2015年4月14日火曜日

科学技術文明批判としての生活世界の科学の課題

現代科学技術文明社会の形成と生活(生態)環境の姿

三石博行(Mitsuishi Hiroyuki)


科学技術文明の成立を人類の歴史に刻みながら20世紀は既に終わった。しかし、他方で、科学技術文明の負の遺産、例えば地球レベルの環境破壊や科学技術の南北問題などを、未来の人類の課題に残した。21世紀のはじめから、これらの負の遺産を処理する思想や科学技術が問われることになる。この課題に知の総力を掛けて立ち向かわなければ、近い未来豊かな社会を持続することは明らかに不可能である

今、真剣に生活環境を改善するために有効な知のあり方が問われている。生活学は、生活者の生活環境を改善するための技術、方法に関する科学である。その意味で、知ることが生きることと直接に関係している科学である。よりよく生活する方法や生活環境を改善する技術として生活学は成立している。

貧困に苦しむ国々では、経済的に豊かな生活環境を得るための生活改善が生活学の課題になる。そして、先進国では、生活学の課題は、経済的生活の改善だけではなく、精神的な生活環境や生態環境のあり方が生活学の問題になる。

生活を豊かにするという意味は、家政学や家庭経営学の枠を超え、生活経営学という概念で歴史的に展開されてきた。家を単位にした生活空間の合理的管理方法に関する調査や研究から、地域社会や生態環境系を含む生活経営、生活者の生活環境のあり方、合理的な運営方法を見つけ出す技術学としての生活学が課題になっていた。

生活環境の問題が取り出されたのは、生態系環境問題の発生からである。わが国では、1960年代、水俣病で知られた有機水銀中毒問題は、海の汚染、食物連鎖の頂点にある魚への有機水銀の蓄積、海を生活の場とし漁業で生計を立てている人々への被害から始まる。

当時、高度経済成長をスローガンとして経済大国を目指す日本では、生活の経済的な豊さの追求に埋没していた。その工業化社会の結果から生み出された副作用として、すでに忘れられているかも知れないが、三重県四日市での四日市喘息、兵庫県尼崎での国道43号線周辺の人々の気管支炎や呼吸器障害が語られていた。しかし、1970年代に入り、環境汚染の被害者の深刻な健康破壊を報道されることで、公害問題は人々の関心を引くことになる。工業化に伴う環境汚染による生活環境破壊が日本列島の至る所で問題にされ出した。瀬戸内海の汚染や琵琶湖の汚染と、次第に大切な生活資源である水や土が被害を受けている現実が明になった時代である。

大量工業生産体制による自然環境の破壊だけでなく、大量消費生活から出される生態環境の浄化能力をはるかに超える生活廃水や廃棄物によって環境汚染はさらに深刻になっていった。しかし、その意味で、環境汚染問題の解決は、技術的に可能であると言える。例えば、工業廃棄物や生活廃棄物を資源として活用するリサイクル技術の開発や、循環型社会の経済制度の整備などが取り上げられた 。経済活動によって作り出された廃棄物は、それが生態系システムの中で浄化される限り、再び生態資源になるのである。しかし、ハロゲン化炭化水素のようにもともと自然になかった化合物を合成することで、生態系の浄化力は著しく低下するのである。

先進国での環境問題は、廃棄物を処理する技術開発や、不当投棄を禁じたり、また部品のリサイクルを義務付けたりする法的制度の整備によって、ある程度の解決の方向を見ることが可能である。しかし、貧困から抜け出そうとしている経済発展を続ける国々では、かくて1960年代の日本と同じように、公害対策に投資している余裕は民間の企業にも社会にも余りない。何より優先している経済成長を成し遂げるために、廃棄物は未処理のまま生態系に放置される。必然的に、現在の先進国が今日の経済的豊かさを手に入れるために生態系を破壊したように、これからの発展途上国も、その過程を繰り替えることは間違いない。その結果、地球は今後さらに汚染されつづけるだろう。

経済的な豊かさを求める発展途上国の人々に、豊かな国の日本の環境主義者が、その国の近代化や工業化に反対することが出来るだろうか。現在の科学技術文明と資本主義社会制度は、今後も大量生産と大量消費の社会を拡大し、地球温暖化、環境ホルモンによる生態環境破壊、資源の枯渇化問題を深刻にさせるだろう。地球規模の環境問題は、一企業や一国の技術的解決策では、防ぎようもない重大で深刻な問題となるだろう。世界規模の環境汚染と豊かな生活環境の保全と真っ向から対立する時代が来ているのである

この不安の原因は工業社会と科学技術文明にあると考えた。しかもその不安が、神秘主義など反科学思想を呼び起こしてきた。この反動的な現代科学技術文明批判からは、現実的な解決の手段が見つからない。科学技術文明への不安や批判は、科学を点検するための活動、科学哲学や科学認識論の研究を呼び起こしてきた。現代科学技術文明批判を課題にした哲学や思想運動の中から、近代合理主義の形成期から18世紀の科学主義の形成、さらには現代科学技術の歴史が点検されてきた。

この点検作業は、1960年代から1970年代に掛けて、科学技術を歴史、社会学、経済学などの視点から分析する科学技術論と呼ばれる学問に発展した。この新しい人間社会学は、さらに専門化し、科学技術史、科学技術社会学、科学技術文化人類学、科学認識論や科学・技術哲学となり、現代の人間社会学や哲学の主流になろうとしている。

しかし、主流になった科学技術論の分析方法や科学性は、科学主義の影を引く唯物史観、新実証主義などを活用して科学技術の分析を展開した( )。現代科学技術文明批判は、その思想的基盤に問題を返すことなく、科学技術の活用の課題に終わったし、また、不十分な段階の問題とてして総括された。科学技術文明批判を課題にする科学技術論は、客観的科学の哲学的課題を取り上げた現象学の問題提起を継承しなければならなかった。


科学主義批判と生活世界の科学


現代科学技術文明を哲学が課題にする時、まずフッサールが試みた「生活世界についての学」という新しい学問性の成立に関する哲学的問題提起を取り上げよう。フッサールによると、「生活世界の科学」は「客観的・論理的な課題」のみでなく、その生活世界の課題が設定されている全ての学として成立する条件を、全体的に取り上げなければならないと提唱している。「客観的科学」は「客観的・論理的な課題」の一つの視点から「自然世界」を取り上げることで十分であった。しかし、「生活世界の科学」は学以前の生活自体における単に主観的で相対的な経験を、科学として取り上げる「科学性」が問われていることになる。

フッサールは、「客観的諸科学」が根拠とする客観的判断、実証的推論や論理的思惟などの述定的理論自体も、言ってみればある生活世界の中に属し、その生活世界に根をおろしている、言わばその客観的判断、実証的推論や論理的思惟を共同主観とする人々の生活世界の直感やその環境に支えられたものであると考えた。したがって生活世界を、学以前のドクサとして考えることは、判断、推論や論理的な考えが、その基盤である生活世界の前提を抜きに生じているということで、言い換えると、客観的判断、実証的推論や論理的な思惟自体が独自に成立していると考えるということになると指摘した。

この顛倒こそ、つまり、思惟がその思惟する主体の文化や歴史的条件を超えて、あたかも独自に存在していると考える客観主義や科学主義と呼ばれる新たな形而上学や観念論であるといえる。思惟を生活世界の中で生きる主体の精神現象として理解するフッサールの視点は、「客観的諸科学」の根拠としている非生活世界的な思惟のあり方を批判的に問題提起していると考えられる。

生活世界を対象とする時、現在の科学の主流が依拠する思想、客観主義的な思惟などだけでは解決しない課題、主観や相対的世界を抱えることになる。花崎皋平の「生きる場の哲学」は「知ること」を「世界との関わり」として捉え、生活の場を破壊する現代科学技術の在り方を批判し生きている人々の姿が「哲学する」姿として提起されていた。哲学は、生活世界とのよりよい関わりを見つけだす知の在り方として理解されている。


批判学としての生活学


資本主義経済と工業化社会の発達によって破壊された生活世界の復権を巡って、ここ2世紀にわたって、問題が提起された。例えば、生活環境の貧困化について、19世紀のヨーロッパでは、工業生産システムによって必要となる多量の単純労働に消費される若年労働者達が被る低賃金や劣悪な労働条件によって引き起こされた生活破壊、労災や職業病などが蔓延していた。それらの貧困化した勤労者を救済するために社会政策学が展開する。労働者階級の搾取の上に成り立つ資本主義経済構造の基本的な改革を、その解決策として展開する試みがなされていた。社会主義思想、マルクス経済学がその理論的な土台となった。

工業化によって失われようとしていた19世紀アメリカ社会の伝統的生活を課題にして、リチャーズは生活学を提案した 。このアメリカ生活学の基調には科学技術文明の引き起こす生活病理の臨床の知としての使命と、現代科学技術文明批判がその根底に流れている。

さらに日本でも、1937年の東北大冷害を契機に農村の生活改善運動に取りかかった今和次郎によって生活構造論や生活病理学が提案された。生活構造論は、戦中、富国強兵政策を目指す国家の利益を守ることを目的にして、篭山京によって研究された理論であった。しかし、その科学の志向性や精神は、戦前の社会政策論の流れを汲んで、貧困生活から勤労者を救済する目的をもっていたと言える。戦後になって、生活構造論は、貧困に苦しむ勤労者の生活改善の必要性を科学的に論証するために展開された。生活構造論は、日本独自の社会学的研究分野として発展したと、渡部益男や三浦典子らの生活構造論学説研究の中で、評価されている。その学説も形成期に於いても、社会学、経済学、医学、文化人類学等の幾つかの科学的視点を持って学際的研究として展開した。

その代表的なものを四つに大きく分類することができる。一つ目は森本厚吉らの生活向上を課題にした「生活文化論」は社会学的立場がある。二つ目は、労働者階級の生活防衛を課題にした風早八十二の社会政策論や大河内一男の国民生活研究は経済学的立場である。三つ目は、篭山京の「労働力の生理学的修復過程」の研究は労働科学的立場を挙げる。四つ目は、今和次郎の「生活様式論」や「生活病理」は文化人類学や民俗学的立場、つまり考現学的立場に立って研究された生活構造論である。

戦後になって、パーソンズの社会システム論の影響を受けた松原治郎や青井和夫が生活構造論を展開する。しかし、1965年代後半の高度経済成長期に入って、貧困生活が解決する中で、勤労者救済の目的を喪失し、学問としての指向性が失われたのか、1970年代に入ると、次第に研究への関心が失われていった。

1970年代に入って、生活構造論の伝統を受け継ぐ流れが生活学の中であった。今井光映は、家政学・生活学の発展が、生活科学として実証科学にそって展開した過程を批判的に分析している。全体的な生活を分析的に捉える方法では、生活学の精神である生活の改善を課題にすることが出来ないと今井は考えた。生活学は、没価値的な実証科学ではなく、全体論的に「生活を癒すこと」を課題にする理解科学である必要性を今井は述べている。

生活を課題にした科学、つまり生活世界の科学は、現代科学技術文明の問題を避けては通れないのである。この新しい科学が成立するためには、近代科学の伝統である科学方法論の検討が必要となった。


参考資料


青井和夫、松原治郎、副田義也編『生活構造の理論』有斐閣双書、東京、1971.11324p

今井光映編著『改革・改名への道 アメリカ家政学現代史(1人間生態学〜家族・消費者科学』光生館、1995.4275p

今井光映、山口久子編 『生活学としての家政学』、有斐閣、東京、1991.9

F. エンゲルス 『イギリスにおける労働者階級の状態』大内兵衛、向坂逸郎 監修、マルクス、エンゲルス選集2、新潮社版、1955

今和次郎  『考現学 今和次郎集第一巻』東京、ドメス出版、1971.

今和次郎 『生活学 今和次郎集第五巻』東京、ドメス出版、1971

今和次郎 『家政論 今和次郎集第六巻』東京、ドメス出版、1971

篭山京 『国民生活の構造』1943 松原治郎編著 『現代のエスプリ第五十二号現代人の生活構造』 第9巻第52号 至文堂、東京、1971.9pp125-137

篭山京 「生活構造の基本状態」in『国民生活の構造』長門屋書房、1943

風早八十二『日本社会政策史』青木文庫、1951

佐藤進 『現代科学と人間人類は生き残れるか』三一書房、1987.1244p

長嶋俊介『生活と環境の人間学生活・環境知を考える』昭和堂、2000.11271p

E フッサール 細谷恒夫、木田元訳『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、中央公論社、東京、1967.4

花崎皋平『生きる場の哲学共感からの出発』岩波新書 黄板 1471981180p

C.L.ハント/ 小木紀之,宮原佑弘/監訳『家政学の母エレン・H.リチャ-ズの生涯』家政教育社、1980.12358p

吉村哲彦『「生活大国」へのリサイクル』中央法規出版、1992.11245p

渡部益男 「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(1) in 『東京学芸大学紀要 3部門』31pp63-751980

渡部益男 「経済学的生活構造論に関する考察 -「生活構造」概念の動態化と生活の構造的把握の理論(4) in 『東京学芸大学紀要 3部門』45pp165-2191994

三浦典子 「生活構造概念の展開と収斂」 in 『現代社会学18vol.10No.1pp5-27、東京、アカデミア出版会、1984

三石博行 「生活構造論から考察される生活情報構造と生活情報史観の概念について」 in 『情報文化学会誌』、東京、第61号 pp. 57-63


三石博行「マルクス経済学批判と科学技術論」  in 『龍谷大学経済学論集』 341号、京都、1994.6pp45-63


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