となるか

問われる政治改革の課題(3)


三石博行


二大政党政治の成立基準とは何か

国民主権の社会を形成維持して行くために、市民の政治運営に関する監視機能システムを作ることが早急にできない現状で、まず、我々市民国民は地方から国政にわたるすべての選挙に対してどう行動すべきなのだろうか。つまり、どのような段階を経て、国民主権主義の社会、民主主義社会を発展させることができるのかという具体的な市民民主主義社会化の政策を考える必要がある。

政策の具体的提案である政策提案(マニフェスト)とは、政党の政治理念を前提に提案されたものである。その意味で政党の政治理念がまずそれらの政党行動の基本となる。現在の日本の政党はそれぞれの政治的理念を持っている。その理念に共感する多様な市民が存在することで政党の存在理由が生まれている。

各個人は色々な生き方や社会に関する価値観を持っている。それらの価値概念によって、政治的側面が政党の理念を理解し、評価し、批判している。私個人のその価値概念を前提にしないで、それらの多様な価値概念のすべて述べることは幾分困難である。がしかし、できる限りそれらの多様な価値概念の全てを理解する主観的な努力をしなければならない。何故なら、それが民主主義文化を認め発展さそうとする基本的な姿勢であるからだ。

世間一般に言われる政治的立場の大きな分類用語として「保守」と「革新」という用語がある。一般的な保守や革新の概念はない。伝統的な社会制度を維持することを保守と呼び、それを変革することを革新と呼ぶなら、憲法改正は革新となり護憲は保守と言うことになる。またこれまでのエネルギー政策を維持することは保守であり、それを変革することが革新となる。保守と革新ということはイデオロギー的にも同じことが言える。中国では社会主義思想とその体制を維持する勢力は保守勢力であり、資本主義化や自由主義を持ち込もうとする勢力は革新勢力と言われる。つまり、保守と革新という用語では政治的立場を相対的に比較することは出来ても、政策に関する評価を行うことは出来ない。

良い例が、安倍政権がいう「積極的平和主義」という政策用語である。積極的と消極的という二つの対立概念を用いるなら、軍事力を背景にして力による国際平和を維持する政策は積極的平和主義であり、軍縮によって軍事力を削減縮小しながら平和共存を求める政策は消極的平和主義と言えるだろう。核武装による核戦争の可能性や危険性を高めることによる危機感を逆手に取って、その核戦争の可能性を封じ込めることは、核武装をしないで核戦争の可能性を防ぐことに対して、積極的平和主義と呼ぶこともできる。つまり、軍事力を持つことで平和を維持することが「積極的平和主義」の考え方である。

政策を保守や革新または消極的や積極的という抽象的な用語によって表現しようとするのは政策の本質を暈(ぼか)したい意図があるからである。政策とは市民国民がその具体的な課題や方法をよく理解できるものとして存在している。何故なら、それらは生活に直結する政治的方針であり政策であるからだ。従って、政党の政治理念も同じように抽象的でな用語でなく、具体的に市民が理解できる概念で表現されるべきだと思う。


旧来の二大政党政治時代の終焉の意味、 階級社会から市民社会への変化

政治思想の立場から考えると、市民民主主義社会の成熟と国家主義社会の形成の二つを挙げることにする。北朝鮮を代表とする一党独裁の社会主義思想や戦前の天皇制社会は国家主義的思想であり、欧米型資本主義社会は市民民主主義思想を代表する。その意味で、日本の戦前戦中の社会は国家主義社会思想を基本とし、戦後社会は市民民主主義社会を目指していたと言える。その視点に立って、日本の政党を観ると、自由民主党をはじめ他の全ての政党に於いても、それらの政党の理念が市民民主主義社会思想と国家主義社会思想に分かれている訳ではない。自民党の中にも、二つの社会思想を持つ党員や議員が存在している。また他の政党にしても、例えば日本共産党の中にも古い社会主義国家を理想としている国家主義思想の持ち主がいるだろう。

その意味で現在の日本の政党は実に分かりにくい。分かりやすい政党は自民党と共産党の二つである。それ以外の政党は、伝統主義(保守)と社会革新主義、国際主義と国粋主義、アジア重視型か欧米重視型、護憲と改憲、原発推進と脱原発、軍拡と軍縮、資本主義と社会主義という概念からも分類し難い。もし、二大政党化を目指すなら、国民が理解できるわかりやすい政党政策の棲み分け分離が必要だ。政策の違いで政党が成立するなら、高度に発達した社会では多様な政治的課題が多くなり、それの伴い異なる政党が多く存在することになる。以上述べて二つの対立概念のそれぞれの組み合わせで異なる政党ができるなら、主要政策数の二乗倍の勢いで政党ができることになるのである。

この政党の多極化は、これまでの政党政治の概念が高度に発達した科学技術文明・市民民主主義社会では通用しないと言うことなのだろうか。そうだとすると、二大政党政治を前提として導入されている現在の小選挙区制度を変える必要がある。しかし、小選挙区制度を廃止する選挙改革がすぐに可能でないなら、二大政党化に向けた対自民党を掲げる政党連合が必要である。しかし、そのための何らかの視点が必要となる。その視点は反自民という立場だけでは成立不可能である。

現在の自民党政権に対して、つまり1、伝統主義(保守)の自民党主流派と政治改革や行政改革等の社会革新を目指す潮流、2、国家主義に対する国民主権主義、3、アメリカ重視主義に対する東アジア重視主義、4、改憲に対する護憲、4、原発推進政策に対する脱原発・再生エネルギー重視政策、5、軍拡主義に対する軍縮志向、6、官僚指導型社会に対する民間指導型社会、7、中央集権型社会に対する地方分権型社会化等々の具体的な政策によって現在の野党政党勢力群の分離と連合を進める必要がある。

その視点に立てば、みんなの党が分裂したように日本維新の会は東西に分裂することになる。民主党でも原発推進派の仙石氏や野田氏、また親米主義の前原氏と脱原発派の管氏の分裂は避けられないだろう。自民党を中心とする野党の親自民党人脈が集まり、またその逆に自民党と上記した7つの主な政治路線を巡る判断基準を基にした政党再編が必要となるだろう。これらの視点から二つの政治勢力が形成される。

しかし、この二つの政治勢力に組み込まれない政治勢力が存在している。それらの勢力は左派を称する政治勢力で、元々政権与党を目指して活動していない政党である。そのため政策提案活動を政治活動の中心に据えない。もっぱら批判政党として機能している。例えば、共産党や社民党がその代表例である。そして日本緑の党もその中に含まれるだろう。これらの左翼反対派政党は、それなりに反対派少数者の支持を得て存続し続ける。

これまでの言及を簡単にまとめるなら、日本では欧米型の二大政党政治は成立し難いと言える。その主な理由は、国民主権主義文化の発達していない日本の民主主義社会文化の未熟さにある。現在の日本社会では、政党活動が古い階級社会思想を土台にていた形態から脱却できていない。つまり、労働組合、農協、医師会、商工会議所等々の利益団体に支えられた政治活動が主流で、多様な利害関係が複雑に入り組んだ現代社会の市民を前提にした政治活動の文化が形成されていない。そのために選挙活動となると既得権益を守る人々の活動が活発化してしまうのである。


二大政党政治の成立する政治文化の条件

その意味で、我々の社会は21世紀型市民社会の様相にあった新しい政治文化の在り方を模索しているとも言える。新しい市民社会に適した市民政党文化は成熟していない。その中で、既成政党活動の限界が民主党政権が生まれる前の自民党の分裂、民主党政権の成立であり、また同時に第一次民主党政権の限界と破綻でもあった。

つまり、第一次民主党政権の破綻(失敗)を真摯に学ぶことによってしか第二次民主党政権(反自民政権)の形成の可能性はない。しかし残念なことに現在の民主党政権はそのことに気づいていない。何故、議会制民主主義の基本であるマニフェスト選挙を確立しながら、それを裏切ったのかということを真摯に反省すらしていない民主党現執行部から、これから進む反自民政治勢力を担う力量もまた信頼も生まれないことは確かである。その真剣な反省を受け止めない限り民主党は今後影響力を持つ政党になることはない。

つまり、言い換えると政治思想なくして二大政党政治は実現しない。二大政党とは二つの政治勢力の形成によって生み出されるのではない。また異なる政策のぶつかり合いによって形成されるのでもない。その前に、二つの政策提案勢力が豊かな国民生活を形成するために必要であるという政治思想を持って成立するのである。この二大政党の在り方を巡る政治的立場について、以下、四つの課題を簡単に述べる。

1、政権交代を前提にした政策政党であり、政党を豊かな社会や国民生活の実現の道具(機関)として位置づけ、その社会的機能を充実することに特化すること。

2、つまり、政党とは政策提案集団である。変革を進める有効な政策は一つの政治行動の選択によって生み出される。その意味で必然的にその政策実現によって、それを補完すべき他の政策が必要となる。しかし、その補完的政策をすべて準備することは不可能となる。それを可能にするのが政権交代である。何故なら多様な市民社会ではすべての市民の利益を同時に満たすことは不可能である。そのためにある政策決定によって生じる社会矛盾を緩和する補完的な政策を他方に準備するだけでなく、まったく異なる利害関係から新しい政策を提案する必要がある。それが可能になるのは政権交代による政策提案のみである。

3、二大政党政治の基本に、反対政党の持つ国民生活を豊かにするための役割の理解がある。それは自らの政党の政策に対する過信を歴史的に反省する力、政治思想が必要となる。反対政党の存在によって活かされる自らの政党の政策効力を理解しなければならない。それは自らの政党のもつ政策限界を俯瞰的に歴史的に理解する知性や思想が必要となる。

4、自らの政党の政策を批判し補完する勢力として反対政党を位置づけるなら、政権確立のために民主党や自民党が行った政局闘争、つまり政権を取るために国会の機能不全を顧みず、国民生活に必要な政策決定を犠牲にして、単に反対のための反対や国会運営妨害活動を行うことは避けなければならない。


二大政党政治を支えるのは政治思想である

つまり、二大政党政治を実現するためには、政権交代の意味を権力闘争として理解するのではなく、国民生活の向上のための政権代謝活動として位置づける政治思想が問われる。そして、野党化することの政治的意義を自党の立場から観るのだけでなく、国民全体の立場(俯瞰的視点)、または歴史的立場(時間的視点)から理解する政治思想を持たなければならない。言い換えると、政権交代によって野党化することを一つの好機として理解できて初めて二大政党を支える政治勢力を構成する政治思想が生まれるのである。

その上で、二大政党を構成する立場は、反対政党が示す政策と自党の政策のそれぞれの有効性を前提にして国民生活全体が豊かになること、つまり多様な利害関係を前提にして成立している市民社会のそれぞれの異なる利害的な立場の全てを同時に満たすことができない限り、それらのバランスを形成するために取られる政治的新陳代謝、多様な利害的な政策実現として政権交代を理解することである。政権交代はある意味で利害的立場の役割交代に過ぎない。それらの交代がスムースに行くことによって多様な利害関係にある高度に発達した市民社会に取って必要なシステムであると理解すべきである。

政権交代を政局闘争として理解することは古い階級社会から残存してきた政治思想である。新しい市民社会では政権交代は異なる政策政党によって補完される社会的機能として理解されることになる。そうした政治思想が形成されることによって細かく分裂している政党から主な異なる政策集団化が可能になる。何故なら豊かな社会や国民生活の形成には、一つの政策実現を補完する他の政策実現が必要とされているからである。しかも、それらの政策群は相互に矛盾し、その意味で補完可能であるからだ。それをすべて一つの政党が担うようりも異なる政党に任すことが政策実現上の効率や合理性が担保されるために、政策提案を分担する集団として二つの主な政党が相互成立する。それが二大政党政治の成立条件となる。この成立条件の社会思想を理解しない限り、二大政党政治は日本社会に根付くことはない。

その意味で民主党政権の失敗は二大政党政治を成立させるためにも大きな政治的実践史の財産なのだ。その意味を自民党の現政権や自民党政権から分裂した政治家たちが理解し、自覚しなければならないのである。


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