2008年1月30日水曜日

生活世界の哲学

生きる場の哲学の課題
- 生活運動と思想運動の相互点検活動 -
三石博行


直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。

しかし、生活世界では、ことばは「いま、ここに」という限定から飛び立つことは出来ない。生活世界で見つける素晴らしいことばは、視界の届く所に、足の赴くところにまで届く。

しかし、見知らぬ人々と遠い世界までは届かない。ただそのことばは生き生きと現在の世界に飛び交うのである。

生活で語られることばは、生きた人間の温もりと脈動が伝わる。

「今、ここに生きる」脈動から、新しい生命が生み出され、新しい関係が創られ、新しい感性が生まれる。生活で語られることばは、今、すぐそこにある明日に向って語られる。生活で語られることばは、そこ、すぐそこにいる人々に向って語られる。

生活はそれゆえにその前向きの生命を支える固定概念、共同体の常識と欲望を肯定するための立場、身近な利益集団の立場、個人が所属する経営体の立場、それらの利害を前提にして成立する。

その生活の利害は、今、ここに生きることを保障するための利害である。それは近未来に対して共同体の観念(常識)や制度を自己保存するための利害である。

しかし、生活の利害は、国家や社会の未来を保障するとは限らないのである。

生活の利害のままに人々の行動が流されては国家も社会も成立しない。生活の将来は保障されない。

その自然発生的な生活運動の渦巻きを、ある社会の形態に方向づける必要があった。

思想はそのために必要とされた。思想によって、個々の生活空間の利害を超えて、ある民族や国家と呼ばれる共同体の利害に立つことが出来たのである。

思想は、生活世界で語られた素晴らしいことばを明日よりさらに未来に、近よりさらに遠い社会にまで届けようとする。思想はなき生活は、未来のない生活である。

生活活動を思想活動にまで高めることによって、現在は未来に続く時間を獲得できるのである。

しかし、生活のない思想は人の香りを失ったことばである。

思想のない哲学は、困難に立ち向かう力と人々の共存を願う愛を失ったことばである。

哲学なき思想は、時として我々を危険に導く。

独裁政治、国家社会主義、国粋主義、原理主義、愛国心、民族主義、多くの思想は生まれ、激しく燃え盛り、どれだけ多くの人々を戦火の犠牲にしただろうか。

哲学は、思想に生活世界の香りを届け、人の悲しみと温もりを与える。哲学を失った思想は生活世界の直感を失ったことばに過ぎない。

そこで哲学は、同時代的精神の主張、社会思想として語られたことばを未来と過去の時間を越えて、文化と社会の国境を越えて、人間という抽象的空間に届けようとする。

何故なら、哲学のない思想は、同時代性に固守した偏見を捨て去ることも、省みることもできないからである。そして、時として、それらの危険性は、生活世界を破壊する。

哲学の役割は、同時代的精神をそれらの精神の歴史(思想史や哲学史)の中で、見つめさせることである。

哲学は、同時代的精神活動、思想に生活世界の直感を所有することを要求する。

その哲学の要求によって、支配者の時代的偏見や多数者の社会的固定概念を自然発生的に所有する時代的精神、思想を点検批判し、その思想によって多くの人々が危険に晒されることを防ごうとするのである。

哲学は、無条件な楽観論、肯定的思考を点検批判し、ある時は否定し、それらの思想の前提条件を懐疑し、それらの時代性や文化性に付随する共同主観的世界の様相を反省的に理解させようと努める。

しかし、哲学は思想、時代精神を介して生活世界に入り込むことはできない。

何故なら、哲学は否定の学であり、肯定のベクトルで形成される生活運動にそのまま参加することは困難である。

前向きに生命と欲望をもって成り立つ生活世界の力は、時代性と文化性の時間的空間的方向性を与える思想、時代精神によって方向付けられる。

哲学はその逞しさを持っていない。哲学が生活運動と結びつくことを望むとき、懐疑や点検の学としての哲学の本来のあり方を中止し、哲学の思惟から生まれる、つまり「否定の否定」によって帰結された世界を思想運動に渡さなければならないのである。

哲学は、その時、生活世界の再生、再生産、新たな生活思想の起爆作用を導くのである。

哲学は、その根拠として、生活理念の思想や生活実践の科学を必要とする。

哲学が、生きる場の哲学の成立条件として、生活運動から思想運動への課題を要求している。

つまり、哲学はつねに反哲学を必要とし、反哲学を哲学に内蔵することで、哲学はその存在理由を見つけるのである。

そこに哲学と呼ばれる特殊な学問が成立する。

我々は、終わりなき生の模索と終わりなき理念の追求を限りある時間と空間で試みる。

哲学は、その個人の限界とそれらを繋ぎとめる人間の偉大さを教える。

そして哲学は、その具体的人間生活に溶け込みながら、それを導いた哲学を否定し、反哲学に変貌し、解体し、また新たな哲学を求め続けるのである。


1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

初めまして。

「直感のない哲学は根拠を失ったことばに過ぎない。生活世界に根拠を持たない思想は心の通じない主張に過ぎない。」

医学にも歴史学にも、数学にも、学び、問うていく長い道のりすべてに、先生のおっしゃることが通じると思います。

そして、学ぶとは知識をあつめて自分の周りに要塞をつくり自分を守ることではなく、アラゴンのうたのように「学ぶとは胸に誠を刻むこと」

学び、問うていくことに、みずみずしい直感を保てるように、自分を整えていたいです。

知識を集めて気が済むよりも、それはとても難しいことですが。