2019年3月2日土曜日

日本学のすすめ(1)


-非西洋型資本主義・民主主義社会形成過程の理論のために-


三石博行


はじめに


多様な資本主義国家の形態 -中国型資本主義経済の理解-


資本主義社会のイメージは、それが人類史の中で初めて形成されたイギリスをモデルにして考えられている。そこで、日本の近代化過程・資本主義社会の形成過程を考える時、その姿が西洋社会・国家と非常に異なり、アジア型の資本主義社会に関する理解が求められてきた。

20世紀後半(第二世界大戦以後)帝国主義経済下で植民地化されていた多くのアジアアフリカの国々が独立を果たし、経済的に成長(資本主義経済化)する中で、その資本主義は日本型資本主義(国家指導型資本主義経済化)を取りながら発達した。その代表例が中国である。

歴史的に、国家が強力な経済力を持つためには、社会主義経済よりも資本主義経済が有効であることは、旧ソビエト連邦が崩壊したことによって歴史的に実証された。その意味で、北朝鮮にしろ、経済的発展を今更社会主義経済体制で可能にするとは思っていないだろう。その意味で、北朝鮮が共産党独裁国家指導型資本主義経済体制の形成を目指すことは疑いないと言っても過言ではない。

そればかりではない、サウジアラビア王国のように、国王・王族が指導し、王国型資本主義経済体制も生まれている。

そう考えると、イギリスをモデルにした資本主義経済を典型的な資本主義と呼ぶことは、現在の多様な資本主義経済体制の在り方を正しく理解するために障害となっていないだろうか。資本主義とは何か、もう一度、考える必要がある。

そして、多様な資本主義経済体制を理解することで、現在の中国とアメリカの、またロシアとヨーロッパの経済・貿易・政治的な摩擦を社会主義イデオロギーと自由主義イデオロギーの政治的な紛争として全面対決させようとする単純な政治論争から抜け出すことが出来ると思う。

逆に言うと、わが国は、ロシア(前民主主義的国家指導型資本主義経済)、中国(共産党独裁国家指導型資本主義経済)、北朝鮮(共産党独裁国家指導型社会主義)、韓国(民主主義国家・成熟した資本主義経済)の国々に囲まれ、また隣接している。その中で、それらの国々と共存するための政治、外交や経済的な関係を形成しなければならない。


そのためには、古臭いイデオロギー論に基づく分類分けを辞めなければならないだろう。そのために、多様な資本主義の在り方を理解するための研究が問われている。


1、日本の近代化の歴史に学ぶことによって、今の発展途上国の経済政策は理解できる。


1、日本史の中の日本的事象の理解から


-1. 日本の古代、中世、近世の歴史


海外に出て、自分が生まれ育った日本という国を観ると、この国が世界史の中で、特別な存在であることを知る。大まかに日本の歴史を分類すると、大きく三つの流れが存在している。

第一段階は、朝鮮半島や中国大陸からの先進文化や技術を積極的に受け入れ統一国家・日本を形成して行った古代から中世の時代である。これらの時代では隣国の朝鮮半島や中国大陸の国家との関係、そして、その影響を強く受けていた。

第二段階は、武士階級という日本独自形態の支配階級の形成、そして同時に独自の日本文化や社会制度を形成した鎌倉から江戸までの封建社会、近世日本の社会文化が開花した時代である。この時代はモンゴルを含め朝鮮半島と中国大陸との関係はもとよりルネッサンスを経て発達した西洋社会の影響が日本に及んでいた。それらの影響を受けながらも、日本は貿易や鎖国を通じて、独自の日本文化や社会制度を発展させた。


1-2.明治維新と呼ばれる特殊な革命


第三段階は、江戸末期(幕末と呼ばれた時代)から始まる。近代科学技術の発展、それによる新たな生産・流通の体制、資本主義経済の発展によって得た強大な軍事力で世界中を植民地化して来た西洋諸国やアメリカ合衆国。これらの列強国家の植民地支配から日本民族を守るために、鎖国を続けた江戸幕府を終わらせた明治維新。そして新たな明治政府によって、欧米の軍事、政治、社会制度や科学技術が取り入れられ欧米型の近代国家を目指す政策が進められた。

この維新(日本型の革命)の主体は封建時代、近世江戸時代まで支配階級であった武士である。つまり、支配者階級の中で、下層階層(下層武士階層)が上層武士階層から武士支配の権力を奪い、自らの武士階級の特権を破棄したのである。

こうした革命は、ヨーロッパの市民革命とも異なり、日本近世社会から近代社会への変革期に起こった日本型の近代化社会の流れの特徴であると言える。そして一次産業中心の経済活動を土台にして成立していた封建制度・江戸幕府を終わらせ、二次産業を発展させ、巨大な生産力を生み出す近代国家を目指すために、すべての犠牲をそれまで支配者階級に属していた武士たちが受け止めたのである。

武士階級が自らの階級を解体した革命史は、多分、西洋にも、他のアジアの国々にも無いのではないか。これの歴史の背景をより正確に分析する必要がある。つまり、経済的要因のみでなく、精神と呼ばれる要因が果たす歴史への影響について、分析する多くの材料を影響している。また、この要因の形成の歴史的背景のみでなく、その後の日本社会への影響が、さらに新しい日本の歴史へと作用したことも理解でくるのである。


1-3. 近代国家形成のための国家指導型資本主義経済政策


第四段階は、明治時代から始まる日本の近代国家の形成過程である。天皇制度を活用し近代国家(日本型立憲君主制・国家指導型資本主義経済)を形成して行った。列強から強いられた「不平等条約」によって必然的に生じる経済的収奪、その収奪から日本民族を守るために、明治時代の国を思う人々(政治家、軍人、官僚、学者、経済人等々)は、素早い近代化を推し進めるなければならなかった。

富国強兵は、当時の世界情勢、帝国主義の時代、列強が植民地拡大主義を展開していた時代の中で、国家を守るための当然の政策であった。そのため、国民教育改革、国民徴兵制度、軍備の近代化、製鉄等の重工業化、国家指導の産業育成振興政策が進められた。

国家指導型資本主義経済政策は帝国主義時代の経済政策であり、後発型の国家であればあるほど、強烈な国家指導型の資本主義経済制度が進められたのである。国家指導型の資本主義経済政策は明治、大正、敗戦までの昭和時代、そして、敗戦後の立憲君主制を改め国民主権の政治体制を目指した昭和の高度経済成長の時代まで続いた。

1-4. 後発資本主義国家として国家指導型資本主義経済政策の必然性


戦後、植民地支配から独立した国々は、明治時代に日本が試みた産業政策、富国強兵制度、国家指導型の資本主義経済政策を取りました。勿論、当時、素早い近代化社会(工業化社会)を形成するための政治体制は資本主義だけでなく、旧ソビエト連邦を代表とする社会主義国家でも行われていました。経済の近代化は具体的には工業生産社会の構築を意味します。また、政治の近代化としての民主主義の二つの要素、つまり、自由と平等の要素があります。その二つの要素のどちらを重要にして政治体制を構築するかで、資本主義(自由主義)経済か社会主義(平等主義)経済かの選択がなされた解釈できる。

その意味で、共産党独裁制度による旧ソビエト連邦を代表とする社会主義国家の形成も、天皇を国家元首とした専制君主制度を活用した旧日本帝国憲法下の近代日本の形成も、迅速な近代化、重工業社会化、資本主義経済化を推し進めるための国家指導型の政治・経済政策であったと解釈できる。そして、天皇制・君主制資本主義国家帝国日本も共産党独裁国家ソビエト社会主義連邦も共に軍事大国化し、一方は敗戦により、他方は経済的破綻によって崩壊した。

その教訓に立っているかどうかは不明であるが、アメリアを中心とする連合国の指導の下、天皇制資本主義国家から国民主権資本主義国家へと帝国日本は平和国家日本へと変貌した。また、共産党独裁国家ソビエト社会主義連邦の経済発展の限界を見極めてか、ソビエト型社会主義経済を目指した中華人民共和国は、社会主義経済政策を破棄し資本主義経済政策を国家が強烈に介入指導する戦略を選んだ。その選択の模範となったのが戦前戦後の国家指導指導型経済政策で急激な経済成長を成し遂げた日本であった。その強烈な国家指導体制によって、現在の中国経済は形成、発展し、日本のGPPを数年前に抜いて、2018年にはその2倍になろうとしている。もはや、ゆるぎない経済大国になった。そして、数年後にはアメリカのGPPと肩を並べる時代がくることが予測されている。

国家指導型の資本主義経済政策の成功は、すでに日本、韓国、そして中国で歴史的に立証されている。この政策をアジア、アフリカ、中南米の後発型資本主義国家が採用することは言うまでもない。言い換えると、この資本主義国家は、それらの後発型国家の歴史や文化によって多様な形態を取る。例えば、21世紀の社会で、国王が国家を支配する社会は前近代国家、絶対封建制度の社会であると理解されるだろう。しかし、サウジアラビア王国をはじめとして国王が権力を持ち、積極的に王国指導で資本主義経済政策を取っている国家もある。こうした国家の資本主義経済体制を、これまでの欧米型資本主義社会の概念に理解することは出来ない。

1-5. 多様な近代化過程、ポスト近代化過程の中での世界の理解


その意味で、多様化する資本主義社会の在り方を理解する一つの方法として、政治経済の日本学を提案したいと思った。その場合、これまで学んだ社会政治学の近代国家に関する定義の変更が必要となる。これまでの資本主義形成の社会経済史はイギリスをモデルにしている。それでは、アジアやアフリカの資本主義形成の歴史も現状も理解することは出来ない。資本主義経済と民主主義、そして人権主義が一つのカテゴリに閉じて語られる欧米型の市民革命、市場経済、福祉制度の概念をまず破棄してみよう。

ヨーロッパ、とくにイギリスの周辺国家の視点から考えると、資本主義経済化は近代化という政策の一部である。その目的は富国強兵制度の確立、つまりイギリスを代表とする帝国主義からの祖国防衛、もしくは、イギリスに負けない強烈な帝国主義国家となり、イギリス帝国に匹敵する植民地を支配することが、目的となる。これは第二世界大戦までの資本主義国家の生存を掛けた課題であった。第二世界大戦後、多くの植民地国家が独立し、それらの国家が植民地時代への反省に立ち、経済力や軍事力を持つ国を目指し、近代建国を始める。そして現在、その近代化政策として国家指導型資本主義政策が最も有効な手段であると理解されている。

経済の近代化政策として資本主義経済がある。すると政治の近代化とは民主主義である。民主主義は個人の自由と人々の社会的平等によって成立する。人々の自由を重視する民主主義を取っている代表例がアメリカである。また、社会的平等を最優先した政治の近代化を選んだのが旧ソビエト連邦やそれの続いた社会主義国家であった。さらに文化の近代化とは人権主義である。その意味で人権尊重の社会文化は、福祉国家の重要な課題であるととは説明する必要もない。

フランス革命のスローガン、自由、平等、博愛(人権)は、近代国家の理想のスローガンであった。自由も、経済活動の自由、思想、宗教、政治信条の自由、性文化(ジェンダー)や性別自己判断の自由、等々多くの概念がある。なた平等もそれぞれの個人を取り巻く社会文化環境の概念によって規定が異なる。例えば、社会的平等、経済的平等、民族的平等、人種的平等等々。そして人権も、個人の取り巻く固有の社会文化生態環境の中でそれぞれ多様な概念をもって登場するだろう。

世界には同じ国家は無いように、また同じ国家の中でも多民族国家もあるように、それぞれの多様な社会文化伝統の異なる地域社会には、それぞれの近代化過程が存在している。また、近代化過程を終焉した先進国、ポスト近代化過程を迎えた国々でも、異なるポスト近代化・現代化過程に向かっていると言える。その意味で、資本主義経済化、民主主義政治化、人権主義文化化の過程はそれぞれの国や地域によって多様であると言える。

敢えて言えば、現在の中華人民共和国の国家指導型資本主義経済政策、朝鮮民主主義人民共和国の国家指導型社会主義経済政策、戦前日本の天皇制国家指導型資本主義経済政策、戦後日本の官僚国家指導型資本主義経済政策、サウジアラビア王国の国王国家指導型資本主義経済政策、アメリカ合衆国の民主国家の国民主体型資本主義経済政策も、経済近代化過程、もしくは経済ポスト近代化過程の一部として、理解することが出来るだろう。

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